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2010年7月27日 (火)

年金世代の大いなる勘違い

先日スウェーデンで開かれた国際社会政策学会で報告してきた呉学殊さんと話していて、「たった5%の消費税を上げるのに猛反対するのが人気を博するような日本はもう終わりかも」という話から、その理由として考えた話ですが、ちょうど「dongfang99の日記」というブログで書かれていた「年長世代の「小さな政府」志向」ともつながる話なので、簡単に。

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20100725

>近年支持が高い政治家や政党に共通しているのは、ラディカルな「小さな政府」路線であることである。

>そしてさらに気になるのは、どうも年金生活に入っているような、本質的にラディカルな改革を好まないはずの年長世代のほうが、こうした政治手法への支持がより高いらしいことである*1。年金・医療への関心の高さから言って、この世代が本当の意味での「小さな政府」を望んでいるとはとても思えないのだが、なぜそうなってしまうのか・・・

これは確かにわたしも感じていることです。ただ、理由付けは異論があります。官僚への期待値も政治的疎外感も、逆方向に向かう蓋然性の方が高いはずです。

では、お前の考える理由は何か?

彼らが「年金生活」に入っていることそれ自体が最大の理由ではないか、と思うのです。

ただし、これは社会保障がちゃんと分かっている人には理解しにくいでしょう。

公的年金とは今現在の現役世代が稼いだ金を国家権力を通じて高齢世代に再分配しているのだということがちゃんと分かっていれば、年金をもらっている側がそういう発想になることはあり得ないはずだと、普通思うわけです。

でも、年金世代はそう思っていないんです。この金は、俺たちが若い頃に預けた金じゃ、預けた金を返してもらっとるんじゃから、現役世代に感謝するいわれなんぞないわい、と、まあ、そういう風に思っているんです。

自分が今受け取っている年金を社会保障だと思っていないんです。

まるで民間銀行に預けた金を受け取っているかのように思っているんです。

だから、年金生活しながら、平然と「小さな政府」万歳とか言っていられるんでしょう。

自分の生計がもっぱら「大きな政府」のおかげで成り立っているなんて、これっぽっちも思っていないので、「近ごろの若い連中」にお金を渡すような「大きな政府」は無駄じゃ無駄じゃ、と思うわけですね。

社会保障学者たちは、始末に負えないインチキ経済学者の相手をする以上に、こういう国民の迷信をなんとかする必要がありますよ。

労働教育より先に年金教育が必要というのが、本日のオチでしたか。

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コメント

そう言えば、その手の行革爺さんと言えば「火の玉教授」も当てはまりますよね。
http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/44_723e.html
『日本人よ、お金を使うな!』 http://p.tl/RFRR って本でネオリベ張りの主張をしたかと思うと、"消えた年金"に憤るのは矛盾しているのでは?と訝ったのですけど、なるほど「俺たちが若い頃に預けた金が消えている筈は無い」って思っているんでしょうね。

確かに、一連の記録問題や年金特別会計の資金使途の問題に関して、「自分の預金が消えた」という誤解を前提として論じる人は多いような気がします。
純粋に、「自分の預金が消えた」という憤りに基づいて、論じる方とか。
(勿論、これらの事案は”執行の現場を含めた、しかし全てを現場に帰すことは出来ない諸々の構造上の”問題ではあると思いますが、正しい前提知識の上で問題を論じて欲しい。)

受給世代・識者もですけど、立法関係者の中にも居られる気がします。(気がするだけです。)

それにしても、今回のエントリは、私が漠と感じていることを文章にするとこうなるなぁと思いました。(私の文才では、上手く書けないので。)

現年金世代が、現若年/中年世代の租税公課を財源にして、年金として分配される(という国の仕組みである)事を知らない、または、知っているが意識していない、とはとても思えません。

じさま達って、本当にそんなにお馬鹿さんかな。
そういう人もいるだろうけど、それは負担金に「保険料」なんて詐欺的源氏名をつけた側の責任でしょうよ。

そもそも現役受給世代ってのは日本の労働者人口が減少することなんて想像もつかない時に社会に出た世代なわけで。
そもそもの制度設計がおかしいんじゃねえのか、え?わしの取り分減らすってどーゆーこっちゃ。ってな怒りが湧いても致し方ありますまいて。

>日本の労働者人口が減少することなんて想像もつかない時に社会に出た世代

であるならば、そういう世代から「少子化を食い止めるための政策を!」という声が出てきてもおかしくないんですが…

現実には
「少子化をごまかして持続可能な制度だと嘘をつく厚生労働省の官僚が~云々」
って話ばかり聞こえてくるのが不思議ですよね。

「ラディカルな小さな政府」を唱える政党や政治家の方々は「高齢者の年金を削ろう」とはあまり大きな声では言っていない(ように思えます)。よくよく主張を聞いて考えれば「ラディカルな小さな政府」⇒「社会保障の縮小」⇒「年金が減る・医療費自己負担が増える・介護費用の自己負担が増える」とわかるのですが、「官僚や族議員が税金を食い物のしている」⇒「財政状況悪化」⇒「消費税増税・社会保障破綻」という論理で、小さな政府志向の政治家の方々は話をしますし、そう説明された方が高齢者(を含む多くの人々)にも受け入れられやすいと思います。

のほほ様

少子化って食い止められるでしょうか。
国民の年間所得が世界の上位水準に達したあたりで高度成長期が終わるのはどの国も同様で。
それが終わると人口増は止まってしまうのが自然なこと。
婚外子を認めるなどの政策を採用し、出生率を多少向上(労働者人口を増加)させたとしても日本経済のパイが飛躍的に増えるわけでもなく。
医療技術の進歩とともに高齢者人口の増加が確実な現在では「比率としての少子化」は止められないものだと思います。
そして受給世代も子の世代が少なく産むことを「仕方が無いことだ」と肌で感じているんじゃないでしょうか。

また、私は「官僚が嘘つき云々」とは思いませんが、制度策定初期の頃、打ち出の小槌を見つけたような気でいた官僚たちがいたことも確かでしょう。
年金制度そのものについての処方箋を持っているわけではありませんので、だからなんなんだ、ではありますけれども。

知り合いの社労士さんに訊いた感じ、”やはり、理解していない人が、想像よりは多い印象”という事らしいですよ。勿論、(誤解に基づくとはいえ)何らかの苦情のある人の方が、相対的にそうした専門家に訴えに行く傾向が強いだろう。それを差し引いても”意外なほど誤解されてる人が多い”という話だったですよ。
で、そのような方は”今まで払った保険料を返せ”と仰るが、もし制度を精算して個々人に保険料の総額を返金するなら、”払った保険料の総額より、受け取り済みの総額の方が大きく、寧ろ差額を国に返還することになる人も多い”とか。

以下私見として。
ところで、”保険”という概念は、元来”掛け捨てを前提にする概念”だし、”掛け捨てに終わる=保険事故が発生しなかった=めでたいこと”という発想を前提にした概念だったりもする。
ただこの国では、何故か”保険=貯蓄性のある金融商品”という認識が一般的だし、”公的年金=社会保障=社会的な再分配の仕組み≠金融商品”という当たり前の前提である筈の認識は、識者が想像する以上に普及してないようにも思う。
確かに政府が金融商品としての貯金(旧:郵便貯金・簡易保険)を手がけたりもしていたので、余計に混同する高齢者の方も居られるのかも知れないけれど。最初期の一時期には、公的年金も郵貯も簡保(の保険&年金契約)も同じ行政組織が所管していたりもしたし。

先刻、書き忘れました。m(__)m

”社会保険”という原理を採用し、”保険料”という名目で原資の拠出を求められる社会保険5制度の範囲内に限らない話として。

広義の社会保障のうち、年金以外は”現役世代が時々の受給者を支えている”と思う人でも、”年金だけはそうは思わない”という人もそれなりに居られるようですし。管理人様のご見解が謝っているという断定は難しいように思います。

カリカリさん

レスありがとうございます。
私も、昔のように子が何人も…というのは無理なことだと思います。
また、先進国で「生めよ増やせよ」政策を採ることも不可能でしょう。

ただ、社会的な事情で子供をつくりたいのに作れない夫婦、結婚したいのに結婚に踏み切れないカップルに対して、何らかの対策を取れないかと思っています。

私事で恐縮ですが、いわゆる団塊ジュニア世代で独り身の私は、老母を抱えた母子家庭、そしてひとりっ子。
結婚相手がいないわけではないですが、収入を考えると、求めた条件を満たす住宅は簡単に見つからず、結婚への道のりは平坦ではありません。

年長者の方に言わせれば、「昔はそれでもやっていけた」のでしょうが、今更ビートたけし氏の少年時代みたいな「長屋で三世代居住」というのは無理な話です。私たちの世代は豊かさ、そして個人主義的生活に慣れてしまったのですから。

せめて、政府による住宅助成や教育への補助(現物給付的な手段で)が行われるようになれば、私のような事情を持つ人も結婚に踏み切ったり、子供を作る気になってくれるかもしれません。
まあ、このご時世、財源の問題がありますけど。
(教育への補助として、将来の年金制度を支えてくれる世代を育てるという意味で、年金で集めたお金を使って奨学金制度を作る、なんてのもいいと思います。これは慶応の権丈先生の受け売りです)

こうした政府による若い世代への支援基盤が確立できれば、大企業正社員のような恵まれた階層だけが「年功的給与体系=生活給的な給与加算」を享受できる体制を変えていくこともできるのではないかと。(ここはhamachan先生の影響大です・汗)

長文失礼しました。

ネオリベ的に言うなら、「保険」なら民間の金融商品で十分、最低限の生活保障なら「年金」と銘打つのではなく税財源から生活保護なりBIなりで支給すべき、となるんでしょうね。それはそれで福祉論・社会保障論的にもスジは通っていると思います。

のほほ様
>社会的な事情で子供をつくりたいのに作れない夫婦、結婚したいのに結婚に踏み切れないカップル
個別の事情はともかく、全体として見た場合「経済的理由」が最大公約数ですよね、恐らく。
が、夫婦になろうという二人の片方または双方が無職で無い限り、共働きを選択すれば大企業に従事していなくとも、普通に生活できるはず。
それを結婚・出産に踏み切らないのは出産育児に伴う妻の離職、夫のみの収入に頼ることの不安、望めない年間所得の増加、などのネガティブ予測のためなんでしょう。

しかし実は国としては1.2程度の合計特殊出生率も地域差が大きいものでして。
南国の離島を中心に2.4以上の市町村も幾つかあります。
親と同居するのが当たり前の地域では政府の何の補助も無くとも子作りしてるんですね。
持ち家があることが前提にはなると思いますが。

都会にしか仕事が無い。都会に労働者人口が集中する。住宅相場は地方との格差がべらぼうに高い。
売り払える不動産を持っているような人以外が2世代同居可能な家を購入するなんて全然無理。
ってなところで0.8未満の恐ろしく低い出生率の地域(渋谷区など)が出るんじゃないかと。若者だらけなのに子ができない恐ろしい地域ですな、考えたら。

特定の世代や年代やライフサイクルをターゲットに給付や補助などといった施策で問題解決を目指すと、多地域に対する悪平等が生じ、上の問題には何も応え得ない。

地方法人税とは別に、政策として地域別法人課税制度などで住宅相場水準の低い地域に企業を誘導したりするだけで全体の出生率って上がりそうな気がしてきました。
って、適当な思い付きにもほどがありますね(笑)
こちらこそ長文返しで失礼いたしました。

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