蓼沼謙一『戦後労働法学の思い出』労働開発研究会
労働開発研究会の末永さんより、蓼沼謙一先生の『戦後労働法学の思い出』をお送りいただきました。実は、わたくしは世代が違いすぎて、蓼沼先生と直接お会いして言葉を交わしたことはないのですが、その著作集は以前から読ませていただいておりました。
本書は、労務屋さんの言葉を借りれば「多くは一人称で書かれた自伝的な本ですが、労働法学の目からみた戦後労働運動史という趣もあり、労働法学がさまざまな局面と格闘してきたことに思いを致されます」という本でありまして、我々のような世代からすると神話伝説に属する時代の生き生きとした証言となっております。
http://www.roudou-kk.co.jp/books/
>•本書は戦前の僅かばかりの蓄積のうえに、第二次大戦後になってほとんどゼロから出発した戦後労働法学の草創期に労働法研究を志し、常にその第一線で学界をリードしてこられた蓼沼謙一先生による労働法学50年の回顧であり、ご自身の長年にわたるご研究についての回顧録である。
•本書は季刊労働法上に連載された論説をまとめ、先生ご自身による大幅な加筆修正が行われ、決してその題名通りに思い出の書にとどまらず、なぜ労働法を研究するのかなど、これからの世代に対する強烈なメッセージが込められている。
内容は以下の通りですが、
日本的雇用システムについて書かれた項もそれなりに面白いですが、やはり激動の時期をくぐり抜けてこられた先生の自伝としての部分がなにより興味を惹きます。
一点ちょっと気になったことをメモ。末弘中労委のところで、「今日では信じがたいという人が多いであろうが、初期中労委には、末弘会長の意向により、戦後再建された日本共産党の初代書記長、徳田球一氏が労働者委員が加わっていた」という記述があります。
わたくしが『労使コミュニケーション』に書いた「労働行政」で引用した終戦直後の時代の労政課長だった中西実氏の回顧録では、
>この人選は中西労政課長の判断で、幣原首相が「共産党を公的機関に入れるのは早すぎる」と怒ったらしいが、本人は「誰にも相談しなかったが、あのころは本省の課長というのはえらかったものだ」と後に回想している*8。
>木田進(1983)『OBが語り継ぐ戦後労働行政史』、1983年。これは中西実へのインタビュー記録である。
と書かれておりました。真相はどうだったんでしょうか。
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