日本学術会議の社会的役割
昨年6月から今年3月まで、大学教育の分野別質保証の在り方検討委員会 大学と職業との接続検討分科会の一員としてずっと乃木坂の日本学術会議ビルに月1回以上通ったのですが、この会議がそのほかにどういうことをしているのか、ほとんど知らないままでしたので、ここ最近、その日本学術会議が世間の注目を集めているのを見て、あらためて認識を新たにしています。などというと怒られそうですが・・・。
私たちの議論の結果が盛り込まれた「大学教育の分野別質保証の在り方について」の文部科学大臣宛の回答の次に、世を騒がしているホメオパシーに対する会長談話があり、その次に「総合的な科学・技術政策の確立による科学・技術研究の持続的振興に向けて」という、科学と技術の間に「・」(ナカポツ)を入れよという勧告がくるのですね。
ちなみに、この手の疑似科学問題については、かつて本ブログ(コメント欄)で大坂さんとの間でこんなことを書いたことがあります。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_1199.html(モダン屋さんの労働価値説?)
>なにやらお水商売関係でいろいろと揉めておられたようですが、ひとまず解決されたみたいでなによりです。
こういう自然科学的知識と社会的価値判断が絡む領域というのは、なかなか難しいところがありますね。
ホントはこの手の問題で一番重大なのは、アメリカで流行ってる例の創造科学って奴だと思うのですが、日本の保守派は進化論マンセーだからあんまり関係ないのかしら。
も一つ、私はこの手の議論を聞くとすぐに反デューリングや自然弁証法の心霊学批判を思い出すのですが、心霊学批判が正しいことが、エンゲルス君の「科学的」社会主義を正当化するわけではないわけで。
>私は、理科系の人が疑似科学を叩くのは全然問題ない、というか、むしろ大いに応援したいのです。
問題は、文科系の妙な連中がそれに乗っかって、いかにも自分の言っていることが「科学的」みたいなレトリックを振り回すことですね。
今回の「お水」騒動も、詰まるところそういうことでしょう。自分らのなんら検証もされてない特定のケーザイ教説に反対する輩は「お水」と一緒と言わんばかりのもの言いが反発を買ったということじゃないですか。
« フランスはEU反ロマサミットを提唱 | トップページ | OECD『日本の大学改革』から再掲 »
ちょっと違う話みたいですが、昔駒場で中沢騒動なるものがあったでしょう。自然科学の人が「なんだこのわけの分からんトンデモは」というのはある意味当然。問題は、これが人文社会系の政治的対立構造に利用されたことでしょう。特に、どこぞで気流が鳴ってた人は、ご自分のトンデモを棚に上げて反対したわけでね。そういううさんくささが、常につきまとうわけですよ。
>インフルエンザとタミフルという疫学上の問題に関していえば、マスコミだけで活躍しているような人ではなく専門分野で専門家からきちんと評価されている方のご意見を聞いた方が適切であるのは明らかだと思いますよ。
自然科学においては、よほど最先端の分野にいかなければ、エセ科学とまともな科学とは適切に区別できるはずだと思いますが。私は左巻さんの本がその通りだと思いますね。
そうではない分野において、いかにもそうであるかのように言葉巧みに操って、(必ずしも専門分野で専門家からきちんと評価されているとは言い難いような人が)特定の考え方を売りつけることがいかがなものかということなのであって、お水商売の仲間に入れられるのは大変心外です。
>私の立場(労働政策)からすれば、リフレ虫さんは別に有害でもないので(政策論としてはむしろ賛成)、歴史に無知なくせに生意気なことを書く莫迦をたしなめる以外に、特にとやかく口を出す気はありません。
むしろ、大変有害なのは、「法と経済学」などと称しながら、実のところは組織の経済理論の成果なぞ歯牙にもかけず、「大学一年生向け初等ミクロ経済学教科書嫁」でしかないような理屈で、解雇規制や最低賃金問題に知った風なことを口走り、それが一国の政策決定に影響を与えていくという事態の方で、私としては百万倍深刻に受け止めています。
トンデモといえば、そっちの方が遥かにトンデモ経済学なんですよ。実務的にはね。ネットで跳ねてるイナゴさんだけ見ていたら間違います。
というわけですから、お水やらタミフルやらのヨタ話はこの辺で打ち止めにします。
エンゲルス君の科学的社会主義を暴くのに、心霊学を持ち出す必要はないでしょう。