フォト
2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

« 差別禁止法制は「私法の弔鐘」か? | トップページ | この30年間に及ぶ反政府のレトリックの論理的帰結 »

2010年8月11日 (水)

それは大学だけの任務じゃない

趣旨自体は賛成。

http://sociologbook.net/log/201008.html#eid489大学で何を教えるか

ホメオパシーの話から

>親御さまたちから大事な子どもたちをお預かりしているわれわれのような人間はどうすべきかと考えると、これはやはりこういうことにならないようにするしかないのだが、そのために何を教えるべきかというと、これはもう「合理性」ということに尽きる。

>それは、自分が間違っていたときにあっさりを道を変更できるようにするためであり、根拠のないものに騙されて自分や家族を傷つけないようにするためであり、しょうもない男にひっかかって身も心もボロボロにしてかけがえのない青春を失ってしまうようなことがないようにするためである。

>社会学に限らない。大学では普通に合理性を教えて普通に合理的な人間を育てていくべきである。普通でええんや普通で。

もちろん、大学で「」それは必要です。

でも、この言い方では、大学に行ける「上等」な人間だけがそういう「合理性」を身につけてればいいみたいに受け取られかねない。いや、そういう趣旨ではないということは分かりすぎるくらい分かった上で、やはり言いたい。そういう本来的意味でのシティズンシップ教育こそが、義務教育において、そして後期中等教育においてこそ、きちんと身につけられるように教えられるべきなのではないか。そこでいきなり大学が出てきて、そして大学しか出てこないのはやはりおかしい、と思います。

だって、こういうたぐいの危険に一番さらされているのは、そういう人々なのですから。

« 差別禁止法制は「私法の弔鐘」か? | トップページ | この30年間に及ぶ反政府のレトリックの論理的帰結 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: それは大学だけの任務じゃない:

« 差別禁止法制は「私法の弔鐘」か? | トップページ | この30年間に及ぶ反政府のレトリックの論理的帰結 »