法律抜きに公務員労働問題を論じても役に立たない
金子良事さんが、先日の刑務官の話の続きを書かれていて、部分的には同感できるところもあるのですが、根本的に、公務員労働問題は公務員法制によって規定されているという点についての認識がいささか足りないのではないかと思われる記述が散見され、この問題に詳しい人であればあるほど、「なんやこれ、なんもわかっとらんやないか」になってしまう危険性が高いように感じられます。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-169.html(対案なしでは議論にならない:続刑務官の待遇改善のための労使関係論)
このエントリを読んでも、国家公務員法における争議禁止規定を削除させることがまず第一とは書かれていません。その中で、
>たとえば、ストを打つということです。争議権がないじゃないかですか。それはそうですね。でも、少し考えてみましょう。ここ数年間で印象に残っているストは何でしょうか。私の中では2008年の漁業と2004年のプロ野球です。両方1日しかやらなかった。それもやる前からストをやる事実上の意味はほとんどなかったんです。でも、彼らは実行した。社会にこういう問題があるよと訴えるために。
というのは、端的に刑罰の対象となる犯罪行為を断行せよと煽り唆しているのと同じことです。
プロ野球選手は労働者性の問題があり、労働組合法上の保護を受けられるかどうかという問題はあります。しかし、保護が受けられないとしても、それはそれだけのことであり、ストをやったプロ野球選手が刑事罰を受けるわけではありません。
労働組合法上の保護の有無如何に関わらず、プロ野球選手が「社会に訴えるために」ストライキをやることは刑罰の対象となる犯罪行為ではありません。
>刑務官は本来、ストを起こすべきではない立場にある。しかし、にもかかわらず、ここで訴えなければならない、という文脈だとかえって争議権なんかない方がいい。もちろん、実際、本格的に1日ストを打ったら大変でしょうから、治安維持が出来るギリギリの範囲で、部分的に何かの業務をやらない、という形で十分です。それで十分に社会の関心を集めることが出来るでしょう。
団結権のない刑務官であれ、団結権だけはある普通の非現業公務員であれ、あるいは団体交渉権まである現業公務員であっても、ストは「起こすべきではない立場」などという生やさしいものではありません。法律で禁止される犯罪行為でおり、あえてやれば刑事罰が科せられます。
このあたりの感覚のずれは、公務員労働法制を語る上ではいささか致命的であるように思われます。
わたしの年代では、スト権ストというのはリアルな体験なのですが、それこそまさに労働基本権問題に「社会の関心を集めるため」に「ここで訴えなければならない」と、事態を勘違いした指導者たちによって多くのランクアンドファイルが振り回され、やがて手痛いしっぺ返しを受けることになった出来事でありました。しかし、それはある意味で自業自得であったのです。
そういう歴史的経験を知っている人を相手に、あまり迂闊な発言はいかがなものかと思います。労使関係は単色ではありません。
(追記)
金子さんがリプライ「お叱りにお答えして」を書かれ、そこにわたくしがコメントしていますので、ご覧下さい。
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-170.html
おそらく、研究者同士のやりとりとしてであれば、「もう一歩踏み込んで内在的に根本的なレベルまで批判して欲しかった」というお言葉はまことにもっともであったと思われます。
しかしながら、まさに道理を知らぬ者たちから無理無体な悪者攻撃を受けている中で、一歩でも二歩でも物事を進めようとしている実務の世界の無名の原田甲斐たちからすれば、
>ちなみに、こういう問題を考えるときには労使関係論の教科書なんか読んでも全くダメで、読むなら山本周五郎の『樅の木は残った』新潮文庫に限ります。
という言葉はあまりにも悲しいのではないか、ということです。言う相手を間違えています。
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