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アナルコキャピタリズムへの道は善意で敷き詰められている?

TypeAさんが、「民間警察は暴力団にあらず 」というタイトルで、わたくしの小論について論じておられます。

http://c4lj.com/archives/773366.html

いろいろとご説明されたあとで、

>しかし、これでも濱口氏は納得しないに違いない。何故なら、蔵氏やanacap氏の説明は、無政府資本主義社会が既に成立し、安定的に運用されていることが前提であるからだ。

と述べ、

>だが、「安定期に入った無政府資本主義社会が安定的である」というのは、殆どトートロジーである。

>現在の警察を即廃止したとしても、忽ちに「安定期に入った無政府資本主義社会」が出現するわけではないからである。これまでの無政府資本主義者は、(他の政治思想も大抵そうであるが)その主張を受け入れてもらうために、己の描く世界の安定性のみを強調し、「ここ」から「そこ」への道のり、現行の制度からその安定した社会に至るためのプロセスを充分に説明していない。「国家権力が弱体化すると、それに比例して民間暴力装置が作動するようにな」るというのは、成程確かにその通りであると認めざるを得ないだろう。

と認められます。

ところが、そのあと、こういう風にその理想社会に到達するという図式を描かれるのです。

>これまでの多くの政府機関の民営化がそうであったように、恐らく警察においても最初は特殊法人という形を採ることになるだろう。法制度の改定により、民間の警備会社にもそれなりの権限は許可されるが、重大な治安維持活動は特殊法人・警察会社に委ねられる。それでも、今よりは民間警備会社に出来る範囲は広くなる。

>特殊法人・警察会社は徐々に独占している権限を手放す。民間警備会社が新たに手に入れた権限を巧く使うことが出来ることを証明できたならば、それは更なる民営化を遂行してよいという証拠になる。最終的に、元々公的機関であった警察は、完全に民営化される。(勿論テストに失敗した場合はこの限りではない。)恐らく数年~十数年は、元々公的機関であった"元"警察を信頼して契約を結ぶだろう。ノウハウの蓄積は圧倒的に"元"警察株式会社にあるだろうからだ。しかし、市場が機能する限り、"元"警察株式会社がその優位な地位に胡坐をかく状態が続けば、契約者は他の民間警備会社に切り替えることを検討することになるだろう。

こういうのを読むと、いったいアナルコキャピタルな方々は、国家の暴力というものを、せいぜい(警備業法が規定する程度の)警備業務にとどまるとでも思っておられるのだろうか、と不思議になります。

社会は交換原理だけではなく脅迫原理でもできているのだという事実を、理解しているのだろうか、と不思議になります。

先のエントリでも述べたように、国家権力の国家権力たるゆえんは、法に基づいて一般市民には許されない刑事法上に規定する犯罪行為(住居侵入から始まって、逮捕監禁、暴行傷害、場合によっては殺人すらも)を正当な業務行為として行うことができるということなのであって、それらに該当しない(従って現在でも営業行為として行える)警備行為などではありません。「民間の警備会社」なんて今でも山のようにあります。問うべきは「民間の警会社」でしょう。

大事なのは、その民間警察会社は、刑法上の犯罪行為をどこまでどの程度正当な業務行為として行うことができることにするのか、そして、それが正当であるかどうかは誰がどのように判断するのか、それが正当でないということになったときに誰がどのように当該もはや正当業務行為ではなくなった犯罪行為を摘発し、逮捕し、刑罰を加えるのか、といったことです。アナルコキャピタリズムの理念からすれば、そういう「メタ警察」はない、としなければなりませんが、それがまさに各暴力団が自分たち(ないしその金の出所)のみを正当性の源泉として、お互いに刑事法上の犯罪行為を振るい合う世界ということになるのではないのでしょうか。

その社会において、「刑事法」というものが現在の社会におけるような形で存在しているかどうかはよく分かりません。刑事法とはまさに国家権力の存在を何よりも前提とするものですから、ある意味では民間警察会社の数だけ刑事法があるということになるのかも知れませんし、一般刑事法はそれを直接施行する暴力部隊を有さない、ちょうど現代における国際法のようなものとして存在するのかも知れません。これはまさに中世封建社会における法の存在態様に近いものでしょう。

この、およそ「警察の民営化」とか唱えるのであれば真っ先に論ずべき点がすっぽり抜け押してしまっているので、正直言って、なにをどう論じたらいいのか、途方に暮れてしまいます。

ちなみに、最後でわたくしに問われている蔵研也氏の第2のアイディアというのは、必ずしもその趣旨がよく理解できないのですが、

>むしろ公的な警察機構に期待するなら、警察を分割して「児童虐待警察」をつくるというのも、面白い。これなら、捜索令状もでるし、憲法の適正手続条項も満たしている。

というところだけ見ると、要するに、一般の警察とは別に麻薬取締官という別立ての正当な国家暴力機構をつくるのと同じように、児童虐待専門の警察をつくるというだけのはなしにも思えるので、それは政府全体のコスト管理上の問題でしょうとしかお答えのしようがないのですが、どうもその次を読むと必ずしもそういう常識的な話でもなさそうなので、

>さて、それぞれの警察部隊の資金は有権者の投票によって決まる。

はあ?これはその蔵氏のいう第2のアイディアなんですか。全然第2でも何でもなく、第1の民営化論そのものではないですか。

アイディア2というのが警察民営化論なのか、国家機構内部での警察機能分割論なのか、判断しかねるので、「濱口氏は如何お考えであるのか、ご意見を伺いたく思う。」と問われても、まずはどっちなのかお伺いした上でなければ。

(追記)

法システムの全体構造を考えれば、国家の暴力装置を警察だけで考えていてはいけません。警察というのはいわば下部装置であって、国家の暴力の本質は司法機関にあります。人に対して、監禁罪、恐喝罪、果ては殺人罪に相当する行為を刑罰という名の下に行使するよう決定するのは裁判所なのですから。

したがって、アナルコキャピタルな善意に満ちた人々は、何よりもまず裁判所という法執行機関を民間営利企業として運営することについての具体的なイメージを提示していただかなければなりません。

例えばあなたが奥さんを殺されたとしましょう。あなたは桜上水裁判株式会社に電話して、犯人を捕まえて死刑にしてくれと依頼します。同社は系列企業の下高井戸警察株式会社に捜査を依頼し、同社が逮捕してきた犯人を会社の会議場で裁判にかけ、死刑を言い渡す。死刑執行はやはり系列会社の松原葬祭株式会社に依頼する、と。

ところが、その犯人曰く、俺は殺していない、犯人は実は彼女の夫、俺を捕まえろといったヤツだ。彼も豪徳寺裁判株式会社に依頼し、真犯人を捕まえて死刑にしてくれと依頼する。関連会社の三軒茶屋警察株式会社は早速活動開始・・・。

何ともアナーキーですが、そもそもアナルコキャピタルな世界なのですから、それも当然かも。

そして、このアナーキーは人類の歴史上それほど異例のことでもありません。アナルコキャピタリズムというのは空想上の代物に過ぎませんが、近代社会では国家権力に集中した暴力行使権を社会のさまざまな主体が行使するというのは、前近代社会ではごく普通の現象でした。モンタギュー家とキュピレット家はどちらもある意味で「主権」を行使していたわけです。ただ、それを純粋市場原理に載っけられるかについては、わたくしは人間性というものからして不可能だとは思っていますが。

ちなみに、こういう法システム的な意味では、国際社会というのは原理的にアナーキーです。これは国際関係論の教科書の一番最初に書いてあることです。(アナルコキャピタリズムではなく)純粋のアナーキズムというのは、一言で言うと国内社会を国際社会なみにしようということになるのでしょう。ボーダーレス社会にふさわしい進歩的思想とでも評せますか。

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