フォト
2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

« 非正規雇用問題に関する労働法政策の方向 | トップページ | リフレがトッププライオリティなんて人は存在し得ない »

2010年8月18日 (水)

外国人労働者政策の失われた20年

4月から7月まで東大の公共政策大学院で「労働法政策」の授業をしましたが、その最後の時間に「何かほかに聞きたいことは?」という問いに対して注文があったのは、外国人労働政策でした。

040720 拙著『労働法政策』では、外国人労働者に関する政策にはまったく触れていません。それはなぜかというところからお話ししたのですが、それをごく簡単に要約したエッセイを、『労務事情』という雑誌に書きました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roumujijo0801.html(『労務事情』2010年8月1/15日号 巻頭エッセイ「Talk&Talk」 「外国人労働者政策の失われた20年」 )

>日本の外国人政策の最大の問題は、それが労働政策として位置づけられることなく、もっぱら出入国管理上の問題として20年間扱われ続けたことである。実際には、日系南米人にしても、アジアからの研修生にしても、日本の労働市場が求める労働力として移入され続けてきたにもかかわらず、少なくとも公的な建前としてはそのような位置づけはまったくなされなかった。

 その最大の原因は、20年前に当時の労働省と法務省の間で外国人労働者をめぐって激しい縄張り争いがあり、外国人問題を労働政策と位置づけて雇用許可制を打ち出した労働省が敗れ、労働政策であることを徹底的に否定した法務省が入管法の改正を実現したことに遡る。法務省は、他の官庁が入管政策に介入する余地を極小化することを目指した。その結果、日系南米人は「血の論理」に基づき「定住者」としての在留資格で導入されたため、その労働力需給調整システムはまったく公的規制を受けることなく、派遣・請負型のブローカーの手で流入していった。リーマンショック以来の景気後退により発生した大量の日系人失業者は、失業して初めて地元のハローワークに向かうこととなったのである。

 最大の矛盾は研修・技能実習制度にあった。もともとこれは、正面から外国人単純労働力の導入できない中で、OJTにより働きながら技能を学ぶという形で外国人労働力を導入しようという経営側の要望に発する。したがって、研修生を(低賃金であっても)労働者として扱うことは当然であって、「労働者を労働者ではないことにして与えられるべき保護を奪う」ことを期待していたわけではなかった。ところが上記入管法の改正により、法務省は研修は労働ではないことを法律に明記しており、とりわけ実務研修(OJT)といえども労働ではないという労働法上信じがたい立場を貫いた。その結果、技能実習に移行後は労働者と認められるが、それまでの研修生は労働者ではないことにされてしまったのである。これがいわゆる「時給300円の労働者」を生み出し、多くの事件や裁判などで研修・技能実習制度のイメージを悪化させたことは記憶に新しい。ようやく2009年の入管法改正により、実務研修もすべて労働者として扱われる技能実習という資格に移行することとなり、労働者性に関する一応の問題解決はなされたが、団体監理型という民間ブローカー任せの仕組みをわざわざ法律上に明記するなど、労働政策としての問題解決に近づこうとする姿勢はあまり見られない。

 最近法務省は、日系人についても就職先の確保や日本語能力を要求する政策を考えているが、そのような外国人労働者としての適格性基準の導入と対象を「血の論理」による日系人に限定する理屈はもはや両立しがたい。外国人「労働者」政策を否定する20年の帰結が現状である以上、その転換は外国人「労働者」政策の存在を正面から認めること以外にはあり得ないはずである。いまこそ、外国人問題が労働政策でなかった「失われた20年」に終止符を打つべき時期であろう。

ということです。つまり、「労働政策として位置づけられることなく、もっぱら出入国管理上の問題として20年間扱われ続けた」から、『労働法政策』の中に他の政策と並べて書くことができなかったわけです。

このエッセイでごく簡単に要約したことを、そのうち発表される論文ではかなり詳しく論述しております。

« 非正規雇用問題に関する労働法政策の方向 | トップページ | リフレがトッププライオリティなんて人は存在し得ない »

コメント

凄い。
目から鱗です。
何か諸悪の根源が理解出来た気がします。
あ、こういう理解って危険かもしれませんね(笑)。
でも、本当に正せばならないものが何かをしっかりと提示する以外に厳密な意味での「改良」はないので本当に大切なことだと思います。
それを踏まえた上で「敢えて」ずらしたりするのはアリだと思いますが、あまりにもスジ論がスジ論として成立しない時代が長すぎたようにも感じます。
齢のせいでしょうか?
勉強になりました。ありがとうございます。

過去の経緯は知るところではないので,へ~そうなんだ・・・と関心することしきりですが,

少なくとも厚労省は外国人労働者の受け入れに非常に慎重な立場を取っている(ように見えます)
その一方で,

正面から外国人の受け入れ(特に就労目的の場合)は労働問題ですといって労働許可制にするというのは,厚労省の立場として矛盾があるのではないでしょうか。

言い換えれば,外国人労働者を正面から受入れるという施策をとって初めて,労働許可制という議論につながるのではないでしょうか。

単純労働者の受入れについては,多くの方が慎重なのだろうとは思われますが,

じゃあ何で「専門的・技術的労働者」ならいいんだろうか,そもそも「専門的・技術的労働者」って何?

専門26業務みたいな意味?総合職は専門的・技術的労働者なのか?とか,いろんな疑問がわいてきてしまいます。

とはいえ,御説に反対するものではなく,

労働分野に詳しくない法務省が就労資格の専門性・技術性を判断することについては,違うんじゃないの?という気もしています。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 外国人労働者政策の失われた20年:

« 非正規雇用問題に関する労働法政策の方向 | トップページ | リフレがトッププライオリティなんて人は存在し得ない »