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2010年7月10日 (土)

「冷たい福祉国家」の幻想

そういえば、稲葉振一郎先生が、最近こんなことを呟いているのを発見しました。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20100630/p2

>最近「分配する最小国家」はぎりぎり可能だとしても「冷たい福祉国家」はありえへんような気がしてきた。

どんなに豊かな社会にも落ちこぼれた少数の不幸な人々は存在し、マクロ経済政策やベーシックインカム型のルール型・普遍的制度設定型政策はそうした人々を減らす役には立っても、そうなってしまった人をケアする役には立たない。どうしても誰かが「権威」を背負って押しつけがましく時に暴力的な「ケア」、つまりフーコー的にいう「統治」を担わないわけにはいかない。

というと福祉プロパーや左翼からBIに流れてきた人は嫌な顔をするだろうか。

もう今から4年近く前になりますなあ・・・。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_cda3.html(冷たい福祉国家)

>いや、もちろん、原理的に考えるのが好き(あるいは得意)な人と、現実のごちゃごちゃしたのから考えをめぐらすのが好き(あるいは得意)な人とでは、ものの考え方の筋道が違うんだなあ、ということに尽きるんですが・・・。

そもそも「冷たい福祉国家」ってなんやねん、そんな訳の分からんもん、あるかいな、と最初に感じてしまうともうなかなか話についてけない。年金のもとが軍人恩給であり、障害者対策のもとが傷痍軍人対策であるように、福祉国家とは熱い戦友の共同体、戦場で共に死線をくぐった「仲間」が、冷酷な資本主義の「悪魔の挽き臼」に放り込まれ、貧困と屈辱にあえぐ姿が、戦友たちの怒りを呼び起こし、国家という「想像の共同体」の名の下に、悪逆非道な資本家から資源を取り上げて、彼らに再分配せよ、と発展していったわけで。それがやがて、「銃後」の戦場で戦う戦友たちにも広がり、ひいてはネーション共同体全てが戦友化することによって普遍化していったのが福祉国家なるものであって。まあ、広がっていくと共に、「熱い」福祉国家はだんだん「生暖かい」ものになり、「生ぬるい」ものになってはきたけれども。

そういう福祉国家の「熱い」原点を抜きにして、小役人が眠たい目をこすりながら書類をいじるような手つきで、「再分配する最小国家」だの何だの言ったって、そもそもそんなものを追い求めなきゃいけないモチベーションがありゃせんわな。「冷た」くなったら福祉国家じゃないのよ。私的自由がそんなに大事なら、再分配する理由なんかありゃしない。勝手にさらせ、だけでしょ。

すっごくベジョラティブな言い方をすると、テツガク者とケーザイ学者だけで福祉国家を論じてると、その一番大事な根っこが消えてしまうように感じられる。資源を一方的に奪われる側にとっては何のアピールもない話にしか思えない。みみっちいベーシックインカムといえども、そんな得体の知れない金を出す義理はない、ってことになるだけ。結局、福祉国家なるものが可能だとしたら、それは、いかに仮想的であったとしても、何らかの戦友共同体を構築するところにしかないのですよ。どんなに就労困難な重度障害者であっても、社会に参加し、貢献している「戦友」なんだといったようなね

あのときに比べると、(分かっている人、分かっていない人含めて)ベーシックインカムを振り回す人が格段に増えたのは確かですが、ものごとの筋道は何にも変わっていないと思いますね。

(追記)

分かる人には今更ですが、分からん人もいるようなので

武器も持たずに「てめえの顔なんか見たくもないが、さっさと金をよこしやがれ、この野郎!」といわれて、喜び勇んでお金を差し上げる奇特な人はそうそう世の中にいないということ。

人類の行動原理は、おおむね「これあげるから、それをちょうだい」という交換の原理、「これをされたくなかったら、それをよこせ」という脅迫の原理、「友だちだろっ、仲間だろっ、ねっ、ねっ、だから・・・」という協同の原理に尽きるのであって、市場経済に基づく福祉国家というのはそれを適度に(どの程度が適度かは国によって様々だが)混ぜ合わせて動かしているわけで、そのいずれとも明確に矛盾する原理で世の中が動かせるなどと思わない方がいい。

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コメント

BIを、例えば交換の原理で、考えることもできると思うが。とは言え、「そんなものはBIではない」という人もいそうですがね。

おっしゃることはわかりますし、私も福祉国家に対するhamachan氏の認識には基本的に同意しますが、このエントリ(および前回のエントリ)はあまり生産的な議論とは思えません。

そもそも、「冷たい福祉国家」という立岩氏の議論は、障害者福祉政策を巡る国家と障害当事者の関係を巡る、パターナリズムや障害者の生活への介入など、福祉国家における専門家支配の問題を踏まえたものです。そしてそれはhamachan氏もご存知のように、戦後障害者福祉政策の骨格あるいは細部に埋め込まれ、今なお続いている歴史的史実です。

そこを一つの問題意識の基点として議論している人に対して、他の視点(福祉国家が階級闘争・階級連合を一つの要因として形成されてきたという「熱い」史実)を横からぶつけて、「分かっていない」というだけでは、あまり有益な知見も認識も生まれませんし、
異なる問題意識・現状認識が2つあるのだと叫んでいるにすぎないのではないでしょうか。

hamachan氏が福祉国家の「熱さ」を「一番大事な根っこ」と携えるのは結構ですが(私もそれなりに共有いたします)、それはhamachan氏の学問的立場および社会的立場からのものであることは十分に認識すべきです。

稲葉氏の発言は、このような(左派の中でも)異なるベクトルを生じさせる福祉国家の悩ましさをどう調和させるべきかという思想的・現実的難問を考える上で、『「分配する最小国家」はぎりぎり可能だとしても「冷たい福祉国家」はありえない』という結論に達したと解釈するべきであって、一方が大事な根っこで一方がより瑣末な勘違いとか、一方が現実的で一方が現実から乖離したテツガク的思考であるとか、そういうことではないと思います。

hamachan氏の提示されている論点は、
政治的議論の関心を、経済的生産性の向上と人権の尊重だけでなく、道徳的・精神的な面にも置くことが必要ではないかという点だと理解しました。

ケネディが、正義を国民生産の規模と分配だけでなくより高い道徳的目的に関わらせ、その演説で
「GNPはアメリカのすべてをわれわれに教えるが、アメリカ人であることを誇りに思う理由だけは、教えてくれない」
と、あえて私見を述べて、アメリカ人の国に対する誇りを呼び起こし、同時に、コミュニティ意識にも訴えたように。
(参考:マイケル・サンデル「これから正義・・・」)

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