湯浅誠氏のとまどい
アジア太平洋資料センターの雑誌『オルタ』の9/10月号は、特集は「韓国併合100年」ですが、これではなく、湯浅誠氏の「反貧困日記」という新連載についてひと言だけ。
興味深いのは、湯浅氏が北欧は福祉国家だから人を働かせようなんてする国じゃないというイメージを持っていて、それが行ってみたらそうじゃなかったと、いささかとまどっているらしいところです。
>イギリスでもデンマークでも、訪問する先々で、私は「とにかく仕事」というメッセージを受け取り続けた。イギリスではすべての中高生の在籍データを行政機関が共有し、学校に来なくなった子どもなどの情報を地域の若者担当部局に提供、ソーシャルワーカーの家庭訪問やユースワーカーの本人対応に結びつけていた。失業者は、日本のハローワークに当たるジョブセンタープラスでの定期的面接を義務づけられており、若年者は一般失業者に比べてより厳しいプログラムへの参加を求められていた。・・・
>もっともこの点は、デンマークにおいてもあまり変わらず、それは私を混乱させた。北欧型の高福祉国家は、もっと違ったモデルでやっているはずではなかったのか?
もし、働けるのに働かなくても福祉でぬくぬく、という福祉国家のイメージを追い求めていたのだとすれば、それはやはり見当はずれだったといわざるを得ないのでしょう。
>ジョブセンターでは若年失業者と、なるべく早期にコンタクトをとり、企業実習を軸とした半年間の就労支援コースに乗せることに努力していた。教育課程でも、学校と連繋してドロップアウトした子どもの情報を把握するシステムが機能している点はイギリスと同じだった。その子どもたちのためには、「生産学校」と呼ばれるリハビリ施設、「職業訓練センター」「職業訓練校」など、多様な受け皿が用意されている。逆から言えば、「逃がさない」ということでもある。
もともと企業以外に受け皿がほとんどなかった上に、その数少ない受け皿だった職業訓練校を片っ端から破壊することを使命と心得るような政治家やエセ学者が跋扈するのが日本ですからね。
日本はもともと過度に企業中心的な形でワークフェア的だったために、そこからこぼれ落ちた人々をとにかく生活保護で救うという湯浅さんたちの活動は社会的メッセージとして重要な意味があったわけですが、だからといって「とにかく仕事」という方向性自体が間違っていたわけではないし、それこそ、宮本太郎先生の本を一読すれば、北欧諸国がもともときわめて普遍主義的な形でワークフェア的であったことが窺われます。
>私にとって正しい問いの立て方は、なぜ「福祉から就労へ」と「社会的排除から社会的包摂へ」という二つのスローガンが両立するのか、というものであるべきと思われた。
それこそまさに、1990年代以来のEU社会政策とは、北欧型モデルに沿って、労働市場からの排除を最大の問題ととらえ、労働市場への包摂を最大の解決策ととらえる考え方なのですから、両立しないとしたらその方が遥かにおかしいわけです。
そして、何より重要なのは、次の一節。
>しかし他方で、デンマークにおける日本経団連に当たるDIの担当者が「私たちには、高福祉国家を手放さないという国民的合意がある」と真顔で語ったりもする。
「真顔で語る」という言い方自体に、湯浅氏の「経営者が福祉国家を守るなんて・・・」というとまどいが感じられますが、それこそ、普遍的な就労支援こそが最大の福祉という哲学の現れとして「真顔」で受け取るべき言葉でしょう。
この辺の言葉が、右にも左にもいっこうに通じないのが、現代日本の最大の閉塞の原因であるわけですが。
デンマークといえばパワハラ社長が好き放題にクビ切り自由のパラダイスとしか心得ない一部の経済評論家はともかく、湯浅氏にはしっかりとした認識をもって活躍していただきたいと思います。
(追記)
ちなみに、湯浅氏がワークフェアに対してよい印象を持っていないことには、それなりの理由があります。
>しばらく前から、日本でも「福祉から就労へ(Welfare to Work)」または「ワークフェア(Workfare)」という言葉が語られるようになった。福祉サービスに就労支援を絡めるという意味だが、バランスを間違えると、実際には働けない人たちを無理矢理福祉サービスから放逐することにもなりかねない。特に日本のように生活保護のマイナスのレッテルの強い国では、生活保護を受けているシングルマザーを労働市場に放り出すといったニュアンスを伴う危険性が高く、私はこの言葉に余りよい印象は持っていなかった。
日本でワークフェア的政策が最初に導入された時の経緯を踏まえると、湯浅氏の警戒感にもまったく根拠がないわけではないのです。
この点について、今から3年近く前の2008年12月11日に、OECDの各国のアクティベーション政策のレビューチームが来日した際に、わたくしから詳しく説明したところです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/oecd-dd50.html(OECDアクティベーション政策レビュー)
とりわけ、その時に強調したのは、日本のワークフェア政策の先頭を切ったシングルマザーに対する政策の倒錯についてでした。
>このような文脈の相違を無視して、欧米のアクティベーション政策をそのまま日本に持ち込んだ実例が、シングルマザーに関する政策である。
日本では、2000年頃から欧州における社会的包摂の議論が紹介され、政府においても検討が始まった。しかし、その第一歩として取り上げられたのは、公的扶助受給者に対するものではなく、シングルマザーに対するアクティベーションとそれに伴う児童扶養手当の削減という政策であった。
日本では、諸外国に比較して、シングルマザーの就業率が極めて高く、一貫して80%を超えている。しかしながら、家庭責任を抱えた彼女らは長時間労働を要求される正規労働者として就労することは困難であり、その多くは低賃金の非正規労働者として就労している。このため、日本のシングルマザーの貧困率は極めて高く、しかも非就労のシングルマザーよりも就労しているシングルマザーの方が貧困であるという逆転現象が起こっている。
このような中で、(あえて公的扶助に頼らない)低賃金のシングルマザーの所得補填機能を果たしてきたのが月額5万円弱の児童扶養手当制度(子供が18歳まで支給)であり、欧米の文脈で云えば、むしろアクティベーションに伴う就労インセンティブとして導入される在職給付的な意味を持つものであったといえる。
ところが、2002年の法改正は、欧米のアクティベーション政策をこの児童扶養手当制度に適用し、所得保障という消極的政策から就労による自立をめざす積極的政策への転換を図った。就労を拒否した場合の支給停止が規定されるとともに、児童扶養手当の受給期間が5年を超えると減額されることとなり、一方、シングルマザーに対する様々な就業支援策が講じられた。しかし、上述のように既に日本のシングルマザーの大部分は就労しており、しかもその生活状況から低賃金の非正規就労に陥っているのであって、このようなアクティベーション政策は的が外れていたと云うべきである。
こういう経緯などもあり、湯浅氏が日本で行われるワークフェアに懐疑的になることにはまったく理由がないわけではないのですが、さはさりながらそれゆえにアクティベーション政策一般に対して懐疑的になってしまうと、本来一時的な避難所に過ぎない生活保護が恒久的な生活保障になってしまい、それゆえに行政側はできるだけ入口で入れないように、入れないようにと、あの手この手を駆使するという悪循環に陥ってしまうわけで、こういう意図したあるいは意図せざる誤解のゴルディアスの結び目を解きほぐして、まっとうな議論を展開していくことこそ、内閣府参与として政策形成に責任を有する湯浅氏に期待されるところであろうと思います。
ついでながら、上記OECDのアクティベーション政策レビュー報告書は、既にノルウェー、フィンランド、アイルランド編が公表され、日本編も今秋には公表される予定です。その日本編はわたくしの翻訳により出版される予定ですので、関心のある皆様方はしばらくお待ち下さいますよう。
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日本の文化的土壌の問題(普遍的な宗教や倫理が希薄)のせいか、貧困問題や社会問題の類は(新旧左翼の活動上の失敗もあり、またそれを克服する新しい勢力が登場していないこともあり)人々から好まれない時期が長く続いていました。特に国内の貧困や社会問題についてその傾向が強いと思います。
貧困問題や社会運動に参加する人々は非常に大きな孤独と孤立のなかでの活動を余儀なくされてきました。
そのような環境のなかで幅広い思考と志向を持つことは非常に困難だと思います。そして硬直的な左翼集団が現場では(硬直的であるがゆえに活動が可能であるという構造の上に)それなりに励んでいます。
湯浅さんのような現場活動家が現場の感覚を大切にされながら一方で政策的な視線で「福祉国家」を訪問されたことが本当に貴重であるのは、往々にして孤立し孤独になりがちな反貧困、社会問題解決を志向する個人と集団の発想を広げるところにあると思います。
これは社会内部での意識の問題(貧困問題を問題として捉えるか否か)であると同時にコミュニケーションの問題(問題認識者間で十分な情報共有化と意見の交換がなされているか)でもあり、その部分において我が社会は未だ途上なのであると感じました。
投稿: 赤いたぬき | 2010年9月11日 (土) 08時02分
私の見聞では、「働けるのに働かなくても福祉(あるいは不労所得)でぬくぬく」と暮らしたい、と思う市民が北欧はじめ、ヨーロッパには多いからこそ、政府は「しっかり働いてしっかり納税し、働けるうちは『福祉国家』の支え手にまわってくれ」と、特に少子高齢化の現在、声高に言うのだと思います。
定時にはとっとと帰るし、週末の休日出勤なんかあり得ない、長い休暇、個人の生活を優先して気楽に病欠、中年にでなってさえ働くよりもいろいろな特典付きの学生に戻る人がけっこういる(スウェーデンが有名ですね)、そして、年金をもらえるようになればさっと引退して個人生活を楽しむ、・・・ こういう、彼我の暮らし方の違いがわからないと、政府が「働け」という意味がよくわからないのでは?
投稿: 哲学の味方 | 2010年9月12日 (日) 09時26分
そもそも国民が所在不明になる国です
また、国籍の怪しい市民が沢山います
果たしてこんな状況で、国民全員を把握し
適切なプログラムを適用できるのかが怪しい
等しく適用するためには、国民市民の属性を
きちんと定めないとだめだ
北欧等は国民登録が厳格だったはずだ
結果不法移民の多い日本には難しい
投稿: にゃお! | 2010年9月12日 (日) 18時23分
2002年を底に景気が回復。そのことにより失業率が低下し、就職氷河期が終焉。2005年には13年振りに有効求人倍率が1を超えました。したがって2002年の法改正は、結果的に極めて適切なタイミングで行われたと言えるでしょう。実際に昨年厚労省が出した貧困率を見ても、小泉政権時にだけ格差は縮小していますよね。ゆえに「このようなアクティベーション政策は的が外れていたと云うべきである」とのあなたの指摘こそが、まさしく「的外れ」なのだと思います。もし小泉政権に問題があったとすれば、昨今盛んに言われている「正社員の過保護」を改善できなかったことでしょう。具体的には、「解雇」や「就労規則の不利益変更」を容易に可能とするような法改正を、「アクティベーション政策」とセットで行うべきだったのではないでしょうか。
投稿: ABC | 2010年9月13日 (月) 02時37分
就職氷河期?
何の話をしているのか、読まずにコメントする方ですね。
現に就労しているシングルマザーから児童扶養手当を取り上げて「アクティべート」しようとした政策を「的はずれ」と呼んでいるのですが、読まずに批評するたぐいの方には通じないのかも知れません。
なんにせよ、いくつかのブコメも含め、こういう何を見ても千篇一律の決まり切った反応しか出てこないようなねじけた反応が、正しいワークフェアが社会に受け入れられる上での最大の障害なのでしょう。
>この辺の言葉が、右にも左にもいっこうに通じないのが、現代日本の最大の閉塞の原因であるわけですが。
と申し上げたゆえんであります。
投稿: hamachan | 2010年9月13日 (月) 07時56分
前のコメントがややミスリーディング、つまり、北欧はじめ、ヨーロッパの人は「怠け者」なので、政府は「働け」という、と読まれかねないと思い、コメントを追加します。
私が言いたかったのは、ヨーロッパでは普通、自分の個人の暮らしの優先順位が高く、それを犠牲にしてまで働くことはしない、日本人ほど仕事にしがみつかない、ということです。日本は、何しろ、黙々とサービス残業をする、シングルマザーが生活保護を受けずにダブル・トリプルワークをする、という国ですから。と言っても、日本人の方が働き者だというのでもないと思います。これも私の見聞の範囲ですが、ヨーロッパでは、上に行くほど良く働きます。日本では、若い者や下の者ほどこき使われ、上に行くほど名誉職化して働かなくなる(実際の仕事はほとんどしないのに高給をもらう天下り官僚などが典型かも)傾向がありますが、ヨーロッパでは、おおむね給料に見合った働きをしている、と思いますね。概して、働き方が合理的で、かつ、普通の労働者は個人生活を優先する(政府が言わなくても、労働者が「ワーク・ライフ・バランス」を要求する)という、働き方、生活意識の違いがある、ということを言いたかったのでした。で、法・政策・制度は、本来、それを支える生活・意識のあり方がわかっていないと、表面的な理解しかできない、あるいは逆に誤解することさえある、ということだろうと思います。
「解雇自由」とか、何度言ってもわからなくて、自分達に都合の良い理解(つまり、誤解)しかしない人達は、湯浅さんみたいにデンマークに行って、政府の人でなくて普通の労働者にでいいから、「この国では、解雇自由なんですよね、すばらしい!」と言ってみればいいんですよ。
投稿: 哲学の味方 | 2010年9月13日 (月) 16時12分
批判的なコメントであったにも関わらず掲載、返答、ありがとうございます。hamachan氏の今回の記事の問題点は、「アクティベーション政策」と「貧困問題」を混同してしまっている点にあるのだと思われます。まず大きな流れとして「アクティベーション政策」は間違っておらず、導入するのであれば就労状況が改善している時期に導入すべきであったと思うのですが、いかがでしょうか。その点は同意していただけるのではないでしょうか。それからその問題と「児童扶養手当」にまつわる問題は、全く別物なのだということ、就労していても食べてはいけない母子家庭の低賃金の問題は「貧困問題」なのであって、要するに「アクティベーション政策」とは全く別の問題なのだと思うのですが、いかがでしょうか。その点をhamachan氏は混同してしまっているのではないでしょうか。「児童扶養手当」は今まで父子家庭には支給されてきませんでしたが、その理由は父子家庭が母子家庭よりも世帯所得が高く、貧困状態に陥っていなかったからですよね。結局「アクティベーション政策」の問題点は、「男女間」や「正規と非正規との間」の賃金格差を改善しないまま導入したところにあったと思われるのです。したがってその解決策の一つとして、導入と同時に「(男性中心の)正社員の過保護」も併せてやめる必要があったと書いたわけです。ちなみに私は児童手当的なものは、現物給付に形を変えた上でしっかりとやるべきだと思っているので、悪しからず。当然シングルマザーに対してだけでなく、全ての子供達に対してです。最後に湯浅氏についてなのですが、彼は「小泉・竹中が格差を拡大した」などと、全くの事実無根の言説を平気で吹聴する人間です。まともに相手にするような人間だとは到底思えません。今回の北欧についての考察もそうですが、すべてにおいて勉強不足なのですよ。彼は。
投稿: ABC | 2010年9月13日 (月) 20時22分
浜口さん、皆さん、今晩は。
いわゆるアクティベーション政策といわれる就労促進政策は、福祉に頼らないという点では理想でしょう。
しかし、現在の我が国では労働力が余っており、働く場所が足りないという現実を考えると、就労を促しても職がなく、労働力の過剰が更に深刻化して他の労働者の待遇悪化につながる危険性を孕んでいます。
そう考えると、我が国の貧困層救済は、就労よりも福祉を中心に据え、将来景気が良くなって労働力が不足する事態に備えて職業訓練を行わせるしかないと私は思います。特に長時間の就労が困難なシングルマザーについては、諸外国以上に福祉中心の救済にならざるを得ないと思います。
私の考えには批判が多いことは承知しています。皆さんはいかがお考えでしょうか。
投稿: 国道134号鎌倉 | 2010年9月14日 (火) 01時17分
哲学の味方さん。あなたの指摘大変面白いですね!
私の近所のオランダの方(22歳)と犬の散歩の際日本とオランダの社会環境の違いを話すのですが日本社会の学校や街、そして住宅地の閉塞感はとても重いものだそうです。私も想像していましたがオランダ人の若者にとって今の日本は、よほど好きな分野でもないと非常に鬱屈した社会に見えるようです。
私がその方とお話して一番興味深かったのは、仕事よりも個人を優先しつつ、自分で事業を起こすことや金儲けに対する敷居がとても低くて、金儲けは一つの重要なチャレンジであるという感じで話されていたことでした。なんか金儲けを嫌悪する風潮と過労を奨励する風潮ってじつは表裏一体なのかもしれないなーと直感しました。儲けたい奴は儲ければいい、働きたいやつは働けばいい。でもそれはあくまで個人の自由。ルールは守れ。くらいのクールな感覚があればいいのかな?
日本って本当にクールなのかなと思う今日この頃です。
投稿: 赤いたぬき | 2010年9月14日 (火) 06時11分
ABCさん、混同しているのはあなたです。
アクティベーションとは、働かずに福祉で食べている人に働いてもらうための政策であって、それ以上ではありません。
それを、働いている人に適用した厚生省が的はずれといってるのであって、それ以上ごちゃごちゃ書いてもすべて無意味です。
既にアクティブな人に対して「アクティベーション」というのはナンセンスだということなのですが、わかりませんか?
「アクティベーション」の意味が分からないまま。自分の関心事項だけを書きたいのであれば、止めはしませんが。
OECDのアクティベーション報告書にちゃんと書いてありますから、出たらよく読んでください。
以上。
投稿: hamachan | 2010年9月14日 (火) 07時31分
国道134号鎌倉さん、
ある意味では、だから、自らの就労による賃金収入と児童福祉手当という福祉とを組み合わせて生活できるようにしているモデルは、世界的に見てなかなか良いモデルであって、これがないと、他の欧米諸国のように、シングルマザーの大半が生活保護というような事態にもなるわけです。
労働力が過剰か不足かは、経済状況によるものですから、過剰なときには職業訓練というプールに入れておいて、労働力として劣化しないようにすることが必要でしょう。それは、不足に転じたときにいつでもスタンバイできるということでもあります。
投稿: hamachan | 2010年9月14日 (火) 07時37分
>「解雇自由」とか、何度言ってもわからなくて、自分達に都合の良い理解(つまり、誤解)しかしない人達は、湯浅さんみたいにデンマークに行って、政府の人でなくて普通の労働者にでいいから、「この国では、解雇自由なんですよね、すばらしい!」と言ってみればいいんですよ。
まったくそうですね。
社会や政策の現実を自分で確認しようとした点で、湯浅氏はインチキ経済ヒョーロン家どもに比べて、遥かに立派です。
社会科学は経験科学であって、現実に存在しない夢想(ないし悪夢)をもてあそぶものではありませんから。
投稿: hamachan | 2010年9月14日 (火) 07時41分
スウェーデン首相、「75歳まで働いてほしい」 高齢化で年金ピンチ
http://www.afpbb.com/article/economy/2856250/8425323
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.afpbb.com/article/economy/2856250/8425323
"もし、働けるのに働かなくても福祉でぬくぬく、という福祉国家のイメージを追い求めていたのだとすれば、それはやはり見当はずれだったといわざるを得ないのでしょう。"
ほらな、見当はずれだろ
と途中まで同様で、
俺の思ったとおりだ
からさらにもう一段ひねくれて一足飛びに
福祉国家なんてまぼろしなんだよ
という風に、コメントを残しているのが興味深いですね
北欧型福祉国家(高負担高福祉型)が無理だとして
彼らの望むのは
やはり
自己責任型しばき上げ社会
すなわち
じいさんばあさんは息子の嫁が面倒見るか
さもなくば
楢山節型社会
の二者択一なんでしょうか…
投稿: SIOP | 2012年2月26日 (日) 20時39分
店頭で
中国のとことん「無法無天」な世界
湯浅 誠 (著) ウェッジ (2011/06) 単行本
などを見つけなにごとかと思ったのですが、
同姓同名の○○さまがいらっしゃるようですね。
投稿: SIOP | 2012年6月10日 (日) 22時36分