だから赤木智弘氏は正しいといっている、ただし・・・
黒川滋さんが赤木智弘氏のつぶやきにコメントされています。
http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2010/09/911-ff5d.html(赤木さんが高額バイトをさがしているのは正当)
>まったく正当な行為。しかしあれこれ揶揄されているのだろう。
どうして労働力だけが経営が示す一方的な労働条件にしたがって取引されなければならないのか、という問題提起は正しい。取引の当事者として、自らの意思決定をしようとすることは何ら恥じることはない。
わたくしも全面的に同意。
黒川さんはそこから
>さらに進んで、これを集団的にやれば労働組合で法律的な保護が受けられる。労働力の供給側の協業組合という面もある。そう考えると、団結権、団体交渉権、争議権ということがもっとすっきりイメージできるのではないか。
と、集団的労使関係に話を進めていき、それもまったく同感なのですが、その前にひと言。
赤木氏の雇用機会を求め、よい労働条件を求める言葉がまったく正当であることはいうまでもありません。
そのことを、わたくしは赤木氏の本が出版されたときに、はっきりと述べました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html(赤木智弘氏の新著その2~リベサヨからソーシャルへ)
>赤木さんはあとがきで、こう言います。
>>ええ、わかっていますよ。自分が無茶なことを言っているのは。
>>「カネくれ!」「仕事くれ!」ばっかりでいったい何なのかと。
それは全然無茶ではないのです。
そこがプチブル的リベサヨ「左派」のなごりなんでしょうね。「他人」のことを論じるのは無茶じゃないけど、自分の窮状を語るのは無茶だと無意識のうちに思っている。
逆なのです。
「カネくれ!」「仕事くれ!」こそが、もっともまっとうなソーシャルの原点なのです。
それをもっと正々堂々と主張すべきなのですよ。
問題はその次です。
>無茶なのは、いやもっとはっきり言えば、卑しいのは、自分がもっといい目を見たいというなんら恥じることのない欲望を妙に恥じて、その埋め合わせに、安定労働者層を引きずりおろして自分と同じ様な不幸を味わわせたいなどと口走るところなのです。そういうことを言えば言うほど、「カネくれ!」「仕事くれ!」という正しい主張が伝わらなくなるのです。
赤木氏はこの3年前のご忠告をちゃんと認識しておられるでしょうか。わたくしが懸念するのはその点です。
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http://togetter.com/li/249592
”これは話が逆だよね。サラリーマンが行けないから美術館を批判するんじゃなくて、サラリーマンが美術館にいけないような労働時間を批判するべき。第一、納税者が税金払ってない人より偉いという論理もない。”
投稿: S | 2012年1月31日 (火) 22時13分