北大の道幸哲也先生より、近著『労働組合の変貌と労使関係法』をお送りいただきました。いつもお心にかけていただきありがとうございます。
組織率の低下と、職場における影響力も弱まりつつある労働組合の実状を見据え、適切な集団的労働条件決定の観点から、労働組合法をめぐる現在の問題点を的確に析出し、あるべき法理論を提示。将来の立法論を構想する際の土台となる重要論文を収載。
道幸先生の問題意識は、「はしがき」にくっきりと顕れていますので、その部分を引用します。
>ところで、2009年の政権交代は、格差の是正を求める民意によるところが大きい。問題とされた格差は、労働者内部におけるそれではなく、むしろ会社と労働者の取り分の割合、つまり、労働分配率の低下として顕れている。この格差の是正のためには、労働者への分配率を高めることが不可欠であり、内需の拡大のためにも有効な手段といえる。そのための端的な方法は、労働者サイドの交渉力を高めるために労働組合を強化することである。
にもかかわらず、この点の議論は政党レベルにおいてまったくなされていないばかりか、労働組合の存在は公務員制度改革の障害とさえみなされている。確かに、運営が形骸化したり、正規従業員の利益ばかりを追求する組合も少なくないが、その原因の一端は、現行の労働組合法の不備によることも見逃せない。終戦直後に制定された労働組合法はその後あまり改正がなされなかったので、実態に合わない多くの規定を有している。にもかかわらず本格的な議論はなされていない。
職場における労働者の「声」を実現する新たな仕組みを作り上げるためには労組法の改正は不可欠であるというのが本書の問題関心である。
まさにこの問題意識こそが、わたくしが拙著『新しい労働社会』の第4章で論じたテーマともつながります。
詳細目次はこのリンク先の通りですが。
http://www.shinzansha.co.jp/100803roudoukumiainohenbo-CONTENTS.html
このうち、第4章「労働契約法制と労働組合」は、3年前にまさに道幸先生も含めた学界展望の座談会でわたくしが取り上げ、道幸先生を目の前にしてあれこれ論じた思いでの論文でもあります。
その時のわたくしの論評はこういうものでした。
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/02-03/pdf/002-046.pdf
>濱口 この論文はあまり長くはないのですが, 非常に広範な論点に及んでいます。まず現行法制における従業員代表制や労使委員会制についていくつかの指摘をしています。例えば, 関与や意見反映システムとしての不十分さ, 独立性の制度的保障がないといった点,それから, 常設化の是非, あるいは組合との関係とか,その場合, 組合併存型にするのか補完型にするのか,あるいは, 労使協定に私法的効力があるのかないのかといった問題点を指摘し, 関連する裁判例から問題点を摘出しています。
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>コメントですが, この労働契約法制研究会報告にせよ, 素案にせよ, 労働契約法制という枠組みの中で就業規則変更法理をいかに法文化するかという形で提示されているんですが, その内容は本質的には, むしろ集団的労使関係法理にかかわる問題であり, それにうかつにさわると, 集団的労使関係法理そのものを大きく変えることになるんだということを明確に指摘しているというところに大きな意味があろうと思います。
労働法学全体が非常に個別法に集中して, 集団法的な観点が, いささかおろそかになりがちな風潮に対する批判と見ることもできようかと思います。
この中で特に, 現行の就業規則法理の矛盾の指摘については, 道幸先生の文章の中にも, 契約法理に反しているというような個別法としての枠組みからの批判もあるんですが, 全体として言うと, むしろ本質的な中身である集団法としての性質をどう活かすかという視点が中心になっていると読みました。その意味では,この評価はいささか心外かもしれませんが, 研究会報告や素案と近い立場と言ってもいいのではないかと思います。ただ, 研究会報告や素案は, そういう実質的に集団法的な中身を, あくまでも個別法の枠組みの中に押し込んで, 就業規則の不利益変更の合理性判断という, 裏口から導入しようとしているのに対して, 正面から現行集団法制との矛盾を摘出し, その解決を迫っている点が異なると評価できるのではないかと思います。
それから, 労使委員会ないし複数の労働者代表といった非組合型労働者代表制にかかわる問題については,その組合結成や運営への悪影響を指摘していまして,これはまさに労政審で労働側が指摘した点です。スタンスとして, 徹底した組合優先主義, 組合でない労働者代表制というものに対して非常に懐疑的であるという点で大内伸哉教授の議論と共通するんですが, ただ,大内教授の議論というのは, 結局結社の自由を行使しないほうが悪いんだという極端な放任主義になっているんですが, 道幸先生のほうは, それを放置するのではなく, むしろ現行労組法の組合モデルの転換をも辞さないスタンスが示されているように思われます。つまり, 現行法上, 組合のほうが不利な側面ということで, 経費援助とか使用者の利益代表者の問題といったような問題を指摘していまして, これはある意味で,労働組合の従業員代表制度への拡張ということもできるかもしれません。
ただ, 実は, そもそも現行の過半数組合制度自体が,組合法上の組合を従業員代表として扱うという意味では組合の従業員代表制への拡張ですし, ヨーロッパ諸国で, 組合とは別の従業員代表制度を設けているのではなく, 組合の企業内代表が従業員代表として活動するという仕組みの国の場合には, まさにそうなっていると言えるのではないかと思います。逆に, 組合と従業員代表を別立てにしている国であっても, スペインのように, その従業員代表が例えば団交権や争議権を持っているという国もあって, この2 つをあまりきれいに分けなくてもいいのかもしれないという感じもしています。
それから, 過半数組合や特別多数組合にかかわる論点については, やはりこれも研究会報告や素案と方向性は共通しているのではないか。ただ違うのは, そこで提起されている問題が集団法の問題であるということに無頓着な, あるいは無頓着を装っている報告や素案に対して, その点を明確に指摘し, そこを解決すべきだということを主張している点ではないかと思います。つまり, 集団的労働条件の変更というのは, 本来,集団法の装置, すなわち労働協約でなされるべきであり, 例えば組合併存の問題, 多数組合と少数組合の問題は, 多数組合の公正代表義務で解決すべきだという基本的立場から, 最後のところの「憲法28 条違反」といった批判も出てくるんだと思うんですが, 逆に,就業規則そのものを個別法理だけで理解していいのかという問題提起もありうるような気がします。
就業規則のいろいろな説の中に集団的合意説というがあるわけですが, その考え方に立つと, 実は就業規則自体が一種のコレクティブなアグリーメントということになるわけで, そうすると, 例えば労働協約に一般的拘束力を与えて適用していくというのと, 本質的には同じような議論になっていくのかもしれない。
これはそこまで書かれているわけではないんですが,そういう議論の広がりを持った論文なのではないかという感じを持ちました。
この後の4人の議論、とりわけ道幸先生の悩みに満ちた発言はぜひリンク先に行ってお読みください。
スウェーデンは上述のようにいかなる意味でも解雇自由ではありませんが、「不当解雇だ!」といって争う機会費用と、さっさと会社を辞めて手厚い失業保険をもらいながら、たっぷりと時間をかけて職業訓練を受けて好条件で再就職していくことを比較考量して、後者を選ぶ人が多いということでしょう。それはそれで社会の選択肢が多いということで結構なことです。
それを、不当であろうが不道徳であろうが解雇は自由という概念である「解雇自由」と呼ぶことに問題があるのだと思います。
もう一つ、これはあまり指摘されない点ですが、スウェーデンにせよ、デンマークにせよ、これは私のいたベルギーも同じですが、いわゆるゲント方式の失業保険で、失業保険は労働組合が運営し、労働組合を通じて支給されるという仕組みです。失業しても労働組合のメンバーシップはそのままで、社会から排除されたという風にならないというのは、実は結構大きいのではないかと思います。労働組合員というメンバーシップは継続していて、たまたま就労している会社から「もう要らない」といわれたら、さっさと別の会社に「配転」するだけという感じなのかなあ、と。
これこそ、まさに一知半解氏が目の敵にしていた「ギルドとしての労働組合」そのものですが、そういうギルド的な仕組みこそが、解雇が辛くない社会のインフラになっているのではないかと思います。日本の労働組合は、いかなる意味でもそういうギルド的な性格を有していないがゆえに、日本社会における「解雇」というのはとても辛いものになってしまうという面があるのでしょう。