水野和夫・萱野稔人『超マクロ展望 世界経済の真実』
先日、POSSEの「これからの労働の話をしよう」という恥ずかしい題名の対談をさせていただいた萱野稔人さんから、水野和夫さんとの対談本『超マクロ展望 世界経済の真実』(集英社新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。
>資本主義の臨界点で日本が進むべき道とは?
世界経済危機を単なる景気の収縮として捉えるならばこの先を読むことはできない。資本主義そのものの大転換、400年に一度の歴史の峠に立っていることを自覚してこそ、経済の大潮流が見えてくる!
ということで、水野氏一流の超マクロ的経済史観と、萱野国家論とが切り結ぶ大変面白い読み物です。
先日の対談で萱野さんが語られていたことどものあれこれが、この本により詳しい形で展開されています。
たとえば、117頁から118頁にかけてのこのあたりは、先日の対談の後半での知識人の国家論批判のもとになっていますね。
>萱野 私がなぜ「国家」の問題にこだわるかというと、資本主義を市場経済と同一視するような見方が日本ではとても強いからです。逆に言うと、資本と国家は対立するものだという前提に多くの人が立っている。新古典派の経済学者やエコノミストたちはだいたいそうですね。
こうした見方は、私のいる人文思想の世界でも根強くあります。特に1990年代の日本の思想界では、グローバリゼーションによって国境の壁がどんどん低くなり、国家も次第に消滅していくだろう、ということが盛んにいわれました。当時はなぜか「国家を超える」ということが思想界での最大のテーマになっていて、その文脈でグローバリゼーションがやたら称揚されたりもしました。私が国家とは何かということを理論的に考えるようになったのは、こうした安易な「国家廃絶論」に辟易したからでもあるんです。国家とは何かを考えもせずに、安易に「国家の廃絶」とかいわないでほしいなと。
>水野 国民国家と国家そのものを取り違えてしまったんですね。
>萱野 そうなんですよ。ちょうど90年代というのは、アメリカが自らの金融的なヘゲモニーを拡大するために、各国に対して規制緩和や民営化を迫っていた時期でした。各国の市場を開放させて、そこにアメリカの資本が入っていく。自由市場のスローガンというのは、いわばその時のアメリカの方便だったわけですよね。その方便を日本の思想界は真に受けてしまった。アメリカの国益に裏付けられたものを、あたかも国家そのものを否定するものとして受け取ってしまったんです。
こうした安易な国家廃絶論は、何でも民営化していくべきだと考える市場原理主義者たちに典型的に見られるものですが、同時に、国家権力を批判しようとする左派やアナーキストたちにもしばしばみられます。アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)なんてその典型ですね。両者に共通しているのは、資本主義市場は国家とは独立に存在しているという観念であり、資本主義がもっと発達していけば国家は消滅するだろうという想定です。
このあたり、本ブログで時たま触れてきた話題とも一部重なるように思います。90年代における反体制的知識人とネオリベエコノミストの野合現象というのは、先進国の中でも日本に特徴的な現象であったように思われます。
ちなみに、先日の対談のテープ起こし原稿への修正は本日坂倉さんにお送りしましたので、うまくいけば来週には雑誌に載ることになると思います。乞う、ご期待、ということで。
さて、水野さんの方はその壮大な経済史観を披瀝されるとともに、かなり手厳しい「リフレ派批判」が繰り広げられています。これなど、なかなか皮肉が効いていますね。
>水野 ・・・ところがリフレ派の人たちは、量的緩和は日銀が嫌々やっていることだというのをみんなが分かっているからダメなんだと、そういうことを言い出しているのです。
>萱野 日銀はもっと本気でやらないから、人々がインフレ期待を持てないんだと。
>水野 そう、ほとんど精神論に入っているんですよね。いよいよマネタリストも言うことがなくなってきたのかなと思います。
正直言うと、水野さんの壮大な経済文明史観については、すごいなあとは思うものの、完全に納得できているわけではなく、それこそ利子率革命よりも産業革命を後生大事に考える古典的な経済史観を捨てるまでに説得されているわけでもないのですが、やはりこの分野もじっくりと勉強してみたいなとは思っています。
« 湯浅誠氏のとまどいPartⅡ | トップページ | 『労働再審2 越境する労働と〈移民〉』が出ました »
コメント
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: 水野和夫・萱野稔人『超マクロ展望 世界経済の真実』:
» 水野 和夫,萱野 稔人『超マクロ展望 世界経済の真実』 [itchy1976の日記]
超マクロ展望 世界経済の真実 (集英社新書)水野 和夫,萱野 稔人集英社このアイテムの詳細を見る
今回は、水野 和夫,萱野 稔人『超マクロ展望 世界経済の真実』を紹介します。エコノミストの水野和夫氏と政治哲学者萱野稔人氏との対談集ですね。対談の内容は世界経済を資本主義の歴史から読み解くというようなことでしょうかね。
第1章 先進国の越えられない壁
・途上国の資源ナショナリズムにより、先進国の交易条件が悪化して、実物経済では利益が出なくなった。そのため、金融経済に行かざるを得なくなった。
・OPE... [続きを読む]
水野さんの壮大な経済文明史観については、完全に納得できない(理解できない?)部分もあることも含めて、全く同感です。とにかく三菱UFJのホームページにグローバル化とは資本の反革命と国家の解体過程、とか書いてしまうのですから恐れ入ります。ただいつもこれから具体的に、どのようにして、どこへ向かうのかというところが分からずに隔靴掻痒みたいな感じになってしまいますが、まあそれはエコノミストの領分を越えるところもあるのかも知れません。ともあれ、この本も世ね見ましょう。
ときに、日経出版の「極限的危機 グローバル資本主義はどこへ行く」はどうなっちゃったんでしょうね。
投稿: JAMJAM | 2010年11月16日 (火) 12時46分
>90年代における反体制的知識人とネオリベエコノミストの野合現象
というのか、「民主化」真っ盛りの東欧諸国で起きた構図ですよね。国家独占の経済体制と不自由さを打破するものとして、リベラルさの追及と同時に国家を超えた連帯みたいなものへの憧憬ってのを、あの頃の反体制派は結構抱いていた様にも思えちゃう。
そう言えば、ポーランドがそうだけど、あの頃の反体制派って今ではバリバリのネオリベか再度逆転して(?)ナショナリズムに走るかの何れかですよね。で、社民的なものの担い手が実のところ体制内の"改革派"だったりして・・・・・
投稿: 杉山真大 | 2010年11月16日 (火) 23時07分