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2010年9月21日 (火)

後藤道夫さんのベーカム批判

Hyoshi08 さて、飯田泰之さんとの「争いが勃発したかと思いきや、意外な?急展開…!」の騒ぎも一段落して、

http://twitter.com/magazine_posse/status/24674848970

アクセスも落ち着いてきたところで、別の論考にもコメントをしてみます。

理論的な面で興味深いのが、後藤道夫さんの「「必要」判定排除の危険」です。

というのは、後藤さんは単に新自由主義者を批判するだけでなく、無条件の給付を主張するという点で「宮本太郎など福祉国家右派と呼べるであろう論者にも、ニュアンスの差はあれ共通したものである」と、批判の矢を向けているからです。

わたくしもワークフェア志向という意味ではその「福祉国家右派」の一味なんだろうと思うのですが、このあたりの理屈が今ひとつよく分からないところがあります。

原点に戻って考えると、後藤論文の最初のところで「福祉国家の限界か?福祉国家の不在か?」という節があり、BI論者は日本についても福祉国家の限界を言うけれども、日本はそもそも非福祉国家じゃないか、と批判しておられて、そこはまったくその通りだと思うのですが、とはいえ、西欧型の福祉国家がさまざまな問題を発生させたがゆえに新自由主義の批判が登場し、「第3の道」が提起されるようになったというのも事実であるわけで、単純に「必要」だけで給付をする従来型の福祉国家を称揚すればいいというだけのものでもないのではないか、と思われるからです。

ここはなかなか議論の仕方が難しいところで、そもそも西欧的な福祉国家が確立していないところでその批判ばかりしてどうするのだ、という意見にももっともなところはあるのですが、さはさりながら、「必要だから給付する」というロジックだけではうまくいかないということを念頭に置いて制度設計の議論をしていかないと、下手をすると自立の契機のないままずぶずぶに福祉漬けという前車の轍を踏むことにもなりかねませんし、そもそも国民の共感を呼びにくい面もあろうと思われるのです。

これはむしろ、「必要」をおおざっぱな形ではなく、きめ細かく自立支援につながる形で捉えてその一つ一つに応える形で行うという趣旨で考えるべきではないか、という反論もあり得て、それはまったくその通りだと思うのですが、問題の性質からして、注意深い議論が必要であろうな、とは感じるところです。

いや、実は、今週末に関東弁護士連合会主催のシンポジウムで、後藤道夫さんとパネリストとして同席することになっておりまして、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-3303.html

http://www.saiben.or.jp/events/ev0100925_01/ev0100925_01img.pdf

現状認識のかなりのところは意見が一致するのだろうなあ、と思いながら、おそらくその先の福祉国家のあり方については意見の違いが出てくるのだろうなあ、と感じている次第です。

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