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2010年10月20日 (水)

気分は正社員?または権利のための闘争

3401310 本日、9時半より、法政大学キャリアデザイン学部において、「職業選択論Ⅱ」の講義(上西充子先生)にゲスト講師として顔を出して、若干喋って参りました。

この講義は、例の「くら」事件や「日本綜合地所」事件などを題材にしながら、先日厚労省が出した『知って役立つ労働法』を教材に、労働をめぐる現状の理解をめざす講義ということですが、先週、受講学生にアルバイトについてのアンケートを実施し、その結果を踏まえて私もコメントするという企画でありました。

このアンケート結果が結構なにで、募集では時給1000円だったのに実際に入ったら950円だったとか、毎日1時間くらいの時給は認定してもらえないとか、毎月制服代として3000円引かれると決まってから知ったので納得せざるを得なかったとか、無料の食事補助が店長が替わって有料になり、店のものをお金を払わずに食べるのは窃盗だと言われたとか、まあいろいろな事例が挙がっています。

そして、そのどれについても、権利を主張しようとした学生は一人もいませんでした。

なぜなんだろう?、なぜ権利を主張しようと思わないんだろう?と私は問いかけ、それに対する答は、せっかくのアルバイト先を失いたくないからとか、文句を言ってシフトを変えられるからとか、店長がものすごく働いていて申し訳なくて言えないといった答が返ってきました。

これはとても興味深いことです。

学生アルバイトというのは、こうやってちゃんと朝早くから講義に出席している学生さんたちなのですから、言葉の正確な意味で家計補助的というか、生活の中心を占める労働活動ではないはずなんですね。典型的正社員のような企業メンバーシップからは最も遠い位置にあるはずの人々であり、もっとも純粋にジョブ型の労務と報酬の交換契約であってしかるべき人々です。ところが、彼らの労働は少なくとも主観的にはそうではないんですね。

首都圏のど真ん中の法政大学の学生なのですから、その気になればいくらでもアルバイト先はあり、搾取されながら我慢し続けなければならない理由などなさそうに見えるのですが、意識構造はそうではないのです。まるで、「気分は正社員」。もちろん、気分だけですが。

講義の最後に、法学部であればみんな学ぶイェーリンクの『権利のための闘争』を引用したりしたのですが、

>法は、実際に実行されることをもって本質とする。実行されることのない法規範、実行されなくなった法規範は、もはや法規範の名に値しない。・・・私人が何らかの事情によって――たとえば自分が権利を持つことを知らずに、または安逸と臆病から――いつまでも全く権利主張をしないでいるならば、法規は実際に萎え衰えてしまう。

長期的なメンバーシップの保障された大企業の正社員だと、権利を実行することと実行しないことを天秤にかければ、あえて権利を主張しないことによって企業に預金した分を数十年後になって引き出すことの方が合理的であるという判断は経済学的には十分あり得ますが、正社員でも中小零細企業ではそんな保障はないですし、ましてや学生アルバイトなど、初めからそのような保障はゼロであるという確実な保障があるはずなのですが、それでも「気分は正社員」で、そういうことはしないのです。

>しかし、何故それではいけないのか、と私に喰ってかかる人もいるだろう。権利者自身を別とすれば誰も困るものはいないではないか、というわけだ。これに対しては、既に用いた戦線離脱の例をもう一度使って説明しよう。千人もの兵士が戦わなければならないところでは、一人が脱落しても気づかれないかもしれない。しかし、千人のうち百人が戦線を離脱すれば、忠実に部署を守り続ける者の状況はどんどん悪化してゆき、自分たちだけで全戦線を持ち堪えねばならないことになる。この喩えはわれわれの問題の真の姿を明らかにするのに役立つであろう。私法の分野においても、不法に対する権利の闘争、全国民の力を合わせた闘争が重要なのであって、この闘争においてはすべての者がしっかりと結束しなければならない。ここでも、逃亡者は皆の問題について裏切りを行うことになる。かれは敵の厚かましさを増長させることにより敵の力を強めるわけだから。恣意と無法が厚顔無恥に頭をもたげるのは、いつも、法律を防衛すべき任務を負う者が自分の義務を果たしていないことの確かなしるしである。そして、私法においては誰もが、それぞれの立場において法律を防衛し、自分の持ち場で法律の番人・執行者としての役割を果たすべき任務を負わされているのだ。

今のアルバイト学生たちの(あまりにも)素直な意識構造に触れ得た、という意味で、わたくしにとっても大変意義のあるゲスト講義でした。願わくば聴かれた学生たちにとってもなにがしか脳裡に残る講義であったことを。

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コメント

その経験に何らかの関係を見出すであろう、Med_Law氏のコメントが読みたいところです

それをいうなら、法政大学の事務嘱託が他大の同種のものより賃金が割安(らしい)で職務に対する責任や職域も広く大きいのはどうよ?(指示を出すはずの専任職員と上下逆転とか) っていう突っ込みはなしですか?

実際に4年間勤務した経験からの微妙な感想です(笑)

「正社員追求型まじめな大学生」ではないタイプ、「生きがい追求型ミュージシャン」の事例をご紹介。
昨日、大好きだった忌野清志郎(毎年年末のコンサートに行ってました)の本「ロックで独立する方法」(太田出版、2009)を読んでいて、以下のような一節が。

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それにしてもシングルデビューしてアルバムデビューして、しかも全曲オリジナルで、おまけにシングルカットされた曲がかなりヒットして...となれば、印税もドカドカ入ってくると思うだろう、普通。ところが、まったくそうならなかった。
当時は「ロックやフォークは金銭勘定なんかしちゃいけない」という変なダンディズム(?)があった。それはいま思えば、ミュージシャンを搾取する業界側に都合のいい迷信みたいなものだったのだが、オレたちはまんまとそれを信じ込まされ続けていた。確定申告というものの存在さえ、業界の人間はだれも教えちゃくれなかった。それを初めて教えてくれたのは、破廉さんちの親父さんだった。元税務署員の税理士でね。
「カネにルーズな方がカッコイイのだ」と本気で思ってた。売れてるのに収入も生活もちっとも向上しないことを、さほど不思議とも思わなかった。いま思うと、不思議に思わないことこそ不思議だけれど。

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清志郎は、今のミュージシャンならそこら辺はわかってるだろう、と思って書いたのでしょうけれど、どうなんでしょうね。

清志郎の名誉のために、次の一節を。このエントリーに相応しいですし。

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若い頃は、契約書なんてもんは読んだことも、いや、見たこともなかった。契約してる本人なのに。今の若いミュージシャンだって、まだそういう人が多いんじゃないか?本人の知らないところで、とんでもない契約が交わされてたり、ほとんどすべてをプロダクションに持っていかれる約束になっていたり・・・・。(中略)
「独立」っていうのは、自分の仕事に関わることを、できるだけたくさん自分で決める、自分で管理する、っていうことだろう。もちろんいきなりすべてを、ってわけにはいかないにしても、とにかくひとつずつでも「自分で決められること」を増やしていく、拡大していく、その一連のプロセスを「独立」と呼ぶんだと思う。
でも、それでもボロボロとポケットに穴が開いてるみたいに、実はまだ落とし穴がいっぱいあるんだよ。たぶんオレ自身が気づいてない落とし穴も、きっといっぱいあるに違いないんだ。
なにしろオレの人生なんて、そんな落とし穴の連続だった。「そんなバカな!」「しまったなあ」「こんなはずじゃなかった」の繰り返しだった。「オレの分はこれしか入ってないのかな」とかね。
最近は契約書の文体もずいぶんわかりやすくなった。昔は本当に何が書いてあるのかさっぱりわからない暗号みたいな文章だった。「ホントにこれ日本語?」って思うくらい。でも、すごく簡単でわかりやすくなったからといっても、またきっとどこかに落とし穴はあるんだ、と思ってる。
もちろん右も左もわからんかった頃の自分に比べれば、今の自分は幾分かマシな環境に生きているとは思う。自分で自分のことを決めるっていう、ある意味で当たり前のことが可能な範囲は、確かに大きくなっている。でも、まだまだだ。自分の身体も時間も限られてるから、「全部自分で」っていうのは不可能だから。独立ってやつは「終りなき闘争」なんだよ。

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なお、忌野清志郎、という名前を知らない人はそんなにいないと思いますけれど(いや、このブログの読者だとどうかな、と不安)、まあ、wikipediaでも見てください。彼は、高校時代にバンドを組んでミュージシャンとして出発してしまいましたが、通っていた日野高校は、東京の公立の中でも進学校の方だったと思います。

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