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2010年10月

小宮文人『雇用終了の法理』

1102977577 小宮文人先生から、近著『雇用終了の法理』をお送りいただきました。ありがとうございます。

オビの文句に曰く、

>公正かつ透明な法理の探求

>解雇のみならず雇用終了法全般を検討

>わが国の雇用終了法理の現状とその問題点を明らかにし、解決の方向について詳細に論じた重要書籍。解雇権濫用の立証責任、解雇の金銭解決など、多くの解雇法理に関する未解決問題、また、有期労働契約の満了、契約の自動終了などを含め、広く雇用終了全般の問題点を捉えつつ、有益な将来への提言を行う。

小宮先生は英米の解雇法制をベースに、日本の解雇規制法制、雇用終了法制についてさまざまな提言を行ってきていますが、本書はその集大成とも言うべき大著です。

序章の「解雇規制法理から雇用終了法理へ」では、解雇規制についての経済学説からの議論もふまえつつ、雇用終了法理の確立の必要性を説いて、第1章以下の各論につなげていきます。以下、

第1章 解雇権の一般的規制法理としての解雇権濫用法理

第2章 労働契約の自動終了

第3章 退職強要の規制法理

第4章 懲戒解雇の法規制

と各分野ごとに詳しく論じ来たった上で、

最後の「結語 雇用終了法理の展望」では、まとめ的に小宮先生の持論が要約されています。

>第一に、解雇規制については・・・立証責任の問題については未だ不明な点が多く残されており、・・・このことは、また、解雇の正当事由の明定とその判断要素を定める指針等の必要性の肯定につながると思われる。今後、より透明性のある法理に発展させるためには、この問題は立法によって処理されるべきである。

>第二に、解雇救済に関しては、・・・解雇無効・地位確認判決だけではなく、どうしても解雇の金銭解決が必要と考えられるが、今のところ、判例法理だけでこの問題を解決することは期待しがたい。労働審判制度等を通じ、低額な金銭解決が蔓延すると解雇権濫用法理の存立が脅かされる恐れもある。そこで、立法的解決を根本的に再考する必要があると思われる。

>第三に、雇用契約の自動終了については、・・・とりわけ、濫用的な有期労働契約の反復更新を十分に規制できていない状況にある。

>第四に、退職強要については、・・・使用者による退職追い込み行為については、これを正面から規制する法律を導入する必要があると考えられる。

>第五に懲戒解雇については、・・・手続き的規制は必ずしも十分とは言えず、懲戒解雇決定以前の告発書及び反論の機会の付与、さらには懲戒解雇決定後の解雇理由書の付与とその訴訟中の修正・変更の原則等を立法化する必要がある。しかし、この手続き規制の立法化に際しては、あらゆる手続き違反を懲戒解雇の効力に直結させるのではなく、金銭的な救済措置も考えるべきである。

>最後に、わが国では・・・判例法理であるがために、以上のような部分的に不十分ないし無理な箇所が生じてきているということができる。今まで構築されてきた解雇規制法理を補完して、一貫した公正かつ透明な雇用終了法理を構築するための立法措置が必要なじきに来ていると言うべきである

そのかなりの部分について、わたくしは同意見です。

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上司と部下の非対称性

こんなものにコメントするかと言われそうですが、

http://www.kirinholdings.co.jp/news/2010/1026_01.html(キリン食生活文化研究所 レポートVol.27「職場の人とのお酒の飲み方」に関する意識調査について)

>職場の人とお酒を飲む際に期待することは、上司・部下共に「コミュニケーションをとりたい」がトップ。なお、上司より部下と飲むときの方が期待は充足される傾向にある。特に20代は、他の年代と比較して部下・後輩と飲むときに、期待が満たされる割合(67.5%)が高い

そりゃ、誰だって、上司と飲むのは気詰まりで、部下と飲むのは気が楽でしょう。

でも、あなたが気が楽に飲んでいるその部下は、気詰まりな上司と飲んでいるのですよ。

そして、あなたが気詰まりに飲んでいるその上司は、気が楽な部下と飲んでいるのです。

そういう上司と部下の非対称性が分かっているかどうか、労働問題全般に通じるものがありますね。

通俗的な労働に関する議論って、この俺様が楽しく飲んでいるんだから、この部下も楽しく飲んでいるに違いない、というたぐいの議論が多いんですよね。

教訓:酒は楽しく飲みましょう、お互いにとって。

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きわめて遺憾 容認できない@連合

連合が、「労働保険特別会計に関する事業仕分け結果についての談話」を公表しています。

民主党政権最大の支持基盤(票田)としては、おそらく最大限の厳しい表現でしょう。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2010/20101028_1288245681.html

>・・・ジョブ・カード制度普及促進事業、キャリア形成促進助成金、(財)介護労働安定センター(交付金)など5事業が「廃止」とされた。また、制度のあり方について、「雇用調整助成金以外の必要性の低い雇用保険二事業は、特別会計の事業としては行わない」「労災保険の社会復帰促進等事業については原則廃止」とされた。雇用情勢が厳しい中で、労働保険特別会計について、十分な議論もなく、このような事業仕分け結果が出されたことはきわめて遺憾である

>今回、事業仕分けの対象となった雇用保険二事業は、事業主の雇用保険料のみを財源として、雇用調整助成金をはじめ事業主に対する各種助成制度など、雇用対策の柱として雇用安定事業と能力開発事業を行ってきた。また、労災保険による社会復帰促進等事業も労災給付と一体的な付加給付などを行ってきた。もちろん、助成金や交付金の中には、利用率が低いものや想定していた成果に結び付かないものもあり、時代や社会情勢の変化に応じて不断に見直しを行うことは必要である。しかし、義肢や車いすなど付加的な給付や未払賃金立替払事業などを含めた社会復帰促進等事業を「原則廃止」することは、労働者保護に逆行する内容である。一般会計による財源確保が担保されない中での、これらの事業の廃止は容認できない

>雇用・失業情勢は、完全失業率が5%台に高止まりし、有効求人倍率も低位で推移し、依然として厳しい状況が続いている。とりわけ、新規学卒者の就職問題など若者の雇用問題は重要な課題である。このような状況で、ジョブ・カード制度は、正社員への移行の促進など雇用対策の面から一定の役割を果たすことが期待されている。ジョブ・カード制度普及促進事業を廃止することは、「新成長戦略」において「2020年までに取得者300万人」の目標を掲げていることとも整合性がない。そもそも、雇用・労働の現場のニーズに即した労働政策を展開するためには、公労使三者構成の労働政策審議会などで労使の意見を十分に踏まえることが不可欠である

>現政権は、新成長戦略実現に向けた3段構えの経済対策として、「雇用」を機軸とした経済成長の実現を打ち出しており、雇用・労働政策を後退させるべきではない。経済の発展や社会の安定のために、雇用を国の基本政策の中心に据え、労働者保護の視点からの労働者派遣法改正法案の早期成立など、公正なワークルールの確立をはかることも必要である。連合は、すべての働く者が安心して働ける環境をつくるために、これらの課題に引き続き全力で取り組んでいく。

既に労務屋さんも最大限に皮肉な口調で取り上げておられますので、

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101028#p1

>仕分け人のみなさんはたいへん立派な有識者ぞろいでもあるのですが、しかしあなたがた素人ですよねえと思わなくもなく。

個々の内容について、特段付け加えるべき事もありません。

若干政治学的批評を試みるならば、『生活経済政策』の10月号で、駒村康平先生、神野直彦先生、間宮陽介先生と座談会をさせていただいたときにお話しした、こういうことに尽きるのかな、と。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/seikatsuzadankai.html

>民主党内部には、先ほど言った北欧のアクティベーションやインクルージョンの方向性こそが「民主党らしさ」だと思っている方々だけでなく、新自由主義的な改革、つまり小泉よりも小泉的な政策こそに「民主党らしさ」があると思っている方々もたくさんいます。私には、民主党政権はその「2つの魂」のせめぎ合いの中で動いているように見えます。

>私の問題意識は、政策的に「第3の道」を志向しているはずの民主党が事業仕分けの際に見せた「公的サービスはそもそも無駄だからそれを削らねばならない」という精神はどこから来るのか、ということです。そして、小泉政権の郵政改革時と同様の国民の熱狂--いわば「仕分けポピュリズム」は行き過ぎた市場原理主義の経済政策を進める「第2の道」を再びあおる結果となっていないか、ということです。民主党の仕分け担当者は自民党時代の公共事業中心の悪しき「第1の道」の無駄をたたきつぶすつもりで、アクティベーション型、インクルージョン型を目指す新成長戦略の「第3の道」の政策要素も「無駄」として切り落としてしまっているのではないでしょうか

(参考)

いくつかのブログ記事等から

http://ameblo.jp/shirleyn6083/entry-10689281261.html(霞のごとく by shirleyn6083)

>事業仕分けに、関わった人たち、今の若年者の就職困難の実態を本当にわかっているのだろうか。

>仕分け人の方々はエリートだから、仕事に就けない人たちの悪循環な環境や焦りの気持ちなんて、ちっとも理解できないんだろうね。

>この記事見たら、頭に血が上りすぎて、冷静な分析的なコメントがかけなくなった。

>人の生活の基本であるはずの「労働」や「仕事」に対する認識が低下しているのだろうか。

http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10689521327.html風のかたちⅡ by hidamari2679)

>今日行われたことの馬鹿さ加減に言葉が出てこない。

新成長戦略との矛盾、政権党内の統一性のなさなどということで収めきれないばかばかしさ満載だ。

なぜこんな愚昧な決定がされるのだろう、

なぜこんな愚行を、疑問のコメントすらなしに報道機関は飛びつくのだろう。

政界というジャングルのなかの獣、目立ちたがりの民間仕分け人、報道者にとっては病みつきになるショー仕立て。

そして、それを仕組んだことはほぼ間違いないある行政グループ。

彼らのなかに「労働」「雇用」という事象への知見、とはいうまい、イマジネーションをもつ人間がひとりでもいるのか。

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電機連合のアウトソーシング報告書

電機連合から『電機産業の製造現場におけるアウトソーシングの実態調査報告』という260頁を超える大部の報告書をお送りいただきました。ありがとうございます。

この報告書は、まだ電機連合のHPにアップされていませんが、是非とも多くの人々によって読まれるべき重要な報告書だと思います。

まず何より、この報告のもとになったアンケート調査は、日本生産技能労務協会をはじめとする人材ビジネス企業を通じて行われ、ヒアリングも人材ビジネス企業を含む形で行われていることです。労働の実態調査を労使のコラボレーションで行うというのは、とりわけ人材ビジネス関係ではなかなか難しいと思いますが、非常によく実態を浮かび上がらせています。

研究会の主査は能開大の大木栄一さん、副主査は人材ビジネス関係に詳しい佐野嘉秀さん、あと専門委員に二人研究者と、人材ビジネス企業から二人(生産技能労務協会の青木秀登さんなど)、組合委員には派遣先大企業労組から3人、メイテックなど派遣元に作られた組合から3人、あと電機連合本部の人々、という構成です。

もちろん報告書のすべてが読まれるべきですが、ここでは最後の「提言」から、

>派遣・請負スタッフとして働く人の賃金水準の維持・向上を図る上では、人材ビジネス企業が、派遣スタッフの技能や担当業務に見合う水準の派遣料金を確保できるよう派遣先企業に対して料金改定の交渉などの働きかけを実施していくことが大事となる。

>景気後退の中でも、人材ビジネス企業の取り組みを通じて、雇用・就業の安定が一定程度図られていたといえる。生産業務における派遣事業の規制を検討するにあたっては、人材ビジネス企業の果たすこのような就業安定の機能についても視野に置いた議論が必要と考える。

>人材ビジネス企業の中に、こうした人材育成型の企業が広がること、また、そのために製造企業の中に、こうした人材ビジネス企業を積極的に評価し活用していく企業が増えることが、派遣・請負スタッフの雇用・就業の安定につながると考えられる。

を強調しておきたいと思います。

いうまでもなく、それを現実のものにしていく上で必要なのは、

>労働組合による組織化を通じて、派遣・請負スタッフの労働組合を通じた発言の機会が広がること

であり、

>労働組合の組織化された人材ビジネス企業との取引を製造企業が「敬遠」するなどといった人材ビジネス企業の認識に誤解があれば、そうした誤解をなくす取り組み

です。

人材ビジネスの側が、「労働組合は仇敵」などという(池田信夫氏や城繁幸氏のような)発想を持っている限り、そういったWin-Win型の方向は見出し得ないでしょう。

そして、「おわりに」に書かれている次の一節は、電機連合だけでなく、派遣・請負労働者を受け入れているすべての産業の労働組合が真剣に考えるべきことであろうと思います。

>だからこそ、私たちは同じ産業に働く仲間として、派遣・請負労働者の雇用の安定化や処遇の改善に積極的に取り組んでいかなければならない。・・・また、将来的には派遣・請負労働者に限らず、すべての非正規労働者の処遇改善につなげる均等・均衡処遇政策の策定も視野に入れる必要がある。加えて、より根本的には派遣・請負労働者の組織化を積極的に進めていかなければならない。彼ら派遣・請負労働者を組織化することで、同じ産業に働く真の仲間としてさまざまな課題に取り組むことができる。

ねじれにねじれた人材ビジネスをめぐる議論のありようを、労働法・労使関係のまっとうな思想に基づいて着実に解決していく道筋が、ここに明確に示されています。

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非正規雇用問題解決の本丸である有期雇用改革

先月公表された厚労省の有期労働契約研究会報告については、先日批判したように池田信夫氏が一知半解の批評をしていましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-ef05.html

ようやく経済系からまともな反応がでてきました。経済産業研究所の鶴光太郎氏のコラムです。

http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0296.html

冒頭のこれも、是非政治家やマスコミ諸氏にはよく読んでいただきたいところですが

>あたかも「非正規労働者=派遣労働者」であるかのような議論も散見されたが、・・・有期雇用者の扱いを考えることこそ遅まきながら「非正規雇用問題の本丸」に着手することを意味する。

最後の「目指すべき有期雇用改革のあり方」が、同意するにせよしないにせよ、重要な論点を示しています。

>それでは求められる改革の理念とは何であろうか。まず、無期原則は明示的にとらないということだ。有期雇用そのものやその長期継続を罪悪視すべきではなく、入口規制や出口規制の導入は見送るべきである。一方、有期雇用があまり増えすぎないような一定の「歯止め」や雇用不安定・処遇格差へ真摯に対応する仕組みは必要である。そのためには「処遇の規制」を新たな規制体系の柱に考えることである。

ここは一つ大きな論点ですが、わたしはグローバル化する経済において仕事そのもののテンポラリー化は否定しがたい面があり、テンポラリーな仕事にテンポラリーな契約を充てることは当然である一方、恒常的な仕事にテンポラリーな契約を充てることは(EU指令の言葉を使えば)濫用(アビュース)であろうと考えています。他方、恒常的な仕事だけれども、世の中の変化で仕事がなくなってしまったということもますます起こりうるので、これは無期契約の雇用保障のあり方として論ずるべき(大企業正社員モデルからの脱却)であると考えています。

>つまり、入口・出口規制のような「量の規制」ではなく、有期雇用労働者の処遇改善・多様化に結び付くような「質の規制」を考えることである。厳密な均等処遇はもちろん現実的ではないが、客観的な理由を越えて極端な処遇格差があれば必ず大きなペナルティを受けることで(「クレディブルな脅威」)、そうした差別が抑制されるような法的な仕組み(ゲーム論の言葉ではサブ・パーフェクトな均衡となる仕組み)を検討すべきである。

ここはもう少しバラフレーズして欲しいところですが、私は当面の基準としては、下に出てくる「期間比例原則」が日本社会に向いているだろうと考えています。

>また、有期雇用の雇用不安定、雇止めの問題は現状のような予測可能性の低い「雇止め法理」に任せておくべきではない。契約締結時点で更新可能性や更新回数を明示した有期雇用契約の多様なコース分けを徹底し、制度化することで予測可能性を向上させるとともに、契約終了時点における退職手当支払い、金銭解決導入、再就職斡旋などによる補償を充実させることで雇用不安定に対応するという考え方に転換すべきである。また、こうした退職手当や賃金などの処遇が契約期間の長さと確実に対応させていくような仕組み(「期間比例原則」への配慮)が定着していけば、上記、均衡処遇や正規社員への転換に向けた取り組みを更に後押しすることにも繋がる

当面の対策として有期契約の雇止めに対する金銭補償というのは、わたし自身拙著で提示したものであり、とりあえずは最も有効だろうと考えていますが、そもそも論として「恒常的な仕事がなくなってしまった」という状況に対する対処の仕組みを、有期契約の雇止めという形のママにしておいていいのか?という問題に答える義務もあろうと考えています。

まあ、ここに正社員の多様化の議論を持ち込むと、まとまるものもまとまらないので、とりあえず有期の中だけで議論しようや、というのは戦術論的には良く理解できますが。

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合同労組@JIL雑誌

New 『日本労働研究雑誌』11月号は、恒例のディアローグ労働判例とともに、注目の特集が「合同労組」です。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/

>提言労組法上の「労働者」  (124KB)
宮里 邦雄(弁護士)

ディアローグ:「労働判例この1年の争点」島田 陽一(早稲田大学法学学術院・法務研究科教授)・土田 道夫(同志社大学法学部・法学研究科教授)

特集:合同労組解題合同労組  (139KB)
編集委員会

論文 合同労組の現状と存在意義――個別労働紛争解決に関連して
呉 学殊(JILPT主任研究員)

インタビュー合同労組運動の歴史――松井保彦氏にきく
松井 保彦(全国一般東京一般労働組合会長)

戎野 淑子(立正大学経済学部教授)

論文 合同労組の提起する法的課題
道幸 哲也(北海道大学大学院法学研究科教授)

書評 唐津 博 著 『労働契約と就業規則の法理論』
野川 忍(明治大学法科大学院教授)

苅谷 剛彦・本田 由紀 編 『大卒就職の社会学』
浦坂 純子(同志社大学社会学部産業関係学科准教授)

小野 公一 著 『働く人々のキャリア発達と生きがい』
松原 敏浩(愛知学院大学経営学部教授)

三井 正信 著 『『現代雇用社会と労働契約法』
奥田 香子(近畿大学法科大学院教授)

論文Today「父親の心理的健康の促進における育児と財政的貢献の重要性」
岩崎 香織(相模女子大学非常勤講師)

フィールド・アイオプの三物語とフィールドワーク
澤田 康幸(東京大学大学院経済学研究科准教授

特集ですが、まずJILPTの呉学殊研究員による現状分析論文は、本ブログでも何回か紹介してきた彼の個別労働紛争解決に関わるユニオン研究を踏まえたものです。素材は昨年から今年にかけて行われたモニター調査結果で、いろいろと興味深いことが示されています。

>日本の合同労組は、その歴史が古いが、個人加盟ユニオンとして本格的に展開したのは1980年代後半のコミュニティ・ユニオンが登場してからである。従来からの全労協の全国一般に加えて、1996年連合の地域ユニオン、2002年全労連のローカルユニオンの結成と運動の強化により、現在、合同労組のルネサンスを迎えている。合同労組の最重要活動の1つは個別労働紛争の解決である。紛争解決件数は毎年増加し、行政、司法のそれに匹敵するほどの件数を記録するだけではなく、合同労組が企業と団体交渉で解決する自主解決率も67.9%にのぼって、紛争解決力の高さを示している。合同労組の1年間の総収入は約400万円でそのうち67.4%が組合費であり、残りは入会金、解決金等である。専従者は、1つの合同労組あたり1.1人であり、彼らの約半数は、原則、24時間365日すべてを組合活動に投じている。合同労組は、使用者側の労働法違反・無知から引き起こされた紛争を解決しながら同使用者側に労働法の学習機会を与えており、また、行政の解決できない紛争をも解決している。こうした活動に対して公的支援が望まれている。

次に、戎野淑子さんによる松井保彦氏へのインタビュー。読み物としてはこれが大変面白い。

本邦初公開(?)の労働運動に入るきっかけの秘話。60年安保闘争で機動隊に肋骨を折られて治療中に、

>先輩から、「どうせ休んでいるなら、下町の労働者の生活というものを少し見てみないか」と誘われて「鉛筆工場」へ連れて行かれたのです。すると中学校を出たばかりの女の子たちが頭に白いずきんをして、作業をしていました。先輩に連れられてその女子労働者の一人の家庭に行ってみると、6畳一間と狭い3畳間しかないところに大家族で住んでいて、裸電球の下ではアブラムシがいっぱい飛んでいる。そういう生活があるということを目の当たりにしてショックでした。その帰り道に先輩から、「あの状態の労働者を、みんなの力で労働基準法の通りに働けるようにしないか?まともに処遇されるようにしないか?」と居酒屋でオルグされて、地区労の仕事を手伝うようになりました。それが私の労働運動の始まりです。

最後は道幸哲也先生の「合同労組の提起する法的課題」です。

>合同労組が意図的に論じられるようになったのは1955年頃からであり、組合論としては、企業別組合「主義」を打破するため、産業別もしくは地域に着目した点が特徴といえる。労働法上も労働委員会実務上や理論的に多くの問題が発生した。その後中小企業労働者の組織化がコミュニティユニオン活動として注目をあびるのは1980年代である。

不当労働行為の最近の新規申立件数及び斡旋申請件数の3分の2が、合同労組の事件である。合同労組をめぐる法律問題は、個々の労働者が解雇等がなされた後に合同労組に加入し、当該組合からの団交要求が拒否されるいわゆる「駆け込み訴え」のケースが典型である。本稿では、この事例を中心に広く関連する法律問題を検討する。同時に、合同労組(運動)が、労組法理論にいかなるインパクトがあるかも考察したい

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同じ時給で働く友達の美人ママ

誰かがすでにいうとるかもしらんが、

同一労働同一賃金ちゅうのは、このおんなの子とその友達の美人ママが、同じ仕事をしとるかぎり時給が同じやということや、と説明したらええかもしらん。

それはバイトやからそうやけど、正社員はちゃうやろ、いうやろな。なんでちゃうねん、

ほんまに同一労働同一賃金にするちゅうのは、その友達のパパも同じ仕事をしとるかぎり時給が同じやということや、にいちゃんもねえちゃんもみな一緒や。

そこまでわかっていうとるんか、いうはなしや。

なにうざいこというとんねん、えらいすんまへん。

(被評)

http://twitter.com/magazine_posse/status/28995944465

>濱口桂一郎氏がブログで、ハロプロのアイドル・スマイレージの歌から同一労働同一賃金を説明していましたが、それならAKB48のこの歌は「ジョブ型正社員」につながると思うんですよねー。「偉い人になりたくない」

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「嘱託」の労働者性

さて、「嘱託」って何でしょう?

と聴かれれば、多くの人は非正規労働者の一種で、主として定年退職後の人がなるもの、と答えるのではないでしょうか。

実際、Wikipediaでは、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%B1%E8%A8%97%E7%A4%BE%E5%93%A1

>嘱託社員(しょくたくしゃいん)は、正社員とは異なる契約によって勤務する準社員の一種。

一般的に定年後も引き続いて会社に所属する人のことを指す場合が多いが、契約社員同様、法的に明確な定義はなく、その用法は会社ごとに異なる。

と書かれています。

しかし、考えてみれば「嘱託」って、いかにも労働者じゃないよ、って主張しているような字面です。

実際、「嘱託社員」じゃなく「嘱託」については、「曖昧さ回避のためのページ」に

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%B1%E8%A8%97

>嘱託(しょくたく)

嘱託社員、嘱託員などを雇用する嘱託制度。

自殺関与・同意殺人罪などの殺人嘱託。

嘱託回送など郵便物の回送。

登記の嘱託の意味。

裁判などの嘱託人の意味。

と並んでいて、「嘱託社員」以外はすべて委任とか請負とかそういう非雇用型役務提供のたぐいの領域のことばであることが分かります。では、なぜ働く「嘱託」だけ雇用契約に基づくものになったのか?

それは実は、ある最高裁の判例があったのです。

昭和37年5月18日最高裁第二小法廷判決 大平製紙事件(民集16巻5号1108頁)

その判決要旨に曰く、

>会社において塗料製法の指導・研究に従事することを職務内容とするいわゆる嘱託であって、直接上司の指揮命令に服することなく、また遅刻、早退等によって賃金が減額されることのない等一般従業員と異なる待遇を受けているいわゆる嘱託であっても、毎日ほぼ一定の時間会社に勤務し、これに対し所定の賃金が支払われている場合には、労働法の適用を受ける労働者と認めるべきである。

中身は労働者性の典型的な事例ですので特にいうことはないのですが、この「いわゆる嘱託であっても」という一節が大変興味深いですね。

実は、最高裁に対する上告理由が、「上告人と被上告人との間の嘱託契約は、その契約内容から見て委任契約でなければならないところ、原判決がこれを雇用契約であると判断したのは、法律の適用を誤ったものである」というものだったのです。

第一審の判決から会社側の主張を見ますと、

>被告は当初1年の期間を定め硝化棉塗料に関し、その後は当分の間ということで丹頂クロス用の塗料に関しその製法の改良等の研究をすることを原告に委任し、原告は右委任に基づき被告の応じ工場において右委任事務を処理していたものである

と、「嘱託=委任」という、まあ普通の日本語感覚からすると至極当然の考え方に立っていたわけです。

ところが、この頃の最高裁は、労働法は契約の字面ではなく就労実態で判断するという基本原則がよく分かっていたので、「いわゆる嘱託であっても」「労働法の適用を受ける労働者と認めるべきである」と判断しました。これは当然の判断ですが、これは別に「嘱託」という言葉でなくっても、「委任」といおうが、「委託」といおうが、「請負」といおうが、何といおうが同じことであって、実態が労働者なら労働者だよ、という以上のことを言っているわけではありません。「嘱託」という言葉を使ったら労働者になるよ、などということは全然言っていません。

ところが、こうやってたまたま「嘱託」と呼ばれていた非正規労働者が労働者であると確定したことで、なんだか「嘱託」という名前で働いている人は、本来まったく同義語のはずの「委託」とか「請負」とかという名前で働いている人とは違って、そもそも的に労働者であるという風に使われるようになっていったようです。

かくして、本来ほとんど同義語であった言葉の仲間の中から、「嘱託」だけが雇用村に引き取られていったとさ、という話。

ここからどういう教訓を引き出すかは、皆さまそれぞれにお考えください。

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鬼面人を驚かす問題提起

51603 『大原社会問題研究所雑誌』2010年10月号に、鈴木不二一さんによる『労使コミュニケーション』(ミネルヴァ書房)の書評が載っています。

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/625/index.html

本書全体に対しては、序章の問題意識が各論に共有されていないのではないかと批判し、「はっきりいって、指揮者のいないオーケストラを聴かされたような気分であった」と、かなり辛口の批評です。

わたくしの執筆した「第11章 労働行政」については、

>あまりに大きな課題と鋭い分析意欲を小さなスペースに押し込んだ結果として、読者はやや消化不良の感を抱いて章末に至る感がある。

とまことに的確に喝破され、特に前半の時代区分に対しては、

>既存の用語を使いながら、まことに鬼面人を驚かす問題提起といえよう。・・・もう少し丁寧な解説が必要となるのではないか。

と指摘されています。まことにもっともであります。わざと人に違和感を与えるような用語法をしているわけなので、本書における説明が舌っ足らずであることは認識しております。

ちなみに、戦中期から戦争直後期までを一括する概念としての「社会主義の時代」については、

>また、「社会主義」ということばの使い方は、説明を読めば著者の意図は了解されるとはいうものの、やはり評者にとっては違和感が払拭できなかったことを付言しておこう

という反応はまさに予期、というよりむしろ期待したものであります。その違和感から議論を出発させたいのです。

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大学と職業との接続@生産性新聞「一言」

Paper_2 日本生産性本部発行の機関紙『生産性新聞』の10月25日号のコラム「一言」に、わたくしの小文が掲載されました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jpcsetsuzoku.html

中身は例の学術会議の提言の説明です。

>去る7月22日、日本学術会議は文部科学大臣に対して「大学教育の分野別質保証の在り方について」と題する提言を行った。「卒業後3年以内は新卒扱いに」というやや枝葉の部分ばかりが報道されたが、現代日本の雇用システムと教育システムのあり方自体にメスを入れ、中長期的に抜本的な改革を提起しているものである。

 これまでの学校と職業の関係は、学校で受けた教育の中身と卒業後に実際に従事する職業との間に(とりわけ文科系の場合)ほとんど関係がなく、いわば「密接な無関係」といえるものであった。それは、大学のランクにより潜在能力の保証のある若者を白紙のまま採用し、上司や先輩の教育訓練によって鍛え上げていくというモデルがうまく回転していたからである。しかし、その回路からこぼれ落ちる若者が大量に発生するという事態の中で、単なる弥縫策ではなく、雇用システムと教育システムの双方で本質的な解決を図る必要が浮き彫りになってきた。

 企業の側では、あまりにも「ヒト」中心になりすぎた雇用管理制度を、入口の時点からある程度「仕事」基準にシフトさせていくことである。成果主義だの、仕事給だのと掛け声だけは繰り返されるが、雇用管理の肝心要の採用自体は依然として「ヒト」中心主義がますます強化されてきているのではないか。もちろん、新入社員が即戦力になりうるはずがない。そのような幻想的な話ではなく、「こういう会社でこういうことがやりたいからこういう勉強をしたい、してきた」という学生の思いに応えるような本来あるべきメカニズムが機能しうる程度の「密接な関係」を作れないかということである。

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結婚の壁

73938 『結婚の壁』をお送りいただきました。

えっ?と、一瞬思いましたが、編著者の名前を見ると、佐藤博樹・永井暁子・三輪哲とあって、なるほどとわかりました。佐藤先生、いつもありがとうございます。

http://www.keisoshobo.co.jp/book/b73938.html

>「婚活」が活発化している一方、「結婚難民」の存在も大きな社会問題となっている。本書は、男女の出会いの機会や結婚への意欲、結婚に至る経路を決めるさまざまな要因について、多様な調査データを用いて実証的に明らかにする。若者の結婚に立ちはだかるさまざまな「壁」に接近し、乗り越えるための方策を提示するものである。

ということで、目次は次の通りです。

はじめに[佐藤博樹・永井暁子・三輪哲]

序章 「出会い」と結婚への関心[佐藤博樹・永井暁子・三輪哲]
 1 なぜ結婚に関心が向けられるのか
 2 結婚への多様な関心
 3 現代の結婚事情─人生のパートナーがいない
 4 本書の研究関心と分析データ

第Ⅰ部 「出会い」への期待と機会

第1章 現代日本の未婚者の群像[三輪哲]
 1 未婚者の実像はいかなるものか
 2 現代日本の若年層における結婚・交際の状況
 3 未婚者の独身理由はどのようなものか
 4 どのような結婚活動を誰がしているのか
 5 結婚活動の成果・効果はあるのか
 6 現代未婚者の群像

第2章 職縁結婚の盛衰からみる良縁追及の隘路[岩澤美帆]
 1 配偶者選択に依存する社会
 2 職探し理論と晩婚化
 3 結婚市場と仲介メカニズムの役割
 4 配偶者との出会いのきっかけ
 5 職縁結婚低迷の背景
 6 「婚活」か結婚後の協調か

第3章 なぜ恋人にめぐりあえないのか?─経済的要因・出会いの経路・対人関係能力の側面から[中村真由美・佐藤博樹]
 1 「少子化」と「恋人にめぐりあえない人々」
 2 なぜ婚姻率が低下するのか?─3つのアプローチ
 3 だれが恋愛から遠ざかっているのか?
 4 どうすれば恋人に出会えるのか?

第Ⅱ部 揺らぐ結婚意識

第4章 同棲経験者の結婚意欲[不破麻紀子]
 1 同棲の普及とライフコースの多様化
 2 日本の同棲の状況
 3 同棲のタイプ
 4 同棲経験者は結婚をどのようにとらえているか
 5 同棲か,交際相手の有無か?

第5章 結婚願望は弱くなったか[水落正明・筒井淳也・朝井友紀子]
 1 結婚意識と実際の結婚
 2 2つのコーホートと結婚意識の設問
 3 結婚意識の変化のコーホート間比較
 4 結婚意識が結婚の決定に与える影響
 5 なぜ女性の結婚願望は弱くなったか

第6章 結婚についての意識のズレと誤解[筒井淳也]
 1 結婚への躊躇─なぜ一歩踏み出せないのか
 2 結婚の意味の変化と多様性
 3 各国の「パートナー状態」の比較
 4 結婚をめぐるミスマッチ
 5 結婚をめぐる思い違い
 6 やっぱり結婚は幸せなのか?
 7 案ずるより産むが易し?

第Ⅲ部 結婚を左右する要因

第7章 男性に求められる経済力と結婚[水落正明]
 1 男女間の経済力の関係は結婚に影響するか
 2 一定以上の経済力を求める女性はどの程度いるか
 3 地域ごとにみた女性の希望と男性の現実
 4 男女間の経済関係が女性の有配偶確率に与える影響 
 5 結婚の要因としての意識の重要性

第8章 結婚タイミングを決める要因は何か[朝井友紀子・水落正明]
 1 結婚相手を探す市場の存在
 2 結婚タイミングを左右するのは個人の特性か?結婚市場か?
 3 男女で異なる個人特性と結婚市場の影響

第9章 友人力と結婚[田中慶子]
 1 「選べる」時代の出会いの困難
 2 友人関係は結婚へつながるのか─先行研究と仮説
 3 検証の手続き
 4 加齢・結婚による友人関係の変化
 5 友人力の効果と限界

第10章 未婚化社会における再婚の増加の意味[永井暁子]
 1 最近の離婚・再婚事情
 2 広まる再婚市場と時間差一夫多妻制
 3 誰が再婚しているのか
 4 再婚で幸せになれるか
 5 再婚という選択

終章 結婚の「壁」はどこに存在するのか[佐藤博樹]
 1 第Ⅰ部 「出会い」への期待と機会
 2 第Ⅱ部 揺らぐ結婚意識
 3 第Ⅲ部 結婚を左右する要因


本ブログの関心からすると、岩澤美帆さんの書かれた第2章「職縁結婚の盛衰からみる良縁追及の隘路」が大変興味深いです。

43頁の「結婚年別、配偶者との出会いのきっかけの構成」という表がまず大変面白い。1982年には紹介型(フォーマル)の見合い結婚が29.4%だったのがどんどん減って2005年にはわずか6.4%。職場型は、1982年には25.3%でしたが、徐々に増えて1992年に35.0%、ところがここから逆に減りだして、2005年には29.9%。

見合い結婚の中身も、親族中心から職場中心に移行していったこともあり、結局1970年代以降の日本人の結婚は職場中心であったものが、そこが減ることで結婚自体が減っていったときれいに説明できるようです。

>・・・結婚市場における配偶者選択の効率性という観点から考えてみると、・・・自分と釣り合いのとれた相手が高い密度で存在する比較的狭い結婚市場における配偶者選択であった。・・・企業の採用基準というフィルターによって、資質の近い男女が密度高く存在していると考えることができる。

>・・・さらに・・・生涯にわたっての社会経済的地位の見通しを判断する上で、仕事ぶりを間近に見ることや、仕事関係者からお墨付きをもらうことほど強力な保障はないであろう

では、なぜそれが低迷するようになったのか。

>企業は従業員を「個」として位置づけ、従業員の結婚、家族の問題には目を向けなくなった。また、一般職女性が担っていた補助的業務は外部化が進み、仕事内容の専門化、個別化とも相まって、大量の独身男女が同一企業内で交流するという形も難しくなってきたといわれる。

>こうして職場は、次第に配偶者選択に関する特別な場所ではなくなってきたと考えられる。では職場以外の出会いは増えているのだろうか。・・・そのような気配は見受けられない。職縁を通じた見合い結婚や恋愛結婚のような、資質の釣り合う独身男女が密度高く存在する結婚市場を構築するためには、多大なコストがかかる。・・・こうして、広く社会的に負担されていた結婚市場の形成や探索にかかるコストは、今日、結婚を望む当事者にすべて降りかかっている。

>・・・中には、あまりの負担の多さ(コストの高さ)に、就業意欲喪失者ならぬ、結婚意欲喪失者となってしまう場合もあろう。・・・日本における晩婚化は、・・・探索コストの高騰による結婚市場からの離脱によって引き起こされている可能性もある

この記述からも分かるように、労働経済学におけるジョブサーチ理論のアナロジーで結婚市場の動きを見事に説明していて、読みながら思わず引き込まれる論文です。是非手にとって読んでみてください。

ちなみに、この「結婚市場」という言い方について、第6章の筒井淳也さんが

>そもそも結婚市場というのはきわめて不完全な市場である。・・・結婚市場が不完全である最大の理由は、恋愛や結婚においては出会いがローカルなものにならざるを得ないということにある。自分が現在つきあって結婚しようとしている男性よりももっと条件のよい男性が居るかも知れないのに、自分の周囲にはたまたまいないために出会いが生まれないことが起こりうる。市場が完全ならばこういう悩みはない。すべての異性の情報が与えられた上で、順にマッチングが行われ、自分お手持ちの資源に見合った人が必ず見つかるはずである。・・・

と述べておられるのですが、ちょっと違和感があります。というのは、上でなぞらえられている労働市場だって、実は結構ローカルなものであって、本気で「もっといい就職先があるんじゃないか」と悩み出したら、いつまでたっても決められないのではないでしょうか。むしろ、かつては不完全市場だからそれなりにうまく回っていたのに、なまじ完全情報に近い状態になってしまったために、かえっておかしくなってしまっているのがいまの大卒就職市場なのではないでしょうか。

経済学の教科書に出てくる完全「しじょう」よりも、ローカルな「いちば」という観点で言えば、まさに日本の職場社会は、かなりよくできた結婚「いちば」だったのでしょう。

(追記)

ちなみに、第2章にはいくつかの国における「出会い」の特徴が書かれていて、これがまた実に良くできたエスニック・ジョークになっています。

>職縁結婚は日本では最も多い出会いとなっているが、諸外国では必ずしもそうではない。それぞれの国の特徴を示すと、韓国は親・親戚の紹介、アメリカは学校、フランスは幼なじみ・隣人関係、スウェーデンはサークル・クラブなどのシェアが他国に比べて多い。

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職場のうつ@『エコノミスト』

20101022org00m020028000p_size6 一昨日のPOSSEのブラック会社シンポに『エコノミスト』の黒崎亜弓記者も来られていましたが、その黒崎さんから昨日発行の『エコノミスト』11月2日号をいただきました。ありがとうございます。

http://mainichi.jp/enta/book/economist/

チャイナマネーじゃなくて、「職場のうつ」の方です。

◇【特集】職場のうつ

・サボリか、病気か 増殖する“未熟型うつ” ■吉野 聡

・トラブル対策として病状調査権は就業規則に不可欠 ■尾城 雅尚

・大企業と中小零細で異なる休職・復職ルールの実態 ■味園 公一

・再休職を防ぐ復職支援(リワーク)というプログラム ■五十嵐 良雄

・Q&A 生真面目な「従来型うつ」の部下にはどう対処する? ■渡辺 登

・上司のマネジメントが効いている職場はうつが少ない ■今井 保次

・患者増加の背景に新薬発売後の啓発活動、医師の知識不足 ■黒崎 亜弓

書店に行っても、依然としてうつやメンタル系の本が続々と書かれていますが、最近は「新型うつ」ともいわれる「未熟型うつ」が結構トピックになってきているようです。

この問題の労働問題へのインプリケーションというのがなかなか難しいところです。

実は、現在分析している労働局の個別労働紛争事案でも、メンタルヘルス系が34件で3%を占め、そのほぼ半分が「うつ」なのですが、その相当部分が「新型うつ」の傾向がある上に、うつ以外も「○○障害」という診断名で、かなりうつに近い印象です。

そのかなりの部分はいじめ・嫌がらせと関係しているのですが、一方労働者本人の性格に問題があると思われるケースもかなりあり、この問題の複雑さを感じさせます。

この問題はそう単純ではないな、と感じるためにも、この特集記事は読む値打ちがあります。

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民事判例Ⅰ 2010年前期

05447 現代民事判例研究会編『民事判例Ⅰ 2010年前期』(日本評論社)をお送りいただきました。

http://www.nippyo.co.jp/book/5447.html

これは、加藤雅信先生の「創刊のことば」によりますと、

>判例と司法的部分社会で生成されつつある「生ける法」を中核に据えつつ、ときに制定法や社会の中の「生ける法」にも目を配りながら、年2回のペースで、「法の現在」を概観し、それを読者に示そうとするものである。

というものであります。目次は次の通りですが、

第1部 巻頭論文
 日本の家族…加藤雅信・上智大学教授

第2部 最新民事裁判例の動向
 取引裁判例の動向…岡 孝・学習院大学教授
 担保裁判例の動向…下村信江・近畿大学教授
 不動産裁判例の動向…池田恒男・龍谷大学教授
 不法行為裁判例の動向…宮下修一・静岡大学准教授
 家族裁判例の動向…中川忠晃・岡山大学准教授

第3部 最新専門領域裁判例の動向
 環境裁判例の動向 環境判例研究会…越智敏裕・上智大学准教授
 医事裁判例の動向 医事判例研究会…榮 岳夫・東京地方裁判所判事
 
労働裁判例の動向 労働判例研究会…今津幸子・弁護士アンダーソン
 知財裁判例の動向 知財判例研究会…城山康文・弁護士アンダーソン


第4部 特別企画
 現代判例を斬る マスメディアによる名誉毀損(座談会)
 …秋山幹男・弁護士、大塚直・早稲田大学教授、加藤新太郎・東京高裁判事、
  加藤雅信・上智大学教授

第5部 注目裁判例研究
 取引1   最ニ判平21.11.27…石田 剛・同志社大学教授
 取引2   大阪高判平21.10.29…岡本裕樹・名古屋大学准教授
 担保    最二判平21.7.3…松岡久和・京都大学教授
 不動産   東京高判平21.8.6…松尾 弘・慶應義塾大学
 不法行為1 最二判平21.11.9…古田啓昌・弁護士アンダーソン
 不法行為2 最一判平21.12.17…山口斉昭・早稲田大学教授
 家族1   最三判平21.3.24ほか…神谷 遊・同志社大学教授
 家族2   大阪高判平21.5.15…渡邊泰彦・京都産業大学教授
 環境    静岡地下田支判平21.10.29…桑原勇進・上智大学教授
 医事   大阪地判平20.2.21…松本佳織・東京地方裁判所判事補
 労働   最二判平21.12.18…角山一俊・弁護士アンダーソン
 知財    知財高判平22.2.24…木村耕太郎・弁護士竹田綜合法律事務所

今津さんの書かれた労働判例の概観は、2010年前半期の判例雑誌に載った労働判例をすべて分類紹介していて、大変便利です。

角山さんの判例評釈は例の松下ブラズマディスプレイ最高裁判決です。これについては、わたくしが高裁判決段階で評釈をしたことがあります。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/nblhyoushaku.html

なお、3ページに研究会名簿が載っていて、そこの「労働判例研究会」にわたくしも名前を連ねていますが、わたくしはほとんど何も貢献しておりません。1回研究会に出席しておしゃべりした程度です。

労働を離れて一般読み物としていうと、第1部巻頭論文の加藤雅信先生の「日本の家族」は、歴史的、法社会学的パースペクティブが横溢していて、大変面白かったです。かつての川島武宜先生の名著を彷彿とさせました。

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黒田祥子さんの経済教室@日経新聞

本日付の日経新聞の「経済教室」で、東大社研の黒田祥子さんが「日本人男性の労働時間 『1日当たり』一貫して増加 休息の保障制度を 休日増、平日にしわ寄せも」という見出しの文章を書かれています。

黒田さんとは、かつて経済産業研究所の研究会に呼ばれてお話ししたときにお会いし、その後も社研等でお目にかかっておりますが、今日の文章はドンピシャわたくしの持論と重なるものでありました。

>睡眠は、労働による良質な生産のために不可欠な中間投入要素でもある。その重要な生産要素が他国に比べて短く、しかも何十年にもわたり趨勢的に低下していることを我々は危惧すべきではないだろうか。ワークライフバランスを議論する際には、休暇を増やし年単位で余暇を増加させることも重要だが、それ以上に日、週、月といったより短い単位でバランスをとることを意識する必要がある。

>それでは、さしあたり必要な施策は何か。まず超短期のバランスを図る施策として、ある一定の短期間内に心身の疲れをリセットできる制度の整備が必要である。

>その一案は独立行政法人・労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎氏らがかねて提唱し、本年度から一部の産業で労使協定が実現した「勤務間インターバル制度」の普及である。同制度は、1日当たり最低連続11時間の休息期間付与の義務化を柱とする欧州連合(EU)の「休息時間制度」と基本的に同じ発想である。・・・

>さらに、短中期のバランスをとるための工夫としては、ドイツなどの「労働時間貯蓄制度」を日本の実情に合う形で導入することも検討に値する。・・・

>・・・一連のワークライフバランス政策と併せて今取り組むべきは、個別の条件は労使協議で柔軟に設定することを可能とするよう働き方に即した多様な選択肢を認めつつ、健康維持のために最低限必要な休息時間を確保できる体制を確立することである。

わたくしを引用しつつ、EU型の休息時間規制の重要性を説いていただいております。

なお「一部の産業」と書かれていますが、日本で勤務間インターバルの先頭を切ったのは情報労連であります。

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POSSEシンポジウム終了

A381effff6e05d3963224a62d2a1e6ef というわけで、本日POSSEのシンポジウムで、萱野稔人さんと3時間近くに渉って、労働問題から国家論まで議論することができました。

坂倉さんが心配するほど過激にはなりませんでしたが、まあなかなか面白い対談になったのではないでしょうか。

前半をUSTでご覧になった方もおられるでしょうし、来月発行される『POSSE』9号に記録が載りますので、またあらためてご覧いただければ、と。

(追記)

ついった上で対談の模様がいろいろ伝えられていますね。

http://twitter.com/magazine_posse

ちなみに、わたくしについてのこんな感想がありました。

http://twitter.com/togatogaunion/status/28579688741

>濱口さんはキュートでブリリアントな人だった。もっとドスがきいた感じの人かなと思ったが小柄でシャープな感じ。hamachanの呼称の意味が分かった気がする。

そんな、ドスなんかありませんから・・・(笑)。

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教育のコストは誰が負担するのか?

本ブログで何回か取り上げてきた内田樹氏。今回は「教育のコストは誰が負担するのか?」。

http://blog.tatsuru.com/2010/10/22_1013.php

もちろん、それは社会全体です。社会の成員全員が負担すべきです。

その理由も、内田氏がこう言われるとおりです。

>教育の受益者は本人ではない。
直接的に教育から利益を引き出すのは、学校制度を有している社会集団全体である。
共同体の存続のためには、成員たちを知性的・情緒的にある成熟レベルに導く制度が存在しなければならない。
それは共同体が生き延びるために必須のものである。
だから、子どもたちを教育する。
いくらいやがっても教育する。
文字が読めない、四則の計算ができない、外国語がわからない、集団行動ができない、規則に従うことができない、ただ自分の欲望に従って、自己利益の追求だけのために行動するような人間たちが社会の一定数を越えたら、その社会集団は崩壊する。
だから「義務教育」なのだ。

この理屈は100%正しい。まさに「だから「義務教育」なのだ」。

問題は、この理屈が、リンク先のエントリが取り上げている高等教育の奨学金に、そのまま適用することができるか、です。

基本的にはそうあるべきだ、と思います。

高等教育は決して暇人の手慰みなどではなく、「共同体の存続のために」高度な職業技術・技能が必要であるから、共同体成員全員が負担して行われなければならないのです。

しかしながら、現実の高等教育がはたしてその「共同体の存続のため」という使命に見合うものであり得ているか、ということについての共同体成員の疑念こそが、この問題の背後に存在していることもまた、否定しがたい事実であるわけです。

現実の高等教育が共同体全員が負担すべきと胸を張って言えるだけの社会に対する「レリバンス」を有しているのか?

それこそが内田氏が問うべき問いであったはずなのです。

(参考)

拙著『新しい労働社会』の147頁以下のコラム「教育は消費か投資か?」は、まさにこの問題を論じました。

>後述の生活保護には生活扶助に加えてそのこどものための教育扶助という仕組みがあります。これは法制定以来存在していますが、その対象は義務教育に限られています。実は1949年の現行生活保護法制定の際、厚生省当局の原案では義務教育以外のものにも広げようとしていたのです。高校に進学することで有利な就職ができ、その結果他の世帯員を扶養することができるようになるという考え方だったのですが、政府部内で削除され、国会修正でも復活することはありませんでした。

 これは、当時の高校進学率がまだ半分にも達していなかったことを考えればやむを得なかったともいえますが、今日の状況下では義務教育だけで就職せよというのはかなり無理があります。実際、2004年12月の社会保障審議会福祉部会生活保護制度の在り方に関する専門委員会報告は、高校への就学費用についても生活保護制度で対応することを求め、これを受けた厚生労働省は法律上対象が限定されている教育扶助ではなく、「生業に必要な技能の修得」を目的とする生業扶助として高校就学費用を認めることとしました。これは苦肉の策ともいえますが、考えてみると職業人として生きていくために必要な技能を身につけるという教育の本質を言い当てている面もあります。

 現在すでに大学進学率は生活保護法制定当時の高校進学率を超えています。大学に進学することで有利な就職ができ、その結果福祉への依存から脱却することができるという観点からすれば、その費用を職業人としての自立に向けた一種の投資と見なすことも可能であるはずです。これは生活保護だけの話ではなく、教育費を社会的に支える仕組み全体に関わる話です。ただ、そのように見なすためには、大学教育自体の職業的レリバンスが高まる必要があります。現実の大学教育は、その大学で身につけた職業能力が役に立つから学生の就職に有利なのか、それとも大学入試という素材の選抜機能がもっぱら信頼されているがゆえに学生の就職に有利なのか、疑わしいところがあります。

 生活給制度の下でこどもに大学教育まで受けさせられるような高賃金が保障されていたことが、その大学教育の内容を必ずしも元を取らなくてもよい消費財的性格の強いものにしてしまった面もあります。親の生活給がこどもの教育の職業的レリバンスを希薄化させる一因になっていたわけです。そうすると、そんな私的な消費財に過ぎない大学教育の費用を公的に負担するいわれはないということになり、一種の悪循環に陥ってしまいます。

 今後、教育を人的公共投資と見なしてその費用負担を社会的に支えていこうとするならば、とりわけ大学教育の内容については大きな転換が求められることになるでしょう。すなわち、卒業生が大学で身につけた職業能力によって評価されるような実学が中心にならざるを得ず、それは特に文科系学部において、大学教師の労働市場に大きな影響を与えることになります。ただですら「高学歴ワーキングプア」が取りざたされる時に、これはなかなか難しい課題です。

(追記)

ちょっと筋は別ですが、たまたまこういうつぶやきを見つけました。

http://twitter.com/kabutoyama_taro/status/27994471942

>文科省は教育を担当する行政機関なのに人的資本論すら満足に理解していないと露呈。

だから、まさに日本の(主として文科系の)大学教育というものが、本当に「人的資本論」でもってきれいに説明できるような代物なのであるのかね?というのが、まさしく大学関係者諸氏が問われている問いの中核なのではないのでしょうかね。

今現在の大学教育がまさに人的資本論で説明できるような職業能力向上要因であると社会成員みんなが考えていたら、世論でうごく官僚はまさにその考え方に則った施策を出すでしょう。

この点については、HALTAN氏の例によって皮肉な口調がもっとも適切でしょう。

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20101024/p1

>根底に在るのは日本における(特に文系の)四年制大学の位置づけの曖昧さであって、その辺がしっかりしていないのが本当の問題だと思いますよ。

>・・・こういう事を書くと「安易な実学主義」「学問否定」「反知性主義」と批判されそうだが、(特に文系の)四年制大学の「学業」「勉強」が「役に立つ」「将来の日本の人的資本を担っている」と明確に社会に対して説得し切れていない点では大学の先生たちにも少しは責任はあるのでは? もちろんここで「(学問的・教養的水準を大衆的に卑俗に落とすこと無く)そのレベルまで大学を教育機関として高めるにもそれなりのカネや人員は掛かるのよ」という議論は在り得るでしょうが、そこに至るでもなく何時もながらのカンリョーの悪口で済ませてしまうのでは・・・(とほほ・・・)

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明後日のシンポジウムについて

明後日のPOSSE主催のシンポジウムについて、対談のお相手をしていただく萱野稔人さんが、ご自分のブログで紹介されています。

http://kayanotoshihito.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-6280.html(シンポジウムのお知らせ)

>この二人の顔合わせは初めてですが、どちらもあまり遠慮をしないタイプの人間だから(俺だけか?)、日本の労働市場がかかえるいろいろな問題や今後のあり方について、かなり突っ込んだ議論になるんじゃないでしょうか。

いやまあ、わたくしも、自分ではかなり遠慮しているつもりで、人から見たら全然遠慮してないといわれる方なので、どういうことになるか、大変楽しみです。

一番心配しているのは、たぶん、司会の坂倉さんではないでしょうか。

実は本日、坂倉さんが打ち合わせに来られたのですが、

http://twitter.com/magazine_posse/status/28384130861

>今朝は濱口桂一郎さんと打合せ。第一印象は意外と(失礼)温和そう…と思ったのも束の間、緻密な分析から「リベラル」批判まで、舌鋒鋭くご教授くださいました。放送したら当たり障りがある内容も続出(笑)。当日は萱野さんとのコラボで配信ギリギリの化学反応も予想され、運営として緊張してます…!

わたしはそう大したことを喋ったつもりはないのですが、坂倉さんの顔色は白くなったり青くなったり、なかなかでありました。

まあ、そう問題発言を連発するつもりはないのでご安心下さい。

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北大シンポジウムのご案内

ようやく北海道大学大学院法学研究科附属高等法政教育研究センターのサイトにシンポジウムの案内がアップされたようなので、こちらでも宣伝しておきます。

http://www.juris.hokudai.ac.jp/~academia/symposium/symposium20101117.html

社会保障と雇用をどう立て直すのか?
政権交代と政策転換

政権交代から一年以上。社会保障と雇用の立て直しが期待されつつ、政策転換への道筋はいまだ見えません。政権交代と政策転換を隔てるものは何か。いかなる政策転換がどのように追求されるべきなのか。社会保障、雇用、政治それぞれの研究の第一人者が多角的に討論します。
 
日    時:2010年11月17日(水) 14:00-17:00
会    場: ホテル ルポール麹町 3階エメラルド
(東京都千代田区平河町)

◆ 基調講演
  権丈善一●慶應義塾大学教授
     「日本の政治は、社会保障を立て直すことができるのか?」
  濱口桂一郎●労働政策研究・研修機構 統括研究員
     「政治と政策の間で漂う雇用」

◆ パネルディスカッション 「今ひとたび、政治の可能性を問う」
  権丈善一●慶應義塾大学教授
  濱口桂一郎●労働政策研究・研修機構 統括研究員
  山口二郎●北海道大学教授
  宮本太郎●北海道大学教授・コーディネーター

※ 参加ご希望の方は、お名前・ご住所・ご連絡先を明記のうえ、
下記アドレスまでお申し込みください。
Eメールアドレス:
n17sympo@juris.hokudai.ac.jp
申し込み〆切:11月12日(金)  会場定員:100名
 
●主催: 北海道大学大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター 
●共催: 文部科学省科学研究費基盤研究(A) 
 「日本型福祉・雇用レジームの転換をめぐる集団政治分析」
文部科学省科学研究費基盤研究(S) 
 「市民社会民主主義の理念と政策に関する総合的考察」
●後援: 日本医師会

●お問合せ先
  北大法学研究科附属高等法政教育研究センター(電話:011-706-4005)

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債権法改正の影響

現在法制審議会で議論されている債権法改正の労働法制に与える影響については、『季刊労働法』『労働法律旬報』『法律時報』など、さまざまな雑誌が特集を組むなど、結構注目されていますが、そのいずれにおいてもほとんど注目されていないある一点が、最近気になっています。

それは、現在の改正論議のベースになっている『債権法改正の基本方針』における「請負」の扱いです。

既にご承知の通り、基本方針では雇用、請負、委任、寄託といったいわゆる役務提供契約の総則として「役務提供」という規定を新設します。

そして、「請負」について「当事者の一方がある仕事を完成し、その目的物を引き渡す」と、現民法よりもその対象範囲を限定しています。提案要旨には「仕事の目的が無形的な結果である場合については、むしろ第8章『役務提供』によって規律するのが合理的である」とあります。いわゆる「無形請負」はもはや「請負」ではなく「役務提供」となるのです。

このこと自体が直接法的効果をもたらすわけでは必ずしもありませんが、労働者性の問題におけるいわゆる「個人請負」がもはや「請負」ではなく「個人役務提供」であるということは、労働者性の判断に何らかの影響を与えることになるかも知れません。

さらに重要なのは、戦前期に「労務供給請負」といわれていた「労務供給」と「請負」、派遣法成立後は「労働者派遣」と「請負」の区分という形で問題になってきた領域が、少なくとも言葉の上では「請負」の問題ではなくなるということです。

「労務供給」と「役務提供」の区分?それって、同じことではないの?

同じですよね。「労務」も「役務」も英語で言えば「service」。それを相手方に「supply」(供給=提供)するということなのですから、厳密に同義語です。

厳密に同じである概念を、どういう意味があって区分する必要があるの?

といえば、労働者を保護する責任をどれにどのように配分するべきかという実践的問題に過ぎないことが分かります。その実践的問題を、スコラ的な概念法学の世界に放り込んで、ああでもないこうでもないとやってきたことの、そのそもそもの根拠が、民法上存在しなくなってしまうかも知れないのです。

というようなことをつらつらと考えています。

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英蘭の雇用セーフティネット@大嶋寧子

みずほ総合研究所の大嶋寧子さんから、『英国とオランダの雇用セーフティネット改革~日本の「求職者支援制度」創設に向けた示唆』(みずほリポート)をお送りいただきました。

内容はすべてみずほ総研のサイトにアップされていますので、ご覧ください。

http://www.mizuho-ri.co.jp/research/economics/pdf/report/report10-1006.pdf

イギリスのセーフティネットについてはいくつか詳しい紹介もされていますが、オランダについては今までのところあまりきちんと紹介されてきていませんので、本リポートは大変貴重です。

最後の日本への示唆というところで、

>求職者の意欲を喚起し続ける仕組みの重要性

>給付と就労支援体制の見直しの必要性

>包括的な就労支援の一環としての職業訓練

>就労支援における適切な民間活用の推進

が挙げられ、いずれも重要なことが指摘されています。是非リンク先に行って、じっくり読んでみてください。

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池田信夫氏に全面賛成ならば、派遣業を擁護できない

一知半解で有名な池田信夫氏が、私が先日、本ブログでその誤りを全面的に指摘したことを、まったくそのままJBプレスに書いています。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4692(労働者の地獄への道は官僚の善意で舗装されている 規制強化で派遣・契約社員は失業へまっしぐら)

>厚労省の研究会の鎌田耕一座長(東洋大教授)は、朝日新聞のインタビューに「OECD(経済協力開発機構)は日本には労働市場の二重性があると指摘している」と答えている。

 これを聞くとOECDは契約社員の規制強化を求めているように見えるが、逆である。

 OECDの対日経済審査報告書では、「雇用の柔軟性を目的として企業が非正規労働者を雇用するインセンティブを削減するため、正社員の雇用保護を縮小せよ」と書いている(強調は引用者)。鎌田氏とは逆に、OECDは正社員の雇用規制を緩和せよと勧告したのである。

これが事実に反することは、本ブログで書いたとおりですが、煩を厭わず、ここに再現しておきます。

===============

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-cdf2.html(池田信夫氏の勇み足)

>一知半解で有名な池田信夫氏が、厚生労働省の有期労働研究会で座長を務めた鎌田耕一先生に絡んでいます。

http://twitter.com/ikedanob/status/27611183137

>有期雇用研究会の鎌田耕一座長は「OECDは日本の労働市場に二重性があると批判している」というが、彼らは「正社員の雇用保護を削減せよ」といってるんだよ。労働法学者って英語も読めないの?

もちろん、本ブログを以前からお読みの皆さんには、英語が読めないのがどちらであるかはとうにおわかりでしょう。

Youth OECDが具体的にどういうことを日本に求めているのか、中島ゆりさんが翻訳し、わたくしが監訳した『日本の若者と雇用 OECD若年者雇用レビュー:日本』から、そのまま引用しましょう。訳書の105ページです。

>このような線に沿った雇用保護規制の改革に先立って外部労働市場の機能を改善するための積極的労働市場プログラムとともに、より寛大な失業給付及びその他の職場ベースの社会保険制度を導入する必要がある。・・・もし、それがなされれば、正規雇用と非正規雇用の保護上の格差を減らすという観点で雇用保護規制が改革されうる。これには正規契約をしている労働者の雇用保護規制の厳格性を緩和する一方で、有期労働者、パートタイム労働者、派遣労働者に対する保護を強化することが含まれるだろう。前者の一つの選択肢は、正規契約をしている労働者の解雇事案の解決のため主に判例法理に依存した現在の手続きよりも、より明確で、より予測可能で、より迅速な手続きを導入することだろう。これらの改革措置は労使団体の参加により確かに計画され実施されることが重要であろう(Rebick, 2005)。

>労働市場の二重構造の拡大に対処するため、賃金と各種給付上の差別待遇に取り組む上で、さらにすべきことがある。たとえば、差別禁止法を施行し賃金その他の手当における差別的慣行を減らしていくことで、非正規労働者を採用するインセンティヴを弱めるだろう

一読すればおわかりのように、OECDの議論はまことにバランスのとれたものです。

確かに、OECDは正規労働者の雇用保護の厳格性を緩和することを求めています。具体的には整理解雇4要件の見直しということになります。これは本ブログの読者はおわかりの通り、わたくしも累次にわたってその必要性を述べてきたことです。

しかし、OECDはどこかの一知半解さんとは違って、それだけで話を終わらせるようなことはしません。「正規雇用と非正規雇用の保護上の格差を減らす」というのは、もちろん「正規契約をしている労働者の雇用保護規制の厳格性を緩和する一方で、有期労働者、パートタイム労働者、派遣労働者に対する保護を強化する」ことであるわけです。

そして、鎌田先生が座長をしていた有期労働研究会は、まさにこのOECDが求めている「有期労働者・・・に対する保護を強化する」政策方向を探ってきたわけですから、そういうことを何も知らずに「労働法学者って英語も読めないの?」などと言い放てる池田信夫氏の神経には驚嘆の念を禁じ得ません。

池田信夫氏は、英語でとは言いませんが、せめて日本語で翻訳の出ている雇用労働関係のOECD文書くらいは目を通してからつぶやいた方がいいと思います。

=============

もちろん、ここに何を書いても池田信夫氏が事実に向き合うとは期待していません。

問題は、このような池田信夫氏の議論に、ただそれが派遣業界の味方をしてくれているからといって、安易に飛びつく傾向です。

http://twitter.com/Hidesuke_Kyoto/status/27971044421(派遣屋 まったり ひですけ)

>【拡散】ここに私達の主張がそのままある。非常に重要。 #hakenhou koyou_News: 労働者の地獄への道は官僚の善意で舗装されている 規制強化で派遣・契約社員は失業へまっしぐら JBpress(日本ビジネスプレス) http://bit.ly/9txoWD

もし、派遣業界の皆さんが、池田信夫氏の議論に対して「ここに私達の主張がそのままある」とまで仰るのであれば、そのような方々を擁護することはもはやできません。

わたしが早稲田大学産業経営研究所のシンポジウムで、冒頭わざわざ奥谷禮子氏のことを持ち出したのは、派遣業界内部の人のことだけではなく、こういう正規も非正規もみんなまとめて労働者の権利を剥ぎ取ればよいというような議論をする人に、(派遣業界の味方をしてくれるからといって)うかつに近づくと、それ相応のしっぺ返しが来るよ、というメッセージを申し上げたつもりでありました。

残念ながら、その意図は十分には伝わっていなかったようです。

もちろん、わたしは真の労働者の権利保護の観点から、あるべき規制はどのようなものであり、あるべきでない規制はどのようなものであるかを淡々と述べているだけですので、それで議論の中身が1ミリも動くものではありませんが、さはさりながら、公然と池田信夫氏を賞賛する業界のために一肌脱ぐ気はなかなか起きにくいであろうとは思われます。

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中国も「希望は戦争」?

サンケイ・ビズの記事ですが、これと例の尖閣騒ぎを重ね合わせつつ、赤木智弘氏の本と高基彰氏の本を横目で睨みながら、日中戦争期の歴史書などをひもとくと、なかなかに背筋の冷えるところがあります。

http://www.sankeibiz.jp/macro/news/101020/mcb1010200506017-n1.htm中国、就職氷河期に直面 大卒の60%「単純労働も選択」

>「大卒者が卒業証明書を燃やす」。就職先が見つからず、その腹いせに卒業証明書に火を付ける映像を中国の複数大手ウェブサイトが流し、中国社会に衝撃を与えている。

 この大卒者は、卒業して5年が過ぎても安定した就職先が見つからず、露天商になったり、ホームレスを経験するなどの辛酸をなめた。

 しかし、いまなお就職先は見つからず、面接を受けては門前払いを食らう日々が続いているという。

 「大卒証明書は自分に何の幸運ももたらしてくれなかった」。こう言ってため息をつくこの大卒者は、鬱憤(うっぷん)を晴らそうと証明書を燃やしてしまったのだ。

 中国では今、大学生の就職難が深刻な社会問題になっており、厳しい現状に直面した大卒者はやむをえず、「高給民工(出稼ぎ農民)」を選択して、単純労働に従事する民工たちと職を奪い合わざるを得ない

>中国のインターネットサイト「前途無憂網」によると、民工を選択するという大卒者は60%、選択も視野に入れたいと答えた人は21%に達したのに対し、再就職への影響や差別を恐れて民工を選ばない人は19%にとどまった。

・・・・・

>中華英材網の職業アドバイザー、欧陽氏は「大卒者らは就職難に直面し経験を積む機会が少ない。かつてエリートともてはやされた大卒者だが、昔の専門学校生たちの職に就けば幸運で、(それも見つからなければ)“高給民工”に甘んじざるを得ないのが中国の現状だ」と話す。(広州日報=中国新聞社)

今や大卒は「高給民工」。しかも、「希望は革命」などとは口が裂けても言えないのですから、「希望は戦争」となるわけです。

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住宅補助と積極的労働市場政策だけで自殺は減らせる

「_h_japan」さんが、英語論文の要約をつぶやいておられます。興味深い内容なので、こちらにコピペ。ちなみに、わたくしはこの方をまったく知りませんし、どこでどういう論文を書かれるのかも知りません。ツイッタ上だけの情報です。しかし、それゆえにこそ、大変興味深いのです。

http://twitter.com/_h_japan/status/27947424431

>近々学会で発表する分析結果によれば、日韓のように急速に経済発展した国では、失業率の上昇が自殺率の上昇に結びつく傾向がある。これは、長期経済成長率の自殺率への正の効果が、長期成長率と失業率との正の交互作用によって説明し尽くされたことで、示される。で、来月の論文ではこの続きを書く

http://twitter.com/_h_japan/status/27948194363

>実は、長期成長率と失業率の交互作用と独立して、社会支出率(対GDP比)は自殺率に負の効果を持っている。社会支出率が1%上がれば、10万人あたり自殺者は0.1人減る推定だ。単純計算すると、日本の社会支出率をスウェーデンレベルまで10%程高めると、日本の自殺者が1300人減る推定。

http://twitter.com/_h_japan/status/27948387378

>で、重要なのはここからだ。社会支出の内訳は、年金・医療・家族・失業・障害・住宅・生活保護など、多岐に渡る。では、どの分野での支出を高めれば、自殺率が減るのだろうか。ヒントはオランダ、英国、デンマークの事例にある

http://twitter.com/_h_japan/status/27948605784

>それらの事例から仮説を導けば、「住宅補助」(ホームレスにならない安心を提供)と「積極的労働市場政策」(失業から脱せる希望を提供)のための支出が、自殺率を下げる、との仮説が提案できる。

http://twitter.com/_h_japan/status/27948758358

>で、実際に分析してみると、「社会支出」の(自殺率への)負の効果は、「住宅補助」と「積極的労働市場政策」の2つの変数の負の効果によって、完全に有意性を失う。つまり、社会支出の効果は、住宅補助と積極的労働市場政策で、説明し尽されたことになる。先の仮説を支持する結果が得られたわけだ。

http://twitter.com/_h_japan/status/27949650727

>というわけで、「私たちの子孫が、この国で不運によって失業したときに、それが原因で自殺に追い込まれてしまうようなことがないように、この国の制度を改善するためには、とりわけ住宅補助と積極的労働市場政策に税金を使うように方向づけたらよいのではないか」との提案ができるのではないだろうか。

http://twitter.com/_h_japan/status/27950078410

>もちろん、分析・解釈・提言の前提として、「日本の経緯だけでなく、他の先進諸国(OECD諸国)の経緯からも、(各国の歴史的背景の違いを考慮に入れつつ)等しく学ぶならば」という前提があるので、それを明記しておかなければならない。

http://twitter.com/_h_japan/status/27950471561

>以上の文章をもとに、来月中旬〆切の英語論文を書くことにしよう。たった7ツイートで済んだ内容なので、かなり手短に書けそうだ。今週末に3連休ができたので、そこで一気に書くべし。 ただし、先行研究の調査を、もう少し追加でやっておきたいところだ。大変だけど・・。

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上西充子・川喜多喬編著『就職活動から一人前の組織人まで』

Image_display ということで、本日午前中ゲスト講師として出た職業選択論を教えておられる上西充子先生より、その編著書『就職活動から一人前の組織人まで』(同友館)を直接いただきました。

http://www.doyukan.co.jp/item_047152.html

>法政大学大学院人材育成研究所の研究会での研究をもとに、大学生が就職活動時期から事業組織に入って一人立ちするまでの時期、「初期キャリア」に関わる論文を集めた。ヒアリング調査などによる事例を豊富に取り上げ、実証的に読みやすくまとめられた研究書

目次は

第I部 学校から職場へ:初期キャリア形成の問題状況
 第1章  なにが早期離職をもたらすのか
第II部 学生と企業との出会いから組織人3年目まで
 第2章  新規学卒者の採用から定着までの企業による支援活動
 第3章  企業との長期共同プロジェクトが大学生にもたらす学習効果
 第4章  大卒事務系総合職の初期キャリア形成
 第5章  成長ベンチャー企業における新卒社員の初期キャリア形成
第III部 プロフェッショナル層の入社から「一人前」まで
 第6章  一人前への路:コンサルタントの場合
 第7章  一人前というロールモデルの可能性
 第8章  中途採用エンジニアのスムーズな立ち上がり支援策
第IV部 学校から職業への移行過程:解題に代えて
 第9章  初期キャリア形成の理論と企業行動

上西先生が書かれているのは、第1章の「なにが早期離職をもたらすのか」で、5人の新規大卒者のヒアリングを通じて、どういう企業で早期離職が生じ、そういう企業では定着するのかを、大変ビビッドに描き出されています。とりわけ、入社1年で離職した葛西順子さん(仮名)や入社4ヶ月で離職した久米宏隆さん(仮名)のケースは、とっても考えさせられます。

そのほかの論文もいずれも読み応えがあります。

が、やはりここは川喜多節全開の第9章でしょう。

はい、全国の川喜多ファンの皆様、川喜多節ですよ!

>これが今、学生時代に教わっていれば、「就活」とやらに直面して慌てて就活支援業者からにわか作り、付け焼き刃で教わることがなかったろう。企業が新入社員教育で読み書きそろばん礼儀作法を教えるのに多大の時間を使うことはなかったであろう。現実には、大学教員の多くは自らを職業人として養成するところと思わず、それを恥とすら考え、ひとり就職部の職員の努力があった。悩みに答えたのは就職支援産業であったが、その言動に学問側からの検証はほとんどされてこなかった。ゆえに学生は就職にとまどうことから始まって、初期キャリア形成にさまざまな困難を抱えたこと、周知の通りである。

>大学での職業訓練の不十分は今に始まったことではない。明治時代には多くの大学は実業学校であったし、また特に現在の私大は実業という名称を付けていた。それがどういうわけか大学の方が権威があると思いこんだのか、実業、職業という名前を外して一斉に大学になった。関学でも一橋などは実業学校から大学への「格上げ」のために教授・学生が騒動を起こすほどであった。現在でも、職業訓練をもう少し重視すべきではないかという意見が出るたびに、大学関係者やその団体が職業教育偏重反対という声を上げるのは周知の通りである。

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年齢に基づく雇用システムと高齢者雇用

本日は大学での講義のはしごで、5限に東大の学部横断型ジェロントロジー教育プログラムの一環として、「年齢に基づく雇用システムと高齢者雇用」をお話ししてきました。久しぶりに法文2号館に入りました。

http://www.iog.u-tokyo.ac.jp/education/core2.html

このプログラムは、一昨年から始まりましたが、昨年は残念ながら新型インフルエンザ(?)で38度の高熱を発したためやむなくドタキャン。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-ff85.html

一昨年の講義の様子は、オープンコースウェアというところにアップされています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-b643.html?no_prefetch=1

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気分は正社員?または権利のための闘争

3401310 本日、9時半より、法政大学キャリアデザイン学部において、「職業選択論Ⅱ」の講義(上西充子先生)にゲスト講師として顔を出して、若干喋って参りました。

この講義は、例の「くら」事件や「日本綜合地所」事件などを題材にしながら、先日厚労省が出した『知って役立つ労働法』を教材に、労働をめぐる現状の理解をめざす講義ということですが、先週、受講学生にアルバイトについてのアンケートを実施し、その結果を踏まえて私もコメントするという企画でありました。

このアンケート結果が結構なにで、募集では時給1000円だったのに実際に入ったら950円だったとか、毎日1時間くらいの時給は認定してもらえないとか、毎月制服代として3000円引かれると決まってから知ったので納得せざるを得なかったとか、無料の食事補助が店長が替わって有料になり、店のものをお金を払わずに食べるのは窃盗だと言われたとか、まあいろいろな事例が挙がっています。

そして、そのどれについても、権利を主張しようとした学生は一人もいませんでした。

なぜなんだろう?、なぜ権利を主張しようと思わないんだろう?と私は問いかけ、それに対する答は、せっかくのアルバイト先を失いたくないからとか、文句を言ってシフトを変えられるからとか、店長がものすごく働いていて申し訳なくて言えないといった答が返ってきました。

これはとても興味深いことです。

学生アルバイトというのは、こうやってちゃんと朝早くから講義に出席している学生さんたちなのですから、言葉の正確な意味で家計補助的というか、生活の中心を占める労働活動ではないはずなんですね。典型的正社員のような企業メンバーシップからは最も遠い位置にあるはずの人々であり、もっとも純粋にジョブ型の労務と報酬の交換契約であってしかるべき人々です。ところが、彼らの労働は少なくとも主観的にはそうではないんですね。

首都圏のど真ん中の法政大学の学生なのですから、その気になればいくらでもアルバイト先はあり、搾取されながら我慢し続けなければならない理由などなさそうに見えるのですが、意識構造はそうではないのです。まるで、「気分は正社員」。もちろん、気分だけですが。

講義の最後に、法学部であればみんな学ぶイェーリンクの『権利のための闘争』を引用したりしたのですが、

>法は、実際に実行されることをもって本質とする。実行されることのない法規範、実行されなくなった法規範は、もはや法規範の名に値しない。・・・私人が何らかの事情によって――たとえば自分が権利を持つことを知らずに、または安逸と臆病から――いつまでも全く権利主張をしないでいるならば、法規は実際に萎え衰えてしまう。

長期的なメンバーシップの保障された大企業の正社員だと、権利を実行することと実行しないことを天秤にかければ、あえて権利を主張しないことによって企業に預金した分を数十年後になって引き出すことの方が合理的であるという判断は経済学的には十分あり得ますが、正社員でも中小零細企業ではそんな保障はないですし、ましてや学生アルバイトなど、初めからそのような保障はゼロであるという確実な保障があるはずなのですが、それでも「気分は正社員」で、そういうことはしないのです。

>しかし、何故それではいけないのか、と私に喰ってかかる人もいるだろう。権利者自身を別とすれば誰も困るものはいないではないか、というわけだ。これに対しては、既に用いた戦線離脱の例をもう一度使って説明しよう。千人もの兵士が戦わなければならないところでは、一人が脱落しても気づかれないかもしれない。しかし、千人のうち百人が戦線を離脱すれば、忠実に部署を守り続ける者の状況はどんどん悪化してゆき、自分たちだけで全戦線を持ち堪えねばならないことになる。この喩えはわれわれの問題の真の姿を明らかにするのに役立つであろう。私法の分野においても、不法に対する権利の闘争、全国民の力を合わせた闘争が重要なのであって、この闘争においてはすべての者がしっかりと結束しなければならない。ここでも、逃亡者は皆の問題について裏切りを行うことになる。かれは敵の厚かましさを増長させることにより敵の力を強めるわけだから。恣意と無法が厚顔無恥に頭をもたげるのは、いつも、法律を防衛すべき任務を負う者が自分の義務を果たしていないことの確かなしるしである。そして、私法においては誰もが、それぞれの立場において法律を防衛し、自分の持ち場で法律の番人・執行者としての役割を果たすべき任務を負わされているのだ。

今のアルバイト学生たちの(あまりにも)素直な意識構造に触れ得た、という意味で、わたくしにとっても大変意義のあるゲスト講義でした。願わくば聴かれた学生たちにとってもなにがしか脳裡に残る講義であったことを。

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だからそれが「密接な無関係」

POSSEの坂倉さんが、ベーカムがらみでつぶやいていたので、

http://twitter.com/magazine_posse/status/27787611747

>ベーシックインカム・実現を探る会の白崎一裕代表の『POSSE』8号萱野論文評。「教育と所得(入試・就職)が密接に結びついているというのはすでに詐欺状態なのだ。」教育と就職がまともに結びついていないのが問題なのでは?職業教育も反対なのか…。

そのリンク先を読んでみましたら、

http://bijp.net/mailnews/article/219

なるほど、そういうことか、と分かりました。

>2000年代以降、就職活動において大学生や高校生は「正社員になる」ために、面接の際に「自分の過去の経験をふまえ淀みなく一貫性をもって将来の『やりたいこと』を」求められた。「現在の就活では、個性的で交換不可能な『自分』を語ることによって初めて労働力商品として交換の対象となるという矛盾を乗り越えなければ」ならない。そして「正社員になるために一方では『やりたいことを探せ』と言われ、一方では『やりたいことをあきらめろ』と言われるダブルスタンダードが、今の若者をとりまいているのです。」

このダブルスタンダードこそ、子どもたち・生徒たちが大人の欺瞞として受け取る最たるものだということだ。私は、私塾で、多くの子どもたちと付き合ってきたのでそれが痛いほどよくわかる。学校で、彼らは何と言われるか?「夢をもて、君たちは無限の可能性がある」と言われ続け、それが入試や就職が近くなると「現実をみろ!夢ばかり追うな、分相応になれ」と、まさに矛盾・ダブルスタンダードの言葉を浴びせられる。これこそ賃労働の抑圧性と言わずして何といおうか。さらに、現在ではダブルスタンダードの「教育」の果てには、失業かまともに働く場所もないーーという状況である。教育と所得(入試・就職)が密接に結びついているというのはすでに詐欺状態なのだ。ここにいたっては、労働と所得の分離、そして、教育と所得の分離がBIによってなされるべきである。

だから、白崎さんが、そしてそこで引用されている橋口さんが怒っているのは、職業的レリバンスのある教育、中身で職業と密接につながっている教育ではなくて(そんなものは受けさせてもらえなかった)、中身は全然職業と関係ないくせに、その態度が、その人間性が、その夢が、その現実認識が、そういう職業の中身とは直接関係のないあれやこれやが、やたらに職業と密接につなげられた、そういう教育のことを指しているわけです。

それを、わたくしは端的に「教育と職業の密接な無関係」と呼んだわけですが、少なくともこの白崎さんは、この特殊な「密接な無関係」を本来の「密接な関係」であると認識して(現代日本社会に生きていると、とりわけ文科系大卒者などという一番レリバンスのない世界を生きてきているとやむを得ない面はありますが)、そんな「密接な関係」はヤダ!と叫んでいるのでしょう。

その叫びは、叫びとしてはきちんと受け止める必要性があります。ただし、あくまでも「叫び」としてです。

「叫び」を超えて、反省的意識における何らかの社会的発言として評価するならば、それはやはり「叫びでしかない」としか言えないでしょう。

なぜなら、そこには、自分の受けてきたのとは異なる、「密接な無関係」ではない本当の「密接な関係」があり得るという認識は見られないからです。

叫びに基づくBI論は、叫びのレベルとしては向き合われるべきです。

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木村琢磨『戦略的人的資源管理 人材派遣業の理論と実証研究』

Img 木村琢磨さんより、近著『戦略的人的資源管理 人材派遣業の理論と実証研究』(泉文堂)をお送りいただきました。ありがとうございます。

この本は、メインタイトルはなんだか経営学部の教科書みたいですが、サブタイトルは我々にとってとても興味をそそるものになっています。

そして、本の構成も、まさに二重構造になっています。

目次は

序章 戦略と人的資源管理
第1章 事業環境分析
第2章 事業戦略
第3章 戦略と役割行動
第4章 情報の収集と転写―コミュニケーション
第5章 コンフリクトと交渉
第6章 問題解決と意思決定
第7章 人材育成
終章 まとめ

となっていますが、この各章が、それぞれ理論編と実証編に分かれているのです。

率直に、私の素朴な感想を言いますと、この理論編て、要るのかな?という思いがしました。もちろん、それは私の関心がもっぱら派遣業の具体的な戦略にこそ関心があるから、ではあるのですが、「理論編」の記述があまりにも一般的というか、教科書的であって、派遣業界の現実とのつながりが、正直言って今ひとつ見えにくい印象です。そもそも、人的資源管理、って、一般理論から演繹的に降りてくるものなのかなあ?という疑問もこれあり、「要るのかな?」と感じた次第です。むしろ、派遣業の実証研究から帰納的に一般的な理論を導くような記述であれば、興味深く読めたかも知れません。

それに対して、各章の後半をなす実証編は、まさに前人未踏というか、派遣業の派遣する側の有り様を、きめ細かく、かゆいところに手が届くような筆致で分析していて、これはもう派遣業を語る人必読という感じです。

これはやはり、木村さんが研究者になる前に、人材派遣会社に就職し、営業担当者として活躍されていた経験が、研究者には見えにくい重要なディテールにきちんと目がいくように役立っているのであろうと推察されます。こういう「カン」って、結構重要なんですよ。

とりわけ、第5章の「コンフリクトと交渉」、第6章の「問題解決と意思決定」のあたりは、ヒトという独立の意思を持って行動する特殊な「商品」を継続的にサービス提供し続けるという特殊な業態からくる能力の必要性がビビッドに描かれています。

営業担当者は普段派遣先にいるわけではないので、トラブルを未然に防ぐといっても限界があるし、トラブルが発生したからといって、うかつな対応をするとかえって事態を悪化させることもあります。「伝書鳩」じゃだめだ、という記述がありますが、労働局の個別紛争あっせん事案でも、この「伝書鳩」的な事案がありました(30616)。

派遣労働者本人が派遣会社の営業担当者に、やる気が出ないので、どれだけの成績を上げれば時給を上げてもらえるのか、派遣先に聞いて欲しいと言い、それを聞いた営業担当者が派遣先に伺って問い合わせたところ、派遣先担当者は成績も上がっていないのに時給を上げて貰う交渉に来たことと、このままではやる気が起こらないという本人の言葉に大変不快感を覚えたようで、派遣先の方針にそぐわないというの判断で、明日から来なくていいという指示を出され、その1時間後に(派遣会社の)社長が交渉に伺ったが、話し合いは平行線をたどり、その派遣先に人材を派遣できるのはその日までとなった・・・、という事案です。

もちろん派遣先にも大きな問題があるし、何らかの対処も必要ではありますが、それにしても、この担当者、「ガキの使いやあらへんで」という感じではありますね。「コミュニケーション能力」の問題と言うべきか。

いずれにしても、少なくとも各章の実証編は派遣問題に関心を持つ方々には必読の研究書だと思います。

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日本年金学会シンポジウムのご案内

やや先ですが、来たる11月26日に、日本年金学会のシンポジウム「非正規雇用と年金制度」が開催されます。

http://www.nensoken.or.jp/gakkai/2010sympo/

>少子高齢社会の先頭を走っている日本で、公的年金制度に対する期待と不安が国民の間で交錯する状況となっております。将来には不透明性が漂いますが、人類の最高の発明の一つとも称される年金制度は、今後、ますます大切で、かけがえのない存在になっていくものと思われます。

一方で、雇用情勢に大きな変化が生じており、非正規労働者の増加が大きな社会問題となっております。非正規労働者は、一般的に、賃金の水準や雇用の安定の面で不利な立場に置かれている上に、年金をはじめとする社会保険の適用が限定されている現実もあり、就労中のみならず、老後におけるリスクも高い、と言われております。

日本年金学会では、このような状況を踏まえ、このたび、非正規労働者と年金制度にかかるシンポジウムを開催し、この問題について、専門家の方々から、日本における非正規労働者の現況、雇用と年金との関わり、非正規労働者と公的年金および企業年金との関わり、外国の状況について報告いただいた上で、聴衆の方々とともに考える機会を持つことといたしました。

今後の日本社会を展望する上で、非常に重大な問題の一つであると思いますので、是非、参加をご検討ください。

ということで、日時と場所は:

開催日時
2010年11月26日(金曜日) 14:00~17:00
会場
東海大学校友会館「阿蘇の間」(千代田区霞が関3-2-5 霞が関ビル35階

です。

プログラムは、

14:00

開会のあいさつ
山崎泰彦(神奈川県立保健福祉大学教授/日本年金学会代表幹事)
 14:05
【第1部】論点提示
「日本における非正規雇用の現状」
永瀬伸子(お茶の水女子大学大学院人間創成科学研究科教授)
 14:25
「雇用と年金の連携について」
久保知行(日産自動車人事部エキスパートリーダー/日本年金学会幹事)
 14:45
「非正規労働者と公的年金」
駒村康平(慶応義塾大学経済学部教授/日本年金学会幹事)
 15:05
「非正規労働者と企業年金」
小野正昭(みずほ年金研究所研究理事/日本年金学会幹事)
 15:25
「諸外国における非正規労働者の現状」
濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構労使関係・労使コミュニケーション部門統括研究員)
 16:00
【第2部】パネルディスカッション
 17:00
閉会

わたくしの報告は諸外国(といってもEUに限られますが)の非正規労働者の現状について、です。

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人財育成ネットワーク推進機構にて

本日夕刻より、法政大学にて、NPO法人人財育成ネットワーク推進機構において、EU労働法をめぐってお話をして来ました。

この機構は、藤村博之先生が中心になって運営しておられる組織で、今回はわたくしがお招きをいただいたということです。

本田一成先生も理事として来られていました。先日、労供労組協の会合でお会いしたばかりでしたが、いろいろとご質問をいただきました。

ちなみにその直前に、キャリアデザイン学部の上西充子先生と打ち合わせがあり、筒井美紀先生ともご挨拶させていただきました。

上西先生の話はまた。

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池田信夫氏の勇み足

一知半解で有名な池田信夫氏が、厚生労働省の有期労働研究会で座長を務めた鎌田耕一先生に絡んでいます。

http://twitter.com/ikedanob/status/27611183137

>有期雇用研究会の鎌田耕一座長は「OECDは日本の労働市場に二重性があると批判している」というが、彼らは「正社員の雇用保護を削減せよ」といってるんだよ。労働法学者って英語も読めないの?

もちろん、本ブログを以前からお読みの皆さんには、英語が読めないのがどちらであるかはとうにおわかりでしょう。

Youth OECDが具体的にどういうことを日本に求めているのか、中島ゆりさんが翻訳し、わたくしが監訳した『日本の若者と雇用 OECD若年者雇用レビュー:日本』から、そのまま引用しましょう。訳書の105ページです。

>このような線に沿った雇用保護規制の改革に先立って外部労働市場の機能を改善するための積極的労働市場プログラムとともに、より寛大な失業給付及びその他の職場ベースの社会保険制度を導入する必要がある。・・・もし、それがなされれば、正規雇用と非正規雇用の保護上の格差を減らすという観点で雇用保護規制が改革されうる。これには正規契約をしている労働者の雇用保護規制の厳格性を緩和する一方で、有期労働者、パートタイム労働者、派遣労働者に対する保護を強化することが含まれるだろう。前者の一つの選択肢は、正規契約をしている労働者の解雇事案の解決のため主に判例法理に依存した現在の手続きよりも、より明確で、より予測可能で、より迅速な手続きを導入することだろう。これらの改革措置は労使団体の参加により確かに計画され実施されることが重要であろう(Rebick, 2005)。

>労働市場の二重構造の拡大に対処するため、賃金と各種給付上の差別待遇に取り組む上で、さらにすべきことがある。たとえば、差別禁止法を施行し賃金その他の手当における差別的慣行を減らしていくことで、非正規労働者を採用するインセンティヴを弱めるだろう

一読すればおわかりのように、OECDの議論はまことにバランスのとれたものです。

確かに、OECDは正規労働者の雇用保護の厳格性を緩和することを求めています。具体的には整理解雇4要件の見直しということになります。これは本ブログの読者はおわかりの通り、わたくしも累次にわたってその必要性を述べてきたことです。

しかし、OECDはどこかの一知半解さんとは違って、それだけで話を終わらせるようなことはしません。「正規雇用と非正規雇用の保護上の格差を減らす」というのは、もちろん「正規契約をしている労働者の雇用保護規制の厳格性を緩和する一方で、有期労働者、パートタイム労働者、派遣労働者に対する保護を強化する」ことであるわけです。

そして、鎌田先生が座長をしていた有期労働研究会は、まさにこのOECDが求めている「有期労働者・・・に対する保護を強化する」政策方向を探ってきたわけですから、そういうことを何も知らずに「労働法学者って英語も読めないの?」などと言い放てる池田信夫氏の神経には驚嘆の念を禁じ得ません。

池田信夫氏は、英語でとは言いませんが、せめて日本語で翻訳の出ている雇用労働関係のOECD文書くらいは目を通してからつぶやいた方がいいと思います。

(追記)

なお、同じくOECDのアクティベーション報告書を、わたくしの翻訳により、『日本の労働市場改革-OECDアクティベーションレビュー:日本』として、同じく明石書店から刊行する予定です。ご期待ください。

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偽装請負解消の代償

もう一つ、今度は『労働経済判例速報』2082号から、深刻な判例。

TOTOほか事件(大津地判平22.6.22)は、構内下請企業の労働者が労災事故で死亡した事件ですが、その経緯は、発注元企業が偽装請負適正化指導を受けたために、本件工場のラインをすべて下請企業の従業員に担当させることにしたところ、その1週間後に事故が起きたという事案です。

裁判所は下請企業だけでなく発注元にも損害賠償責任を認めましたが、この雑誌の「時言」で榎本英紀弁護士が書かれているこの言葉が身に沁みます。

>請負適正化のために発注企業従業員が下請企業従業員に指揮命令しない体制を整えることが、企業の順法対応として重要視された時期が存した。行政の適正化指導が一人歩きしたのか、安全管理のためのミーティングや引き継ぎさえも作業上の指揮命令として排除すべきなのかと、大まじめで筆者に相談に来られた企業の担当者も少なからず存した。・・・これらの多分に理念的な順法対応が、現場の安全管理体制の確保に優先してしまう現象に対し、本件は警鐘を鳴らしている。請負適正化対応がなければ、経験の少ない請負会社従業員を製造ラインに配置することもなく、事故も起こらなかったという考えを一般人がもつことは避けられないであろう。

わたくしが拙著『新しい労働社会』で、「偽装請負は本当にいけないのか?」と問いかけたのは、まさにこういう事態が起きてはならないと思っていたからなのです。

そして今、今度は派遣に対する風当たりの厳しさから業界は請負化、請負化という風潮になっていますが、そこにまたぞろ偽装請負キャンペーンがやってきたらどういうことになるか、問題は何一つとして解決してはいないのです。

労働法とは、何よりも労働者のいのちとくらしを守るための道具でなければなりません。

スコラ的な概念法学の寝台に労働者を無理にくくりつけてはみ出た足を切り落とすための道具であってはならないはずです。

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僧侶は労働者?破門は解雇?

『労働判例』10月15日号掲載の“妙應寺事件”は、僧侶の労働者性が問題になった興味深い事案です。

もともとは宗派内部の紛争から発生したようですが、

>・・・各宗教活動につき、逐一住職から支持を受け、また、報告をしていなかったとしても、担当の地域が決められ、その地域内で宗教活動をしているのであれば、使用者からの指示に従って活動していると評価することができる。

>また、被告は僧侶には定められた休日や有給休暇はなく、残業手当等もなくて、その就労実態からすると労働基準法をまったく無視していると主張するが、労働基準法が遵守されていないことをもって、僧侶が労働基準法上の労働者でないということはできないから、被告の主張は採用できない。

と、僧侶の労働者性を肯定し、本件破門を解雇と認めました。もっとも、解雇は客観的に合理的で社会的相当性もあるとして認めています。

「労働基準法を無視しているから労働者じゃない」ってのは何という主張か、と思いますが、じつはそもそも宗教労働者に労働時間規制を適用することには無理があり、EU労働時間指令でも、第17条第1項の適用除外で、「経営管理者」「家族従業者」とならんで、

>教会及び宗教団体の宗教儀式を執り行う労働者

は適用除外とされています。

それはまあ、そういうもんでしょうが、だから僧侶が労働者でないというわけではないということでしょう。

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第120回日本労働法学会大会

明日は、後楽園の中央大学で、第120回日本労働法学会の大会です。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jlla/contents-taikai/120taikai.html

>1.受付開始(8:45~)
2.大シンポジウム報告(第1報告~第3報告、9:30~12:10)
統一テーマ:
「雇用平等法の新たな展開」
司会:浅倉むつ子(早稲田大学)、石田眞(早稲田大学)
第1報告 和田 肇(名古屋大学)「今なぜ雇用平等法を問題にするのか」
第2報告 長谷川聡(中央学院大学)「性差別禁止と差別的構造」
第3報告 緒方桂子(広島大学)「雇用形態間の均等処遇」
第4報告 山川和義(三重短期大学)「年齢差別禁止の法的意義と方向性」
第5報告 渡辺 賢(大阪市立大学)「雇用における対多様と平等」

3.総会・休憩・昼食(12:20~13:50)
4.大シンポジウム報告(第4報告~第5報告、13:50~14:30)
5.質疑応答・討論(15:00~17:30)
6.懇親会(17:30~19:30)

今まで「雇用平等法」といえばだいたい男女平等法だったわけですが、今回は雇用形態や年齢など、差別禁止法の広がりが窺えるラインナップです。

広がるとともに、これまで余り法学的にきちんと詰められてこなかった賃金制度論や人事制度論などとの関連を突っ込んで論ずる必要も出てくるわけで、どういう議論の展開になるか、楽しみです。

(追記)

ということで、いま二次会が終わって戻ってきました。

大シンポでは、一件質問を出し、緒方さんと渡辺さんのお二人からお返事を頂きました。

差別問題は、使用者と被差別者だけではなく、優遇者も含めた三者間関係であり、優遇者をどう扱うべきか(どう下げるか)という問題を抜きにしては論じられないのではないかという論点です。

詳しくは学会誌で。

(再追記)

ちなみに、昨日の労働法学会に対する野川忍先生の辛口コメント

http://twitter.com/theophil21/status/27686276305

>(1)昨日の日本労働法学会は、率直に言って期待外れ。雇用平等がテーマだが、報告者は「米国ではこうなっている」「ドイツのこの仕組みを参考にしよう」など、背景や国情も考えずパッチワークのように諸外国のいいとこどりを考えているきらいがあった。

http://twitter.com/theophil21/status/27686558896

>(2)また、「均等待遇」を観念的に主張しても、現場の具体的な課題には応えられない、という基本的な前提がわかっているのかな、という印象。同一の取り扱いは無理でも均衡処遇(バランスを欠かない対応)を義務付ける、という傾向がなぜ日本で強いのかを踏まえたうえでの批判なら有益だが…。

そもそも、EUの「均等待遇」自体、勤続期間など考慮要素も含めた現場の具体的な課題に応えるためのもので、それを「均衡」というのなら、EUだって「均衡」なのではないか?と思います。

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精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会

昨日、厚生労働省で第1回の「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会」が開かれました。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000u8t2.html

その開催要綱を見ますと、

>業務による心理的負荷を原因とする精神障害については、平成11年9月に策定した「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(以下「判断指針」という。)に基づき労災認定を行っているところであるが、この労災請求件数については、平成10年度においては42件であったものが、平成21年度には1136件に達するとともに、今後も増加が見込まれる状況にある。
このような状況の下で、精神障害の事案の審査には平均して約8.7か月の期間を要し、また、その審査に当たり行政においては莫大な事務量を費やしているところである。
一方、精神障害の事案に対する早期の労災認定は、厚生労働省の自殺・うつ病等への対策の一環としても位置づけられる等、労災請求に対する審査の迅速化を進めることが不可欠となっている。
そこで、厚生労働省労働基準局労災補償部長が、労働者災害補償保険法等に精通した専門家に参集を求め、審査の迅速化や効率化を図るための労災認定の基準に関して検討を行うこととする。

と、うつをはじめとする精神障害事案の審査の迅速化が目的のようです。

議論の方向を示すと見られる「精神障害の労災認定の現状と論点の考え方(案)」では、

>1 現状
精神障害等の事案の審査・決定に当たっては、主に次の調査等を行い、平均して約8.7か月の期間を要している。
① 調査計画の策定(0.5か月)
② 請求人、事業主等の関係者からの聴取書作成(2か月)
③ 医証、労働時間の記録等の関係資料の収集(2か月)
④ 調査結果のとりまとめ、事実認定(1か月)
⑤ 精神科医3名により構成する専門部会での協議(2.5か月)
⑥ 精神部会の結果による最終処理(0.5か月)

2 審査の迅速化、効率化を図るための対応
審査の迅速化、効率化を図るためには、以下の事項を検討する必要があるのではないか。
(1)上記調査等のうち、どのような事項について、簡素化等が考えられるか。
・ 事実関係を明確にするために省略することができない調査がある一方、事実関係に基づいて因果関係の判断を行う専門部会での協議については、認定の基準の具体化や明確化により省略できるものがあるのではないか。
(2)認定の基準の具体化や明確化のためには、認定事例、裁判例等を踏まえ、次のような事項の検討が必要ではないか。
① 精神障害の成因について
② 精神障害の業務上外の判断枠組みについて
③ 業務による心理的負荷の評価基準の明確化について
④ 出来事ごとの心理的負荷の強度の見直しについて
⑤ 心理的負荷の評価対象について
⑥ 認定の基準の運用について

と書かれています。

個別紛争事案でもうつをはじめとするメンタルヘルス関連事案が結構多くなっていますし、この研究会の議論は注目していきたいところです。

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仕事ない・・・・訓練の場もない 80施設全廃 求職者に打撃@読売新聞

本日の読売新聞15面は、大津和夫記者の正義感あふれる記事です。

題して「仕事ない・・・・訓練の場もない 80施設全廃 求職者に打撃」

>政府は、全国約80カ所ある国の地域職業訓練センターを、来年3月までに全廃する方針を示している。完全失業率が5%を超える雇用情勢が続く今、国による公共職業訓練の見直しが妥当かどうか、揺れる現場を訪ねた。

新卒3年扱いなどという枝葉には過剰に反応するくせに、こういう一番大事なことには鈍感で、職業訓練を「ムダ」としか認知できない愚昧な政治家や学者やマスコミ人が多い中、大津記者のセンスはひときわ光ります。

>「仕事も少ないのに、訓練の場までなくなるんですか」と、北海道の苫小牧地域職業訓練センターに通う苫小牧市の男性(31)。・・・「センターがなくなれば、高いお金を出して民間の講座を受けるしかない」とうなだれた

こういう一番求められていることを「ムダ」としか認知できない感性は、日本型雇用システムの中で、もっぱら企業内教育訓練のみで育てられてきたために、公的な職業教育や職業訓練なんか「俺たちと違う落ちこぼれの行くところ」という風にしか感じてこなかった傲慢な人々の精神構造を物語って余りあります。

>リクルートワークス研究所(東京)の大久保幸夫所長は、「国は機構の組織の無駄を省くことと、安全網の話を混同している。職業訓練は国が保障すべき分野。財政面でもノウハウの面でも、地方に任せるのは難しい。地域間で格差が生じる恐れもある」と指摘する

ものの分かった人は誰でもそういうのですが、悲しいことにものの分かっていない一知半解無知蒙昧の徒輩の戯言ばかりがもてはやされるのですね。

>「訓練を地方に丸投げするのは無責任」、「なぜニーズの高い施設も廃止するのか」など、他の自治体からも疑問が噴出している。

この記事には、本ブログの読者の皆さんにはおなじみの、例のOECDの積極的労働市場政策への国の支出の割合のグラフも載っていますが、このグラフを見て「何とかしなければいけない」と思う人ははじめからそう思っているのであって、愚昧な人々は「ああ、アメリカと同水準だからいいや」とか「ヨーロッパ諸国は良くもこんなムダなことに大量の金を使っているんだなあ」としか感じないのでしょうね。付ける薬のない人ほど始末に負えないものはないわけですが。

いずれにしても、記事の最後の慶応の清家塾長の言葉がいい締めになってます。

>今後の国の最大の課題は、労働者の能力開発。国、自治体、企業の3社が連繋し、利用者本位の視点で質や内容を改善すべきだ。特に、非正社員など困難な問題を抱える若者の訓練費用は社会全体で負担する必要がある。

公的職業訓練を「ムダ」だと敵視する人々は、若者の訓練費用を社会全体で負担したくないエゴイストなのでしょう。

(参考)

読売新聞の良心大津和夫記者については、本ブログでも何回か取り上げてきました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_5410.html(大津和夫『置き去り社会の孤独』)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-5b6c.html(子供の貧困…親から続く「負の連鎖」)

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スウェーデンは解雇自由だって!?

1010report 『情報労連REPORT』10月号から、わたくしの新連載が始まりました。題して「hamachanの労働メディア一刀両断」。

>著作やブログなどで活躍中のhamachanこと濱口桂一郎氏がメディアに流通するトンデモ労働論に鋭く斬り込む新連載

https://www.joho.or.jp/report/report/2010/1010report/p30.pdf

その第1回目は、本ブログでも何回か取り上げてきた「スウェーデンは解雇自由だって!?」がテーマです。

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『新しい労働社会』第5刷

さて、早稲田のシンポジウムから戻ってみると、岩波書店から拙著第5刷の連絡が届いておりました。

本ブログの読者をはじめとする皆様のお蔭と、心より感謝申し上げます。

これからもロングセラーとして少しずつでも読まれ続けることを希望しております。

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早稲田産研派遣シンポジウム

Ibuka1 本日、早稲田大学の井深大記念ホール(写真)で開かれた産業経営研究所主催の「派遣法の改正と今後の労働市場」シンポジウムに出席し、いろいろと喋ってまいりました。

http://www.waseda.jp/sanken/forum/sanken/poster_36.pdf

パネリストは早稲田大学法学部の島田陽一先生、連合の新谷信幸氏、アデコの奥村真介氏、わたくし濱口桂一郎の4人で、鈴木宏昌先生がモデレータをされました。

わたくしのお話は、いつも書いたり喋ったりしていることなので、ことあらためて書くほどのことはありませんが、後半の討論の部分も含め、大変実りある議論になったものと考えております。

聴衆の大部分は派遣業関係の皆様であったようで、政策関係者やマスコミ関係者がもう少しいてもよかったのではないかな、と思わぬでもありません。

(追記)

ちなみに、kayorineさんがついったでシンポジウムを「中継」しておられたようです。ありがとうございました。

http://twitter.com/kayorine

(再追記)

kayorineさんを中心とした何人もの方々のつぶやきがとぎゃられています。

http://togetter.com/li/59749

ありがとうございます。

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従業員尊重義務@デンマーク労働法

デンマークといえば首斬り自由という条件反射のパブロフの犬たちがいっぱいいるわけですが、そうではないという話は本ブログでも書いてきたことなので、それ以外の側面について。

実は、EUレベルでまとめたものしか読んでいなくて、デンマークの労働法制全体のことはいまいちよく分からないところがあったので、ハッセルバルク氏の『デンマークの労働法』(クルーワー)をぱらぱらと読んでみたのですが、

>The Duty of Respect towards the Employee

というパラグラフ(293)があって、おおむねこういうことが書いてありました。整理解雇はほぼそのまま認められるし、不当解雇もほとんど1年分の範囲で金銭解決しているデンマークですが、基本的な使用者と従業員の関係について、こういう規範があるということも知られていいように思います。

>使用者は、もちろん、従業員に対してまっとうな(decent)やり方で振る舞う義務がある。彼は従業員に対して暴力や虐待的(abusive)言動をしてはならない。1908年のLO(労組)とDA(経団連)の基本協約の第5条には、その尊厳が攻撃された従業員は使用者から適切な謝罪を得るまでは労働を停止する権利を有する。このルールはまた、労働協約によって規制されない労働関係にも適用される。使用者の従業員に対する行動がそのような効果を有するかどうかを決定する際には、司法当局は事案の実際の状況に基づいて判断しなければならず、企業内の通常の言語を考慮に入れる。一般には、従業員は自らの自己尊厳が攻撃されないようなやり方で取り扱われなければならない。・・・もし使用者が従業員を深刻なやり方で攻撃した場合には、そのような行動は重大な契約違反をみなされ、従業員は予告なく契約を終了する権利を有し、使用者に補償を支払うよう義務づけることができる。

デンマークの労働法の一つの重要な側面がここに示されていると思います。

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このタイトルを付けたのは私じゃありませんからね!

POSSEのブログで公表されたようなので、こちらでも広報しておきます。

http://blog.goo.ne.jp/posse_blog/e/71533420ad039986acf889b95e61b9cf10/24(日)萱野稔人×濱口桂一郎 シンポジウム「これからの「労働」の話をしよう」

>NPO法人POSSE主催イベント

萱野稔人さんと濱口桂一郎さんをお招きし、雑誌『POSSE vol.9』収録イベントを開催します!
題して、 「これからの「労働」の話をしよう ~ブラック会社を生き延びるための哲学~」です。
USTREAM配信も予定しています。

◆日時:10月 24日(日)14時~16時半(13時半開場)

◆会場:北沢タウンホール11F 研修室3・4(下北沢駅南口より徒歩4分)
世田谷区北沢 2-8-18

詳しくは上記リンク先をご覧下さい、なのですが、ありうべき批評にあらかじめ答えておきます。

こんな見え見えのタイトルを付けたのは私じゃありませんからね!

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情報労連・NTT労組弁護団総会にて

本日、情報労連・NTT労組弁護団の総会にお呼びいただき、50人以上の弁護士の皆様の前でお話をして参りました。

さすが弁護士の皆様で、労働時間規制から、有期契約と「ジョブ型正社員」から、とりわけ集団的労使関係法のあり方(排他的交渉代表制に至るまで)深く突っ込んだ質問や意見を頂きました。

また、ちょうど出たばかりの『情報労連REPORT』の10月号もその場でいただきました。実は、この号から私の連載エッセイが始まっているのです。題して「hamachanの労働メディア一刀両断」。

>歯切れのいい論評で注目のhamachanこと濱口桂一郎氏がメディアに流通するトンデモ労働論をブッタ斬り‼

その冒頭の一節は:

>労働問題は単純にスパッと切れるようなものではない。専門家ほど発言に慎重になり、いろいろと条件をつけた上でないとなかなか断定的な言い方ができない。そこにつけこんで、一知半解で断定的な言説を振りまき、世論をあらぬ方向に誘導しようとする連中が湧いてくる。

 明らかな虚偽の宣伝に対してはきちんと批判を加えていかなければならない。本コラムではこれから毎月、ネットを含むメディアに流通するトンデモ労働論や一知半解の議論を取り上げ、批判を加えていく。

・・・

ということで、その中身の紹介はまた明日ということで。

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野川忍先生のついーと労働法講義シリーズ

野川忍先生のついったによる労働法講義シリーズが続々出荷されています。

http://twitter.com/theophil21

正直、労務屋さんの言うように「1ツイート140字というツイッターの制約は非常に大きいという印象で、おそらく先生もお考えを十分には述べきれておられないことでしょう」という感は大きいのですが、それでも労働法のかなり中核的な話を「つぶやく」という前人未踏の快挙(怪挙)は、紹介する値打ちがあります。

まず、「派遣法のあり方」シリーズ:

派遣法のありかた(1) 労働者派遣はなぜ規制されるのか? それは、もともとこの雇用形態が、「労働者供給」に該当し、労働者供給は職業安定法44条によって罰則付きで厳禁されていることに遠因があります

派遣法のありかた(2)労働者供給とは、要するに、自分の支配下にある人間を、第三者から金をとってその第三者のもとで働かせる、という仕組みであり、かつては港湾荷役のボスなどが利用して暴力団の資金源になっていました。

派遣法のありかた(3) そこで、各国とも労働者供給を禁じ、日本でも労働組合が無料で行う場合にのみ、許可を受けることを条件に認めてきました。 しかし、時代の変化とともに、「人材供給ビジネス」が定着して、厳格なコントロールのもとに労働者供給の形態の一部については法認の方向となります。

派遣法のありかた(4) そこで誕生したのが労働者派遣法であり、登録型と常用型の派遣事業を厳格な規制のもとに認めることとなりました。つまり、もともと刑罰を科して禁じている仕組みに特別に例外を設ける、というのが労働者派遣制度の出発点なのです。

派遣法のありかた(5) したがって、派遣を完全に自由化するということは、労働者供給禁止の原則を撤廃しない限りありえない。そして労働者供給禁止原則は、場合によっては「人身売買」につながりかねない手法を防ぐ意味で、今なお重要ですから、そう簡単に緩和することはできません。

派遣法のありかた(6) しかし他方で、人材派遣というビジネスが一定の意義を有することも事実だし、派遣労働者が常に人身売買的状況に置かれるとは限らないので、派遣法は「労働者供給の危険を防ぎつつ」、「派遣ビジネスと派遣労働者の利益を尊重する」あり方を模索して改正が行われてきました。

派遣法のありかた(7)登録型派遣や日雇い派遣、製造業務への派遣を禁止することは、「しょせん派遣は人身売買の危険を内包した労働者供給の一類型なのだ」という点からすればそれなりの正当性がありますが、しかしそれで働き方の選択肢が制限されることは労働者にも有害だという批判もあり得ます。

派遣法のありかた(8) それではどうするか。やはり最大の課題は、派遣労働者と派遣元及び派遣先との実質的対等性をどう確保するかであると思います。派遣会社や派遣先が、「お試し派遣」だの「使い捨て派遣」だのといった意識を持ってしまうような実態が払拭される必要があります。

派遣法のありかた(9) 労働者が、派遣元や派遣先との対等の交渉力を保障されつつ派遣労働という仕事を選べるならば、派遣制度は現在より自由化されることが望ましいでしょう。

派遣法のありかた(10) 逆に言えば、それができず、派遣労働者がコスト面からのみ使われるという事態が拡大するような実情では、もともと「労働者供給」である派遣をいっそう規制すべきだという主張を克服することは難しいですね。人間はモノではないという冷厳な事実は変えることはできません。

まっとうな労働法学者としての極めて標準的な認識と価値判断であろうと思います。そのかなりの部分については私も賛成ですが、わたしはそもそも労働者派遣、労働者供給、請負、職業紹介といった三者間労務供給関係のとらえ方について、もっと抜本的に見直すべきではないかと考えていて、その観点からするといくつもの点で異論があります。

その中身については、拙著『新しい労働社会』をはじめ、水町先生編の『労働法改革』や労働法学会誌などでも書いてきましたし、明日の早稲田大学産業経営研究所のシンポジウムでもお話しする予定なので、ここで詳述はしませんが。

次はより基本に立ち返って、「なぜ労働者は保護されるのか」シリーズ:

なぜ労働者は保護されるのか(1) …そういう基本的疑問を抱いている方も多いかと思います。答えはいくつかありうるのですが、「労働契約の一方当事者である労働者には、生身の人間しかなれないから」というのが最も本質的な解答ですね

なぜ労働者は保護されるのか(2) もともと雇用関係は契約関係です。本人同士が意識していなくても、働く側は「使用されて労働する」ことを、雇う側は「指示どうりに働いてくれたら代金として賃金を支払う」ことを、それぞれ相手に約束することで成立しています。

なぜ労働者は保護されるのか(3) 民間において(公共部門は法的枠組みが違う)は、一日だけのアルバイトでも、長期雇用を前提とした正規労働者でも全く同様に、この「労働契約」によって雇用関係が成立し、展開しています。

なぜ労働者は保護されるのか(4) ところが、売買契約や委託契約やリース契約など、世の中に行われている典型的な諸契約と労働契約には、決定的に異なるところがあります。言い換えれば、労働契約だけにみられる本質的な特徴があります。それが、「労働者の側には、生身の個人しかなれない」です。

なぜ労働者は保護されるのか(5) たとえば売買契約なら、売り手と買い手は、どちらも個人であったりどちらも法人(組織)であったり、どちらかが個人で相手が法人であったりできます。個人が買い手で大企業が売り手なら売り手が強いでしょうが逆のこともある。

なぜ労働者は保護されるのか(6) だから、売買契約では売り手と買い手とは、アベレージで言えば対等であって必ず売り手が強いとか買い手が強いとかいうことはない。しかし労働契約は、雇用される側は本質的に生身の個人でしかなく、雇う側は実態としてほぼ法人(会社)ですね。

なぜ労働者は保護されるのか(7) そうなると、労働契約では本質的に雇う側の言い分だけが通る契約となってしまいます。なぜなら、法人には時間的・空間的な限界がなく、情報量や交渉力も程度の差ではなく次元の違いとして、生身の個人より有利だからです。

なぜ労働者は保護されるのか(8) たとえば、イチロー君のようなスーパー労働者がいても、同じ時間に違う場所、で同時に複数の会社の面接を対面で受けることはできませんが、会社なら、東京と札幌とニューヨークで、同時に何人でも面接できる。

なぜ労働者は保護されるのか(9) つまり、本来「契約」とは、対等な交渉の中で一致点を見出す仕組みなのに、労働契約の実際は、使用者側の要求だけが通り、労働者はそれを全面的に受け入れる、という形でしか成立も展開もしないのです。

なぜ労働者は保護されるのか(10) そこで、19~20世紀初頭の先進工業国ではどこでも労働者は低賃金や重労働を「契約で同意したはずだ」という理由で実際には強制され、追い詰められて労働運動が過激に展開されることになりました。

なぜ労働者は保護されるのか(11) 各国はそれに対して市場経済システムを守りつつ労働契約の本質的欠陥を乗り越えることを目的として、まず労働条件の最低基準は法律で強制する(最低賃金制度の世界)こと、そして労働者側の交渉力を確保するために労働組合を法認し、助成する制度を作りました。

なぜ労働者は保護されるのか(12) ポイントは、労働者個人の直接的な保護よりは、労働者の交渉力の強化ということが優先すること。仮に労働組合の組織率が100%になったら、どんな一人の労働者にもバックに強力な労働組合があることとなり、いっさい国家的保護は必要なくなります。

なぜ労働者は保護されるのか(13) フィンランドやデンマーク、スウエーデンなど一応うまくいっているとされる先進資本主義国の共通の特徴は、労働組合の組織率が高く、社会的地位も権威もあることです。しかし労働組合は任意団体ですから、個人保護ももちろん必要です。

なぜ労働者は保護されるのか(14) これで終わりますが、要するに、労働者が保護されるのは「弱くてかわいそう」だからではなく、労働契約が本質的に不均衡なので、それを「対等な当事者の交渉により物事を決定する」という本来の姿に戻す為なのです。この原点を確認したいですね

これはもう「なぜ労働法は必要なのか?」に対するこの上なく簡にして要を得た解説ですが、わたくしの立場からはとりわけ最後のあたりが極めて重要です。

デンマークやスウェーデンを解雇自由だと無知蒙昧に持ち上げる手合いが、その社会基盤である労働組合を「ギルドだからけしからん」などと目の敵にするという異常な姿を、異常とすら感じられない人々が多い昨今の日本ですから。

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組合労供事業とはそもそも何か?

『労務事情』に5回連載してきた巻頭エッセイ「Talk&Talk」の最終回は「組合労供事業とはそもそも何か?」です。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roumujijo1015.html

先日、秋分の日に労供労連の会合に行ってお話ししてきたことの一部です。

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ビジネスレーバートレンド研究会

本日、ビジネスレーバートレンド研究会で、個別労働紛争事案の内容分析についてお話をしました。企業の方が多かったようですが、UIゼンセンの方の顔も見えました。

中身はほぼ今までと同じですが、今まで出ていなかったデータ(金銭解決が何ヶ月分になるか)や情報(いじめ嫌がらせの会社側の肯定否定)も若干お話ししたので、付加価値はあったのではないでしょうか。

『季刊労働法』の次号ではこの分析が小特集になる予定です。

(追記)

終わったところに、NHK福井から電話。明後日の晩に新卒就職話の番組とかで、某氏と某氏からお鉢が回ってきたみたい。

明日も明後日も夜までびっしりです、と。実際そうなんだもん。

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心狸学的より社怪学的に

社会学的に問うべき問題を心理学的に問題にすることによる議論の土台そのものの歪みはあちこちにありますが、その一つの典型として:

http://www.j-cast.com/kaisha/2010/10/07077703.html(「仕事がイメージと違う」と心療内科を受ける若者たち)

>心療内科を受診した際に彼らが訴える理由の中で最も多いのが、「自分の希望と実際の業務内容がかみ合わない」(というものである。)

   おそらく、就職前は「こんな仕事がしたい」「あんなふうに働きたい」と夢をふくらませていたのだろうが、現在の雇用情勢では、希望通りの職場に就職できるのはごくわずかだし、たとえ運よく目当ての会社に入れたとしても、最初にやらされるのは雑用のような仕事である。

   それゆえ、イメージとは違う現実を見て途方にくれる。「自分はこんなことをするために会社に入ったんじゃない」と。イメージと現実は一致しないのがむしろ普通だが、それは受け入れられない

したい仕事と実際の仕事が合わないという事態が、就職した後に発生するというのは、そもそも一体どういうことなのか?という問題意識が全くないのですね。単に若者の「ココロ」の問題としか見えていない。

>このギャップを埋めていくためには二つの選択肢しかない。

   思い描いていたイメージに少しでも近づけるように努力して現実の自分を高めていくか、それともそのイメージの方を少しずつ「断念」して現実を受け入れていくか、二つに一つだ。もしくは、その両方をすることで、ある程度のところで妥協をすることが必要になる場合もある。

   大多数の「普通の」人々は、後者の選択肢、つまり少しずつ「断念」しながら「現実適応」していかざるをえないことが多いのだが、・・・

その通り、世界中どこでも、ガキの時代の全能感から、現実にできることしかできないということを学んでいく。

学んでいって、そして自分の将来を限定するという意味において、具体的な職業に就職する。

就職とは、ガキの全能感を削り取る自己限定の帰結なのだ、本来。

ところが、日本型雇用システムにおいては、その限定がジョブの中身ではなくメンバーとしての異動の範囲として設定される。つまり、自己限定が「どうせうちの会社程度なら・・・」という形でしか認識されず、「やりたい仕事をやれる」などというガキの全能感は削られないのだ。

そういう社会学的問題を、心理学的問題に矮小化してはならない。

> これも、自己愛イメージと現実の自分とのギャップを受け入れられない「成熟拒否」の一面だと思う。「あなたには無限の可能性がある」という幻想を教え込み、挫折や失敗などの「対象喪失」に直面させないことを重視してきた「けがをさせない」教育が、厳しい現実社会に耐えられない人間を数多く生み出すことになったのだと考えられる――

「命じられたことは何でも喜んでやります」という(現実の)ジョブ無限定が規範化されているがゆえに、「やりたいことは何でもやらせろ」という(空想的)ジョブ無限定が生じうるというメカニズムを抜きにして、「近ごろの若者は、なあ」というだけでは、余り意味のある議論にはならないでしょう。

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日本学術会議大学と職業との接続検討分科会議事録から

すでに報告書も正式に公表され、枝葉のはずの3年間新卒扱いも時代の寵児となり、いまさらむかしの議事録を引っ張り出す必要もなさそうなものですが、ようやく今頃になってちょうど1年前の昨年10,11月ごろの議事録が学術会議のHPにアップされてきたので、例によって、わたくしの発言部分を引用しておきます。

まず、10月13日の第9回会合、

http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/daigaku/pdf/d-youshi09.pdf

○ 前回も議論し、あまり明確な形にしなかったことだが、「日本的雇用システム」をどのように定義するか、ということがある。「日本的雇用システム」とは、端的に正社員システムのことなのか、それとも正社員システムと非正規の分を含めているのか。そして、日本的雇用システムの変容と言った場合、ある正社員システムが縮減して外側が拡大することだけを指すのか。2.の日本的雇用システムの「縮減」では、正社員システムを日本的雇用システムとしている。「日本の」雇用システムといった場合、正社員・非正規等を全部含めなくてはいけないが、「日本的」「日本型」というと、正社員システムだけを指す言葉としても使えるし、現に使われている。そして、非正規を含めたシステムを指す言葉としても使える。しかし、文章の前と後ろで見方が違っていると意味が通じなくなる。

2点目に、日本的雇用システムを正社員システムという意味で定義した場合、単に縮減しているだけなのか、それとも変容しているのか、ということがある。これは今は議論しない方がいいのかもしれない。しかし、前回の議論では、日本的雇用システムには二重性があり、ある意味で縮減というよりも凝縮であり、凝縮というのは今までの日本的雇用システム的な性格がより強調されている、ということである。ただ、それが凝縮することによって、逆にそれ自体が前提としている条件に矛盾するものが出てくる。昔の雇用は、たいしたことのない人間でも採用して長い目で育てていく、というものだった。したがって、そもそもの昔のシステムが前提としていた条件を抜きに、会社の中である程度育てられてきた人間に要求するようなことを卒業生に要求するということは、凝縮であること自体が矛盾をもたらしている、という面がある。そこまでを「変容」という言葉で表現した方がいいと思う。正社員システムが縮減していることによって矛盾が生じている、それとともに縮減して凝縮されたことによって矛盾が発生している、という2本立てでいく必要がある。Ⅰの1.でこの点についての記述があった方がいいのではないかと思う。

○ 正確に言うと、学問的ディシプリンが何であれ、一定の何らかの知的訓練を行うということは間違いないと思う。ただそれが、例えば法学部に入って法律を学ぶことによって、他の学部に行っただけでは得られないような何らかのものが得られたのか、というふうにちゃんと社会的に認知されているか、というとそうではない、という趣旨であり、少なくとも全く大学に出席しないで遊んでいた人間と何かしら勉強していた人間とでは違うだろう、というもともとの意味は社会的に信頼されているだろう。何かのディシプリンがあることを強調して書くことは嘘になると思う。少なくともそこで何らかの知的訓練を受けたことは、その後の知的労働に従事する上で、本当に役に立っているかは別として、役に立っているというふうに社会的に認識されていたということは確かだと思うので、そのように書けばいいのかなと思う。

○ メールでいただいた資料で、今日配布されたものには入っていないが、これまでの日本的な正社員システムの中で、上位校でうまくいっていたところについてはそれでいいのではないか、という点があったと思う。その点は今の話とつなげて議論できると思う。しかし、そうすると今度は「だからといって最初から何でも要求するなよ」という話につながってしまうかもしれない。全体としての方向性に逆行する議論を個別的にしてしまうことになってしまうので、それがいいのかはわからないが、細かい議論をし始めると、こういう議論はあってもいい。ただ少なくともそれは全体としてはそれがうまくいかない形になっている、ということを最初に指摘した上での話だと思う。

○ ただ、少なくともここまで大卒者が同世代の過半数を超える状況になった中で、すべてについて、今まで言っていたような、中身はとにかく、何かを一生懸命訓練したことによる人間力レリバンスがあるからやっていけるのだ、ということで、全部うまくいっているということはない、ということは言う必要がある。そういうことで、おそらくここで言われているようなメッセージは重要である。それなりに役に立つ能力もあるのではないか、という議論があるかもしれないが、社会のリーダー層をどのように作っていくべきか、というような議論まで踏み込むのか、という感じは若干ある。実際には、今まである時期まではそういう中でずっとやってきたが、本当はそういうトップレベルでないような人々について、むしろ中心的な議論をして、そこについては、もうそれではやっていけない、というふうにメッセージを出した方がいいと思う。

次の10月27日の第10回会合は所用で欠席。

http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/daigaku/pdf/d-youshi10.pdf

その次の11月10日の第11回会合

http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/daigaku/pdf/d-youshi11.pdf

○ キャリアラダー的な発想をこっちに持ってきてしまったために、やや違和感を与えるようなものになってしまっているのだと思う。何が問題かというと、最終的に弁護士や公認会計士にならないから問題なのではない。ある会社でやっていた仕事が、会社が変わってもそのキャリアが認められてつながっていくか、ということが問題なのである。ここはむしろキャリア認識の話なので、キャリアラダー的な上がっていく話とは分けて議論しないといけないと思う。

○ あえて言うならばそれをパブリックに認証するようなシステムが作られることが望ましい、という書き方になると思う。

○ 大学卒業生自体が増えること自体について、いいか悪いかという判断をここではやっていない。あるいはする必要はないのではないか。どのような大学教育を与えられた人がその需要に対して過大である・過小であるという議論はあっても、一般的に中等後教育を受ける人が増えるということは悪いことではない。それが今までのレリバンスのない形で、つまり会社にジェネラリストとしていくことを前提としたものが、そのままの形で増えたことが問題である、ということを指摘している。中等後教育そのものが増えたこと自体を必ずしも問題としていないので、そこは少し触れているだけなのではないか。ただ、レリバンスのない性格のものがその性格のまま増えたことが問題となっているので、逆に言うと整合しているのではないか。それがわかりにくい形になっているとすると、わかりやすく書いてもらった方がいい、という印象を受けた。

○ 逆に、職種別労働市場と安定雇用は対立する、というように書く必要があるのか大変疑問に思っている。過度に安定していないが、それも一つの安定雇用だ、というふうに位置付けた方がいいのではないか。9ページの図について、一番違和感があるのは上の緑と真ん中のオレンジの間に線が同じようにひかれていることである。実はここには色が少しずつなだらかに変わるようにした方がいいのではないか。これはイメージとして言うとまさに日経連の高度専門能力活用型、というのを間に作る、というイメージである。しかしその戦略はできない。むしろ問題なのは長期蓄積能力活用型の方に色々矛盾があるので、そこをどうにかしましょう、という議論である。ここの議論でできるかどうかは難しいが、絵として言うと、あまりきれいに色を区分けない方がいいと思う。あえて言えば非常にトップクラスのところに本当の国家戦略的ジェネラリストがあるかもしれないが、それを皆に要求するなというような話にする方がいいのではないか。そういう意味では職種別もそんなにたいしたことではない、そもそも大学4年間で学んだ専門性というのは実はそれほどたいそうなものであるはずがない、ということからすると、提言そのもののリアリティを増すためにも、あまり高度な専門能力という形に描き出さない方がいいのではないか。

○ 単純に、ないならば「無し」と書く話だと思う。逆に言うとそれを学生や社会がどのように評価・判断するか、ということがむしろ社会が大学の機能をどのように見るか、ということだと思う。

今後のことにも関わってくると思うが、この分科会自体が大学と職業という形で書かれており、教育と社会、教育と雇用ではない。したがって、教育システムという形で捉えた議論は、実はない。どこかでそれはある必要があると思う。専門職大学院の話で、7ページの最後に棲み分けのことが書かれているが、その議論の前に色々なシステムを今までどうなっているか、それをどう位置付けるか、という議論をやった方がいいのではないか。ここでこれを書くのか、ということは色々意見があると思う。例えば後期中等教育のレベルから大学院レベル、そして企業内教育まで含めて、それをどのように再編していくのか、という問題意識はどこかで書いておいた方がいいと思う。雇用社会については色々書いてあるが、教育システムについては大学のところだけ取り出したような形になっている。問題設定がそうだからといえば仕方がないが、全体社会システムの中、という、最初にそういうところから議論を始めていることからすると、後期中等教育において専門教育はいかにあるべきか、あるいは最近になって専門職大学院という形で一番上のレベルでやろうとしている中で、大学レベルだけ抜けている。ここをどうするか、という問題意識の議論としてやっておいた方がいいと思う。そのことと具体的な提言についての議論になると思う。

○ 私のイメージとしては2と3の間くらいに書くのではないかと思う。もし可能であれば児美川先生担当のところに、今までの教育システムの中で、例えば高校の専門教育から始まって、それがどのように関わってきたのか、あるいは関わってこなかったのかということを書いてもらえるといいと思う。

○ 後期中等教育に専門高校がある。しかしそれは社会の中で言うと、本当の高度専門職というよりは低度専門職や専門職ではないような形で位置付けられてしまっている。上は全くなかったが、最近になって専門職大学院という形で、非常にハイレベルな専門職を作ろうということが動き出した。しかし基盤がないので、実はきちんと動いているとは言い難い。一番大きな固まりである大学についてきちんとした位置付けがないので、そこの位置付けが必要である、というようにやや問題意識提起型で書いてもらえるいいと思う。今の教育システムの中でも専門職的な問題意識はあるが、その位置付けが非常に周辺的である。それをもっと中心的に位置付けていく必要がある、という形で書くと、教育システム全体に対する問題提起としてクリアな形になるのではないか。

○ なぜ60 年代に政府が職種別能力に基づいた労働市場といいながら実現しなかったのか、というと、高度成長下で仕事がどんどん変わっていったからである。そのため、まっさらで入れて、色は全部企業でつけるとした方が効率的だった。それは合理性に基づいてそうなった。このような仕組みはずっとうまくいっていたが、ここ十数年来に特に入口のところで問題が出てきた。やはりあらかじめ入口のところで何らかの色をつけておいて、その色で入れるようなコースを作った方がやりやすいだろう、という話だった。ただ、入口で色を固めてしまえばしまうほど、その後の動きが悪くなるので、そこはバランスが必要である。その先の、世の中が変わっていくことに対応して変えていくのをどこが、どの主体が、どの程度の責任を持ってやっていくのか、という問題がある。日本型雇用システムの最大の特徴は、学生や労働者はその主体ではないし、責任もないということである。その代わりに企業が全てやってくれる。安心して従っていると、きちんと企業が今後の市場の動向を見てちゃんと変えてくれる。しかし、それでは乗れた人はそのまま乗っていけるが、乗れなかった人は何もないという状況で、非常にバランスが悪い。もう一つは、入った人についても、全て企業がやるのか、ということがある。何かしら労働者個人の問題もあるだろうし、法的な責任もあるだろう。

企業側が全て責任を負わされてもやっていけない。一旦正社員で入っても実は企業が責任を負ってくれない、ポンと放り出される、という形で自力では何もできなくなる。このような形で色々なものの中で、どの程度のバランスにするのか、という話だと思う。その中でschool to work のところについて言うと、ある程度の薄い色を付けて、入りやすくさせていく、という話だと思う。あまりがちがちにするというイメージにしない方がいいと思う。そもそも大学4年間でそれほどがちがちになるはずがない。先程の教育システムで話したのは、教育システムの中で、後期中等教育でも専門学校・専門高校がある。大学には専門課程があり、大学院にも専門職大学院というものがある。それを職業人生の中でどういうふうに使っていくか、という形で、労働者個人の責任と公的な責任と企業の責任で割り振っていくという話になるだろうと思う。やはり教育システム全体の中での位置付けのようなものを書くと、その点がわかりやすくなるのではないかと思う。

単に企業にただ成績を重視しろというだけでは何の意味もない。そもそもシステムとしてどういう科目を置くか、科目を置く意味は何か、企業にとって意味があるのか。この科目は企業にとって意味があり、その科目でいい成績をとることは企業が評価するに値することである、という枠組みをつくる。企業はそうした以上、それを評価すべきである、ということを書けば完結する話である。ただ、これは「大学のカリキュラムそのものの策定について、企業の意見をきちんと取り入れて、取り入れた以上は、企業はそれについて重視しなければいけない」というふうに書かなければいけないと思うでなければ、大学が勝手に行ったことを遵守しろと書けるかどうかである。

○ 7ページの3の最初のところに『上記のような雇用システムの再構築に際して、ユニバーサル化した大学が担う新たな役割』という書き方をしている。

結局これは何のためかというと、実は間接的な書き方である。なぜ各大学にこのようなことを求めるのか、というと、雇用システムを再構築するために大学はこういう役割を担ってほしい、というだけである。

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正確に言えば「安定成長期の亡霊」

昨日紹介した野川忍先生のついった10連発に、労務屋さんがさっそく噛みついて意見を呈示しています。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101012#p1(「高度成長体制の亡霊」はもういない)

ただ、どうもいささか言葉の食い違いが認識の食い違いをもたらしているような気がします。

>一般的には、「高度成長期」は1973年のオイルショックをもって終了したと考えられていると思います。

>また、「高度成長期に確立した企業社会の雇用慣行」に対しては、高度成長が終わる前からすでに限界が指摘され、オルタナティブが模索されていました。日経連が「能力主義管理-その理論と実際」を発表したのが1969年で、・・・

労務屋さんは野川忍先生の「高度成長期」を、文字通りの高度成長期(1950年代後半から1970年代前半)と捉え、その時期の考え方がそのまま残っていることはないと反論しています。

しかし、これは、私から見ると、野川先生の用語法がやや雑というか、対象を適切にピンポイント的に捉えていないために生じている一種の対象の錯誤のような感じがします。

というのは、野川先生が問題だ、と論じておられる考え方が、社会的に正しいものとして確立したのは、高度成長期ではなくてむしろ石油ショック後の安定成長期であるからです。日本型雇用システムを前提とした大企業正社員モデルのさまざまな判例法理が確立するのがまさに石油ショック以後の1970年代であり、1980年代です。本当の高度成長期には、整理解雇4要件もなければ、配転法理もありませんでした。

このあたりは、わたくしが何回もあちこちで書いてきたところですが、高度成長期には政府も労働側も経営側も、日本的なシステムをもっと「近代化」しなければならないと主張していたのであり、日本的なシステムの方がいいんだという主張が強まるのはむしろ70年代になってからで、最高潮に達するのは80年代だからです。この時期を「高度成長期」とは言いがたいでしょう。

労務屋さんの指摘する日経連の「能力主義管理」は、まさにこの転換を記すものなので、お二人の話が絶妙に噛み合わないのは、まさにこの所以ではないかと思われます。時代名称として適切な「高度成長期」には、野川先生の言われる「高度成長期型思想」は必ずしも主流ではなく、「高度成長期」ではなくなった70年代以降がむしろ野川先生の問題視する思想が主流化したわけですから。

人間、実際にうまくいっているときには、前の時代のイデオロギー効果が強くて、「日本はもっと近代化しなくちゃ」と口々に唱え、それが過ぎてから「実は日本のやり方は良かったんだ」というイデオロギーが流行るというのは、ミネルヴァの梟なのか、奈良のミミズクなのか知りませんが、よくあることではないかと。

(参考)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jshrminsights.html(人材マネジメント協会『インサイト』2月号 「近代日本の労働法政策と政権交代の影響」)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sanseiken85.html(『産政研フォーラム』85号 「今後の労働政策の針路」 )

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野川忍先生のついーと10連発

なんだか三流週刊誌のタイトルみたいですが、これはコピペする値打ちがあります。本日の野川忍先生のついーと。

http://twitter.com/theophil21

>高度成長体制の亡霊(1)現代の労働問題の根源はどこにあるか。現在の企業社会における基本的な雇用慣行は、高度成長期に確立した「長期雇用」「年功制賃金人事制度」「企業内労使関係」に淵源を持ち、それが成功体験と結びついているために脱皮できないことが、最大の原因の一つである。

>高度成長体制の亡霊(2) 高度成長期は、日本も第二次産業が中心であり、IT化など存在しなかった工場では労働集約的な集団的労働が主流であった。熟練工が重要なな役割を果たし、企業への密着度がそのまま生産性の向上につながりえた。したがって、男性学卒労働者が貴重な担い手として重視された。

>高度成長体制の亡霊(3)つまり、この時期に男性は汗水流して朝から晩まで会社で仕事に打ち込み、女性は専業主婦としてそのような男性を支えて家事と育児に専念するという形態が定着したのは理由があるのであって、長時間の一致団結した現業労働を可能にするための、合理的選択だったのである。

>高度成長体制の亡霊(4)そこでは、能力があっても女性にはポストは与えられず、キャリア形成は社内のOJTが中心となり、基幹部門は屈強な男性壮青年が担って高齢者も障がい者も女性も縁辺労働力としてしか位置づけられなかった。

>高度成長体制の亡霊(5) 多彩な雇用関係や、職業生活と家庭生活の調和や、雇用平等の理念や、一人一人の労働者のニーズに応じたキャリア形成の機会など、当時は全く二の次であり、とにかく先進国として離陸するために第二次産業・輸出産業中心の生産力向上を徹底的に推し進めたのである。

>高度成長体制の亡霊(6) 最大の問題は、こうした高度成長期に確立した企業社会の雇用慣行が、「成功体験」と結びついていることである。当時働き盛りで、現在企業の幹部となっている人々には、「あのやり方で日本は豊かになり、経済大国となった。」という意識が強く残っている。

>高度成長体制の亡霊(7) 雇用均等法が1985年にできる過程で、当時の経団連会長が反対の意を示し、「そもそも女に選挙権を与えたのがいけませんなあ。」と言い放ったというのは有名な話である。

>高度成長体制の亡霊(8) 要するに、「あんなに成功したやり方をなぜ変えなければならないのか」という疑問が、現在の大企業役員らにもこびりついているのである。身を粉にして企業に滅私奉公する産業戦士としての男性、それを支えて過程で銃後の守りに徹する専業主婦・・・

>高度成長体制の亡霊(9) …基幹的役割を果たす正規労働者と、その雇用のバッファーとしての非正規労働者、企業に長年貢献すれば賃金も地位も上がるという人事制度、全く成熟しない外部労働市場、…これらがなかなか変化しない原因の一つは、「高度成長期の成功体験の記憶」から脱せないことにある。

>高度成長体制の亡霊(10)もちろん、時代も環境も激変している。しかし、人間が「たぐいまれな成功体験」から脱することは非常に困難である。我々は、こうした事実を踏まえて、困難な道を歩まなければならないという覚悟が必要である。

>以上、高度成長期の成功がもたらした雇用社会の病理についての連続ツイートでした。

というわけで、その趣旨にはおおむね同感ですが、最近のブラック企業がらみのわたくしのエントリをお読みいただいている皆様にはおわかりの通り、わたくしは、この見取り図自体が大企業正社員モデルに偏ったバイアスになっていたのではないか、という認識の重要性を感じるようになってきています。

これは、わたし自身昨年の拙著では中小企業には(序章の終わりの部分で)ちょっと触れるだけで済ませていたこともあり、問題の所在には気がついていながらあまり明確に定式化できていなかったところなのですが、この1年間、主として中小零細企業で生じている個別労働紛争のディテールを山のように読んで行くにつれ、ここをきちんと踏まえないと日本の労働問題の本質はまったく理解できないままではないかという意識を強く持つようになりました。

「義務だけ正社員」だとか「片思いメンバーシップ」だとか、「新しい言葉が次々できてくる」とからかわれていますけど、その辺を何とか言語化したいという気持ちからでして。

http://twitter.com/hahaguma/status/26604452302

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欧州議会のミニマムインカム決議

最近日本の一部で異様にネオリベ風味のベーシックインカム論が流行していますが、肝心のヨーロッパではもっとまともな議論が主流であるということを、欧州議会が最近採択した決議をさらっと一瞥するとよく分かります。

今年7月16日付で欧州議会が採択した「欧州における貧困との闘いと包摂的社会の促進におけるミニマムインカムに関する決議」がここにありますが、

http://www.europarl.europa.eu/sides/getDoc.do?pubRef=-//EP//TEXT+REPORT+A7-2010-0233+0+DOC+XML+V0//EN&language=EN

>3.      Demands that real progress be made on the adequacy of minimum income schemes, so as to be capable of lifting every child, adult and older person out of poverty and delivering on their right to have a decent living;

すべての子どもと大人と老人が貧困から脱し、まっとうな生活を送れるようにミニマムインカムを求めていますが、いうまでもなくどこぞの国で流行っている捨て扶持ベーカム論などとは違い、

>4.      Stresses the differences in various areas (health, housing, education, income and employment) among the social groups living in poverty, calls on the Commission and the Member States to take those differences into consideration in their targeted measures, and emphasises that one of the most effective ways to reduce poverty is to make the labour market accessible to all;

貧困削減のための最も有効なのはすべての人が労働市場にアクセスできるようにすることだと明言し、

>5.      Highlights the need to attach particular importance to lifelong learning programmes as a basic tool with which to combat poverty and social exclusion, by boosting employability and access to knowledge and the labour market; considers it necessary to provide incentives for increased participation in lifelong learning by workers, unemployed people and all vulnerable social groups, and to take effective action against the factors that lead people to drop out, as well as improving the level of professional qualifications and acquisition of new skills, which may lead to faster reintegration in the labour market, increase productivity and help people to find a better job;

そのために職業技能を身につけるための生涯学習がもっとも大事だと述べ、

>6.      Highlights the need for action at Member States level with a view to establishing a threshold for minimum income, based on relevant indicators, that will guarantee social-economic cohesion, reduce the risk of uneven levels of remuneration for the same activities and lower the risk of having poor populations throughout the European Union, and calls for stronger recommendations from the European Union regarding these types of actions

ミニマムインカムのための要件を確立し、

>7.      Emphasises that employment must be viewed as one of the most effective safeguards against poverty and, consequently, that measures should be adopted to encourage the employment of women and the setting of qualitative objectives for the jobs that are offered;

女性の雇用を促進し、

>8.      Highlights the need for action at both European and national level to protect citizens and consumers against unfair terms relating to the repayment of loans and credit cards, and to lay down conditions governing access to loans aimed at preventing households from falling into excessive debt and hence into poverty and social exclusion;

これまた近頃日本でやたらに一部ネオリベ派からのバッシングが激しい高利のクレサラ対策にもちゃんと言及し、

>10.    Considers that job creation must be a priority for the Commission and the Member State governments, as a first step towards reducing poverty

とにかく、一部の脳細胞の変な人々とは違い、雇用創出が貧困削減へのプライオリティであるとはっきり断言し、

>11.    Considers that minimum income schemes should be embedded in a strategic approach towards social integration, involving both general policies and targeted measures - in terms of housing, health care, education and training, social services - helping people to recover from poverty and themselves to take action towards social inclusion and access to the labour market; believes that the real objective of minimum income schemes is not simply to assist but mainly to accompany the beneficiaries in moving from situations of social exclusion to active life

とにかく、昨今時流に乗ってる捨て扶持ベーカム論とは対照的に、ミニマムインカムが住宅、医療、教育、訓練、社会サービスなどを統合した戦略的アプローチでいくべきだとはっきり明言し、

それが社会的排除からアクティブな生活への移行を支援するべきものだとはっきり明言したうえで、

>15.    Takes the view that adequate minimum income schemes must set minimum incomes at a level equivalent to at least 60% of average income in the Member State concerned;

そのミニマムインカムの水準は平均所得の少なくとも60%に設定せよと主張しています。

>17.    Reiterates that, however important, minimum income schemes need to be accompanied by a coordinated strategy at national and European level focusing on broad actions and specific measures such as active labour market policies for those groups furthest away from the labour market, education and training for the least skilled people, minimum salaries, social housing policies and the provision of affordable, accessible and high-quality public services

さらに念のため、ミニマムインカムは積極的労働市場政策、教育訓練、最低賃金、社会的住宅政策、上質の社会サービスを伴わなければならないと繰り返しています。

こんなことは、まっとうに社会を考える人にとっては当たり前のことではあるのですが、そういう当たり前がまったく通用しない異常なセンスの持ち主による奇矯なベーシックインカム論ばかりが流行るという、この国の異常さを見るにつけ、数ヶ月前のものではありますが、あらためてこの欧州議会の決議を紹介する値打ちがあるように思われました。

(参考)

捨て扶持ベーカム論としては、いままでホリエモンや山崎元氏の発言を引用してくることが多かったのですが、最近、もろに捨て扶持論をむき出しに述べているブログを見つけました。

http://overloadsystem.blog.shinobi.jp/Entry/384/給料ドロボー雇うよりニート養った方が安い論

本人がわざわざゴシックにしているところは、それだけ引用してほしいということだと思われますので、お望みに応じて引用しておきます。

>ようするにベーシックインカムというのは、究極的な社会のリストラクチャリングなのですよ。

>「労働は美徳だが、利益を生まない労働は悪である」

>今働いている人間の大半は給料や報酬分の利益を挙げられていない社会の寄生虫に過ぎない。だったら、無駄な給料や経費に金を使うよりはクビ切ってベーシックインカムで養ったほうが効率が良いという事実

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「やりがい」型片思いメンバーシップの搾取

Htbookcoverimage 大変面白い、そしてさまざまなことを考えさせるドキュメントです。

著者は匿名の「エム」さん。

>仕事命、シングルマザーのエム(39歳)が入社したのは心身共にハードなベンチャー企業。常識はずれな要求と激務の末、職場の真ん中で倒れ、生死の境をさ まよった末、奇跡の復帰を遂げた彼女を待っていたのは、会社都合の理不尽なリストラだった。退職を余儀なくされたエムは、労災認定、未払い賃金の請求、パ ワハラ慰謝料を要求すべく、法律知識ゼロから会社に立ち向かった。人ごとではない、リアルで怖くて、しかも抱腹絶倒!? 読み出したら辞められないジェッ トコースター・ノンフィクション!

個々の事例は、ここでへたに紹介するより現物で直接読んでいただく方が遥かに迫真的ですので、ここではやや理論的に。

「心身共にハードな」仕事というのはさまざまにありえます。よく大企業の経営者が言いたがる「若い頃は金を払ってでも猛烈に働け」というのは、一定の条件下では必ずしも「ブラック」ではありません。その若い頃の猛烈労働が同じメンバーシップの仲間によってきちんと評価され、やがて年を重ねていくとともに利子が付いて戻ってくる、という仕組みがきちんと働いているのであれば。自分自身がそういう仕組みの中で会社の暖かいメンバーシップの中で育てられてきた大企業の中高年の人々がそのようにいうのは、少なくとも主観的には真実なのです。

一方、そんな保障などできるはずがない中小零細企業の労働者には、それなりの働き方がありました。労務と報酬がもっと短期的にバランスのとれた働き方でないと、預金がふいになってしまう危険性があるからです。これは必ずしも冷たい関係というわけではありません。中小零細企業にはむしろ地域に根ざしたほのぼのとしたメンバーシップ感覚もあったからです。

ベンチャー企業とは、要するに中小零細企業です。ほのぼのとした地域型メンバーシップじゃないハードな仕事ぶりの中小零細企業です。そして、そういうところが、本来保障できるはずのない長期的メンバーシップの代わりに「やりがい」というなんだかよく分からないけどやたらにありがたそうなお題目を掲げて、「心身共にハードな」仕事を労働者に要求し、労働者の側はそれに応じて限りなく自分自身を、そして仲間を搾取し続けるというのが、こういうベンチャー型ブラック企業の典型的な姿であるように思われます。

考えてみると、ある時期までは経済成長とともに大企業型のメンバーシップの及ぶ範囲が少しずつ拡大していったのでしょう。その中で、労働法がどうたらなどと下らぬことを喚いて将来の収入をふいにするような愚かな真似はせずに、若いうちは会社に預金するつもりで猛烈に働くことが、経済的に利益であったため、それが通俗道徳となっていったのでしょう。通俗道徳とは、「世の中はそういうものだから、ちゃんと従った方が身のためだよ」という向こう三軒両隣的な教えであって、それが相当程度現実に適合的であったがために、広がっていきます。

ところが、おそらく1990年代からそういうメンバーシップ型の領域は収縮を始めます。収縮した内部はそれがより一層濃縮されるので、昔若者だった世代よりもかなりハードな仕事ぶりになっていきますが、それでも一応メンバーシップの内部にいるので、我慢しないと今までのサンクコストがふいになってしまいます。しかし、その収縮した部分の先行きも次第に不明になってくると、これはいわばじわじわとブラック化が進んでいるということになりえます。自分が居たような大企業だけが日本の経済だと思っているたぐいの人が言いたがるのは主としてこの部分ですね。

それに対して、もともとそういう長期的なメンバーシップなどあり得ないベンチャー企業においては、「やりがい」という原価ゼロの商品で労働者を釣って、労務と報酬がバランスしないハードな働き方を調達するという、はたから見ればほとんど詐欺商法みたいなやり方で絶対的剰余価値を取得しているということになりましょうか。こういうのを経済外的強制とか言うと立派な学者に叱られそうですが、経済外的とは必ずしも物理的暴力に限らず、ある種の「大衆のアヘン」を使うのもありですから、「やりがい」という名のアヘンで釣るのも含めておかしくはないでしょう。

この状態というのは一種の片思い型メンバーシップといえるでしょう。企業の側は長期的なメンバーシップのなかでずっと守っていくつもりなどはなからないのに、労働者の側は恋い慕っているという。

(追記)

「ここでへたに紹介するより現物で直接読んでいただく方が遥かに迫真的」と書きましたが、やはり実例をいくつか引用した方が、読もうという気が起きるかな、ということで、本文中でゴシック体になっているところを。

>「本当にやる気がある人に来てもらいたいんです」

「やっていただきたい、お任せしたい業務がたくさんあります」

「残業代だってちゃんとつきます」

「仕事の価値って、時間やお金でははかれませんよね!やはり、やりがいでしょう!」

よーし、この会社で頑張らせていただこう!私の力を使っていただこう!

>「エムさん。我が社にタイムカードはありません」

「自己申告です」

「残業時間は全員、最初から決まっていますから」

「たとえエムさんが何十時間残業したとしても、25時間分の残業代しかお払いできません」

労働契約を交わしたときの月給額が、すでに「残業代込み」の金額だったという事実

>「いいですか。これからはあなたの部下がひとりでも残っている場合、帰宅するのは厳禁です。いいですね」

「そういう問題ではありません。とにかくそこにいることがあなたの義務でもあるわけです。早く帰れるなんて、まちがっても周囲に思わせないでください」

「上司になった以上、プライベートはありません。・・・本当に仕事が好きで熱意を持った、時間なんか関係ない!というアツイ人じゃないと、ここの仕事はやっていけませんよ。部下に見本を見せるのもあなたの大事な仕事とは思いませんか」

「我が社の全員が毎日書いている出退勤簿がありますね。これをエム主任の部下4名分、残業時間を書き直してもらいます」

「それを1ヶ月の合計が15時間ちょうどになるように帰宅時間を計算して、あなたが書き直してください」

>「いいじゃないですか。どうせどれだけやっても毎月給料は変わらないんです」

「ふざけるな、エム主任っ。こいつらがこんなに態度が悪いのは誰の責任だと思っているんだ?時間や金で仕事を計る人間ばかりじゃないか。それもこれも、普段からエム主任が早く帰ろうとするからだっ!」

「エム主任。明日からあなたの定時は夜の11時です。その時間を過ぎたら好きな時間に帰ってもいいことにしましょう」

>「我が社はベンチャー企業です。こういったことが嫌なら辞めればいいんです」

「しかし、若い女性が夜遅くの帰宅。もし何かあった場合、会社は責任をとれるのですか」

「仕事に男女は関係ありません。それにたとえ夜道でレイプされたとしても、この会社に入社を希望したという、本人の選んだ道だからしょうがないでしょう」

「それからあなたの部下を恋人と別れさせてください」

「恋人と別れないのであれば、会社を辞めてもらってください」

こういう調子でいちいち引用してるときりがないのですが、それでも、

>部下とはですね、上司城氏を育てなきゃいけない存在でもあるんですよ

とか

>100時間以下は残業とはいわないんですよ

とかという素晴らしき名文句が山のようにちりばめられています。

そしてやがて急性くも膜下出血で倒れ、そこから先のストーリーもまた絶品ですが、そこは是非お買い求めいただかなければ・・・。

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ジョブ型社会のジョブ保護規制-EU企業譲渡指令について

201009serou 『世界の労働』9月号は「企業再編と労働法」という特集で、有田謙司、高橋賢司、細川良の各氏が各国の法制を書かれていますが、わたくしもEU指令について「ジョブ型社会のジョブ保護規制-EU企業譲渡指令について」という文章を書いております。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jobgata.html

その冒頭のところで、日欧の労働社会の対照性を指摘しておりますので、ご参考までに:

>EU企業譲渡指令(既得権指令)については、今から11年前、本誌1999年11月号に「EU労働政策の最近の動向(下)-企業譲渡における労働者保護指令」を執筆したことがある。ちょうど前年の1998年にかなり大幅な指令改正がされたこともあり、改正指令の条文に沿う形で、累次の欧州司法裁判所の判例を紹介しつつ、改正に至る政治的経緯を解説しようとしたものであった。同改正指令の紹介としては、もっとも初期の論文と思われる。

 ところで、当時日本でも産業活力再生法が成立し、さらに会社分割を促進する商法改正が予定されるという状況下で、労働運動においても「企業組織再編と労働者保護」というテーマが大きく浮かび上がりつつあった。そうした中、連合は2000年1月12日にこの問題に関するシンポジウムを開催し、筆者も参加してEU指令の概要について述べた。ところが、そのシンポジウムのタイトルが「気がついたら別会社に」であった。これは大変皮肉なタイトルである。なぜなら、EU企業譲渡指令とは、「気がついたら別会社に」いけるようにすることを目的とした法制だからだ。
 
(1) 「ジョブ」型社会と「メンバーシップ」型社会
 
 ヨーロッパ型の労働社会では、雇用契約が何よりもまず「ジョブ」に立脚し、企業組織再編によってそれが損なわれる-自分が今まで就いていた「ジョブ」が他社に移転するにも関わらず、その「ジョブ」から引きはがされて元の会社に残されてしまう-ことを最大の不利益とみなし、そのようなことが起こらないよう「ジョブ」と一緒に労働者も移転できるようにすることを最大の労働者保護と考える。
 一方これとは対照的に、大企業に典型的な日本の労働社会では、雇用契約が何よりもまず「メンバーシップ」に立脚し、企業組織再編によってそれが損なわれる-自分がたまたま従事していた「ジョブ」が他社に移転するからといって、今までメンバーとして所属していた「会社」から引きはがされて見知らぬ会社に送り込まれてしまう-ことを最大の不利益とみなし、そのようなことが起こらないように「ジョブ」の移転に関わりなく元の会社にいられるようにすることを最大の労働者保護と考える。
 
(2) 日欧の対照性
 
 EU企業譲渡指令については、加盟各国の法制も含めてかなり多くの研究がなされ、蓄積も多くなっているが、この最も重要な点については、必ずしも明確に書かれていない印象を受ける。そのため、日本における企業組織再編時の労働者保護法制の議論に、やや安易にEU企業譲渡指令を持ち出す傾向があるように感じられる。いうまでもなく、企業組織再編によって労働者が不当に不利益を被らないようにすることは洋の東西を問わず重要である。問題は、労働者にとって何が不利益で、何が利益であるのかについて、日本の労働社会の常識とEU指令の立脚するヨーロッパの労働社会ではまったく対照的であるという認識が乏しいまま議論をすることにある。元の会社への残留請求権を否定した日本IBM事件(東京高判平20.6.26労判963-16)は、この点を浮き彫りにしたのではなかろうか。
 もっとも、メンバーシップ性の希薄な中小零細企業分野や交通運輸業・医療業などジョブ型に近い労働分野においては、まさにEU指令が保護しようとしている営業譲渡を理由にした実質的な解雇の防止が喫緊の課題でもある。こちらではまさに「気がついたら別会社に」いけるようにすることが労働者自身の利益なのだ。

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ちなみに、濱口さんが駐EU代表部にいるときに会ったことがある

ついった上での拙著書評、なんですが・・・

http://twitter.com/usamimn/status/26725707694

>濱口桂一郎『新しい労働社会――雇用システムの再構築へ』。具体策で異同はあるけど、視点は共有できる。HPも論文を多数掲載して参考になる http://homepage3.nifty.com/hamachan/ちなみに、濱口さんが駐EU代表部にいるときに会ったことがある

えっ?

と思って、ご本人のブログを見ると、

http://signifiant.cocolog-nifty.com/blog/(雑感的に時事放談)

どうも、わたくしがEU代表部にいるときに社会民主党関係で来られたということは、当時経済企画政務次官をされておられた清水澄子さんの秘書だった方のようですね。

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大企業モデル判例法理の功罪

ブラック企業がらみの話ですが、結局、長期間の裁判をやれるメンバーシップ型の大企業労働者が起こした裁判で自分も典型的にメンバーシップ型の中にいる裁判官が作り上げてきたもろもろの判例法理が、その基盤の希薄な中小零細企業の労働者に対していかなる(プラスとマイナス双方の)効果をもたらしてきたのか?という再検討が必要なのではないか、と思います。

大企業労働者にとっては「俺のいうこと聞けねえからクビ!」なんてあんまり現実的でないので、仕事がなくなってもクビにならない整理解雇4要件が大事。

それを経営上合理的なものとするために時間外労働や配転等における企業側の広範な人事権を認めてきたことは、(一部の反逆的労働者を除けば)大部分の大企業労働者にとってはあまり問題ではなかった。というか、コストとベネフィットの釣り合いがとれていた。

ところが、判例法理は別に「大企業に限る」なんて書いていない。およそ雇用契約はこういうものだ、という前提で書かれている。労働法学者や弁護士も、そういう風に考える。

こういう大企業モデルの判例法理が中小企業にどう影響するのか?

一つは、中小企業であっても一生懸命整理解雇4要件をけなげに守ろうとするところもある。とはいえ、もともと雇用を守れる余地が少ないので、どうしようもなくなったらしょうがない。

多くの中小零細企業は「そんなん大企業の話やろ」と、わりと流動的。そのこと自体は合理的。

もう一つは、中小企業労働者であっても、けなげに企業の広範な人事権に従わなければならない、と思ってしまう傾向。これはなまじ子ども時代に優等生だった子が大企業に行ってやっている行動様式が、優等生じゃないけどまじめな子にとって社会全体の「正しい行動様式」になってしまうという文化規範現象だが、実はその基盤となるべき雇用保障は安定的ではない。

経営の厳しい中小零細企業がまともに整理解雇4要件なんか守れるはずがないのと違い、こちらは労働者のあるべき行動様式のモデルなので、まじめな労働者ほど一生懸命(基盤の希薄な)大企業モデルに従おうとする。

この辺、世代論を噛ませる必要があるな。高度成長期以降、上記大企業モデルが確立してきたあとに成長した世代にとって、このモデルが所与の前提であることが多分重要。

こうして、大企業と違って別に守ってくれない使用者の広範な人事権に従わなければいけないというまことにバランスを失した状態が生み出され、

大企業労働者にとってはあまり現実的でなかったために、法理はあってもあまり明確に定式化されることのなかった一般的な個別解雇法理が、中小零細企業にとっては余りまともに意識されることがなかったこともあって、

(大企業であれば、一生面倒を見てやるといっているのにあえて逆らうヤツをクビにすることには合理性があるとしても)そういう基盤の希薄な中小零細企業においても、大企業モデルの広範な人事権に逆らうと、あっさり「クビ」となるという帰結。

ブラック企業現象というものを腑分けすると、多分こういうメカニズムが働いているのではなかろうか。

労働社会全体を広く見渡せば、大企業モデルの判例法理を余りにも一般的なあるべき姿として作り上げてしまったことのマイナスは結構大きかったように思われます。

(追記)

労働法教育の問題も、実はこれが背景にある。

大企業労働者にとっては、メンバーシップの中にいる以上、それをわざわざ波立てるような労働法の知識など不必要。人事部と労働組合に任せておけば(普通は)悪いようにはならないようになっていた。

本当に必要なのは、そういう前提の希薄な中小零細企業なのだが、これまた、優等生だった子に要らない知識が、そうじゃない子にこそ必要だというのはなかなかにパラドクシカル。

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日本人材派遣協会の「基本的な考え方」

日本人材派遣協会が「労働者派遣法改正に向けての基本的な考え方~派遣制度の規制強化に反対します~」と題する意見書をアップしています。

http://www.jassa.jp/admin/info/upload_image/100922kihon.pdf

いくつかの点については、私も賛成、というよりもむしろ積極的に主張していた点でありますが、またいくつかの点では賛成しがたい点もあり、詳しくは別の機会にしますが、ごく簡単にコメントをしておきたいと思います。

>1.派遣対象業務
政令で定める26 業務とそれ以外のいわゆる自由化業務の取扱いの区別をなくす。

まさに私がここ数年来力説してきたこと。25年前の「専門職だから大丈夫」というインチキ理論から脱却することが何より重要。

>2.派遣禁止業務
派遣禁止業務は、職場の安全性を考慮して現行のままとする。

安全衛生面からの禁止業務というなら、労基系の危険有害業務とすべき。港湾荷役は安全衛生上危険というより、ヤーサン系の危険ゆえに禁止という故事来歴を知る人もだんだん少なくなってきたということか。

>3.派遣期間の制限と雇用の申し込み義務
派遣先での、派遣労働者の派遣受入期間については、その制限を撤廃する。
また、同一派遣労働者の同一派遣先(部署)への派遣期間は3 年を限度とする、と同時に雇用の申し込み義務を廃止する

ここは錯綜した議論を解きほぐす必要があるが、そもそも派遣に限らず、有期雇用契約自体が「臨時的・一時的」な労働需要に対応すべきもので、登録型派遣を延々何年も更新し続けるということ自体は問題。ただ、それを派遣だけ目の敵にする法制はおかしいというのは確か。その意味では、有期契約規制の一環として、例えば3年経ったら無期派遣への転換か派遣先の無期雇用といった選択肢を考える必要はある。

>4.事前打合
一定のル-ルの下、派遣元の雇用責任を前提に、最低限の「事前打合」が行えるようにすべきである。

ここは法理上むずかしいところ。事前「面接」を前提に労働者供給事業を認める方が筋がよい。

>5.製造業派遣の禁止
製造業派遣の禁止は反対。

然り。

>6.マージン規制
他業種に比してマージンは低い。営業利益率に規制は不要。

これは疑問。というより、「派遣料金と賃金の差の大部分は必要経費であり」を外部に証明する仕組みがないことが問題。グッドウィルの「善意」が信用できないという話が話の発端である以上、ここは何らかの対応が必要。有料職業紹介事業、組合労供事業とのバランスからも。

>7. 日雇派遣
日雇派遣の禁止は反対。短期業務は、スタッフ・派遣先双方にニーズがあり、正しい雇用管理を前提に、必要な働き方である。

そうなのだが、逆に日雇労働を安定化させる仕組みとしての日雇派遣のあり方を積極的に提起する必要がある。

>8. グループ派遣
労働条件の引き下げに派遣が使われているといった悪質なグル-プ派遣は排除する一方、適正な需給調整機能を果たしているケ-スも多く、一律規制には反対。

問題はまさに「労働条件の引き下げに派遣が使われている」ことにあるので、それができないような仕組み(あるいはむしろ労働条件の変更システムの整備)との合わせ技が必要。

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“消えた”労働災害の真実

日経ビジネスオンラインが、一見地味ですが、実は大変重要な問題を指摘しています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20101001/216478/?top(“消えた”労働災害の真実)

>2009年に労災認定を受けた数は全国で10万5718人。一方で建設業界には現場で事故に遭って、労災にカウントされない人々が数多くいる。それは一人親方。労働者を雇用せずに自分自身や家族で作業する建設職人を指す。

 一人親方は大工や左官、型枠など建設職人の様々な領域で増えているが、個人事業主という扱いになるため労働保険の対象外。労働者ではないため、厚生労働省の統計には表れない。だが、その数は無視できるものではない。

 「死亡者を見れば、多い時で労災件数の2割、少なくとも1割は統計外」。大阪府内の建設職人を束ねる業界団体、大阪府建団連の北浦年一会長は指摘。ある大手ゼネコンの所長も、「10回に1回は一人親方」と打ち明ける。

>建設需要が縮小する中、業者同士のたたき合いは激しさを増している。下請けに対するゼネコンの発注単価は大幅に下落。建設職人を直接雇用していた1次下請けや2次下請けに保険料の事業者負担がのしかかった。負担を避けるため建設職人を独立させる動きが加速、一人親方の急増につながった。

>保険料負担を避けるために独立を促された元労働者。「統計外」は建設業界と行きすぎた重層下請け構造の歪みを象徴している。

労働者性が問題になるのは関係終了(解雇)と労働災害が多いのですが、とりわけ労働災害の場合、労働安全衛生法上は元方事業主に対して請負人「と」請負人の労働者に対する指導などの義務を課していて、その限りでは労働者でない者も含めた体系になっているにも関わらず、労災法制は下請負人の労働者には補償義務はあるけれども下請負人自身に対しては(労働者じゃないから)ないというふうになっていて、真剣に考えるといろいろと論点のあるところではないかと思われます。

大きな議論をするのであれば、例のシュピオ報告風に、従属労働の円の一つ外側に安全衛生を含む職業活動に共通の法を設け、こういう一人親方の労災問題は今のようなアドホックな形ではなく、共通のプラットフォームを作る方向で考えるべきではないか、といった議論につなげることもあり得るでしょう。

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「義務だけ正社員」パート

昨日のエントリの続きですが、そういう「義務だけ正社員」は正社員だけでなくパートにも広がっているようです。

私が分析している個別紛争事案から:

>・・月・・日に突然・・・店への異動を命じられた。しかしパートの身分であり、家族や本人の体調の都合がつかず、退職せざるを得なかった。

>パートタイマー就業規則第9条「業務上の必要のあるときは、職場もしくは職種を変更することがある」

いまやパート身分であっても職務も勤務場所も無限定ということもあるようです。

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優秀でない学生の就職のため税金使うべきでない@大前研一

こういうのが週刊ポストに載っていたそうです。

http://www.news-postseven.com/archives/20101006_2689.html(大前研一氏 優秀でない学生の就職のため税金使うべきでない)

>菅内閣が民主党代表選挙の最中に閣議決定した「新成長戦略実現に向けた3段構えの経済対策」の中には、とんでもない政策が盛り込まれている。指摘するのは、大前研一氏だ。

>とんでもない政策は、大学生や高校生の就職支援を目的とした「新卒者雇用に関する緊急対策」だ。

>・・・就職できなかった残りの1割弱は20社ぐらい受けているはずであり、それだけ受けて落ちるような人間の就職支援のために、なぜ税金を使う必要があるのか。

>優秀でない人間を無理やり中小企業に雇わせるのは犯罪的な行為であり、そのために税金を使うのは国民に対する冒涜だ。

菅内閣の政策がその目的に照らして適切かどうか、という評価は(いろいろ議論があるでしょうが)ここではしません。大前氏が言っているのは、そもそも「優秀でない学生の就職のため税金使うべきでない」という、目的自体の全面否定なのですから。

そもそも優秀な学生なら、就職支援がなくても就職できるはずで、それができないからなんとかしようといってるわけですが、それが全面的にけしからんということは、

(1) 優秀でない学生は就職できずに野垂れ死ね!

(2) 優秀でない学生は国が捨て扶持やるからそれで細々と生きろ!

のいずれかだと思われます。

少なくともマクロ経済的には、優秀でない学生にもそれなりの職場で働いてなにがしかの生産活動に従事して貰う方がメリットがあるはずですが、頭が「ボーダーレスエコノミー」な大前氏には、そういう国民経済的発想自体が許せないのかも知れません。

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ブラック企業の発生源としての「義務だけ正社員」

特定社労士の「しのづか」さんが、わたくしの発言にコメントされています。

http://sr-partners.net/archives/51595129.html(正社員だから無理を聞け、は通用しない)

>>>むしろ問題は、かかる雇用保障義務が事実上存在しない中小零細企業の労働者でも、大企業モデルの無限定的労働義務が程度の差はあれ規範化されていて、一種のやらずぶったくりが可能になっていることではないかと思います。

>これ、私も切実に感じます。

・・・・・

>正社員という名のもとに、経営者のやらずぼったくり、やりたい放題となっている中小零細企業の(一部の)実態があります。

このあたりは、裁判まで行かないあっせんレベルの実際の山のような個別労働紛争の中身を見ていると大変強く感じることです。

日本の正社員システムは、それが(本来の雇用契約ではあり得ないくらいの)高度の義務と高度の保障の間で釣り合いがとれている限り、外部的な問題は別にして当人にとってはそれなりによくできたシステムではあるのですが、高度の義務の前提であるはずの高度の保障がないような労働者にまで、あたかもそれが労働者のデフォルトルールであるかの如く強制されることになると、まことにブラックな「義務だけ正社員」を生み出すもとになります。

わたしは、いわゆる「ブラック企業」なるものの発生源の一つはここにあるのではないかと感じています。

それを「周辺的正社員」という言い方をするのはたぶんいささかミスリーディングであって、世の中に周辺が存在するのは当たり前だし、特殊な大企業正社員型モデルが中小零細企業にも普遍的に存在しなければならないなどということはそもそもありえないのですが、問題はそういうところでも仕事の中身も時間も空間も無限定が正社員のデフォルトだという規範感覚が労働者を縛ってしまっていることの問題点です。

ここは、いうまでもなく解雇自由ではっぴーなどという逆噴射的な話ではなく、中小零細企業の保障がそれほどではない正社員にはそれなりの義務のありようがあるはずという形で論じられるべきところでしょう。

本当は労働法とはそういう人々のためにあるはずなのですが、雇用保障と引き替えに無限定の労働義務を引き受けた大企業正社員モデルが労働法解釈のデフォルトになってしまっていることが、その次元の議論を却って難しくしてしまっているように思われます。

こういう問題意識はなかなか共有されないのですけどね。

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道幸哲也『パワハラにならない叱り方』

11909 道幸哲也先生より『パワハラにならない叱り方 (人間関係のワークルール)』(旬報社)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/633

いじめ・嫌がらせは個別労働紛争でも解雇に次いで第2位の件数に昇るなど、今日の労働問題の一つの焦点ですが、そもそも「私はいじめを受けた」という労働者に対して会社側が「確かにいじめがあった」と認めるケースは大変少ないのですね。

第1章 どんなパワハラ・職場いじめが起こっているのか
1 会社によるパワハラ・職場いじめ
2 上司・同僚によるパワハラ・職場いじめ
3 パワハラ・いじめ事件の特徴
第2章 余裕のない職場
1 労使関係をめぐる環境変化
2 「労働」そのもののとらえ方の変化
3 職場における人間関係の悪化
第3章 法的な世界とはなにか
1 争いを自然なものとみなす紛争観
2 紛争自体を異常とみるわが国の紛争観
3 なぜ法律は身近でないのか
4 法化社会の「日本的」表われ
第4章 労働法はどう対応してきたか
 1 職場の人間関係は対象外だった
2 セクハラ裁判を契機とする変化
3 セクハラ裁判のいじめ問題への影響
第5章 制約される労務管理――法的なコントロール
1 直接的な指導・教育
2 人事考課
3 配転・出向
4 不適切な行為にたいする懲戒
5 退職の要請
6 普通解雇
7 懲戒解雇
8 全体としてどう考えるか
第6章 労働者の人格権を権利として守るということ
1 なぜ新たな人権・法理が形成されたのか
2 適正な働き方とは
3 職場でも私的領域を確保するということ
第7章 教育・指導という名のパワハラ・いじめ
1 協調性欠如を理由とする紛争
2 教育・指導に反抗したことを理由とする処分・解雇
3 教育・指導のしかたを理由とする損害賠償
4 教育・指導とパワハラの境界はどこに
第8章 人間関係のワークルール
1 なぜ職場の人間関係が法的な問題になったのか
2 労働法はどう対応してきたのか―新たな人権・法理の展開と限界
3 法的な紛争になることを回避するための工夫
4 外部機関への相談にあたって
5 法的な処理はどのような視点からなすべきか

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2つの派遣シンポジウム

Waseda_2たる10月15日に、早稲田大学産業経営研究所主催で「派遣法の改正と今後の労働市場」というシンポジウムが開かれます、わたくしもパネリストとして出ます、ということは既にお知らせしているところですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-3303.html(シンポジウム等のお知らせ)

パネリストは、島田陽一先生、連合の新谷信幸さん、アデコの奥村真介さん、わたくし、モデレータは鈴木宏昌先生です。

場所は早稲田大学国際会議場井深大記念ホールです。

http://www.waseda.jp/sanken/forum/sanken/poster_36.pdf

ご関心のある方のご来場をお待ちしております。

さて、その前日に、派遣労働ネットワークによるシンポジウムがあるのですね。

http://haken-net.or.jp/modules/news/article.php?storyid=49

>シンポジウム「どうなる?どうする?日本の雇用」

日時 10月14日(木) 18:30~
場所:ユニオン運動センター(UMC)会議室
(東京都渋谷区代々木4-29-4 西新宿ミノシマビル2F)
コーディネーター:中野麻美(弁護士・派遣労働ネットワーク代表)
パネラー:毛塚勝利(中央大学法学部教授)
     :石水喜夫(厚生労働省労働経済調査官

残念ながらこの日の夕方はNTT労組弁護団で用事があり、私は聴きに行けませんが、興味のある方は両方聞き比べると面白いかも知れません。

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野川忍先生の『労働法問題集』と『労働判例インデックス第2版』

1102978827 野川忍先生から一挙に2冊もお送りいただきました。一つは『労働法問題集』。もう一冊は『労働判例インデックス第2版』。いずれも商事法務からです。

1102978835 最近はこういう「ひとりで全部書いたぞ!」タイプの学習書が多くなった気がしますが、野川先生は大内先生と並ぶ双璧ですね。

ちなみに、野川先生の最近のつぶやきから:

http://twitter.com/theophil21/status/26338083595

>(1)雇用については、基本原則を理解せずに思いつきを口走る人が多いですね。日本で解雇が厳しいように見えるのは、企業自身が、「雇用保障と人事権」との取引を労働者と合意してきたからです。

http://twitter.com/theophil21/status/26338226933

>(2)解雇を自由にしたければ、兼職自由、ロイヤリティーは求めず、人事はすべて個々の労働者との合意によってのみ行う、ということにすればよい。「雇用は保障するから、世界にもまれな企業絶対権力に服従してくれ」と日本の企業は言ってきたのです。

http://twitter.com/theophil21/status/26338393772

>(3) 日本の企業には、人事権を放棄し、すべて合意の上で労働者を処遇していくという気迫があるのかということです。 もし、すべては合意、というルールを本気で企業社会に定着させるならば、今の法制度のもとでも、解雇は十分に自由度を増すでしょう

まあ「企業絶対権力」というか、労働義務の内容的・時間的・空間的無限定性と、仕事がなくなっても企業ある限り存続する雇用保障義務との社会的交換であって、いいとこ取りはできないというだけのことですね。

むしろ問題は、かかる雇用保障義務が事実上存在しない中小零細企業の労働者でも、大企業モデルの無限定的労働義務が程度の差はあれ規範化されていて、一種のやらずぶったくりが可能になっていることではないかと思います。

雇用システムの二極化の弊害はそのあたりにもあるように感じられ、それゆえに限定的な労働義務と限定的な雇用保障義務のバランスした雇用関係モデル(ジョブ型正社員)が必要なのだと思うのです。

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連合総研『DIO』10月号

Dio_2 連合総研の機関誌『DIO』の10月号がアップされています。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio253.pdf

特集は「財政問題を考えるー消費税論議の何が問題なのか」で、

財政再建と経済再生の切り札は雇用拡大     小野 善康 ………………… 4
財政と社会保障における消費税     宮島 洋 …………………… 8
世代間公平から見た消費税増税     井堀 利宏 ………………… 11
税と社会保障一体改革が必要     森信 茂樹 ………………… 14

というラインナップですが、ここではやはり小野善康先生でしょう。マスコミ等で誤解に基づくバッシングを受けた小野先生が、思いっきりわかりやすくその考えを説明しています。

妙に部分的に引用するよりリンク先を読んでいただく方がいいのですが、最後の一節だけこちらに引用しておきます。

最後に、お話を伺う中で、増税による雇用創出について、なかなか理解が得られないというお話がありましたが、理解が得られない最大の理由をどのようにお考えですか。

 増税による税収を使って雇用創出を行えばよいということに対して、これまで「私には何の得にもならないのに、なんで失業者の雇用のための税金を取られなければならないのか」という反応がたくさんありました。

 こういう考え方になるのは、目先の分配のことしか頭にないからです。好況で生産能力がすべて使われているなら、これ以上物やサービスを増やすことができないから、財政政策によって購買力が自分から他人に渡れば、その分だけ自分の消費できる分は減って、他人が消費できる量は増えます。だから損だという主張が成り立ちます。しかし、現在は生産能力が余っている。それを少しでも活用することができれば、経済全体で提供される物やサービスの総量が増えるから、国民全体の便益は必ず上がります。

 具体的には、失業者を雇用して介護や保育、耐震化などの社会資本整備を行えば、その分国民生活の質は上がります。それに失業者に払った給与はさまざまな必需品の購入を通して就業者に戻ってきます。さらに、雇用状況が改善すれば、いつ肩たたきにあうかと思っていた就業者も安心しますから経済全体の消費も所得も増えて、経済が活性していきます。

 日本は使い切れないほどの生産力があって不況になっているのだから、国民全体がこうしたマクロ的な視点で考え、いまある生産力をフル稼働させるだけで、十分に幸せで安心な社会を実現することができるのです

こういう考え方を目の敵にする人々がいっぱいいるんですねえ。

あと後ろの方に「2010年度主要研究テーマ」が載っていて、この10月から始まる新たなテーマがいくつか挙げられているんですが、その中に、

企業行動・職場の変化と労使関係に関する研究

というのがあって、

>労使関係、とくに集団的労使関係の今後のあり方を探っていくには、①企業行動と人事制度、②労働・生産過程と職場集団、③労働者個々人と労働組合、それぞれの分野の分析にとどまらず、相互の連関を捉えていくことが重要になっている。

と、大変意欲的なことが書かれています。

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シンポジウム「社会保障と雇用をどう立て直すのか 政治と政策の間で」

権丈善一先生のところで公表されてしまったようなので、こちらでも広報しておきます。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/

  • 2010年11月17日(水)
    シンポジウム
    「社会保障と雇用をどう立て直すのか 政治と政策の間で」

    基調講演  
    権丈善一(慶應大学)
    濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構)

    パネルディスカッション  
    権丈善一
    濱口桂一郎
    山口二郎(北海道大学)
    宮本太郎(北海道大学)

    時間:14:00~17:00
    場所:ホテル ルポール麹町(東京都千代田区平河町)

    主催:北海道大学大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター
    共催:文部科学省科学研究費基盤研究(A) 
    「日本型福祉・雇用レジームの転換をめぐる集団政治分析」
    後援:日本医師会
  • ということで、そうそうたるメンバーの中で、「ビルの谷間のラーメン屋」よろしくお話しをして参ります。

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    小林信也さんの拙著書評

    昨日に引き続いて、本日もブログ上での拙著書評がアップされております。歴史研究者小林信也さんの「江戸をよむ東京をあるく」で、『新しい労働社会』が取り上げられました。

    http://skumbro.cocolog-nifty.com/edo/2010/10/post-4223.html(書評:濱口桂一郎『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ』)

    >まずは、この本のタイトルに出てくる「労働社会」というタームが、すごく魅力的だ。そして、終章にあたる第四章では、この「労働社会」を基盤とした「民主主義の再構築」の必要性が訴えられている。これは重要な主張

    さらに本ブログについても短評。

    >実は私もそのブログの愛読者であることを白状しておく。抑制の効いた本書の文章とはかなり味わいのことなる、なかなか刺激的な内容の記事もある。その記事をめぐってしばしば巻き起こる論争はいろんな意味で興味深いし、それにより、濱口さんの主張をある程度は相対的にとらえた上で評価することもできる。

    確かに、抑制があまり効いていないかも知れませんね。また、わたくしの主張を相対化するのには最適です、確かに。

    なお、小林信也さんの「近世の終焉としての現在」という連載記事もとても興味深いので、社会のあり方を歴史的に考えるのが好きな人は是非目を通してみられるとよいと思います。わたしはイエ社会論の一形態と捉えましたが。

    http://skumbro.cocolog-nifty.com/edo/2008/05/post_c07e.html

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    以上2点の意味不明が、本書の、しかも最初の方を読むだけで氷解した

    久しぶりにブログ上での拙著書評です。chanmさんの「はてブついでに覚書。」というブログです。

    出版から1年以上を過ぎて、なおこのように感動を持って読んでいただける読者を得られるのはうれしいことです。ありがとうございます。

    http://d.hatena.ne.jp/chanm/20101003/1286118710(『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ』を読んだ。)

    >生まれてから一度も正規社員であったことがないせいか、日本において労働する上でどう立ち回ったらよいのか未だによくわかっていない私の社会人人生ですが、その中でも2つ、とびきり意味のわからなかったことがあった。・・・・・・

    その意味不明が、拙著を読んで理解できたと書かれています。

    >以上2点の意味不明が、本書の、しかも最初の方を読むだけで氷解した。

    基本的なことを分かっていなかったらしい、私。

    >大変に納得した。

    で、それ以外についても、

    >いろいろ私が謎だなあと思っていたことが、制度の成り立ちを交え、私レベルにも大変分かりやすく、すっきりとした言葉で説明されていた。

    とのことです。

    ありがとうございました。

    (追記)

    同日付でもう一本拙著書評。「はこりむ」さん。

    http://d.hatena.ne.jp/mustafa/20101003

    こちらは労働時間に関する日欧の規制の考え方の違いを取り上げています。

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    オランダも反イスラム政権へ

    オランダの新連立政権は、閣外協力の形でウィルダースの自由党が参加し、ブルカの禁止やイスラム移民の制限に踏み出しそうだという記事。例によってEUobserverから。

    http://euobserver.com/9/30942(Dutch coalition to target burqas, Muslim immigration)

    >Anti-Islamic politician Geert Wilders has emerged triumphant in Dutch coalition talks, with the new government to introduce a bill on banning the Muslim face veil and to try to halve the number of "non-Western" immigrants in the country.

    The Netherlands' new "Freedom and responsibility" coalition formally includes just the Liberal Party (VVD) and the the Christian Democratic Appeal (CDA). But the 46-page-long coalition agreement by the minority government makes far-reaching concessions on burqas and immigration rules in order to be able to count on parliamentary support from Mr Wilders' PVV faction.

    連立合意の中に閣外協力の自由党の意向に沿って、ブルカの禁止やイスラム移民の半減が盛り込まれたということです。

    >Mr Wilders said "A new wind will blow in the Netherlands" and "We want the Islamisation to be stopped."

    「オランダに新しい風が吹き出した。イスラム化はおわりだ」

    >"This is unmistakeably a Wilders' cabinet," said Femke Halsema, the leader of the Green party.

    緑の党いわく「これはまがいようもなくウィルダース内閣だ」

    オランダにおける反イスラムがただの「うよく」現象とみるだけではわからないことについては、

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-d56b.html(「不寛容なリベラル」というパラドクス)

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    『生活経済政策』10月号の座談会

    Img_month 生活経済政策研究所の『生活経済政策』10月号が送られてきました。今号は大部分がわたくしも参加した座談会で占められています。

    駒村康平先生、神野直彦先生、間宮陽介先生にわたくしの4人で、「好循環社会がめざすもの-新成長戦略と「民主党らしさ」」というテーマでお話しした記録です。

    わたくしの発言部分だけを以下に摘録いたしますが、話のつながりが分からんとお思いの方は、是非もとの雑誌の方をお読みいただければと思います。

    http://homepage3.nifty.com/hamachan/seikatsuzadankai.html

    座談会 好循環社会のゆくえ――新成長戦略と民主党のアイロニー(仮題)
     
    駒村康平(慶應義塾大学教授・司会)
    神野直彦(東京大学名誉教授・生活研顧問)
    間宮陽介(京都大学大学院教授)
    濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構統括研究員)〈発言順・敬称略〉

     
     
     濱口 それとからむのが「現状認識」とは何かという問題だと思います。雑誌『世界』での座談会でも申し上げたのですが、歴史の転換期には「前の時代は真っ暗で、新しい時代は明るい」と言いたがるし、「社会はすべて変わった」と言いたがるものです。でも、幕末政府にいた勝海舟や川路聖謨のように、その「真っ暗」とされた時代にも非常に開明的ですぐれた人がいて、次の時代を先取りする政策も打たれていた。逆に明治政府にも訳の分かっていない人間もいて、変なことも結構やっている。
     それが歴史の転換期の実態だとすれば、民主党政権にも同じことが言えると思います。間宮先生が指摘されたように、民主党の新成長戦略は確かに自公政権末期の与謝野さんの下で進められた政策とよく似ています。でも、これはある意味、当たり前のことです。なぜなら、少なくとも雇用・人材の分野について言えば、それがまさに正しい方向であったからです。いままでの政策では限界があり、北欧ないし、少なくともEUのアクティベーション、インクルージョン型の新しい雇用社会政策を受け入れ、新しい方向を目指さなくてはならない段階にあるからです。そこには宮本太郎先生なども入って、新しい政策の方向性に取り組んでいました。その方向性を目指す政策が失敗したから、政権交代が起きたのではありません。いろいろな過去の積み重ねから自公政権が終わり、民主党政権へと移ったのです。その意味からすると、新成長戦略が自公政権の末期のものとよく似ているのは不思議ではありません。むしろ、本来あるべき姿というべきです。 同時に新政権だから、皆が正しい方向を向いているわけでもありません。間宮先生もおっしゃった「民主党らしさ」とは何かという話です。民主党内部には、先ほど言った北欧のアクティベーションやインクルージョンの方向性こそが「民主党らしさ」だと思っている方々だけでなく、新自由主義的な改革、つまり小泉よりも小泉的な政策こそに「民主党らしさ」があると思っている方々もたくさんいます。私には、民主党政権はその「2つの魂」のせめぎ合いの中で動いているように見えます。
     ところが、民主党が打ち出す政策の方向性が大きく見て「2つの魂」のどちらに引っ張られているのかについては議論されず、話題になるのはもっぱら親小沢か、反小沢かという話ばかり。私自身は新成長戦略を高く評価していますが、改めて、この大きな政策の方向性の根底にあるものは何かをもう少し明確化することが議論をわかりやすくする第一歩ではないかと思っています。
     
     濱口 私の関心領域である雇用・人材に関する政策について言えば、大きな流れで見ると、自公政権末期で与謝野構想が打ち出された時点で小泉政権下での雇用・人材に関する政策の方向性を大きく変えており、その方向転換の流れを民主党は大きく受け継いだ。その意味で鳩山政権・菅政権は一貫している。ただ、鳩山政権ではこの政策分野はあまり重要視されていなかったのに対し、菅政権はどちらかというと、ここをより基軸として打ち出した。その違いはあると思います。
     
     濱口 「2つの魂」を言い換えれば、菅総理所信表明演説にあった「第2の道」と「第3の道」の違いです。その所信表明演説の言葉に沿って「第1の道」「第2の道」「第3の道」について説明するならば、こういうことです。
     「第1の道」は旧来の自民党が建設業をはじめとするさまざまな業界にお金を流し、それで全体を底上げする形での公共事業中心の経済政策。これに対する民主党のスローガンが例の「コンクリートから人へ」です。90年代以降、この「第1の道」がうまく行かなくなったので、基本的に市場メカニズムに委ねてやっていく「第2の道」が志向される。その時の基本的なイメージは、古い自民党政権のやり方によってあちこちに無駄がたくさんある、だからその無駄を切らなければならないというものでした。これが、おそらく小泉政権に熱狂した国民の感覚だったと思うのです。
     その頃の民主党が、小泉改革ではまだ足りない、もっと急進的に構造改革すべきだと主張していたことは記憶に新しいところです。与野党双方で「第2の道」がもてはやされました。ところがやがて、とりわけ安倍政権以降の自公政権末期になると、与野党双方の中から、それに疑問を投げかける声が出てくるようになりました。いわば、自民党も民主党も「第2の道」と「第3の道」をめぐってここ10年くらい政策競争をしていたわけです。そして、昨年政権交代を迎えた。
     私の問題意識は、政策的に「第3の道」を志向しているはずの民主党が事業仕分けの際に見せた「公的サービスはそもそも無駄だからそれを削らねばならない」という精神はどこから来るのか、ということです。そして、小泉政権の郵政改革時と同様の国民の熱狂--いわば「仕分けポピュリズム」は行き過ぎた市場原理主義の経済政策を進める「第2の道」を再びあおる結果となっていないか、ということです。民主党の仕分け担当者は自民党時代の公共事業中心の悪しき「第1の道」の無駄をたたきつぶすつもりで、アクティベーション型、インクルージョン型を目指す新成長戦略の「第3の道」の政策要素も「無駄」として切り落としてしまっているのではないでしょうか。
    わたしがびっくりしたのは、昨年11月に仕分け人が発表されたときに、その中に福井秀夫氏が含まれていたことです。福井氏は自公政権時の規制改革会議で「一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は間違っている」と述べ、あらゆる労働規制を撤廃せよと主張した人物です。これは、民主党という政党がどのような政策イメージをもって政権を担当しているのかという問題として議論すべきだろうと思います。
     
     濱口 そこがまさに小泉時代との違いが出ているところで、小泉路線に「それはちがうのではないか」という方向性が出てきた自公政権末期と連続性があります。一番大事なのは、自公政権末期からでてきた北欧型モデルへの志向、つまり国際的に開かれた市場を維持しながら雇用・社会保障を充実させていく方向なのか、それとも雇用・社会保障をむしろ市場化して、ワーキングプアを作っていく方向なのかという点です。新成長戦略の雇用・人材戦略についていえば、一定程度、北欧型モデルを志向しているのは明らかで、政治状況にかかわらず、ここは大事なもの、基本的な方向性として維持して欲しい。
     そのうえで、自公政権末期の雇用・人事戦略と違う点は、国民からちゃんとお金をいただいて、それを医療や介護に流し込んでいくことによって良い雇用が生まれ、良いサービスが生まれ、それが回り回って社会を良いものにしていくという発想があることです。むろん、これは新成長戦略のなかで明確に表れているわけではありませんが、これまでの菅さんをはじめとする方たちの発言からわかります。ここは自公政権時代には、はっきり言われていなかった点なので、強調しておきたいと思います。
     
     濱口 私は新成長戦略に関して需要サイドか、供給サイドかという立場で議論してはいませんが、新成長戦略の雇用部分で重要なのは、「就業率の向上」というEUでは10年前から明確に入ってきた戦略が日本でようやく国家の戦略として位置づけられたことです。同時に、正規と非正規との格差や雇用のありかたに関して問題が指摘されていながら、後回しにされてきた事柄が重要課題として盛り込まれたことに注目したいのです。そこにあるのは、ある産業分野の自由化、民営化によって雇用が拡大したとしても、結果的にワーキングプアが大量にいる世界になってしまうなら、社会的に必要なニーズが満たされなくなってしまうという問題意識だと思うのです。潜在需要はあっても労働条件があまりに低く、福祉関係の大学に行った人が福祉分野に参入しないというボトルネック。これを何とかしようという議論につらなっていく部分かと思います。
     
     濱口 いまの話とからんで、大きな政府、小さな政府という議論には注意が必要だと私も思います。「大きな政府」「小さな政府」という言葉で見えなくなるものが多いからです。
     過去の古い自民党政治は「業」を助ける意味で大きな政府であり、「業」を助け続けるから利益誘導、無駄を生みだしたのだという指摘はその通りでしょう。しかし、新成長戦略の中にある第3の道的な要素も実は「人」を助ける意味で大きな政府です。「人」を助けるためにお金を使うのか、それとも「業」を助けるためにお金を使うのか。そこが一番違うところなのに、「人」も「業」も一緒くたにして、「大きな政府はだめだから」という言い方で切り捨ててしまう。大きい、小さいだけの議論では見えないもの、判断できないものがたくさんあるはずです。
     たとえば、新成長戦略のなかには産業ごとの各論で見た時に、旧来型の「業」を助ける議論とは分けにくい部分があるのです。まさに間宮先生が言われた医療や教育、福祉がそうです。旧厚生省は医師会に代表されるような「業」としての医療を助けてきたのは事実です。患者が山のようになだれ込んでくる病院の医師が過労で倒れるような現場を変えるには医療にお金を流すべきですが、うかつなやり方をしてしまうとそのお金が現場の医師や看護師などの「人」に流れず、古い仕組みにのって結果的に医「業」にばかりお金が流れる事態が生まれてしまう。そこはきちんと実態に即して、必要な「人」にピンポイントで流れるような仕組みを作っていかなければなりません。
     
     濱口 税や税制は本来、その社会にとって望ましい分配構造に変換するものです。なのに、日本国民はなぜ、およそ税金というものを年貢のように、とられたら後はだれかが好きなように消費してしまうかのように認識しているのでしょうか。そういう意味での非連帯の意識は強固です。
     
     濱口 私は正直言うと、民主党にも、自民党にもいろんな人--それこそ、井伊直弼もいれば勝海舟もいると思っています。だから、どの党の誰が政権をとるかという問題よりも、白猫だろうが黒猫だろうが、日本社会の進むべき道をよく分かった人達が政権をつくって、それをきちんと実行していただければ、それでよいと思っています。菅首相は所信表明演説からも窺われるように、自公政権末期からの正しい「第3の道」を進もうとしていますが、その陣営にいる方々の中には、どうみても新自由主義的な「第2の道」に郷愁を感じているのではないかと思われる人もいます。ここをきちんと明確化していくことが重要ではないでしょうか。
     
    (9月2日 東京都千代田区、龍名館にて) 

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    労働者性のいいとこ取りは許されるべきか?

    水谷研次さんのシジフォスで、シルバー人材センター会員の労災事件が取り上げられています。

    http://53317837.at.webry.info/201010/article_2.html(シルバー人材センター会員も労働者 )

    シルバー人材センターの労災事件自体については、かつて(7年前)綾瀬市シルバー人材センター事件を判例評釈したことがありますが、

    http://homepage3.nifty.com/hamachan/ayasesilver.html

    明確に、シルバー会員の労働者性を認める判決が出てくるようになりましたが、それも、先日『東洋経済』の記事でも書かれていたような、会員の経済状況の変化が背景にあるのかも知れません。

    ただ、ここではむしろ、水谷さんがわざわざひょうごユニオンから送ってもらった判決文から、シルバー人材センターに限らず、労働者性が問題になる事件のある部分に共通する問題がかいま見えているので、そこを取り上げてみたいと思います。

    それは、ひと言でいうと、労働者じゃないことにして利益を得ていた者が、いややっぱりオレは労働者だと主張することは許されるのだろうか、という問題です。

    >原告は2000年に自動車部品ゲージなどを製造する30名規模の会社に入社、すぐチーフ的存在となり、2004年に定年となった。社長は本人に対し再雇用を要請したが、「市役所で年収が120万円以内でないと年金が減額になると聞き、また病気がちの実母の面倒を見るための時間の拘束も減らしたいと考えていたところ、会社で事務の仕事をしていたセンターの会員から、センターに登録して仕事をすれば年金額が減額されないという話を聞いたため、再雇用ではなく、センターに登録して会社で仕事をすることとした」(判決文の「裁判所の判断」より) ものである。本人のセンター登録を受け、社長がセンターに求人し、継続してリーダー的に仕事を続けた。センターは「会員登録する際に、会社との間には雇用関係がなくなることを説明し、本人は労働法の保護を受けなくなることを含めて理解しており、自らの選択の結果であり、その不利益は甘受すべき」 と主張している。判決文でも「原告は会社と雇用関係を締結せず、労働法の適用を回避しようとする意図を有し」「年金支給額の減額を避けるために、センターを介し就労したことは、センターの利用方法としては不適切」と指摘している。

    しかし、裁判所は「当該罹災者において不適切な側面があるとしても、それが労働者の安全及び衛生の確保等を図るという労災保険法の趣旨、目的に照らして著しく不当である等特段の事情が認められない限り、労災補償を認めることが相当である」と判断した

    この問題は、実はJIL雑誌2008年2/3月号の「学界展望 労働法理論の現在」で、まさに論点になったものです。

    http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/pdf/002-046.pdf

    柳屋孝安さんの論文をめぐって、わたくしを含む4人が論じているのですが、

    道幸 もう一つは, 契約締結時の意思についてですが, 現実的に考えると状況は色々と変わるために, 後になって保護の必要性が出てくる場合がある。請負契約締結時に真意だったけれど, 保護の必要性がでてきたということになれば, これは保護されるのでしょうか。柳屋理論だと立法論でどちらでもいいことなのかもしれませんが。

    有田 契約締結時の意思と, 契約が実際に展開していく中で, 例えば一定の時間が経過して, あるいは色々なことが起きる中で, 当事者意思の内容が変わってくるというようなさまざまなケースをどうつかまえるのか。野田進教授が配転などの問題で議論されていたように, 確定的な意思としてどの段階でつかまえるのか。

    道幸 裁判が起こるというのは, 当初の意思と反するからです。この種の紛争の特徴というのは, 契約締結時の予想というのと実際の就労に齟齬があるから,トラブルが起きる。柳屋論文では労働基準監督署で事前に意思を明らかにしろと言っていますが, そういう問題ではないのではないか。つまり, 非常に状況追随的な問題で, それと関連して意思をどう考えるかになります。

    ・・・

    奥田 ・・・労働法の適用に関して当事者意思を重視するのがいいかどうかという点についてはもう少し考えたいのですが, ただ, それを前提に考えた場合, 何らかのプラスの条件もあって当初合意をしたことが, 後になって状況次第で簡単に変わるというのは若干違和感もあります。

    道幸 当初の合意のリスクを負いなさいということでしょうが, そう言えるかどうかの問題ですね。

    濱口 人間というのはどこまで未来予測能力があるかということを考えると, 決断したときの判断の範囲内で, そのリスクを全部負えというのかと。

    奥田 判断の問題なので, もちろん難しい場合もあるとは思います。前回検討対象とした西谷敏教授の著書では, 労働者の真の意思といっても誤った判断もあるので, そこは法で救う必要があるという趣旨のことが言われていました。そのような判断もありうるだろうと思います。ただ私は, 基本的に公序良俗や法律に反しない限りで合意したことが, 後から締結当時の合意だったからということで状況によって変わっていくということについては若干疑問もあって, 必ずしも柳屋説を排除できないようにも思っています。

    道幸 原則論で, そのとおりだと思います。ただ,実際に起こる紛争は, ほとんど労災絡みか雇用終了の問題で, そうすると, 結局, 労災と雇用終了のリスクをどう考えるかというのが, 実際の中心的な争点だと思うんです。労災については, 場合によっては安全配慮義務論として, 労働者性の問題にしなくても救済できるという側面がありますが, そうすると, 最後は雇用終了の問題だけが残るのかな。そこをどう考えるかが実際の論点ではないか。

    ・・・

    有田 立法論として議論していく中で, 意思によって外すということをことさら何か重さを持って考えなければいけないのか。つまり, 現実的に, 労働者としての保護は自分は必要ないといっている人はそもそもこうした請求をしてくるのでしょうか。

    道幸 自分は請負でやっているのだから, 何か問題が起きてもリスクは自分が負いますという人は裁判を起こさないからいい。だから, 当初の意思と反したことを主張したい場合にどうするかという問題だと思います。

    有田 そうなってくると, 意思で私は関係ありませんというようなことは必要なのでしょうか。

    道幸 契約締結時にいろいろな情報を出して, あなたはそれでいいのかと確認する。本人がいいと言って選択をしたら全部のリスクを負いなさいというのはありうるのではないかと思います。ただそれで解決できないから苦労している問題なのですよね。

    濱口 自営業者であることのメリットは享受したいと言っていた人間が, いざデメリットが出てきたら労働者として保護してくれというのは, それは何だというロジックはよくわかります。ただ, それを法制度設計として, そういう目先の利益で動く人にサンクションを与えるような制度設計がいいのかという判断のような気がします。

    有田 立法論として議論しているわけだから, まさにそういうことでしょうね。

    濱口 そこはやはり, 労働法の建前としては客観的実態で判断するのだろうと思います。

    奥田 それと, 実際には, 例えば労災に関してであっても, 労働者はそんなに選択できるような情報はおそらく持っていないでしょうね。どの選択が有利であるとか, そもそも労災が適用されるかどうかということ自体も知らない人は結構たくさんいて, いざ何か事件になった段階で, 社員には適用されるけれども, 自分には適用されないということに初めて気づくとか, 当然, そういう場合があるわけですから, 当事者意思ということを立法に組み込むにはかなり慎重な検討が必要でしょうね。

    道幸 事前にどの程度危険かなんていうのは, 自営業者的なレベルで契約を締結するときなどは全然情報を持っていないでしょう。

    濱口 だから, 当初の意思というときに, 事前にどれだけ判断材料となる情報が提供されているのか, 契約締結時に情報提供義務というものを事業者契約のときにどこまで観念できるのか。

    奥田 その前提条件がないということですよね。

    道幸 それこそNHK の集金人の事案などは請負的でない限りは雇いませんよということですから, 選択の余地がない。そういう意味では, どちらかを選ぶという選択なしに, リスクはあなたが負いなさいと初めから言われている。

    奥田 そういう場合は, それを選択したという当事者の意思は認められないと考えるべきではないでしょうか。でも, そうなると実際には, 自分で選ぶ範囲なんてほとんどなくなってくるかもしれませんね。

    道幸 多様なところから選ぶような契約なんてほとんどないわけでしょう, 実際はね。

    濱口 それを表面の当事者意思はこうだけれども,客観的な状況から真意はこうだというのであれば, それを当事者意思という言葉を使って説明する必要性はあるのだろうか。

    道幸 そのような形で議論が錯綜するのはあまり意味がないと思います。

    わたくしは労働法の筋論から客観的実態で判断という立場ではありますが、法一般の筋論からすると、なかなかに難しい論点であることは間違いないところです。

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    『労働再審』の予告

    大月書店から刊行予定の『労働再審』というシリーズのうち、第1巻の「転換期の労働と<能力>」、第2巻の「越境する労働と<移民>」の予告宣伝が版元のHPにアップされているので、こちらでも紹介しておきます。

    まず、本田由紀編の「転換期の労働と<能力>」ですが、

    http://www.otsukishoten.co.jp/book/b73913.html

    >メリトクラシーの原理が揺らぐ現在、いかなる「能力」を身に付ければ「まともな」処遇が約束されるのか。10の論考を通じ、現代人を不安に駆り立てる「能力」概念を検証する。現代社会の労働を多角的に描く新シリーズの第一巻。

    てことで、こういう方々が書かれています。

    序章 ポスト近代社会化のなかの「能力」(本田由紀)
    1章 企業内で「能力」はいかに語られてきたのか?(梅崎修)
    2章 公務職場における「ポスト近代型能力」の要請(桜井純理)
    【ノート】ジェンダー化された「能力」の揺らぎと「男性問題」(多賀太)
    3章 若年非正規労働者の「能力」(古賀正義)
    【ノート】「キャリア教育」で充分か?(筒井美紀)
    【ノート】「無能」な市民という可能性(小玉重夫)
    4章 若者移行期の変容とコンピテンシー・教育・社会関係資本(平塚眞樹)
    【ノート】「能力観」の区別から普遍性を問い直す(堤孝晃)
    5章 ポスト・フォーディズムの問題圏(橋本努)

    ふむふむ。まず梅崎さんの日本型人事の歴史的分析から始めるのは手堅いですが、そのうちやがて「無能な市民」さんがでてくると。いや、その前に筒井美紀さんがしっかり手綱を締めてるか。

    次の五十嵐泰正編の「越境する労働と<移民>」ですが、

    http://www.otsukishoten.co.jp/book/b73914.html

    >移民労働力の本格的導入が議論される一方、大企業では外国人採用、英語公用語化など多文化社会への流れが強まる。働き手としての「人」はおろか、仕事や職場すら容易に国境を越える時代は、労働社会にいかなる変容を迫るのか

    ということで、中身は以下の通り。

    序 「越境する労働」の見取り図(五十嵐泰正)
    1 外国人「高度人材」の誘致をめぐる期待と現実(明石純一)
    2 EPA看護師候補者に関する労働条件と二重労働市場形成(安里和晃)
    3 非正規労働市場と日系ブラジル人(大久保武)
    4 外国人単純労働者の受け入れ方法の検討(上林千恵子)
    【ノート】リーマン・ショック後の現場から(平野雄吾)
    5 フィリピン人エンターテイナーの就労はなぜ拡大したのか(津崎克彦)
    6 ワーキングホリデー労働者を生み出す構造と帰国後の就労状況(川嶋久美子)
    7 日本の外国人労働者政策(濱口桂一郎)

    はい、こちらにはわたくしも1章書いております。

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    ギャラガー『豊かさの向こうに』

    Yutakasano もう一冊、川人さんからお送りいただいたのはギャラガー著、川人博/佐藤綾子/加藤彰訳『豊かさの向こうに-グローバリゼーションの暴力』です。

    http://homepage1.nifty.com/rengo/bunyabetu/bunka/bunkashokai/yutakasano.html

    >「私たちは貧困を押しつけていないだろうか? 危険を押しつけていないだろうか?」――世界の労働現場の実態を調査してきた著者が、マザーテレサの精神、解放の神学の立場で現代世界のゆがみを指摘します

    佐藤綾子さんのあとがきから、

    >本書の原題は『安い価格の本当のコスト』(The True Cost of Low Prices)です。Cost には「代償」という意味もあります。先進国の便利で快適な暮らしを支える安い商品の多くは、途上国の貧しい人々の安全・健康・人権を代償にして作られています。圧倒的に不公平な世界経済システムのなかで誰がどのように苦しんでいるかを知ろう、心を開こう、そして貧しい人々とつながろう、というのがこの本のメッセージです。
     著者のヴィンセント・A ・ギャラガー氏は、三十余年にわたって労働災害や健康障害を防ぐ仕事に取り組んできました。その間、世界銀行、国際労働機関(ILO)、世界保健機関(WHO)などの依頼を受けて、アメリカとラテンアメリカの各国で調査を行っています。また、ニュージャージー州カムデンにある社会教育施設ロメロセンターで、グローバリゼーションと暴力についての講師を長年務め、平和・正義教育賞を授与されました。

    低価格とは、低賃金であるだけでなく低労働条件であり、とりわけ安全衛生の欠如であるという歴然たる事実に目を背ける人々が多いだけに、本書は多くの人に読まれるべきでしょう。

    著者自身のプロローグから、

    >私は仕事を通じて、何百もの労働災害や死亡の事例を調査しました。そして、そのほとんどが経済的な利益のために労働者の命を危険にさらすという決定によって引き起こされていると気づきました。例を挙げましょう。

    ・生産性を上げるために安全装置を機会から取り外した結果、労働者が指や手を失いました。

    ・落下事故を防止するための安全装備を設置しなければ、建物は早く完成します。でもそのために労働者が落下し、体や手足の麻痺あるいは脳障害で苦しんだり、命を落としたりします。安全法に従って安全に働くには、時間も金もかかるのです。

    ・食品加工機は、電源を落とさなければもっと早く洗浄できます。むしろ、動かし続けて安全ガードが外された状態でスプレーして洗浄すれば、作業はずっと早く完了します。しかし、それによって労働者は手、腕、または足を失うかも知れません。・・・

    この本は、下のエントリで紹介した東大駒場の「法と社会と人権」ゼミの学生たちが中心になって翻訳したものということです。

    >『 The True Cost of Low Prices 』は、私がシアトルのワシントン大学ロースクールを訪れた際に、書店にて購入した本である。購入のきっかけは、私の専門分野である労災問題について、この本が発展途上国の実態をリアルに伝えていたからである(第十章など)。その後、私が講師を務める東京大学教養学部「法と社会と人権」ゼミで、国際社会と人権に関心をもつ学生有志を募って、本書の翻訳作業をおこなうこととなった。翻訳作業に参加したのは、加藤彰君をチーフとして、武井紀文君、隅田宙希君、大川友理さん、山田晃永さん、山崎奈都子さんである。また、フリーランスの吉田しのぶさんにも重要な役割を担っていただいた。そして、全体を通じて翻訳家の佐藤綾子さんが入念に監修して、今回の出版に至った。出版社は、カンボジアなどアジアの発展途上国に関する出版で知られる連合出版にお願いし、八尾正博社長からは様々なアドバイスをいただいた。

    ちなみに、本書でわたくしが一番(皮肉な意味で)感動した一節を紹介しましょう。

    >エルサルバドルの労働省は、安全検査を行ったり、違反者に罰金を課したりする権限を、理論上は有しています。しかし、その権限が行使されることはまずありません。あったとしても、罰金はごくわずかです。政治家が官僚を統制しているため、労働監督官は何の影響力も持たず、雇用者も法律や罰金を恐れていません。

    とりあえずは、日本がエルサルバドル並みでないことを喜ぶべきでしょうか。しかし、世間ではエルサルバドル並みに「政治主導」にしたくて仕方がない人々がいるようですから、将来は分かりませんが。

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    川人博編『東大は誰のために』

    Toudai 過労死裁判などで有名な弁護士の川人博さんから、『東大は誰のために-川人ゼミ卒業生たちはいま』(連合出版)をおおくりいただきました。もう一冊同時にいただいたのですが、そちらはエントリをあらためて書きます。

    http://homepage1.nifty.com/rengo/bunyabetu/bunka/bunkashokai/toudai.html

    >「現場から考える」「様々な立場・意見を知る」 そして世の中を確実に一歩前へ! 東大教養学部の名物、通称「川人ゼミ」(法と社会と人権ゼミ)。その卒業生たちは現実の社会に出て、今、何と格闘しているのか。手記を通して現代社会の課題に迫り、公と個人の生き方の関係をさぐります。

    川人さんが駒場でやってきたゼミが19年目を迎え、各分野で活躍しているゼミ卒業生たちが、「東大は誰のために存在するのか」という川人さんの問いに答えながら、それぞれの近況を書いています。

      序 章 川人ゼミ十九年の挑戦

      川人博

      第一章 医療・報道・農業の現場で

      庭瀬亜香/安井佑/藤川祐子/篠﨑夏樹/山岸一生/佐川豪/戸村賢弘/川渕友絵

      第二章 研究・教育・通訳の道に入って

      竹内寿/古川伸彦/笠木映里/山口敬介/恩賀万理恵/小野瀬勇一/渡部綾/井手雅紀

      第三章 行政・金融・国際機関に入って

      澁谷和朗/横堀直子/安井洋輔/岡田芳和/井上貴至/木村敬/山田智/黒須利彦/柴田隆/前田振一郎/前田大輔

      第四章 法曹界に入って

      鎌倉正和/木田秋津/石井眞紀子/中川素充/山本晋平/神吉康二/島田まどか/山根基宏/皆川更/松本渉/土井香苗/大川秀史/鈴木朋絵/山下敏雅

      第五章 現役生の語る「東大生の素顔」(座談会)

      鈴木悠平/坂本敬/竹内友理/松井勇作/西村光太郎/安部敏樹/伊藤優/山口翔平/稗田有紗

    第2章に、立教の奥野寿さんと九大の笠木映里さんがいますね。

    奥野さんは「無力さの力-労働法の世界で」として、こう語っています。

    >私は、このように労働法としては一定の保護・規制を行っている場合であっても、それが現実には履行されていない点がまま見られる現状について授業で語るたびに、現実は必ずしも労働法が定めているとおりにいっているとは限らないことを思い出し、少なからず、自分と、自分が研究・教育している労働法に、無力さ、むなしさを覚えます。

    奥野さんの原点は、川人ゼミのフィールドワークとして、過労死した方の遺族の話を伺ったことだそうです。

    >このやりきれなさは、何かできなかったのだろうか(今の私が振り返って言い直せば、労働法がしかるべき役割を実現していたら)という気持ちの裏返しとしての無力さに由来していたのだと思います。このような思いを何とかしたいという気持ちも、労働法の実現という現在の関心につながっているのだろうと思っています。

    笠木さんは「百年先、社会保障はどうなっているか」で、川人ゼミが与えた影響をこう語っています。

    >学生時代は・・・頭でっかちで、夢見がちで、ナイーブな学生だったと思う。川人博先生のゼミで、法律や法学が社会で果たす役割を学んだ経験は、私の法律観とその後の職業人生に大きな影響を与えた。人権問題の現場を歩き、当事者の声を聞くフィールドワークを通して、今まで知らなかった世界を目の当たりにするとともに、物事には必ず複数の側面があって、勧善懲悪の構図では判断できないという当たり前のことをあらためて学んだ

    このほかにもさまざまな分野で活躍する人々が、若き日に川人さんから受けた精神的影響を語っています。今年の夏学期の受講者総数は300人近いそうで、20年間駒場学生の少なからざる部分が川人さんのゼミで社会の現実を学んできたというのは、考えてみれば大変大きな知的影響を及ぼしてきたというべきでしょう。

    日本銀行に勤務する安井洋輔さんが。

    >社会の人々や企業の姿を想像しようとせず、統計データや数字に埋もれてしまうと、適切な問題意識が醸成できない危険性があるのではなかろうか。しかし、・・・川人ゼミで経験したフィールドワークを思い出すことで、目の前にあるデータやシミュレーション結果が、その背景にある人々や企業の切実な経済活動を表していると感じることで、適切な問題意識を持つことができる気がしている。

    と語っているのも、とても重要なことです。

    ちなみに、「東大は誰のために」という問いに対する、川人さんの答えは次の通りです。

    >東大の学生のためであろうか

    東大の教員・研究者のためであろうか

    いずれでもないと私は思う

    東大は、東大に来られない人々のためにこそ存在するのである

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    小野晶子さんと労務屋さんの派遣労働論

    JILPTのコラムで、小野晶子さんが「派遣労働でキャリアを培うには」を書かれています。

    http://www.jil.go.jp/column/index.html

    昨晩、小野さんとわたくしが都内某所で派遣業界関係のみなさんといろいろお話ししたばかりでもあり、わたくし的にはグッドタイミングでありました。

    ご承知の通り、小野さんは最近、「人材派遣会社におけるキャリア管理―ヒアリング調査から登録型派遣労働者のキャリア形成の可能性を考える―」という立派な報告書を出されたばかりであり、このコラムもその事実発見をもとに書かれているわけですが、

    http://www.jil.go.jp/institute/reports/2010/0124.htm

    さらに一歩踏み込んだ記述もあります。

    >では登録型派遣労働でうまくキャリア形成するポイントとは何だろうか。・・・

    派遣労働では、契約業務以外の仕事は与えてはいけないことになっている。上記に書いたような第1と第2のポイントでは、あるいは契約業務を超えて仕事をする場面も出てくるかもしれない。習熟と共に仕事が高度になり職業能力が向上し、賃金上昇につながる、あるいは職場でなくてはならない存在となり正社員への道が広がるというケースは往々にして、業務区分が緩やかな職場で見られる。

    業務を限定し、それ以外の業務を与えないという契約は、派遣労働者の業務内容を明確にし保護するという役割や、同職場の正社員の職域を奪わないという役割がある一方で、キャリア形成はやりにくくなる。

    現在の日本では3分の1が非正規労働者となりつつある。派遣労働も含めて、非正規で働くもののキャリア形成をどのように構築すべきか、次世代の日本を担う労働者の大きな課題である。

    問題の性格上、かなり慎重な、といいますかいささか奥歯に物が挟まった言い方になっていますが、「業務限定こそが派遣規制のアルファであり、オメガである」という現行派遣法の出発点からの考え方に対し、そもそもそれでは派遣労働者のキャリア形成ができないではないか、労働者のためにならないのではないか、という視点が感じられます。

    これを別の観点から論じているのが、ご存じ労務屋さんです。

    http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101001#p1(労働政策を考える(19)専門26業務適正化プラン)

    えー、まずそもそも「専門26業務」なんて粗雑な言い方をするところからして、素人が書いたとしか思えない行政文書であるわけですが、そういう労働法オタク的突っ込みではなくて、

    >また、専門26業務をあまりに厳格に適用することは、派遣労働者の能力・キャリアの形成上も問題となる可能性があります。5月に発表された集中期間の結果では違反例もいくつか紹介されていますが、その中にこういうものがあります。

    「第5号業務(事務用機器操作)と称して、平日は、事務機器操作のほか、来客者の応対、利用料授受の補助、契約申込み及び解約の手続き、苦情相談等の窓口業務を、また、土日祝日は専ら窓口業務を行わせていた。」

     もちろん、これは今回の「留意事項」をあてはめれば第5号には該当しない、ということになるでしょう。しかし、もし企業が事務職の正社員を中途採用するとして、前職は派遣でひたすら事務機器操作「だけ」をやっていた人と、同じく前職は派遣で事務機器操作のほかに来客応対や苦情処理の経験もある人と、他の条件が同じなら、どちらを正社員採用するでしょうか?

     もちろん、個別には改善が必要な問題のある派遣労働も多数あるだろうとは思います。しかし、今回の「適正化」プランは、実態と乖離した法制度を杓子定規に適用しようとしたときの弊害が大きく出ているように思われます。いまや派遣労働は労働市場においても無視できない存在になりました。全くないとは言えませんが、戦前のような「中間搾取」もほぼ過去の遺風となり、積極的に派遣での就労を選択する労働者も増えています。こうした中で必要なのは、派遣労働を「臨時的・一時的な労働力」として例外扱いするのではなく、働き方の立派な選択肢として市民権を与え、そのキャリア形成を促進し、良質な派遣業者を育成するような法制度ではないでしょうか。今回の派遣法改正法案がそれと逆行するものとなっているのは残念でなりません。

    と、まさに小野さんが指摘している懸念とまったく同じ問題意識を示しています。

    わたくしも、小野さんや労務屋さんに同感ですが、やはりそもそも労働者派遣法を作るときに、それまではおくびにも出していなかった専門業務だなんていう虚構を無理に通してしまったところに、今日ただ今かかる悲惨な事態を生み出している根源があるということを、一昨日の晩にも申し上げましたが、ここでも繰り返し指摘しておきたいと思います。

    最近書いた小文ですが、

    http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo0725.html(事務職派遣の虚構(『労基旬報』2010年7月25日号「人事考現学」 ))

    http://homepage3.nifty.com/hamachan/roumujijo0901.html(事務処理派遣とは何だったか?(『労務事情』2010年9月1日号巻頭エッセイ「Talk&Talk」 ))

    (追記)

    つまらんことをちくりにいく手合いがいるもので、

    http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20101004#p1(「専門26業務」なんて粗雑な言い方)

    >通報者の方はこれを見て「hamachan先生が労務屋を素人扱いしてますよ」という意味のことをだいぶ異なる表現で親切にもご教示くださったわけですが、

    もちろん労務屋さんはそんなのに乗せられるわけはなく、

    >ちゃんと読んでくださいよこれ行政文書って書いてあるじゃないですか。

    実はこれ、上で書いた「昨晩」、つまり先週木曜晩のネタであったのですが。で、

    >先生の苦言はこの「行政文書」を起草した職安局の担当者に向けられているのでぜひともそのようにお願いします>通報者の方。

    というのはまさにその通りなのですが、そのも一つ先もあるのですが、まあそれはおいといて、というところで。

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    『経営法曹』165号

    経営法曹会議から『経営法曹』165号をお送りいただきました。

    今号には、経営法曹の皆さんの欧州視察の準備として行われた講演のうち、

    EU労働法の概要・・・・濱口桂一郎

    デンマークのフレクシキュリティ・・・・岩田克彦

    オランダ労働法・・・・本庄淳志

    の3本が載っております。

    わたくしのは、まさに概論で、EUの労働法システムに加えて各論として非正規法制と労働時間法制をお話ししています。現時点の概論として便利かと思います。

    http://homepage3.nifty.com/hamachan/keieihousoueu.html

    岩田さんは最近、社会政策学会で報告したり、JIL雑誌に書いたりと、デンマークづいていますが、これは講演なので大変読みやすく、役に立ちます。

    実は、「どなたかデンマークの労働事情について詳しい人はいませんか?」という和田一郎さんの問いに、岩田さんの名を挙げたのはわたくしですが。

    本庄さんのオランダは若手法律学者らしいきっちりとした概説です。

    この「非正規雇用労働法制に関する欧州視察」については、巻頭近くで和田さんが書かれていますが、9月19日から29日まで、EU、フランス、オランダ、デンマークを訪問され、さきほど「全員無事帰国いたしました」というメールをいただきました。ETUCではモンクス書記長ともお会いになったようです。そのうちに視察報告がまとめられることと思います。

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    今度は池田信夫氏に全面的に賛成

    本ブログで何回となく批判の対象にしてきた池田信夫氏ですが、昨日のエントリは出色の出来で、全面的に賛成です。ただ、このエントリの趣旨をそのまま自らに適用すると、いかなる論理的帰結に至るかについて、どこまで認識された上で書かれているのかは判然としませんが。

    http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51485085.html(合理的市場という神話)

    >著者も指摘するように、現実の市場データを完全に説明する理論は過去にもなかったし、今後もありえないので、どういうモデルを選ぶかは「社会学的」な問題だ。

    >異なるパラダイムは通約不可能なので、その優劣を最終的に決めるのは経済学界の出世競争である。

    >こうした数学的スキルは頭のよさをシグナルするには便利だから、競争の激しいアカデミズムで研究者を選別する道具として使いやすい。

    >要するに、経済学者は合理的に行動しているのである。彼らの目的は経済政策をつくることではなく論文を書くことだから、論文の生産性を最大化するEMHやDSGEが好まれるのは当たり前だ。今どきケインズ理論で論文を書いても、どこの大学にも採用してもらえない。ハイエクやコースは、今の大学では博士号も取れないだろう。神話が事実を説明するとは誰も信じていない。それは快適で美しく、そしてすべての人々に信じられることに意味があるのだ。

    経済学者の行動パターンの社会科学的分析として、まことに真実を衝いており、(その点に関しては)付け加えるべきことはほとんどありません。

    あえて付け加えるとすれば、上記真実の社会学的含意(なぜ経済学部なる学部が大量に存在し、そこで経済学者なる人々がかような神学を経済学部生なる人々に講ずることによってその生計を立てているのか)をわざわざ口にするかということですが。

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