『高度成長の時代2 過熱と揺らぎ』
大月書店から『高度成長の時代2 過熱と揺らぎ』をお送りいただきました。ありがとうございました。
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b73910.html
>年平均10%という経済成長なかで、大変貌を遂げた日本社会。第2巻では、1960年代半ばから70年代代半ばまでを中心に、経済、地域、教育、家族、社会保障、冷戦下の東南アジアとのかかわりなどのテーマから、その歴史的特質に迫る。
目次は次の通りですが、
第1章 高度成長の過熱と終焉(岡田知弘)
第2章 高度成長期の地方自治――開発主義型支配構造と対抗運動としての革新自治体(進藤兵)
第3章 ニュータウンの成立と地域社会──多摩ニュータウンにおける「開発の受容」をめぐって(金子淳)
第4章 教育の「能力主義」的再編をめぐる「受容」と「抵抗」(木戸口正宏)
第5章 高度成長と家族――「近代家族」の成立と揺らぎ(岩上真珠)
第6章 1960年代の児童手当構想と賃金・人口・ジェンダー政策(北明美)
第7章 高度成長と東南アジア――「開発」という冷戦・「ベトナム戦争」という熱戦のなかで(河村雅美)
このうち、わたくしにとって興味深いのはまず北明美さんの児童手当に関する論文です。
先日のBSフジでもちらりと喋りましたし、拙著『新しい労働社会』以来いろいろなところでも書いてきたように、児童手当=子ども手当を雇用システムとの関係で考えるのは、60年代には基本認識だったわけですが、それがねじ曲げられていく姿を詳しく描き出していて、この問題に何か言おうという人は必読です。以下、私の関心に引きつけた形で部分的に紹介していきます。
1960年代前半期には、児童手当は職務給導入と結びついた形で論じられていました。私も何回か引用した部分ですが、1960年の国民所得倍増計画では、
>年功序列型賃金制度の是正を促進し、これによって労働生産性を高めるためには、すべての世帯に一律に児童手当を支給する制度の確立を検討する要があろう。
と述べていました。1963年の『児童福祉白書』では、これをさらに詳しく、
>大企業の被用者の場合、自動の生計費は年功序列的な賃金体系によって曲がりなりにも保障されてきた。しかし、この賃金体系は徐々に職務給に移行する態勢にあり、しかも、この職務給には児童の分が要素として含まれていないので、賃金でカバーされない児童の生計費分を別個の体系で保障する必要が生じてくるのであって、ここに大企業の被用者に対して児童手当制度を設ける意味が生じてくる。また大企業以外の部面においては、現在年功序列賃金体系さえとられておらず、しかも賃金水準の低い中小企業の場合は、児童手当制度の実施は緊急性がある・・・。
と述べています。これに対して、
>資本家が職務給や職種別賃金制度を導入し、全体として賃金を引き下げ、ことに中高年労働者の賃金を引き下げようとすることには反対しなければならない
と職務給に反対していた労働運動は、一応家族手当法の制定を要求しながらも、むしろ消極的でした。
そして、経営側も次第に職務給の導入に熱意を失い、むしろ消極的になっていくにつれ(このあたりの消息は労働関係の方はよくご存じなので省略しますが)、財界も児童手当に消極的になっていきます。
こういう中で、政府厚生省は児童手当を導入する理由付けをそれ以外のところに求めていきます。それが人口問題であり、出産奨励策であったことが、ある種の人々を児童手当に引きつける効果をもった代わりに、別の人々を却って児童手当から引き離す効果をもったようです。
このあたりの記述で、大変興味を惹かれたのは、厚生省児童家庭局長の黒木克利氏です。黒木氏は、青少年の非行、社会的不適応、神経症、精神病などの激増は母親の就労が原因であり、母親の保育責任をすべての大前提とする保育政策を打ち出していきます。「婦人よ家庭に戻れ」と唱えつつ、母性の家庭復帰を児童手当の理念にしようとしました。母親が在宅育児をする場合には児童手当に加えて「妻手当」を支給するが、母親が就労する場合には児童手当を減額することも考えていたそうです。
(ここで、閑話休題ですが、こういう発想が旧厚生省児童家庭局に濃厚に残っていたことは、10年前に旧労働省女性局と合併したときに、旧女性局の方々から結構口々に聞かされました。大変皮肉なことですが、政治的に「合体」させられた新設の雇用均等・児童家庭局は、女性の就労に対するイデオロギー的立場においては、まったく対極に位置する思想が「同棲」させられるという状況であったわけです。ま、それはともかく)
黒木氏はさらに、この思想を優生保護法の改正問題、つまり人工妊娠中絶の制限と結びつけて運動していったようです。妊娠中絶の乱用を防止するために、妊娠中の手当てを支給することも考慮するなど、プロライフ系の発想が濃厚になっていきます。そうすると、そういう児童手当には反対するという運動が生まれてくるのも当然でしょう。
結局、児童手当はもともとの趣旨では誰も積極的に応援しなくなり、なんとか成立に至った後も、厚生大臣自身が、年功序列型賃金や企業から支出される家族手当の存在を理由に児童手当不要論を繰り返すようになっていきます。
そして、労働組合側も、
>ヨーロッパでは児童手当等の社会保障を最低賃金制度と組み合わせているが、その結果としての労働者の生涯収入のカーブは日本の労働者の年功的昇級カーブとほぼ同様の形になる。従って、日本の方式を変える必要はない。賃金の家族手当等の諸手当もむしろ再確立すべきである
と主張するようになっていました。
こういう1960年代の混迷がその後の児童手当=子ども手当をめぐる議論をどのように歪めてきたかは、北さんの他の論文で書かれていますが、本論文では、最後に最近の子ども手当をめぐる動きに対して次のように問うています。
>時を経て2010年の現在、「子ども手当」という名称のもとで、ようやく所得制限のない児童手当制度が誕生している。だが、それを相変わらず出産奨励策とみなした上で、効果のない無駄なばらまきとする非難が依然として後を絶たず、児童手当法における受給資格のジェンダー・バイアスが子ども手当法に受け継がれたことに対する批判も、ほとんどないままである。今もなお私たちは本章で見てきた時代と同じ理論的混沌の中にいるのであろうか。
これに対して、北さんは幾ばくかの期待を込めつつ、
>だが、男性世帯主の年功的な賃金上昇と賃金家族手当があればことは足りるという考えが、児童手当制度の前に立ちふさがることはもうないであろう。代わりに現れつつあるのは、同一価値労働同一賃金原則の確立を目指し、同時に市場や労働市場から相対的に独立な社会的所得の意義を承認する人々の運動である。
と述べられるのですが、さあどうでしょうか。
第6章以外で関心分野と関わりがあるのは第4章ですが、共感するところとともに、いくつか違和感を覚えるところがありました。とりわけ、木戸口さん自身が60年代の所得倍増計画などに見られる多元的能力主義とその後の一元的能力主義の対立軸をきちんと書いているにもかかわらず、ややそれをごっちゃにした「能力主義」批判に傾いているように見えるところがあり、出口のない批判になっているように感じられました。「どぶ川学級」に未来があったのだろうか、ということでもあります。
やや難癖に聞こえるかも知れませんが、引用されている
>高校の名に値しない職業訓練機関の高校への昇格が図られていく・・・
といった表現に示される教育界の左翼勢力の発想が、まさに一元的能力主義化の一つの源泉でもあったのではないかというのが、私の「偏見」でもあるわけですので。
« 『同一価値労働同一賃金原則の実施システム 公平な賃金の実現に向けて』 | トップページ | ステークホルダー民主主義否定の無惨な帰結 »
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: 『高度成長の時代2 過熱と揺らぎ』:
» 1960年代、「児童手当」の構想とその後 [博多連々(はかたつれづれ)]
児童手当は1972年に始まったが、構想は60年代からだったらしい。 その頃児童手 [続きを読む]
« 『同一価値労働同一賃金原則の実施システム 公平な賃金の実現に向けて』 | トップページ | ステークホルダー民主主義否定の無惨な帰結 »
コメント