この30年間に及ぶ反政府のレトリックの論理的帰結
本日の朝日新聞に載っているクルーグマンのコラムは、それ自体として正論であるのみならず、表面づらだけクルーグマンの側であるようなふりをしている特殊日本的「りふれは」(注)という反政府主義の徒輩の本質を見事にえぐり出す素晴らしいエッセイになっています。
>なぜ、私たちはこんな状況に至ってしまったのか。それはこの30年間に及ぶ反政府のレトリックの論理的帰結なのだ。このレトリックは、税金で徴収される1ドルは常に無駄に使われる1ドルであり、公共部門は何一つ正しいことが行えないのだと多くの有権者に信じ込ませてきた。
>そして、今やそのキャンペーンが実を結び、何が実際に非難の対象になっていたのかを私たちは目にしている。それはつまり、非常に裕福な人々を除くすべての国民が必要とするサービスであり、政府が提供しなければならず、政府以外には誰も提供しないサービスなのだ。
ちなみに、英語の原文はここ。
http://www.nytimes.com/2010/08/09/opinion/09krugman.html?_r=1&partner=rssnyt&emc=rss(America Goes Dark)
> It’s the logical consequence of three decades of antigovernment rhetoric, rhetoric that has convinced many voters that a dollar collected in taxes is always a dollar wasted, that the public sector can’t do anything right.
>And now that the campaign has reached fruition, we’re seeing what was actually in the firing line: services that everyone except the very rich need, services that government must provide or nobody will.
是非、心ある経済学部の英語の入試問題に使っていただきたいような名文です。
(注)ちなみに、これまた判っている人にはあまりにも当たり前のことですが、ここでいう「表面づらだけクルーグマンの側であるようなふりをしている特殊日本的「りふれは」」とは、まさに文字通りの意味であって、ひたすら公務員を叩き、公共サービスを破壊することを宣揚している一部の「りふれは」の徒輩のみを指し、そういう阿世の論とは無関係にまともな経済政策として「リフレーション政策」を唱えている方々はなんら含まれません。
なぜわたくしが「リフレ派」ではなく、わざわざ特殊日本的「りふれは」と呼んでいるかといえば、そういうあり得べき誤解を避けるためであることは、素直に読めば誰でも判るはずなのですが。
それを意識的にごっちゃにして、あたかもわたくしが「リフレ政策」に敵対しているかのような宣伝工作を仕掛ける「反政府のレトリック」の徒輩が後を絶たないのが現実ですけど。
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