フォト
2025年5月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« 風間直樹さんのつぶやきから | トップページ | OECD若者雇用ハイレベルフォーラム »

2010年8月21日 (土)

松尾匡さんの人格と田中秀臣氏の人格

松尾匡さんが、リフレ派をめぐるドタバタ劇を一生懸命収拾しようとしておられます。

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100820.html(10年8月20日 小野善康さんからお電話をいただいた件ほか)

>でも、リフレ派の中にはいろんな立場の人がいて、中にはけしからぬ言動をする人もいるでしょうけど、その責任を全部負わさせたらかなわないという気はしますね。

>Apemanさんや、コメント欄にお書き込みの仲間のみなさんのような方々にこそ、是非拙著を読んでいただきたいと思っております。私がそこで主張しておりますのは、左翼的価値観の望むことを実現するためには、不況の脱却は必要条件だということです。十分条件ではないかもしれないが、必要条件。

>ともかく、リフレ派は組織でも派閥でもない上に、金子議員はリフレ派の中でもただの一ユーザーで、リーダーでもなんでもないのですから、リフレ政策に賛同することが金子議員の主張を許容することになるわけでは全くありません。

これをbewaardさんの用語法を用いて言えば、「あなたにとってリフレはトッププライオリティではないでしょうし、トッププライオリティにしろともいうつもりはないけれども、少なくともあなたのトッププライオリティと矛盾しない共通の目的として共有することができるのではないですか?」という呼びかけでしょう。

まことに人格篤実にしていかなる罵倒誹謗中傷にも完爾と笑みを浮かべつつ粘り強く真摯に説得し続けようとする松尾さんの高潔な人格が浮かび上がるような文章です。

こういう共有目標を、一般政治用語で「最大公約数」といいます。政治的同盟関係というのは、それぞれが有するトッププライオリティをお互いに(共有はしなくても)尊重しつつ、最大公約数において共闘しようとする行動です。

これを読んで、おもわずその国民会議なるものに入ろうかと心が動いた方も一人や二人ではないと思われます。

ところが、そのひとときぬくもった心が、たぎるような悪意の充満したこういうつぶやきを一瞥すると、とたんに絶対零度にまで冷却するのですから、リフレ方面のパス回しの技は見事と申し上げるよりほかにはありません。

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20100821/p1[アホ文化人を退場させられない理由]リフレ派(ネットリフレ派)の「トッププライオリティ」とは?)

つまり、リフレなるものをトッププライオリティとして共有しないような奴は許さない。とりわけ、労働問題の労働政策による解決をトッププライオリティと考え、そのためにどこにどういう問題があるのかを真剣に考えようとするような輩は、たとえ最大公約数としてリフレーション政策を共有できたとしても断然撃滅するぞ!ということを公言するような人格の持ち主が、(ただの一ユーザーなどではなく)その国民会議なるものの中軸的存在であるわけです。

まことに、素晴らしい役割分担と申し上げざるを得ません。労働研究者や労使関係者には内心リフレーション政策にシンパシーを持っている人が結構いると思っているのですが、ここまで言われれば、公然とその国民会議なるものに近づくなどという利敵行為に手を染めることは不可能でしょう。

« 風間直樹さんのつぶやきから | トップページ | OECD若者雇用ハイレベルフォーラム »

コメント

単なる呟きですが、HALTAN氏はすごいですね。
流し読みするだけでもくらくらするのに(控えめな表現)
一字一句コピーして…

いやーHALTAN氏の好戦的な態度は頭が痛くなりますね。
でも世の中には相手を罵倒することに快感を感じる方々もいらっしゃるので要注意ですね。
しかしこの手の泥試合でいつも思うのですが、政策と人格を一緒にするのには本当に嫌気がさしますね。
リフレ賛成/反対と労働政策研修・研究機構の存続/廃止とどういう関係があるんだろう?
この論理の飛躍を何の衒いもなくしてしまうところに悪意のような非常に感情的な何かを感じてしまいます。
人間は感情的な生き物なので特に現実を知らない人は感情に流されやすく、それゆえHALTAN氏のような人は放置すると影響力を増すので要注意です。
特徴は非常に印象的な表現を多用することと、小さい論点を一つの文章に多用することです。論点の一つ一つを取り上げるならばそれ自体は灰色か主張自体としては成立することもあるのですが、それらの論点を自己の都合の良いように編集し、さらにその印象を強化するために感情的な表現を多用するのです。
そういえば在特会とかいう方々にも共通している傾向だと思います。
反知性的な傾向にはやはり断固として批判を加えたいと思います。

PS.以前こちらで紹介されていた「非正規雇用問題に関する労働法政策~」をセンターに戴けるようお願いしましたら快く返信してくださいました。
また以前労働政策研究・研修機構様が主催されていた講演会や勉強会で大変多くのことを学ぶことが出来ました。納税者の一人として厚く御礼申し上げます。
これからの益々のご活躍を願っております。
草々

いや、好戦的なのはHALTAN氏ではなくてですね・・・。

というか、いや、確かにHALTAN氏もHALTAN氏なりにある意味で好戦的かも知れませんが、ここでわたくしが引用したかった部分は、HALTAN氏が書かれた部分ではなく、田中秀臣氏というれっきとした某大学で教授職を勤めている経済学者がtwitterでつぶやいたいくつもの発言を、わざわざ集めて一覧化してくれた部分(枠で囲われた部分)なのです。

twitterでの田中秀臣発言を一つ一つ引用するのは面倒くさいので(それに不愉快だし)、HALTAN氏の作業成果をそのまま活用させていただいたところ、「赤いたぬき」さんにとんでもない誤解を与えてしまったようで、HALTANさんにもお詫び申し上げます。

と言うことで、その点の誤解を解いていただければ、田中秀臣氏の言動に対するご感想については、まったく同感であります。

これは失礼致しました。
濱口様、HALTAN様大変申し訳ございませんでした。
まったくこれではたぬき失格です。
orz
化けの皮を厚くするよう努力します。
重ね重ね両名様にお詫び申し上げます。

赤いたぬき

田中秀臣氏のつぶやきは、ある意味、清々しいですね。今時珍しいまでの下衆ぷりを発揮してる点で。

おそらく氏としては、立場と政治信条や考えを混同させながら、相手を腐しているつもりなんでしょうが、彼の考え方のいやらしさの方が際立ってしまいます。

>まあ、たぶん彼の所属している組織を仕分け対象にすべきである、
>と僕らの仲間の一部が主張しているからね。露骨なものだ。

ここら辺なんか、露骨に彼自身の下衆ぷりを示していることを気付かないんでしょうか。無意識にか、「仲間」の虎の威を借りている所も失笑せざるを得ない。

つぶやきだと、普段はオブラートに包む本音がポロっと出てしまうのでしょうかね。

 正直、田中先生にちょっとがっかりしました。
 リフレ批判派に対する批判程度とまでとは言わなくても、金子議員にちょっとした苦言を呈することさえ出来ないんでしょうかね。
 リフレ政策を支持さえすれば、何でもよく、気に入らない人には三法則を駆使して文句をつけるってどういうことなんでしょうかね。
 

濱口先生、このエントリーはわかりづらすぎます。
上のコメント欄を見ても、同じく理解できなかった人がいるようですし。
HALTAN氏のブログが、田中秀臣先生の
ツイッターの引用であるということは、リンクの前に明記してもらわないと。
20分悩みました。

HALTANさんによる見事な知識社会学的分析:

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20101125/p1">http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20101125/p1([アホ文化人を退場させられない理由]リフレ派(ネットリフレ派)=大都市部ホワイトカラーの慰撫思想)


>・・・結局、リフレ派(ネットリフレ派)ってリバタリアンなのかなあと思います。

でもアメリカのリバタリアン(ティーパーティとかやってるような人たち)は需要政策さえ要らないと言ってるみたいですけどね。不況下で「大きな政府は止めろ」「政府支出を減らせ」ってのはつまりはそういう事なんでしょうし。あの人たちは本当に筋金入りなんでしょうね。一方で日本のリフレ派(ネットリフレ派)は、

日銀の信認を否定するような批判(組織がダメ、総裁はバカ)をしておきながら、一方では日銀のコミットメントを求める

中央銀行まで含めたパブリックセクターを徹底攻撃しつつ、一方では中央銀行の需要政策に期待する

・・・わけですから、

「お上」を批判しつつ一方で「お上」に過剰な要求を行う

・・・まさに「ザ・日本人」的な人たちなんでしょうね。

>私自身はリフレ派(ネットリフレ派)の主張はあの人たちに共感するような「首都圏在住」「一般企業勤務六大学程度卒ホワイトカラー」が気に入りそうなスローガンの寄せ集めと今は解釈しています

日銀・霞ヶ関カンリョー死ね! パブリックセクターをぶっ壊せ!⇒日本=トーキョーを動かしているのはオレ=アナタたち一般企業勤務六大学程度卒ホワイトカラー。役立たず(?)のカンリョーやコームインは死ぬべき。

田舎者は死ね!⇒日本の富はオレ=アナタたち「優秀」な首都圏在住ビジネスエリートが独占すべき。無能な田舎者は死んだ方が日本国家のため。

>・・・こう卑俗に解釈すれば全て繋がる事に気づきました(苦笑) 「悪者探し」の一方で同時に「アナタたちだけが日本を救える」と自尊心を満足させる合わせ技にして在るわけで、なかなか巧妙なマーケティングでは在りますw 更に強引に言えばこういうスローガンに引っ掛かるほど(?)今の大都市部ホワイトカラーの「オレ(たち)は損をしている」「オレ(たち)は正当に評価されていない」不満や承認欲求は凄いのかもしれませんね。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 松尾匡さんの人格と田中秀臣氏の人格:

« 風間直樹さんのつぶやきから | トップページ | OECD若者雇用ハイレベルフォーラム »