「ネーション共同体」をまともに論ずるのなら
松尾匡さんが、そのエッセイで、わたくしと田中秀臣氏を「ナショナリズム容認度高」に分類したことについて、わざわざ撤回しておられます。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100821.html
わたくしは、そもそもナショナリズムという、簡単に論ずるためだけにでも三重か四重の理論的道具立てを必要とするような代物を安易にウンコ投げゲームの道具に持ち出すこと自体に疑問を感じますが、現在のこの問題をめぐる議論の水準があまりにも低すぎることもあり、渦中の松尾さんがこういう対応をされること自体については、諒と致します。
ウンコ投げゲームにのみ関心をお持ちの諸氏は、以下の記述は極めて面白くないと思われますので、お読みにならないことをお薦めいたします。
わたくしなりに、近代社会システムにおけるナショナリズムの意味を簡単にまとめた記述が、6年前に出版した『労働法政策』の冒頭の章にあります。ちなみに、柄谷
公人行人の『世界共和国』より2年前です。
>4 社会主義と社会政策
(3) 社会政策
社会政策はいうまでもなく近代国家の行うものである。近代国家とは何だろうか。発生論的には、それは中世封建社会の武士団が成長して形成された権力体的共同体である。戦争と征服を繰り返して巨大化した近世王権は、かつての古代王権が巨大化して血縁幻想に頼り切れなくなったように、中世的な地域に密着した共同体意識から乖離してくる。王権が共同体意識から乖離するとともに、都市商人と結び、その貨幣増殖の保護者として立ち現れてくる。自らの暴力装置をもって商人資本の循環を容易にするとともにその分け前を取得しようとする近世国家の登場である。
しかし、共同体意識から乖離したとはいえ、近世国家は未だ村落共同体とその中で自己労働による生産活動に従事する家族共同体に立脚している。これを破壊するようなことは許されない。初期社会政策と呼ばれる一連の政策は、労働組織を規制する職人条例にせよ、余剰労働力を国家が吸収しようとする救貧法にせよ、労働力の商品化を防止することに主眼がおかれていた。
自己労働による家族的生産とこれと問屋制で接合した商人資本が、産業革命の怒濤の中で自己増殖を目指す産業資本と主体性を奪われた他人労働に転化していくのと並行して、封建社会の地域共同体に立脚しながらそれから乖離していた近世国家も大きな変動を被る。立脚基盤としての新たな共同体として「ネーション」が発明され、この想像の共同体と近世国家から受け継いだ権力体が結合して近代国家が誕生するのである。この背景には、村落共同体から自立して独立独歩の存在となりつつあった家族共同体が、より強力な上位の共同体を求めようとしたことがあろう。都市商人と結んだ近世国家ではなく、独立生産販売者のための近代国家が求められた。
ここで、歴史の最大の皮肉は、自己労働による家族的生産が産業資本に進化するとともに、近代国家の任務はそのためにそれまで抑制されてきた労働力の商品化を全面的に推進する役回りを演じることになったことである。上で述べた初期社会政策立法の廃止が、労働力の全面的商品化を、そして社会の全面的市場化をもたらすことになった。この意味において、近代国家は市場社会の形成者である。しかしながら、近代国家はネーション共同体として、商品化され他人労働化した労働者をもその成員とする。ネーション共同体としての成員保護の要請が、失業と飢えの恐怖から奴隷と変わらぬ労働に従事する「同胞」にも寄せられる。こうして、近代国家は労働力の商品化を実行すると同時に、労働力の商品化を制約する措置を執らねばならなくなる。初期社会立法の廃止と同時に近代的社会立法、すなわち労働者保護立法が開始される。近代国家は市場社会の形成者であると同時にその修正者として立ち現れる。
近代国家のこの二面性からすれば、市場社会はその登場の時から純粋な市場社会として登場したわけではないことがわかる。いや、純粋な市場社会などというものが存在したことはなかったというべきであろう。社会政策は近代国家とともにあったのであり、やや極端な言い方をすれば、近代国家の本質は社会政策という形で現れる共同体性にあった。
>5 19世紀システムとその機能不全
(2) ネーション国家と家族共同体
ところが、19世紀は自由主義の時代であるだけではなく、ネーションの時代でもあった。もはやかなり希薄化していたとはいえ、それまで所属していた封建社会の村落共同体から投げ出された家族共同体は、ネーションという巨大な想像の共同体に自らを投げ入れることでその安定を図ろうとしたのである。
そこで、ネーション国家による権力的介入は狭い意味での市場のルール確保を超えて、ネーション国家の細胞としての家族共同体の維持にも向けられる。具体的には、家族共同体を破壊する恐れのある労働力商品の個人化の抑止が、労働保護立法という名の下に開始されるのである。擬制的労務サービス業の主体はあくまでも家族共同体(「家計」)なのであって、その首長たる成人男子労働者については自己調整的労働市場にゆだねてあえて介入は行わないが、その妻や子どもについては就業制限や労働時間規制によって労働力供給を制約するという政策が試みられた。生産活動を行う家族共同体における家族労働は何ら規制されないのであるから、これはバラバラの個人としての他人労働化を抑止することが目的であったといえる。
労働保護立法に続いてネーション国家が家族共同体維持のために採った政策は、社会保険制度である。これは成人男子労働者が一時的(疾病、失業)または恒常的(障害、老衰)に労働不能に陥った場合に、その家族共同体成員の生活を維持するための給付を成人男子労働者の強制拠出によって行おうとするものであって、自由主義国家の考え方とはかなりの程度矛盾するものであり、19世紀システムにおいては部分的、周辺的にしか取り入れられなかった。この制度が全面化するのは20世紀システムのもとにおいてである。
(3) ネーション国家とバランス・オブ・パワー
ネーション国家は帝国ほど普遍的、世界的ではなく、封建武士団ほど特殊的、地域的でもない。複数のネーション国家が作る国際社会は、古代の氏族社会後期の王権国家と類比的な武力のバランスによって成り立つ社会であった。ネーション国家は領土や特に植民地をめぐって互いに戦争を繰り返し、ネーション共同体はその成員に名誉ある義務として兵士として戦うことを要求する。近代は徴兵制の時代でもある。
だが、成員に死をすら要求する共同体は、成員からその死に値する待遇を要求されざるをえない。失業と飢えの恐怖から奴隷と変わらぬ労働を強制される「戦友」の姿は怒りを呼び起こし、労働力の商品化は糾弾される。
しかし、このメカニズムが大きく動き出すのは20世紀に入ってからである。19世紀にはまだそこまではいかない。総じて、ネーション国家同士のパワーゲームは近世国家同士のそれの延長線上に貴族風外交術をもって行われ、十分に「ネーション外交」化していない。国際経済は自己調整的市場の延長線上に自由貿易と金本位制を機軸に動かされ、ネーション経済同士の利害対立はこの原理を否定するにはいたらない。
19世紀末から20世紀初頭にかけてのいわゆる帝国主義時代は、以上のシステムが機能不全に陥った時代である。繊維を中心とした軽工業から鉄鋼造船等の重工業へと産業構造がシフトし、それとともに自己調整的市場に対する疑問の声は社会の中でいよいよ高まった。社会主義運動は激しさを増し、これに対応するために各国とも帝国主義的対外膨張政策に訴えた。その帰結が第1次世界大戦であり、大戦下の戦時体制において、自由主義国家に代わるべき新たな国家原理が模索された。それまでなお2等国民であった労働者階級を正規のネーション成員として組み入れる20世紀システムの出発点である。
>6 20世紀システムの形成と動揺
(3) ケインジアン福祉国家と完全雇用政策
程度の差はあれ、20世紀システムを19世紀システムから区別する最大の外面的特徴は国家のあり方であろう。19世紀に誕生したネーション国家が大きく成長し、自己調整的市場にほとんどをゆだねる自由主義国家から、民間経済に介入しつつ自ら経済主体として活動する新たな国家のあり方が登場してきた。国家の活動をその不可分の一部として組み込んだ経済システムとして、混合経済という呼び名が用いられる。
国家の介入を大きく分類すれば次の3つになろう。第1は、ミクロの経済活動に介入する産業政策である。これは個別企業ではやりにくい産業の近代化を促進するためのものと、衰退産業を下支えする社会政策的色彩の強いものがあった。第2は、マクロの経済運営を、人的資源が有効活用され、非自発的失業が発生しないようにコントロールしていこうとする完全雇用政策である。第3は、労働者保護とともに社会保障を充実し、失業や疾病という一時的労働不能にも、障害や老衰という恒常的労働不能にも、労働者とその家族が生活を維持することができるようにしようとする本来的意味の社会政策である。
これに応じて、国際経済においても金本位制は放棄され、アメリカのドルを基軸通貨とする固定相場制がとられた。これは国際収支の圧力によって国内における財政政策が制約されることなく、上の完全雇用政策を十分に実施できるための枠組みとなった。これはネーション的労働本位制と呼ばれる。
こういった20世紀的な国家のあり方をケインジアン福祉国家と呼ぶことができる。それは一言でいえば、19世紀には未だ社会の全面を覆うにいたらなかったネーション共同体の原理が、さまざまな社会主義の模索の中を勝ち残った民主的社会主義の原理と結合し、フォーディズムが要請する労使妥協システムをその中に組み込みながら作り上げられたものであり、失業と飢えの恐怖におびえる労働者像を豊かさを享受する労働者像に転換させた。労働力商品化の害悪は遂に解消されたかのように見えた。
しかし、その豊かな労働者は労働の現場においては決して実質的な自己労働性を取り戻していたわけではない。労務サービス業たる自己労働者は決して生産者たる自己労働者ではなかった。この矛盾がやがて20世紀システムの基盤を揺るがしていくことになる。
「ネーション共同体原理」は近代社会が「悪魔の挽き臼」から守るために創設せざるを得なかった危険有害な取扱注意の必須不可欠な器具であるという認識を抜きに平べったい議論をしていては、ものごとの真の姿は見えてこないということです。
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