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ナショナリズムと福祉国家

かつて拙著を丁寧に書評いただいたこともある毎週評論さんが、「ナショナリズムと福祉国家」というテーマを取り上げています。

http://maishuhyouron.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-aa63.html(ナショナリズムと福祉国家)

はじめにグンナー・ミュルダールなどを引きつつ、一般的にいわれるナショナリズムと福祉国家の関係を概観した上で、しかし、とこう続けます。

>しかし、上述のようなナショナリズムと福祉国家の積極的な関係は、現在においても果たして自明なのだろうか。

もちろん、ここで疑問を提起されるのは一般的なネーション共同体と福祉国家の関係というよりも、

>では「ナショナリズム」を、より一般的に用いられているように、「外国人」に対する嫌悪感や競争意識に基づく攻撃・排除という意味に限定すればどうであろうか。それは「場合による」としか言いようがないが、ここでは両者の密接な関係を強調してきた従来の左派系の学者の議論に対する批判の意味も込めて、あえて否定的な関係として理解しておきたい。その理由は以下の通りである。

と、いわゆるショービニズム、外国人憎悪的なイデオロギーの問題です。

とはいえ、例の「りふれは」論争(?)の出発点が、単なるナショナリズムというよりは特定の外国人に対する悪意の感じられる表現であったことを考えれば、やはりきちんと論じられるべき論点でしょう。

毎週評論さんが指摘するのは3点。

>第1に、日本を含めて現在の先進諸国の社会保障制度は、既にナショナリティは社会サービスの受給資格要件として機能していない。

>だから現在、社会保障の充実を政策課題として掲げる場合、それは必然的に外国人の社会的な統合・包摂を志向するものになる。

これは、半分正しいけれど、残りは正しくないと思います。労働に関連する形で設計された社会保障制度はまさに労働がサービス給付の根拠であるので、少なくとも正当に労働する外国人を排除するものではないといえますし、それがけしからんと非難するのはよほどのショービニストだけでしょう。

しかし、日本の生活保護に相当する無拠出の社会扶助は、給付根拠に労働が存在しないために、ナショナリティが資格要件として機能していないとはいえません。むしろ、外国人労働が引き連れてきた多くの親族が福祉受給者になるといった事態があるため、そこが福祉ショービニズムを引き起こす最大の理由になっている面もあります。

これを解決する道は、一つはワークフェアという形で事前ではないにしてもせめて事後的な労働とのつながりをつけることでしょう。ヨーロッパのワークフェアには、この移民対策という側面が裏にあると思います。

これに対して、労働とのつながりを一切断ち切る方向に向かえば、まさにわたくしがベーシックインカムについて論じたように、

>最後に、BI論が労働中心主義を排除することによって、無意識的に「“血”のナショナリズム」を増幅させる危険性を指摘しておきたい。給付の根拠を働くことや働こうとすることから切り離してしまったとき、残るのは日本人であるという「“血“の論理」しかないのではなかろうか。まさか、全世界のあらゆる人々に対し、日本に来ればいくらでも寛大にBIを給付しようというのではないであろう(そういう主張は論理的にはありうるが、政治的に実現可能性がないので論ずる必要はない)。もちろん、福祉給付はそもそもネーション共同体のメンバーシップを最終的な根拠としている以上、「“血“の論理」を完全に払拭することは不可能だ。しかし、日本人であるがゆえに働く気のない者にもBIを給付する一方で、日本で働いて税金を納めてきたのにBIの給付を、-BI論者の描く未来図においては他の社会保障制度はすべて廃止されているので、唯一の公的給付ということになるが-否定されるのであれば、それはあまりにも人間社会の公正さに反するのではなかろうか。

という帰結になりそうに思います。

次の

>第2に、世界各国で社会保障制度が整備されるようになれば、国境を超えた人の移動、特に従来のような富裕層や最貧困層以外の労働移動が促進される可能性が高い

というのは、むしろ社会保障制度が整備された国同士での話であって、そうでない途上国から(途上国には及びのつかない)高い社会保障を求めてやってくるという話とは若干ずれがあるように思います。

問題の第3ですが、

>第3に、社会保障制度の維持・強化を目指す過程でナショナリズムが語られているのか、それともあくまで福祉が、ナショナリズムが発露する(主要な)「舞台」の一つになっているに過ぎないのかは、慎重に区別して論じる必要がある。私の評価では、いわゆる「福祉ナショナリズム」というのは、基本的に後者のケースが大多数だと考えている。つまり、社会保障への利害関心から外国人へ反感が派生したというよりも、もともと外国人への反感を抱いていた人たちが、たとえば社会保障財政の逼迫が政治的な話題になった時に、「移民が国の福祉にただ乗りしている」という攻撃を繰り広げていると理解したほうがよい。

このこと自体、こう簡単に言えるかどうかは保留したいところがありますが、仮にそうだとしても、問題は福祉ショービニズムをあおっている政治家やイデオローグというよりも、それを聞いて「そうだ、そうだ、あいつらを追い出せ!」と唱和する人々のそのような行動をもたらす精神的メカニズムは必ずしもそうではないのではないか、という点です。唱和組がすべてもともと外国人憎しで、たまたま福祉に乗っかっただけという解釈は、かえって国民の意識構造として絶望的な結論を導くことになりますが、もちろんそれが事実ならばやむを得ませんが、その時代によって動きを変える唱和組については別の解釈をしておりた方が、現実をより適切に説明しうるように思われます。

いずれにせよ、毎週評論さんが指摘するように、

>特に現在の日本におけるナショナリズムでは、社会保障の問題はほとんど無関心である。

まさにその通りです。ただ、その危険性はあり得ると思っています。

ただ、何にせよ、このナショナリズムと福祉国家の関係という論説が、

>福祉国家の限界を語る、それ自体は真摯な問題意識に基づく議論が、「多様な生の自己決定」の名のもとに、福祉給付削減の論理と図らずも共振してしまったことも、反省しなければいけない問題である。

というのもまことにもっともであり、それこそ、わたくしがややペジョラティブに論じてきた「リベサヨとネオリベの野合」(ソーシャルはウヨクに近いからとリベラルなサヨクがソーシャルを嫌悪してネオリベ化する現象)の源泉でもありましょう。

今のところ、わたくしの処方箋は、無拠出の社会保障制度のできる限りのワークフェア化によって、悪しきショービニズムにつけ込まれないようにする、ということになるのですが。

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