正確に言えば「安定成長期の亡霊」
昨日紹介した野川忍先生のついった10連発に、労務屋さんがさっそく噛みついて意見を呈示しています。
http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101012#p1(「高度成長体制の亡霊」はもういない)
ただ、どうもいささか言葉の食い違いが認識の食い違いをもたらしているような気がします。
>一般的には、「高度成長期」は1973年のオイルショックをもって終了したと考えられていると思います。
>また、「高度成長期に確立した企業社会の雇用慣行」に対しては、高度成長が終わる前からすでに限界が指摘され、オルタナティブが模索されていました。日経連が「能力主義管理-その理論と実際」を発表したのが1969年で、・・・
労務屋さんは野川忍先生の「高度成長期」を、文字通りの高度成長期(1950年代後半から1970年代前半)と捉え、その時期の考え方がそのまま残っていることはないと反論しています。
しかし、これは、私から見ると、野川先生の用語法がやや雑というか、対象を適切にピンポイント的に捉えていないために生じている一種の対象の錯誤のような感じがします。
というのは、野川先生が問題だ、と論じておられる考え方が、社会的に正しいものとして確立したのは、高度成長期ではなくてむしろ石油ショック後の安定成長期であるからです。日本型雇用システムを前提とした大企業正社員モデルのさまざまな判例法理が確立するのがまさに石油ショック以後の1970年代であり、1980年代です。本当の高度成長期には、整理解雇4要件もなければ、配転法理もありませんでした。
このあたりは、わたくしが何回もあちこちで書いてきたところですが、高度成長期には政府も労働側も経営側も、日本的なシステムをもっと「近代化」しなければならないと主張していたのであり、日本的なシステムの方がいいんだという主張が強まるのはむしろ70年代になってからで、最高潮に達するのは80年代だからです。この時期を「高度成長期」とは言いがたいでしょう。
労務屋さんの指摘する日経連の「能力主義管理」は、まさにこの転換を記すものなので、お二人の話が絶妙に噛み合わないのは、まさにこの所以ではないかと思われます。時代名称として適切な「高度成長期」には、野川先生の言われる「高度成長期型思想」は必ずしも主流ではなく、「高度成長期」ではなくなった70年代以降がむしろ野川先生の問題視する思想が主流化したわけですから。
人間、実際にうまくいっているときには、前の時代のイデオロギー効果が強くて、「日本はもっと近代化しなくちゃ」と口々に唱え、それが過ぎてから「実は日本のやり方は良かったんだ」というイデオロギーが流行るというのは、ミネルヴァの梟なのか、奈良のミミズクなのか知りませんが、よくあることではないかと。
(参考)
http://homepage3.nifty.com/hamachan/jshrminsights.html(人材マネジメント協会『インサイト』2月号 「近代日本の労働法政策と政権交代の影響」)
http://homepage3.nifty.com/hamachan/sanseiken85.html(『産政研フォーラム』85号 「今後の労働政策の針路」 )
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