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2010年8月29日 (日)

リバタリアンと児童虐待

kihamuこと松尾隆佑さんが「on the ground」で興味深いエントリを上げています。

http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20100828/p1

蔵研也氏とanacap氏という二人のリバタリアンの児童虐待に対する「処方箋」を取り上げて論じたものですが、この二人の議論がある意味で対照的です。

蔵氏は児童保護警察NPOと警察の分割・民営化を唱えるのですが、松尾さんの批判するように、あまりにも多くの社会的不利益をもたらすことが明らかだし、そもそもなぜそんなことに血道を上げなければならないかがリバタリアン思想からしていっこうに明らかではない。

そもそも、「児童虐待」なる現象がなぜ「問題」であるのかという根本のところで、リバタリアンたる立場がきちんと意識されていないように思われます。もし「虐待」されている「児童」がかわいそうなどという愚劣にもコミュニタリアンな発想でものを考えているとしたら、それこそリバタリアンの風上にも置けないのでは?

それに対して、anacap氏の「子供(の親権)売買」という処方箋は、出発点からしてリバタリアン的です。つまり、「児童虐待」とは、当該児童が将来多くの収益を親にもたらすであろうとか、当該児童を養育すること自体が親にとって高い効用を与える快楽的行為であるといった正の効用が、当該児童養育にかかるコストを大幅に下回ることによって発生する現象であり、これを解決するためには、当該児童の養育の効用が高い者に当該児童の養育権を譲渡させることが有効であるという、まことに経済理論に則った解決策であるからです。ここには妙なコミュニタリアンな発想のしっぽはくっついていません。まことにすっきりとしています。

問題は、松尾さんのエントリにも指摘されているように、「児童養育」の高い効用ではなく、「児童への性的行為」の高い効用を求めて当該児童の養育権を購入しようという人間が多数続出する可能性ですが、リバタリアン的発想を徹底すれば、それのどこが悪い、ということになるのでしょう。すくなくとも、「効用が乏しい」ゆえに実の親に虐待されることに比べれば、(性的)「効用が高い」ゆえに他人に愛好されることはよりパレート最適であるから望ましいと平然と断言するのが、リバタリアンの鑑と言うべきでありましょう。

おそらくそこまでいくと、(隠しても隠しきれないコミュニタリアン的)感情から反発する向きが出てくると思われます。そう、そこまで問題を突き詰めて始めて、本来の議論が始まるのです。

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