上司と部下の非対称性
こんなものにコメントするかと言われそうですが、
http://www.kirinholdings.co.jp/news/2010/1026_01.html(キリン食生活文化研究所 レポートVol.27「職場の人とのお酒の飲み方」に関する意識調査について)
>職場の人とお酒を飲む際に期待することは、上司・部下共に「コミュニケーションをとりたい」がトップ。なお、上司より部下と飲むときの方が期待は充足される傾向にある。特に20代は、他の年代と比較して部下・後輩と飲むときに、期待が満たされる割合(67.5%)が高い。
そりゃ、誰だって、上司と飲むのは気詰まりで、部下と飲むのは気が楽でしょう。
でも、あなたが気が楽に飲んでいるその部下は、気詰まりな上司と飲んでいるのですよ。
そして、あなたが気詰まりに飲んでいるその上司は、気が楽な部下と飲んでいるのです。
そういう上司と部下の非対称性が分かっているかどうか、労働問題全般に通じるものがありますね。
通俗的な労働に関する議論って、この俺様が楽しく飲んでいるんだから、この部下も楽しく飲んでいるに違いない、というたぐいの議論が多いんですよね。
教訓:酒は楽しく飲みましょう、お互いにとって。
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日本の「労使」は、欧米の「労使」と、特に大企業正社員では普通(組合幹部経験者が管理職に登用されてゆく)こととか、職場での欝がパワハラ・セクハラ由来というのがけっこう多いこととか考えると、上司と部下の良きコミュニケーションは大きな問題ですね。
投稿: 哲学の味方 | 2010年10月30日 (土) 07時51分
あ、急いで書いて中途半端なコメントでした。「日本の「労使」は欧米の「労使」と違い、」と書いたつもりでした。訂正します。
投稿: 哲学の味方 | 2010年10月30日 (土) 08時47分