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2010年8月18日 (水)

リフレがトッププライオリティなんて人は存在し得ない

田中秀臣氏に闇討ちされたbewaard氏の議論、半分賛成だけど、半分疑問。

http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20100818/p1(リフレ政策を巡る政治的な話に関してちょっと脱線)

>BUNTENさんが「リフレ派の実体なんてねーよ、ただの呉越同舟に過ぎない。」とおっしゃっているわけですが、それで済むのはリフレ政策の実現がトッププライオリティだからこそ。小異を捨てて大同につく、とは大(=トッププライオリティ)を同じくするから成立する話で、大が同じでない人には当てはまらないわけです。BUNTENさんのご認識を言い換えれば、「リフレ派」とはリフレ政策の実現をトッププライオリティとすることが実体なわけで、セカンド以下のプライオリティは様々(=呉越同舟)だということでしょう。

>リフレ政策の実現がセカンドプライオリティである人を想定します。トッププライオリティは、たとえば所得再分配の強化だとしましょう。これが逆の人であれば、リフレ政策が実現さえすれば、所得再分配が実現しなくても究極的には仕方がない、ということになりますが、所得再分配の強化がトッププライオリティであれば、リフレ政策が実現したところで、所得再分配の強化が実現しなければ、かなりの程度残念な思いをすることになります。

>大同団結せよ、との呼びかけは、数多くの賛同者がいるという状況を現出させるために政治的リソースをよこせ、ということと同じです。リフレ政策の実現がセカンドプライオリティの人にとって、では、その政治的リソースを与えることの見返りは何なのでしょうか? リフレ政策の実現が所得再分配の強化につながるのであれば、ギブ&テイクだということになりますが、何ら無関係というのであればまだしも(それにしても、リソースの機会費用が生じます)、リフレ政策の実現がかえって所得再分配の強化の妨げになるならば、リソースを自らの望まぬ方向に費やされるわけで、踏んだり蹴ったりです。

>そうした懸念を有している人々に、そもそも呉越同舟なんだよ、小異を捨てて大同につこうという説得が効かないのは、当然ではないでしょうか。そもそも、ある人にとって「大」であることを、捨てることが可能な「小」だとみなすこと自体、反感を買いこそすれ、賛同を集めることに貢献するはずもないのです。

論理的にはその通り。

ただ、問題はそもそも現実の社会的存在として本当に「リフレ政策の実現がトッププライオリティ」であるような人が、この現実社会において存在するのか?ということです。

敢えて言えばそんな奇怪な人間は(後に述べるように、それすらも現実にはそうではないはずですが)大学でマクロ経済学を担当している教授くらいしかあり得ないと思われます。

それ以外の、現実社会でそれぞれの社会的役割を担っている人々は、その自らの社会的役割自体を平然と否定するような議論とワンセットで持ち出されたら、リフレ政策はセカンドプライオリティになるはずです。自分の社会的任務を否定する人々と和やかに手をつなげるだけのトッププライオリティをリフレ政策に与えられる人はたぶん存在しない。

いや実のところ、大学でマクロ経済学を教えている人だって、「大学でマクロ経済学なんて学生にとってクソの役にも立たないものを教えるのは全くの無駄だから、全部お釈迦にしよう」という主張をする人と、無邪気にリフレ政策で共闘はできないはずでしょう。もしできるというのなら、是非やってみてください。

(東日本大地震を受けての追記)

私は昨年、

>ただ、問題はそもそも現実の社会的存在として本当に「リフレ政策の実現がトッププライオリティ」であるような人が、この現実社会において存在するのか?ということです。

敢えて言えばそんな奇怪な人間は(後に述べるように、それすらも現実にはそうではないはずですが)大学でマクロ経済学を担当している教授くらいしかあり得ないと思われます。

と書きましたが、千年の一度の大地震と大津波に原発事故が襲いかかってきているこの期に及んで、まさに「リフレがトッププライオリティ」と叫び続け、リフレ以外のことにちょっとでも関心を向けようとする者に対して目を覆いたくなるような罵声を浴びせかけている姿を見ると、我が身の不明をお詫びしなければならなかったようです。

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20110320

いやはや・・・。

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