フォト
2023年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        
無料ブログはココログ

« 労働者性のいいとこ取りは許されるべきか? | トップページ | オランダも反イスラム政権へ »

2010年10月 2日 (土)

『生活経済政策』10月号の座談会

Img_month 生活経済政策研究所の『生活経済政策』10月号が送られてきました。今号は大部分がわたくしも参加した座談会で占められています。

駒村康平先生、神野直彦先生、間宮陽介先生にわたくしの4人で、「好循環社会がめざすもの-新成長戦略と「民主党らしさ」」というテーマでお話しした記録です。

わたくしの発言部分だけを以下に摘録いたしますが、話のつながりが分からんとお思いの方は、是非もとの雑誌の方をお読みいただければと思います。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seikatsuzadankai.html

座談会 好循環社会のゆくえ――新成長戦略と民主党のアイロニー(仮題)
 
駒村康平(慶應義塾大学教授・司会)
神野直彦(東京大学名誉教授・生活研顧問)
間宮陽介(京都大学大学院教授)
濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構統括研究員)〈発言順・敬称略〉

 
 
 濱口 それとからむのが「現状認識」とは何かという問題だと思います。雑誌『世界』での座談会でも申し上げたのですが、歴史の転換期には「前の時代は真っ暗で、新しい時代は明るい」と言いたがるし、「社会はすべて変わった」と言いたがるものです。でも、幕末政府にいた勝海舟や川路聖謨のように、その「真っ暗」とされた時代にも非常に開明的ですぐれた人がいて、次の時代を先取りする政策も打たれていた。逆に明治政府にも訳の分かっていない人間もいて、変なことも結構やっている。
 それが歴史の転換期の実態だとすれば、民主党政権にも同じことが言えると思います。間宮先生が指摘されたように、民主党の新成長戦略は確かに自公政権末期の与謝野さんの下で進められた政策とよく似ています。でも、これはある意味、当たり前のことです。なぜなら、少なくとも雇用・人材の分野について言えば、それがまさに正しい方向であったからです。いままでの政策では限界があり、北欧ないし、少なくともEUのアクティベーション、インクルージョン型の新しい雇用社会政策を受け入れ、新しい方向を目指さなくてはならない段階にあるからです。そこには宮本太郎先生なども入って、新しい政策の方向性に取り組んでいました。その方向性を目指す政策が失敗したから、政権交代が起きたのではありません。いろいろな過去の積み重ねから自公政権が終わり、民主党政権へと移ったのです。その意味からすると、新成長戦略が自公政権の末期のものとよく似ているのは不思議ではありません。むしろ、本来あるべき姿というべきです。 同時に新政権だから、皆が正しい方向を向いているわけでもありません。間宮先生もおっしゃった「民主党らしさ」とは何かという話です。民主党内部には、先ほど言った北欧のアクティベーションやインクルージョンの方向性こそが「民主党らしさ」だと思っている方々だけでなく、新自由主義的な改革、つまり小泉よりも小泉的な政策こそに「民主党らしさ」があると思っている方々もたくさんいます。私には、民主党政権はその「2つの魂」のせめぎ合いの中で動いているように見えます。
 ところが、民主党が打ち出す政策の方向性が大きく見て「2つの魂」のどちらに引っ張られているのかについては議論されず、話題になるのはもっぱら親小沢か、反小沢かという話ばかり。私自身は新成長戦略を高く評価していますが、改めて、この大きな政策の方向性の根底にあるものは何かをもう少し明確化することが議論をわかりやすくする第一歩ではないかと思っています。
 
 濱口 私の関心領域である雇用・人材に関する政策について言えば、大きな流れで見ると、自公政権末期で与謝野構想が打ち出された時点で小泉政権下での雇用・人材に関する政策の方向性を大きく変えており、その方向転換の流れを民主党は大きく受け継いだ。その意味で鳩山政権・菅政権は一貫している。ただ、鳩山政権ではこの政策分野はあまり重要視されていなかったのに対し、菅政権はどちらかというと、ここをより基軸として打ち出した。その違いはあると思います。
 
 濱口 「2つの魂」を言い換えれば、菅総理所信表明演説にあった「第2の道」と「第3の道」の違いです。その所信表明演説の言葉に沿って「第1の道」「第2の道」「第3の道」について説明するならば、こういうことです。
 「第1の道」は旧来の自民党が建設業をはじめとするさまざまな業界にお金を流し、それで全体を底上げする形での公共事業中心の経済政策。これに対する民主党のスローガンが例の「コンクリートから人へ」です。90年代以降、この「第1の道」がうまく行かなくなったので、基本的に市場メカニズムに委ねてやっていく「第2の道」が志向される。その時の基本的なイメージは、古い自民党政権のやり方によってあちこちに無駄がたくさんある、だからその無駄を切らなければならないというものでした。これが、おそらく小泉政権に熱狂した国民の感覚だったと思うのです。
 その頃の民主党が、小泉改革ではまだ足りない、もっと急進的に構造改革すべきだと主張していたことは記憶に新しいところです。与野党双方で「第2の道」がもてはやされました。ところがやがて、とりわけ安倍政権以降の自公政権末期になると、与野党双方の中から、それに疑問を投げかける声が出てくるようになりました。いわば、自民党も民主党も「第2の道」と「第3の道」をめぐってここ10年くらい政策競争をしていたわけです。そして、昨年政権交代を迎えた。
 私の問題意識は、政策的に「第3の道」を志向しているはずの民主党が事業仕分けの際に見せた「公的サービスはそもそも無駄だからそれを削らねばならない」という精神はどこから来るのか、ということです。そして、小泉政権の郵政改革時と同様の国民の熱狂--いわば「仕分けポピュリズム」は行き過ぎた市場原理主義の経済政策を進める「第2の道」を再びあおる結果となっていないか、ということです。民主党の仕分け担当者は自民党時代の公共事業中心の悪しき「第1の道」の無駄をたたきつぶすつもりで、アクティベーション型、インクルージョン型を目指す新成長戦略の「第3の道」の政策要素も「無駄」として切り落としてしまっているのではないでしょうか。
わたしがびっくりしたのは、昨年11月に仕分け人が発表されたときに、その中に福井秀夫氏が含まれていたことです。福井氏は自公政権時の規制改革会議で「一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は間違っている」と述べ、あらゆる労働規制を撤廃せよと主張した人物です。これは、民主党という政党がどのような政策イメージをもって政権を担当しているのかという問題として議論すべきだろうと思います。
 
 濱口 そこがまさに小泉時代との違いが出ているところで、小泉路線に「それはちがうのではないか」という方向性が出てきた自公政権末期と連続性があります。一番大事なのは、自公政権末期からでてきた北欧型モデルへの志向、つまり国際的に開かれた市場を維持しながら雇用・社会保障を充実させていく方向なのか、それとも雇用・社会保障をむしろ市場化して、ワーキングプアを作っていく方向なのかという点です。新成長戦略の雇用・人材戦略についていえば、一定程度、北欧型モデルを志向しているのは明らかで、政治状況にかかわらず、ここは大事なもの、基本的な方向性として維持して欲しい。
 そのうえで、自公政権末期の雇用・人事戦略と違う点は、国民からちゃんとお金をいただいて、それを医療や介護に流し込んでいくことによって良い雇用が生まれ、良いサービスが生まれ、それが回り回って社会を良いものにしていくという発想があることです。むろん、これは新成長戦略のなかで明確に表れているわけではありませんが、これまでの菅さんをはじめとする方たちの発言からわかります。ここは自公政権時代には、はっきり言われていなかった点なので、強調しておきたいと思います。
 
 濱口 私は新成長戦略に関して需要サイドか、供給サイドかという立場で議論してはいませんが、新成長戦略の雇用部分で重要なのは、「就業率の向上」というEUでは10年前から明確に入ってきた戦略が日本でようやく国家の戦略として位置づけられたことです。同時に、正規と非正規との格差や雇用のありかたに関して問題が指摘されていながら、後回しにされてきた事柄が重要課題として盛り込まれたことに注目したいのです。そこにあるのは、ある産業分野の自由化、民営化によって雇用が拡大したとしても、結果的にワーキングプアが大量にいる世界になってしまうなら、社会的に必要なニーズが満たされなくなってしまうという問題意識だと思うのです。潜在需要はあっても労働条件があまりに低く、福祉関係の大学に行った人が福祉分野に参入しないというボトルネック。これを何とかしようという議論につらなっていく部分かと思います。
 
 濱口 いまの話とからんで、大きな政府、小さな政府という議論には注意が必要だと私も思います。「大きな政府」「小さな政府」という言葉で見えなくなるものが多いからです。
 過去の古い自民党政治は「業」を助ける意味で大きな政府であり、「業」を助け続けるから利益誘導、無駄を生みだしたのだという指摘はその通りでしょう。しかし、新成長戦略の中にある第3の道的な要素も実は「人」を助ける意味で大きな政府です。「人」を助けるためにお金を使うのか、それとも「業」を助けるためにお金を使うのか。そこが一番違うところなのに、「人」も「業」も一緒くたにして、「大きな政府はだめだから」という言い方で切り捨ててしまう。大きい、小さいだけの議論では見えないもの、判断できないものがたくさんあるはずです。
 たとえば、新成長戦略のなかには産業ごとの各論で見た時に、旧来型の「業」を助ける議論とは分けにくい部分があるのです。まさに間宮先生が言われた医療や教育、福祉がそうです。旧厚生省は医師会に代表されるような「業」としての医療を助けてきたのは事実です。患者が山のようになだれ込んでくる病院の医師が過労で倒れるような現場を変えるには医療にお金を流すべきですが、うかつなやり方をしてしまうとそのお金が現場の医師や看護師などの「人」に流れず、古い仕組みにのって結果的に医「業」にばかりお金が流れる事態が生まれてしまう。そこはきちんと実態に即して、必要な「人」にピンポイントで流れるような仕組みを作っていかなければなりません。
 
 濱口 税や税制は本来、その社会にとって望ましい分配構造に変換するものです。なのに、日本国民はなぜ、およそ税金というものを年貢のように、とられたら後はだれかが好きなように消費してしまうかのように認識しているのでしょうか。そういう意味での非連帯の意識は強固です。
 
 濱口 私は正直言うと、民主党にも、自民党にもいろんな人--それこそ、井伊直弼もいれば勝海舟もいると思っています。だから、どの党の誰が政権をとるかという問題よりも、白猫だろうが黒猫だろうが、日本社会の進むべき道をよく分かった人達が政権をつくって、それをきちんと実行していただければ、それでよいと思っています。菅首相は所信表明演説からも窺われるように、自公政権末期からの正しい「第3の道」を進もうとしていますが、その陣営にいる方々の中には、どうみても新自由主義的な「第2の道」に郷愁を感じているのではないかと思われる人もいます。ここをきちんと明確化していくことが重要ではないでしょうか。
 
(9月2日 東京都千代田区、龍名館にて) 

« 労働者性のいいとこ取りは許されるべきか? | トップページ | オランダも反イスラム政権へ »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『生活経済政策』10月号の座談会:

« 労働者性のいいとこ取りは許されるべきか? | トップページ | オランダも反イスラム政権へ »