水谷研次さんのシジフォスで、シルバー人材センター会員の労災事件が取り上げられています。
http://53317837.at.webry.info/201010/article_2.html(シルバー人材センター会員も労働者 )
シルバー人材センターの労災事件自体については、かつて(7年前)綾瀬市シルバー人材センター事件を判例評釈したことがありますが、
http://homepage3.nifty.com/hamachan/ayasesilver.html
明確に、シルバー会員の労働者性を認める判決が出てくるようになりましたが、それも、先日『東洋経済』の記事でも書かれていたような、会員の経済状況の変化が背景にあるのかも知れません。
ただ、ここではむしろ、水谷さんがわざわざひょうごユニオンから送ってもらった判決文から、シルバー人材センターに限らず、労働者性が問題になる事件のある部分に共通する問題がかいま見えているので、そこを取り上げてみたいと思います。
それは、ひと言でいうと、労働者じゃないことにして利益を得ていた者が、いややっぱりオレは労働者だと主張することは許されるのだろうか、という問題です。
>原告は2000年に自動車部品ゲージなどを製造する30名規模の会社に入社、すぐチーフ的存在となり、2004年に定年となった。社長は本人に対し再雇用を要請したが、「市役所で年収が120万円以内でないと年金が減額になると聞き、また病気がちの実母の面倒を見るための時間の拘束も減らしたいと考えていたところ、会社で事務の仕事をしていたセンターの会員から、センターに登録して仕事をすれば年金額が減額されないという話を聞いたため、再雇用ではなく、センターに登録して会社で仕事をすることとした」(判決文の「裁判所の判断」より) ものである。本人のセンター登録を受け、社長がセンターに求人し、継続してリーダー的に仕事を続けた。センターは「会員登録する際に、会社との間には雇用関係がなくなることを説明し、本人は労働法の保護を受けなくなることを含めて理解しており、自らの選択の結果であり、その不利益は甘受すべき」 と主張している。判決文でも「原告は会社と雇用関係を締結せず、労働法の適用を回避しようとする意図を有し」「年金支給額の減額を避けるために、センターを介し就労したことは、センターの利用方法としては不適切」と指摘している。
しかし、裁判所は「当該罹災者において不適切な側面があるとしても、それが労働者の安全及び衛生の確保等を図るという労災保険法の趣旨、目的に照らして著しく不当である等特段の事情が認められない限り、労災補償を認めることが相当である」と判断した。
この問題は、実はJIL雑誌2008年2/3月号の「学界展望 労働法理論の現在」で、まさに論点になったものです。
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/pdf/002-046.pdf
柳屋孝安さんの論文をめぐって、わたくしを含む4人が論じているのですが、
道幸 もう一つは, 契約締結時の意思についてですが, 現実的に考えると状況は色々と変わるために, 後になって保護の必要性が出てくる場合がある。請負契約締結時に真意だったけれど, 保護の必要性がでてきたということになれば, これは保護されるのでしょうか。柳屋理論だと立法論でどちらでもいいことなのかもしれませんが。
有田 契約締結時の意思と, 契約が実際に展開していく中で, 例えば一定の時間が経過して, あるいは色々なことが起きる中で, 当事者意思の内容が変わってくるというようなさまざまなケースをどうつかまえるのか。野田進教授が配転などの問題で議論されていたように, 確定的な意思としてどの段階でつかまえるのか。
道幸 裁判が起こるというのは, 当初の意思と反するからです。この種の紛争の特徴というのは, 契約締結時の予想というのと実際の就労に齟齬があるから,トラブルが起きる。柳屋論文では労働基準監督署で事前に意思を明らかにしろと言っていますが, そういう問題ではないのではないか。つまり, 非常に状況追随的な問題で, それと関連して意思をどう考えるかになります。
・・・
奥田 ・・・労働法の適用に関して当事者意思を重視するのがいいかどうかという点についてはもう少し考えたいのですが, ただ, それを前提に考えた場合, 何らかのプラスの条件もあって当初合意をしたことが, 後になって状況次第で簡単に変わるというのは若干違和感もあります。
道幸 当初の合意のリスクを負いなさいということでしょうが, そう言えるかどうかの問題ですね。
濱口 人間というのはどこまで未来予測能力があるかということを考えると, 決断したときの判断の範囲内で, そのリスクを全部負えというのかと。
奥田 判断の問題なので, もちろん難しい場合もあるとは思います。前回検討対象とした西谷敏教授の著書では, 労働者の真の意思といっても誤った判断もあるので, そこは法で救う必要があるという趣旨のことが言われていました。そのような判断もありうるだろうと思います。ただ私は, 基本的に公序良俗や法律に反しない限りで合意したことが, 後から締結当時の合意だったからということで状況によって変わっていくということについては若干疑問もあって, 必ずしも柳屋説を排除できないようにも思っています。
道幸 原則論で, そのとおりだと思います。ただ,実際に起こる紛争は, ほとんど労災絡みか雇用終了の問題で, そうすると, 結局, 労災と雇用終了のリスクをどう考えるかというのが, 実際の中心的な争点だと思うんです。労災については, 場合によっては安全配慮義務論として, 労働者性の問題にしなくても救済できるという側面がありますが, そうすると, 最後は雇用終了の問題だけが残るのかな。そこをどう考えるかが実際の論点ではないか。
・・・
有田 立法論として議論していく中で, 意思によって外すということをことさら何か重さを持って考えなければいけないのか。つまり, 現実的に, 労働者としての保護は自分は必要ないといっている人はそもそもこうした請求をしてくるのでしょうか。
道幸 自分は請負でやっているのだから, 何か問題が起きてもリスクは自分が負いますという人は裁判を起こさないからいい。だから, 当初の意思と反したことを主張したい場合にどうするかという問題だと思います。
有田 そうなってくると, 意思で私は関係ありませんというようなことは必要なのでしょうか。
道幸 契約締結時にいろいろな情報を出して, あなたはそれでいいのかと確認する。本人がいいと言って選択をしたら全部のリスクを負いなさいというのはありうるのではないかと思います。ただそれで解決できないから苦労している問題なのですよね。
濱口 自営業者であることのメリットは享受したいと言っていた人間が, いざデメリットが出てきたら労働者として保護してくれというのは, それは何だというロジックはよくわかります。ただ, それを法制度設計として, そういう目先の利益で動く人にサンクションを与えるような制度設計がいいのかという判断のような気がします。
有田 立法論として議論しているわけだから, まさにそういうことでしょうね。
濱口 そこはやはり, 労働法の建前としては客観的実態で判断するのだろうと思います。
奥田 それと, 実際には, 例えば労災に関してであっても, 労働者はそんなに選択できるような情報はおそらく持っていないでしょうね。どの選択が有利であるとか, そもそも労災が適用されるかどうかということ自体も知らない人は結構たくさんいて, いざ何か事件になった段階で, 社員には適用されるけれども, 自分には適用されないということに初めて気づくとか, 当然, そういう場合があるわけですから, 当事者意思ということを立法に組み込むにはかなり慎重な検討が必要でしょうね。
道幸 事前にどの程度危険かなんていうのは, 自営業者的なレベルで契約を締結するときなどは全然情報を持っていないでしょう。
濱口 だから, 当初の意思というときに, 事前にどれだけ判断材料となる情報が提供されているのか, 契約締結時に情報提供義務というものを事業者契約のときにどこまで観念できるのか。
奥田 その前提条件がないということですよね。
道幸 それこそNHK の集金人の事案などは請負的でない限りは雇いませんよということですから, 選択の余地がない。そういう意味では, どちらかを選ぶという選択なしに, リスクはあなたが負いなさいと初めから言われている。
奥田 そういう場合は, それを選択したという当事者の意思は認められないと考えるべきではないでしょうか。でも, そうなると実際には, 自分で選ぶ範囲なんてほとんどなくなってくるかもしれませんね。
道幸 多様なところから選ぶような契約なんてほとんどないわけでしょう, 実際はね。
濱口 それを表面の当事者意思はこうだけれども,客観的な状況から真意はこうだというのであれば, それを当事者意思という言葉を使って説明する必要性はあるのだろうか。
道幸 そのような形で議論が錯綜するのはあまり意味がないと思います。
わたくしは労働法の筋論から客観的実態で判断という立場ではありますが、法一般の筋論からすると、なかなかに難しい論点であることは間違いないところです。
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