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2010年6月17日 (木)

「学校のような企業」ってのがまさに日本型システムだったわけですが何か?

elm200さんという方の「Rails で行こう!」というブログに、「学校のような企業を作る」というエントリが載っています。

http://d.hatena.ne.jp/elm200/20100616/1276679462

>気分転換のため、今日は、1年ほど前に私がベトナム語で書いたブログ記事を和訳してみた。新しい時代の企業経営について考えている

ということなので、別に反語でも何でもなく、ベトナムだけでなく日本にとってもまさに「新しい時代の企業経営」という趣旨のエントリなのだろうと思うのですが、

>経営者にとっては、従業員を職場に引き止める方法は、大きな問題の一つです。経営者の希望もむなしく、多くの優秀な従業員たちが会社を辞めていきました。彼らはどうして仕事を辞めようと思ったのでしょうか。私の意見では、次のような2つの主要な原因があります。

1 報酬が十分でない (物質面)
2 会社に大切にされていないと感じる (精神面)

原因 2 (精神面)は次のような要素を含んでいます。

1 人間関係が上手くいかない
2 仕事を通じて自分の能力を伸ばしていく機会がない

要素 1 はどんな会社の従業員にも当てはまります。要素 2 は、ソフトウェア技術者のような専門職の人々にとって、非常に重要です。情報技術(IT)は、近年ますます進歩の速い産業です。もしソフトウェア技術者が自分の技術を磨き続けなければ、あっという間に情報技術の進歩に遅れてしまうでしょう。

また、ハイテク企業が市場での競争力を維持するためには、最新の技術を学び続ける従業員たちが必須です。

そこで私は「学校のような企業」という概念を提案したいと思います。ここでは、会社は単に仕事する場所であるにとどまらず、何かを学び続ける場所でもあります。従業員は、ときにその会社を「卒業」して、他の会社に移ってもかまわないのです。従業員のあらゆる要求を満たすことができる会社は存在しないからです。しかし、従業員は、他の場所での数年の経験の後、より高い地位に就くため、その「学校のような企業」に戻ってくることもできます。これは、開かれた経営モデルです。

現代の経済において、知識の役割はますます重要になっています。私は「学校のような企業」モデルが遠くない将来において当たり前になっていくと信じています。

これ自体は、何もおかしな所もない筋の通った一つの考え方であろうと思います。

この「学校のような企業」ってのが、まさに戦後確立されてきた日本型雇用システムにおける典型的な正社員育成システムであったわけで、企業が学校のようになるのだから、学校は学校のようである必要はない、ということでレジャーランドになったという副産物もあるわけですが、それはともかく、従業員が「会社に大事にされていると感じ」られ、「仕事を通じて自分の能力を伸ばしていける」仕組みというのは、それが可能な限り多くの労働者に適用されることが可能である限り、大変望ましい仕組みであることはいうまでもありません。

elm200さんはその素晴らしい仕組みをベトナムの方に語り、そして日本の読者にも語ろうとされているわけで、そのこと自体には何も文句を付ける必要はありません。

ただ、全く同じ方が、ほんの少し以前のエントリで、

http://d.hatena.ne.jp/elm200/20100610/1276144015(「日本というシステム」は持続可能なのか?)

>私は、日本企業の仕事の進め方、組織の作り方そのものが信じられなくなった。私は、彼らのやり方を常に批判的な目で見ていた。私は、彼らのやり方に染まらないようにしよう、と密かに誓った。日本的な仕事の進め方に批判的だった私は、当然のこと、日本企業で責任のある立場に立つことはできなかった。人々も私が「危険思想」の持ち主であることに勘付いていただろう。私は、言われたままにソフトウェアを作り続ける一介の職人の地位に甘んじるしかなかった。

いま日本企業が行き詰まっている。とくにかつての花形であった、総合家電メーカーの凋落が著しい。ひょっとしたら、彼らの組織の作り方や仕事の進め方が根本的な部分で間違っている可能性はないだろうか。日本人は、仕事と学校の勉強は全く別のものだと考えている。仕事のやり方は、すべて先輩から後輩へ OJT で伝えられる。それは、理論的に検証されたものというより、ある時期、上手く機能した経験則の集大成であることが多い。しかし、そのやり方が機能する前提条件が変化したのに、相変わらず同じやり方を続けようとしてはいないだろうか。

私は、MBA がすべてとは思っていない。だが、日本企業の管理職・経営者は、あまりに過去の成功体験だけに基づいて経営をしていないだろうか。彼らは、少しは経営の理論も学ぶべきではないだろうか

と平然と語っておられるのにはいささか違和感を感じざるを得ません。いや、ここでいわれていることにの中身自体には、それはそれなりに同意できる面もあるのです。従業員が「会社に大事にされていると感じ」られ、「仕事を通じて自分の能力を伸ばしていける」仕組みである日本型雇用システムが、同時に「そのやり方が機能する前提条件が変化し」「行き詰まっている」という面があることも確かでしょう。

そういう日本型システムの両義性を、両義性をきちんと意識しつつ、論ずべき論点に応じて適宜適切に論じ分けることが悪いわけではありません。むしろ、私自身そのように振る舞っております。

しかしながら、このブログの記述を見る限り、どうもあまりそのところの両義性をきちんと意識して書かれているのだろうかという疑義が湧いてくるのを禁じ得ないのですが。

>しかし、日本経済が長期低迷を抜け出すためには、日本人の一人一人が、新しい時代の環境に照らして、古い信念を検証し、捨てるべきものは捨て、残すべきものは残し、新しい信念を形成していかねばならないのではないか。その過程で、日本人は外国企業の経営のあり方や、最新の経営理論からも謙虚に学ぶべきだ。

「日本というシステム」の持続可能性がいま試されている。日本人が厳しく自己と向き合うことになしに、この危機を乗り越えることはできないのではないだろうか

一般論としてはまさにその通りですし、実際わたくしはある面ではそのように考えていますが、それが同時に、上のエントリでelm200さんが賞賛した従業員が「会社に大事にされていると感じ」られ、「仕事を通じて自分の能力を伸ばしていける」仕組みをも崩壊させる危うさをもったものであるという認識を欠いたまま語られることには、危惧の念を禁じ得ないということもまた事実であります。

難しい問題を難しいまま考える精神の緊張に耐える能力は大切です。

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コメント

社内で行われる教育が「将来的にも応用が利くハイレベルなもの」か「先のない、ただ現状行っているというだけのもの」かの違いが問題なのだと思います。

一部の会社はハイレベルな教育も行っているようですが、あくまで一部のようなのが悲しいところです。

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