フォト
2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月

2010年11月30日 (火)

労働局個別労働関係紛争処理事案の内容分析

労委協会から発行されている『中央労働時報』の11月号に、わたくしが去る9月28日の労使関係研究会でお話しした標記講演録が載っております。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roui1011.html

ちょうどその直前に出た『ジュリスト』のわたくしの文章を資料に配ってお話ししたものであり、元はJILPTの報告書ですが、話し言葉のままにしてありますので、読みやすいかと。

来月半ばには、『季刊労働法』の第2特集としてこの分析が載りますので、その節にはまたよろしくお読みいただければ、と。

元の報告書はこちらからどうぞ:

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2010/0123.htm

労使関係法研究会

本日、厚生労働省で労使関係法研究会の第1回会合が行われたようです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000xgbw.html

開催要項を見ますと、

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000xgbw-att/2r9852000000xgj0.pdf

>近年、経済のグローバル化やサービス経済化、IT化の進展等を背景として、産業構造が変化し、企業組織再編が活発に行われる一方、パート、派遣労働者等の労働組合の加入率が特に低い非正規労働者が増加することにより、労働組合の組織率の低下が一段と進んでいる。
このような経済社会の変化に伴い、集団的労使関係法制上も新たな課題が生じてきており、労使関係の安定を図る観点から、学識経験者を参集し、今後の集団的労使関係法制のあり方について検討を行う。

と、一見、大変大風呂敷を広げるかのごとくですが、実は今回の検討の焦点はこれです。

>近年、労働者の働き方が多様化する中で、業務委託、独立事業者といった契約形態下にある者が増えており、労働組合法上の労働者性の判断が困難な事例が見られる。このため、本研究会は、当面、労働組合法上の労働者性について検討を行う。
※ 最近では、業務委託、独立事業者といった契約形態下にある者について、中労委の命令と裁判所(下級審)の判決で異なる結論が示されたものがある。

そう、近年裁判所と労働委員会でことごとに見解のずれが露呈してきている、「労組法上の労働者性」について突っ込んで検討するようです。

委員は、

荒木 尚志 東京大学大学院法学政治学研究科教授
有田 謙司 専修大学法学部教授
竹内(奥野)寿 立教大学法学部准教授
橋本 陽子 学習院大学法学部教授
原 昌登 成蹊大学法学部准教授
水町 勇一郎 東京大学社会科学研究所教授
山川 隆一 慶應義塾大学法科大学院教授

と、すべて現役中堅層の労働法学者ですね。

『経済界』インタビュー記事

Cvr101221 雑誌『経済界』12月21日号が第2特集として「凍てつく雇用」を取り上げていて、そのインタビューに、リクルートワークス研究所の大久保幸夫さんとわたくしが登場しています。

大久保さんの発言は是非店頭でご覧頂きたいということで、私の発言部分を以下に引用しておきます。

>独立行政法人の労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員は、
「日本の雇用システムに矛盾が発生している。それにどう対応するかという問題です。日本的なシステムの下では、別に何が出来るわけでもない若者を企業のメンバーとして採用し、いろんな仕事を経験させながら、上司や先輩が育てていく形だった。“まとも”な人は、そうやってまず企業に入ってキャリアを積み、そうでない人は非正規雇用で生きていくという二極分化ができていた。しかし、企業が正社員を絞り込んできたために、正社員になりたいのに非正規雇用を強いられる人たちが大量に生まれるようになった。これが今の大きな問題です」
 こうした人たちのための対策として、濱口氏が最も現実的だとするのが「ジョブ型正社員」の仕組みだ。正社員と非正規雇用との間に、職務や勤務場所を限定したもう一つのクラスターを設けるものだ。
「国は職業訓練などで、非正規労働者の正社員就職を進めようとしています。しかし、日本の雇用システムでは、正社員のキャリアコースに途中から“押し込む”形はなかなか馴染みにくい。また掛けた費用の割には効果が出難いので、目先の利益しか考えない事業仕分けの対象になりがちです。この人たちをジョブ型正社員として受け入れる道筋を確立することで、訓練と雇用を直結させることができるし、企業がメンバーとして一生を保障するわけではないが、自立して生活できるだけの安定した雇用を確保することができます。いずれにしても社会全体で支えていかざるを得ないのだから、少なくとも自立して自分の生活は自分で維持できるレベルまで引き上げないと、さらに社会保障の費用がかかることになる。これは避けなくてはなりません」

>来春の新卒大学生の就職率は過去最低を更新。企業は新卒一括採用をしており、一流大手企業に入るには新卒の一発勝負にかけるしかない。あぶれたら、非正規雇用で恵まれない待遇に一生甘んじるしかない。・・・
「大学が多過ぎる。半分以上は職業訓練校にすべきでしょう。今や日本は本質的なことに手を付けなくてはいけないぎりぎりの時期に来ている」(濱口氏)

ここはやや言葉足らずかも知れません。後期中等教育後のターシャリーエデュケーションが拡大すること自体は、OECDにいわれるまでもなく望ましいことです。

願わくはそれが、会社に入ったら「大学でやってきたことは全部忘れろ」といわれてしまうような中身ではなく、就職後の職業と内在的なつながりをもつ教育であることが望ましいわけでして、そういう職業訓練校としての大学に転換すべきという趣旨です。

整理解雇の論点@日経経済教室

昨日と今日の日経新聞の「経済教室」が「整理解雇の論点」というテーマで、八代尚宏さんと神林龍さんのお二人の経済学者を登場させています。お二人とも私の尊敬する労働経済学者であり、その論ずるところには共感するところが多くあります。

昨日の八代さんの文章は理論編としては、わたくしが『新しい労働社会』などで論じてきたところとほぼ共通する考え方だと思います。とりわけ、

>日本の判例法に基づく厳しい解雇規制は、慢性的な残業や、配置転換・転勤を受け入れざるを得ない「無限定な働き方」の代償という論理がある。・・・

>雇用保障と年功賃金の代償に無限定な働き方を強いられる正社員と、不安定雇用で低賃金の非正社員との間に、その中間的な働き方を法律で認知する。例えば、特定の仕事がある限り雇用が保障され、転勤はなく、労働時間も自分で決められる「専門職正社員」である。・・・

>適切な金銭賠償を軸とした整理解雇のルールを定めることは、正社員の多様な働き方を促す。また、契約更新を繰り返す有期雇用の更新停止時にもこれを適用することで、非正社員と正社員との働き方の壁を低めることができる。・・・

と、若干ニュアンスの違うところもありますが、理論的にはおおむね私もそのように考えています。

一方、今日の神林さんの文章は、日本の現実は通説とは大きな差があり、統計的にも国際的評価も、日本では整理解雇が法的に非常に制限されているとは言えないと述べています。これまた事実認識としてはまことに正しいわけで、我々の行った個別紛争事案の分析でも、雇用終了756件のうち経営上の理由が218件3割近くを占め、中小零細企業では日常茶飯事であることは常識に属します。

ただ、神林さんはそこから、「このようなときにこそ、経済学上の抽象的な整理が指針になる」と述べて、経済理論的分析に入っていくのですが、私はむしろ逆に、八代さんにせよ、神林さんにせよ、「整理解雇」という言葉をはじめから用いて考えることにより、現実社会の雇用終了がどこまできれいに分類できるのかという問題意識が抜け落ちてしまう危険性にやや無頓着になってしまっているのではないかという危惧を感じます。

これも我々の個別紛争分析に現れていることですが、現実の労働社会では反抗するからとか態度が悪いからといった「個別的解雇」が山のように行われており、それらは概念的には「整理解雇」とは区別されるのですが、現実にはそれを「経営上の都合」と称してクビにしてしまうという事例も結構あるわけです。あるいは、事実経営上の理由はあるけれども、それをいいことに言うことを聞かない奴をクビにしてしまえということもあります。

これは、「整理解雇」というものが客観的に分離されたことを前提にあれこれ論ずる権利問題とは別に(あるいはその前に)それがいかなる雇用終了であるのかを判断する手続問題が存在するということでもあります。そして、それを論ずる上では抽象的な経済学理論はあまり役に立たず、社会の現実の「ひだ」に寄り添ってものごとを分析していくある種の「社会学的」なプラクティカルな知性が必要な領域なのだと思っています。

とはいえ、無限に複雑な現実を、無限に複雑なままで整理することはできません。そこに必要なのは、ある種の「政治学的」な知性なのでしょう。(念のため、ここでいう「政治学的」とは、私が先日のシンポジウムで軽蔑的に述べた「政治学者と政治評論家と政治部記者が諸悪の根源」というのにでてくる凡百の「政治学者」連中のことではなく、資源の権威的配分のロジックをどう社会的に構成するかという問題意識を持った、という意味です)

拙著『新しい労働社会』が「民主主義の本分」として提示したのは、集団的労使関係が、産業民主主義が、この無限に複雑であり得る雇用終了にミクロレベルの「政治的」な決着を付けることができるメカニズムであるということでありました。

「整理解雇」が本当に「整理解雇」なのか、そして一定量のジョブがなくなる以上一定量の労働力が削減されることを前提として、それが個別労働者に対する制裁や差別などに「悪用」されないように担保するメカニズムはいかにあるべきか、というところまできちんと考えて初めて、整理解雇の議論は十全なものになるのです。

鴉組さんの拙ブログ評

「鴉組(からすぐみ)」さんのブログで、拙ブログが取り上げられております。

なかなか面白く辛辣な表現でありますので、ご参考までに。

http://blog.livedoor.jp/karasugumi/archives/1785933.html(「EU労働法政策雑記帳」の経済学論)

>経済学の社会における役に立たなさを素直に書いておられる。実際その通りなのだが、底の浅い記者たちが過剰に経済学の有用性を説いて回るものだから、経済学を学んだ先にバラ色の未来が待っていると勘違いする学生が現れても不思議ではない。濱口氏のような、「王様は裸だ!」といわんばかりの指摘は貴重である。

>理論だけを信奉し、現実を見つめようとせず、あくまで経済学の枠内から出ずに政策を語ろうとする経済学者と経済学者モドキが多すぎるのだ。実際に世の中を規制している制度を理解したり、そこでのステークホルダーの現実をつぶさに観察するのは地味で困難な作業だ。しかし、政策をつくる上では必須の作業だ。そうした地道な作業しない経済学者が政策を語るのは害悪でしかないが、現にそういう人たちの議論が大手を振ってまかり通るのが日本の現実なのだ

池田信夫氏に言及しているところも大変興味深いですね。

>濱口氏といえば池田信夫氏との論争が有名だが、誰がみても、判定:10対ゼロと言っていいくらいの濱口氏の圧勝であり、池田氏は「けちょんけちょん」にされ、最近は濱口氏に何を言われようが黙り込んでいる。

>そして、より哀しいのは、いつも「○○は経済学を知らない」といった体でバカにしたり、自らも「経済学者」を自認して憚らない池田氏が、私の知っている、アメリカで博士号を取って帰ってきた若手経済学者らのランチの会話でいつもネタにされ、バカにされているということである。池田氏のブログを読むと青木昌彦氏との関係をちょいちょい示唆して、なんとか「あっちの世界」の仲間に自分も入れてもらいたいのではないかと推察できる部分が出てくるが「あっちの世界」の人は全く池田氏を経済学者だと思っていないのだった。
「あっちの世界」の人は賢い。だから、表向きは池田氏のことを決して批判しない。なぜなら経済学や経済学者という市場を広げるのに池田氏は役に立っているから…。

2010年11月29日 (月)

『季刊労働法』231号のお知らせ

いささか気が早いですが、労働開発研究会のHPに『季刊労働法』231号の予告がアップされているので、こちらでも宣伝しておきます。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/004607.html

>季刊労働法231号

●今号では、「これからの有期・派遣・請負」と題し、非正規という働き方の今後を展望します。有期労働規制の方向性、派遣法改正の行方が不透明な中、どのような法政策が求められているのかについて検討します。

●労働政策研究・研修機構が、労働局で取り扱ったあっせん事案を包括的に分析し、そして現に職場で起きている紛争とその処理の実態を明らかにしました。第2特集では「個別労働紛争の実態とその処理」と題して、この報告をベースに、雇用終了、いじめ・嫌がらせ、労働条件引下げ及び三者間労務提供関係といったトラブルの解決がどう処理されるのかを詳述します。
 そのほか、シンポジウム「労働審判制度の実情と課題を探る」などを掲載しています。

というわけで、次号では私たちJILPTの労使関係部門の研究成果をもとにした特集が組まれます。

特集 これからの有期・派遣・請負

有期労働契約に対する法規制の今後 中内 哲

派遣先事業主の責任の再構成に向けて 鄒庭雲

派遣先での直用化をめぐる諸問題 本庄淳志

雇用、請負、委任の区別についての一考察 向田正巳

第2特集 個別労働紛争の実態とその処理

研究の目的と概要 濱口桂一郎

雇用終了事案の分析 濱口桂一郎

いじめ・嫌がらせによる非解雇型雇用終了事案に関する若干の分析 濱口桂一郎

労働局のあっせんにおける労働条件引下げ事案の分析 鈴木 誠 

個別労働紛争処理事案から見る三者間労務提供関係における紛争の実態と課題 細川 良

【シンポジウム】労働審判制度の実情と課題を探る
菅野和夫 渡辺 弘 石澤正通 村上陽子 石嵜信憲 鵜飼良昭

というわけなので、「労働法の立法学」はお休みです。

鈴木優美『デンマークの光と影 福祉社会とネオリベラリズム』

645 リベルタ出版から刊行された鈴木優美さんの『デンマークの光と影 福祉社会とネオリベラリズム』をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.liberta-s.com/645.html

一知半解でフレクシキュリティを振り回したがる人も含めて、最近の労働社会政策ワールドはときならぬデンマークブームですが、そのデンマークに在住してさまざまな側面を目の当たりに見てきた著者の言葉には重みがあります。

>鈴木 優美 (すずき ゆうみ)

1977年生。
2000年津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。
2002年東京大学教育学研究科生涯教育研究コース修士課程修了。
2002年よりデンマーク在住。ロスキレ大学心理学・教育学研究科博士課程在籍。教育と福祉の領域で実践の場に関わり働く傍ら、デンマークでの民主主義意識と市民形成の過程について研究を続けている。

この本については、

>小さな国だが、きらりと光る存在感で世界に知られるデンマーク。年間6週間の有給休暇、失業時の手厚い保障、無償の医療費・教育費といった福祉社会に、新たな波が押し寄せている。市場原理の席巻は世界的な傾向であり驚きに値することではないが、福祉社会に見られる新自由主義の台頭は、「世界一幸福な国」を格差と競争原理の国に変えつつある

という説明がされ、

次のような内容からなっていますが、

序 章 福祉国家から福祉社会へ
第1章 無料の代償
・「高福祉」を支える税制度
・教育制度の変容─「国際競争力」の名のもとに
・揺れる医療制度
第2章 個人の意思尊重の代償
・肥満との闘い
・アルコール・薬物濫用と精神疾患
・ドロップアウトする若者たち
第3章 寛大な福祉給付の条件
・失業対策
・年金制度
第4章 選別される外国人
・移民政策と国内の反発
・「テロとの闘い」と「自由」のはざまで
第5章 フレキシキュリティの陰
・社会民主主義の変容
・労働組合とストライキ
・金融恐慌の後で

どの項目も大変興味深い話がいっぱい詰まっていて、どれを紹介していいのか迷いますが、本ブログでかつて取り上げた話題ということで言えば、やはり移民問題でしょうか。寛大な福祉国家であるからこそ、とりわけイスラム系の移民に対して厳しく、EUとの間でトラブルになったりするあたりの事情が詳しく書かれています。

あとがきの最後に、

>本書のきっかけになったのは「デンマークのうちがわ」という個人の勉強ノートがちょっと発展したようなブログである。知らなかったこと、思いがけなかったことがメディアの情報にたくさんあり、それをどんどん忘れていくのが惜しくて、書き始めたものだった。・・・思いがけず、本にしてみませんかと連絡を頂き、時間をかけて記事をアップしていた労力が認められた気がした。

とありますが、そのブログはこれです。

http://denjapaner.seesaa.net/

最近も11月17日付で「福祉ただ乗り撲滅のための29手」というエントリをアップされています。

>(「福祉 フリーライダー」のキーワードで、こんなでたらめな記事が上位に上がってくる実態に愕然とするが。)

という感想にも同感です。

石水喜夫さんの「賃金と所得分配」

電機連合から毎月送られてくる『電機連合NAVI』の11/12月号は「労働者への企業利益の配分について考える」が特集です。笹島芳雄さんのアメリカのボーナスの話の次に載っているのが、大東文化大学講師という肩書きの石水喜夫さんの「賃金と所得分配」という文章です。

石水さんはあえて労働経済調査官ではなく、大東文化大学講師という肩書きでこのポレミックな文章を書いたのでしょう。その内容は、主流派経済学に対する手厳しい批判に満ちています。

ケインズ理論を駆使した本論の部分は、私が要約するべきものではないので、ぜひ現物を読んでいただきたいと思います。ここでは「はじめに」の、はじめから相当にポレミックな調子のイントロを。

>・・・こうした厳しい環境の下で、雇用を守るために賃金を我慢するという誤った構図が固定化し、デフレ経済からの脱却がますます遠のいている。

>産業社会の構成員は、雇用と賃金が代替的なものだと思っている。自らの勤める会社の経営状況を、つぶさに知らされている従業員は、賃金を抑制し、利益回復的な動きに貢献することが自らの雇用を守ることだと理解している。・・・

>ところが、このような対応は社会全体から見れば、明らかな悪循環だ。所得が減ることで国内マーケットは縮小する。消費の減少によって総需要は減少し、継続的な物価下落の状態はさらに厳しさを増す。・・・

>物価が継続的に低下する社会は、企業の投資環境としてもふさわしくない。将来の収益が縮小する社会に投資する企業はない。投資の縮小はさらに有効需要を減少させることになる。しかも、物価の低下によって個人も企業も貨幣の保有動機がますます高まる。・・・

>デフレ社会は、総需要が不足する社会であり、賃金と物価が相互連関的に低下する社会なのである。このような社会を終わらせるには、賃金は物価の構成要素であり、賃金の低下が物価の低下の要因になっていることを理解し、賃金の低下を食い止めなければならない。・・・

>現代日本の賃金問題は、いわゆる「合成の誤謬」の最たるものだ。個別企業のミクロの合理性と経済社会のマクロの合理性が、まったく相反しているのである。・・・

と、ここまでは政策論ですが、ここから経済学批判に移っていきます。この語り方は、私のように経済学の外側から見ているだけの人間にはわからない激しさが込められているように思えます。

>しかも、ここに労働経済学という存在がある。本来、社会の総合的な分析に貢献すべき経済学なのであるが、今日、労使関係者が経済学として真っ先に思い浮かべる「労働経済学」という分野は、価格調整メカニズムを重視する「労働市場論」なのである。

>かつての労働問題研究は、社会政策論であった。それは、労働者が企業で雇われるという社会関係を分析対象とする政治経済学であった。ところが、今日の労働問題研究は、いつの間にか、すっかり労働経済学へとシフトした。労働経済学は「労働力」という商品が「労働市場」で売買されるという観察方法によって、労働問題を抽象化し、普遍的に分析処理する市場経済学である。労使関係者は、この純粋科学をありがたがっているが、それは社会超越的、文化超越的な存在であり、その生み出す痛みは確実に労使関係者を襲っていく。ところが、「科学」という存在は、人間社会を超越して神々しい権威と名声を備え、世俗の人々は苦しみながら、その権威をありがたがるのである。

いやあ、激越です。ここから、

>労働市場論が振るう恐るべき猛威は、J.M.ケインズの『雇用・利子及び貨幣の一般理論』によって詳細に分析されている。ところが残念なことに、その英知はいま、忘れ去られようとしている。・・・

として、石水流ケインズ理論解説が始まるのですが、それはもう私の手に負えないので是非現物をお読み下さい。

結論的に書かれた最後のセンテンスだけ、ここに引用しておきます。

>労使の話し合いにより、所得分配を決めると言うことは、より良い経済循環を生み出すことであると同時に、社会の将来像を描き出す創造的な営みでもある。

2010年11月28日 (日)

トイレの女神と文化摩擦

今朝の読売の「編集手帳」がトイレ掃除について語っています。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20101127-OYT1T00945.htm

>トイレ掃除には不思議な力が宿っているようである。「トイレの神様」のヒットで今年の「紅白」初出場を決めた植村花菜さんの笑顔に、その思いを強くした

トイレには女神がいる、毎日きれいにすれば「女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで」という祖母の教えを守ってきた。国鉄職員だった濱口國雄さんの「便所掃除」という詩は、教師が子供にトイレの美化や掃除の意義を説く際、度々引用される

<扉をあけます/頭のしんまでくさくなります>で始まり、苦心惨憺の作業が綴られ、こう結ばれる。<便所を美しくする娘は/美しい子供をうむといった母を思い出します/僕は男です/美しい妻に会えるかも知れません>。トイレ磨きは人の心を磨く修業であろう

大手カー用品会社の創業者鍵山秀三郎さんは、10年にわたり黙々と社内のトイレ掃除を続けた。「トイレ掃除しかできない」経営者と笑われたこともある

社員が参加し始めて「社風」となり、社外からの研修希望が増えて各地の学校にもトイレ掃除は広まった。鍵山さん編著の近刊は「便器を磨けば、子どもが変わる!」である。

ここに引用されている濱口國雄の便所掃除という詩の全文は、

http://kaijyuu.chu.jp/kokoro/benjyo.html

にあります。上のコラムでは出てきませんが、この濱口氏は国労の活動家で、反マル生運動の闘志だったのだそうです。

hamachan、急に詩なんか持ち出してどうしたの?とお考えの皆様、ちゃんと話がつながります。

実は、今分析している個別紛争事案の中に、中国人の労働者が、素手で便器を掃除させられた、これはいじめだ、民族差別だ、と訴えている事案があるのですが、会社側は、新入社員にはみんな便所掃除をさせている、差別なんかしていない、と主張しているんですね。

たぶんそれは事実で、差別的意図やいじめというつもりはなかったのでしょう。しかし、便所掃除夫として雇われたわけではないのに、便器を素手で洗わされた中国人労働者がそれを「その会社の社員としての本来的義務」と感じることができなかったことも、また当然ではあります。

国労の活動家と中国人労働者の間にあるこの感覚の差。

こういうのは一般的には「文化摩擦」という名で呼ばれるわけですが、正確にいえば雇用システム間摩擦というべきかも知れません。

経済学は「子供に持たせてはいけない刃物」

「dongfang99の日記」に、実に的確な表現がありました。

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20101126子供に持たせてはいけない刃物

>経済学というのは「子供に持たせてはいけない刃物」のようなところがあり、貧困に対する素朴な憤りから出発したはずが、経済学を通過すると、結果的に貧困者の頬をひっぱたくような結論になってしまうことがしばしばある。とくに農業や雇用の問題に関する経済学系の人たちの議論を聞くと、素人的には「正論かもしれないが、いまのデフレ不況下でそれをやったら自殺者が増えるだけじゃないか」と疑問を感じることが少なくない。個々の経済学者が冷徹・冷酷だということではなく(むしろ主観的には善意の人たちであることは間違いないだろう)、外から見ていると経済学にはそういう危うい面をはらんでいるように思われるということである。

いやあ、確かに、あれやこれやの実例を見るにつけ、うまく使えばいい料理になるはずなのに、ガキが刃物を振り回している状態になっている「ケーザイ」学の魔法使いの弟子たちが(とりわけネット上に)うようよいて、頭が痛いところです。

次の追記も秀逸。

>一頃の社会学者(とくにフェミニスト系)の中にあえて極端なことを言って、その極論に噛み付いてきた人を、「真意を理解していないバカ」ともぐら叩きのように叩くという、あまり上品ではない戦略をとっていた人がいたが、見ていると同じことをやっている経済学系の人たちが少なからずいるような気がする。しかも、戦略的にというよりも素朴にやっている感じがする。

ふむ、まあ、良く言えば素朴ですけど。

(追記)

本ブログを以前からお読みの皆様には今更言わずもがなの大前提ですが、ぶくまをみて飛んできた人の中には誤解する人もいるかも知れないので、念のための追記。

ここで皮肉っているのは、あくまでも「(とりわけネット上に)うようよ」している、労働のことに無知蒙昧なままあれこれほざいている「ケーザイ」学の魔法使いの弟子たち」のことであって、経済学の学識と労働問題に対する的確な認識を併せ有している多くの労働経済学者のことではありませんので、誤解なきよう。

王御風『圖解台灣史』

030 今朝の新聞に、台湾の直轄市長選挙結果の記事が載っていましたが、その名前を見て、先日ソーシャルアジアフォーラムで行った台北で買った本のオビに載っていたな、と。

この本を推薦している台中市長の胡志強、高雄市長の陳菊両氏が、民主進歩党で当選した二人で、残りの3市では国民党が勝ったということですね。

この本は全ページカラー写真が満載なので台湾記念に買ったのですが、結構よくできていて、南島系原住民の序章から始まって、オランダ人やスペイン人がやってきた第2章、鄭成功の第3章、漢民族の移民がやってきた第4章、清末の建設期の第5章、日本統治時代の第6章、国民党がやってきた第7章、白色テロと経済成長の第8章、民主化と政権交代の第9章と、とても手際よくまとめられています。

http://howdo.pixnet.net/blog/post/26536746

はしがきは次の通り。

>如何弄懂台灣史/王御風
    台灣是個特殊的島嶼,有文字記載的歷史約莫只有四百年,比起鄰近的中國、日本,其時間相對較為簡短,但複雜性卻不遜於這些地區,最主要的原因是台灣的政治及族群結構相當複雜。未有文字記載前,有南島民族活躍在島上,有文字記載後,四百年來統治過的國家有遠從西方來的荷蘭、鄰近的中國(大清帝國)、日本,與從中國撤退來台灣的中華民國(國民黨政府),以及西元2000年民主化後,中華民國進入政權輪替的民進黨政府及國民黨政府。要瞭解台灣史,最重要就是弄懂這些政權代表的意義。
    短短四百年間,台灣歷經五次的政權轉換,除了大清帝國維持了兩百多年外,其他政權存在時間多半僅維持約五十年(如日本政府從1895年到1945年,剛好五十年,中華民國從1945年接收台灣到2000年首次政權輪替,則是五十五年),幾乎每隔半世紀,台灣人民就要面臨一次政權轉移,對台灣人民的生活、社會,均有巨大的衝擊及變化。例如從大清到日本再到中華民國,人民所使用的文字及語言,從中文到日文,再回到中文,一家三代不僅使用的文字語言不同,國家認同也截然不同,也造成日本投降時,兒子目睹爺爺欣喜、父親痛哭失聲的現象
    而這座島嶼上的統治者,還代表著個別特色的思維:四百年前的南島民族,必須從南島民族在全球的遷徙談起;荷蘭所代表的是西方地理大發現後的殖民思潮,如果不從地理大發現談起,很難去瞭解為何荷蘭跟西班牙,要千里迢迢來到台灣;大清帝國代表著傳統中國的最後光榮時代:以農業為主、不願與世界溝通;日本統治者則是殖民主,對待台灣的方式,一切都是從日本為主來思考;中華民國撤退來台灣後,在民主與共產對峙下,選擇站在以美國為首的民主陣營。
    不瞭解這些意涵,便很難去理解台灣的變化歷程。例如台灣原本是個以商業起家的地方,但商業的進行,隨著各個統治者來歷而有差異:在荷蘭時代,是西方進行轉口貿易的一環,是荷蘭全球貿易的一站;在大清時期,因為不與外國通商,因此限於經營兩岸貿易,直到1860年重新開港,又再度成為外銷重鎮;到了日本時期,一切以日本母國需要為重;直至中華民國時期,則在富裕美國支持下,成為代工外銷大國。若不搞懂這些政權背後的意義及其影響何在,就會心生困惑,覺得為什麼同樣的事情都一直變來變去,而這正是台灣史複雜及吸引人之處。
    也因此,一般的台灣史敘述,多是順著時間軸線,以不同統治者作為分界,本書亦不例外。但是在閱讀時,提醒您可得時時注意這些變動政權帶來的差異性,一旦掌握了此要點,台灣史也就不再困難、教人卻步了。

清→日本→中華民国と支配者が変わる都度、文字と言語も変わり、日本が投降したとき、子どもたちはおじいさんが喜びお父さんが嘆き悲しむのを見た、というのが象徴的です。

また、目次は次の通りです。

首篇 史前時代的台灣:南島民族的天下
1. 台灣的考古遺址
2. 南島民族的起源
3. 平埔族與原住民
4. 史前時代的台灣與中國

第二篇 大航海時代:迎來福爾摩沙之名
1. 荷蘭、西班牙人飄洋過海來台灣
2. 荷蘭占領澎湖做什麼?
3. 鄭芝龍與荷蘭的海峽爭奪戰
4. 統一全台:荷蘭人與原住民。
5. 荷蘭治台的兩大城堡:熱蘭遮城與普羅民遮城
6. 西班牙人為何搶灘北台灣?
7. 郭懷一事件:荷蘭人與漢人的衝突
8 .鄭成功與荷蘭的大戰

第三篇 鄭氏海上王朝:拓荒、屯兵與文教
1. 擊敗荷蘭人的混血英雄:鄭成功
2. 鄭成功的傳說與廟宇:延平郡王祠、鶯歌、劍潭與大甲
3. 唯一反攻大陸的台灣領袖:鄭經
4. 傳說中的天地會總舵主:陳永華
5. 明鄭士兵開墾而成的土地
6. 鄭氏王朝的滅亡
7. 充滿荷蘭、明鄭遺跡的台南市

第四篇 上朝不太管的地帶:移民的新世界
1. 施琅與台灣:消極治台的建立
2. 台灣人的祖先是偷渡客:原鄉、羅漢腳與械鬥
3. 清代台灣三大民變:朱一貴、林爽文、戴潮春事件
4. 台灣人的開墾與商業精神

第五篇 寶島大家搶:清末台灣的強化建設
1. 洋鬼子來了:開港與外國傳教士
2. 日本侵台的先聲:牡丹社事件
3. 火車、砲台、電報:台灣建省與自強運動
4. 被割讓的孤臣:甲午戰爭與台灣民主國

第六篇 太陽旗下的逆光:日治台灣事件簿
1. 《六三法》到《法三號》:台灣總督府的建立
2. 日治時期的武裝抗日:林少貓、噍吧哖與霧社事件
3. 打造殖民台灣的後藤新平
4. 邁向現代化:日本政府在台灣的建設
5. 文化抗日:台灣議會請願運動與台灣文化協會
6. 大戰下的台灣:工業化、南進政策與皇民化運動

第七篇 國府遷台的大撤退:從止戰紛亂到綏靖
1. 台灣光復:台灣接收與國府治台
2. 戰後首次選舉:參議員選舉
3. 二二八事件:美好幻想的破滅
4. 一九四九大撤退:國府來台
5. 國民黨政權的確立:國民黨改造與地方選舉
6. 從小島再起:蔣中正的台灣歲月

第八篇 戰後台灣社會的擺盪:告別威權,展臂開放
1. 白色恐怖的時代:匪諜就在你身邊
2. 民主的封殺:雷震與自由中國案
3. 大戰再起:八二三砲戰
4. 從美援到加工出口區:台灣經濟奇蹟的誕生
5. 從蘇聯到台灣:蔣經國時代
6. 中壢事件、美麗島事件:民主運動的興起

第九篇 解嚴之後:台灣式的快轉變革
1. 第一位台灣總統:李登輝
2. 飛彈下的總統:第一次總統民選
3. 藍天變綠地:陳水扁與民進黨的執政
4. 第二次政黨輪替:馬英九與國民黨再次執政
5. 解嚴之後:台灣社會的快速變動

2010年11月27日 (土)

「本読みの記録」さんの拙著書評

「本読みの記録」さんに書評いただきました。

http://book-sk.blog.so-net.ne.jp/2010-11-27(弱者に優しい方向転換:新しい労働社会―雇用システムの再構築へ)

>現在の日本における労働慣行が行き詰まっていることは、まともな人なら誰でも分かる
では、どうすればいいのか?その方向性に個性が出るのだ。

自由主義の観点から、解雇を自由化すれば、労働力の流動性が高まり正社員と非正規社員の不平等がなくなるという人もいる。それはそれで正しいのだろう。
だが、個人の立場から見ると、解雇の自由化によって解雇された人には痛みが伴う。
そこで、解雇を自由化するのではなく、労働者の権利を守りながら不合理な労働慣行を変えていこうとするのが筆者の立場だ。

わたくしの議論に対する評価は、

>この主張は今の日本の制度よりましなことは間違いないし、世間的にも米国型よりもは受け入れられやすいだろう。問題はある程度の社会的コストを覚悟しなくてはいけないことで、規制の少ない米国や、ルール無視の中国などと渡り合っていけるのかが疑問なところである。

という疑問符付きのややプラス評価というところで、

>このように、筆者の主張に賛否はあるものの、中身は筋が通っており、読みやすい。
現状の行き詰まりに対する処方箋の一種として、読んでおくのも悪くない

と結論づけています。

うつ休職中の育児休業

経営法曹会議から『経営法曹研究会報』65号をお送りいただきました。特集は「育児・介護休業法改正の職場対応」で、川端小織、杉原知佳、今津幸子、木下潮音という4人の女性経営法曹の方々がいろいろな観点から突っ込んでおられます。

特集からすると余り本筋ではないのですが、わたくしにとって一番興味深かったのは、最後のあたりで杉原さんが語られたこんな実例です。

>次に話は変わりまして、最近、ご相談のあったことですが、うつ病になった人が、私傷病休職として、3年間休職していました。3年経って、会社としては、ようやく「もう職場には戻れないだろう、やっと退職させられる」と考えたところで、本人から、「子どもが出来ましたので育児休業を取ります」といってきて、育児休業に入ってしまいました。となると、就業規則の規定の仕方にもよりますが、この場合、「私傷病休職のカウントをリセットして、一からカウントしなければならないか」という問題が生じます。ちなみに、この方は男性で、奥さんは専業主婦だったのですが、今後は、こういう問題も多くなってくるのではないかという気がしました

労働者のための法制を完備していくことが悪いわけではないのですが、一方に法律上にある権利を全然行使できないような状況がいっぱいある中で、法律上の権利をその本来の趣旨とは異なる目的のために悪用する人にはなかなか対処できにくいという、この現状はやはり考える必要がありましょう。

2010年11月26日 (金)

「冷たい心」と「のぼせ上がった頭」

野川忍先生の名言。本日はこれで決まり!

http://twitter.com/theophil21/status/7972956424638464

>A・マーシャルの言う通り、「熱い心と覚めた頭脳」こそが問題解決に最も有効であると思うが、今のマスコミと一部世論は、実際は冷たい心を持っているにも関わらず、それを「のぼせ上がった頭」で正当化して「われに正義あり!」と怒号しているように見える。

まったくその通りですね。言い尽くしています。

日本年金学会シンポジウム「非正規雇用と年金制度」

というわけで、本日日本年金学会の公開シンポジウム「非正規雇用と年金制度」に、パネリストのひとりとして参加してきました。

http://www.nensoken.or.jp/gakkai/2010sympo/

他のパネリストは、永瀬伸子、久保知行、駒村康平、小野正昭の諸氏と、いずれも年金の専門家ですが、私は年金の素人で、報告したのも「EUにおける非正規労働者の均等待遇について」でした。

始まる少し前にちらと見せていただいた参加者名簿を見ると、多くは企業年金の関係者の方のようですが、労働組合関係者も若干いたようです。ただ、会場で見つけられませんでした。

スウェーデンモデルの実相

JILPTにはむかしの労使関係の文書がいろいろあって、眺めているといろいろ発見があります。

たとえば、『造船産業労使会議第2回訪欧賃金調査団報告書』というのがいまから40年近く前の昭和47年8月に出ているのですが、これは造船業界の労使が前年に西ドイツとスウェーデンに行って、現地の賃金決定機構、賃金制度、賃金実態等を詳しく聞き取ってきたものです。全部で500頁を超える分厚い報告書で、西ドイツとスウェーデンがほぼ半分ずつです。

これがとりわけ面白いのは、中央集権的と簡単に言われてきた当時のスウェーデンモデルが、いやいやそんな単純なものではないということをきちんと明らかにしている点です。ナショナルセンター(SAF,LO)、産別(VF,Metall)に加え、3カ所の造船所に行って、実際にどういう仕方で賃金を決めているのかを、まさしく労使という実務者の目で丹念に抉り出しています。

そこで描かれているスウェーデンの賃金システムは、形式的には中央集権的ですが、実態としては企業レベルにおける協約外賃金引き上げ、いわゆるウェイジドリフトが大きく、しかも「いいにつけ悪いにつけ能率給はスウェーデンの賃金制度の要であるが、この制度がいわゆるウェイジドリフトをもたらす最大の原因でもある」と、それが能率給制度を活用する形で行われていることが指摘されています。報告書は「スウェーデンの所得平準化思想のあらわれとして賃金格差の縮小が積極的に進められているにも関わらず、賃金構造面では能率給と時間給の格差、ウェイジドリフトによる企業間格差など構造的格差が形成されつつある」と指摘しており、これは実は、最近になって同志社大学の西村純さんがいくつかの論文で指摘され始めた点なのですね。

私が残念なのは、こういう良質の報告書が作られながら、その後の知的ストックの中にその内容がきちんと組み込まれることなく、報告書が倉庫の奧に積み上げられたままで忘れ去られてきたのではないかという点です。

行って調べることももちろん重要ですが、その結果がきちんと蓄積されることなく、その時々の流行に追われて忘れ去られていくというのは、確かむかし丸山真男が批判してた話に似ていますが、心すべき事ではないかと改めて感じます。

2010年11月25日 (木)

『EU労働法形成過程の分析』(1)(2)

F205002 5年前に東京大学大学院法学政治学研究科附属比較法政国際センターから刊行した『EU労働法形成過程の分析』(1)(2)ですが、先日遂にわたくしの手元にあった余部がなくなったこともあり、その全文をホームページ上にアップしました。

やや細かいところにまでマニアックに記述したものですが、それだけにEU労働法に興味を持たれる方々にお役に立つのではないかと思います。

主な用語や概念に英語、仏語、独語をうるさいくらいに付けておりますので、イギリス労働法、フランス労働法、ドイツ労働法の専門家の皆様にも利用しやすくなっているかと思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/EUtodai.html

労使関係の味方です

『労働新聞』といっても、先日三代目襲名記念にいきなり暴力装置を発動したどこぞの国ではなく、日本の業界紙ですが、その「ぶれい考」に連載していた野川忍先生が、最終回にこういうことを述べています。とても大事で、『労働新聞』読者だけに独占させるのはもったいないので(失礼)、一部紹介しますね。

>労働法を専攻しています、などというと、労働組合の旗振り役か、あるいは逆に経営者に知恵を付ける家老役か、というように色眼鏡で見られることも少なくない。・・・

>それでは、労働法の研究者としてお前は・・・どちらの味方でもないか、と問われる折には、いつも「私は労使関係の味方です」と答えている。

>世の中には、憲法で保障されている労働組合を「我が社には必要ない」と公言してはばからない時代錯誤の経営者が後を絶たず、労働組合といえば政治運動の道具のように考えるイデオローグもまだ根強い勢力を保っている。

>しかし、労働組合の結成と、団体交渉を中心とした労使関係の構築とが憲法によって促されているのは、労使関係こそが経済社会の要だからである。・・・よき資本主義のお手本とされているフィンランドしかり、デンマークしかり。

>労働組合が労働者を代表して使用者と交渉し、両者の対等な交渉による合意の下で労働条件その他の労働者の処遇や労使関係のルールが確立されていく、というのは、健全な市場経済を展開する上ではごく自然で当たり前の姿である。

>・・・私としては、今後も労使どちらの側にでもなく、「労使関係」の側に立ち続けたいと願うものである。

付け加えることは何もありませんが、こういうまっとうな認識に立脚した議論ではなく、偏頗で歪曲された議論ばかりがマスコミで横行するのが現状なのですが(若い頃に労働運動を政治運動の道具と考えていたような手合いに限って、経営者になったり経済学者になってから労働組合を敵視するような気もしますが)。

日本生協連の社会保障コラムで引用されました

日本生協連の「社会保障de暮らしづくり」というサイトの「コラム ア・ラ・カルト」で、子育て環境研究所代表、大正大学客員教授の杉山千佳さんが、「政策としての「子ども・子育て支援」」というエッセイを書かれていて、その冒頭で、わたしの『世界』8月号の(宮本太郎先生、白波瀬佐和子先生との)鼎談での発言を引用していただいております。

http://nenkin.coop/column/index.html#101125_01

>先日、労働政策が専門の濱口桂一郎さんが、誕生したばかりの菅内閣の民主党政権に関してコメントを述べている記事を目にしました。

 そのなかで濱口さんは「子ども対策ではなく、労働政策の観点から、子ども手当を非常に高く評価した」とおっしゃっていました。

 つまり、「いままでの日本の雇用システムでは、成人男子の正社員が奥さんと子どもを養うだけの賃金を会社が払う。その対極にある非正規労働者は、家族を養うどころか、自分自身が養われているんだから、生活保護以下の水準でも構わないという形で労働市場が二極化してきた。これを改善するには、正規・非正規に関わらず、社会全体で子どもの成長を保障する子ども手当を手厚くして、二極化している労働市場の構造を変える方法が考えられる」というのです。

 そして、発足当初の管政権に関しては、「菅新首相は、経済政策と社会政策、かつその相関関係についてそれなりの認識を持っているようです。しかも、福祉や介護が産業としての成長分野だという話に加えて、需要側、つまり増税をしてでも社会保障を手厚くすることによって、国民が安心し、消費にお金が回っていく。それが実は経済全体を活性化し、成長していく上で非常に役に立つんだという認識をかなり明確に示されている」と評価しています。

 こうした発言は、「子どもを食いものにするのか!?」と、子育てや子どもの問題を聖域化して語る方たちからは叱られてしまうかもしれませんが、わたしは「こういう考え方もあるのか」と、新しい発見をした思いでした。

 「子ども」は単独でそこにあるものではなく、全体の中の一部として、全体につながってあることを再認識したと同時に、子育て支援の分野は今後、成長が期待される産業であり、子育て環境の質をあげるには、スキルの高い、優秀な人材に来てもらわなければなりませんから、そうしなければならないと思いました。

 そして、社会保障制度だけでなく、雇用を含めた国全体の政策の中の子ども・子育て関連の制度の位置づけの議論も必要なのだ、ということを実感しました。

私の発言の趣旨を十全に受け取っていただき、ありがたいと思います。

記事中にリンクが張られているのは、私のホームページにアップした私の発言部分ですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sekai1008.html

改めてざっとお読みいただければ幸いです。

ついった上の拙著短評

ふみたけ氏の拙著短評+@ついった

http://twitter.com/Fumitake_A/status/7424982153961472

>近年の労働情勢とこれからについては、池田某や城某みたいな劣悪なミスリードに翻弄されるぐらいなら、濱口 桂一郎著「新しい労働社会―雇用システムの再構築へ 」(岩波新書) 読むと勉強出来る。もちろん、それで満足できるかは読み手次第だけど。

いやもちろん、満足していただけるようなものにはほど遠いことは自覚しています。矛盾したことも言ってるし。ただ、ほかがあまりにひどいから・・・。

2010年11月24日 (水)

就活で「盛った」中身のレリバンス

ダイヤモンドオンラインで連載している石渡嶺司さんの「みんなの就活悲惨日記」で、「いまや自己PRで「盛る」のは当たり前!?就活学生に横行する“ウソ”と彼らの顛末」という記事がなかなか面白いのですが、

http://diamond.jp/articles/-/10170

>「ESや面接で盛っておいて、あとでバレたらどうなりますか?」

 バレたら?そこまで聞いてきたのはこの学生が初めてです。バレたらって、具体的にはどういう話にしようとしているの?

「パークゴルフ大会で日本一になったというネタで行きたいと思っています。パークゴルフはほとんどやりませんが」

>いやいやいや、それはちょっといくら何でもまずいでしょう。第一、大会に出たというなら、ちょっと調べれば分かることだし。

「でも、先輩はモンブラン登頂に成功した、と言って×社に内定が決まりました。この先輩は登頂してもいません。今でも、この会社で働いています」

 ええええ?登ってもいないのに?

と、こういうのが「盛る」って奴らしいのですが、

>後輩学生「企業に出す書類にウソを書いていいんですか。」
先輩社員「0を100に言ってはいけないが3は100に言ってもいい、これも基本だ。」
先輩「たとえばこの学生、ちょっとES見せてごらん」

>自己PR「私は大学生活の4年間一貫してボランティア活動に従事し~」
先輩「キミこの地域ボランティア活動って本当は何やってたの?」
就活生「1年の夏休みと4年の夏休みそれぞれ1日ほど逗子の海岸でゴミ拾い。」
先輩「セーフ!」
後輩「これはアリかあ。」

をいをい、という感じなのですが、話はそのあと、

>法的にはどうなの?解雇される?

とか、

>経歴詐称をした場合はどうなる?

という話になっていくのですが、ちょっと待ってよ、と。それってどういう経歴詐称?

何?会社はパークゴルフで採用決めてるの?モンブランで採用決めてるの?ボランティアで採用決めてるの?

いや、まさに、こういう仕事の中身とは少なくとも直接的には何の関係もないことを「盛る」ことに血道を上げなければならないというところに、「メンバーシップ型」採用における「官能性」への狂奔の一断面が見えていると評すべきなのかも知れませんが。

2010年11月23日 (火)

明治大学労働講座企画委員会寄附講座

今年度後期、明治大学の労働講座企画委員会寄附講座「未来の自分をつかめ〜先輩たちの働き方から学ぶ」において、12月7日に講義を担当します。

この講座については、次の説明サイトを見ていただければと思いますが、

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~labored/kifukoza/rodokoza2010.html

>日本の雇用不安が止まらない。2009年の完全失業率は5.7%に達し、過去最高を記録した。就職難が続くなか、学生のみなさんに10年後の自分たちの働く姿がみえるだろうか。今 はまだ、就活だけで精一杯に違いない。しかし、社会人になる一歩手前で、ぜひこれだけは知ってほしい。先輩たちが雇用の現場で体験した光と影を、不安な時代を生きるための知恵を。「知る」ことで人は強くなれるはずである。

講座の前半では、正規労働者(正社員)と非正規労働者(パートや派遣、契約労働者など)の実態について学ぶ。講座の後半では、その原因とどのような雇用や労働のあり方をめざすのか、働く者としての権利と働き方について考え、議論する。

各講義の担当者は次の通りです。

9月21日ガイダンス、ドキュメンタリー映画『遭難フリーター』の上映 経営学部 教授 遠藤 公嗣
9月28日『遭難フリーター』の監督からのメッセージ〜働くことの意味を考える
10月5日正規労働者の世界(1)〜OB・OGの働き方 経営学部兼任講師 石川 公彦
10月12日 正規労働者の世界(2)〜ホワイトカラーの働き方 弁護士・過労死弁護団 川人 博
10月19日 正規労働者の世界(3)〜女と男が共に働き続けるために 産業別労働組合JAM中央執行委員/ミツミ電機勤務 冨樫 洋子
10月26日 非正規労働者の世界(1)〜アルバイト経験を出発点に考える
11月9日 非正規労働者の世界(2)〜様々な雇用形態で働く人々とユニオン運動 首都圏青年ユニオン 書記長 河添 誠 首都圏青年ユニオン 松元 千枝
11月16日 貧困と格差社会の現状と問題点 毎日新聞記者/新聞労連執行委員長 東海林 智
11月30日 グローバリゼーションと雇用労働の変化 東京大学名誉教授 田端 博邦

12月7日 どのような社会をめざすのか(1)〜ヨーロッパと日本 独立行政法人労働政策・研修機構 労使関係・労使コミュニケーション部門統括研究員 濱口 桂一郎
正規・非正規労働者に過酷な働き方をもたらした日本の労働社会を、今後どのように変えていくべきなのか——。ヨーロッパの実態や経験にもふれながら、規制緩和と規制強化の対立図式ではない、合意形成と産業民主主義の観点から、日本の雇用システムをどのように再構築するのかについて考える。
濱口 桂一郎『新しい労働社会:雇用システムの再構築へ』岩波新書(2009年)、濱口 桂一郎『労働法政策』ミネルバ書房(2004年)

12月14日 どのような社会をめざすのか(2)〜もう一つの働き方と労働・社会運動 労働者福祉中央協議会 事務局長 高橋 均
12月21日 働く者の権利〜これだけは知っておこう 弁護士 菅 俊治
1月11日 まとめ(1)明治大学労働教育メディア研究センター 客員研究員 高須 裕彦
1月18日 まとめ(2)経営学部 教授 遠藤 公嗣

「履修上の注意」として、こう書かれています。

>一般の就活セミナーでは聞けない労働現場の光と影について知り、就職や進路、将来の働き方、自分たちの権利について考える機会にしてほしい。普段聞けない外部講師の話なので、授業に出席し、積極的に質問や議論に参加してほしい。

この講義の受講者を対象に高須さんが行った「アルバイト実態アンケート」の結果をちょっと見せていただきましたが、先日法政の上西先生の講義の受講者のアルバイト調査結果と大変よく似ていました。。

ベーシックインカム論の落とし穴@『日本の論点2010』

Nihonronten2011 『日本の論点2011』が刊行されたようなので、過年度版になった『日本の論点2010』に掲載した「ベーシックインカム論の落とし穴」をホームページにアップしました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/basicincome.html

もっとも、内容は最新の『情報労連REPORT』をはじめとしてあちこちで書いていますので、目新しいところは何一つありませんけど。

この際なので、本ブログでベーシックインカムを取り上げたエントリを総ざらえします。読者の皆様にとって何らかのご参考になれば幸いです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_a922.html(ベーシックインカムについて)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_cda3.html(冷たい福祉国家)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_ad7c.html(ベーシックインカムと失業)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_48ae.html(労働中心ではない連帯?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_0a8b.html(ナショナリティにも労働にも立脚しない普遍的な福祉なんてあるのか)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/oecd-dd50.html(OECDアクティベーション政策レビュー)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-93bb.html(希望の社会保障改革)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-0cc5.html(『週刊金曜日』のベーシックインカム礼賛)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-2dc2.html(昔の社会主義者と今の新自由主義的な人たち)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-46db.html(ホリエモン氏によれば最低賃金を上げれば働く意欲がなくなるんだそうな)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-a50c.html(趣旨は正しいが表現が政治的に正しくない舛添発言)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-4601.html(全政治家必読!宮本太郎『生活保障』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-cf6c.html(宮本太郎先生の時論2点)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/1-4dc9.html(『生活経済政策』1月号の座談会)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f282.html(働くことは大事である。だからこそ働くことを報酬にしてはならない)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-997d.html(働くことそのものを報酬にしてはならない論の政策論的文脈)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-d643.html(働くことが得になる社会へ)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/posse-4609.html(『POSSE』第6号がベーシックインカムを完全論破)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-049a.html(高木郁郎先生の「仕事と家庭の両立へ」)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-8229.html(連合團野氏&労務屋荻野氏@雇用政策研究会)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-0c63.html(アクティベーションか、ベーシックインカムか)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-68f8.html(ホリエモン氏が自分でそのように行動することを労働法は何ら規制していません。ただし・・・)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-e8d7.html(立岩真也・齊藤拓『ベーシックインカム』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-ba71.html(ソーシャルなベーシックインカム論)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-4c07.html(本日の朝日にベーシックインカム論の紹介)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-41d5.html(『現代思想』6月号「特集ベーシックインカム」)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-69e6.html(『生活経済政策』6月号)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-a1fa.html(「冷たい福祉国家」の幻想)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/posse-128d.html(『POSSE』次号は面白そう)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/possebi-07f5.html(『POSSE』第8号のBI反対・慎重派)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/posse-71b4.html(『POSSE』第8号のベーカム特集)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-8245.html(もう一歩のところまで分かっている藤沢数希氏)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-5921.html(欧州議会のミニマムインカム決議)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-01f6.html(「怠ける権利」より「ふつうに働く権利」を)

個人請負と役務提供契約

『労基旬報』11月25日号に「個人請負と役務提供契約」を載せました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo101125.html

2010年11月22日 (月)

『POSSE』第9号表紙

196762215

『POSSE』第9号の表紙だそうです。

http://twitter.com/magazine_posse/status/6690892891037696

来週の発売になったようです。

雇用政策の目玉も事業仕分け ジョブ・カード廃止判定の波紋

Dw_m 『週刊ダイヤモンド』11月27日号は、仕事と資格の大図鑑が特集ですが、ここではダイヤモンドオンラインに載っている「雇用政策の目玉も事業仕分け ジョブ・カード廃止判定の波紋」という編集部の浅島亮子さんの記事を紹介します。

http://diamond.jp/articles/-/10150

>2020年までにジョブ・カード取得者を300万人にする──。昨年12月に閣議決定された「新成長戦略」の重要政策として、ジョブ・カード制度の導入が明記された。だが一転、10月末に行われた事業仕分けによって、その関連事業に「廃止」判定が下された。政府の雇用政策にブレが生じている。

実際にジョブカード制度を活用している中小企業の実例が示された上で、

>古川管理部部長は、「中小企業にとって、有能な正社員獲得につながるジョブ・カード制度は本当にありがたい。政府は雇用創出が大事と明言しながらも、もともと厳しい財政事情を理由に事業を廃止するとは本末転倒だ」と憤る。

全国に散らばる商工会議所には、「職業訓練プログラムを策定していた企業、導入を検討していた企業から、ジョブ・カード制度が継続されるか否かについての問い合わせが殺到している」(菊地敏義・中央ジョブ・カードセンター担当部長)。企業はジョブ・カード制度廃止の可能性をうかがっており、現場は混乱している。

という当事者たちの声が提示されています。

>ジョブ・カード制度とは、昨年12月に政府が閣議決定した「新成長戦略」の重要政策として盛り込まれた。2020年までにジョブ・カード取得者を300万人とする定量目標まで設けられ、将来的には、職業能力評価制度(日本版NVQ。英国をモデルとした、訓練や職務を国全体で客観的に評価する制度)へと発展させるという壮大な構想までぶち上げた。

にもかかわらず、なぜ廃止判定が下されたのか。政府が掲げた新成長戦略と、仕分け人による判定結果に齟齬はないのか。

このあとに小林正夫厚生労働大臣政務官の苦渋に満ちた言葉が続きますが、肝心の仕分けた人々の声は全然出てきません。仕分けたご本人たちは、自分のしたことの影響には余り関心はないようです。

>今回の廃止決定に関して、民主党の支持団体である連合、雇用政策で徒党を組まねばならない公明党が猛反発している。彼らの同意なくして国会運営はできないのだから、制度廃止という抜本的な政策転換にも高い壁が待ち構える。

 若年層の未就職問題の深刻さは増すばかりだ。11月16日に発表された来春卒業予定の大学生の就職内定率は57.6%と、調査を開始した1996年度以来、最悪となった。超氷河期が到来した今、ジョブ・カード制度をめぐる混乱はさらなる雇用情勢の悪化につながりかねない。

いうまでもなく、3年間新卒扱いといった対症療法にも意味はありますが、本質的な対策は仕事に基づく労働市場を少しずつでも構築していくことにしかあり得ません。

その労働市場を少しずつでも構築していくための第一歩があっさり仕分けされてしまえば、これからの労働市場は仕事に基づくものに近づくどころか、ますます数少ないメンバーシップをみんなが盲目的に奪い合うという状況が深化するだけでしょう。

まあ、それがこれからの日本の目指すべき方向性であるというのが国民の意思であれば、受け入れざるを得ないのでしょうが。

浅島さんGJでした。

読売新聞の記事について

昨日の読売新聞3面の「就活 最も「狭き門」」という大きな記事の最後に、わたくしのコメントが載っております。

http://job.yomiuri.co.jp/hunt/saizensen/sa_10112205.htm

ただ、夕方の電話取材でのやりとりだったこともあり、必ずしもわたくしの趣旨が伝わりにくかったように思われますので、どういうことを申し上げた(つもりだった)かを改めて説明しておきたいと思います。

>独立行政法人「労働政策研究・研修機構」の濱口桂一郎統括研究員は「企業規模や学歴で人を評価する風潮が労働市場の流動性を阻害している。個人の能力を見る仕組みが根付けば、転職も容易になり、大企業に殺到する雇用のミスマッチも起きにくくなる」と語る。 

記者の方が、「求人はあるのに、雇用のミスマッチで就職できないのでは?」といわれたので、単純に求人数、求職数といった量だけで見ればミスマッチということになるが、雇用は質が重要で、しかも日本の雇用システムでは学卒時に入社した会社が大企業か中小企業かがその後の職業人生に大きな影響を与えるのだから、学生が稀少な良好雇用機会に集中しようとすることはミクロ的には合理的な行動様式であり、それをただミスマッチと言って中小企業に行けと言えばすべて解決するわけではない。会社への所属よりも仕事自体を重視するような社会になれば、ミスマッチが必ずしもミクロ的に合理的ではなくなり、マクロ的に合理的な労働力の最適配分がやりやすくなるだろう、というような趣旨を申し上げたつもりです。

その直前に、「ハローワークは失業対策の印象が強く、学生への支援策が知られていない」というジョブサポーターの発言も出てきますが、そもそもハローワークのようなジョブに基づいた労働市場マッチングメカニズムと、日本的正社員の新卒採用におけるメンバーシップ型「入社」メカニズムのシステム的な違いが根本にあるということなので、精神論をぶったつもりはかけらもないのですが、なんだか記事になったのを見ると、精神論みたいにも読めて、ちょっとなあ、という感じもしています。まあ、このあたり、ニュアンスのむずかしんところではあるんですけど。

池田信夫氏がスウェーデンの強みが労働組合だと分かった!・・・にもかかわらず

労働組合がギルドだからけしからん!と喚き散らしていた池田信夫氏が、そのギルド的性格を最も強く有している北欧スウェーデンの労働組合の存在こそが「北欧モデル」の強みの源泉であることを、ようやく理解したようです。

http://agora-web.jp/archives/1131534.html(「北欧モデル」は日本に応用できるか - 『スウェーデン・パラドックス』)

>そして組織率77%の産業別労組が労働者をサポートしているので、失業を恐れる必要がない。90年代の金融危機で失業率が10%を超えたときも、自殺率は下がった。労使交渉で同一労働・同一賃金が決まるので、効率の悪い企業は賃金を払えなくて淘汰されることが競争的な圧力になっている。

スウェーデンにせよ、デンマークにせよ、フィンランドにせよ、北欧諸国を特徴づける最大の社会的特徴は、ギルド的性格を強く有したその労働組合にあることはわたくしが繰り返し述べてきたことですが、「労働組合=ギルド=悪」の脊髄反射状態から脱却したことは、なにはともあれ慶賀すべき事と申せましょう。

もっとも、池田氏はそのすぐ後で

>日本で18%に低下した労組の組織率を高めることは不可能であり、同一労働・同一賃金を法的に規制することも望ましくない。

と、説明もなしにその道を捨て去るのですが、それは現実可能性の判断の次元であって、もし現実に可能ならばスウェーデン式のギルド的労働組合が企業を超えて労働者を守る仕組みの方が望ましいということは理解しているようなので、それ以上とやかく言う必要もないでしょう。

なお依然として、

>解雇が容易である代わりに産業別労組を通じて転職が容易で、それを政府が職業訓練などで支援する積極的労働市場政策をとったためだ。

などと、(後半5分の4は正しいが)スウェーデン労働法を読めばすぐに嘘と分かるデマを垂れ流し続けていますが、まあ、飯田泰之氏のような素直さというか、知的廉直さを欠いた人格の現れということで、大目に見て上げてもいいでしょう。

とにかく、「組織率77%の産業別労組が労働者をサポートしている」ことが極悪非道の事態ではなく、労働者にとって、さらに国民経済にとって望ましいことであるというまっとうな認識に到達したことを、池田信夫氏のために心より祝福したいと思います。

ベーシックインカムで社会問題は解決?

1011report 『情報労連REPORT』の11月号の「hamachanの労働メディア一刀両断」に、「ベーシックインカムで社会問題は解決?」を書きました。

http://www.joho.or.jp/report/report/2010/1011report/p30.pdf

中身は、すでに本ブログその他で書いてきていることですが。

2010年11月21日 (日)

企業の一番の社会貢献は労働法を守ること

労働問題については妙に知ったかぶったインチキな台詞を吐いてかっこつけてるブログが多い中で、こういうまともなことをまともに語るブログを見るとほっとします。「テラの多事寸評」から。

http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/(企業の一番の社会貢献は労働法を守ること)

>けどね。企業が果たすべき最大の社会貢献・社会的責任は、労働法を遵守することなんだよ。

社会にとって、どれほどよいサービスや製品を提供している企業だとしても、労働法を守らないで従業員を過労死や過労自殺に追い込む会社は、社会に貢献しているとはいえない。企業の従業員である以前に人間だ。人間の健全な社会生活を維持するための法律を犯すような企業は、社会貢献はしていないし、社会的責任を果たしていない。

>労働法を守る。法という国会・社会の秩序と規範を維持する。社会の成員の健全な社会生活を支える。人々の暮らしや社会をより良くするのが企業の社会貢献・社会的責任なら、労働法を守る以上のことがあるのか?

付け加えるべきことはありません。

ところが、テラさんがいうように、

>こんなこと書くと「労働法を守ることのどこが社会貢献なんだ」とかいって来るヤツが必ず現れる。

のが世の習いなんですね。

石田光男先生のメッセージ

Phcinginjijoul 労働経済調査官の石水喜夫さんから『賃金事情』11月20日号をお送りいただきました。石水さんと同志社大学の石田光男先生の対談「平成22年版労働経済白書をめぐって 日本型雇用システムの展望と産業民主主義の可能性」が掲載されています。10頁から23頁までのかなり長い対談です。

実にさまざまな論点に渉って突っ込んだ議論が繰り広げられていますが、わたくしはやはりなんといっても、最後近くの「産業民主主義の可能性」のところで石田先生が語っておられる次の部分が心に残りました、いや、むしろ、心に突き刺さりました。

とりわけ労働組合関係者の皆さんは、是非、じっくりと読んでください。

>石田 ・・・まず思潮の変化、イデオロギーの変化が、この間大きかった。労働組合の幹部までもが個性の重視とか、選択の自由とか、マーケット重視みたいなことを言ったのですから。使用者だけではなくて、労働組合も含めてそうなのです。1990年代以来、当時の労働組合の議案書を見ても、個性の時代だとか、選択の自由、多様性、働きがいと、誰も反論できないような議論で、一方的な思潮の変化が生み出されました。本当は、ここで大事だったことは産業民主主義。納得してそうするのだということ。やりたくないことはやりません。やりたいことをやりますという会話というか、あるいは同意するといったらいいでしょうか。その契機のない多様性なり選択ということを、労働組合すら言ってきたというのが私の観察です。

>それは1980年代までの日本をどう理解するかということと深く関係しています。1950年代、60年代初期まであった、ある種の産業民主主義の日本なりの伝統みたいなもの。労働組合も職場で一応プレゼンスがありました。しかし、そういうものが次第に削り取られていく中での日本の経済的繁栄というのが、2つのオイルショックを経る中でますます進んで、プラザ合意に到るまでの経過というのは、産業民主主義がなくなっていく中での、ある種の習俗としての平等主義とか集団主義みたいなものになってしまったのです。

>産業民主主義の基盤を持たない平等主義、集団主義です。そして産業民主主義が削り取られる中で成立した、ある種の秩序が、バブル崩壊によって経済環境から許されなくなったときに、平等主義や集団主義はあっけなく崩れ去って、産業民主主義の基盤を持たない選択とか個性とかいう議論に一方的に押し切られたのではないか。・・・

>石水 先生のお考えは、1980年代にジャパン・アズ・ナンバーワンと言われましたが、その平等主義や集団主義は産業民主主義の基盤を持っていなかった、非常に不名誉なものだということですね。

>石水 ・・・そうすると、日本こそ産業民主主義というものにこだわる意味があるのですね。

>石田 こだわる必要があります。その目つき、そういう政策視点を持った組合役員が非常に手薄になりました。個別化の極地まで来てしまったという認識がとても大切です。僕は「極北の地」と言っているんですだからこそ産業民主主義が必要だ。そうでなかったら、団体交渉というわかりやすい言葉でいいんです。

>石水 しかし、先生、産業民主主義を担う人を育てるというのは大変なことですよ。

>石田 そうそう(笑)

>石水 ・・・民主主義というのは難しいですよ。職場の現実の中で、もし自由な発言をさせたら、わがままですよ。それが出てきます。

>石田 出ますね。

>石水 出ます。出ます。だから、その時に自分の幸せをしっかりとつかむ。日本社会の中で。日本の社会はどういう社会であるか。日本の社会は歴史的にどのように展開していくか。その中に自分を位置づけて、今の私はどのように働くのか。そのことを十分踏まえた上で、職場で話し合う。こういうものでなければ、産業民主主義を担う資格なんてないんです。

>石田 そうです。そうです。

>石水 そういう意味で私たちは人を育てることができるのか。多くの人が大学に通う時代となりましたが、そういう問題意識を持ち行動することができる人を育てる学問を創り上げることができるのか。先生が産業民主主義というものに非常なる意味を込められていることがよく分かりました。

>石田 よくご理解いただいたと思います(笑)。教育は大学だけではなく、労働組合も組合員に対する教育が大切ですね。

・・・・・・・

産業民主主義の再構築というのは、拙著でも重要な論点の一つでした。

『格闘する思想』

85_554 先日POSSEシンポで対談した萱野稔人さんやおなじみの本田由紀さんも登場する『格闘する思想』(平凡社新書)は、正直それ以外の人々はいささか典型的な「ヘタレ人文系」で、何だかなあ、という感想です。

それにしても、本田さんの「エンパワーのための教育」のすぐ次に、白石嘉治氏の「不穏なる教養」が並んで、その矛盾に気がついて居なさそうな編者の感覚もいささか不思議なものを感じますが、たぶんそういう観点から見ていないんでしょうね。

2010年11月20日 (土)

本田由紀編『労働再審1 転換期の労働と能力』

73913 拙論文が収録された五十嵐泰正編の『労働再審2 越境する労働と移民』と一緒に刊行されたのが、本田由紀編のこちらです。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b73913.html

>メリトクラシーの原理が揺らぐ現在、いかなる「能力」を身に付ければ「まともな」処遇が約束されるのか。10の論考を通じ、現代人を不安に駆り立てる「能力」概念を検証する。現代社会の労働を多角的に描く新シリーズの第一巻。

ということで、目次は次の通りです。

序章 ポスト近代社会化のなかの「能力」(本田由紀)
第1章 企業内で「能力」はいかに語られてきたのか――評価・賃金制度をめぐる言説の分析(梅崎修)
第2章 公務職場における「ポスト近代型能力」の要請(櫻井純理)
【Note01】 ジェンダー化された「能力」の揺らぎと「男性問題」(多賀太)
第3章 高卒フリーターにとっての「職業的能力」とライフコースの構築(古賀正義)
【Note02】 「キャリア教育」で充分か?――「希望ある労働者」の力量を養うために(筒井美紀)
【Note03】 「無能」な市民という可能性(小玉重夫)
第4章 若者移行期の変容とコンピテンシー・教育・社会関係資本(平塚眞樹)
【Note04】「能力観」の区別から普遍性を問い直す――教師の「学力観」を参照点として(堤孝晃)
第5章 ポスト・フォーディズムの問題圏――対抗的創造性の理念(橋本努)

この中で、狭義の労働研究者としてはまず何よりも梅崎さんの書かれた第1章が面白いと思われます。仁田・久本編『日本的雇用システム』所収の「賃金制度」で書かれた戦後賃金制度史を、社会構築主義の立場からの「能力」の言説分析として検討し直すというなかなかスリリングな試みです。

フリーター輩出率の高い低ランク公立普通科校の卒業生を高校3年生から5年間追い続けたエスノグラフィーによって、彼らによって生きられたライフコースを描き出している古賀さんの第3章も必読です。

個人的には筒井美紀さんの「Note02」は大いに賛同できる小文ですが、内容的にはかつて本ブログで取り上げた

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-1409.html(「事実漬け」に勝るものなし)

>ここで是非紹介したいのは、筒井美紀氏の「大学の<キャリア教育>は社会的連帯に資するのか?」という論文です。

をさらに展開させたものになっています。

個体還元主義的能力観に満ちた「文部科学省的キャリア教育」を拒否するとともに、労働者の権利の基礎知識をもって個別紛争解決に対処できる「厚生労働省的労働教育」にも疑義を呈し、連帯を志向する「社会(科)学的労働教育」を進めるために、「事実漬け」を!というのが筒井美紀さんの主張なのです。

そのすぐあとに小玉重夫氏の「無能な市民という可能性」が置かれているのは、編者の本田由紀さんの意図が透けて見えるような気がしますが、さて。

最後の橋元努さんのは、正直いってこれだけやや浮いている感じ。

2010年11月19日 (金)

3つの労働関係

先日、台湾で開かれたソーシャル・アジア・フォーラムで、台湾労働法学界の重鎮である陳継盛先生より、近著『労働学導論』(台湾労働学会出版)をいただきました。

いうまでもなく(繁字体の)中国語で書かれておりますが、こういう分野は専門用語になればなるほど共通性が高まりますので、多くの日本の労働研究者にとってもかなり読めるはずです。

さて、その中で、わたくしがなるほどと思ったのは、「第3部 労働関係」において、労働関係を大きく3つに分けておられる点です。

すなわち、「個別的労雇関係」、「企業的員工関係」、「集体的労資関係」の3つです。最初のは労雇契約(=労働契約)の当事者同士としての労務提供者と労務受領者の関係、次は企業という組織体における組織体とその一員との関係、最後は労働者の権益(=権利)を保護するために集団的に協商(=交渉)する関係。

これが認識枠組みとして大変いいのは、本来的意味の就業規則論のあるべき場所が企業的員工関係として明確になる点です。これがないために、就業規則論が本来一対一の契約関係である個別的労雇関係とごっちゃになってしまうのではないでしょうか。

その他にも、有意義な記述がたくさんあります。目次は次の通り(漢字は日本の常用漢字に直してあります)。こういう総合的な労働学の本って、学問が細分化した日本では逆になくなったように思います。

総論 労働学之基礎理論

第1章 労働学之基礎理論

第2章 労働之基本認識

第3章 労働与人生

第4章 労働与価値

第5章 労働与倫理

第6章 労働与政策

第7章 労働与歴史

各論 労働学之実用理論

第1部 労働力

第1章 労働力之一般概念

第2章 労働力之構成

第3章 労働力之運用

第4章 労働力之報酬

第2部 労働者

第5章 労働者之一般概念

第6章 労働者之人格維護

第7章 労働者之工作保護

第8章 労働者之生活保障

第3部 労働関係

第9章 労働関係之一般概念

第10章 個別的労雇関係

第11章 企業的員工関係

第12章 集体的労資関係

高校・大学における未就職卒業者支援に関する調査

同じくJILPTの調査シリーズ『高校・大学における未就職卒業者支援に関する調査』です。

http://www.jil.go.jp/institute/research/2010/081.htm

>今春の未就職卒業者の増加をうけ、緊急に以下の2つの調査(郵送調査)を実施した。

高卒就職者に関する調査:全国の高校2,000校(20年度就職者が5名以上いる高校のうち定時制は全数、全日制は半数を抽出)を対象として、22年3月卒業者について調査。有効回収率63.6%。

大卒就職者に関する調査:全国の4年制大学のうち614校を対象として調査。有効回収率80.1%。

データ的なものは見ていただければいいとして、興味深いのは自由記入されたさまざまなコメントやインタビュー記録です。

たとえば、未就職卒業者比率30%以上の大学の意見として、

>現状の狭い世界に満足し、将来のことを考えたり、そのために行動する必要性を感じていない学生への動機付けが課題である。現在以上に、様々な支援対策を講じていかなければならないと考えている。

>学生の二極化が進み、従来のキャリア教育・キャリア形成支援では足りない(キャリア教育以前の基礎的学力・社会適応力などが不足した)学生が増えているので、従来のキャリア教育の見直し・修正が必要となっていると思われる。

>「深海魚」に象徴されるような、深く自分の海へ潜りこみ外に向けて反応しない学生、依存する学生、待ちの学生が増加。さらに、心的要因をかかえた学生が増加している。
新入生時から、大学生活4年間とその先の人生すべてを見据えた「キャリア教育」が重要だと考えます。現在、就職内定をゴールにしがちな「キャリア教育」に偏っているように思えます。大学生活4年間とその先のための「社会人基礎力」を、学生自身が主体的に取り組むようなしかけを持ったプログラムが必要。マンツーマンの対応が求められていると思います。

>企業が新卒大学生に求める「社会人即戦力」を限られた大学生活期間の中で「大学教育」として、教育指導する限界を痛感しています。大学で行っている就職支援、キャリア形成支援の中身は、義務教育における「基礎学力」、家庭や地域社会における道徳、マナーに関する指導など本来の大学教育以前の問題なのではないかと疑問を感じながら指導をしています。社会の物質的成熟度が高まり、精神的成熟度が低下している中での「教育」を見直す時期なのかも知れません。

都立E 工業高等学校 定時制の進路指導担当の先生のインタビュー:

>着任当初に比べると、入学する生徒の質が変わっており、元気がない生徒が増えてきた。工業高校には車やバイクが好きな生徒が多かったのに、最近は少なくなった。7-8年前は正社員として就職しながら勉強している生徒もいたが、現在はアルバイトか働いていない状態が多い。

かつては世の中で生きていけるだけの力を持っている生徒が多かったが、一般的なコミュニケーションを取るのが難しい生徒が多くなったと思う。発達障害が疑われる生徒も多い(ADHD・アスペルガー・LD・自閉症・統合失調症・対人恐怖症など)。通院していて手帳を持っている生徒もいるし、境界例もいる。30 人のうち5-6 人は発達障害などが疑われるようなタイプである。定員に満たない場合には全員合格にするという都教委の指導により受け入れざるを得ない。保護者は、工業高校で技術を身につけて行って自立してもらいたいと考えているが、ほとんど就職は決まらない。

>経済面では貧困であることが多く、6 割はシングルペアレントである。授業料減免や生活保護がほとんどである。また、中国・ネパール・ブラジル・フィリピンなどの外国籍の生徒も増えているが、日本語能力が低いので、仕事をするのにもさしつかえる状況である。国語の時間に個別指導をしても、やる気がないので身に付かない。

欧米における非正規雇用の現状と課題―独仏英米をとりあげて―

JILPTの資料シリーズとして、『欧米における非正規雇用の現状と課題―独仏英米をとりあげて―』が刊行されました。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2010/10-079.htm

>EUの均等待遇原則は、フルタイムであれパートタイムであれ、常用雇用であれ有期雇用であれ、派遣先企業の労働者であれ派遣労働者であれ、同一の職場で同一の仕事をする労働者は基本的労働条件について差別されてはならないというものである。日本にはまだこの「同一労働同一賃金原則」が確立されていないために、正規、非正規間における労働条件の格差が基本的問題としてしばしば議論される。その場合比較されるのが欧州の非正規雇用であるわけだが、前提となる欧州の均等待遇の実態を検証しておく必要がある。

そこで、ドイツ、イギリス、フランス、アメリカの欧米主要4カ国を対象に、非正規雇用をめぐる全体的な状況と、これを背景として、企業がどのように非正規雇用を活用しているか、そこには処遇や雇用の安定などの側面でどのような問題が生じているか、といった状況を把握することを目的として実態調査を行った。調査は、各国の労働研究者に調査研究の実施と報告論文の執筆を依頼し、各国から提出された報告論文をとりまとめるという手法を用いた。

というわけで、日本の問題意識を踏まえた現地の研究者自身による各国の状況報告という点で、この問題に関心を持つ方々にとって役に立つ面が多いのではないかと思います。

>・非正規雇用増加の理由

非正規労働者の増加について、各国で共通する理由を拾ってみるといくつかの傾向が浮かび上がる。まず第一に、労働市場の変化。グローバリゼーションによる市場競争の激化が労働市場の構造変化を促したという理由である。厳しい解雇規制や規範の拘束力の回避、技術革新・市場競争の激化や価格競争、経済成長の不振などが主な原因として挙げられている。第二に、女性の就業参加。ほとんどの国で、女性の就業率の上昇は非正規雇用が拡大することを意味する。第三に、規制緩和の推進が挙げられる。柔軟化路線は1980年代末以降欧州の各国政府によって推進され、結果非正規雇用の拡大を生んだ。

四に、政府による最低生活保障的な色彩の強い雇用政策が非正規雇用を拡大させた。ドイツにおいてはハルツ改革によって導入された僅少雇用がこれに当たる。またフランスも、失業対策の一環として生み出された「支援付き雇用」(若年の労働市場参入を支援)が、助成を受けたい企業が多く利用し非正規雇用の増加につながったと指摘している。

第五が移民の増加。移民として受け入れられた労働者は非正規雇用に就く率が高いことは欧米諸国に共通して見られる現象である。アメリカは、非正規雇用者の多くが移民、マイノリティー、女性であり、その多くがコンティンジェント雇用の一形態である日雇い雇用もしくはインフォーマル雇用として働いていると報告している。

・均等処遇の実態

法律上の均等待遇原則にもかかわらず、ドイツ、イギリスは正規・非正規間の賃金や訓練機会における格差をデータ分析により確認している。ドイツでは、派遣労働者に関して法律上の均等待遇原則とは別に労働協約で規定された労働条件があり、これが企業を均等待遇原則の遵守義務から解放しているという。またフランスは、むしろ雇用形態による職務の差が賃金水準の格差に大きく影響していると指摘している。一方、アメリカはヒアリング調査の結果から、「同等の資格を持つ労働者であっても、派遣社員の場合、管理者がいうところの『家族』とはみなされない」ことを、処遇における格差を正当化する理由に挙げていたと報告している。

・雇用の安定、経済危機下の非正規雇用

各国とも、非正規労働者の不安定さを報告している。ドイツは、「景気の影響を受けやすい形態は派遣労働と有期雇用」で、「解雇コストが小さいため調整弁として使われやすいと考えられる」としている。フランスは、有期雇用に関する雇用保護の弱さを強調、今般の不況でも甚大な影響を受けたと述べた上で、さらに常用雇用にも雇用不安が拡がっているとしている。アメリカでも、ほとんどの業種が不況の影響に見舞われた結果、非正規雇用で人員の調整・削減が行われた。一方、イギリスでは、テンポラリー雇用者数は2007年半ばから2008年末まで減少したものの、2009年には絶対数、雇用全体に占める比率とも上昇に転じた。また自営業者は一貫して増加、パートタイム労働者も景気後退期に増加したという。

執筆者は以下の通りです。

天瀬光二
労働政策研究・研修機構 主任調査員
樋口英夫
労働政策研究・研修機構 主任調査員補佐
浅尾裕
労働政策研究・研修機構 研究所長
ハルトムート・ザイフェルト
ハンスベックラー財団経済社会研究所顧問
フランソワ・ミション
国立科学研究センター上席研究員
ギャリー・スレイター
ブラッドフォード大学上級講師
クリス・フォード
リーズ大学上級講師
アーベル・ヴァレンズエラJr.
カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授
平田周一
労働政策研究・研修機構 主任研究員

2010年11月18日 (木)

権丈先生(夫)の政治学者・政治部記者観

さて、権丈先生(夫)が、さっそく昨日のシンポジウムでのご発言について解説をアップされていますが、

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/

その中で、

>最後に、僕の政治学者観・・・昨日の濱ちゃんさんの切り込みは最高でした(笑)。

いや、そんな、たいした切り込みでもありませんが・・・。

そこにリンクされている権丈先生ご自身のかつての文章の方が、よほど痛烈ですよ。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare253.pdf(血祭りやだまし討ちにかかわるのは僕の仕事ではないんだよ それが僕と政治学者の違いかな)

>僕と違って、政治学者ってのは、そういう血祭りやだまし討ちを嬉々として議論しては盛り上がっているように見えるのは昔からのことだけど、いいんじゃないかな、政治学者、そしてメディアの中の政治部ってのは、そういうのも仕事みたいだから。僕の仕事は、政策技術学として使える学問をできる限り総動員して、あるべき社会保障、あるべき税・財政の制度設計、あるべき社会経済制度の設計を行うことであり、政策技術屋としての僕は彼らとは根本的に仕事の質が違う。

>僕の仕事と重なる政治学者ってのは、面白いほどに制度の細部ってのを知らないね。僕の考え方は、年金にしろ医療・介護にしろ、税・財政にしろ、あるべき社会保障制度の細部、各論をつめて、その制度を実現するための政治はいかにあるべきかという、いわば細部を積み上げて政治を語るという論法。この時、あるべき制度の設計ができない人たちの論ってのは、だいたいいつも邪魔。それと、メディアの中の政治部ってのも、政局だ権力闘争だ政権交代だと盛り上がるのが大好きな彼らは気付いていないだろうけど、大方僕がやろうとしていることの妨害をしている――生活部とか社会保障部とかで生活に密着した取材をしながら、地に足のついた記事を書いている人たちとは違いすぎるね。

>君ら政治学科の学生は、しっかりとした制度設計、政策評価ができるような訓練をしておいてくれ。年金の保険方式、租税方式の根本的な相違点や高齢者医療制度をめぐる本質的な問題点も分からないままに――特に制度も理解しないままに、社会保障をめぐる政局を論じる政治学者や政治部の記者などにならないようによろしく頼むよ。迷惑なだけだ、知名度の高い大衆ってのは。

就活どうにかしろデモ

就活どうにかしろデモ@東京 2010実行委員会の方から、来週11月23日の「就活どうにかしろデモ」のお知らせを頂きました。

http://syukatudemo.blog77.fc2.com/blog-entry-8.html

https://twitter.com/syukatudemo

>2010年11月23日(火・祝)勤労感謝の日
13時30分~14時00分
 街頭宣伝(新宿アルタ前)
14時00分~15時00分
 デモ行進(新宿アルタ前出発→大久保公園解散)

だそうです。

天皇機関説、女性機械説、自衛隊暴力装置説・・・

もう4年近く前になりますが、当時の自公政権の柳沢厚生労働大臣の発言を、当時の野党がことさらにあげつらったことがありましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_20a4.html(女性機械説)

>その昔、

>畏れ多くも畏くも、天皇陛下を「機関」とは何ごとであるかぁ!

と喚き散らして憲法学者美濃部達吉氏を攻撃したマスコミや政治家がおりましたが、歴史はネタを変えて繰り返すものなのでしょうか。

言霊のさきはう国と喜んでばかりはいられないようです。

問題は、現政権が、自衛隊にせよ、海上保安庁にせよ、警察機構にせよ、そういう国家の存立に不可欠の暴力装置をきちんとハンドリングできているのか、という点にこそあるはずなのですが。

そういえば、先日対談した萱野稔人さんについて、こういう皮肉なことを云ってる人もいたようです。

http://twitter.com/watarloo/statuses/23009238544

>そういえば、「国家は暴力装置だ」という当たり前のことを書いただけで萱野稔人は一気に知名度上げたのでしたね>「警察を民営化したらやくざである」http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-143d.html

もちろん、そういうホッブス以来の常識をわきまえないアナルコキャピタルな人々が知識人世界では結構たくさんいたりするからですが。

自衛隊が暴力装置でなかったら、どうやって外国からの武力侵略に対抗するのよ。まさか非暴力装置とか言わないでね、野党の皆さん。

(追記)

当たり前のことを当たり前に書く限り、意見が一致するのは当然であって、おかしなことではありません。

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101120/1290272803(次はアレントを読め)

>さて、自衛隊が「暴力装置」だというのは当たり前の話であって、これに関しては、今回濱口桂一郎氏*2も池田信夫氏*3もともに(仲良く?)妥当な見解を示している*4

先方さんが人格攻撃しているからと言って、わたくしもそうだと思われては迷惑です。労働問題という分野について、明らかな間違いを指摘したら先方が逆上したというだけのことであって、それ以外の分野で池田氏が語っていることにとやかくケチを付けるつもりもありませんし、情報通信分野における言論にはなるほどと思うことも結構あります。

今回の話題は、およそ社会科学系の基礎的な素養があればだれでも思うことを皆がそれぞれにつぶやいたというほどのことで、まあfinalventさんのようにわざとふたひねりほどする方もおられますが、わたくしには所詮人様の土俵でわざわざひねるほどの話題でもないので、かつて書いた女性機械説に引っかけてつぶやいてみたというまでです。

なんだか、わたくしと池田信夫氏が同じことを書いたというのがえらく珍しいようで、「かもちゃん」氏も

http://pu-u-san.at.webry.info/201011/article_46.html(言葉づかいは難しい)

>ちなみに、いつも意見が対立するブログも、この問題では一致しているのが興味深い。・・・

だから、「いつも」じゃないのですよ。池田氏が知らない分野で知ったかぶりしたときだけです。

権丈先生は権丈先生でも・・・

労務屋さんがブログで、厚生労働省の「今後の高年齢者雇用に関する研究会」に微かな懸念を示されていますが・・・、

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101111#p1(「今後の高年齢者雇用に関する研究会」スタート)

>個別の論点については議論の進行を見ながらここでも追い追いコメントしていきたいと思いますが、今回いちいち目的や検討事項を引用したのは、参集者名簿(http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000w15e-att/2r9852000000w16v.pdf)をみて微かに気になることがあったからです。

岩村正彦 東京大学法学部教授

小畑史子 京都大学大学院地球環境学堂准教授

権丈英子 亜細亜大学経済学部准教授

駒村康平 慶應義塾大学経済学部教授

佐藤博樹 東京大学社会科学研究所教授

清家篤 慶應義塾長

藤村博之 法政大学キャリアセンター長

もちろん業績も見識もすばらしい当代一流の研究者揃いですし、清家先生の座長も衆目が一致するところでしょうが、何を気にしているかというと権丈先生、駒村先生と社会保障の専門家が2人も参加しているところです。もちろんお2人とも労働問題への造詣も深いですし、高齢者雇用政策と社会保障とは密接に関連するわけですが、しかしこの手厚い布陣を見ると背後に年金支給開始年齢をさらに引き上げたいという財政的要請が見え隠れするような気もするわけで、まあ心配しすぎなのだろうとは思うわけですが…。本年度末にはとりまとめが行われるということなので、経過を注目したいと思います

労務屋さんの微かな懸念それ自体が当たっているか否かはとりあえず別にして、その根拠となっている「権丈先生」とは、上にあるとおり権丈英子先生ですが、もちろん社会保障についても造詣が深い方ですが、専門は何かといえば、ご自分が大学の教員紹介に書いておられるように労働経済学であり、現在の研究課題は

http://www.asia-u.ac.jp/teacher/profile/profile.php?id=51

>欧米と日本におけるワーク・ライフ・バランス、女性労働、非正規労働、少子化問題、フレキシキュリティ(労働市場の柔軟性と保障)

でありますので、いささか違うような。昨日のシンポジウムでも快刀乱麻を断つお話しをされていたご主人の権丈善一先生はもちろん社会保障の第一人者ですが。

非正規労働者と集団的労使関係法制

畑中労働経済研究所から発行されている『労働経済情報』2010年秋号に、「非正規労働者と集団的労使関係法制」という小論を載せました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hiseikishudan.html

非正規労働者問題について、原稿依頼の趣旨とはあえて異なる集団的労使関係法制の観点から論じてみたものです。拙著『新しい労働社会』の第4章で論じた論点ですが、やや散発的なご批判は頂くものの、あまり議論が深まっていかないなあ、と感じています。

さて、同誌には小林良暢さんの「世界の構造変化と日本の産業戦略」、安西愈さんの「有期労働契約の立法化への動きと現在の法的問題」、小畑精武さんの「広がる公契約条例と労働基準の確立」など、興味深い論考がたくさん載っていますが、ここでは一つ、自治労の秋野純一さんの「地域主権改革の現在と民主主義の形」を紹介しておきます。いや、次の文章など、まさに我が意を得たりであり、昨日のシンポジウムでもお話しした、政治学者と政治評論家と政治部記者が諸悪の根源という話と通じるものがあります。

>具体的な「各論」こそが、国民の生活に直接影響を及ぼす領域である。ところが、「地域主権改革」では、まともな各論が成立しないのである。手続的にも内容的にも、「各論」を省略して、いきなり「総論」から政策を導き出すという仕組みになっている。

>そもそも「一丁目一番地」という「地域主権改革」の住所自体に問題がある。いまでも「一丁目一番地」に住んでいるのであれば、早急に「一丁目二番地」以下に転居すべきである。

>例えば、保育所に関する厚生労働省と内閣府の協議において、・・・内閣府は「今回の改革の本旨は、待機児童解消ではなく、地域主権のための改革」であると主張した。「一丁目一番地」に「地域主権」以外の政策が居住することは認めない、子どもの保育保障のために分権を進めるのではなく、分権のために分権を推進するということである。「生活が第一」ではなく「地域主権が第一」。

>こうした言説は、「地域主権」に関する議論に一貫した特徴である。ここでは、分権が政策実現のための手段ではなく、それ自体が優先的に実現すべき価値として考えられている。分権が自己目的化しているのである。つまり、社会保障は社会保障として議論されているのではない。子ども施策は子ども施策として見直されているのではない。高齢者施策は高齢者施策として検討されているのではない。各論は省略され、いきなり分権の観点から見直されてしまうのである。非現実的な見直しになってしまうのも当然である。「一丁目一番地」という位置づけが分権原理主義を助長してしまうのである。

こういう事態を、秋野さんは「役所の役所による役所のための分権」と的確に批判しています。

>つまり、地域主権改革の当事者は「国と地方」という役所だけであり、当事者、保険者などの中間団体、ステークホルダーの合意を形成していくための仕組みは存在していない。地域主権改革における実際の意思決定過程は、「役所の、役所による、役所のための」分権になっている。地域主権改革推進の旗印は「民主主義」だが、「地域主権改革」流の「民主主義」では議論が広がらないのも当然なのである

ここは、わたくしとしては、拙著で述べた「ステークホルダー民主主義」を打ち出したいところです。それこそ岩波の編集者の付けたネームですけど、

>問われているのは民主主義の本分だ!

と言わなければなりませんね。

“残業ありき”の働き方を見直す!

112123 佐藤博樹先生、武石恵美子さんから新著『職場のワーク・ライフ・バランス』(日経文庫)をお送りいただきました。

http://www.nikkeibookvideo.com/item-detail/11212/

ワーク・ライフ・バランス、というと、とかく育児休業とか介護休業とかといったイベント中心の議論になりがちなのですが、この本は第2章のタイトルにある「社員の時間制約と働き方改革」にあるように、「時間制約」というコンセプトを中心に置いています。左上の画像にでかでかとあるように、「“残業ありき”の働き方を見直す!」ということをワーク・ライフ・バランスの中心に据えているのです。

「時間制約」とは何か?いや、むしろ時間制約がないというのはどういうことか?

>いわゆるワーク・ワーク社員の特徴の一つは、1日であれば24時間まで、1週であれば7日間まで、その時間のすべてを仕事に使うような働き方をしがちであると言うことです。つまり、使える時間の上限まで仕事に投入しがちな働き方がワーク・ワーク社員の特徴です。このことを「時間制約」のない社員と表現したわけです。

ところが、

>現在の職場の働き方を見ると、「時間制約」のある社員が増加しているにも関わらず、職場の仕事管理・時間管理は「時間制約」のないワーク・ワーク社員を想定している場合が多いのです。

>こうした結果、ワーク・ライフ社員は、上司から期待されるような働き方をすると、仕事以外で取り組みたいことができなくなります。また、仕事以外で取り組みたいことなどをすると、上司から期待された仕事ができなくなるなど、ワーク・ライフ・コンフリクトに陥り、仕事に意欲的に取り組めなくなったり、離職を余儀なくされたりします。

そもそも法律上から言えば、1日8時間週40時間という「時間制約」があるのがデフォルトルールであって、時間制約がないなどというのは異常事態のはずなんですが、日本型雇用システムにおけるメンバーシップ型正社員モデルでは、時間制約がないのがデフォルトルールになってきたわけですね。

ここが、たとえばヨーロッパ諸国のワーク・ライフ・バランスの議論をそのまま日本にもってきても話がずれまくる大きな理由です。あちらのワーク・ライフ・バランスというのは、フルタイムといえども法律上の時間制約があることを前提にして、それ以上に所定時間を短くする短時間勤務とか一定期間の休業とかというイベント主義でいいわけです。しかし、日本では法律上のデフォルトルールに戻って時間制約をかける(残業制限)ことがなによりワーク・ライフ・バランスになるわけです。

2010年11月17日 (水)

本日、北大シンポジウム無事(?)終了しました

ということで、本日麹町会館で開催された、北海道大学大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター主催のシンポジウム「社会保障と雇用をどう立て直すのか?政権交代と政策転換」に出席し、権丈先生に続いて基調講演を行うとともに、山口、宮本両先生を含めたパネルディスカッションに参加して参りました。

http://www.juris.hokudai.ac.jp/~academia/symposium/symposium20101117.html

基調講演は、政治の話は冒頭ちょっと触れるだけにして、あとは雇用システムの話をするつもりだったのですが、気がつくとあと5分のところまで政治の話になりました。何を喋ったかは、シンポに出た人は知っている(笑)。

いろんな意味で、参加者の皆さんは楽しんで帰られたのではないかと存じます。

(追記)

シンポを聴きに来られていた河添誠さんが、ついったでれぽーと。

http://twitter.com/kawazoemakoto/status/4866155936223232

>シンポ「社会保障と雇用をどう立て直すのか?政権交代と政策転換」 http://ow.ly/3b8bN 聴衆参加。濱口さんの「公共職業訓練敵視のイデオロギー同盟」の話は興味深かった。同じく「非正規労働者の社会参加、政治参加の仕組みが必要」とも発言。詳細聴きたかったが時間切れ。

そういえば、終わり近くになって会場を出て行かれる姿が見えました。

ついでにいうと、雑誌『前衛』12月号が労働特集で、河添さんが「ブラック企業の広がりと戦う若者たち」を書かれています。乾彰夫さんの「増大する若者の不安定と社会の変容」も読まれるべき。日本共産党の機関誌ですが、特集記事は読む値打ちがあります。

(再追記)

河添誠さんが続きのついったれぽーと

http://twitter.com/kawazoemakoto/status/5064344979116032

>昨日のシンポ。濱口桂一郎さんが、企業内での技能養成ではなく、社会的に公共職業訓練で技能養成をするという理念の不在を指摘。北欧のように公共職業訓練によって高い技能を獲得するというイメージは、そうした経験のない多くの日本国民には理解不能。この理念を常識化することがきわめて重要。

(さらに追記)

シンポの共催者である生活経済政策研究所のメールマガジンで、昨日のシンポについて書かれています。

>○11月17日に生活研が共催したシンポジウム「社会保障と雇用をどう立て直すのか?-政権交代と政策転換」を開催しました。定員の100人を大幅に超えるお申し込みをいただき、補助席を追加しても席が足りない状況で、参加者の皆様には大変窮屈な想いをさせてしまいました。シンポジウムでは、権丈善一慶應義塾大学商学部教授と濱口桂一郎労働政策研究・研修機構統括研究員からそれぞれ40分ほど、大変熱のこもった、そしてある意味痛快なご報告をいただき、山口二郎北海道大学大学院法学研究科教授のコメントの後、その3人をパネリストとして、宮本太郎北海道大学大学院法学研究科教授のコーディネートで、パネルディスカッションを行いました。報告やパネルデスカッションを通じて、民主党政権の問題点と今後の課題が明らかになり、大変面白く、また内容のあるシンポジウムになったと思います。詳細については、何らかの形でお伝えする予定です。

まあ、「痛快」と言いますか、政治学者お二人を目の前にして、「一部の政治学者と、多くの政治評論家と、大部分の政治部記者が諸悪の根源」と言ってのけるのですからね(笑)。

(まだまだ追記)

エコノミスト誌の黒崎亜弓さんも聴きに来ておられましたが、編集者としての感想をついった。

http://twitter.com/ayu_k_/status/5183763491332096

>編集者として企画した宮本太郎氏を尊敬。ツイッター中継したかった(敬称略)権丈善一&濱口桂一郎が山口二郎を前に政治(と政治学者、評論家、政治記者)を斬る http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-73e0.html

『社内失業』またはジョブなきメンバーシップ?

57515361 『社内失業 企業に捨てられた正社員』(双葉新書)という本を見つけたので、さっそく読み始めています。著者は増田不三雄氏で、「社内失業と呼ばれて」というブログを書かれているそうです。

http://d.hatena.ne.jp/shanaineet/

>「希望・早期退職」「リストラ」「派遣・新卒切り」「雇い止め」「内定取り消し」……。長引く不況の中で様々な労働問題が語られてきたが、その中で最近浮かび上がってきたのが「社内失業」。これまで社内失業のような存在は中高年の「窓際族」や、本人にやる気がなくサボっている「社内ニート」とされてきた。しかし実際の社内失業者は20代~30代の若い世代で、本人にやる気も能力もあるにも関わらず、企業側の事情で仕事を奪われた状態にある。リーマンショック以降の急激な景気の減速で増えた社内失業者の数は600万人とも言われている。彼らは社内外の人脈も仕事上のスキルもないまま放置され、企業にとどまっていても低賃金のまま。仕事上の実績もないため転職もままならない。八方塞がりの社内失業者の厳しい現実をレポートするとともに、社内失業を解決するために職場、上司、企業に何ができるのかも探っていく。日本経済自体が縮小する中で、企業の仕事量はじわじわと減り続けている。忙しい人と社内失業者の間で仕事量の格差が広がっていくことは、両者にとって不幸なことだ。労働問題の最新トピックである社内失業を解決しないことには、日本の会社、いや日本経済に未来はない。

さまざまな実例を繰り出す本書の記述は是非現物をお読みいただければと思いますが、読みながら思わず、「これって、言葉の正確な意味における“ジョブなきメンバーシップ”じゃない」と感じてしまいました。

実は拙著について何人かの方から、「hamachanの言いたいことは分かるが、“ジョブなきメンバーシップ”というと、いかにも日本の正社員は全然仕事をしていないのに給料だけ貰っているように聞こえるから“ジョブの特定なき”というべきだ」とまことに適切な批判を頂いたりしていたりするのですが、実際にはその都度行われるべきその「ジョブの特定」がないままだらだらいくとこういう「社内失業」という事態になることもあるのですね。

ただ、「日本経済自体が縮小する中で、企業の仕事量はじわじわと減り続けている」という言い方は、ある種のベーカム論と共通するものを感じてしまいますが、一方でジョブの特定のないまま山のように仕事を抱え込んで過労死するほど激烈に働き続けている正社員たちもいるし、「社内失業者」たちの「低賃金」よりもずっと低い賃金で実際に仕事をこなし続けている非正規労働者たちも山のようにいるわけで、それら総体を睨んで考えないと。ただ「労働問題の最新トピックである社内失業を解決しないことには・・・」というだけでは、いかがなものかという気もします。

一見際物めいた印象を与える本ですが、考えれば考えるほど日本型雇用システムの本質に深く関わる問題であることが浮かび上がってくる感じです。

2010年11月16日 (火)

今後の外国人労働者問題を考える―経済危機が日系人労働者に与えた影響等を踏まえて―

さて、外国人労働者問題については、労働政策研究・研修機構(JILPT)が来たる12月4日に労働政策フォーラムを予定しています。

http://www.jil.go.jp/event/ro_forum/info/20101204.htm

>我が国においては、2008年の経済危機後、大量の日系人失業者の発生を契機として外国人労働者に関わる様々な問題が顕在化しました。

また依然として厳しい雇用情勢の中、国内で約300万人が失業している一方、少子高齢化による労働者不足の懸念や、安価な労働力を求める声を背景に、外国人労働者の受入れ拡大を求める声もあります。

外国人労働者の受入れにあたっては、産業及び国民生活等に与える影響を総合的に勘案することが不可欠です。

本フォーラムは、日系人の受入れに伴う様々な問題やそれに対して日本政府が講じてきた施策を検証し、今後の我が国の外国人労働者受入れ議論の深まりを期待するものです。

[日時] 2010124日(土) 13:3017:00 13:00 開場)

[場所] ベルサール飯田橋イベントホール(最寄駅:JR・地下鉄「飯田橋駅」)

[費用] 参加費無料(お申込みが必要です)

[定員] 300

ということで、次のようなプログラムで議論が行われます。

●基調報告:
「わが国における外国人労働者を巡る状況について」
   野口 尚 厚生労働省職業安定局派遣・有期労働対策部外国人雇用対策課長

●研究報告:
「地方自治体における外国人の定住・就労支援への取組みについて」
   渡邊博顕 労働政策研究・研修機構副統括研究員

●講演:
「経済危機と在日南米系コミュニティ―何をなすべきか」
   樋口直人 徳島大学総合科学部准教授

「経済危機後の東アジアと日本の外国人労働者政策
―国の入管政策及び地域・自治体レベルの統合政策の視点から―」
   井口 泰 関西学院大学経済学部教授・少子経済研究センター長

「受入れ慎重派として認めることができる受け入れるための最低条件」
   小野五郎 埼玉大学名誉教授

●パネルディスカッション:
 (パネリスト)
   野口 尚 厚生労働省職業安定局派遣・有期労働対策部外国人雇用対策課長
   樋口直人 徳島大学総合科学部准教授
   井口 泰 関西学院大学経済学部教授・少子経済研究センター長
   小野五郎 埼玉大学名誉教授
 (コーディネーター)
   中村二朗 日本大学大学院総合科学研究科長

このパネルディスカッションの見ものは、やはり積極派の井口さんと慎重派の小野さんの対決ということになるのでしょうが、日系南米人の実態調査を続けてこられた樋口さんの視点も注目です。

実はわたし自身、一昨年より連合総研の外国人労働者問題研究会の委員として、日系ブラジル人のお話を聞いたりしてきていることもあり、「外国人労働者として導入されるんじゃない」ことにして事実上柔軟な外国人労働力として活用されてきた彼らに、いろんな意味で矛盾が露呈し、噴出しているのだと思っています。

それはともかく、せっかくの機会ですので、是非お誘い合わせの上ご来場下さい。

お申込みはこちらから

http://www.jil.go.jp/event/ro_forum/info/20101204.htm

『労働再審2 越境する労働と〈移民〉』が出ました

Book_12889 先日予告していた『労働再審2 越境する労働と〈移民〉』(大月書店)が出ました。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b73914.html

編者五十嵐泰正さんの序章「「越境する労働」の見取り図」に続いて、

1 外国人「高度人材」の誘致をめぐる期待と現実(明石純一)
2 EPA看護師候補者に関する労働条件と二重労働市場形成(安里和晃)
【ノート】地方労働市場における日系人労働者の存在と役割(大久保武)
3 外国人単純労働者の受け入れ方法の検討(上林千恵子)
【ノート】日本人とブラジル人が共闘したはじめての単組の経験(平野雄吾)
4 フィリピン人エンターテイナーの就労はなぜ拡大したのか(津崎克彦)
5 オーストラリアのワーキングホリデー労働者(川嶋久美子)
6 日本の外国人労働者政策(濱口桂一郎

といった論文が並んでいます。

わたくしの論文の細目次を示しますと、

第1節 外国人労働者政策の本質的困難性と日本的特殊性
(1) 外国人労働者問題の本質的困難性
(2) 日本の外国人労働者政策の特殊性
第2節 労働政策としての外国人労働者政策の提起とその全面否定
(1) 労働省の雇用許可制構想まで
(2) 雇用許可制構想の根拠と問題点
(3) 法務省入国管理局の反発
(4) 在日本大韓民国居留民団の批判と労働省の撤退
第3節 1989年改正入管法による「サイドドア」からの外国人労働者導入政策 
(1) 1989年の入管法改正
(2) 日系南米人という「サイドドア」
(3) 研修生という「サイドドア」
第4節 研修・技能実習制度という特設入口
(1) 当初の問題意識
(2) 研修・技能実習制度の創設
(3) 研修・技能実習制度の法的帰結
(4) 研修・技能実習制度見直しへの動き
(5) 2009年入管法改正と残された課題
第5節 外国人労働者政策の方向性-「失われた20年」からの脱却
(1) 非研修・実習型外国人労働者導入論の提起
(2) 日系人という「サイドドア」の疑似玄関化
(3) 労働許可制の再検討とそれが要請する課題

書籍の一論文ですので、是非多くの読者の皆さまにお買い求め頂かねばなりませんので、ここに中身を具体的に引用するのは控えますが、わたくしの一番にいたいことを第1節の(2)にまとめていますので、そこだけここに引用しておきます。

>・・・日本の外国人労働者政策も基本的には上述の労使間の利害関係の枠組みの中にあり、それが政策展開の一つの原動力であったことに違いはない。しかしながら、1980年代末以来の日本の外国人労働者政策の大きな特徴は、そのような労使間の利害関係の中で政策を検討し、形成、実施していくという、どの社会でも当然行われてきたプロセスが事実上欠如してきたこと、より正確に言えば、初期にはそのような政策構想があったにもかかわらず、ある意図によって意識的にそのようなプロセスが排除され、労使の利害関係とは切り離された政策決定プロセスによってこの問題が独占され続けてきたことにある。
 一言でいえば、労使の利害関係の中で政策方向を考える労働政策という観点が否定され、もっぱら出入国管理政策という観点からのみ外国人政策が扱われてきた。言い換えれば、「外国人労働者問題は労働問題に非ず」「外国人労働者政策は労働政策に非ず」という非現実的な政策思想によって、日本の外国人労働者問題が取り扱われてきた。そして今日、遂にその矛盾が露呈し、問題が噴出するに至ったのである。

どう露呈し、噴出していると主張しているのか、それは是非本書をお読み下さいませ。

水野和夫・萱野稔人『超マクロ展望 世界経済の真実』

03345231 先日、POSSEの「これからの労働の話をしよう」という恥ずかしい題名の対談をさせていただいた萱野稔人さんから、水野和夫さんとの対談本『超マクロ展望 世界経済の真実』(集英社新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

>資本主義の臨界点で日本が進むべき道とは?
世界経済危機を単なる景気の収縮として捉えるならばこの先を読むことはできない。資本主義そのものの大転換、400年に一度の歴史の峠に立っていることを自覚してこそ、経済の大潮流が見えてくる!

ということで、水野氏一流の超マクロ的経済史観と、萱野国家論とが切り結ぶ大変面白い読み物です。

先日の対談で萱野さんが語られていたことどものあれこれが、この本により詳しい形で展開されています。

たとえば、117頁から118頁にかけてのこのあたりは、先日の対談の後半での知識人の国家論批判のもとになっていますね。

>萱野 私がなぜ「国家」の問題にこだわるかというと、資本主義を市場経済と同一視するような見方が日本ではとても強いからです。逆に言うと、資本と国家は対立するものだという前提に多くの人が立っている。新古典派の経済学者やエコノミストたちはだいたいそうですね。

こうした見方は、私のいる人文思想の世界でも根強くあります。特に1990年代の日本の思想界では、グローバリゼーションによって国境の壁がどんどん低くなり、国家も次第に消滅していくだろう、ということが盛んにいわれました。当時はなぜか「国家を超える」ということが思想界での最大のテーマになっていて、その文脈でグローバリゼーションがやたら称揚されたりもしました。私が国家とは何かということを理論的に考えるようになったのは、こうした安易な「国家廃絶論」に辟易したからでもあるんです。国家とは何かを考えもせずに、安易に「国家の廃絶」とかいわないでほしいなと。

>水野 国民国家と国家そのものを取り違えてしまったんですね。

>萱野 そうなんですよ。ちょうど90年代というのは、アメリカが自らの金融的なヘゲモニーを拡大するために、各国に対して規制緩和や民営化を迫っていた時期でした。各国の市場を開放させて、そこにアメリカの資本が入っていく。自由市場のスローガンというのは、いわばその時のアメリカの方便だったわけですよね。その方便を日本の思想界は真に受けてしまった。アメリカの国益に裏付けられたものを、あたかも国家そのものを否定するものとして受け取ってしまったんです。

こうした安易な国家廃絶論は、何でも民営化していくべきだと考える市場原理主義者たちに典型的に見られるものですが、同時に、国家権力を批判しようとする左派やアナーキストたちにもしばしばみられます。アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)なんてその典型ですね。両者に共通しているのは、資本主義市場は国家とは独立に存在しているという観念であり、資本主義がもっと発達していけば国家は消滅するだろうという想定です

このあたり、本ブログで時たま触れてきた話題とも一部重なるように思います。90年代における反体制的知識人とネオリベエコノミストの野合現象というのは、先進国の中でも日本に特徴的な現象であったように思われます。

ちなみに、先日の対談のテープ起こし原稿への修正は本日坂倉さんにお送りしましたので、うまくいけば来週には雑誌に載ることになると思います。乞う、ご期待、ということで。

さて、水野さんの方はその壮大な経済史観を披瀝されるとともに、かなり手厳しい「リフレ派批判」が繰り広げられています。これなど、なかなか皮肉が効いていますね。

>水野 ・・・ところがリフレ派の人たちは、量的緩和は日銀が嫌々やっていることだというのをみんなが分かっているからダメなんだと、そういうことを言い出しているのです。

>萱野 日銀はもっと本気でやらないから、人々がインフレ期待を持てないんだと。

>水野 そう、ほとんど精神論に入っているんですよね。いよいよマネタリストも言うことがなくなってきたのかなと思います。

正直言うと、水野さんの壮大な経済文明史観については、すごいなあとは思うものの、完全に納得できているわけではなく、それこそ利子率革命よりも産業革命を後生大事に考える古典的な経済史観を捨てるまでに説得されているわけでもないのですが、やはりこの分野もじっくりと勉強してみたいなとは思っています。

2010年11月15日 (月)

湯浅誠氏のとまどいPartⅡ

Alter_new_2010_1112 台湾では、ちょっと空いた時間に会場近くの書店に寄ってみました。そこで平積みされていた本の中に、湯浅誠氏の『反貧困』中国語版がありました。同じような赤い表紙で、結構売れているようでした。

ちなみに、湯浅誠氏は昨年ソウルで開かれた第14回ソーシャルアジアフォーラムで主題報告をされています。いろいろと縁があるのですね。

というのは、本日の話題のマクラです。去る9月10日付のエントリ「湯浅誠氏のとまどい」において、雑誌『オルタ』9-10月号に掲載された湯浅氏の「反貧困日記」の1回目を取り上げてあれこれ書きましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-47d3.html

そこで湯浅氏が提示した

>私にとって正しい問いの立て方は、なぜ「福祉から就労へ」と「社会的排除から社会的包摂へ」という二つのスローガンが両立するのか、というものであるべきと思われた。

という問いに対する湯浅氏自らの答えの試みが、『オルタ』11-12月号に載っています。

http://www.parc-jp.org/alter/2010/alter_2010_11-12.html

ちなみに、同誌の特集は「貧困削減という問題!?」で、とりわけ賞賛されがちなマイクロクレジットに対する厳しい批判の文章なども載っていて、なかなか興味深いのですが、それはここでは措いておいて、湯浅氏の反貧困日記です。

>私たちは「働ける年齢層(稼働年齢層)」に対する福祉がとりわけ薄い国に暮らしている。・・・

>端的に言って、日本では子育て・教育・住宅を基本的に自前で調達しなければならない。そして。子どもの成長に応じて増大していく子育て・教育・住宅費用の調達をなんとか可能にしていたのが、40代後半から50代前半でピークを迎える年功型賃金カーブ(それを支える日本型雇用システム)だったが、周知にように90年代後半以降それも急速に崩れつつある。・・・

>そうした日本の状況から考えれば、福祉は人々の生活を支えるものであって、社会から滑り落ちるようにはじき出されていく人々の社会へのコミットメント(社会参加)を保障するものとなる。その文脈では、福祉は社会的包摂をもたらす。しかし、他方、そこからだけでは福祉の社会的排除としての側面は見えてこない。

>おそらく、福祉国家の前後の課題(プレ福祉国家的課題とポスト福祉国家的課題)を整理する必要がある。・・・

>ここでは、福祉の二面性が見られている。一つは人々の生活を保障し、生存を守るという面、もう一つは福祉という殻(一種のコミュニティ)の中に、人々を社会から隔絶した状態で留め置いてしまうという側面。前者を目指すのがプレ福祉国家的課題、後者を目指すのがポスト福祉国家的課題という関係になる。

>・・・だから、ポスト福祉国家的課題として「福祉から就労へ」「社会的排除から社会的包摂へ」というスローガンが並立して出てくるのだろう

まさにその通りです。湯浅誠氏の学習能力の高さには率直に賞賛の声を送るべきでしょう。

一部の人々が声高に唱える捨て扶持型のベーシックインカムなどではなく、湯浅氏が次のようにアクティベーション型の社会を主張するのも、以上のような的確な認識に裏付けられているわけです。

>そして二つのスローガンが目的にするのは、すべての人の社会参加を目指す全員参加型社会ではないかと思う。多様な教育・職業訓練や手厚い社会保障は、社会参加の条件作りであると同時に、参加を求める社会的装置でもある。きっちりと条件整備がなされるとともに、自己責任も問われる。貧困は認めないが、怠惰も認めない。やさしく人道的でもあり、厳しくもある。

まことに、湯浅誠氏は一時のとまどいを通して、まさに的確な認識に到達されたのですね。

ここから日本における全員参加型社会への道筋という課題が次号のテーマとなるようです。期待したいですね。

台湾の労働尊厳教育

亞洲社会論壇(ソーシャルアジアフォーラム)では、各国からの報告討議に先立って、ホスト側の台湾の行政院労工委員会副主任(労働副大臣に相当)である潘世偉さんが基調講演をされました。潘さんは労働法の先生から政府に入った方ですが、自ら携わっておられる最近の労働法、労働政策の動きについて包括的に語られました。

その中で一つ、最後の方で述べられた労働尊厳教育の話が興味深いものでした。ディーセントワークの考え方を教育段階から国民に浸透させていこうというものですが、ご多分に漏れず台湾でも教育部はきわめて消極的なんだそうですが、それでも中学校段階から労働尊厳教育を実施しつつあるということでした。

そもそも今回の工会法改正でも、教師の労働基本権には大変否定的で抵抗したそうで、韓国でもそうですし、教師は聖職にして労働者に非ずというのは東アジアに共通の感覚なのでしょうかね。

2010年11月14日 (日)

亜洲社会論壇報告

先ほど、台北から戻って参りました。

ソーシャルアジアフォーラムは、結局直前に中国からの参加予定者が許可が出なかったということで出席しないことになり、中国側の報告は台湾の出席者が代読することになりました。その内容は、現在の中国の労使関係状況をきわめて的確かつ犀利にえぐり取るもので、わたくしには戦前の日本の進歩的な官僚や学者が無理解な体制の中で労使関係システムの確立を説いた姿を想起させるものでした。

わたくしが興味を惹かれたのは台湾からの報告で、今年ようやく労使関係3法が全面改正され、来年施行されることになったということです。実は中華民国工会法は1930年に制定されており、日本よりも古い労働組合法なのですが、日中戦争、国共内戦、その後の戒厳令体制のもとで、自由な労働組合運動は許されなかったのですね。ようやく民主化とともに労働組合運動も国民党の支配下から脱し、古い工会法も改正されるに到ったようです。このあたり、わたくしもあんまりよく知らない分野であったのですが、じっくり勉強してみたいと強く感じました。

韓国からは労使共同の訓練事業についての報告があり、日本からはわたくしが雇用システムの話、連合総研の龍井さんがもっと広い視野の話をしました。

フォーラム以外では、いろいろと興味深いことがありましたが、とりあえず一つだけ。会場の近くの「紫藤廬」という茶館で、高山茶をじっくりと楽しみましたが、この茶館、日本植民地時代の海軍宿舎で、奥の方には畳の座敷があり、何とも言えないいい雰囲気でありました。

2010年11月 9日 (火)

亜洲社会論壇@台北

というわけで、木・金と台北で開かれるソーシャルアジアフォーラムに出席するため、明日からしばらく日本を離れます。

戻るのは日曜の予定なので、それまで本ブログは更新されません。また、コメントやトラックバックも反映されません。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-3af4.html(ソーシャルアジアフォーラム@台北)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-a3c6.html(ソーシャルアジアフォーラムの由来)

顧客が第2のボスになる

47_3_cover 『季刊経済理論』の最新号は、「労働論の現代的位相」という特集を組んでいたので買ってみたのですが、なんだかよく分からない論文ばかりで、正直感心しなかったのですが、鈴木和雄氏の「接客労働の3極関係」はなかなか興味深いところを追求しているなと思いました。

http://www.sakurai-shoten.com/content/books/jspe/47_3.shtml

[特集◎労働論の現代的位相]

特集にあたって 清水真志
労働概念の拡張とその現代的帰結:フェミニスト経済学の成立をめぐって 足立眞理子
自己の喪失としての労働:剰余労働=搾取論を超えて 小倉利丸
接客労働の3極関係 鈴木和雄

この鈴木論文ですが、

>接客労働過程には、製造業におけるような管理者-労働者の2極関係ではなく、管理者-労働者-顧客からなる3極関係が据えられる。

という観点からいろいろ分析しているのですが、とりわけ興味深いと思ったのは、顧客が労働者の統制主体となるという点です。

>顧客は自分の要求を明示することで労働者に労働を命ずる。またサービス提供に労働者の特殊な熟練や知識を必要とせず、顧客が労働過程を観察し理解できる場合、顧客は労働者の仕事ぶりを評価できる。賞罰は、顧客が労働者に感謝したり侮辱すること、サービス提供への顧客の強力または非協力、労働者にチップを与えたり、逆に上司に労働者の不品行を訴える、などの形をとる。・・・

>顧客は(情報や商品の授受に伴うものも含む)良質のサービスの迅速な提供を望む。そこで労働者が良質のサービスを迅速に提供するように絶えず労働過程を監視して、労働者の行動を統制する。さぼりや不注意によるサービスの質の低下や提供の遅れは顧客の不満や怒りを真っ先に引き起こすので、労働者は、管理者だけでなく顧客からも行動を統制される。顧客は労働者にとって「2人目のボス」となる。あるいは労働者は「2人のボス」、「2人の異なるボス」をもつ。顧客による統制は、先に見たように管理者(特に中間管理者)に及ぶこともある

これは、サービス業や飲食店といった業種で労働者の権利が損なわれがちなことの原因を説明してくれるように思います。

ここでの記述はあくまでも「サービス提供に労働者の特殊な熟練や知識を必要とせず、顧客が労働過程を観察し理解できる場合」に限られていますが、考えてみると病院や学校といった「サービス提供に労働者の特殊な熟練や知識が必要で、顧客が労働過程を観察し理解できない場合」であっても、近ごろのモンスターペイシャントやモンスターペアレントは、同じように命令し、評価し、賞罰を与えようとしているのかも知れませんね。

何にせよ、「お客様は神様でございます」の世界で、「お客様が第2のボスにな」ってしまったら、ボスが神様というこの世で最も恐ろしい事態が現出してしまうわけですから、日本のサービス業がブラック企業だらけになるのもむべなるかな、でしょうか。

『労働再審2 越境する労働と〈移民〉』

Book_12889 11月19日に、『労働再審2 越境する労働と〈移民〉』(大月書店)が発行される予定です。

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b73914.html

>本格的な移民導入の議論が高まる日本。人はおろか仕事や職場すら容易に国境を越える時代は、労働社会にいかなる変容を迫るのか。

編者の五十嵐泰正さんは、『POSSE』にもたびたび登場している若手研究者で、先日の「これからの労働の話をしよう」とかいうブラック会社シンポジウムでも、最後に鋭い質問をされていました。

序 「越境する労働」の見取り図(五十嵐泰正)
1 外国人「高度人材」の誘致をめぐる期待と現実(明石純一)
2 EPA看護師候補者に関する労働条件と二重労働市場形成(安里和晃)
【ノート】地方労働市場における日系人労働者の存在と役割(大久保武)
3 外国人単純労働者の受け入れ方法の検討(上林千恵子)
【ノート】日本人とブラジル人が共闘したはじめての単組の経験(平野雄吾)
4 フィリピン人エンターテイナーの就労はなぜ拡大したのか(津崎克彦)
5 オーストラリアのワーキングホリデー労働者(川嶋久美子)
6 日本の外国人労働者政策(濱口桂一郎)

この問題を論ずる際の一つの基準線となれば、と。

2010年11月 8日 (月)

『概説海事法規』

03339798 根本到先生より、『概説海事法規』(盛山堂書店)をお送りいただきました。ありがとうございます。先生からは、今回はブログで取り上げてくれるな!と強くいわれていたのですが、せっかくお送りいただきながら何も言わないなどというわけには参りませんので、あえて紹介いたします。

>海事法規を初めて学ぶ人のための入門書。船舶法、船員法、船舶職員及び小型船舶操縦者法、海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律、国際航海船舶及び国際港湾施設の保安の確保等に関する法律などを収録する。

ということで、根本先生は船員法と海商法を執筆しておられます。

現在、日本で労働法的観点から船員法制を研究しておられるのは根本先生と野川忍先生くらいだと思いますが、雇用契約とは別に「雇入契約」という概念があったり、いろんな意味で興味深い分野です。

時間を見つけて勉強してみたいと持っています。

雇用構築学研究所『NEWS LETTER』No.35

旧「青森雇用・社会問題研究所」が「雇用構築学研究所」とリニューアルし、『NEWS LETTER』No.35をお送りいただきました。

研究主幹の紺屋先生が鹿児島大学に行ってしまい、残された石橋はるかさんが弘前、岩手、鹿児島をつないで頑張っているようです。

今号で面白いのは、その石橋はるかさんの「外国人研修推進室に潜入!」。いや、正確には厚生労働省のインターンシップで外研室で2週間、まさしく「研修・技能実習」をした記録です。JITCOにも訪問しています。

その石橋さんの判例評釈が例の熊本のスキールほか事件。

その他の論文では、岩手県庁の金戸伸幸さんの「分権的自治の担い手は個人か集団か?」が大変面白いテーマを取り上げています。金戸さんは、内閣府に出向して、経済財政諮問会議の事務局でも活躍されたそうです。

小見出しを並べてみます。ほら、拙著の問題意識とも絡み合いながら、公共経済学的手法も駆使していて、大変面白そうでしょう。

□ 1.はじめに ~集団的労使関係の衰退と労働委員会の危機~
(1)労働委員会って何をするところ?
(2)個別労働関係紛争のシェア争い
(3)集団的労使関係はほったらかし?
□ 2.地方公務員は労働者か ~労働三権が制限されるとどうなるか~
(1)地方公務員は雇用関係ではない
(2)財政民主主義による労使自治の制限
□ 3.労使自治による分権的価格決定システム ~集団的労使関係が分権の舞台
(1)分権的な市場
(2)完全競争市場と市場の失敗
□ 4.日本的雇用慣行における発言と離脱 ~日本的集団的労使関係の特徴
(1)発言と離脱
(2) 日本的雇用慣行における発言オプション
□ 5.地方分権と労働組合 ~公共財の供給は過小になる~
(1)地方公共財とは
(2)住民選好とオーツの分権化定理
(3)住民選好にまつわる問題
(4)足による投票とティブー・ソーティング
(5)分権の担い手としての労働組合
□ 6.まとめに代えて~集団的労使関係が支えるもの・集団的労使関係を支えるもの~

読みたくなった方、ぜひ石橋はるかさんまでご注文を。

2010年11月 7日 (日)

通勤手当をめぐって

社労士の李怜香さんが、通勤手当をめぐる話題を取り上げていますが、

http://www.yhlee.org/diary/?date=20101103#p01(払いすぎた通勤手当を給与から差し引けるか)

http://www.yhlee.org/diary/?date=20101106#p01(社員のモラル、会社のモラル)

>社員がごまかしていないかと、きっちり確認する制度を作るのもいいが、「払うのは渋いくせに、取り返すことばかり熱心」だと思われて、仕事自体へのモチベーションが下がっては意味が無い。健康のため、バスの1区間前で降りて、歩いている社員がいたら、その分の交通費を取り返そうと考えるよりも、手当を出してもいいくらいだ。

徒歩通勤や自転車通勤に、実際に要する費用よりも多い通勤手当を出しても、交通機関を使うより安上がりで、社員が健康になり元気に働いてくれれば、社員も会社も両方トクをするということになる。・・・

というような議論もある一方で、現実の個別紛争の中には、

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2010/documents/0123_01-03.pdf

>6 非行

・10026(正?):バスの通勤定期ありながら自転車通勤、始末書出さず懲戒解雇(5.86 万円で解決)

>非行と言っても、そのかなりのものは交通費の不正受給などいささか卑小な非行である。とはいえ、いかに卑小であっても、交通費、ガソリン代等の不正取得が犯罪行為であることも確かである。ただ、たとえば10026 のケース(中国人労働者)では、労働者側は「仕事を最優先に考えて、出勤時間を守るため、特に雨の日、自転車通勤している」と主張しており、それがまさに不正受給に当たるという使用者側との文化摩擦が浮き彫りになっている興味深い事案である

なんてのもあったりします。

ソーシャルアジアフォーラムの由来

今週の木・金と、台北でソーシャルアジアフォーラムに出席することは本ブログで申し上げましたが、このフォーラムの由来について、初岡昌一郎さんご自身が書かれた文章をネット上に見つけました。ちょうど5年前に同じく台北で第11回のフォーラムが開かれたときに「メールマガジン オルタ」の22号に、「回想のライブラリー(4)」として書かれたものです。

http://www.alter-magazine.jp/backno/backno_22.htm#kaisou

まず、このときのフォーラムをめぐる経緯。

>>10月13日朝、関西空港を発って台北に向かった。同行者は社青同時代からの友人で全逓元副委員長の亀田弘昭さん。台北空港では、広島空港から着た井上定彦島根県立大教授(前連合総研副所長)や、東京から飛来した桑原靖夫前獨協大学長らと合流し、高雄大学講師で同時通訳者の王珠恵さんの出迎えを受け、その案内で明日からのフォーラムの会場である公務員研修センターに投宿。その夜から早速台湾の仲間の歓待を受けた。
  王さんは兵庫県立大環境人間学部で吉田勝次教授の指導のもとで博士号を目指して今春より勉強中で、これからも年数回のペースで姫路に来ることになっている。

  第11回ソーシャル・アジア・フォーラムの会場は、台湾大学(旧台湾帝国大学)を中心とする文教地区に位置している公務員研修センターにおいて開催された。そのテーマは「東アジアにおける労働市場と労働組合の役割」であった。台湾、韓国および日本からの約40人の研究者と組合関係者がこの会議に参加し、8本の報告をめぐって意見を交換した。
  今回のフォーラムには残念ながら中国からの参加がなかった。7名の参加者が北京から予定されていたが、とうとう政府からの出国許可が下りなかった。
4年前の前回は若干の困難はあったが5名の参加者が台湾に来ていただけに今回の措置には失望した。参加予定者は中国労働関係学院の若手教員・研究者で、今回もこれまで同様実証的かつ現状をかなり批判的に検討する好論文を報告として提出していただけに惜しまれた。近年のフォーラムを通じて、中国を含め東アジアの労働関係者、特に研究者の間において共通の問題意識と連帯感が育ってきている。会議では、中国からの報告のひとつはその筆者の希望によって台湾の友人によって紹介された。もう一つは日本からの参加者である山中正和(元日教組副委員長)によって代読された。

  9月に訪中した時に、参加予定者の一人と会って話す機会があったが、その時すでに全員そろっての参加には悲観的な見方が示されていたが、報告者になっている若手だけでも行かせたいとのことで、一縷の望みを最後までつないでいた。
  このフォーラムは個人参加の建前で、参加者は国や団体を代表して参加するのでないことを出発点から明確にし、これまではなんとか、日中韓台の4地域からの参加を確保することができた。しかし、今回は中国と台湾との厳しい関係のためにこれが崩れた。2年前の上海フォーラムでも、中国は台湾文化大学陳継盛教授だけには入許可を出さなかった。それは陳先生がこのフォーラムの創始者のひとりで、台湾側のリーダーであるということよりも、陳水扁政権に「資政」という最高顧問格で参加していることが理由であるとみられていた。
今回もこの政治の壁が立ちはだかったものとみて間違いなかろう。中国は国民党系には柔軟に、独立をめざす民進党系には厳しく対処しているが、それをこのような民間の小会合にも適用するのはいささか狭量に映った

このときは中国が政治的理由で出席しなかったのですね。今は国民党政権になっているので、こういうことはないのでしょうが。

この次に、15年前にこのフォーラムが始まったいきさつが綴られています。

>このソーシャル・アジア・フォーラムは12年前に横浜で行われた小さな会合にそのルーツを持っている。この会議は新横浜駅からほど近いところにある生活クラブ生協会館で行われた。これには、当時このクラブ生協を基礎に立ち上げられたローカル・パーティー「神奈川ネットワーク運動」を推進していた横田克巳さんの肝いりがあった。この横田さんも旧社青同の仲間である。彼の著書『オルタナティブ市民宣言』(現代の理論社、1989年)は生活クラブ生協の歴史と理念を紹介するにとどまらず、新しい市民政治の方向を示したものとして、今も光芒を失っていない。

  長洲知事在職当時、その「地方からの国際化」と「民際化」という構想を受けて行われた、「アジア太平洋のローカル・ネットワーク」プロジェクトからソーシャル・アジア・フォーラムが生まれた。
  神奈川県に後援されたそのプロジェクトは、武者小路公秀前国連大学副学長をキャップに、国際問題研究協会の吉田勝次さんを事務局長にして3年間のスパンで実行された。私はその労働部会を担当し、その会合には日本の他に、韓国と台湾から参加があった。 
  1995年に第3回の会合を行ったが、このまま閉じてしまうのは惜しいということになり、このプロジェクトの最後の労働部会会議を第1回ソーシャル・アジア・フォーラムとすることを宣言し、第2回をソウルで次の年に開催することに意見の一致をみた。そして韓国西江大学朴栄基教授、台湾文化大学陳継盛教授、それに私が世話人としてあたることになった。

  この第1回フォーラム終了後に、東京御茶ノ水の総評会館で、お披露目の講演会を開催し、朴先生、陳先生と並んでILOアジア支局のカルメロ・ノリエルの3人が記念講演を行った。これは滝田実(元同盟会長、故人)主宰のアジア社会問題研究所と日本ILO協会の後援を受け、約100人の参加者があり、盛会であった。その3講演はその後アジア社研機関誌の『アジアと日本』に掲載された。
  その後すぐに、われわれが国内で自主的に行ってきた研究会をソーシャル・アジア研究会としてより組織的なものにし、月例研究会を発足させた。会員としては前島巌東海大教授、藤井紀代子ILO東京局長(後に横浜市助役)、鈴木宏昌早大教授、山田陽一連合国際政策局長、中嶋滋自治労国際局長(現ILO理事)、小島正剛国際金属労連(IMF)東アジア代表などプロジェクト当初からのオリジナル・メンバーの他に、ILO本部事務局にいた井上啓一流通経済大教授や中沢孝夫兵庫県立大教授など多くのメンバーが参加するようになった

このあとに書かれている韓国と台湾の方々の話がなかなか感動的です。

>ソーシャル・アジア・フォーラムがその後当初に予期しなかった発展を遂げたのにはいくつかの要因があげられる。その中でもここで指摘しておきたいのは、非常に良いパートナーに恵まれたことである。
  まず、韓国の代表世話人は朴栄基西江大教授であった。・・・朴先生は1960年代の中頃に韓国労働総同盟国際部長であった。・・・1987年の韓国における民主化宣言とその後の労働運動高揚期において、朴先生の仕事は多忙を極めるようになっていた。海外の新聞や雑誌において韓国労働問題に関する朴先生のコメントがしばしば引用されるのを目にしたものである。金大中政権が登場すると、政労使三者委員会の設置に尽力したほか、大統領直属の経済委員会にメンバーとしても入った。朴先生はその豊富な経験と高い見識に加えて、誠実でオープンな人柄から立場の異なる人々からも尊敬される存在であった。われわれのフォーラムに韓国の異なる運動系譜や学問的立場から参加があったのは先生の広い人脈のおかげであった。

>他方、台湾の代表世話人、陳継盛先生と知り合ったのは、ソーシャル・アジア・フォーラムを立ち上げる少し前の90年代前半のことであった。・・・陳先生が台湾で高い尊敬をかちとるようになり、有名となった契機は、1979年から80年にかけて発生した高雄事件(別名、美麗島事件)であった。この事件は台湾内外に衝撃を与え、その後の民主化闘争の出発点となった。この事件は民主化と台湾独立を主張する雑誌『美麗島』が発禁となり、その中心的メンバーが国家反逆罪に問われたことに端を発している。陳先生の法律事務所がこの弁護を引き受け、陳先生はその主任弁護士格であった。その陳事務所チームの最年少の弁護士こそ、後に大統領となった陳水扁であった。この事件の被告たちと弁護士団が中心となって後に民主進歩党を結成した。先生は民進党の結成に基礎的役割を果たしたものの、その表面には立っていない。しかし、民進党を支える陰のアドバイザーとして別格のドンとみられている。この党は台湾の民主化と経済発展、それに伴う社会的成熟の上昇気流に乗り、結成後僅か20年にして政権についた

台湾の民主化に中軸的な役割を果たした方が関わってこられているのですね。

このあとはさらに台湾の歴史に話が及びます。

>初めての台北でのフォーラムの時には、当時開館したばかりの「2・28事件」記念館を特別に案内してもらった。これは蒋介石の国民党軍隊が台湾進駐後間もなく行った台湾人にたいする非道な大虐殺の犠牲を追悼し、その遺品や歴史的史実を展示してこの事件を記念するものである。この事件は永い間タブーとして台湾ではふれられずにいたが、候孝賢監督が亡命中に製作した「非情城市」という映画によって日本と世界にドラマティックに紹介された。この作品はかってカンヌ映画祭でグランプリを受賞している。

  今回のフォーラム終了後に日帰りのバス旅行が陳先生によってアレンジされていたが、その圧巻は宜蘭市の慈林教育基金会訪問であった。陳先生は何も事前に説明せず、われわれはお茶博物館に行くと知らされていた。この博物館にも途中少時立ち寄ったのだが、すぐに昼食休憩の予定されていた太平洋岸の町宜蘭に向かった。そこに着くと慈林会館に案内された。まず一階の集会所で短い映画の上映があり、それによって高雄事件の中での最大の悲劇、林義雄家族虐殺事件について、その詳細を知った。当時県会議員であった林義雄は高雄事件の首謀者の一人として拘留されたが、厳しい取調べと過酷な拷問にもかかわらず黙秘を通していた。それに対する圧力と報復として、彼の母と双子の娘(当時、3歳)が深夜に進入した暴漢によって虐殺されたのであった。

  この事件は1980年2月28日におきたので、第二の2・28事件と呼んでもよかろう。慈林会館はその記念のため有志の手による国民的カンパで建設されたものである。この事件についての記録映画を淡々と解説してくれたのが、林義雄その人であった。日本と韓国の参加者はこの事件をあまり知っておらず、ショックのあまり声もなかった。
  お弁当による簡単な昼食の後、質問に応えた林義雄は心境を静かに語った。印象的だったのは、恨みをはらすよりも、民族の大儀のために「慈林」を建設して民主化の歴史を忘れないようにするこの記念館を作り、若い人々の教育活動の拠点としているとの言葉だった

  その言葉を引き継いで陳先生が立ち、「林さんの心境を今日はじめて聞いた。実はそれを聞くのが恐ろしくて今まで避けてきた」と話し始めた。この事件につづく国民的な抗議と事件にたいする幅広い同情にあわてた警察が、突然林義雄の釈放を決定した。しかし、担当弁護士としてそれを迎える陳先生は、この事件をまったく知らない林義雄にどう説明するかについて悩みぬいた。それは林の反応を非常に懸念し、心配したからである。事務所の前で、警察によって送られて来た林義雄をそのまま車に押し込み、別の場所にまず移し、情報から隔離した。それからまずお母さんがなくなったことだけを簡単に告げ、しばらくしてから徐々に全容を知らせたとのことであった

  それと同時に陳先生は彼の国外脱出を手配し、アメリカのハーバード大とイギリスのケンブリッジ大に合計2年余り留学させるという緊急避難的措置によって、林さんを台湾の現実から切り離したのであった。重傷を負いながら奇跡的に生き残った長女は、ピアニストとして活躍中で、現在は母親(林義雄夫人)と共にアメリカ在住だという。
  陳先生がさらにバスの中で、「大統領選直前まで民進党党首は林義雄であったし、彼の方がはるかに大統領としての資質が優れていた。しかし選挙戦を有利にするために若い陳水扁を候補とすることになった。林義雄は兄のように陳の当選のために働いた」と私に語ったのが忘れられない

  この事件とその背景については、先述の吉田勝次兵庫県立大教授の最新著『自由の苦い味 ? 台湾民主主義と市民のイニシアティブ』(日本評論社、2005年3月)を読んでいただきたい。吉田さんは近年台湾に何度も足を運び、現地での広汎な聴き取りや資料の発掘を通じて精力的に台湾政治を研究してきた。彼のこれまでの著作は理論的な作業に重点がおかれ、研究者としては優れていてもその著書は必ずしも読みやすいものではなかった。しかし、この本は系統的に台湾における民主政治の進展をフォローして具体的な事実関係を整理し、手際よく紹介した好著である。この一冊で台湾の現代史と現在の政治的構造を鳥瞰的に把握することができる。巻末に収録されている李登輝と朴遠哲(ノーベル賞受賞者で、民進党政権の立役者の一人)と吉田さんが行ったインタビューが圧巻である。優秀な編集者として私が一目も二目も置いている日本評論社の黒田敏正の助言と編集がこの新著にはよく生かされているとみえる

東アジア諸国の現代史は重いものがあります。

2010年11月 6日 (土)

木村大樹氏の専門26業務適正化プラン批判

労働調査会のコラム「労働ア・ラ・カルト」で、国際産業労働調査研究センター代表の木村大樹氏が、専門26業務適正化プランを激しく批判しています。

http://www.chosakai.co.jp/alacarte/a10-10-4.html(長妻ショックはリーマンショックよりも雇用に大きな衝撃を与えた)

>この調査結果のうち特に問題としたいのは、「専門26 業務派遣適正化プラン」についてである。同プランは、2010年2月8日に突然発表されたもので、その発表文には、わざわざ「長妻昭厚生労働大臣の指示を受け」と記載されており、同日の衆議院予算委員会では当の長妻厚生労働大臣(当時)がこの手のことを実施すると答弁の中で宣言していた。

いわば長妻厚生労働大臣の肝いりの政策であり、長妻プランと呼んでもよいと思われる。

>2009年6月1日から2010年6月1日の1年間で、長妻プランでやり玉に上がった「事務用機器操作」では8万9千人、「ファイリング」では1万人それぞれ減少していて、これら2業務だけで約10万人の減少となっているのである。

特に「事務用機器操作」ではリーマンショックの影響が直接出た2008年6月1日から2009年6月1日の1年間の減少数が3万人であったことと比較しても大幅増となる。

>長妻プランによるショック、つまり長妻ショックは、事務機器操作という限られた分野ではあるが、リーマンショックよりも大きな衝撃を派遣労働者に与えた可能性が強いのである。

菅総理大臣は、民主党代表選挙で、1に雇用、2に雇用、3に雇用と主張していたが、長妻プランは現在も進行中なのだから、その内閣の足元で、雇用に少なからず負の影響を与える施策が進行していることをどのように考えているのか、一度お尋ねしたいものである。

もちろん、そもそも労働者がひどい目に遭っているような雇用機会は雇用があるからといって意義があるわけではないので、雇用の中身が大事なのですが、少なくとも、ここで木村氏が取り上げている5号、8号業務は、少なくともその大部分は(多くの直接雇用の非正規や中小企業の義務だけ正社員などに比べても)決して存在が許されないようなひどい代物ではなかった(からこそ今まで25年間ほとんど問題にされることもなかった)わけで、それが一片の通達の適正化プランでリーマンショックよりも大きな衝撃を受けているというのはなかなかシュールな世界ではあります。

と、いうだけだと木村氏に同意しているだけに見えるかも知れませんが、わたくしからすると、やはり、そもそもなぜこういう事態をもたらすような法制度になってしまっていたのか?という点にまで踏み込んで論じられるべきではないか、と感じざるを得ません。

法律を作る前から、専門業務などではない「事務処理」だと分かっていたものを、特別な専門業務だとごまかして通してしまったことのツケが25年後の今、吹き出しているのですから。

裸の王様を吹雪にさらして風邪を引かせた責任は、もちろんさらした人にもありますが、そもそも裸の王様を「素晴らしいお召し物を着ていらっしゃいます」と25年間褒め称えてきた人にもあるのではないか、と。

最低賃金の引き上げは雇用を減らすか?@DIO

Dio 連合総研の『DIO』11月号がアップされています。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio254.pdf

特集は、「最低賃金の論点」。論文は、

最低賃金制の今日的な役割と今後の課題    加藤 昇 …………………… 4
最低賃金と生活保護の整合性を再検討する   金井 郁 …………………… 8
最低賃金の引き上げは雇用を減らすか      四方 理人 ………………… 10

の3本です。

金井さんの論文は、最低賃金と生活保護というここ数年来の大きなトピックを取り上げていますが、

>しかし、この生活保護基準は、働いていない者を対象として決定されている。生活保護受給者が働いて収入を得ると最低生活費である生活保護基準を超えてしまうため、勤労収入は基本的には生活費として認められないが(収入認定されるという)、一部が控除され手元に残る。これを勤労控除と呼ぶが、この勤労控除は、働くことにより必要となる費用と位置づけられている。したがって、働くことを前提とした最低賃金との比較においては、勤労控除まで含めた生活保護基準が用いられるべきである2と考える。

と主張しています。

四方さんの論文は、経済学系の人から繰り返し語られる「最低賃金の引き上げは雇用を減らす」という批判に対する考察です。

ここで紹介されている四方さんのディスカッションペーパーでは、

>1990年から2005年までの『国勢調査』の都道府県別データから、神林らの分析と同様の方法で分析を行った1。その結果、川口・森の分析と同様に若年の男性においては最低賃金の上昇により雇用が減少する一方で、女性については逆に増加していることが観察された。これは、最低賃金が上昇することで男性は低賃金の雇用機会が減少する一方で、男性より平均賃金も就業率も低い水準である女性では、最低賃金が上昇することで新たに働きに出ようとする者が増え、雇用が増加するのではないかと考えることができる。

という分析がされているそうです。

結論としては、

>以上のように、最低賃金が上昇することで就業率が低下するかについては、国内外で多様な見解が示されており、今後の研究の進展が望まれる。また、貧困対策および低賃金対策としての最低賃金の引き上げをめぐる具体的な政策の現場においては、最低賃金の雇用への影響が性別や年齢によって異なることを念頭におき、高齢者、若年層、女性世帯主などの対象ごとにその有効性を検討することが必要ではないか。あわせて、他の税制および社会保障給付とセットでその相互作用を考えた上での政策が必要となろう2。

と述べています。

このあとには、10月27日の連合総研フォーラムで公表された経済情勢報告の要約が載っています。ちなみに、このフォーラムにはわたくしは行かなかったのですが、出席された方から、連合総研のフォーラムで労働基準法が企業の邪魔になっているなんて発言はいかがなものか、という感想(というか苦言)をお聞きしました。うーむ。

力士をめぐる労働法 by 水町勇一郎

本日の朝日新聞のスポーツ面に、水町勇一郎先生が登場しています。

ネット上には載っていませんが、「引退強制訴え相次ぐ 外国出身元力士、協会相手取り」という見出しの記事で、

>外国出身者による一連の訴訟では、力士と相撲協会との労働関係の問題点があぶり出された、との指摘もある。

東大の水町勇一郎教授(労働法)は、力士への給与が協会から支払われていることを理由に、「労働契約は協会と力士の間で結ばれている。親方は中間管理職のようなもので、力士の解雇権はない。協会のコンプライアンス(法令遵守)に疑問が残る」と語る。

各界の常識では、力士の進退は師匠が握るとされており、引退届に師匠の印鑑と署名があれば事実上、本人の意向にかかわらずに引退が決まる。・・・水町教授の指摘は、この「常識」を根底から覆す。

・・・選手が「個人事業主」として球団と契約するプロ野球と異なり、厚生年金に加入する大相撲力士の雇用形態はサラリーマンに近い。「解雇する場合は少なくとも30日前に予告する」との労働基準法20条の規定対象になるという。

水町教授は「昔ながらの家族的な部屋経営にも確かに良い部分はあるが、今は時代が違う。日本的な考え方になじまない外国人や、ジェネレーションギャップ(世代間格差)のある日本人が入ってきている現状を考えると、元大勇武、元大天肖らの類似例は増えていく可能性がある」と話している。

水町先生は、力士の労働者性はもはや前提として話されていますね。

この問題については、本ブログで折に触れ、何回も取り上げてきました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_c64e.html(力士の労働者性)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_fd03.html(時津風親方の労働者性)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_bbf0.html(幕下以下は労働者か?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-d31a.html(力士の解雇訴訟)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-b776.html(朝青龍と労働法)

『コモンズ』27号の拙著書評

ちょっと前になりますが、運動型新党革命21(準)の『コモンズ』という機関誌の27号に、わたくしの『新しい労働社会』の書評(のはじめの部分)が掲載されていたようです。

http://www.com21.jp/journal/027/027_06.html#02

>著者は大学の教授を経て、現職は独立行政法人「労働政策研究・研修機構 労使関係・労使コミュニケーション部門」統括研究員という肩書きです。
 著書は、派遣労働法の問題点、非正規労働者問題にふれ、現在の大手企業の労使関係の変化や行政指導、政府関係の諮問・審議委員会に期待し、「働くことが得になる社会」をめざして「雇用保障と生活保障」を述べ、「新たな労働者代表組織の構想」を展望しているようです。
 それは「現在の正社員組合が職場の過半数を占めているからといって、その過半数組合がそのまま職場の労働者代表になってしまったら、それに加入できない非正規労働者や中高年の管理職は、その利益を代表してもらえないまま、自分たちの関知しないところで行われた決定を押しつけられる」と集団的利益代表の構築を訴えています。また現状から「現在の過半数組合にも労使委員会にも、あるべき労働者代表としての資格は乏しい」として、大企業の企業内組合にそのことを期待しているのか、産業別発想はなく、その発想は企業内主義に見えます。

このあと、序章の紹介があり、「(つづく)」とありますので、おそらく次号以降に続くのだろうと思います。

書かれているのは、「管理職ユニオン・関西 仲村実」さんです。

2010年11月 5日 (金)

「怠ける権利」より「ふつうに働く権利」を

4284502018 『若者の現在 労働』(日本図書センター)は、いろんな方がいろんな論文を寄せていて、それなりに面白いものもあるのですが、

「若者の現在」 労働 (小谷敏/土井隆義/芳賀学/浅野智彦 編)

I 格差社会の現状
第1章 若者にとって働くことはいかなる意味をもっているのか ―「能力発揮」という呪縛― 本田由紀
第2章 階層社会のなかの若者たち ―もう一つのロスジェネ― 片瀬一男
第3章 高卒で働く若者をどのように支えていくか ―高卒就職の「自由化」をめぐって― 堀 有喜衣

II 再生産の文化的措置
第4章 「やりたいこと」の現在 久木元真吾
第5章 新しい「階級」文化への接続 ―「動物化」するわれわれは「社会」をつくっていけるのか?― 新谷周平
第6章 文化的措置としての学校 山田哲也
第7章 職場と居場所 ―居場所づくりの二類型― 阿部真大

III もっとスローな社会へ
第8章 貧乏人生活! 松本 哉
第9章 ニート・ひきこもりが教えてくれること 二神能基
第10章 「怠ける権利」の方へ 小谷 敏

ここでは最後の小谷さんの「怠ける権利の方へ」を取り上げます。

小谷さんは怠ける権利を称揚し、ベーシックインカムを称揚します。

そして、

>いまのこの国においては、「すること」の価値に根ざす「労働の文化(もしくは労働を賛美する文化)」が、「であること」の価値に根をもつ「反労働の文化」を圧倒している。・・・「反労働の文化」が存在しないために、この国の人々は自らの怠け者性を受け入れることができないでいる。・・・

と論じます。

ところが、その後で、小谷さん自身がまさにわたくしが論じたい論点を、みごとにくっきりと描き出しているのです。これは「怠け者万歳」「BI万歳」の小谷さんの言葉ですが、わたしには、まったく逆の論証になっているようにしか思えません。

>フリーターの若者たちは、「怠け者」として指弾を浴びた。しかし彼らは非正規雇用の不安定な身分に置かれていたとはいえ、仕事は立派にしている。「すること」の論理に立つならば、その点において彼らは擁護されるべきであろう。この国において職業を「すること」の領域として捉える思考習慣が根付いていれば、彼らを正規雇用の仕事に就けることは仮にできなくても、非正規雇用なりにその権利と尊厳を保障する方向に社会は動いたはずである。しかしこの国において職業は、「であること」の領域に属するものとして捉えられている。この国において大人になるということは、何らかのスキルを身につけて職業に就き、社会に貢献できる人間になることを意味しているのではない。どこかの会社や官庁の一員「であること」が大人の証明なのである。正社員になれない(ならない)フリーターたちが、いつまでも大人になれない人間として蔑まれ指弾されてきたのはこのためである。

>・・・大学生の就職活動は熾烈を極めることになる。ところが学生たちの大半は、会社に入ってから「すること」のスキルなど何も持っていない。結局、「コミュニケーション能力」の名の下に、自分の人間的な魅力(「であること」)を売り物にするしかない。

まったくその通りだと思います。ただ一つ分からないのは、なぜそこまで論じる小谷さんが、「すること」を称揚するのではなく、まったく逆に「であること」を称揚し、だからベーシックインカムだという方向に突っ走ってしまうのか?です。

正直、頭を抱えてしまいます。

(被評)

http://twitter.com/yamamasahiro/status/542031826919425

>濱口桂一郎の「へたれ文系インテリ」嫌いはみてておもろい。

ジョブ型医師労働市場における医局メンバーシップ

L17359 医療分野は、日本の中ではきわめて例外的に公的資格に基づくジョブ型労働市場が確立している世界ですが、その中における人的資源配分メカニズムが「医局」と呼ばれる半公式的労働者供給事業体によって担われてきたことは、ジョブとメンバーシップの現実社会における関係を考える上で興味深いものがあります。

わたくしは医療の世界には全然詳しくないのですが、猪飼周平さんの『病院の世紀の理論』(有斐閣)の最後の「第8章 医局制度の形成とその変容」が、この分野について詳しく解説していて、ためになります。

もちろん、猪飼さんの問題意識は日本の医療システムのあり方にあり、わたくしの関心はジョブ型労働市場を円滑に作動させるためには何が必要なのか?というところにあるのですが、医師という社会的に最もハイレベルに属する専門職業の人材配分が、事実上の支配関係に基づき各医療機関にローテーション的に供給されるというメカニズムを要請していたという点に、専門職型労働市場をどう構築するかという問題に対するヒントや落とし穴がいろいろ詰まっていそうです。

熊倉瑞恵『デンマークの社会的連帯とワークライフバランス』

全労済協会から、熊倉瑞恵さんの『デンマークの社会的連帯とワークライフバランス』が送られてきました。

前に、『全労済だより』に簡単な要約が載ったときに紹介しましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-a8aa.html(デンマークの社会的連帯)

その報告書です。

第2章でデンマーク社会の概要を述べ、第3章で「生活を支える多様な働き方」を紹介した上で、第4章では、「人生をマネージメントする力の育成」として、統合保育園、国民学校、学童保育園、余暇青少年クラブ、産業トレーニングセンターといった施設の実態を報告しています。

デンマークといえば「首斬り天国」としか思わない一部の評論家には、ぜひじっくりと読んでいただきたい報告書です。

最後の第5章から、「教育内での民主主義に基づく自立した個人の育成」を、

>デンマークの幼児教育では、早い段階から自ら考え、行動し、自分と相手を理解するよう努めることが求められる。これらは、社会力や自主性の育成という観点から行われ、こうした力を持つ自立した個人を育てることが重視されている。自立した個人は、将来的に義務と権利に基づいて社会へ積極的に参加する市民となり、社会の資本となると考えられている。したがって、自立した個人は福祉国家を維持するために重要な要素であり、人的資源への投資という点からも、教育分野への政策的優先順位が高くなる。

>子ども時代のさまざまな体験や交流から、自分の居場所を社会の中に見つけることにより、自分も社会の一員であるという意識が生まれ、積極的に社会へ貢献しようとする意欲につながる。従って、子どもに居場所を提供することが非常に重要であり、保育施設はこれに大きく貢献している。・・・

2010年11月 4日 (木)

一家に一冊、問題を自前で本気に考えるなら・・・

また、久しぶりにブログ上での拙著書評です。

foxydogさんの「メディア日記<龍の尾亭>」から。

http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980252(濱口桂一郎『新しい労働社会ー雇用システムの再構築へ』岩波新書を読んで)

>この本を読むと、一見全体を見通したかにみえる池田信夫の論もまた、「経済学」の側からの各論にすぎなかったのか、と感じるところがあります。

日本型の雇用システムが限界にきている、という問題意識は今日の3冊いずれにも共通。

この本の特徴は、筆者が制度設計という社会のシステムそのものと向き合ってきたことからくるリアリティです。
社会システムの設計とそれをささえる法律・制度にまで踏み込んで、私たちは真剣に考え、議論していかなければならない時代になってしまったんですね。

つくづくそう思います。

制度設計の話は、分かりやすくないけれど、すごく大切

お伝えしたかったポイントを、見事に捉えていただいています。

>読み物として面白いのは断然『希望を捨てる勇気』なんですけどね。

わかりやすいのは本田の『主婦パート 最大の非正規雇用』。

でも、一家に一冊、問題を自前で本気に考えるなら、本日の3冊の中ではこの『新しい労働社会ー雇用システムの再構築へ』かな。

お勧めです。

ありがとうございます。

労働組合は町内会か?

先日の

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-10e2.html(労働組合は誓約集団か?)

に、労務屋さんと「今日も歩く」黒川さんが反応していただいています。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101102#p1(ユニオンショップの功罪)

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2010/11/post-f642.html(労働組合は町内会か誓約集団か)

黒川さんの「町内会」というメタファーはなかなか面白く、いろんなことを考えさせます。

とりわけ、正社員しか組合に入れず、非正規労働者は排除している姿は、いってみれば、同じご町内に住んでいながら、お前らは身分が違うから、といって町内会に入れてやらないようなものだということになりましょう。

一方で、「俺は町内会なんかに入りたくないのに、勝手に入れられた、けしからん」という騒ぎも日本国内にはあったりするわけで、どこまでプライベートな結社でどこまでパブリックな機関なのかという問題では共通の面もあるのかも知れません。

なんで戦後日本では労働組合を誓約集団と考える考え方が結構根強いのかというと、かつてカミ様を奉じる一派とホトケ様を奉じる一派が対立し、第一町内会と第二町内会に分裂してご町内戦争を繰り広げたりしたことが尾を引いているんじゃないかという面もあったりするので、話は複雑なのですが。

ガラパゴス 言うてるあんたが ガラパゴス

下の『改革者』11月号には、駒村康平先生の「まずは与野党協議から 混迷する年金改革の進め方」という文章も載っています。

その中に、年金問題以外にも応用可能なこういう一節がありましたので、引用。

>日本の年金改革を見ると、基礎年金の全額税方式化や厚生年金の完全民営化など、およそ他の先進国では議論にならないような実現性のない議論が横行している。世界の潮流から完全に取り残され、年金改革議論が「ガラパゴス化」している

これは、年金に限らず、労働・社会保障問題全般に言えますね。先日の

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-ef05.html(池田信夫氏に全面賛成ならば、派遣業を擁護できない)

もその例です。

しかも、そういう井の中のガラパゴス連中に限って、自分は世界の潮流をわきまえていると勘違いして、人をガラパゴス呼ばわりする、という悪しき傾向にあります。

世界の潮流がどういうものであるのかは、たとえばOECDの報告書をきちんと読めば、まともな知的能力があれば誰でも理解可能なもののはずですが、こういう特殊日本的ガラパゴス諸君は、乏しい英語能力で読みかじったごく一部だけを振りかざして、「OECDも首斬り自由にせよと言うてる」とかわめきたてて、不勉強なマスコミ諸氏がそれに飛びつくものだからやってられない。

2010年11月 3日 (水)

職務を定めた無期雇用契約を― 「ジョブ型正社員制度」が二極化防ぐ

10hyoushi11gatsu 政策研究フォーラム発行の『改革者』11月号に、「職務を定めた無期雇用契約を― 「ジョブ型正社員制度」が二極化防ぐ」という文章を寄稿しました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kaikakusha1011.html

わたくしの文章以外にどんなものが載っているかは

http://www.seiken-forum.jp/publish/kaikaku1011.html

をご覧下さい。

なお、政策研究フォーラムとは、

http://www.seiken-forum.jp/forumgaiyo/top.html

>自由・公正・連帯の理念に基づき、思想・理論・政策を研究し、改革の提言することを目的として設立された団体

です。

ソーシャルアジアフォーラム@台北

来週、11月11.12日の両日、台湾の台北で、第15回ソーシャルアジアフォーラムが開かれます。

このフォーラムは、全逓、PTTIで活躍された初岡昌一郎さんが中心になって、日本、韓国、中国、台湾の4カ国(地域)の労働関係者が集まって、その時々の状況を報告し、討議するという会議ですが、今回の会議には、わたくしも参加して報告することになりました。

韓国、中国、台湾の参加者の報告の翻訳が届き、ざっと目を通したところです。中国のは、去る6月に中国人民大学で行われた日中労働政策セミナーでも議論になった労使紛争と法制の問題で、大変興味深いのですが、今回関心を引かれたのは台湾の報告です。

台湾では民進党政権時代からの懸案であった工会法改正案が今年6月にようやく成立し、来年から施行されるようなのですが、現行法(国民党政権が大陸にあった1929年に成立)の強制加入規定を、「未加入労働者の加入意思は個人に委ねるべきである」と改正しようとしたところ、工会側が「立法院の外で集団抗議とボイコットを数回繰り返し」、最終的に「前条第1項の1によって組織された企業工会であれば、労働者は組合に加入すべきである」という規定に改められた、ということです。

このあたりの経緯は詳しく知りたいところですし、そもそもその背景事情など興味を惹かれる点はいっぱいあります。東アジアの比較労働法制という観点からも、時間があればこのあたりは突っ込んで勉強してみたいですね。

2010年11月 2日 (火)

OECD『格差は拡大しているか』『図表でみる国民経済計算 マクロ経済と社会進歩の国際比較』

75816 明石書店から出版されているOECD報告書のシリーズ、今回は『格差は拡大しているか』です。原題は“Growing Unequal?”小島克久・金子能宏両氏の訳です。

>格差・貧困・不平等の拡大は事実なのか? 過去20年にわたる国際比較可能なデータをもとに、所得分布、貧困の継続、物質的剥奪、世代間の移動、資産の継承・移転、公的な現物給付などの側面から格差拡大の傾向と貧困の実態を多角的に分析する

目次は

序章

第1部 格差の主な特徴

第1章 OECD加盟国の世帯所得の格差:その主な特徴は?
 はじめに
 各国の世帯所得の格差を比較するとどのようになるのか?
 世帯所得の格差は拡大したか?
 所得格差の指標以外のものを用いる:所得十分位別の所得水準
 結論
 付録1.A1 所得格差に関するOECDデータ:主な特徴
 付録1.A2 参考図表


第2部 格差をもたらす主な要因

第2章 人口構造と世帯構造の変化:これらは世帯所得の格差を拡大させているのか?
 はじめに
 人口構造の各国比較
 所得階層別の人口学的な特徴の違い
 人口構造が所得格差の指標に与える影響
 社会集団別にみた相対所得の変化
 結論
 付録2.A1 主なOECD加盟国の人口構造

第3章 賃金と所得の格差:相互関係を理解する
 はじめに
 フルタイム労働者の個人の賃金分布の主な傾向
 全労働者での賃金格差:非正規労働者の重要性
 個人の稼得所得から世帯所得へ:どの要素が所得格差に影響しているのか?
 世帯の稼得所得から市場所得へ
 結論

第4章 政府はどの程度の再分配を達成するのか?:世帯に対する現金給付と税制の役割
 はじめに
 世帯所得による分析の枠組み
 対象と累進性:社会政策と税制はどのように所得分布に影響するか?
 公的な現金給付と世帯の税の水準と特性
 政府からの現金給付と世帯の税負担でどの程度の再配分が達成されるか?
 低所得層に向けた再分配:再分配の規模と対象を限定することの相互作用
 福祉国家の成果の測定指標の改善
 結論


第3部 貧困の特徴

第5章 OECD加盟国における貧困:ある時点の所得に基づく評価
 はじめに
 所得でみた貧困の水準と動向
 人口を構成する社会集団別にみた貧困のリスク
 世帯の税負担と公的な現金給付が所得でみた貧困の減少に果たしている役割
 1990年代半ばからの貧困率の変化の要因
 結論
 付録5.A1 この分析で用いられた貧困線
 付録5.A2 主な貧困指標の他の推計結果

第6章 所得でみた貧困は長期間継続するか?:パネルデータから分かること
 はじめに
 パネルデータと貧困の変動に関する指標
 一時的および継続性の貧困の区別
 継続性の貧困の構造
 貧困に陥ることと貧困からの離脱
 貧困に陥る端緒となる出来事
 所得階層の移動性と貧困の継続
 結論

第7章 所得では捉えられない貧困の側面:物質的剥奪の指標から何が学べるか?
 はじめに
 貧困の測定への1つのアプローチとしての物質的剥奪
 比較研究からみた物質的剥奪の特性
 結論
 付録7.A1 複数の剥奪の合成指標に基づく、所得では捉えられない貧困の発生状況


第4部 格差のその他の側面

第8章 世代間の移動性:所得格差を小さくするのかそれとも大きくするのか?
 はじめに
 不利が世代間を通じて伝わること:分析結果の概観
 不利が世代を超えて伝わること:それは政策にとって重要であるか?
 結論

第9章 公的な現物給付:これが世帯の経済格差をどのように変えるのか?
 はじめに
 これまでの研究で明らかにされていること
 新しい実証分析の結果
 結論

第10章資産は世帯の間でどのように分布しているか?:ルクセンブルク資産研究から
 分かること
 はじめに
 世帯の資産と社会政策
 ルクセンブルク資産研究の基本的な指標と分析方法
 世帯の資産格差の基礎的な状況
 所得と資産からみた格差
 結論
 付録10.A1 ルクセンブルク資産研究の特徴


第5部 結論

第11章経済力の分布における不平等:それはどのように変化するのか、その是正のために政府は何ができるのか
 はじめに
 OECD加盟国での世帯所得の格差に関する主な特徴は何か?
 世帯所得の格差を変化させているのはどのような要因なのか?
 私たちは、現金所得をみるだけで経済格差を評価できるか?
 貧困と格差を減少させることを目的とする政策にとって、どのような示唆があるか?
 結論


 訳者あとがき

75817 もう一冊、『図表でみる国民経済計算 マクロ経済と社会進歩の国際比較』

>国の経済の状況を国際的に比較・評価するデータ集。国内総生産(GDP)、所得、支出、生産、一般政府、資本(金融資産と非金融資産)のテーマ別に構成された24の指標を収録。各指標の概念的基礎、定義、比較可能性を国際比較可能な図表を用いて解説する

まえがき
 読者の手引き

第1章 国内総生産(GDP)
 指標1 GDPの規模
 指標2 GDP成長率
 指標3 1人当たりのGDP

第2章 所得
 指標4 国民所得
 指標5 可処分所得
 指標6 所得の実質値
 指標7 貯蓄
 指標8 家計貯蓄率
 指標9 純貸付/純借入

第3章 支出
 指標10 家計消費
 指標11 一般政府最終消費
 指標12 投資
 指標13 財・サービスの輸出と輸入

第4章 生産
 指標14 付加価値
 指標15 雇用者報酬

第5章 一般政府
 指標16 支出総額
 指標17 税
 指標18 社会負担
 指標19 社会給付
 指標20 金融資産と負債

第6章 資本:金融資産と非金融資産
 指標21 純資本ストック
 指標22 固定資本減耗
 指標23 家計が保有する非金融資産
 指標24 家計が保有する金融資産
 附録A 参考統計
 附録B 2008年版国民経済計算体系(2008SNA)――1993SNAからの変更点
 附録C:主要用語集


 表1.1 国内総生産(GDP)、名目購買力平価(PPP)
 表2.1 国内総生産(GDP)、実質
 表3.1 1人当たりの国内総生産(GDP)、OECD=100
 表4.1 1人当たりの国民純所得(NNI)、OECD=100
 表5.1 1人当たりの家計調整済総可処分所得
 表6.1 国民純所得(NNI)指数、実質
 表7.1 純貯蓄率
 表8.1 家計純貯蓄率
 表9.1 制度的部門別の純貸付/純借入
 表10.1 家計最終消費と現実個別消費
 表10.2 家計最終消費、実質
 表10.3 最終需要項目別の国内総生産(GDP)成長への貢献度
 表11.1 一般政府最終消費支出
 表12.1 総固定資本形成(GFCF)、実質
 表12.2 資産別の総固定資本形成(GFCF)
 表12.3 制度的部門別の総固定資本形成(GFCF)
 表13.1 財・サービスの輸出、実質
 表13.2 財・サービスの輸入、実質
 表13.3 交易条件
 表14.1 基準価格表示の総付加価値、実質
 表14.2 生産活動別の総付加価値
 表14.3 生産活動別の総付加価値への貢献度
 表15.1 雇用者報酬
 表16.1 一般政府総支出
 表17.1 国民経済計算(SNA)における税
 表18.1 政府に支払う社会保険料
 表19.1 家計への社会給付
 表20.1 一般政府の金融資産と負債
 表21.1 純資本ストック、実質
 表22.1 固定資本減耗
 表23.1 1人当たりの家計が保有する非金融資産
 表24.1 資産の種類別の家計が保有する金融資産
 表A.1 国内総生産(GDP)、2000年実質購買力平価(PPP)
 表A.2 1人当たりの国内総生産(GDP)、名目購買力平価(PPP)
 表A.3 1人当たりの国内総生産(GDP)、2000年実質購買力平価(PPP)
 表A.4 現実個別消費、名目購買力平価(PPP)
 表A.5 現実個別消費、2000年実質購買力平価(PPP)
 表A.6 人口
 表A.7 国内総生産(GDP)に対する購買力平価(PPP)
 表A.8 為替レート


 図1.1 国内総生産(GDP):名目為替レートと名目購買力平価(PPP)
 図2.1 国内総生産(GDP)、実質
 図3.1 1人当たりの国内総生産(GDP)、OECD=100
 図4.1 1人当たりの国民純所得(NNI)、OECD=100
 図5.1 部門別可処分所得、総および総調整済
 図6.1 国民純所得(NNI)、実質
 図7.1 純貯蓄率
 図8.1 家計純貯蓄率
 図9.1 制度的部門別の純貸付/純借入
 図10.1 家計最終消費と現実個別消費
 図10.2 1人当たりの家計最終消費と現実個別消費、OECD=100
 図10.3 最終需要項目別の国内総生産(GDP)成長への貢献度
 図11.1 一般政府最終消費支出
 図12.1 総固定資本形成(GFCF)、実質
 図12.2 情報通信技術(ICT)への投資
 図12.3 制度的部門別の総固定資本形成(GFCF)
 図13.1 財・サービスの輸出、実質
 図13.2 財・サービスの輸入、実質
 図13.3 交易条件
 図14.1 基準価格表示の総付加価値
 図14.2 生産活動別の総付加価値
 図14.3 生産活動別の総付加価値への貢献度
 図15.1 生産活動別の雇用者報酬
 図16.1 主要項目別一般政府総支出
 図17.1 一般政府歳入総額
 図18.1 政府に支払う社会保険料
 図19.1 家計への社会給付
 図20.1 一般政府の正味金融資産
 図21.1 純資本ストック、実質
 図22.1 固定資本減耗
 図24.1 1人当たりの家計が保有する金融資産

3年使い切り型ブラック企業@週刊プレイボーイ

Thumb1 『週刊プレイボーイ』が「3年使い切り型ブラック企業が勝ち組新卒社員を襲う!!」という巻頭特集を組んでいます。

坂倉さんのついったで見て、早速買いに行きましたが、

http://twitter.com/magazine_posse/status/29359336053

つか、週刊プレイボーイなんて、高校生以来だな。

>厳しい就職活動を経てようやく会社に入ったのに、長続きしないのはなぜか?

入社3年以内で30%を超える新卒社員の高い離職率について語られるとき、いつも最初に挙げられるのが、「学生の職業観・勤労観が甘いから」という理由だ。でも、ちょっと待て!

未曾有の就職難という弱みにつけ込み、クソみたいな労働環境で限界まで追い込む企業側にも責任はあるんじゃないかのか!?

今こそ怒りの声を上げろ!! 

というわけで、POSSEの佐野駿介氏や、川村遼平氏が登場して、さまざまな事例を語っています。

2010年11月 1日 (月)

労働組合は誓約集団か?

かつて、連合総研の研究会で大内伸哉先生の話を聴いて感じたことを再び感じました。

http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-8f14.html(壁を壊す)

>労働組合というのは,藤田若雄先生の言葉でいう誓約集団としての労働組合でなければやっていけないのです。日本型の労働組合の代表性の危機が顕在化してきた今日,労働組合の存在意義を組合員自身がもう一度考えてみる必要があります。

大内先生によっては、労働組合は何よりも自立した個人による誓約集団なのですね。

荒野に呼ばわる預言者のごとく、「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることは辞さないが、力尽くさずして退くことは拒否する」その姿は、我ら世俗の民にはあまりにも神々しく、とても真似はできないな、と思ってしまいます。

「孤立を恐れて連帯に踏み出せず、誰かが旗を掲げてくれればその下に馳せ参じることは辞さないが、自分が先頭に立って立ち向かうことは怖いからやだな」という、向こう三軒両隣にちらちらするフツーの労働者にとって、労働組合は誓約集団でなければならない、というキリスト者藤田若雄の精神は敷居が高すぎるのではないでしょうか。

わたしは、そういう自分と同じようにどうしようもなく心の弱い人々こそが、労働組合によって守られなければならない、と思うがゆえに、大内先生はじめ心の強い人々が批判するユニオンショップが数少ない救いの糸になるのだと思うのです。

松尾匡『図解雑学マルクス経済学』

Zukaicover_2 松尾匡さんより、近著『図解雑学マルクス経済学』(ナツメ社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

標題からすると、いかにもマルクス経済学のよく分かる解説書みたいですが、いやいや、これこそ著者自らによる『よく分かる松尾匡思想』以外の何ものでもありますまい。

松尾さんの考え方については、大変共感するところと、いささか疑問のあるところと、かなり根本的に意見が違うところがあるのではないかと思っておりまして、せっかくお送りいただいたので、じっくり読ませていただいた上で、徐々にコメントをしていきたいと存じます。

ただ、ざっと見て一言だけ。今回の本では「社会的なこと」という新たな言葉が出てきて、これがヒール役になっているのですね。

中身は、『近代の復権』でいう疎外された姿であり、『はだかの王様』でいう思い込みのことだと思うのですが、それを「ザ・ソーシャル」と言われてしまっては、話が逆転してしまいませんか?と思うのですが。

おそらく「わかりやすく」ということから「社会的なこと」という言葉遣いになったのだろうとは思うのですが。

地方公務員と労働法

総務省自治行政局公務員課が編集している『地方公務員月報』の10月号に、「地方公務員と労働法」という文章を寄稿しました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/chihoukoumuin.html

その冒頭のところをここに引用しておきます。

>本誌からの原稿依頼の標題は「地方公務員法制へ影響を与えた民間労働法制の展開」であった。この標題には、地方公務員法制と民間労働法制は別ものであるという考え方が明確に顕れている。行政法の一環としての地方公務員法制と民間労働者に適用される労働法とがまったく独立に存在した上で、後者が前者になにがしかの影響を与えてきた、という考え方である。しかしながら、労働法はそのような公法私法二元論に立っていない。労働法は民間労働者のためだけの法律ではない。民間労働法制などというものは存在しない。地方公務員は労働法の外側にいるわけではない。法律の明文でわざわざ適用除外しない限り、普通の労働法がそのまま適用されるのがデフォルトルールである

1 労働基準法の大原則

 ところが、地方行政に関わる人々自身が、地方公務員ははじめから労働法の外側にいるかのような誤った認識の中にあるのではないかと思われる事案があった。・・・・・・

この雑誌は、全国の地方自治体の人事担当部局で必読雑誌として熱心に読まれているはずですので、こういう認識がきちんと定着することを願ってあえて厳しめの表現をしておりますが、その意のあるところをお酌み取りいただければと思います。

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »