フォト
2019年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

« 労働教育についてのささやかなコラムの小さな影響 | トップページ | 日本の税制、どう変えるか? »

2010年7月21日 (水)

卑劣な第3法則の効果

批判したこともあれば、批判されたこともありますが、わたくしはネット上のいわゆるリフレ派のなかでは数少ない(唯一とまではいわないまでも)知性と良識を兼ね備えた方であると敬服しておりました。

http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20100721/p1(無期限休筆宣言)

わたくしのように、素顔を晒してブログを書いている人間であれば、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/3_a7ad.html

池田信夫氏の第3法則:池田信夫氏が議論の相手の属性(学歴等)や所属(組織等)に言及するときは、議論の中身自体では勝てないと判断しているからである蓋然性が高い

というたぐいの卑劣な中傷を受けたところで、(一時的には変なイナゴが湧いてくるにしても)物事を議論の中身をじっくり読んで判断する人にはちゃんと判断されるはず、という安心感がありますので、まあそれほど打撃を受けることもないのですが、bewaardさんのように(その知的道具立てはその所属組織の刻印が強く感じられるにしても)敢えてその正体を隠してその所属組織の方向性とは異なる政策的立論を唱えてきた方にとっては、「正体ばらすぞ、ゴラァ」という脅迫が、その論者としての生命を絶ちきるほどの脅威であったことは十分理解できるところです。

ネット言論の一つの可能性が無造作に拗りとられる瞬間を同時代的に観察できたことは、言説における悪貨が良貨を駆逐する条件がどのようなものであるかを考察する上で大変有益でありました。

また、本ブログのコメント欄でかつて見られたように、「同じリフレ派だから」という卑小な仲間意識による正義感の鈍磨が、結果的にどのような事態を招くかという大変よい社会学の教材になったのではないかと思います。ねえ、稲葉先生。

(追記)

本家3法則氏が、えせ3法則氏を批判するの巻

http://twitter.com/ikedanob/status/19235623342

>話題になっているbewaad氏の「無期限休筆宣言」。霞ヶ関の「良心の声」が聞ける貴重なサイトが、不心得者の暴言で消えてゆく・・・

ご自分の行動様式を抜きにすれば、まさに仰るとおり。

« 労働教育についてのささやかなコラムの小さな影響 | トップページ | 日本の税制、どう変えるか? »

コメント

3法則氏と同じような文体、同じような感性、しかも職場まで同じですね。

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/bewaad/20110401

このアドレス、ブックマークとコメントのみのこして
本文が消えておりますね。

おそらく、ぐさっとくる文章(事実に基づかない妄言の指摘など)を書いたせいで
誰かにまた脅されたせいではないかと

正直、不思議でならないのですが、おそらくそれまでリフレなどに関心のなかった人々を、もっとも説得的にリフレ派シンパにするのに力があったと思われる、その意味ではある時期まで「リフレ派」の功労者第一人者であったはずのbewaadさんを、これほどまでに陋劣かつ残忍に脅迫し誹謗することによって、一体誰が得をし、誰が損をするかという、ごく単純な政治力学計算の初歩を弁えた人々が、現在の「りふれは」方面にはどうやら殆ど居ないらしい、という点が、わたくしには理解を絶するところです。

もちろん、bewaadさんに卑劣な中傷攻撃を加えている御当人はどうしようもないとして、その友人であろうと想像される人々の、この政治的リンチへの平然たる傍観ぶりは、彼らの人間性を疑わしめるものがありますね。かかる事態を目の当たりにすれば、かつてbewaadさんの文章によってリフレ政策に開眼したであろう多くの真っ当な人々をして、「りふれは」なるおぞましい集団から能う限り距離をとろうという行動以外の何ものをも生み出さないと思われるのですが、そういう懸念のかけらすら見当たらないという点に、正直言葉を失います。

しかし考えれば、こういう現象は、イデオロギー集団には繰り返し見られたことなのかも知れません。ある種の左翼集団において、外部に対する宣伝機能という意味で有意味であったはずの人々が、原理主義者によって日和見主義者だとか修正主義者だとかといった汚名を着せられ、十字架に磔にされて消えていった歴史は山のようにあるわけで、いま「りふれは」方面で生じている現象も、そのような知識社会学的な分析の好事例ということになるのでしょう。

個人的には、「りふれは」が自滅するのは勝手ですが、それを自らの手柄のように本家3法則氏が誇示する姿は、あまり拝見したくないところです。

上のエントリで

また、本ブログのコメント欄でかつて見られたように、「同じリフレ派だから」という卑小な仲間意識による正義感の鈍磨が、結果的にどのような事態を招くかという大変よい社会学の教材になったのではないかと思います。ねえ、稲葉先生。

と言っておいた当のその稲葉振一郎氏が、こんなつぶやきをしているのをちらと垣間見て、

https://twitter.com/shinichiroinaba/status/757184163560591361

平気で嘘をつき差別的言辞をするのびーといまだに付き合ってる人は人間的に信用できない。だからどんなに業績があっても池尾和人先生も玉井克哉先生も最終的なところでは信用できない。

いや、ここに書かれていることそれ自体はまったく同意するものですが、その「のびー」をまったく人格的に同類である上記「りふれは」に入れ替えてそのまま読み下してみれば、このつぶやきが見事なまでに自分自身に対する壮烈なブーメランになっていることに、まさか気がついていないような稲葉さんでもあるまいに、と思いたいところですが・・・。
それともそこだけは都合よく見えないようになっているのかしら。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 卑劣な第3法則の効果:

« 労働教育についてのささやかなコラムの小さな影響 | トップページ | 日本の税制、どう変えるか? »