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2010年7月19日 (月)

労働教育についてのささやかなコラムの小さな影響

昨年3月、JILPTのHPのコラムで、「労働教育の復活」という小文を書いたことがあります。

http://www.jil.go.jp/column/bn/colum0119.htm

わたし自身、この研究会の立ち上げに関わったこともあり、是非多くの方々に報告書を読んでほしいという思いで書いたささやかなコラムですが、最近、意外なところでその影響を見ることができました。

http://d.hatena.ne.jp/michiru-nakajima/20100616/1276679351

Voice of Yoshizuka: 職業・労働教育方法の確立に向けて」という教育関係のブログで、このわたくしの書いたコラムが取り上げられていたのです。

>余り体調が良くないので、勉強を中断し、プリント整理などを行っている。

すると、独立行政法人 労働政策研究・研修機構の統括研究員、濱口桂一郎氏の「労働教育の復活」(2009年3月27日に同機構のHPに掲示)というコラムのプリントがでてきた。私が「労働教育」なる言葉を知ったのも、「労働教育」のために自分ができることを、何かしなくてはならない、と決意したのも、このコラムがきっかけであった。

同コラムは、厚生労働省「今後の労働関係法制度をめぐる教育のあり方について」という報告の紹介であった。当時私は、濱口さんのお名前も知らず、全くの無知もいいところであったが(今もそうだけれども)早速、この報告書をダウンロードし、製本して読んだ。そういう作業をしたのも、おそらく、はじめてのことだったのではないか。そして、これだ、と思った。

プロフィールにも多少書いているが、私は九州大学法学部を卒業後十数年にわたって、東京で家庭教師やアルバイトやら、ともかく非正規雇用の仕事をしていた。就職氷河期と呼ばれる時代に、持病もあったため、そういう形態で生きていた。社会が二極化していこと、自分が間違いなく「下方に」移行していくことを肌で感じていた。そして、周囲のアルバイト仲間が正規雇用の労働者以上に、心身を擦り減らすような労働をしているにもかかわらず、「下方」からは這いあがれない構造になっていることをも肌で感じていた。そういうなかで、多くのひとの気持が荒れていくのも感じた。この社会は間違っている、と思った。

その後、アルバイトから契約社員の職にありついたのときには32歳を過ぎていた。教育関連の企業に拾ってもらった。ひとり、家庭教師やらボランティアやらでやってきたわたしの「教育」はあながち間違ってもいなかったと思った。教育は自分の仕事なのだと思っている。

またそののちに、福岡で比較的安定した生活ができるようになった。私は、件の社会に対する「間違っている」という怒りと「教育」を結ぶものを探していたのかもしれない。そこに、先に挙げたコラムに偶然出会ったのである。

いまだ、目的地どころか、先の見えない道程を彷徨しているのが現実である。いったい目的地に辿りつけるのか、それが存在するのかすら、本当のところはわからない。しかし、これだ、と思った――思わせた何ものかがあった――という初心は忘れてはなるまいと思っている。

おそらく圧倒的に大部分の方々には、「ふーん、なるほど」というひと言でそのまま読み捨てられていくであろうHP上のコラムが、このように熱く読まれているということ自体が、わたくしにとっては思いがけないことでした。

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コメント

著名なブログに取り上げていただきまして、ありがとうございます。歩みは遅いですが、労働と教育方法の架橋に向けて一歩一歩進みたいと思っております。


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