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2010年7月11日 (日)

第4の原理「あそしえーしょん」なんて存在しない

下の「冷たい福祉国家の幻想」のdojinさんのコメントがつきました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-a1fa.html

このあたり、ちょっと筋道はずれますが、むかし本ブログのあるエントリのコメント欄で、(妙なイナゴ諸氏の乱舞するなかで)ちょっとやりとりしたことがあります。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b2d6.html(構造改革ってなあに?)

>いなば: あと、飯田君はご自分の経済政策論と労働・社会政策論をそんなに無理矢理対立関係におかれる必要はないと思います。
ぼく自身は『教養』では連帯指向の社会運動・社会政策にもっぱら「後衛」、マクロ経済的に言えばビルトインスタビライザーとしてのみ肯定的な位置づけを与え、好況期にはむしろ市場にとっての死荷重と化す、としましたが(だからこそ「ケインズ主義最小国家」なんてアイディアも出てくる)、最近はちょっと違った風に考えています。

学校教育も労働組合も社会保険も、それどころか民間の保険でさえ、営利企業によってでもまた国家によってでもなく、民間レベルでの慈善や社会的連帯運動によってはじめられ、それがやがて、あるいは営利企業によって運営可能となり、あるいはまた国家によって制度化されるようになった。(ここにインターネットを加えてもよい。あるいは永瀬唯『疾走のメトロポリス』INAX出版、を参照。)このように、ある種の新ビジネス(セットアップコストがひどく高いとか、外部性が大きいとか)は、その立ち上げ時においては連帯の思想に支えられた協同主義的社会運動によってこそうまく運営できると思われる。いわゆる社会政策の少なからずはこれに当てはまると思われる。(ここではかつての慈善、そして国家におけるパターナリズム問題の検討は保留する。)

以上を踏まえれば社会運動・社会政策は市場経済の支配する社会においても、ただ単にセーフティーネットやスタビライザーを提供する「後衛」としてでなく、イノベーション・インキュベータとして「前衛」でもありうるのだ、と言えそうです。ただし「前衛」の宿命として、敗北を通じてしかその成功はあり得ないのでしょうが。

>hamachan: 第2、今回新たに書かれた点についてはよく理解できないところが多いのですが(従って誤解に基づくものとなっているかも知れませんが)、わたしは、第4の原理として「あそしえーしょん」があるというたぐいの議論には、何重にも眉に唾をつけることにしております。人間という生き物は、協働と脅迫と交換という3つの原理の間をぐるぐる回ることしかできないものだという諦観から出発しないと、またぞろとんでもない失敗をしでかしかねないのではないでしょうか。

>いなば: 「第四原理としてのアソシエーションは信じない」「協同と脅迫と交換だけだ」というのはごもっともです。私は別に第四原理について、柄谷的アソシエーションについて論じたつもりはございません。濱口先生の仰る「協同」についてのみ念頭に置いております。それが『仲間』を超えられないんじゃないかという濱口先生の懐疑も十分に理解しておるつもりです。
この手の議論としてもっとも風呂敷が広かったのはかつての岩田昌征先生の三極図式、「自由-平等-友愛」に「市場-計画-協同」を対応させ、更に「資本主義-中央計画型社会主義-自主管理連合型社会主義」を重ね合わせて理解しようとしたあれですが、あの図式は歴史の審判に耐えられませんでした。
関連してぼくが興味深く読んだのはジェーン・ジェイコブズの『市場の倫理 統治の倫理』です。彼女によれば一貫した道徳理論には二種類、垂直的な統治の倫理と、水平的な契約・市場的取引の倫理しかない、ということになります。第三の倫理、協同組合主義者や共産主義者が夢見た水平的連帯の倫理というものはそもそも存在しない、というのです。それは(ぼくなりにパラフレーズすると即自的な自然発生的共同体のなかでしかありえず、文明社会の形成原理には成り得ない、というのでしょう。

>hamachan: 第2の論点については、どうも基本的な認識に違いはないようなので、私が稲葉先生の仰っているご趣旨を誤解したということにようですね。ただ、言い訳すると、わかりにくいですよ、あの文章は。しかも、私は柄谷さんを例に挙げましたが、ご承知のように、一番それに近い主張をされているのは松尾匡さんです。対談集を出されたばかりでもあり、ついその影響かな、と先回りして考えてしまいました。

http://www.std.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/shucho7.html

我々の手持ちのカードは、国家と市場とムラなんですから、その原理をどう組み合わせるか、で考えていくしかない。労働組合も社会保険も、もとはムラの助け合いの原理でしょう。それをもっとマクロ社会的に作動可能にするために、国家権力や市場メカニズムをどう組み合わせていったか、というのが社会政策の歴史であり、福祉国家の発展史なのであって、どこぞ宇宙から「ねっとわーく」なるものが降って湧いたわけではない。

0236930 ごく最近も柄谷行人氏が『世界史の構造』(岩波書店)という大部の本で、世界史は3つの原理の絡み合いというところは全くその通りなのに、第4の原理として「アソシエーション」を持ち出しています。そう言うのが一番危ないのですがね。

たぶん、現在の組織のなかで「アソシエーション」に近いのは協同組合でしょうが、これはまさに交換と脅迫と協同を適度に組み合わせることでうまく回るのであって、どれかが出過ぎるとおかしくなる。交換原理が出過ぎるとただの営利企業と変わらなくなる。脅迫原理が出過ぎると恐怖の統制組織になる。協同原理が出過ぎると仲間内だけのムラ共同体になる。そういうバランス感覚こそが重要なのに、そのいずれでもない第4の原理なんてものを持ち出すと、それを掲げているから絶対に正しいという世にも恐ろしい事態が現出するわけです。マルクス主義の失敗というのは、世界史的にはそういうことでしょう。

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コメント

> 交換原理が出過ぎるとただの営利企業と変わらなくなる

そうとも言えませんよ。営利企業はそれ以上に形態が制限されていますからね。交換と言うだけならば、お金と交換しなくってもいい訳ですよ。物々交換とか。

 いや現実には、閉鎖共同体になって、これでいいのだと腐敗を開き直る協同事業体がたくさんあるから、別途「アソシエーション」概念を必要とするのだと思います。閉鎖性なり、上意下達なり、事業拡大の一人歩きなりが進むとなぜいけないかの根拠のためにある「ネガ概念」だと。
 こんなものを一直線に実現できるはずはないので、実際には既存三原理の交代しかないのですが、なぜ交代する必要があるかの根拠としてアソシエーション概念は要ると思うのです。交代を繰り返す中で、長期的に見て、ヨリ開放的になることと、ヨリ合意的になることとを両方目指すことはできると思うので。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/JiKouRouKouen.ppt
とか
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/lecture090425.ppt
とかをご覧いただければ。ちなみに後者は某法制化運動団体での講演ですが、恒例の雑誌掲載原稿の話は来なかった。忙しいからその方がこっちは助かるのですけど。

 ちなみに、アソシエーションの分配原理は交換原理だと思います。マルクスもそう言っているし(笑)。
 それから、分配原理にはあと、「盗み」とか「騙し」みたいなのもあって、私が思うには、脅迫原理は、「仲間だから」ということで同胞連帯の一種とされて正当化されるか、「他人相手だから」ということで「盗み」や「騙し」の一種として正当化されるかしないと持続できないと思います。
 だから、大きく分けると交換原理と共同体原理の二種類で、共同体原理が同胞連帯原理と外部収奪原理の二面を表裏一体で持っているという整理になるのではないかと思います。

いや、「ネガ概念」だと分かった上で使うのならいいのですが、往々にして、いつのまにか「ポジ概念」になって、人々をあらぬ方向に駆り立ててしまうのです。
それがまさに「はだかの王様」現象なんじゃないでしょうか。

たぶん、すごく近いことを言っているように思うのですが。

第4の原理に対する警戒も必要ですが、
3者のバランスと聞いて、配合を均等にすればそれでいいと考える人達の軽薄さも問題です。
たとえば「中道」なんて言葉の奇妙さ加減は、戦後日本社会の政治意識の発達を大きく妨げたように思います。

とにかくも思考停止したがる方々の多いことで・・・。

http://alfalfalfa.com/archives/5226247.html
http://hiro.asks.jp/83149.html
「円安で個人支出は確実に増えて、給料は増えないけど、バラ色らしいです。」

あそしえーしょんとは関係が薄いのですが
voiceがなくても財政政策(や金融政策)で世の中がバラ色になる(わけない)
というお話。

voice and exit または 金融政策がトッププライオリティでうんたら
のエントリにつけた方がよかったかもしれませんが

利害調節すり合わせのため
脅迫も話し合いも闘争も交換もなくて
バラ色の未来

というのでここにぶら下げさせていただきました。

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