職業訓練の社会的地位について
金子良事さんの
http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-165.html(トレードやプロフェッショナルが尊敬されない世界では職業訓練の未来は暗い)
>私は日本で職業訓練が冷遇されているのは、稲葉さんのようにその対象が学校・企業というルートからこぼれ落ちる人を対象にしていると考えるのではなく、トレードおよびプロフェッショナリズムが定着していないからだと考えている。
という考え方には、実は半ば同意するのですが、
(これは実は二村一夫先生の「クラフト・ギルド、クラフト・ユニオンの伝統の欠如」論とも通ずるのですが)
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/lhcontents.html
そういう中過去レベルの議論でなくて、もすこし近過去レベルでいうと、日本社会で本格的に公的職業訓練がどうしようもない落ちこぼれのいくところという風にみられるようになったのは高度成長末期以後、1970年代以降のことであって、それまでは地域の中小企業の基幹的人材を養成してくれる機関として、それなりの社会的地位があったのだという方向での議論も必要ではないかと思われます。
専門職への侮蔑も、もともと大企業を中心にそういう傾向があったとはいえ、日本社会全体に瀰漫するようになっていくのは、やはり1970年代以降、わたくしのいう「企業主義の時代」が政府でもアカデミズムでも一般世論のレベルでも主流化していく時代精神のなかで進んでいった事態ではないかと思うのです。
我々は自分が幼かった頃の時代精神を意外に忘れきっているものです。最近何回も書いていますが、1960年に書かれた国民所得倍増計画を読むと、その素朴なまでの近代主義的志向は、1970年代以降の知的世界を知っている人間には驚くほどのショックを与えます。
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先日からこの辺の職業政策変遷史的なお話非常に興味深く読ませて頂いています。ぜひ、戦後の職業意識と制度、政策の転換のお話を総じてさらってみたいものです。
総論的な社会史は見受けたことがありますが、労働市場からみた各論的かつストイックな概略史は寡黙にしてしりません。
確かに、「企業精神時代」になりきってしまった後の祭りといわれれば、そうなのかもしれませんが、非常に重要な転換点の具体的示唆だと思えます。
こういう話を地道に社会学や他の学問分野、ジャーナリズムの人間がさらにさらっていって、何かを見直すきっかけにしていければなぁ・・と思える話です。
ホントに、そう遠い昔の話でもない、おっしゃるとおりです。
近頃、親の世代(60代)の人に昔の就職や、職業の話を聞いているだけで、先生のおっしゃること身にしみて良く解ります。
世代間の対話の円滑化と言う意味でも、意味がある話に思えます。
投稿: 半玉すいか | 2010年7月22日 (木) 08時59分
半玉すいかさんのご要望に応えるものではないと思いますが、わたしなりに近代日本とりわけ戦後日本における人材養成の政策制度史をまとめてみたものが、もう4年前のものですが、
http://homepage3.nifty.com/hamachan/dualsystem.html">http://homepage3.nifty.com/hamachan/dualsystem.html
(デュアルシステムと人材養成の法政策(『季刊労働法』第213号))
です。
ただ、まさにこれは日本社会全体の思想史的転換を背景にしていますので、政策制度史を超えた思想史的アプローチが必要な領域だと痛感しています。おっしゃるとおり、「社会学や他の学問分野、ジャーナリズムの人間がさらにさらっていって、何かを見直すきっかけにしていければなぁ」と思うところです。
投稿: hamachan | 2010年7月22日 (木) 10時00分