だからそれが「密接な無関係」
POSSEの坂倉さんが、ベーカムがらみでつぶやいていたので、
http://twitter.com/magazine_posse/status/27787611747
>ベーシックインカム・実現を探る会の白崎一裕代表の『POSSE』8号萱野論文評。「教育と所得(入試・就職)が密接に結びついているというのはすでに詐欺状態なのだ。」教育と就職がまともに結びついていないのが問題なのでは?職業教育も反対なのか…。
そのリンク先を読んでみましたら、
http://bijp.net/mailnews/article/219
なるほど、そういうことか、と分かりました。
>2000年代以降、就職活動において大学生や高校生は「正社員になる」ために、面接の際に「自分の過去の経験をふまえ淀みなく一貫性をもって将来の『やりたいこと』を」求められた。「現在の就活では、個性的で交換不可能な『自分』を語ることによって初めて労働力商品として交換の対象となるという矛盾を乗り越えなければ」ならない。そして「正社員になるために一方では『やりたいことを探せ』と言われ、一方では『やりたいことをあきらめろ』と言われるダブルスタンダードが、今の若者をとりまいているのです。」
このダブルスタンダードこそ、子どもたち・生徒たちが大人の欺瞞として受け取る最たるものだということだ。私は、私塾で、多くの子どもたちと付き合ってきたのでそれが痛いほどよくわかる。学校で、彼らは何と言われるか?「夢をもて、君たちは無限の可能性がある」と言われ続け、それが入試や就職が近くなると「現実をみろ!夢ばかり追うな、分相応になれ」と、まさに矛盾・ダブルスタンダードの言葉を浴びせられる。これこそ賃労働の抑圧性と言わずして何といおうか。さらに、現在ではダブルスタンダードの「教育」の果てには、失業かまともに働く場所もないーーという状況である。教育と所得(入試・就職)が密接に結びついているというのはすでに詐欺状態なのだ。ここにいたっては、労働と所得の分離、そして、教育と所得の分離がBIによってなされるべきである。
だから、白崎さんが、そしてそこで引用されている橋口さんが怒っているのは、職業的レリバンスのある教育、中身で職業と密接につながっている教育ではなくて(そんなものは受けさせてもらえなかった)、中身は全然職業と関係ないくせに、その態度が、その人間性が、その夢が、その現実認識が、そういう職業の中身とは直接関係のないあれやこれやが、やたらに職業と密接につなげられた、そういう教育のことを指しているわけです。
それを、わたくしは端的に「教育と職業の密接な無関係」と呼んだわけですが、少なくともこの白崎さんは、この特殊な「密接な無関係」を本来の「密接な関係」であると認識して(現代日本社会に生きていると、とりわけ文科系大卒者などという一番レリバンスのない世界を生きてきているとやむを得ない面はありますが)、そんな「密接な関係」はヤダ!と叫んでいるのでしょう。
その叫びは、叫びとしてはきちんと受け止める必要性があります。ただし、あくまでも「叫び」としてです。
「叫び」を超えて、反省的意識における何らかの社会的発言として評価するならば、それはやはり「叫びでしかない」としか言えないでしょう。
なぜなら、そこには、自分の受けてきたのとは異なる、「密接な無関係」ではない本当の「密接な関係」があり得るという認識は見られないからです。
叫びに基づくBI論は、叫びのレベルとしては向き合われるべきです。
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