本ブログでも何回も紹介してきた日本学術会議大学と職業との接続検討分科会の報告書が、ようやく正式に出されることになったようです。
読売新聞より
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100814-OYT1T00945.htm(卒業後数年は新卒扱いに…日本学術会議提言へ)
>日本学術会議の検討委員会(委員長=北原和夫・国際基督教大教授)は、深刻な大学生の就職難が大学教育にも影響を与えているとして、地方の大学生が大都市で“就活”する際の宿泊・交通費の補助制度など緊急的な対策も含んだ提言をまとめた。
17日に文部科学省に提出する。企業側が、卒業して数年の「若年既卒者」を新卒と同様に扱うことや、早い時期からの就業体験も提唱。学業との両立のためのルール作りも提案している。文科省は、産業界の協力も得て、提言を現状改善につなげる考えだ。
またまた見出しは「卒後新卒扱い」なので、かつて朝日がリークしたときと同じ反応が出ることが予想されます.。というか、既に、その時とまったく同様の脊髄反射がいっぱい湧いているようです。記事も記事なら、それに釣られる連中も連中ですな。
ということで、その時の本ブログの記事をリンクしておきます。予想される反応には、まずこんなところで宜しいかと。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-a8fe.html(「卒後3年新卒扱い」というおまけよりも本論を読んでほしい)
>いかにもこの検討会が「卒後3年新卒扱い」という枝葉末節的対策だけを主張しているようなことを書いていますが、そればっかり強調しているのは朝日の記事なのであって、当の検討会の報告書はまさに「現状を抜本的に改善する道」を縷々書いているんですけど。
さらに詳しくこの大学と職業との接続検討分科会について述べた主なエントリは次のとおりです。ご関心のある向きはゆっくりとご覧いただければと思います。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-edd3.html(大学と職業との接続検討分科会)
>本日は、田中萬年先生と本田由紀先生の報告と討論。
>最後のあたりで、矢野先生が就活を断固規制せよ、と発言され、わたしが経済合理性に反する規制をしても脱法されるだけ、と応える一幕が。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-55ad.html(日本学術会議大学と職業との接続検討分科会資料)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-c4dd.html(大学と職業との接続検討分科会報告書骨子案)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-0817.html(日本学術会議大学と職業の接続検討分科会議事要旨その1)
>社会システムは相互依存的、相互補完的な関係にある。教育は今の日本の雇用システムを前提として、それに合うように3世代にわたって構築されてきている。逆に言うと、そのように教育システムが構築されてきたことによって、企業の方もそれに合うように雇用システムを作り上げてきた。お互いに依存し合っているので、ある部分だけを取り出して、「この部分はけしからん、だからこの部分だけこのように変えよう」といっても、それで物事が動くはずがない。日本の雇用システムは基本的にjob ではなくて、会社の一員になるということである。会社の一員というのは、会社がこれをやれと言ったことを必死の努力をしてやる、ということが最大の課題である。
>就活のシステムを問題にした時に、就活のところだけが問題だからといって、それをけしからんと言って何か解決するだろうか。自分が企業の人事採用者になった時にそのことで対応できるのか。これから40 年間自分の企業のために頑張ってくれる人を何で評価するのか、といった時に、4 年生で先生のゼミに全部出た人間ということだけをもって社会に出てやっていけるのかといったら、それはできるはずがない。その中で一つでも二つでもできることがあるとすれば、それは教育システムそのものの中に何か、ある種の職業に向けた指向性を注入していくことでしかないのではないか。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-d1fd.html(日本学術会議大学と職業との接続検討分科会一応終了)
>職業能力形成に無関心な大学教育と、大学教育の成果を殆ど問うことなしに、企業特殊的な訓練を施して「会社人間」に染め上げる日本的雇用システムとの間での「大学と職業との接続」は、本来は相反するものの間に成立した逆説的な親和性の上に、長期にわたって一見順調に機能してきたが、それはあくまでも経済の持続的な拡大という恵まれた環境を前提としたものだった。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-c4bb.html(日本学術会議大学と職業との接続検討分科会報告書案の続き)
>もう1点は、過熱し早期化した「就活」に学生が巻き込まれることによって、大学の授業が多大な影響を受けることであ。多くの大学教員がこのことを深刻な問題と感じており、大学団体を通じて経済団体に対して就職活動の早期化の是正を求める要望書が提出される等の対応がなされている。
しかしながら、こうしたことは、どちらかと言えば問題の現象面に着目した対応であり、現在の大学と職業との接続の在り方自体の変革につなげようとする対応、すなわち、学士課程教育の本体部分において、職業能力形成の機能を高めようとする取組みは少ないように見受けられる6。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-aa46.html(日本学術会議大学と職業との接続検討分科会報告書案最終版)
>さて、先日のエントリでは、朝日の報告を矮小化した記事とそれを矮小だと批判する朝日の社説を、薄っぺらな評論家諸氏のおっちょこちょいなヒョーロンと並べて批評したわけですが、
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/hamachan-20db.html(日本学術会議大学と職業との接続検討分科会におけるhamachan発言録)
>なぜそうなるかというと、要は規制したところで企業にとってあるいは学生にとって、そのやり方が合理的だったからである。当事者にとって合理的であるものを、システムをそのままにして、行為だけを規制すればいいということで、やっては失敗し、という繰り返しになっている。そういう意味で、システムの問題として論ずるべきことを、倫理の問題にしてはならないと思う。
>システムの問題といってもそう簡単ではない。そのシステムを前提に色々なものができている。大学の教育の職業的レリバンスをより高めるという議論はそれだけ言っていると非常にもっともな理論である。しかし、それは現に職業レリバンスのない教育を行っている大学教員たちの労働市場の問題を発生させ、今大学で禄を食んでいる人のかなりの部分の職を奪うことになると思う。なぜかというと、そのシステムを前提としてそういう職業レリバンスのない教育をしてきたからである。それでもさらにオーバードクターの問題が発生してきたわけで、それを逆方向に向けたりすると、おそらく大変な事態が起こる。そうするとシステムの問題はシステムとしてしか解決できないが、システムの解決は漸進的にしかできない。
>システムの問題だ、というのは、それが大学の授業を4年生、下手をしたら3年生が受けられないということが、企業にとっても学生にとってもマイナスであるようなシステムにするためにはどうしたらいいか、という議論なしに、そんなものは受けなくてもいい、と企業も学生も思っている状態でただ規制しても、それをすり抜ける方向にしか行かないと思う。
>実態として何が問題かというと、日本には山のように法学部や経済学部があるが、そこを出た人の圧倒的大部分は、そこで先生方が一生懸命教えたことを、学術ではなく、職業的な意味でも使うか、というと使わないことが非常に多いということだと思う。
>そうすると、経済学部で、経済学を一生懸命勉強して、就活をせずに卒業してきた人間と、経済学はほったらかしたが、非常に広範な分野で本を読んでいる人間とどちらがいいのか。そもそも企業がなぜ就活に力を入れるか、というと人間を見ているからである。逆に、私はそういうロジックに導かないようにした方がいいのではないかと思う。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/78-3805.html(日本学術会議大学と職業との接続検討分科会議事録(第7回・第8回))
>なぜ雇用システムがそう簡単に変わらずに、縮減という形で対応しているのか。それは他のシステムと対応しているからである。つまり、他のシステムと相互補完性があるため、他のシステムが変わらないと、雇用システムだけ勝手に変わるわけにはいかない、ということである。
>システムというものがそう簡単に変えることができないがゆえに、例えば賃金カーブのフラット化や成果主義といった方向も出す。それだけではなく、今まで暗黙に言われていなかった、ありとあらゆる状況に機敏に対応できるような人間力、コミュニケーション能力をより明示的に出す。そのことだけで言うと、今までの日本的雇用システムの性格がより強化されていく、という現象が出ているということではないか。
ますますこれから企業に就職するためには、どんな長時間労働にも耐え、ありとあらゆる状況に機敏に対応できる万能な能力を身に付けなければいけないというように、今まではそうはいってもそれほど多くなかったものが、ある意味では別の方向に向かっている面もありながら、企業の外に対するメッセージとしては強化する方向が出されているために、大学がそのようなメッセージを受けて混乱しているのだと思う。
>ただ大学教育との関係でいうと、今までの日本的な考えでは、将来的に言えば、何かしらそういう人間力は身に付いていくけれども、入社したときからそんなものはあるはずがなく、むしろ入社してから上司や先輩が鍛えて身に付けていく、という話だった。しかし、変容しつつ縮減しているために、かえって最初から人間力をもって入ってきてほしい、というような話になっていて、それで変なことになっている。
(追記)
凡百のベタコメとは違い、趣旨をちゃんと読み取った上で、さらにその先を行くコメントの例:
http://twitter.com/bassism/status/21239501036
>この提言は地味だが、大学教育をかなり変えてしまうかもしれない。学部の4年間が職業教育であると規定される可能性を含んでいる。
ちょっと違う話みたいですが、昔駒場で中沢騒動なるものがあったでしょう。自然科学の人が「なんだこのわけの分からんトンデモは」というのはある意味当然。問題は、これが人文社会系の政治的対立構造に利用されたことでしょう。特に、どこぞで気流が鳴ってた人は、ご自分のトンデモを棚に上げて反対したわけでね。そういううさんくささが、常につきまとうわけですよ。
>インフルエンザとタミフルという疫学上の問題に関していえば、マスコミだけで活躍しているような人ではなく専門分野で専門家からきちんと評価されている方のご意見を聞いた方が適切であるのは明らかだと思いますよ。
自然科学においては、よほど最先端の分野にいかなければ、エセ科学とまともな科学とは適切に区別できるはずだと思いますが。私は左巻さんの本がその通りだと思いますね。
そうではない分野において、いかにもそうであるかのように言葉巧みに操って、(必ずしも専門分野で専門家からきちんと評価されているとは言い難いような人が)特定の考え方を売りつけることがいかがなものかということなのであって、お水商売の仲間に入れられるのは大変心外です。
>私の立場(労働政策)からすれば、リフレ虫さんは別に有害でもないので(政策論としてはむしろ賛成)、歴史に無知なくせに生意気なことを書く莫迦をたしなめる以外に、特にとやかく口を出す気はありません。
むしろ、大変有害なのは、「法と経済学」などと称しながら、実のところは組織の経済理論の成果なぞ歯牙にもかけず、「大学一年生向け初等ミクロ経済学教科書嫁」でしかないような理屈で、解雇規制や最低賃金問題に知った風なことを口走り、それが一国の政策決定に影響を与えていくという事態の方で、私としては百万倍深刻に受け止めています。
トンデモといえば、そっちの方が遥かにトンデモ経済学なんですよ。実務的にはね。ネットで跳ねてるイナゴさんだけ見ていたら間違います。
というわけですから、お水やらタミフルやらのヨタ話はこの辺で打ち止めにします。
エンゲルス君の科学的社会主義を暴くのに、心霊学を持ち出す必要はないでしょう。