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2010年8月20日 (金)

大学は教育をするところではなく、職業訓練をするところなのだ

全新聞が3年新卒扱いを見出しに掲げ、その見出ししか読まないうかつなヒョーロンカがうかつなことを書く、例の日本学術会議の大学と職業との接続検討分科会でずっとご一緒させていただいた田中萬年さんが、ご自分のブログで、教育と職業訓練をめぐるドイツ語と英語と日本語の対応関係について書かれています。

教育と社会についてなにがしか考える人は必読。

http://d.hatena.ne.jp/t1mannen/20100820/1282262325日本人の「訓練」嫌いとTrainingの重要性)

>小原氏によると、Erziehung は主として義務教育段階、せいぜい中等教育までを対象に使用し、生徒の能力を引き出す、という意味で使っている。これは他動詞である。一方、Bildungはより上の段階の大学等の学生を対象に使い、学生自身が能力を積み上げていく、という意味で使っているという。これは自動詞である。それらの関係はBildungの大きな概念の中にErziehungが含まれると言うのだ。

 私は訓練にBildungを当てるのは教育ではないからという意味で使うのだろう、と引け目に感じていたが、そうではなかったのだ。

>考えて見れば、最終的に職に就くためにはどのような形態かは別にして何らかの職業訓練を受け、職業能力を修得しなければならないのである。それが大学であっても、訓練校であっても同じであるはずだ。義務教育を終える時から、次第に上級学校に進むほどその重要性は高まるはずだ。

 このような事を考えると、最近喧伝している「キャリア教育」がいかにまやかしかということをさらに確信したのである。

 職業訓練の重要性は、英語、ドイツ語では明確だったのだ。大学は教育をするところではなく、職業訓練をするところなのだ

そういえば、ビルドゥングス・ロマンとか言いますよねえ。立派な職業人(マイスター!)になるべく研鑽を積む若者の物語。

直訳すれば「訓練小説」のはずなのに、そうするとすごくランク落ちするように感じる日本人の感覚こそが問題なのでしょう。

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