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2010年9月 9日 (木)

それは「やくざ」の定義次第

松尾隆佑さんが、

http://twitter.com/ryusukematsuo/status/23919131166

>「警察を民営化したらやくざ」との言にはミスリードな部分があって,それは無政府資本主義社会における「やくざ」を政府が存在・機能している社会における「やくざ」とは一緒にできない点.民営化はやくざの「全面的合法化」ではなく,そもそも合法性を独占的に担保する暴力機構の解体を意味する.

http://twitter.com/ryusukematsuo/status/23919469693

>他方,民間保護機関や警備会社同士なら「やくざ」ではないから金銭交渉などで何でも平和的に解決できるかと言えば,そういうわけでもなかろう.やくざだって経済合理性に無縁でなく,無駄な争いはすまい.行為を駆動する合理性の中身は多少違っても,本質的に違いがあるわけではない.やくざはやくざ.

言わずもがなではありますが、それは「やくざ」の定義次第。

国家のみが正当な暴力行使権を独占していることを前提として、国家以外(=国家からその権限を付与されのではない独立の存在)が暴力を行使するのを「やくざ」と定義するなら、アナルコキャピタリズムの世界は、そもそも国家のみが正当な暴力行使権を独占していないので、暴力を行使している組織を「やくざ」と呼べない。

より正確に言うと、世の中に交換の原理に基づく経済活動と脅迫の原理に基づく暴力活動を同時に遂行する多数の主体が同一政治体系内に存在するということであり、その典型例は、前のエントリで書いたように封建社会です。

そういう社会とは、荘園経営者が同時に山賊の親分であり、商船の船主が同時に海賊の親玉である社会です。ヨーロッパ人と日本人にとっては、歴史小説によって大変なじみのある世界です。

こういう「強盗男爵」に満ちた社会から、脅迫原理を集中する国家と交換原理に専念する「市民」を分離するところから近代社会なるものは始まったのであって、それをどう評価するかは社会哲学上の大問題ですし、ある種の反近代主義者がそれを批判する立場をとることは極めて整合的ではあります。

しかしながら、わたくしの理解するところ、リバタリアンなる人々は、初期近代における古典的自由主義を奉じ、その後のリベラリズムの堕落を非難するところから出発しているはずなので、(もしそうではなく、封建社会こそ理想と、呉智英氏みたいなことを言うのなら別ですが)、それと強盗男爵社会を褒め称えることとはいささか矛盾するでしょう、といっているだけです。

多分、サヨクの極地は反国家主義が高じて一種の反近代主義に到達すると思われますので(辺境最深部に向かって退却せよ!)、むしろそういう主張をすることは良く理解できるのですが(すべての犯罪は革命的である! )。

http://b.hatena.ne.jp/entry/eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-143d.html

>tari-G , , , 国家の強制力を現在の検警察組織に独占させないという発想自体は、検警察入管等のひどさを考えれば極めて真っ当。

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