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『日本労働研究雑誌』第600号

New 『日本労働研究雑誌』が創刊600号を迎えました。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2010/07/

コピペできる部分が、巻頭の辻村江太郎先生の提言だけなのですが、

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2010/07/pdf/001.pdf(『日本労働研究雑誌』600 号記念号に寄せて)

>伝統的な商品市場での均衡理論では,商品供給の不足は,需要超過による商品価格の上昇を招き,それが商品需要を抑え,商品供給を増加させることによって,需給の均衡が自動的に回復しうる,ということだった。
 これに対して労働市場では,供給超過によって賃金が下落すると,それが労働供給の増加をもたらすことによって,さらに賃金の低下を招くという結果になりやすい事が,歴史上の経験によって確かめられてきた。
 単純化して言えば,商品市場での供給曲線が右上がりなのが普通であるのに対して,労働供給曲線は右下がりとなりうることが経験的に知られていたのである。
 右上がりの商品供給曲線は,商品価格の低下によって供給を減少させ,商品価格の上昇によって供給を増加させるから,一般的に右下がりの商品需要曲線との組み合わせによって,需要と供給との均衡が達成されやすい。
 これに対して,労働供給曲線が右下がりだと,賃金の低下が労働供給の増加をもたらすことによって,供給超過による賃金低下が加速するという悪循環を生じやすいのである。
 労働基準法や労働組合法のような,政府による市場介入の制度的枠組みの必然性が正確に理解されるよう,努力を絶やさぬことが大切である。

近年、そういうことをわきまえない一知半解の経済学者もどきが繁殖しておりますだけに、「努力を絶やさぬこと」がまことに大切であります。

『日本労働研究雑誌』の意義ますます重要と言わなければなりません。

さて、辻村先生の提言に続くのは、稲上、大橋、菅野、仁田という労働各分野の大御所による座談会です。

全編読んでいただくのが一番いいのですが、興味深い部分だけつまみ食い的に紹介すると、

>仁田 労使関係論の立場から言いますと、何が問題なのか、ものごとが明らかになっていないというか、非常にアドホックに政策対応がなされているように見えますね。根本的な問題としては、理論がないということ以上に運動がないというところだと思います。運動がないと労使関係論はやりようがない。足して二で割るというのが労使関係論の神髄なんですが割りたくてももとがない(笑)。

労働組合の皆様聞こえていますか?

>菅野 労働委員会の命令が行政訴訟になって裁判所に行くと、裁判官という法律一般のプロによって労働委員会による労働法の解釈が正しいかどうかが判断されるわけですが、法律一般のプロに労働関係の専門的判断を理解してもらうのは非常に大変だと実感しています。法科大学院では労働法は幸い選択科目になりましたが、それ以前は労働法が10年間司法試験科目から外されていまして、そのせいか、裁判所の中に労働法や労働関係へのセンスがない世代ができている感じがしています。

これは、とりわけ労組法上の労働者性をめぐる問題で痛感されておられるのでしょう。

>菅野 個別労働関係紛争関連の調査研究などで明らかになりつつあるのは、中小零細企業レベルでは、法律を作っても及ばないということ、つまりは、どんなに進歩的な法律を作っても、実施段階では労働組合が企業や職場の実態に即して方策を交渉しないとダメだということです。

JILPTでされている研究などを少しお聞きしただけでも、我々労働法学者は、法がどのくらい浸透しているかについてもっと知らなくてはいけないと思います。労働委員会などへ来るケースはひどいケースだと思っていたけれど、それがむしろ普通のケースではないかという印象があります。

これは私たちが行った研究を念頭に置かれているのだと思います。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2010/0123.htm(個別労働関係紛争処理事案の内容分析)

総じていえば、労働法学者は六法全書や判例集に書いてあることが世の中の大部分で行われていると考え、それだからよい、と言いがちであり、労働問題にあまり詳しくない経済学者は六法全書や判例集に書いてあることが世の中の大部分で行われていると考え、それだからよくない、と言いがちであって、価値判断の方向は反対ではあるけれど、そもそもの現実認識が中小零細企業の現実と乖離していることにはいささか意識が乏しいのではなかろうか、ということです。

続いて、欧米諸国と日本の第一線の研究者によるエッセイが並んでいます。

>ウィッタカー ネオリベラリズムの台頭は労働に大きな影響を与えただけでなく、労働研究にも強い影響を及ぼした。石原都政下における都立労働研究所の閉鎖が証明するように、労働研究は、イデオロギーの点で自由市場を信奉する人々と折り合いが悪い。

>ケンブリッジ大学においてさえ、経済学部が新古典派となりケインズ主義を放棄したため、労働研究は厳しい時代に入った。

>日本の労働研究は、ここしばらくは、ネオリベラルの圧力を受けるだろう。

まさに受け続けています。

ちなみに、昨日来訪された韓国労働研究院(KLI)の皆さんによると、イ・ミョンバク政権になってKLIに対する圧力がとても厳しくなっているようです。まあ、ノ・ムヒョン前大統領が労働弁護士出身だったということもあり、労働研究にはどうしても冷たくなるのでしょうね。

日本では連合が最大支持勢力である民主党政権になったので労働研究に暖かくなったかと思うかも知れないが、全然そんなことはなく、よりネオリベラル全開ですと現状をお話ししたら、不思議そうな顔で「理解できない」と言っていました。

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 私の、慶應義塾大学商学部での学部学生時代、、東洋英和女学院大学大学院社会科学研 [続きを読む]

受信: 2011年10月29日 (土) 01時05分

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