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2010年6月

2010年6月30日 (水)

中日劳动政策和法律研讨会在中国人民大学法学院隆重举行

Renda 昨日行われた日中労働政策セミナーの簡単な記事がさっそく中国労働・社会保障法律ネットにアップされています。

ちなみに、上の写真では、私は人陰に隠れて写っていません。

http://www.cnlsslaw.com/list.asp?unid=6532(人大劳动法和社会保障法高峰论坛——“中日劳动政策和法律研讨会”在中国人民大学法学院隆重举行)

>2010年6月29日,中国人民大学法学院、劳动法和社会保障法研究所与日本厚生劳动省共同主办的人大劳动法和社会保障法高峰论坛——“中日劳动政策和法律研讨会”在中国人民大学明德法学楼601国际会议厅成功举行。

    出席会议的中方嘉宾有来自全国人大常委会法制工作委员会、国务院法制办、中国人力资源和社会保障部的官员,来自最高人民法院、北京市高级人民法院、北京市中级人民法院的法官代表,以及来自中国人民大学、北京大学、清华大学、中国社会科学院、中国政法大学、北京师范大学、北京市法学会、北京化工大学、首都经济贸易大学、中国劳动关系学院、中华女子学院以及江南大学等国内多所高等院校、研究机构的专家学者;与会的日方嘉宾有日本厚生劳动省副大臣、国会众议员细川律夫以及厚生劳动省、日本驻华大使馆的其他官员,日本科研机构的专家学者与日本企业界代表

思った以上に中国側出席者が率直な意見を戦わせていたのが印象的でした。中国においてストライキ権は法律上認められているのかいないのか、労働組合の役割はいかにあるべきかなど、そこまで踏み込んで言うかと思うような議論が交わされていましたね。

ついでながら、この日、会場となった中国人民大学の卒業式ということで、おそろいの礼服に身を包んだ卒業生たちが写真撮影をしている面前に、大きく「中日劳动政策和法律研讨会」という横断幕がかかっているのも一興でありました。

2010年6月26日 (土)

中日劳动政策和法律研讨会

中国人民大学法学院のHPに「日中労働政策・法律研究討論会」の予告が載っておりますので、中国語ですがそのまま引用しておきます。

http://www.law.ruc.edu.cn/commu/ShowArticle.asp?ArticleID=25462([研讨会预告]中日劳动政策和法律研讨会[6月29日])

>中国人民大学法学院与日本厚生劳动省兹定于6月29日(星期二)在中国人民大学举行“中日劳动政策和法律研讨会”,特邀劳动领域的各位贤达齐聚一堂,共商中日劳动政策和法律之大计,同庆中国人民大学法学院60周年华诞。

    本研讨会致力于中国和日本共同面对的劳动问题的探讨,将主要围绕“工资及差距”和“劳动纠纷和劳动者权益保护”两个主题展开讨论。中日双方参会人员将分别就两国关于最低工资的发展动向、劳资之间如何实现工资调整、工资调整机制、各类劳动者的收入差距、劳动纠纷的发生情况及最近趋势和纠纷解决机制以及劳动者权益保护相关的其他问题发表看法并交换意见。

    现确定出席本次研讨会的日方嘉宾有:日本厚生劳动省副大臣、国会众议员细川律夫,日本劳动法专家、劳动政策研究研修机构统括研究员滨口桂一郎,厚生劳动省劳动政策担当参事官室企画官中井雅之,厚生劳动省劳动纷争处理业务室长岸本武史和日本驻华大使馆有关人员。中方将有中国人力资源和社会保障部官员及中国劳动法以及劳动政策领域的著名专家学者出席本次研讨会。

    现诚挚热忱地欢迎国内外有志于劳动法、劳动关系研究的学者、法官、检察官、律师以及相关人员积极参加本次研讨会。愿通过本次研讨会能够使中日两国的政府官员及专家学者通过交流能使双方加深互相理解,为中日两国劳动法制及政策的完善做出积极的贡献。

テーマは二つあり、「賃金と収入格差」と「労働紛争と労働者の権益保護」について、日中両国の研究者と行政官がそれぞれ報告をし、討論をすることになっております。

ということで、わたくしもこの研究討論会に出席するため、明日から水曜日まで北京に参ります。その間、本ブログの更新は行われませんし、コメントの公開も行われませんが、ご了承いただきますようお願い申し上げます。

『日本労働研究雑誌』第600号

New 『日本労働研究雑誌』が創刊600号を迎えました。

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2010/07/

コピペできる部分が、巻頭の辻村江太郎先生の提言だけなのですが、

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2010/07/pdf/001.pdf(『日本労働研究雑誌』600 号記念号に寄せて)

>伝統的な商品市場での均衡理論では,商品供給の不足は,需要超過による商品価格の上昇を招き,それが商品需要を抑え,商品供給を増加させることによって,需給の均衡が自動的に回復しうる,ということだった。
 これに対して労働市場では,供給超過によって賃金が下落すると,それが労働供給の増加をもたらすことによって,さらに賃金の低下を招くという結果になりやすい事が,歴史上の経験によって確かめられてきた。
 単純化して言えば,商品市場での供給曲線が右上がりなのが普通であるのに対して,労働供給曲線は右下がりとなりうることが経験的に知られていたのである。
 右上がりの商品供給曲線は,商品価格の低下によって供給を減少させ,商品価格の上昇によって供給を増加させるから,一般的に右下がりの商品需要曲線との組み合わせによって,需要と供給との均衡が達成されやすい。
 これに対して,労働供給曲線が右下がりだと,賃金の低下が労働供給の増加をもたらすことによって,供給超過による賃金低下が加速するという悪循環を生じやすいのである。
 労働基準法や労働組合法のような,政府による市場介入の制度的枠組みの必然性が正確に理解されるよう,努力を絶やさぬことが大切である。

近年、そういうことをわきまえない一知半解の経済学者もどきが繁殖しておりますだけに、「努力を絶やさぬこと」がまことに大切であります。

『日本労働研究雑誌』の意義ますます重要と言わなければなりません。

さて、辻村先生の提言に続くのは、稲上、大橋、菅野、仁田という労働各分野の大御所による座談会です。

全編読んでいただくのが一番いいのですが、興味深い部分だけつまみ食い的に紹介すると、

>仁田 労使関係論の立場から言いますと、何が問題なのか、ものごとが明らかになっていないというか、非常にアドホックに政策対応がなされているように見えますね。根本的な問題としては、理論がないということ以上に運動がないというところだと思います。運動がないと労使関係論はやりようがない。足して二で割るというのが労使関係論の神髄なんですが割りたくてももとがない(笑)。

労働組合の皆様聞こえていますか?

>菅野 労働委員会の命令が行政訴訟になって裁判所に行くと、裁判官という法律一般のプロによって労働委員会による労働法の解釈が正しいかどうかが判断されるわけですが、法律一般のプロに労働関係の専門的判断を理解してもらうのは非常に大変だと実感しています。法科大学院では労働法は幸い選択科目になりましたが、それ以前は労働法が10年間司法試験科目から外されていまして、そのせいか、裁判所の中に労働法や労働関係へのセンスがない世代ができている感じがしています。

これは、とりわけ労組法上の労働者性をめぐる問題で痛感されておられるのでしょう。

>菅野 個別労働関係紛争関連の調査研究などで明らかになりつつあるのは、中小零細企業レベルでは、法律を作っても及ばないということ、つまりは、どんなに進歩的な法律を作っても、実施段階では労働組合が企業や職場の実態に即して方策を交渉しないとダメだということです。

JILPTでされている研究などを少しお聞きしただけでも、我々労働法学者は、法がどのくらい浸透しているかについてもっと知らなくてはいけないと思います。労働委員会などへ来るケースはひどいケースだと思っていたけれど、それがむしろ普通のケースではないかという印象があります。

これは私たちが行った研究を念頭に置かれているのだと思います。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2010/0123.htm(個別労働関係紛争処理事案の内容分析)

総じていえば、労働法学者は六法全書や判例集に書いてあることが世の中の大部分で行われていると考え、それだからよい、と言いがちであり、労働問題にあまり詳しくない経済学者は六法全書や判例集に書いてあることが世の中の大部分で行われていると考え、それだからよくない、と言いがちであって、価値判断の方向は反対ではあるけれど、そもそもの現実認識が中小零細企業の現実と乖離していることにはいささか意識が乏しいのではなかろうか、ということです。

続いて、欧米諸国と日本の第一線の研究者によるエッセイが並んでいます。

>ウィッタカー ネオリベラリズムの台頭は労働に大きな影響を与えただけでなく、労働研究にも強い影響を及ぼした。石原都政下における都立労働研究所の閉鎖が証明するように、労働研究は、イデオロギーの点で自由市場を信奉する人々と折り合いが悪い。

>ケンブリッジ大学においてさえ、経済学部が新古典派となりケインズ主義を放棄したため、労働研究は厳しい時代に入った。

>日本の労働研究は、ここしばらくは、ネオリベラルの圧力を受けるだろう。

まさに受け続けています。

ちなみに、昨日来訪された韓国労働研究院(KLI)の皆さんによると、イ・ミョンバク政権になってKLIに対する圧力がとても厳しくなっているようです。まあ、ノ・ムヒョン前大統領が労働弁護士出身だったということもあり、労働研究にはどうしても冷たくなるのでしょうね。

日本では連合が最大支持勢力である民主党政権になったので労働研究に暖かくなったかと思うかも知れないが、全然そんなことはなく、よりネオリベラル全開ですと現状をお話ししたら、不思議そうな顔で「理解できない」と言っていました。

2010年6月25日 (金)

労働ペンクラブのヒアリング

本日、労働ペンクラブに呼ばれて、ヒアリングということで、いろいろとお話しして参りました。労働ペンクラブですから、労働業界の大先輩がたくさんおられることは承知しておりましたが、最前列でわたくしの目の前に孫田良平大先生が座っておられたのは想定外でありました。

何しろ、孫田先生の目の前で、日本型雇用システムの原型は戦時中の国家総動員体制で企業に押しつけられた仕組みを、戦後の労働運動が維持強化して云々というようなことをぶってきたのですから、冷汗三斗であります。

社民党の存在こそ、日本人が社会民主主義について誤解する原因である

100625_804 『週刊金曜日』6月25日号で、山口二郎氏が「国民負担増なしに福祉国家は建設できないという現実を社民主義者こそ主張するべき」という時評を書いています。

言ってることはいちいちもっともです。

>親の貧困、生活苦を子ども世代に伝えないという理念を実現するためには、数兆円規模の支出が必要である。他方、無駄の代表といわれた公共事業も、これ以上減らすと地域経済は本当に壊滅する瀬戸際である。だから、新たに財源を見つけるしかない。公務員の削減も、官製ワーキングプアを増やすだけで、これ以上すべきではない。つまり、増税の議論は不可避である。

先週号のインタビューで、福島瑞穂社民党党首は社会民主主義の必要性を唱えていた。私も同感である。しかし、この際敢えて言いたい。社民党の存在こそ、日本人が社会民主主義について誤解する原因である。社会民主主義を選んでいる欧州諸国における租税・社会保険料の国民所得に対する負担率は日本の一・五から二倍である。社会政策の面でヨーロッパ並みをめざすなら、負担もヨーロッパ並みに引き上げなければ、帳尻は合わない。

社民党およびその支持者は、今の政府を信用できないから増税の議論は受け入れられないという主張をする。一見もっともなこの種の議論は、実は新自由主義と財務省主導の自己目的的財政再建への道を開くのである。新自由主義は政府に対する徹底的な不信を前提としている。その種の議論を逆手にとって、新自由主義者は、政府は常に信用できないのだから、政府に金を預けるよりも、徹底した歳出削減で国民負担を小さく抑えようという。・・・

>国民負担を増やすことなしに福祉国家を建設できないという現実こそ、社会民主主義者が主張すべきである。

異議なし!すべて賛成です。言っている中身には。

そう、中身には。

そういっている山口二郎氏自身が、政権交代を叫んでいたときに、こういうことをきちんと主張していたのであろうか、という疑問を抱かなければ。

問題は福島瑞穂氏だけのことなのか。

「社民党およびその支持者」だけのことなのか。

まさに「今の政府は信用できないから・・・」と、新自由主義者に逆手にとられるような議論を全然していなかったのか。

いや、そんなことは既に何回もこのブログで語ってきたことです。

今現在の政治状況の中でそんなことをほじくり返すべきではない、未だに迷妄から醒めようとしない愚かな者を叱りつけていればよい、というのも一つの考え方でしょう。政治戦略論的にはそれはよく理解できます。

この山口氏のコラム自体、未だにそういう迷妄のさなかにある週刊金曜日という雑誌の編集部に対して「愚か者め、俺のように早く目覚めろ!」と叱りつけているのでしょう。

とはいえ、素直に拍手するだけでは腹の中に収まらないものもやはりあるわけで、ごちゃごちゃ書いてもしょうがないので、過去のエントリをいくつか引用しておきます。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_46a5.html(山口二郎氏の反省)

>今頃あんたが後悔しても遅いわ、なんて突っ込みは入れません。この文章自体がまさにそれを懺悔しているわけで、人間というものは、どんなに優秀な人間であっても、時代の知的ファッションに乗ってしまうというポピュリズムから自由ではいられない存在なのですから。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-be1c.html(今頃何を言っているのだ)

>まさに山口二郎氏のような「政治学の立場からの批判の矢」が、朝日新聞をはじめとするリベラルなマスコミをも巻き込んで多くの国民を、とにかく極悪非道の官僚を叩いて政治主導のカイカクをやっているんだから正しいに違いないという気分にもっていったのではないかと私は思うわけです。

そういう「改革」の「同志」だった竹中氏に対して、「構造改革の成果が上がって嬉しいでしょうと言ってやりたい」と突き放したような物言いをするのであれば、当然もう一方の片割れに対しても「政治改革の成果が上がってうれしいでしょうと言ってやりたい」と仰るのでしょうね

韓国労働研究院の方々へのレク

本日午前、韓国労働研究院(KLI)のチャン・チヨン、イ・ビョンヒ、ウン・スミの3名の研究員の方々が来訪され、2時間近くにわたって、労働市場のセーフティネットに関する政策の動向についてお話しをしました。

中身は、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-47d8.html

に書いたことが中心ですが、みなさん大変熱心に質問され、非常に充実したものとなりました。

昨日は湯浅誠さんに話を聞かれたそうで、今日はこれから派遣ユニオンに話を聞きに行くということです

2010年6月24日 (木)

吉田誠『査定規制と労使関係の変容』

Sateikisei 香川大学の吉田誠さんから、労作『査定規制と労使関係の変容―全自の賃金原則と日産分会の闘い』をお送りいただきました。ありがとうございます。

実は、先週末、社会政策学会のために上京された吉田さんがJILPTに資料収集に来られ、

http://myoshida64.hp.infoseek.co.jp/

>JILPTでは未発見資料を含む宝の山に遭遇することができ、今後ちょくちょく通わなければならなくなりそう。

だったそうです。

その際に、はじめてお目にかかることができ、ご挨拶させていただいたのですが、早速お送りいただいたわけです。

実をいうと、吉田さんのこの本は、既に読んでおりました。JILPTの図書館だよりを引用しますと、

>1950年代前半、自動車産業の産別組織である「全自」の賃金政策を、傘下の日産分会は、生活保障的電産型賃金政策から同一労働同一賃金という原則に基づく展開を試みた。本書は、賃金配分の査定規制という側面まで進んでいった日産分会の運動を、当事者からの聞き取りと当時の資料から丹念に再構成した力作である。

ご承知のように、1960年代までは労働問題の世界において賃金制度論が熱心に議論されていましたが、とりわけ労働側サイドにおける同一労働同一賃金論とか横断賃率論とかの議論では、電産型賃金体系との関係でこの全自賃金体系をどう考えるかというのは一つの論点であったようです。

同一労働同一賃金なるものを単なる政治的かけ声と心得るのであればそれはそれでいいのですが、少しはまじめに考えようというのであれば、こういう賃金制度論に真正面から取り組まないことには、話は全然前に進みません。

吉田さんのこの本は、そのあたりを考える上で、とても有益な示唆を与えてくれます。

最近のtwitterでの書評

kamiokaさん、6月21日には、

http://twitter.com/kamioka/status/16628796789

>これから濱口桂一郎氏「新しい労働社会―雇用システムの再構築へ 」 を読み始めようか悩んでいるところ。

と悩んでおられたようですが、その後読まれたようで、

本日

http://twitter.com/kamioka/status/16862222031

>「新しい労働社会」は最近読んだ本の中でベストかも。堅いがロジカルで読みやすい。「反貧困」の後に読んだのでなお良かった。つくづく、何にも知らないでサラリーマンになってしまったなあと実感。

とつぶやいておられます。

その他、最近のブログやツイッタにおける拙著書評は、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/bookreviewlist.html

に随時追加しております。

連合の「地域主権戦略大綱」に関する談話

昨日、政府は「地域主権戦略大綱」を閣議決定しましたが、即日連合が談話を発表しています。

http://www.cao.go.jp/chiiki-shuken/keikakutou/100622taiko01.pdf(地域主権戦略大綱)

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2010/20100622_1277204593.html(「地域主権戦略大綱」に関する談話)

連合はまず総論としては、

>「大綱」で示された基本的方向は、連合がめざす地方分権の考え方と同じであり、その具体化に向け一歩前進したことを評価する。

と述べますが、もちろん地域主権の名の下に公共サービスの水準が低下したり、ナショナルミニマムを失われることに対しては、しっかりと釘を刺しています。

>一括交付金について、いわゆる国から地方への「ひも付き補助金」を見直し、地方の裁量の幅を広げるとの基本的な方向性は理解できる。しかし、交付金の括り方や総額の決め方、配分方法など具体化の内容によっては、安心で良質な公共サービスに影響を与える恐れがある。「大綱」では、「社会保障・義務教育関係については、国として確実な実施を保障する観点から、(中略)仕組みを検討する」「基本的に(中略)一括交付金の対象外とする」としており、今後の制度設計にあたっては、地域のニーズに応じて的確に配分されなければならない。

>国の義務付け・枠付けの見直しは、300を超える項目が対象となっている。結果的に社会的セーフティネットの後退や、公共サービスの縮小・質の低下を招かないよう見直しを進めていく必要がある。とりわけ社会保障分野では、国が責任を持ってナショナルミニマム(最低基準)を確保すべきである。合意形成にあたっては、国と地方自治体との協議だけでなく、住民・利用者・保険者・被保険者などのステークホルダーの意見や懸念に耳を傾け、理解を得るプロセスが必要である。

一方で「コンクリートから人へ」などといいながら、人を対象とした行政水準をどう確保するかが抜け落ちてしまうのでは、本末転倒ですからね。

>国の出先機関改革は、国と地方の役割分担について、今後、具体的な事務・権限の仕分けと組織の見直しが行われることになる。出先機関の見直しに伴って人員移管等を行う場合は、労使協議を十分に行うとともに、国が雇用主としての責任をきちんと果たす必要がある。
 また、雇用のセーフティネットの中心であるハローワークは国による全国ネットワークを堅持すべきであり、見直し作業にあたっては、憲法や国際条約の整合性に配意することはもちろん、利用者・当事者である労使の意見を尊重したものでなければならない。

労働問題はなによりもILO条約の趣旨に添った形で、三者構成原則に基づいて進めるという大原則が、この十数年間、ややもすれば忘れられる傾向にあっただけに、この点は繰り返し強調される必要があるでしょう。

>この間、連合は、政府との定期協議や内閣府との政策協議の場を通じ、「大綱」への意見反映に取り組んできた。今後の具体化にあたっては、国民生活の安心と安定に寄与する地域住民のための改革となるよう、政府や地域主権戦略会議に対し、住民・当事者・労働者の声にも配慮した丁寧な議論の積み上げを求めていくとともに、政府との各レベルの協議の場などにおいて、意見交換を行い、地域住民本位の地方分権改革が着実に前進するよう取り組んでいく。

何よりも大事なのは、知事や市長といった首長ばかり功成って住民の万骨枯れるような「地域主権」ではなく、住民の福祉水準が確実に向上するような住民本位の改革であるわけです。いままでもっぱらコンクリート系の差配で権力を維持してきたような地方権力者にそのまま「主権」を渡してしまうことのリスクは意識しておく必要があります。

とかく理想主義的な政治学者は北欧の地方自治をモデルに描きたがるのですが、日本の現実を考える際には、カシキスモのはびこる南欧を意識する必要があるのではないかと思います。

2010年6月23日 (水)

日本海庄や過労死裁判の判決文

5月25日に京都地裁が下した日本海庄や過労死裁判の判決文が、最高裁のHPにアップされています。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100604194535.pdf

>飲食店従業員が急性左心機能不全により死亡した事案につき,会社に対し,安全配慮義務違反による損害賠償責任を認めるとともに,会社の取締役に対し,長時間労働を前提とした勤務体系や給与体系をとっており,労働者の生命・健康を損なわないような体制を構築していなかったとして会社法429条1項に基づく責任を認めた事例

本判決については、既に判決当日に北岡大介さんが新聞報道に基づきコメントしておられますが、

http://kitasharo.blogspot.com/2010/05/blog-post_25.html

>役員の損害賠償責任を認めた根拠条文が報道では明らかではありませんが、恐らくは役員等の第三者に対する損害賠償責任を認めた会社法429条1項(旧商法266条の3)ではないかと思われます。

そのとおりでした。

>・・・これに対して、上記事案は東証一部上場企業における役員の連帯責任を認めたものであり、この点で大きく異なります。更に報道記事によれば、「長時間労働を前提とした勤務体制、賃金制度の構築」が取締役の重過失を構成すると判示したとの事です。同判示部分については先例的な意義を有するものであり、今後、これが会社法429条1項に係る判例法理として形成されていくのか否か。同判断基準の適否とその適用、その射程など今後注意深く見守っていく要がありそうです。まずは同判決文をじっくりと勉強しなければなりません。

というわけで、その部分をじっくり読んでいきましょう。

>(2) 被告取締役らの責任

会社法429条1項は,株式会社内の取締役の地位の重要性にかんがみ,取締役の職務懈怠によって当該株式会社が第三者に損害を与えた場合には,第三者を保護するために,法律上特別に取締役に課した責任であるところ,労使関係は企業経営について不可欠なものであり,取締役は,会社に対する善管注意義務として,会社の使用者としての立場から労働者の安全に配慮すべき義務を負い,それを懈怠して労働者に損害を与えた場合には同条項の責任を負うと解するのが相当である。
被告会社においては,前記認定の被告会社の組織体制からすると,勤務時間を管理すべき部署は,管理本部の人事管理部及び店舗本部であったということができ,a店については,そのほか,店舗本部の第一支社及びその下部の組織もそれにあたるといえる。
したがって,人事管理部の上部組織である管理本部長であった被告Fや,店舗本部長であった被告D,店舗本部の下部組織である第一支社長であった被告Eも,労働者の生命・健康を損なうことがないような体制を構築すべき義務を負っていたといえる。また,被告Cは,被告会社の代表取締役であり,経営者として,労働者の生命・健康を損なうことがないような体制を構築すべき義務を負っていたということができる。
しかるに,被告会社では,時間外労働として1か月100時間,それを6か月にわたって許容する三六協定を締結しているところ,1か月100時間というのは,前記1(6)のとおり,厚生労働省の基準で定める業務と発症との関連性が強いと評価できるほどの長時間労働であることなどからすると,労働者の労働状態について配慮していたものとは全く認められない。また,被告会社の給与体系として,前記1(3)アのとおりの定めをしており,基本給の中に,時間外労働80時間分が組み込まれているなど,到底,被告会社において,労働者の生命・健康に配慮し,労働時間が長くならないよう適切な措置をとる体制をとっていたものとはいえない。
確かに,被告会社のような大企業においては,被告取締役らが個別具体的な店舗労働者の勤務時間を逐一把握することは不可能であるが,被告会社として,前記のような三六協定を締結し,給与体系を取っており,これらの協定や給与体系は被告会社の基本的な決定事項であるから,被告取締役らにおいて承認していたことは明らかであるといえる。そして,このような三六協定や給与体系の下では,当然に,Gのように,恒常的に長時間労働をする者が多数出現することを前提としていたものといわざるを得ない。
そうすると,被告取締役らにおいて,労働時間が過重にならないよう適切な体制をとらなかっただけでなく,前記1(6)の基準からして,一見して不合理であることが明らかな体制をとっていたのであり,それに基づいて労働者が就労していることを十分に認識し得たのであるから,被告取締役らは,悪意又は重大な過失により,そのような体制をとっていたということができ,任務懈怠があったことは明らかである。そして,その結果,Gの死亡という結果を招いたのであるから,会社法429条1項に基づき,被告取締役らは責任を負う。

なお,被告取締役らは,被告会社の規模や体制等からして,直接,Gの労働時間を把握・管理する立場ではなく,日ごろの長時間労働から判断して休憩,休日を取らせるなど具体的な措置をとる義務があったとは認められないため,民法709条の不法行為上の責任を負うとはいえない

取締役はもちろん個別具体的な店舗の労働者の労働時間を逐一把握などできないとはいえ、恒常的に長時間労働をする者が多数出現することを前提とするような36協定や給与体系を採っていたのだから、悪意または重大な過失があったということのようであります。

北岡さんがリンクしていただいていますが、取締役の善管注意義務に労働者の安全配慮義務を含めた前例としてはおかざき事件がありますが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_4216.html(専務取締役の過労死)

東証一部上場企業における役員の連帯責任を認めたものとしてやはり重大な意味がありますね。

新しい労働社会 なんのこっちゃ( ̄○ ̄;)

どこの大学のどこの学部かは存じ上げませんが、多分先生がゼミで一生懸命「新しい労働社会」についてお話しされているのだと思うのですが、学生さんの方は、

http://ameblo.jp/kamogua-nave/entry-10570088082.html(新しい労働社会)

>なんのこっちゃ( ̄○ ̄;)

ゼミ眠すぎる…
そろそろ限界やて。

今すぐ寝たい!!

お腹も空いたしあせる

早く終わって欲しいダウンダウン

あー

明日何しようかな汗

ちなみに、「なう」では、

>話長い。はよ終われ。

といわれちゃってます。

そこまで嫌わなくても・・・。大学卒業したら、否応なく直面する問題ですよ。学生さん。

2010年6月22日 (火)

新たな人権救済機関(中間報告)

本日、法務省の政務三役から新たな人権救済機関の設置に関する中間報告が公表されました。

http://www.moj.go.jp/content/000049281.pdf

とくに注目すべきは

>2 人権救済機関(人権委員会)の設置

人権救済機関については,政府からの独立性を有し,パリ原則に適合するものとして,人権委員会を設置する。人権委員会は,内閣府に設置することを念頭に置き,その組織・救済措置における権限の在り方等は,なお検討するものとする。

かつて2002年に法務省が国会提出した人権擁護法案では、法務省に人権委員会を置くとしつつも、労働関係の人権侵害については厚生労働省で調停、仲裁等を行うとされていたところですが、法務省が信用できないから内閣府へ、というついでに、労働関係の問題まで内閣府でやることになるのでしょうか。

労働関係といえども人権は人権、というのも一つの考え方ですが、人権といえども労働関係は労働関係、労使の利害を見極めて解決の道を探るべしというのも一つの考え方でしょう。

ここは人によっていろんな意見のあるところですが(ある種のフェミニスト団体からすれば、労働組合などメイル・ショービニスト・ピッグの巣窟であるという考え方も確かにあります)、労働関係の人権擁護には他のそれとは異なる性質があるということは念頭に置いていった方がよいように思われます。

デンマークの雇用政策@社会政策学会

先週土曜日は経営法曹会議に呼ばれていたのですが、ちょうどその日に、社会政策学会の第120回大会が開かれていて、そのテーマ別分科会として「デンマークの雇用政策」というのが行われていたのですね。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/sssp/120taikaiprogram.pdf

><テーマ別分科会・第3> 【7 号館209 教室】
デンマークの雇用政策-フレクシキュリティの歴史的前提と到達点
座 長・コーディネーター:菅沼 隆(立教大学経済学部)
1.デンマーク福祉国家の歴史的変遷とシティズンシップ
嶋内 健(立命館大学大学院社会学研究科院生)
2.デンマークの労働市場改革論争-1992年ツァイテン委員会報告の分析
菅沼 隆(立教大学経済学部)
3.デンマーク雇用政策のパフォーマンス評価
岩田克彦(職業能力開発総合大学校専門基礎学科)

昨日、岩田さんからこれらの報告ペーパーをいただきました。岩田さんのは、既に同じ内容の論文を読んでいましたが、島内さんと菅沼さんのはなかなか興味深く、いまだ日本では数少ないデンマーク労働事情について貴重な知見が積み重ねられてきていると感じます。

OECDの「ゴールデントライアングル」というやや一面的なフレクシキュリティの紹介を、さらに労働者の権利を敵視する偏見に満ちた目で曲解することによって、あたかも好き放題に首斬りを自由にして、はした金をばらまいておけばフレクシキュリティになるかの如き誤解が蔓延しかかっているだけに、こういうアカデミックな着実な研究が積み重ねられていくことは重要です。

もちろん、いうまでもなく、マスコミ諸氏も少しは勉強して、フレクシキュリティについて報じる際には、いかがわしい一知半解の徒輩ではなく、こういう篤実な研究者に聴きに行くようにしていただきたいところです。

>第3分科会 デンマークの雇用政策-フレクシキュリティの歴史的前提と到達点
座 長・コーディネーター:菅沼 隆(立教大学経済学部)
<分科会設立の趣旨>
デンマークの雇用政策が世界的に注目されている。その一つの特徴であるフレクシキュリティについては、他のEU諸国や日本への適用可能性について議論されている。フレクシキュリティの経験が他国の雇用政策にとって重要な示唆を与えていることは間違いがなく、モデルとして検討することは有意義である。だが、デンマークの雇用政策はデンマークの歴史的土壌のもとに形成されたものであることを自覚する必要がある。この国に独特の労使関係、雇用法制、労働市場、政治制度などの関係性の中に雇用政策も位置づけられている。まずは、デンマーク雇用政策の歴史的な固有性を確認する必要があるであろう。その固有性の分析を前提として、モデルの一般性について考察をすることが求められている。この分科会では、デンマーク福祉国家の歴史的展開の中で「アクティベーション」をとらえるとともに、1990 年代の労働市場改革の意味を確認し、現在のフレクシキュリティの達成状況とモデルの有効性について評価してみたい。

嶋内 健(立命館大学大学院社会学研究科院生)
「デンマーク福祉国家の歴史的変遷とシティズンシップ」
本報告の目的は、近年着目されてきたデンマークの社会政策「アクティベーション」をデンマーク福祉国家のより長期的な歴史的観点から理解することである。具体的にはデンマーク福祉国家を1890年代から1920 年代の「萌芽期」、1930 年代から1950 年代の「形成期」、1950 年代から1970 年代前半の「黄金期」、1970 年代後半から1980 年代の「危機の時代」、1990 年代以降の「再編期」に区別することで議論を展開していく。そのような歴史的脈絡のなかで、T. H. マーシャルの「ソーシャル・シティズンシップ」概念を一つのメルクマールとして、どのようにデンマーク福祉国家は変容していったのか、変容の過程で福祉の受給資格を与えられるべき市民像はどのように変化したのかを理解する。そして最後に、そのような観点から現在のアクティベーションを含めた「フレキシキュリティ・モデル」がどのように解釈できるのかを検討したい。

菅沼 隆(立教大学経済学部)
「デンマークの労働市場改革論争-1992 年ツァイテン委員会報告の分析」
「フレクシキュリティ」と呼ばれるデンマークの雇用政策のあり方は、1993 年から着手された一連の労働市場改革によってもたらされた。この労働市場改革の基本構想は、1992 年に答申された「労働市場の構造問題対策委員会(通称ツァイテン委員会)」報告で提唱された。1990 年代初頭のデンマーク経済は停滞しており、その重要な原因の一つが労働市場にあると見なされていた。ツァイテン委員会は、デンマーク労働市場の構造問題を分析し、労働市場改革の方向性について様々な角度から検討を加えた。全5巻800 頁近い膨大な報告書の内容を分析することをここでの課題とする。当時のデンマークが労働市場のどのような点を問題とみなし、どのような議論を積み重ねて、どのような改革構想をまとめあげ、労働市場改革を達成したのかを明らかにしたい。

岩田克彦(職業能力開発総合大学校専門基礎学科)
「デンマーク雇用政策のパフォーマンス評価」
労働市場の柔軟性・弾力性(フレクシビリティ)と雇用・生活保障(セキュリティ)の両立をめざすフレクシキュリティを、近年EU は推進しており、オランダと並びデンマークがそのモデル国とされている。デンマーク・モデルは、①柔軟な労働市場(解雇規制が緩い)、②手厚いセーフティネット(失業給付等が充実)、③積極的な雇用政策(次の仕事に移るための職業教育プログラムが充実)、の3 本柱とそれを支える労使の政策決定、実施への積極的参加から成り立っている。近年、デンマークの雇用政策のパフォーマンスは非常に良好な状況が続いているが、現在の経済不況の下、失業者が急速に増加する等従来とは異なる様相も一部見られるようになった。本報告では、職業教育訓練、ジョブセンターの就職支援などデンマークの雇用政策をフレクシキュリティの観点から評価するとともに、デンマークやオランダを参考に「新たな日本型フレクシキュリティ」を構築するためにはどうしたらいいか、政策提言を行う。
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日本学術会議大学と職業との接続検討分科会議事録(第7回・第8回)

だいぶ間が空きましたが、昨年秋頃の標記分科会の議事録が最近アップされたようです。

例によって、発言者の名前は伏せられていますので、わたくしの発言だけピックアップしていきます。間に他の委員の発言があって、それを受けての発言ですので、いささか文脈がつながりませんが、誤解なきよう。

まず、9月10日の第7回会合

http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/daigaku/pdf/d-youshi07.pdf

>○ 資料3について、市民生活と職業生活が並列で書かれていることについて違和感がある。職業人は市民ではないかのようである。「市民生活とりわけ職業生活」というべきではないか。日本では職業教育も含めて、教育と訓練とは別の世界の話のようになっている。訓練ではこのようなことをやっているらしいが、こっちの話とは関係ない、という感覚であるから、おそらくこれが抜けないのだと思う。しかし、本当は全て同じ事である。そしてそれこそが実は職業教育である、という話を言う値打ちはあるのだろうと思う。

○ 考え方として、「大学が提供する教育の質」の保証なのか、「大学が提供する教育を受けて社会に出て行く学生の質」の保証なのか、というのが一番重要な問題ではないかと思う。「日本の大学の学生の質保証」というのは、後者のことだと思う。質を保証するというのが目的であり、その目的を達成するためにその手段として大学が提供する教育の質を保証するというはずなので、いわばその目的である、大学の教育の質保証という発想をもっと出すべきだという趣旨で話されている、と私は理解した。

○ 言っていることはあまり変わらないと思う。学生一人一人に点数をつけよう、という話ではなくて、提供されているカリキュラムをきちんと学んで、それに合格すれば、それだけの能力を身に付けたと判断するようにする、そこを出た学生に能力保証ができるようなカリキュラムの質を保証するという趣旨である。ただ言いたいことは、この枠組みではそのようにはならなくて、学生の能力の保証という観点のための課程の保証という観点になっていないのではないか、ということなのだと思う。

○ 趣旨がずれているかもしれないが、今の文科系、例えば経済学部のカリキュラムは、そもそも職業をターゲットにしていないではないか。もっと職業をターゲットにしたようなカリキュラムの組み方、というものも一つの例として、こういうものも参考にできるのではないか、という趣旨なのではないかと思う。「個別か全体か」という話ではないと思う。

○ その話をしてしまうと、司法試験を受ける人間だけにとって意味がある話になってしまう。しかし大部分の人はそうではなく、普通の会社で経理や総務の仕事をしている。そういうことをもう少し前方に置いた形で、なぜこういう話が出てくるかというと、文科系でも職業についても第一義責任的なものを作っているからである。

○ ○○工学や○○専攻というように細かく分けると作りやすいし、イメージしやすい。わかれているとしてもそれは基礎的なレベルで、その先はかなり汎用性がある。法学部はある意味で一番典型的で、上澄みのところだけ非常に汎用性があって、そこから下がると何が特色かわからない。つまり民法や刑法を学ぶことが大学を卒業してからの人生にどういう意味があって、どういうところにつながっていくのか、ということを考えたときに、もう少し職業生活に対応する形で作っていったらどうか、という趣旨ではないか。

○ そこまで議論することなのか。もっと広い意味でも、その点にあまり触れないと、皆が問題だと思っているところについてきちんと提起しない、ということになってしまう。

○ 枠にはめるのではなくて、問題を提起する必要がある分野とそうでない分野があるのではないか。あまりに一律に通用することだけを議論しようとすると、問題とすべきところが表に出てこないような形になってしまう。

○ 「新時代の日本的経営」をわざわざ出す必要はないと思う。もっと専門的な能力を活用していく方向に行こう、という話が言われている、ということを書けばいいだけである。14 年前に日本経営者団体連盟が出したものを実現しましょう、ということを書く必要はないと思う。これはどちらかというとバックグラウンド的な話である。

○ 日本的経営は長期蓄積型を縮小しながらやろう、その外側は流動的なもの、という階層構造でやろう、という提案だった。

○ 趣旨は非常によくわかるが、おそらく書き方の問題だと思う。この報告書が、14 年前の報告書を実現すべきだという立場に立っている、というようにならないようにした方がいいと思う。

次に、9月30日の第8回会合。

http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/daigaku/pdf/d-youshi08.pdf

>○ もっと正確に言うと、労働市場の状況とそれに対応すべき教育の現状ということが認識論としてあり、それに対する政策的対応は、労働市場にのみ存在し、教育には存在しない、ということでこのような順番になっているので、このような言葉になっているのだろうと思う。確かに現状を書いてその後に政策的対応を書くのはわかりやすい。しかし、そうではなくて、政策的対応は労働市場にしかされておらず、教育にはない、ということが問題、課題である、という話なのだと思う。

○ この論理からすると、このような色々な状況の変化に対して、雇用システム自体も変容している。しかし変容が足りないために、それを補うために量的に縮減されてしまい、その結果としてこのような問題が起きているのだ、という論理が成り立つのではないか。強化はされていないと思う。

○ なぜ雇用システムがそう簡単に変わらずに、縮減という形で対応しているのか。それは他のシステムと対応しているからである。つまり、他のシステムと相互補完性があるため、他のシステムが変わらないと、雇用システムだけ勝手に変わるわけにはいかない、ということである。

○ これは公務員と民間という形で分けて書く話ではなく、上位か中位か下位か、という話だと思う。上位は今まで通りだという書きぶりにするのか、むしろ実際には職業生活の中で幅広い能力が求められると思うけれども、基盤として一定の専門職がいるということは強調していくべきだという書き方にする、つまり全体としての主張をそういう形にするのか。それがちょうど公務員のそれぞれのクラスに対応する。そうすると、公務員についてどう書けばそういう話になるか。

○ 公務員が難しいのは、公務員法は半世紀以上前に、当時の発想としてはむしろ逆の発想で作られたが、それを違う発想で運用してきたという歴史があるからである。したがって、これに足をつっこむと、「本来公務員法が云々」という複雑怪奇な話になってしまう。

○ しかし民間企業は「本来雇用はこうあるべき」ということがあるわけではない。どちらかというと、特にここ数十年間は雇用システムとはこうであるということを前提とした法制度が作られてきている。しかし公務員は本来職階制から来ているところもあるので、つっこむと大変である。

○ わかっていないというよりも、システムというものがそう簡単に変えることができないがゆえに、例えば賃金カーブのフラット化や成果主義といった方向も出す。それだけではなく、今まで暗黙に言われていなかった、ありとあらゆる状況に機敏に対応できるような人間力、コミュニケーション能力をより明示的に出す。そのことだけで言うと、今までの日本的雇用システムの性格がより強化されていく、という現象が出ているということではないか。
ますますこれから企業に就職するためには、どんな長時間労働にも耐え、ありとあらゆる状況に機敏に対応できる万能な能力を身に付けなければいけないというように、今まではそうはいってもそれほど多くなかったものが、ある意味では別の方向に向かっている面もありながら、企業の外に対するメッセージとしては強化する方向が出されているために、大学がそのようなメッセージを受けて混乱しているのだと思う。

○ だからそれを要求しているのはあくまで現象だ、ということを書かなければならない。

○ ただ大学教育との関係でいうと、今までの日本的な考えでは、将来的に言えば、何かしらそういう人間力は身に付いていくけれども、入社したときからそんなものはあるはずがなく、むしろ入社してから上司や先輩が鍛えて身に付けていく、という話だった。しかし、変容しつつ縮減しているために、かえって最初から人間力をもって入ってきてほしい、というような話になっていて、それで変なことになっている。

○ 多様化について、既存の人文社会科学系のところが量的にふくれあがることも含めてなんとなく理解していた。多様化というとそうではなくて、いわゆる四文字学部や六文字学部のようなものをイメージしていた。それは人文系の膨張現象の話であってむしろ③である。「知的訓練という『前提』を後景化させた」という記述は、本来こういうことをやる学部のはずだが、量的にふくれあがったことでとてもそのようなことができなくなった、という話なのか。しかし多様化という話はそういうものではない。本来的な意味で社会的なニーズに応じて、ということであれば、まさに複合的なディシプリンを含んでいるはずである。

○ 2の政策的対応というのは、これまでの若者にかかる政策の不十分さ、的はずれさ、というような形でここに書かれているのだと思う。企業行動の変化と若者の状況、それに対する広い意味での政策的対応があるけれども、限定的というよりもむしろやや本質をはずれているという言い方ではないか。そして本当はここで対応すべきなのだ、という形である。そういう意味では児美川先生のこの並べ方は筋が通っていると思う。

○ かつては若者対策はいらなかった。しかし必要になった。にもかかわらず認識が追いついていない、あるいはずれており、若干的はずれな対策が講じられている。

○ 1(2)は中位層への対策の中に位置付けられてしまうと思う。2の下位層へのキャリアラダーの再構築は雇用システムの在り方そのものにもつながる。整理が大きく中位と下位に分けて、中位についてはマクロがあってそれに大学教育がのっかるという話になっている。主旨からいうとこういう書き方がこの性格上できるかわからないが、最初に中長期的課題として雇用システム・労働市場の在り方があり、それには上位も中位も下位も基本的な基調というのがあって、それを受けて、という書き方の方が整理できるのではないかと思った。キャリアラダーの再構築は実は労働市場の在り方そのものである。

○ それを言うと、1(1)も短期的といいながら、それが機能するためには実は将来的に(2)の方向へ行くことを前提としている。雇用システムがますます今までの領域を凝縮する方向に落ちるのであれば、逆の方向に向かうことになるわけで、やはり現状と課題で認識的な齟齬があったとしてもⅡの提言の最初にそれがないと、なぜこうなのか、話がつながらない。

○ 教育だけにして、そこは提言に入れないということは一つの選択肢である。しかし、そうすると1.(2)はいらないし、2.もというキャリアラダーを前提とした大学教育を構築するといった話になる。ここはシステムそのものを作っていく、という話を書いているので、それは最初にまとめて出した方がいいと思う。

○ 「職種別労働市場」をできれば「職種と職業能力に基づく労働市場」にしてもらいたい。なぜレリバンスかというと能力を高めていくという話なので、それがにじみ出る表現の方がいいと思う。

○ むしろここは「…されており、しかもこれこれのように上手くいっていない」というように、そこはあまり書くとあちこちに差し障るが、かつ社会的な受け入れ条件がそれに合った形で変わっていないために上手くいっていない、と書いた方がいい。それがおそらく2.ないし3.の提言の上下の話で、中・下があって上がないのは気になる。また、上は今まで通りでいいのか、というと教授側はそういうことをやってしまっている。例えばロースクールのように高度専門職を養成した人間を社会がどういうふうに使っていくか、という議論を提言に書く必要があるだろうと思う。

○ 将来の職業選択を考えずに大学に進学している現状がある、という形で書いて、現状と課題に入れる方がいいのではないか。

2010年6月20日 (日)

CAPACITAS: Contract Law and the Institutional Preconditions of a Market Economy

419ytvyvo7l イギリスのサイモン・ディーキンと、フランスのアラン・シュピオの共編著『キャパシタス:契約法と市場経済の制度的前提条件』は、現代ヨーロッパの文脈だけでなく、現代日本の文脈でも大変興味深い本です。

http://www.amazon.com/Capacitas-Contract-Institutional-Preconditions-Economy/dp/1841139971

>One of the principal tasks for legal research at the beginning of the 21st century is to reconstruct the understanding of the relationship between the legal system and the market order. After almost three decades of deregulation driven by a belief in the self-equilibrating properties of the market, the financial crisis of 2008 has reminded everyone of the fundamental truth that markets have legal and institutional foundations, without which they cannot effectively function. The chapters in the present volume are the result of work by a group of legal scholars which began in the mid-2000s, at a time when the shortcomings of deregulatory policies were becoming clear in a number of contexts. The chapters address the question of how the language of contract law describes or conceptualises the market order and the relationship of the law to it. The perspectives taken are, in turn, historical, comparative, and context-specific. The focus of the book is on a foundational idea, the concept of capacitas, which signifies a status conferred upon citizens for the purpose of enabling them to participate in the economic life of the polity. In modern legal systems, 'capacity' is the principal juridical mechanism by which individuals and entities are empowered to enter into legally binding agreements and, more generally, to arrange their affairs using the instruments of private law. Legal capacity is thereby the gateway to involvement in the operations of a market economy.

21世紀初頭における法研究の主たる任務の一つは、法制度と市場秩序の関係の理解を再構築することである。市場の自己調整的性質への信仰に動かされたほとんど30年にわたる規制緩和の後、2008年の金融危機はすべての者に、市場には法的制度的な基盤があり、それなくしては市場は有効に機能することはできないという真実を思い出させた。本書の各章は、規制緩和政策の欠陥がいくつもの文脈で露わになりつつあった2000年代半ばに始まった法学者グループの作業の結果である。各章は、契約法の文言がいかに市場秩序とその法との関係を描き出し概念化しているかを示している。採られている視角は順に、歴史的、比較的、文脈特殊的である。本書の焦点は、基本的なアイディア-キャパシタスの概念にあり、これは市民がある政治体の経済生活に参加することを可能にするために付与される地位を意味している。近代法制度においては、「能力」はそれによって個人と団体が法的に拘束力ある合意に入り、より一般的には、私法の装置を用いてその物事をアレンジすることをエンパワーされる主たる法的機構である。法的能力はそれゆえ、市場経済の運営の改善への入口である。

という紹介の文章を読んだだけで、なかなか興味がそそられるでしょう?

出版元のHPには、ディーキンとシュピオのまえがきと、目次が載っています。

http://www.hartpub.co.uk/pdf/1841139971.pdf

>This book is the product of a collaborative initiative, the Capacitas project, which began life in the early 2000s. Its initial impetus was provided by the debate over the report to the European Union on the future of labour law and the transformation of the employment relationship, which was prepared by a group convened by Alain Supiot and published in 1999 under the title Au delà de l’emploi (Beyond Employment). One of the themes raised in the report was the relevance of economic concepts of ‘capability’ in framing policy responses to the growing flexibilisation of labour market relations. In the early 2000s, building on this work, a research project entitled ‘Social Dialogue, Employment and Territories: Towards a European Politics of Capabilities’ (or Eurocap) was launched under the auspices of the EU’s Fifth Research and Development Framework Programme. This was an interdisciplinary project involving social scientists from a number of disciplines, including legal researchers, together with representatives of the social partners, civil society organisations and political actors with an interest in the future of European economic integration and social policy. As part of Eurocap, two workshops were convened—in Nantes in 2003 and Cambridge in 2005—to discuss legal aspects of the capability agenda. This work took the form, in part, of a discussion of the implications for legal analysis of Amartya Sen’s ‘capability approach’. It is very largely thanks to Sen that the concept of capability has achieved a degree of systematisation of the kind needed to make it an essential point of reference in social and economic policy debates. However, for lawyers and jurists, the capability approach is not simply something to be received from the discourses of other disciplines. Legal discourse contains within it ideas which, to some degree, correspond to the economic notion of capability, although the match is not exact. The legal concept of ‘capacity’, or capacitas, which provides the focus for the chapters in this book, is both a much older idea than the contemporary economic notion of capability and also one which is embedded in a particular process of institutional evolution, which has been going on since the late eighteenth century. Charting the evolution of ‘capacity’ and examining its significance today in a range of contexts is part of the process of understanding how ideas such as ‘capability’ are operationalised in the very concrete setting of contract law and contractual relations.With that objective in mind, this volume is intended as a contribution to the wider project, of which Eurocap was a part, of the normative realisation of a capability-based agenda for economic and social reform.
Eurocap was an international and multilingual project. Each paper in the present volume appears in the original language (French or English) in which it was written. We are grateful to the publishers and editors of the European Review of Contract Law and European Review of Private Law for permission to draw on previously published material in respect of chapters 1 and 3 respectively.
We are grateful to the European Union for funding the research on which the book is based; to the Maison des Sciences de l’Homme Ange Guépin and the Centre for Business Research for organising and hosting the workshops in Nantes and Cambridge respectively; to Kate Hansen for her invaluable assistance in the final preparation of the text; and to Richard Hart and his colleagues at Hart Publishing for their encouragement,
advice and support.

Simon Deakin and Alain Supiot
Cambridge and Nantes
December 2008

Contents

Preface v
List of Contributors ix

1 Capacitas: Contract Law, Capabilities and the Legal Foundations of the Market 1
SIMON DEAKIN

2 Capacity and Capability in European Contract Law 31
MARTIJN W HESSELINK

3 Rationalisation and Derationalisation of Legal Capacity in Historical Perspective: Some General Caveats 49
ALAIN WIJFFELS

4 Revisiter la notion juridique de capacité? 63
JEAN HAUSER

5 Le concept de capacité dans le droit des contrats français 73
SANDRINE GODELAIN

6 La notion de capacité et l’évolution du droit du travail italien 97
AURORA VIMERCATI

7 La recherche d’un concept de capacitas en droit du licenciement allemand 123
WIEBKE BROSE

8 ‘Capacitas’ and Capabilities in International Labour Law 141
RENÉE-CLAUDE DROUIN

9 En guise de conclusion: la capacité, une notion à haut potentiel 161
ALAIN SUPIOT

その「解雇規制緩和」は不公正解雇の話ではないですね

自由民主党の「マニフェスト」を見ていくと、次のような一節がありました。

http://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/22_sensan/pdf/j_file2010.pdf

>32 雇用力強化労働法制の充実

「雇用」は国民生活の基盤であり、その安定確保は国の最重要課題であります。一方、派遣切りなど、解雇が行われた際、すべての責任を企業に負わせることも問題であり、政府と企業が一体となった労働環境を整備しなければなりません。特に、「解雇規制」を緩和すると同時に、企業における「柔軟な経営」を行える環境を整備するなど、企業の持続による「雇用の安定」につなげます。また国としては、「同一労働同一賃金」「社会保障の充実」「労働環境の法整備」を前提に、失業対策として、生活の安定が保証される「手厚い失業給付」「充実した職業訓練プログラム」の再構築など、強力なセーフティネットを構築します

ちょっと意味がとりにくいところもありますが、総じて具体的な政策としては適切なものばかりです。

ただし、やや言葉が足りないため、誤解を招く恐れのあるところがあるので、一点指摘しておきたいと思います。

それは、いうまでもなく「「解雇規制」を緩和する」という表現です。その前のところに「派遣切りなど、解雇が行われた際、すべての責任を企業に負わせることも問題」とあることからも窺われるように、ここでいう「解雇」とは経済状況の悪化により労働投入量を減らさざるを得なくなったときの冗員整理(リダンダンシー)のことであって、「態度が悪いからクビ!」というような不公正解雇(アンフェア・ディスミッサル)のことではないと思われますが、そこをうかつに「解雇規制」を緩和する」と書くと、今ですら中小企業ではやり放題に近い恣意的な解雇をもっと自由にやれるようにすることかと誤解されかねません。

世の中に病理現象があるということを一切捨象してきれいだが現実離れした理論を紡いでいればいい経済学者と違って、政治家は世の中のどぶ板レベルの現実にぴたりと張り付きながら、その中で少しでも改善できるところから改善するということを目指さなければならないのですから、ここはもうすこし言葉を足す必要があるように思われます。

現実の雇用終了がどういうものであるかが知りたい場合は、下でも紹介されている最近発表したばかりの報告書をどうぞ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-d97a.html

「個別労働関係紛争処理事案の内容分析」のご紹介

先日本ブログでも紹介いたしましたJILPTプロジェクト研究の報告書『個別労働関係紛争処理事案の内容分析―雇用終了、いじめ・嫌がらせ、労働条件引下げ及び三者間労務提供関係―』ですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-d97a.html

労務屋さんとシジフォスさんがブログで取り上げていただいております。

労務屋さんは

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100616(態度が悪いからクビ!)

で、個別事例を列挙していただいています。「本当はこの研究の趣旨からするとこうした個別事例列挙の紹介は好ましくないのですが、御容赦ください」と仰っていますが、とんでもない、むしろ「神は細部に宿る」と申しまして、こういう個別事例をこそじっくりと読んでいただきたいというのが、執筆担当者の思いであります。

このエントリにはかなりの数のぶくまがついていまして、

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/roumuya/20100616

やはり一つ一つの事例のインパクトが結構強烈な印象を与えているようです。

シジフォスさんは、

http://53317837.at.webry.info/201006/article_20.html(個別紛争事案及び解決内容の詳細な「報告」に驚き)

「調査目的は痛烈なものとなっているので」と評されているのですが、そういうつもりはありませんでした。もっと素朴に、

>日本って、「解雇がやりにくい」社会だっていうけど、ホント?

という疑問に、事実の裏付けのある答えを出してみたかったということです。

2010年6月19日 (土)

経営法曹会議海外労働法研究会

本日、経営法曹会議の海外労働法研究会に呼ばれて、EU労働法についてお話をして参りました。

経営法曹会議は本ブログでも時々取り上げておりますが、労働問題について経営側の立場から取り組んでいる弁護士の皆さんの集まりです。日本労働弁護団の好敵手といったところでしょう。

その経営法曹会議の皆さんが今年欧州各国の実情視察に行かれるということで、各国の専門家のお話を聞かれる一環として、わたくしも呼ばれたということであります。今回、視察先に普通こういう欧州視察には入らないオランダ、デンマークといった国が入っていまして、これはフレクシキュリティつながりですね。

そういえば、サッカーワールドカップのE組って、フレクシキュリティ組ではないですか(笑)。

2010年6月18日 (金)

新成長戦略

本日、菅内閣の「新成長戦略」が閣議決定されました。

http://www.kantei.go.jp/jp/sinseichousenryaku/sinseichou01.pdf

「強い経済」「強い財政」「強い社会保障」の実現というのがスローガンです。「第三の道」という言葉は、今まで百万回くらい違う意味で使われてきましたが、今回は第一の「公共事業中心の経済政策」と第二の「行き過ぎた市場原理主義」に対する第三ということです。冒頭近くの「第二の道」を批判したところはなかなかいい表現なので、引用しておきます。

>一企業の視点では、リストラの断行による業績回復が、妥当な場合もあるが、国全体として見れば、この政策によって多くの人が失業する中で、国民生活は更に厳しくなり、デフレが深刻化している。また、いわゆる「ワーキングプア」に代表される格差拡大が強く認識され、社会全体の不安が急速に高まった。「企業は従業員をリストラできても、国は国民をリストラすることができない」のである。生産性の向上は重要であるが、同時に需要や雇用の拡大がより一層重要である。

これは大変重要な視点。

さて各論に入り、グリーンだ、ライフだ、アジアだ、観光だ、科学だ・・・といったことは私にはコメント能力がないのでパスするとして、「雇用・人材戦略」です。

2020年までの数値目標として、

>『20~64 歳の就業率80%、15 歳以上の就業率57%』、『20~34 歳の就業率77%』、『若者フリーター数124 万人、地域若者サポートステーション事業によるニートの進路決定者数10 万人』、『25 歳~44 歳までの女性就業率73%、第1子出産前後の女性の継続就業率55%、男性の育児休業取得率13%』、『60 歳~64 歳までの就業率63%』、『障がい者の実雇用率1.8%、国における障がい者就労施設等への発注拡大8億円』、『ジョブ・カード取得者300 万人、大学のインターンシップ実施率100%、大学への社会人入学者数9万人、専修学校での社会人受入れ総数15 万人、自己啓発を行っているの労働者の割合:正社員70%、非正社員50%、公共職業訓練受講者の就職率:施設内80%、委託65%』、『年次有給休暇取得率70%、週労働時間60 時間以上の雇用者の割合5割減』、『最低賃金引上げ:全国最低800 円、全国平均1000 円』、『労働災害発生件数3割減、メンタルヘルスに関する措置を受けられる職場の割合100%、受動喫煙の無い職場の実現』

これらの目標値は、内閣総理大臣主宰の「雇用戦略対話」において、労使のリーダー、有識者の参加の下、政労使の合意を得たもの。また、これらの目標値は、「新成長戦略」において、「2020 年度までの平均で、名目3%、実質2%を上回る成長」等としていることを前提。

が掲げられています。

>内需を中心とする「需要創造型経済」は、雇用によって支えられる。国民は、安心して働き、能力を発揮する「雇用」の場が与えられることによって、所得を得て消費を拡大することが可能となる。雇用の確保なくして、冷え切った個人消費が拡大し、需要不足が解消することはあり得ない。
また、「雇用・人材戦略」は、少子高齢化という制約要因を跳ね返し、「成長力」を支える役割を果たす。少子高齢化による「労働力人口の減少」は、我が国の潜在的な成長エンジンの出力を弱めるおそれがある。そのため、出生率回復を目指す「少子化対策」の推進が不可欠であるが、それが労働力人口増加に結びつくまでには20 年以上かかる。したがって、今すぐ我が国が注力しなければならないのは、若者・女性・高齢者など潜在的な能力を有する人々の労働市場への参加を促進し、しかも社会全体で職業能力開発等の人材育成を行う「雇用・人材戦略」の推進である。

というわけで、明確に雇用を中心に据える政策、就業率目標によって労働力化(アクティベーション)を推進する政策が打ち出されています。

>北欧の「積極的労働市場政策」の視点を踏まえ、生活保障とともに、失業をリスクに終わらせることなく、新たな職業能力や技術を身につけるチャンスに変える社会を構築することが、成長力を支えることとなる。このため、「第二セーフティネット」の整備(求職者支援制度の創設等)や雇用保険制度の機能強化に取り組む。また、非正規労働者を含めた、社会全体に通ずる職業能力開発・評価制度を構築するため、現在の「ジョブ・カード制度」を「日本版NVQ(National Vocational Qualification)」へと発展させていく。

関係がよく分からないのですが、この雇用・人材戦略の項目では「日本版NVQ」という表現なのですが、後ろの方の、「成長を支えるプラット・フォーム」というところでは、

>時代の要請に合った人材を育成・確保するため、実践的な職業能力育成・評価を推進する「実践キャリア・アップ制度」では、介護、保育、農林水産、環境・エネルギー、観光など新たな成長分野を中心に、英国の職業能力評価制度(NVQ:National Vocational Qualification)を参考とし、ジョブ・カード制度などの既存のツールを活用した『キャリア段位』を導入・普及する(日本版NVQ の創設)。あわせて、育成プログラムでは、企業内OJT を重視するほか、若者や母子家庭の母親など、まとまった時間が取れない人やリカレント教育向けの「学習ユニット積上げ方式」の活用や、実践キャリア・アップ制度と専門学校・大学等との連携による学習しやすい効果的なプログラムの構築を図る。
同時に、失業をリスクに終わらせず、新たなチャンスに変えるための「セーフティ・ネットワーク」の実現を目指し、長期失業などで生活上の困難に直面している人々を個別的・継続的・制度横断的に支える「パーソナル・サポート」を導入するほか、就労・自立を支える「居住セーフティネット」を整備する。

こちらでは例の新聞に出ていた「キャリア段位」という言葉になっていますね。

元に戻って、ディーセント・ワークの関係で「同一価値労働同一賃金」が出てきます。

>また、雇用の安定・質の向上と生活不安の払拭が、内需主導型経済成長の基盤であり、雇用の質の向上が、企業の競争力強化・成長へとつながり、その果実の適正な分配が国内消費の拡大、次の経済成長へとつながる。そこで、「ディーセント・ワーク(人間らしい働きがいのある仕事)」の実現に向けて、「同一価値労働同一賃金」に向けた均等・均衡待遇の推進、給付付き税額控除の検討、最低賃金の引上げ、ワーク・ライフ・バランスの実現(年次有給休暇の取得促進、労働時間短縮、育児休業等の取得促進)に取り組む。

この同一価値労働同一賃金の中身はどういうことであるのか、法政策としての明確化が今後議論になることと思われます。

政労使三者構成の政策検討に係る制度・慣行に関する調査

Tripartite 労働政策研究・研修機構の資料シリーズの一環として、『政労使三者構成の政策検討に係る制度・慣行に関する調査 ―I LO・仏・独・蘭・英・E U 調査―』が発表されました。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2010/10-067.htm

これは、本ブログでも何回かトピックとして取り上げてきた労働政策に関する政労使三者構成原則について、先進国と国際機関の制度や動向をとりまとめたものです。派遣法改正をめぐっても三者構成原則が話題になったことは記憶に新しいところですが、ややもすると言葉だけが飛び交いがちになるテーマであるだけに、きちんとした調査研究が求められていたところです。

>研究の目的と方法

厚生労働省の要請を受け、労働立法過程における三者構成原則のあり方を確認することを目的として、フランス、ドイツ、オランダ、イギリスの4カ国とILO、EUの2国際機関について調査を行った。
調査では、ILOにおいて三者構成主義がすべての場面に適用される根本原理であることを確認した上で、各国の政(公)労使三者構成制度の有無について調べるとともに、三者構成による協議機関の設置や労使からの意見聴取を義務づけているILO第26号条約(最低賃金決定制度条約)、第88号条約(職業安定組織構成条約)、第144号条約(国際労働基準の実現促進のための三者間協議条約)などを取り上げ、これら条約の批准状況、批准国における「協議機関の設置」や「労使からの意見聴取」の実態を把握することに努めた。

主な事実発見

具体的な実施方法は異なるものの、いずれの国においてもILO条約の規定にしたがって、何らかの形で協議機関の設置や、労使からの意見聴取を実施していることが明らかになった。

政策的含意

近年三者構成原則に対してその正当性に疑問を呈する議論が提起されてきたため、改めてその正当性の根拠をきちんと整理し、規範的理論として再確認する必要が高まっている中で欧州諸外国や国際機関の三者構成主義の在り方を調査してその実態を明らかにした意義は大きい。
今後、労働政策決定のあり方について、とりわけ三者構成原則の評価について議論がなされる際には、本報告が明らかにした諸知見を踏まえた上でなされることが期待できる。

政策への貢献

労働分野における立法システムの在り方についての議論に貢献。

執筆は、まずわたくしが序章で、日本において三者構成原則をめぐる議論が近年どのように展開してきたかを概説し、

第1章は吾郷眞一先生がILOについて解説され、

第2章から第5章までは、フランス、ドイツ、オランダ、イギリスの説明ですが、ここで特に注目して読んでいただきたいのが、第4章のオランダです。千葉大学でオランダ政治史を専門とされる水島治郎先生が執筆されていて、今日の日本に対して示唆的です。

最後の第6章はわたくしがEUレベルについて概説しています。

2010年6月17日 (木)

「学校のような企業」ってのがまさに日本型システムだったわけですが何か?

elm200さんという方の「Rails で行こう!」というブログに、「学校のような企業を作る」というエントリが載っています。

http://d.hatena.ne.jp/elm200/20100616/1276679462

>気分転換のため、今日は、1年ほど前に私がベトナム語で書いたブログ記事を和訳してみた。新しい時代の企業経営について考えている

ということなので、別に反語でも何でもなく、ベトナムだけでなく日本にとってもまさに「新しい時代の企業経営」という趣旨のエントリなのだろうと思うのですが、

>経営者にとっては、従業員を職場に引き止める方法は、大きな問題の一つです。経営者の希望もむなしく、多くの優秀な従業員たちが会社を辞めていきました。彼らはどうして仕事を辞めようと思ったのでしょうか。私の意見では、次のような2つの主要な原因があります。

1 報酬が十分でない (物質面)
2 会社に大切にされていないと感じる (精神面)

原因 2 (精神面)は次のような要素を含んでいます。

1 人間関係が上手くいかない
2 仕事を通じて自分の能力を伸ばしていく機会がない

要素 1 はどんな会社の従業員にも当てはまります。要素 2 は、ソフトウェア技術者のような専門職の人々にとって、非常に重要です。情報技術(IT)は、近年ますます進歩の速い産業です。もしソフトウェア技術者が自分の技術を磨き続けなければ、あっという間に情報技術の進歩に遅れてしまうでしょう。

また、ハイテク企業が市場での競争力を維持するためには、最新の技術を学び続ける従業員たちが必須です。

そこで私は「学校のような企業」という概念を提案したいと思います。ここでは、会社は単に仕事する場所であるにとどまらず、何かを学び続ける場所でもあります。従業員は、ときにその会社を「卒業」して、他の会社に移ってもかまわないのです。従業員のあらゆる要求を満たすことができる会社は存在しないからです。しかし、従業員は、他の場所での数年の経験の後、より高い地位に就くため、その「学校のような企業」に戻ってくることもできます。これは、開かれた経営モデルです。

現代の経済において、知識の役割はますます重要になっています。私は「学校のような企業」モデルが遠くない将来において当たり前になっていくと信じています。

これ自体は、何もおかしな所もない筋の通った一つの考え方であろうと思います。

この「学校のような企業」ってのが、まさに戦後確立されてきた日本型雇用システムにおける典型的な正社員育成システムであったわけで、企業が学校のようになるのだから、学校は学校のようである必要はない、ということでレジャーランドになったという副産物もあるわけですが、それはともかく、従業員が「会社に大事にされていると感じ」られ、「仕事を通じて自分の能力を伸ばしていける」仕組みというのは、それが可能な限り多くの労働者に適用されることが可能である限り、大変望ましい仕組みであることはいうまでもありません。

elm200さんはその素晴らしい仕組みをベトナムの方に語り、そして日本の読者にも語ろうとされているわけで、そのこと自体には何も文句を付ける必要はありません。

ただ、全く同じ方が、ほんの少し以前のエントリで、

http://d.hatena.ne.jp/elm200/20100610/1276144015(「日本というシステム」は持続可能なのか?)

>私は、日本企業の仕事の進め方、組織の作り方そのものが信じられなくなった。私は、彼らのやり方を常に批判的な目で見ていた。私は、彼らのやり方に染まらないようにしよう、と密かに誓った。日本的な仕事の進め方に批判的だった私は、当然のこと、日本企業で責任のある立場に立つことはできなかった。人々も私が「危険思想」の持ち主であることに勘付いていただろう。私は、言われたままにソフトウェアを作り続ける一介の職人の地位に甘んじるしかなかった。

いま日本企業が行き詰まっている。とくにかつての花形であった、総合家電メーカーの凋落が著しい。ひょっとしたら、彼らの組織の作り方や仕事の進め方が根本的な部分で間違っている可能性はないだろうか。日本人は、仕事と学校の勉強は全く別のものだと考えている。仕事のやり方は、すべて先輩から後輩へ OJT で伝えられる。それは、理論的に検証されたものというより、ある時期、上手く機能した経験則の集大成であることが多い。しかし、そのやり方が機能する前提条件が変化したのに、相変わらず同じやり方を続けようとしてはいないだろうか。

私は、MBA がすべてとは思っていない。だが、日本企業の管理職・経営者は、あまりに過去の成功体験だけに基づいて経営をしていないだろうか。彼らは、少しは経営の理論も学ぶべきではないだろうか

と平然と語っておられるのにはいささか違和感を感じざるを得ません。いや、ここでいわれていることにの中身自体には、それはそれなりに同意できる面もあるのです。従業員が「会社に大事にされていると感じ」られ、「仕事を通じて自分の能力を伸ばしていける」仕組みである日本型雇用システムが、同時に「そのやり方が機能する前提条件が変化し」「行き詰まっている」という面があることも確かでしょう。

そういう日本型システムの両義性を、両義性をきちんと意識しつつ、論ずべき論点に応じて適宜適切に論じ分けることが悪いわけではありません。むしろ、私自身そのように振る舞っております。

しかしながら、このブログの記述を見る限り、どうもあまりそのところの両義性をきちんと意識して書かれているのだろうかという疑義が湧いてくるのを禁じ得ないのですが。

>しかし、日本経済が長期低迷を抜け出すためには、日本人の一人一人が、新しい時代の環境に照らして、古い信念を検証し、捨てるべきものは捨て、残すべきものは残し、新しい信念を形成していかねばならないのではないか。その過程で、日本人は外国企業の経営のあり方や、最新の経営理論からも謙虚に学ぶべきだ。

「日本というシステム」の持続可能性がいま試されている。日本人が厳しく自己と向き合うことになしに、この危機を乗り越えることはできないのではないだろうか

一般論としてはまさにその通りですし、実際わたくしはある面ではそのように考えていますが、それが同時に、上のエントリでelm200さんが賞賛した従業員が「会社に大事にされていると感じ」られ、「仕事を通じて自分の能力を伸ばしていける」仕組みをも崩壊させる危うさをもったものであるという認識を欠いたまま語られることには、危惧の念を禁じ得ないということもまた事実であります。

難しい問題を難しいまま考える精神の緊張に耐える能力は大切です。

日経連は職安の地方移管に反対!

まだまだ続く古文書シリーズですが(笑)、今度は職業安定行政の地方移管問題について。

先日、連合が厚生労働大臣に対し、地方主権改革とかいってハローワークを地方自治体に委譲するべきではない、と申し入れしたことを伝えましたが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-5ed7.html(連合の「地域主権戦略大綱(出先機関改革関係)」に関する要請)

経営側はこの問題についてどう考えているのかは、もちろん労働政策審議会の意見書を公労使三者の一致した意見として提出していることからも明らかですが、連合のように特にこの問題についての文書を示しているわけではないようです。

そこで、古文書探索隊(笑)は旧日経連の意見書を遡って調べてみました。そうすると、1960年代末から70年代初めごろにかけて労働行政の地方分権が問題になっていた頃の意見書が出てきたではないですか。

これまた、今の日本経団連の方々で覚えている方はいないと思いますが、言ってる中身は今でも(あるいは今こそ)重要だと思いますので、各方面におかれては熟読玩味していただければ、と。

職業安定行政の地方移管問題に関する意見(昭和43.9.10)

>行政機構の改革については、臨時行政調査会の答申、行政監理委員会の意見によって方向が出されているが、このような改革そのものについては、われわれは基本的に賛成であり、合理的な機構が一日も早く実現することを期待するものである。

しかしながら、現在問題となっている改革の一環として、職業安定行政を地方に移管する方針が出されていると仄聞するが、このような方針は、全国を単一の市場とする労働力の円滑な調達を阻害する怖れがあり、産業界にとって次の如き点において大きな問題であると考えられるので、なお慎重に検討されることを要望する。

1.地域モンロー主義の強化のおそれがあること

2.企業の労働力調達のための全国的活動が阻害されるおそれがあること

3.工業配置と労働力配置の円滑な結合が妨げられるおそれがあること

4.職業安定行政の全国的統一運営の機能が阻害されること。

なお、職業安定行政がより一層広域的に拡大されつつあることは、世界的な趨勢であり、地方ごとに分割することは時代の要請に逆らうものというべきである。臨時行政調査会の答申にも「最近の労務需給は広域的な見地に立って処理すべき分野が拡大しつつあることを銘記すべきである」としていることからも、職安行政の地方移管については強く反省されねばならない。

職業安定行政の機構改革問題に関する要望(昭和46.3.29)

>職業安定行政の機構改革問題については、昭和43年11月26日付労働、自治、行政管理庁3大臣の覚書によれば、地方事務官制度を廃止し、さらに公共職業安定所の人事も原則として都道府県知事に機関委任されることになっているが、もしこれが実現するならば、単一労働市場による職業安定行政の統一的運営が困難となり、労働力の流動性が阻害される危険性なしとしない。

地方産業の興隆はもとより重要であるが、日本経済全般として考えた場合、現状より以上に労働力の全国的流動性が阻害されることは望ましい事態とは考えられない。

この意味において、特に公共職業安定所の職員人事を知事に機関委任することには、反対の意向を表明するものであるが、むしろこの際、職安機能の飛躍的な拡充向上を図るとともに、各地域間の全国的調整が十分可能となる機構とすることによって、現状以上に労働力の流動性が妨げられないように慎重な考慮を払われんことを切望するものである。

まことにもって実にその通りなんですが、何とも皮肉なのは、このあとむしろ国の地域雇用政策はそれまでの労働力の広域移動促進政策から一転して、地域に雇用の場を創り出すことを主たる目的とする方向に向かっていったことです。それ自体は、高度成長期の一極集中が逆転するなどの社会の流れからしておかしなことではなかったのでしょうが、90年代に入り、日本社会全体が再び大都市圏への集中の傾向を強め始めた以降も、公式的には労働力の広域移動政策を採らず、いつまでも地域雇用開発を掲げ続けたことにはやはり問題があったと思ってます。集中か分散かというのはマクロ社会全体の力学であって、地域雇用対策ぐらいでどうにかなるものではないのですよ。それが、結局請負会社や派遣会社という形で、民間営利企業による労働力の広域移動を放置することになり、さまざまな問題を生じさせる原因になっていったと、私は考えています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_8897.html(事実上の広域移動政策)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_97bd.html(雇用促進住宅の社会経済的文脈)

日経連が時間外労働1年300時間シーリングを提唱していた!

なんだか最近、古文書ばかり読み耽っているようですが(笑)、また面白いものを見つけました。

1955年12月12日付「労働基準法改正に関する具体的意見」の中で、36条について。こう改正せよと主張しています。

>第36条を「使用者は業務上その他の事情がある場合、従業員一人当たりの平均が1年について300時間を超えない限り、第32条の労働時間または前条の休日に関する規定にかかわらず、労働時間を延長し、または休日に労働させることができる」よう改める。

理由 労働基準を定むべき現行法は、時間外、休日労働については単に労使の協定に放任しており、組合の強弱によりその基準も異なる取扱いをなすのは妥当でなく、また、組合により悪用される事例もあることに鑑み、国際的見地から労使の協定を要せずして最高時間によって制限することが妥当である。

なんと、日経連が時間外・休日労働の上限を年300時間に制限しろと主張していたんですね(もちろん、その趣旨が組合の「36協定結んでやらないぞ」闘争に振り回されたくないという気持ちであることは明白ですが)。多分、今の日本経団連の方々の誰も覚えていらっしゃらないと思いますが、でも言っていることはまことに正論でありまして、これがちゃんと実現していれば、今のような事態にはなっていなかったのではないかと死児の歳を数えたくなる向きもあるかも知れません。

『Works Review』Vol.5の中村天江論文その他

Wr2010 リクルートのワークス研究所の年報『Works Review』Vol.5(人事リスクと向き合う)を、同研究所研究員の中村天江さんよりお送りいただきました。

同年報の内容は、すべて同研究所のHPからダウンロードできますので、是非覗いてみてください。

http://www.works-i.com/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=702&item_no=1&page_id=17&block_id=302

欧米各国の緊急雇用対策
キャリア教育を推進する小中連携の考察
生徒のニーズ別キャリア教育の展開方法の差異に関する考察
報告行動に影響を与える組織風土の分類
売上減少期の人事施策変更が職場モラールに与える影響
フラット化による管理人数の拡大が従業員の能力開発に及ぼす影響
課長任用の分権によるリスクはいかに回避されているのか
労働・雇用区分の転換とリスク
非正規という働き方は本当にリスクか
入社後3年間の上司が,新入社員の その後の成長を阻害するリスク
就活に潜むリスク
登録型派遣労働者の再就業に関する実証分析
大卒新卒者採用を抑制すると「リスク」となるのか
有期雇用契約の雇止め無効リスクに関する分析
非正規労働のリスク化プロセス
自己信頼と職場コミュニケーションの関係
間接雇用における休業手当の考察
人材不足への対応に関する類型化

このうち、中村さんの論文は、派遣労働に関わる上の太字の2編です。

まず、「登録型派遣労働者の再就業に関する実証分析―派遣会社の介在価値はどこにあるのか?―」ですが、最後の「総括」を引用しておきます。

>以上の考察から,事務系・登録型派遣労働者,34 歳以下の再就業は次のようにまとめられる。
事務系・登録型派遣労働者は複数の派遣会社を併用し,派遣会社に対して受動的である。派遣会社の職業紹介機能も,雇用していた登録型派遣労働者全員にではなく,限定的な提供にとどまる。離職後の再就業では,専門性や経歴などスペックでの選別は確認されず,雇用契約の更新数や派遣先企業規模など,登録型派遣労働者の能力や定着性向の代理指標(シグナル)が確認された。派遣会社に積極的に仕事紹介を働きかけることが,再就業機会の増加につながることも明らかになった。
職種を細分化して確認する必要はあるものの,少なくとも本研究では,派遣会社に派遣労働者の雇用期間中の能力や実績の情報が蓄積され,ダイレクトに活用されているとはいえない。むしろ,登録情報やコーディネーターらのヒアリングを通じて派遣先とのマッチングがはかられていると考えられる。蓄積情報の活用ではなく,関係性にもとづいた就業斡旋がなされているのである。1986 年の派遣法成立の理論的契機に,伊丹・松本によって提唱された「中間労働市場論」があった(伊丹・松本1985)。派遣会社が企業間移動と雇用保証を両立させる中間組織として機能するという理論である。しかし,登録型派遣では派遣会社は中間組織としては十分には機能しておらず,これは中間労働市場論の批判的考察を行った先行研究と整合的な結果であった(丸岡・木村大成2006)。
ただし,本研究を通じて,その原因が派遣会社だけにあるわけではないことも明らかになった。そもそも,働く意欲が高くない者や,外部労働市場での希望通りの就業が難しい者の存在が判明したからである。就業意欲が低い者の存在は,自己都合での派遣契約終了が多いことや労働市場再参入においても企業に意欲が伝わらず,就業実現を難しくすることにつながる。外部労働市場での就業が難しい者に対しては,派遣会社という間接雇用だからこそ就業が実現しているととらえることができる。
このような事務系・登録型派遣労働者の特性をふまえた上で,「登録型派遣労働者の雇用の安定化」問題を見つめなおすと,2つの異なる局面が存在することに気づく。労働者派遣制度の構造的な負の側面が露呈している離職局面と,正の側面が発揮されている再就業局面である。
離職局面では,外部人材ゆえに内部人材よりもさきに人員調整の対象にされやすく16,派遣契約の終了にともなう雇用契約の中途解除さえ発生する。業務によっては受入れ期間に上限があるため,長期的な就業継続も期待できない。派遣先の正規社員と比較すれば,失職につながるトリガーがいくつも存在する。一方,再就業局面では,就業時間や場所に制約があり,外部労働市場では正規社員として採用されにくい個人の雇用の受け皿となっている。「多様な働き方」「多様な労働者」を受け入れる需給インフラとして,労働者派遣制度が一定の役割を果たしていることは評価すべきである。
派遣会社の中間組織としての機能強化や,正規社員への転換支援は今後の大きな課題だろう。その一方で,派遣会社や登録型派遣制度全体を悪者にしたてたわかりやすくも偏った議論ではなく,その制度を活用している,もしくは活用せざるをえない個人の事情に焦点をあてた建設的な議論が求められている。

ちなみに、わたくしのブログの1エントリが引用されていました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-b51b.html(事務派遣崩壊の歴史的根拠)

もう一つは「間接雇用における休業手当の考察―派遣労働者を例にとって―」ですが、これは労働法学的に派遣をちゃんと考えようとする人にとっては、以前から重要な課題でありながら、まともにきちんと考察されてこなかった論点です。

>派遣元事業主が派遣労働者に支払う休業手当について,考察を行うことは一定の価値があると考える。なぜなら,派遣労働者の休業手当は,雇用の安定の問題と表裏一体だからである。
第174 回通常国会に労働者派遣法の改正法案が提出され,自由化業務(製造業務含む)の派遣は常用雇用1以外禁止となる見込みである。派遣労働者の雇用期間が長期化すればするほど,反作用として,次の就業先が確保できない事態が発生する。改正法が施行されれば2,派遣元事業主は収益構造に直接的な打撃をこうむる。次の就労が開始されるまで,派遣労働者の賃金を低くおさえようと判断する可能性も生じる。

たしか一昨年、連合総研で「労働法改革」の研究会(イニシアチブ2008)に出ていたときに、馬渡先生を呼んだときか脇田先生を呼んだときか忘れましたが、そもそも「常用型」と「登録型」ってどこが違うのか、常用型だと派遣先がないときは60%の休業手当だというのはどういう法的根拠があるのか、登録型における登録状態というのは雇用の予約ではないのか、内定とは違うのか、等々といった議論が出た記憶があります。

ほんとうは、こういう議論を積み重ねるプロセスが必要なのでしょうね。

最後のインプリケーションのところで、やや唐突気味に

>本考察から導かれる含意は2点ある。まず,派遣労働者の「自分を守る力」を強化するとである。派遣労働者は行使できる権利について十分な知識を有していない。日本では,派遣労働者に限らず,労働者のほとんどがこのような知識を持たないだろう。集団的労働条件が適用される期間の定めのない労働者は,使用者と個別交渉の機会は少なく,問題は起こりにくい。しかし派遣労働者の多くは個別労働契約者であり,さらに間接雇用の構造ゆえに,派遣先に端を発した労働条件変更の可能性がつきまとう。労働者としての権利知識を持たず,適切な情報が開示されなければ,不利益をこうむるリスクが格段に高くなってしまうのである。
リスクを最小限におさえるために,派遣元事業主は労働者派遣制度のメリット・デメリットを開示し,そのうえで,派遣という働き方を選択するのかを労働者に委ねる「インフォームド・コンセント」の導入を検討したい。さらに,派遣元事業主もしくは教育過程において,労働法の基礎知識など,労働者の権利教育を整備することが急務である。

と、労働者の権利教育の話題に振られていますね。

2010年6月16日 (水)

同一労働力同一賃金原則@俗流マルクス主義

同一労働力同一賃金なる理論をはじめて打ち出したのは、終戦直後の時期の宮川実『資本論研究2』だということで、東大図書館の地下書庫からほじくり返してきました。

こういう理屈だそうです。まじめに読んでいくとだんだん頭が痛くなってきますが、こういう理屈が猛威を振るっていた時代があったということで。

>同一労働同一賃金の原則の意味

同じ種類の労働力の価値(価格)は同じである。なぜというに、同じ種類の労働力を再生産するために社会的に必要な労働の分量は、同じだからである。だから同一の労働力にたいしては、同一の賃金が支払われなければならぬ。

資本家およびその理論的代弁者は、同一労働同一賃金の原則を異なった意味に解釈する。すなわち彼らは、この原則を労働者が行う労働が同じ性質同じ分量のものである場合には、同じ賃金が支払われなければならぬ、別の言葉でいえば、賃金は労働者が行う労働の質と量とに応じて支払われなければならぬ、という風に解釈する。労働者がより多くの価値をつくればつくるほど、賃金は高くなければならぬ、賃金の大きさを決めるものは、労働者がつくりだす価値の大きさである、というのである。

既に述べたように賃金は労働力の価値(価格)であって、労働力がつくりだす価値ではない。労働力は、それ自身の価値(賃金)よりも大きな価値をつくりだすが、この超過分(剰余価値)は、資本家のポケットに入り、賃金にはならない。・・・われわれは、賃金の差は労働力の価値(価格)の差であって、労働者が行う労働の差(労働者がつくりだす価値の差)ではないということを銘記しなければならぬ。

この二つのものを混同するところから、多くの誤った考えが生まれる。民同の人たちの、賃金は労働の質と量とに応じて支払われるべきであるという主張は、この混同にもとづく。・・・賃金の差は、労働力の質の差異にもとづくのであって、労働の質の差異にもとづくのではない。だから同一労働同一賃金の原則は、正確にいえば、同一労働力同一賃金の原則であり、別の言葉でいえば、労働力の価値に応じた賃金ということである。

資本主義社会では、労働者は、自分がどれだけの仕事をしたかということを標準としては報酬を支払われない。労働者に対する報酬は、彼が売る労働力という商品の価値が大きいか小さいかによって、大きくなったり小さくなったりする。そして労働力という商品の価値は、労働者の生活資料の価値によって定まる。・・・労働者の報酬は労働力の種類によって異なるが、これは、それらの労働の再生産費が異なるからである

だからリタイアメントエイジを定年と訳してはいけないと何遍言ったら・・・

読売新聞が「フランス、「60歳定年」廃止へ」という記事を書いていますが、

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100615-OYT1T00967.htm

>【パリ=林路郎】フランスが欧米では珍しい60歳定年制を見直し、段階的に62~63歳に引き上げる。労働者の福祉向上のためミッテラン社会党政権が導入した制度も、30年近くを経て、市場が迫る財政赤字削減の圧力に抗しきれなくなった。

ここで言ってるリタイアメントエイジ(引退年齢)とは、公的年金制度における支給開始年齢のことであって、企業における強制退職年齢のことではありません。

いやがる労働者をむりやり「定年だから」といって社外におっぽり出す年齢のことではなく、早く年金が欲しいと思っている労働者が安心して会社を辞められる年齢のことです。

というようなことは、今まで何遍・・・どころか何百遍繰り返してきたかと思いますが、それでもやっぱり「定年」と書くんですねえ。

>仏政府は15日夜(日本時間16日未明)にも、定年の引き上げを盛り込む年金制度改革案を公表する。大統領の与党・民衆運動連合(UMP)は、定年と年金支給開始を2020年に62歳に引き上げる案と、30年をめどに63歳に引き上げる二つの案を検討しており、政府の改革案もこれに沿った内容となりそうだ。

 欧州諸国では65歳定年制が主流だが、フランスは1981年に発足したミッテラン政権下で法律で定める定年を65歳から60歳に引き下げた。一部の職種には57歳での早期退職すら認めている。

 だが高福祉の社会保障制度では財政負担が重くのしかかり、政権は「もっと働かなくては制度がもたない」と国民に率直に訴えている。

 09年の政府債務は国内総生産(GDP)の約78%。財政赤字への市場の不信がギリシャ危機の引き金となっており、フィヨン首相は「国の借金が増え過ぎれば(財政運営での)主権すら脅かされかねない」と繰り返してきた。

 問題は最大野党・社会党の対応。マルティヌ・オブリ第1書記は、12年の大統領選で政権を奪還すれば「定年引き上げを撤回する」と断言。年金改革を選挙の争点に据える構えを見せる。

 年金改革案はシラク前政権下で国民の反発を買い、3週間以上に及ぶゼネストの末に廃案になった経緯がある。

この問題はとりわけフランス政府にとっては鬼門でして、働きたくない高齢労働者をいかに長く働かせればいいのか、というのがフランス労働政策担当者の最大の難問であります。

で、かれらにとっては、極東の神秘の国、高齢労働者がもっと長く働かせろといって定年の引き上げを要求し、それに押されて政府の政策が進められてきた不思議の国、ニッポンが興味津々となるわけでありまして、近々お呼びがかかるようであります。

475032325x (参考)

先進諸国の高齢者雇用政策については、OECDの報告書をわたくしが翻訳した『世界の高齢化と雇用政策』(明石書店)があります。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/475032325X.html

ちなみにこの報告書、原題は「Live Longer, Work Longer」で、「長生きすんだから、もっと長く働けよ」ってなかんじですかね。

(追記)

と思ったら、さっそく労務屋さんから「愚痴」が届きました。

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100617

>欧米でいう「リタイアメントエイジ」が日本の「定年」とは異なる、というご指摘はまあそうだろうと思うのですが、それにしても日本の「定年」は「いやがる労働者をむりやり「定年だから」といって社外におっぽり出す年齢のこと」なんですかそうですか。

ま、それも間違いなく一面の真実ですし、労働官僚であるhamachan先生がこのように述べられることも無理はないと思います。

ただ、企業の人事屋にしてみれば、定年というのは「技能が陳腐化してしまった労働者に再教育を実施したり、体力や健康が衰えてしまった労働者をそれに応じた仕事に配置転換したりして、なんとしてもそこまでは雇い続ける年齢」のことでもあるんですよ。

ここはまさに、わたくしがかつて高齢者雇用安定法の改正作業に携わったときに法制局との間で何回も議論した点で、厳密に法律上からは、「定年」とは期間の定めのない雇用契約を年齢を理由に終了すること以外ではなく、定年が存在することによってそこまで雇用が保障されるという法的効果がもたらされるとはいえない、というのが、現実のとりわけ大企業や中堅企業における人事労務管理の実務感覚とは異なりますが、法的な結論ということになっております。

ただ、本エントリの趣旨はそんな放屁じゃない法匪的理屈にあるのではなくって、そもそも日本では労働者側が、労働組合側が「もっと高齢まで働かせろ」と要求して法政策が動いてきたという、われわれにとっては何とも思わないようなことが、何が何でも年金もらって早く引退したいフランス人の目には極東の神秘と映るということにあるわけなので、そこのところはご理解を。

なお、日本における定年制とそれに関わる法政策の歴史については、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/teinentaishoku.html(『季刊労働法』第215号「労働法の立法学」シリーズ第12回 定年・退職・年金の法政策」)

を参照のこと。

58年前の賃金制度改善指導

今から58年前の1952年、当時の労働省労働基準局は「賃金制度改善について」(昭和27年8月4日基発第571号)と題する通達を発出し、これに基づき都道府県労働基準局が主体となって賃金制度改善運動を行ったと、『労働行政史』第2巻に書かれています。

そこに、この時の賃金制度合理化運動の実施に当たっての重点項目と考え方が『労働行政史』第2巻に掲載されているので、一部引用しましょう。当時の労働行政の近代主義的なものの考え方が窺われます。

>1 基本給の確立

 戦後の経済混乱期に著しく生活給化したわが国の賃金体系は、その後生産の回復、経済書情勢の安定化とともに、職務に重点を置く考え方に基づく諸手当を加え、きわめて複雑なものとなっている例が多い。しかも基本給そのものも職務の内容、労働の質量とに直接関係のない身分的な色彩の濃いものが少なくない。既に存在意義の希薄となった諸手当、支給目的の重複する諸手当等を整理統合し、同一価値労働同一賃金の原則にのっとった基本給を確立することは賃金制度合理化の根本となるものである。

 合理的な基本給を確立するに当たって前提となるのは職務内容、責任の程度、その他の労働条件を明確化することである。我が国においては職務の標準化が行われておらず、また責任の所在も不明確なものが多いが、職務の内容等を明確化するに当たっては、職務分析、職務評価等、職務給制度に用いられる技術を導入することが有効である・・・。

2 昇給昇格制度の運用

 昇格制度は労働力の経済的価値の向上面を賃金で調節し、絶えず同一価値労働同一賃金の原則による適正な賃金を維持する方途に用いられ、本来固定的な時間給制賃金の動的な一面を形成するものであり、また時間給制の賃金を受ける労働者に対し好ましい刺激を与える機能を持つものである。それ故、基本給の増額方式として科学的人事考課制度を利用し、合理的に作成された俸給表を用いる昇給昇格制度を導入確立することは、戦後の経済混乱期に一般化した一律ベース・アップに比し、労使間の無用な紛争の回避、経営効率の上昇、労働生産性の向上等に格段の好影響をもたらす・・・。

4 業績給制度の導入

 業績給制度は労働の成果に結びつけて賃金が支払われる賃金支払形態であり、適当な条件の下にこの制度を導入するならば、同一価値労働同一賃金の原則に即応するのみならず刺激的賃金制度として、生産の増大、労働生産性の向上、生産費の引下げ等の効果を期待しうるものである。しかるに我が国においては、業績給制度を導入するための基盤となる諸条件を充足していない業種または職種にこの制度を適用したり、あるいは単価、標準作業量等の設定に科学性を欠いているために、この制度のもつ本来の効果を減殺しているのみならず、かえって労使間の紛争を引き起こしたり、生産に逆効果を与えている例も少なくない。この制度の導入に当たっての前提としては、あらかじめ良好な労使関係が成立していること、賃金水準も相当高いこと、労働者代表がその設定改廃に参加する機会が与えられていること、企業経営の見透しが立ち、標準作業量等の科学的測定が可能であること、作業及び原材料が持続的に提供されること等、労働者の自由に基づかない要因が生産量に影響を及ぼさないこと、および可能な限り簡潔であり、かつ、理解しやすい方式の導入が出来ること等が必要である・・・。

もちろん、時代の違いを感じさせる記述もありますが、なんだか、今読んでも身につまされるような気がするのは気のせいでしょうか。

本日の名言

どういう文脈でいわれたのかはよく分かりませんが、それぞれの立場から噛みしめると味わいのある言葉だと思いますので。楠正憲さんのつぶやきから。

http://twitter.com/masanork/status/16154068667

>雨にも負けず、風にも負けず、仕打ちに理不尽を感じても冷静さを維持し戦略的な目標を見失わず、ちっと手を動かしては社会資本を積み重ね、目の前にある矛盾を敷衍しつつ手の届く範囲で解消し、他人の前で偉ぶることもない、そういうひとに、私はなりたい

いま、そういう思いの中にある人々の顔がいくつも思い浮かびます。

2010年6月15日 (火)

男の顔の値段、女の顔の値段

既にマスコミ等でかなり大きく報道されていますのでご存じでしょうが、去る5月27日の京都地裁の判決。労災で顔に火傷を負った男性が、「女性の外ぼうに著しい醜状を残すもの」なら障害等級第7級で、当該障害の存する期間1年につき給付基礎日額の131日分の障害補償年金が支給されるのに、「男性の外ぼうに著しい醜状を残すもの」だと障害等級第12級で、給付基礎日額の156日分の障害補償一時金が支給されるにとどまるのは差別だ!!!と訴えていた裁判です。

世間の注目が高いためか、早速最高裁のHPにアップされています。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100615103657.pdf

>以上のとおり,国勢調査の結果は,外ぼうの醜状障害が第三者に対して与える嫌悪感,障害を負った本人が受ける精神的苦痛,これらによる就労機会の制約,ひいてはそれに基づく損失てん補の必要性について,男性に比べ女性の方が大きいという事実的・実質的な差異につき,顕著ではないものの根拠になり得るといえるものである。また,外ぼうの醜状障害により受ける影響について男女間に事実的・実質的な差異があるという社会通念があるといえなくはない。そうすると,本件差別的取扱いについて,その策定理由に根拠がないとはいえない。
しかし,本件差別的取扱いの程度は,男女の性別によって著しい外ぼうの醜状障害について5級の差があり,給付については,女性であれば1年につき給付基礎日額の131日分の障害補償年金が支給されるのに対し,男性では給付基礎日額の156日分の障害補償一時金しか支給されないという差がある。これに関連して,障害等級表では,年齢,職種,利き腕,知識,経験等の職業能力的条件について,障害の程度を決定する要素となっていないところ(認定基準。乙3),性別というものが上記の職業能力的条件と質的に大きく異なるものとはいい難く,現に,外ぼうの点以外では,両側の睾丸を失ったもの(第7級の13)以外には性別による差が定められていない。そうすると,著しい外ぼうの醜状障害についてだけ,男女の性別によって上記のように大きな差が設けられていることの不合理さは著しいものというほかない。また,そもそも統計的数値に基づく就労実態の差異のみで男女の差別的取扱いの合理性を十分に説明しきれるか自体根拠が弱いところであるうえ,前記社会通念の根拠も必ずしも明確ではないものである。その他,本件全証拠や弁論の全趣旨を省みても,上記の大きな差をいささかでも合理的に説明できる根拠は見当たらず,結局,本件差別的取扱いの程度については,上記策定理由との関連で著しく不合理なものであるといわざるを得ない。

>以上によれば,本件では,本件差別的取扱いの合憲性,すなわち,差別的取扱いの程度の合理性,厚生労働大臣の裁量権行使の合理性は,立証されていないから,前記(2)ウのように裁量権の範囲が比較的広範であることを前提としても,なお,障害等級表の本件差別的取扱いを定める部分は,合理的理由なく性別による差別的取扱いをするものとして,憲法14条1項に違反するものと判断せざるを得ない。

池田勇人よりも誠実か?

今からちょうど半世紀前の1960年、池田勇人内閣の国家経済企画書として書かれた『国民所得倍増計画』は、終身雇用制、年功序列型賃金制度が労働力の流動性を阻害しているという認識に立ち、次のように、労務管理制度の近代化を訴えていました。

>労務管理制度も年功序列的な制度から職能に応じた労務管理制度へと進化して行くであろう。それは年功序列制度がややもすると若くして能力のある者の不満意識を生み出す面があるとともに、大過なく企業に勤めれば俸給も上昇してゆくことから創意に欠ける労働力を生み出す面があるが、技術革新時代の経済発展を担う基幹的労働力として総合的判断に富む労働力が要求されるようになるからである。企業のこのような労務管理体制の近代化は、学校教育や職業訓練の充実による高質労働力の供給を十分活用しうる条件となろう。労務管理体制の変化は、賃金、雇用の企業別封鎖性をこえて、同一労働同一賃金原則の浸透、労働移動の円滑化をもたらし、労働組合の組織も産業別あるいは地域別のものとなる一つの条件が生まれてくるであろう。(第4部「国民生活の将来」 第1章「雇用の近代化」)

池田首相が、そして所得倍増計画の策定に携わった当時の学者や官僚たちが、近ごろ都に流行る一知半解の連中と違うところは、こういう労務管理制度の近代化が、公共政策としていかなる政策制度を要請することになるのか、ということをきちんと認識し、それを計画の中にしっかりと盛り込んでいたことです。

>広域職業紹介の機能を持つ職業安定機構の確立を図り、横断的な労働市場を形成して行かなくてはならない。

>労働力の可能性の障害となっている住宅問題の改善が急がれる。・・・従来、一部の大企業においては従業員に対する社宅の提供を行っていたが、大部分の労働者特に中小企業の労働者にはそのような便宜は与えられてこなかった。労働者が独力で住宅を得ることは現在の賃金水準のもとでは困難であり、民間の賃貸住宅の賃貸料の負担も容易ではない。したがって、政府施策による勤労者用住宅の充実を図ることが緊要となる。

>年功序列型賃金制度の是正を促進し、これによって労働生産性を高めるためには、すべての世帯に一律に児童手当を支給する制度の確立を検討する要があろう。

>学校教育と並んで職業訓練の重要性と緊急性は増大している。しかし、職業訓練は国民の理解が不十分な点を考慮して、これを社会的慣行として確立する必要がある。

もし、民間企業の労務管理制度について終身雇用制や年功賃金制を否定する論者が、その舌の根も乾かぬうちに、職安は民営化してOKとか、公的な住宅政策なんて無駄だとか、子ども手当なんてバラマキはやめろとか、訓練校なんて全部潰してOKとか、そういうたぐいの公共政策破壊ポピュリズムを喚き散らしているとしたら、そういうインチキ論者は、池田勇人首相の誠実さをかけらももたない輩であると考えていいと思われます。

こうした公共政策の社会的位置づけがとりわけ1970年代以来西欧諸国と比較して著しく低くなってきたのは、まさにかれらが否定すると称する民間企業の終身雇用制や年功賃金制度が、それら公共政策を代替する機能を果たしてきたからで、それは半世紀前の国民所得倍増計画が示した日本経済の将来像とはまったく異なる方向であったわけです。「そういうことは企業が全部やるから国は余計なことをするな」というのであれば、それはそれなりに筋の通った議論になります。しかし、企業福祉も破壊せよ、国も福祉も破壊せよ、というのは、つまり日本を焼け野が原にしたいということなのでしょうね。

2010年6月14日 (月)

連合の「地域主権戦略大綱(出先機関改革関係)」に関する要請

本日、連合は厚生労働大臣に対して、「『地域主権戦略大綱(出先機関改革関係)』に関する要請」を手交しました。連合のホームページに早速写真入りで載っています。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/rengonews/2010/20100614_1276490897.html

要請書はこちらですが、

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/rengonews/data/20100614yousei.pdf

>政府におかれましては、最重要課題の一つとして地域主権改革に向けた議論を進め、今月中にも改革の基本的な考え方を示す「地域主権戦略大綱」をとりまとめる予定であると伺っております。
連合は政府同様、地域主権改革を推し進めるべきであるとの立場ですが、労働行政に関する国の出先機関を地方自治体へ移譲することは慎重に検討しなければならないと考えております。とりわけハローワークは、職業紹介や雇用保険の認定・給付業務などを担う、働く者の雇用を守る生命線であり、社会の安定をはかる中枢機関であります。したがって改革の検討にあたっては、利用者であり当事者でもある労使の意見を十分に尊重・反映いただく必要があると存じます。
具体的な内容は、労働政策審議会による本年4 月1 日付「出先機関改革に関する意見」に記載の通りですが、このたび「地域主権戦略大綱」の策定にあたり、あらためて下記要請いたします。

と述べた上で、次の2項目を要請しています。

1.個々の事務・権限を国から地方自治体に移譲する際に勘案すべき事項の追加
移譲の対象となる個々の事務・権限の検討にあたっては、単に国民・住民のニーズや利便性を考えるだけでなく、事務・権限に関わる利用者や当事者の意見を勘案すべきことを明記する。特に労働行政機関に関しては、ILO 条約を踏まえ、労使の意見を尊重することを担保する。
また、日本国憲法や国際条約との整合性を勘案すべきことを明記する。

2.個々の事務・権限の移譲の是非を仕分けする際のパターンの追加
地方自治体へ移譲するものや、国に残すものなどというパターンに加え、国と地方の連携を強化するかたちで出先機関の事務・権限を効果的に機能させる選択肢を明記する。

これに対して大臣からは、

>「少子高齢社会を迎えつつある中で世界の手本とあるような日本の社会モデルを提示していかなければならない。その中で、ハローワークの位置づけはより強化させなくてはならない。具体的には、ナショナルミニマム研究会などでの検討を通じ、生活支援や労働相談などを恒常的に担うナショナルミニマム的なステーションとして機能させるような議論をしている」として、連合の要請に対して前向きな発言が得られた。

とのことです。

連合としては、「地域主権」が暴走しないように、

>連合は引き続き、議論の行方を注視していく。

とさらに釘を刺しています。

『季刊労働法』229号

I0eysjiyoy2g 『季刊労働法』2010年夏号(229号)が刊行されました。特集は「民法改正論議と労働法」、第2特集は「5年目を迎えた労働審判の課題」、小特集が「労組法上の労働者・使用者」です。

http://www.roudou-kk.co.jp/quarterly/archives/004484.html

●229号では、法制審議会で議論が進行中である民法(債権法)改正の動きを眺めつつ、労働法にどのような影響があるのかを考えます。労働法学、民法学といった学者の立場、労使の弁護士といった実務家の立場、4つの視点から検討します。

●第2特集では、増え続ける労働審判の問題点について、労側、使側の弁護士、裁判所、という三者の論考を掲載します。労働審判制度の現状と課題、不満な点などを解明します。
 また、小特集として「労働組合法上の労働者概念、使用者概念」を掲載します。隔号掲載の「労使で読み解く労働判例」では、東芝(うつ病・解雇)事件(東京地判平成20年4月22日) を取り上げます。

特集
民法改正議論と労働法

民法改正と労働法の現代化
 ―改正後における労働法の立法課題―
上智大学名誉教授 山口浩一郎

民法改正と労働法制 
上智大学法科大学院教授 加藤雅信

労働法から見た民法(債権関係)改正について
 ―労働者側弁護士から見て―
弁護士 水口洋介

使用者側から見た民法改正と労働法
弁護士 和田一郎

第2特集 5年目を迎えた労働審判の課題

現場裁判官から見た労働審判の現状と改善点
 最適な運営のために 
千葉地裁部総括判事(前名古屋地裁部総括判事) 多見谷寿郎

労働審判の現状と問題点
 ―労働者側代理人からの発信
弁護士 後藤潤一郎

使用者側代理人からみた労働審判 
弁護士 峰 隆之

小特集 労組法上の労働者・使用者
労働組合法上の労働者性について考える
 ―なぜ「労働契約基準アプローチ」なのか?
立教大学准教授 竹内(奥野)寿

労組法上の使用者
 ―派遣先の団交応諾義務を中心に
大阪経済法科大学講師 本庄淳志

■労使が読み解く労働判例■
うつ病により休職している労働者の解雇と使用者の責任
 ―東芝(うつ病・解雇)事件・東京地判平成20・4・22労判965号5頁―
東京大学教授 水町勇一郎

■連載■
個別労働関係紛争「あっせんファイル」(連載第11回)
イギリス労働紛争解決システムにおける調停
―ETとACASの制度的関連について―
九州大学教授 野田 進

労働法の立法学(連載第22回)――障がい者雇用就労の法政策
労働政策研究・研修機構統括研究員 濱口桂一郎

■神戸労働法研究会■
派遣労働者の解雇・雇止めをめぐる法的問題
 ―プレミアライン(仮処分)事件を素材として― 
 宇都宮地栃木支決平成21年4月28日労判982号5頁
追手門学院大学非常勤講師 オランゲレル

■同志社大学労働法研究会■
就業規則の不利益変更と労働者による個別同意との関係性
 ―協愛事件(大阪地判平21・3・19労判989号80頁)の検討を中心に
同志社大学大学院博士後期課程 山本陽大

■北海道大学労働判例研究会■
私立大学における学校長の退任決議の効力
 学校法人聖望学園ほか事件東京地方裁判所平成21年4月27日判決
 (平成19年(ワ)第11064号労働判例986号28頁)
弁護士 上田絵理

■筑波大学労働判例研究会■
りそな銀行事件
 東京高裁平成21年3月25日判決,労働経済判例速報2038号25頁
筑波大学労働判例研究会 上田憲一郎

■イギリス労働法研究会■
イギリス労働法における労務提供契約の「性質決定」の意義と構造
九州大学大学院/日本学術振興会特別研究員 新屋敷恵美子
アジアの労働法と労働問題
韓国における公認労務士法制の概要と現状
 ―人事労務法務分野における専門家法制のあり方を考えるために
青山学院大学教授 藤川久昭

■研究論文■
雇用改革の失敗と労働法(3) ―さらなる立法を考える
青山学院大学教授 手塚和彰
企業組織再編と労働関係の帰趨 ―ドイツ組織再編法における手続き規制の検討を中心に
東京大学大学院 成田史子

冒頭の山口浩一郎先生の論文は、民法改正自体よりも、改正後の労働法の立法課題として、労働契約法試案から、有期労働の規制から、休息と時間規制の弾力化から、最後は労働者代表制の構築に至るまで、現下労働法制の課題総ざらえですね、これは。

あとの民法関係の3本はいずれもいかにも民法という緻密な論文です。じっくり読まなければ・・・。

今どきの論点として面白いのが小特集の労組法上の労働者性、使用者性。特に、本庄さんの派遣先の団交応諾義務をめぐる論考は、今回の改正案で先送りになった論点でもあり、派遣法制定時の思惑等もこれあり、いろんな議論のネタが詰まっていると思います。

派遣といえば、オランゲレルさんのプレミアライン事件の評釈も必読。

でも、本号でいちばん興味深いのは、実は論文というより紹介ですが、藤川久昭さんの「韓国における公認労務士法制」です。現在、韓国では個別労働紛争処理システムとして、国の機関である労働委員会で不当解雇等の救済手続が設けられていますが、弁護士だけでなく公認労務士にこれの代理人業務が認められているんですね。先日の日本労働法学会での李ジョン先生の報告にもありましたが、これは日本の法制との関係で、いろいろと考えさせるものがあります。

なお、わたくしの「労働法の立法学」は、今回は「障がい者雇用就労の法政策」です。ごく最近までの動きをフォローしています。

2010年6月13日 (日)

宮本太郎先生インタビュー@産経新聞

本日の産経新聞に、【少子化連続インタビュー】の8回目として、宮本太郎先生の「少子化対応は保守、リベラルの枠超えて」というインタビュー記事が載っています。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100613/plc1006130701004-n1.htm

>けれども、やはり子供を育てていくということに対して将来に向けた安定した安心には結び付いていない。そのためにはやはり雇用だ

>そういう点では雇用を支える公共サービスが決定的に重要だと思う

という議論はおなじみですが、最後のあたりで政策的には似た人々がマスコミ主導の政局論で対立させられていることへの異議が注目に値します。

>--世界的にそういう方向なのか

 「そうだ。そういう大きな絵については円卓会議でもつくって与野党で議論しないといけないと思う。年金でもそうだが、政権が代わるごとに年金の絵が全然違うというのは困る。大きな成長戦略といったところでもそう違うことをいっているわけではないと思う。与謝野馨元財務相がいっていることと菅直人副総理がいっていること、雇用を軸にした第3の道というか安心社会というか、議論の中身は大きな社会の在り方としては重なっているところも多いと思う。こういうメディア政治の中では違ったものにしないといけない。これはメディアもちょっと反省してほしい」

--与野党協議が大切だと

 「大連立がいいとはいわないが、成長戦略だとか、年金だとか、そういうことについてはこれだけ話が一致しているというか、ある意味この時代に日本が伸びていくためにはこれしかない。社会経済政策に関してはかなり接近してきているはずで、やはりシェアできる部分はシェアしないと国がバラバラになる」

実は、先日、都内某所で、某社某誌の座談会に出席し、宮本先生と白波瀬佐和子先生とお話をしてきたのですが、その場でも宮本先生はこの点をかなり強調しておられました。

与野党とも、本当にものごとの分かっている人々が共通に抱いている政策ビジョンによってではなく、ものごとが分かっていない人々の陰謀説的ルサンチマン的な公共政策への攻撃が政局の中核になってしまうというまことに変態的な事態に対しては、産経から朝日に到るすべてのマスメディアの政治部記者が共通に責任を負うべきと思います。「メディアもちょっと反省してほしい」のは、政策よりも政局を優先させるすべてのメディアです。

ちなみに一番最後は、特殊産経新聞的イデオロギーに対するちくりとした皮肉になっていますが、産経の愛読者にどこまで伝わるかどうかは不明です。

>--少子化政策も与野党で共有すべきか

 「やはり家族は大切。北欧だって決して家族を壊したわけではない。むしろ国際的な世論調査でみると、家族が人生の中で一番大事と答えている人の割合は非常に高い。やはり北欧はものすごく家族志向が強い。でも、相変わらず日本では『福祉国家だと高齢者の自殺数が多い』とかいう話が先に立ってしまう。だが、それは事実と違って、70歳以上だと日本の方が10%くらい多い。そういう意味で公共の手段を用いることは決して家族の解体ではない」

 --与野党では考え方に隔たりもある

 「家族観の違いというのはどこかで出てくると思う。でも今の議論の在り方は過度に情緒的なものになってしまっていて、実態としてはそう家族観が違うわけではない。むしろ、強い男がちゃんと居座っていると家族が安泰だというような見方の方が、家族が続いていくときに大丈夫かなというところがある。そこはそれなりに公共のサポートが入っていって初めて国民が大事に思っている家族というものが保持されているのだと思う」

同一労働力同一賃金説は俗流マルクス主義が源流?

最近、同一(価値)労働同一賃金が再びホットな話題になっていることから、その昔の議論をひもといてみんとてするなりというわけで、岸本英太郎『同一労働同一賃金』(ミネルヴァ書房、1962年)というほぼ半世紀前の本を読んでいるのですが、日本における労働側の議論の根本には、ある種の俗流マルクス経済学があったようですね。

>同一労働同一賃金についてのわが国最初の問題提起者といわれている宮川実氏は、その問題の論文(『資本論研究』2所収)で、同一労働同一賃金を同一労働力同一賃金と理解し、同じ質量の労働に対しては同じ賃金を支払えという原則であるとする理解を資本家的見解として否定した。

>・・・賃金の差は、労働力の質の差異に基づくものであって、労働の質の差異に基づくものではない。だから同一労働同一賃金の原則は、正確にいえば同一労働力同一賃金の原則であり、別の言葉でいえば労働力の価値に応じた賃金ということである。

きちんと読んだわけではなく、うろおぼえなので大まかな言い方になりますが、私の理解するところでは、賃金が労働の価値ではなく労働力の価値(=労働力の再生産費)だというマルクスの理論というのは、資本主義社会では(悲しいかな)そうなってしまうという話であって、そうあるべき正義という話ではなかったように思われるのですが、なぜか宮川氏の議論ではそれがあるべき姿になってしまうようです。

あるべき社会主義社会では、働きに応じた報酬といっているので、たぶん同一労働同一賃金が想定されているのでしょうが、現実の資本主義社会では賃金は可能な限り引き下げられるので、これ以上引き下げられない生存費にへばりつく。だから同一労働力(=労働力再生産費)同一賃金になってしまう、という現実批判の理論が、なぜか、だから賃金は労働ではなく労働力の価値に基づくべきであるという当為の理論になってしまっているところが、非常に不思議な感じがします。

こういう理屈は、まさに俗流マルクス主義という言葉がふさわしい気がしますが、それが、資本主義社会では悪辣な資本家がぎりぎりまで搾取するからそうなるというマルクス主義的な説明が非現実化し、誰もそんなことを考えなくなってしまうようになっても、そこから生み出された「労働力の価値に応じた賃金」という発想だけは生き残ってきたということでしょうか。

このあたりは、思想と現実の弁証法的関係が複雑怪奇に入り組んでいるところなので、そう簡単にばっさり説明しきることもできないのでしょうが、もう少し突っ込んで調べてみたいところでもあります。

2010年6月11日 (金)

内々定取消損害賠償判決

福岡のコーセーアールイー社が新卒学生の内々定を取り消したことに対する(労働審判を経た)裁判の判決が2件、去る6月2日に出たということは報道されているとおりですが、その判決文がさっそく最高裁のHPにアップされています。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100611155526.pdf(平成21(ワ)1737)

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100611161824.pdf(平成21(ワ)2166)

「内々定」の法的性質について、

>本件内々定は,正式な内定(労働契約に関する確定的な意思の合致)とは明らかにその性質をことにするものであって,正式な内定までの間,企業が新卒者をできるだけ囲い込んで,他の企業に流れることを防ごうとする事実上の活動の域を出るものではないというべきであり,原告及びも,そのこと自体は十分に認識しD ていたのであるから,本件内々定によって,原告主張のような始期付解約権留保付労働契約が成立したとはいえず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。

と、労働契約の成立を前提とした主張は退けていますが、

しかし内々定であっても、

>原告が,被告から採用内定を得られること,ひいては被告に就労できることについて,強い期待を抱いていたことはむしろ当然のことであり,特に,採用内定通知書交付の日程が定まり,そのわずか数日前に至った段階では,被告と原告との間で労働契約が確実に締結されるであろうとの原告の期待は,法的保護に十分に値する程度に高まっていたというべきである。
それにもかかわらず,被告は,同月30日ころ,突然,本件取消通知を原告に送付して本件内定取消しを行っているところ,本件取消通知の内容は,建築基準法改正やサブプライムローン問題等という複合要因によって被告の経営環境は急速に悪化し,事業計画の見直しにより,来年度の新規学卒者の採用計画を取り止めるなどという極めて簡単なものである。また,原告からメールによる抗議を受けながら,原告に対して本件内定取消しの具体的理由の説明を行うことはなかった。以上のように,被告が内々定を取り消した相手である原告に対し,誠実な態度で対応したとは到底いい難い。
加えて,被告は,経営状態や経営環境の悪化を十分認識しながらも,なお被告は新卒者である原告及びの採用D を推し進めてきたのであるところ,その採用内定の直前に至って,上記方針を突然変更した具体的理由は,本件全証拠によっても,なお明らかとはいい難い。特に,被告における取締役報酬のカット幅や株主への配当状況等に照らせば,被告が,当時,いわゆるリーマン・ショック等によって緊急かつ直接的な影響が被告にあると認識していたのかは疑わしく,むしろ,経済状況がさらに悪化するという一般的危惧感のみから,原告及びDへの現実的な影響を十分考慮することなく,採用内定となる直前に急いで原告及びDの本件内々定取消しを行ったものと評価せざるを得ない。そして,本件全証拠によっても,当時,原告について被告との労働契約が成立していたと仮定しても,直ちに原告に対する整理解雇が認められるべき事情を基礎付ける証拠はない。
そうすると,被告の本件内々定取消しは,労働契約締結過程における信義則に反し,原告の上記期待利益を侵害するものとして不法行為を構成するから,被告は,原告が被告への採用を信頼したために被った損害について,これを賠償すべき責任を負うというべきである。

と、信義則に基づいて損害賠償責任を認めています。

ただし、損害賠償としても、その対象は「被告への採用を信頼したために原告が被った損害に限られ,原告が被告に採用されれば得られたであろう利益を損害として請求することはできない」とし、賃金相当の逸失利益は認めず、

>上記認定の本件内々定から本件内々定取消しに至る経緯,特に,本件内々定取消しの時期及び方法,その後の被告の説明及び対応状況,原告の就職活動の状況及び現在も就職先が決まっていないことなど,本件に現れた一切の事情を総合考慮すると,原告が本件内々定取消しによって被った精神的損害を填補するための慰謝料は,100万円と認めるのが相当である

と、なぜだかよくわからないけどひっくるめて100万円というよくある慰謝料の算定になっています。

なんにせよ、内々定の取消に慰謝料請求を認めた初めての判決です。

最高裁が異様に素早くアップしたのも、その意義を認識しているからでしょう。

2010年6月10日 (木)

「連合」御用学者濱口桂一郎の「労働法改革」の反動性

革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派の機関紙『解放』の6月7日号におきまして、遂にわたくし個人が(正村公宏先生や宮本太郎先生の付け合わせではなく)正面から批判されるという栄誉をいただきました。大変ありがたいことであり、心から感謝申し上げます。

ちなみに昨日の講演会の後の懇親会で、木下武男先生が「わたしも革マル派の機関紙で全面的に批判されましたよ」とおっしゃっておられました。尊敬する先生方と並べて批判されることほど嬉しいことはありません。

この「御用学者」がどんなにひどいことを言っているかというとですね、

>・・・このような濱口の主張は、”正規雇用労働者による既得権益へのしがみつき”を非難する八代尚宏らバリバリの新自由主義イデオローグと同様の論法であり、「非正規雇用労働者の均衡待遇」の要求を逆手にとって正規雇用労働者の労働諸条件の引下げを正当化しようと企む独占資本家どもの労務施策に呼応するものに他ならない。

>・・・例え「非正規労働者の保護」を名分としているとしても、「実態に見合った法的構成」という基本的考え方に立つ限り、濱口の改革案は、しょせんは資本家どもの経営・労務施策に適合的な法制度への改革を基礎づけるものにすぎないのだ。

>・・・「連合」労働貴族どものこの企みを打ち砕くために、濱口のような御用学者どもの「提言」の反労働者的本質をも徹底的に暴き出し粉砕するのでなければならない。

さあ、みんなで濱口桂一郎を粉砕しよう!

個別労働関係紛争処理事案の内容分析―雇用終了、いじめ・嫌がらせ、労働条件引下げ及び三者間労務提供関係―

Kobetu 本日、労働政策研究・研修機構の報告書123号として、わたくしを含む労使関係・労使コミュニケーション部門の4人で行ってきた研究報告書『個別労働関係紛争処理事案の内容分析―雇用終了、いじめ・嫌がらせ、労働条件引下げ及び三者間労務提供関係―』が完成し、JILPTのHPにアップされております。

http://www.jil.go.jp/institute/reports/2010/0123.htm

HP上の宣伝文句を引用しておきます。

>研究の目的と方法

今日、労働組合組織率は2割を下回り、従業員100人未満の中小企業ではわずか1.1%に過ぎない。また、非正規労働者を組合員としない日本の企業別組合の慣習の下で、組合のある企業においても組織されない非正規労働者が増大してきた。このような中で2001年10月から個別労働関係紛争解決法が施行され、全国の労働局において、個別労働紛争に関する相談、助言指導及びあっせんが行われている。しかしながら、これら個別紛争処理の内容については、1年に1回、厚生労働省から「個別労働紛争解決制度施行状況」として、大まかな統計的データが公表されるのみで、その具体的な紛争や紛争処理の姿は明らかになっていない。

そこで、2008年度に4労働局で取り扱ったあっせん事案(1,144件)を包括的に分析の対象とし、現代日本の労働社会において現に職場に生起している紛争とその処理の実態を、統計的かつ内容的に分析することによって、その全体像を明らかにした。また、個別労働関係紛争の大部分を占める解雇その他の雇用終了事案、いじめ・嫌がらせ事案、労働条件の不利益変更事案、派遣その他の三者間労務提供関係事案などは、今日の労働法政策において注目を集める大きな課題となっており、こういった分野における今後の政策論議において、現実の労働社会の実態は極めて有益な情報を提供することになろう。

主な事実発見

分析対象1,144件の3分の2を占める雇用終了事案のうち、件数が最も多いのは経営上の理由によるもの(218件)であるが、この中には同一企業に勤務する労働者からほぼ同時にあっせん申請が出された集団的性格の事案がかなり含まれている。労働者個人の行為や属性に基づく雇用終了では態度を理由とする雇用終了が167件と圧倒的に多く、以下能力を理由とするもの70件、傷病を理由とするもの48件、非行を理由とするもの39件と続く。

態度や能力を理由とする雇用終了の内容をさらに立ち入ってみると、具体的な業務命令拒否や具体的な職務能力不足を理由とするものはあまり多くなく、態度で言えば、職場のトラブルや顧客とのトラブル、能力で言えば具体的な能力やミスや成果不足を示さない一般的能力不足を理由とするものが多い。さらに、態度で言えば「相性」、能力で言えば「不向き」といった抽象的かつ曖昧な理由による雇用終了も少なくない。

一方、労働条件変更拒否を理由とする雇用終了や変更解約告知など労働条件変更と関連するものもかなりの数に上る。また、労働法上の権利行使やその他の発言を理由とした類型的に客観的合理性に乏しいと思われる雇用終了も決して少なくない。

なお、全事案中合意に至った346件の解決金額を見ると、下表の通り、10万円台を中心に、5万円から40万円までに約3分の2が分布している。

政策的含意

労働法学で主流の判例研究では、裁判所に訴える力や余裕のない多くの労働者に係る紛争が視野に入ってこない。また、労働経済学等の理論研究では、現実の労働社会におけるどろどろした実態を掬い取ることができない。一方で、ジャーナリストによる職場の実態の告発では、たまたま報道された事案がエピソード的に語られるにとどまる。本研究は判例研究と経済理論と告発ジャーナリズムの隙間を埋め、今日の職場で発生している紛争の全体像を示すことを目指している。

短時間正社員制度シンポジウム

再来週の6月25日に東京で、その次の週の6月28日に大阪で、厚生労働省の委託事業として、三菱UFJリサーチ&コンサルティングによる短時間正社員制度に関するシンポジウムが開かれます。

http://tanjikan.mhlw.go.jp/sympo/index.html

いずれも第1部は佐藤博樹先生の基調講演、第2部は企業と病院からの事例報告、第3部は佐藤博樹先生をコーディネーターとする企業の人事担当者によるパネルディスカッション、来場者を交えた質疑応答となっています。

6月末から施行される改正育児介護休業法で、3歳未満の子を養育する労働者に短時間勤務制度を設けることが義務づけられるので、その前夜祭(?)ということになりましょうか。

残念ながらわたくしはいずれも用事があり出席できませんが、是非多くの方が出席して議論にも参加していただければと思います。

2010年6月 9日 (水)

現代の労働研究会

本日夕方より、専修大学において、現代の労働研究会に呼ばれてお話をして参りました。

http://gendainoriron.com/

>○テーマ「有期雇用の行方、派遣労働・外国人労働・非正規雇用の動向」
●日時 6月9日(水)18:30;~
●会場 専修大学神田校舎1号館13A会議室
●報告者 濱口 桂一郎 氏(労働政策研究・研修機構統括研究員)  
       小林 良暢 氏(グローバル総研所長)

実は、最初に依頼を受けたときは非正規だけだったんですが、いつのまにか外国人労働が入っていまして、いや、じゃあそれも喋ろうと思っていたんですが、いざ喋りはじめると非正規の歴史的考察に時間をとられて、気がついたら外国人に言及する暇がなくなっていました。

そしたら、早速聴いておられた女性が、「私は外国人労働とあるので聴きに来たのに、全然語らない」と苦情を言われたので、慌てて10分あまり外国人労働について思うところを語りました。

いつもながら、時間配分がうまくいきません。ダメですねえ。

木下武男先生や、シジフォスの水谷研次さんも来られて、するどく追求されました。

その後の懇親も含めて、大変有意義な時間を過ごさせていただいたと思います。

とりあえず、本日のご報告ということで。

雇用戦略対話の合意

去る6月3日に官邸の雇用戦略対話第4回会合で最低賃金について2020年に平均1000円という政労使合意ができたという報道がすでにされていますが、当該会合の資料がようやく官邸HPにアップされました。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koyoutaiwa/dai4/4gijisidai.html

早速、最賃のところを見たいところですが、その前に、すべてのマスコミが黙殺した項目を紹介しておきます。

「「2020年までの目標」と達成に向けた施策」と題された表の一番最後の欄をご覧ください。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koyoutaiwa/dai4/siryou1.pdf

>○ 労働基準関係法令の履行確保のため、労働基準監督行政の強化を図るとともに、増加を続ける個別労働紛争の円滑かつ迅速な解決の促進を図るため、体制の強化及び一層の業務効率化を図る。

○ 学生、労働者等が、働く上で必要な労働関係法制度や企業の社会で果たしている役割についての基礎的な知識を得ることができるよう、情報提供や教育の充実を図る。

これは、官邸という政府の中枢で、政労使のトップが合意したことなんですからね。まさか、「官僚の暴走」とかでうやむやにしたりしないでしょうね(笑)。

まあ、これについては改めて、ということで、注目の最低賃金です。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koyoutaiwa/dai4/siryou2.pdf

>1.「2020年までの目標」の設定について

○目標案としては、「できる限り早期に全国最低800円を確保し、景気状況に配慮しつつ、全国平均1000円を目指すこと」が考えられる。

○なお、上記目標案は、新成長戦略で掲げている「2020年度までの平均で、名目3%、実質2%を上回る成長」が前提となっている。

.目標達成に向けての当面の取組について

○「2020年までの目標」達成に向けた当面の取組としては、2008年の「円卓合意」を踏まえ、最低賃金の引き上げと中小企業の生産性向上に向けて政労使一体となって取り組むことが考えられる。

.弾力的対応について

○「2020年までの目標」の設定や当面の取組みを進める場合も、経済・雇用情勢や経済成長・生産性動向を踏まえ、3年後に必要な検証を行うなど「弾力的な対応」が必要と考えられる。

.中小企業に対する支援等について

○円滑な目標達成を支援するため、最も影響を受ける中小企業に対する支援や非正規労働者等の職業能力育成などの取組を講じることを検討すべきである。

○官公庁の公契約においても、最低賃金の引上げを考慮し、民間に発注がなされるべきである。

理想と現実とをほどよくすり合わせた表現になっていると思います。

連合は既に、次のような事務局長談話を発表しています。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2010/20100603_1275560233.html

>>1.6月3日、雇用戦略対話第4回会合(鳩山内閣総理大臣主宰)が開催され、雇用戦略における「2020年までの目標」と達成に向けた施策案がとりまとめられた。
そのなかで、最低賃金について政労使で初めて具体的な目標金額を確認することができた。このことは、大変画期的なものであり、評価したい。
 連合は、これまで、非正規労働者が増加するなか、ナショナルミニマムとして生活できる賃金水準を保障することが何よりも重要であるととらえ、最低賃金の引き上げをセーフティネットとして重視してきた。
 2008年の円卓会議合意の際に示せなかった数値目標を示すことができたことは今後の最低賃金の引き上げにとって大変意義あるものと受け止める。また、均等・均衡処遇実現の第一歩にもつながるものと認識する。

2.最低賃金では「できる限り早期に全国最低800円を確保し、景気状況に配慮しつつ、全国平均1000円を目指す」。その際、中小企業に対する支援や非正規労働者等の職業能力育成などの施策を講じるとなっており、「官公庁の公契約においても、最低賃金の引上げを考慮し、民間に発注がなされるべき」としている。
 景気状況にかかわらず、できる限り早期に地域別最低賃金の水準を最低限800円以上とすることで、2009年の民主党マニフェストを上回る(09マニフェストでは「労働者とその家族を支える生計費」)面もある。ただ、「2020年の全国平均1000円」は経済成長が名目3%を超えることを前提としたものであり、その点は不十分であると言わざるを得ない。また、官公庁の公契約について最低賃金の引き上げを考慮するというのは当然であり、算定根拠など具体的な目標設定が待たれる。

おおむねこういうことだろうと思いますが、一点指摘しておくとすると、製造業などではまさに物的生産性の向上こそが賃金引き上げの原資であり、中小企業の生産性向上が前提条件なのだろうと思うのですが、生身の人間による対人サービスなどの場合、その生身のサービス自体に対する価格付けの低さが価値生産性の低さの原因になっている(スマイル0円という感覚!)ことを考える必要があろうと思います。

その他にも言及すべき点はいろいろありますが、それはまた。

2010年6月 8日 (火)

EU全域で煙草の販売禁止を求める訴訟

昨日付のEUobserverに、「Belgian judge seeks EU-wide ban on cigarette sales」という記事が載っています。

http://euobserver.com/9/30227

ルクセンブルクの欧州司法裁判所に新たな訴訟が提起されたという記事なのですが、その中身が、EU全域で煙草の販売を禁止せよというものらしいのです。

>The EU court in Luxembourg has lodged two anti-smoking cases which could, in theory, lead to a ban on the sale of tobacco products across the EU.

The two complaints, entitled "Rossius C267/10" and "Collard C268/10," lodged in Luxembourg on 28 May, call for the EU to ban the sale of cigarettes and the collection of excise duties on tobacco products in Belgium.

訴えたのはベルギーの裁判官でかつ反煙草運動家の方のようです。

>Baudouin Hubaux, a Belgian anti-smoking campaigner and a judge at the regional court in Namur, Belgium, who referred the cases to Luxembourg, told Belgian press that the best outcome would be for the court to ban cigarettes across the union or, at the least, to set out the financial liability of tobacco companies for damages to people's health.Baudouin Hubaux, a Belgian anti-smoking campaigner and a judge at the regional court in Namur, Belgium, who referred the cases to Luxembourg, told Belgian press that the best outcome would be for the court to ban cigarettes across the union or, at the least, to set out the financial liability of tobacco companies for damages to people's health.

先日、厚生労働省の「職場における受動喫煙防止対策に関する検討会」が報告書を出し、受動喫煙防止対策を規定する労働安全衛生法の改正が予定されていますが、大変穏やかにみえますね。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000006f2g.html

連合総研『参加と連帯のセーフティネット』

Htbookcoverimage_2 連合総研より、埋橋孝文・連合総研編『参加と連帯のセーフティネット 人間らしい品格ある社会への提言』(ミネルヴァ書房)をお送りいただきました。

http://www.minervashobo.co.jp/book/b62993.html

>参加保障・社会連帯型社会政策の実現に向けて

いま必要なのは、生活上のリスクに直面しても、すべての人びとが必ずいずれかのセーフティネットで受け止められ、ディーセントな(品格ある)労働と生活に参加できるようなしくみではないだろうか。
本書は、参加保障・社会連帯型社会政策の実現に向けて、中長期的な視点から新たなソーシャル・セーフティネットのあり方を検討した、第一線の研究者らによる共同研究の成果。

ということですが、瞠目すべきはその対象範囲の広さです。先日、わたくしも『労働市場のセーフティネット』なる政策レポートを公表しましたが、それは雇用保険と生活保護の歴史的記述にいわゆる「第2のセーフティネット」を挟み込んだだけで、失業する前の段階も、雇用政策も年金も、医療費も住宅も捨象していましたが、こちらは社会的セーフティネットを包括的に取り上げています。

>はしがき

序 章 「参加保障・社会連帯型」社会政策を求めて(埋橋孝文)
 1)ディーセントな社会をめざして
 2)「参加保障・社会連帯型」の新しい社会政策
 3)新しく求められる制度変更の視点――3層のセーフティネットから4層のセーフティネットへ
 4)各章のあらまし

第Ⅰ部 第1層(雇用・最低賃金の保障)と第2層(社会保険の適用拡大)のセーフティネット

第1章 セーフティネットとしての最低賃金(吉村臨兵)
 1)はじめに
 2)賃金率を保障する意味
 3)最低賃金の水準と決定方式
 4)新たな最低賃金規制の可能性
 5)おわりに

第2章 雇用政策の再構築に向けて(ウー・ジョンウォン)
 1)再構築の方向――「市場化」から「制度化」へ
 2)労働市場の規制――雇用形態の適正化
 3)市場への統合の強化その1――「手を伸ばす」職業紹介
 4)市場への統合の強化その2――「実る」能力開発

第3章 参加保障型社会保険の提案(菅沼 隆)
 1)はじめに
 2)社会保険の未加入・未納者の問題の制度的背景
 3)社会保険の理論
 4)参加保障型社会保険の提案
 5)皆保険・皆年金の実質化にむけた討議を
  
第4章 参加保障型雇用保険の構想(菅沼 隆)
 1)雇用保険の適用をめぐる現状
 2)失業(雇用)保険のモラルハザード論をどう考えるか
 3)参加保障型雇用保険の概要
 4)雇用保険を通じた連帯の強化

第5章 国民年金の再構築――高齢期のセーフティネット・最低限生活保障として(齋藤立滋)
 1)参加保障型社会保険としての国民年金をめざして
 2)国民年金の歴史
 3)国民年金の現状
 4)なぜ排除されてしまうのか
 5)国民年金の再構成
 (補足資料)社会保障財政の現状

第Ⅱ部 第3層(税額控除、社会手当・社会サービス)と第4層(生活保護)のセーフティネット

第6章 3層のセーフティネットから4層のセーフティネットへ(埋橋孝文)
 1)国際比較からみた日本のセーフティネットの「形」
 2)日本のセーフティネットの際立つ特徴と改善すべき点

第7章 「求職者就労支援制度」の創設(山脇義光)
 1)なぜ長期失業者等を対象とした所得保障と就労支援のプログラムが必要なのか
 2)雇用保険の現状と課題
 3)2009年雇用保険改正とセーフティネットの拡充
 4)「求職者就労支援制度」創設の必要性と制度概要
 5)「求職者就労支援手当」にかかる費用の試算

第8章 医療費軽減制度(阿部 彩)
 1)はじめに
 2)公的医療保険の加入状況
 3)公的健康保険の保険料の滞納問題
 4)患者負担額
 5)医療費軽減制度の設計

第9章 「住宅セーフティネット」の拡充――家賃補助(室田信一)
 1)日本における住宅政策の転換
 2)先進諸国における住宅政策の傾向
 3)日本における家賃補助の可能性
 4)日本における家賃補助スキーム
 5)結論と残された課題

第10章 ワーキング・プア対策としての給付つき税額控除(阿部 彩)
 1)はじめに
 2)ワーキング・プア問題
 3)第三のセーフティネットの必要性とその性質
 4)給付つき税額控除の利点と欠点
 5)ワーキング・プア対策としての給付つき税額控除の設計
 6)日本型ワークシェアの模索

第11章 地域における「参加」の入口――相談援助機能(室田信一)
 1)「地域のセーフティネット」
 2)実践事例1――大阪府のコミュニティソーシャルワーク事業
 3)実践事例2――静岡県富士宮市の地域包括支援センター
 4)実践事例3――静岡県労働者福祉協議会のライフサポートセンター
 5)「地域のセーフティネット」の条件
 6)移行期の仕組みづくり

第12章 所得保障としての生活保護と社会福祉としての生活保護(宮寺由佳)
 1)生活保護以外の制度に規定される生活保護の機能
 2)生活保護受給者と低所得者層
 3)非稼働世帯の所得問題
 4)稼働能力のある低所得者層――雇用保険と生活保護の谷間
 5)問題のカテゴリー化と制度的分離
 6)社会福祉としての「生活保護」

終 章 ディーセントな社会への展望――提言の総括(埋橋孝文/麻生裕子)
 1)提言の内容
 2)提言を活かすために

編者あとがき
索 引

この目次を見ても分かるように、世間(ていうか連合自体)が第1層、第2層という言い方をしているのとは違って、雇用されている状態が第1層で、そのため最低賃金が真っ先にセーフティネットとして取り上げられているのですね。世間の言い方に合わせるならば、ここは第0層とでもいうところですが。

問題意識は第6章で、日本の現状が、

>法定最低賃金の水準は低く、失業保険の受給期間が短く、・・・若年失業者給付が制度化されておらず、・・・失業扶助制度も存在しない。

>社会扶助(生活保護)制度は・・・給付水準はOECDの中でもトップクラスにあるが、受給者の割合がきわめて低く、その結果、働いていても貧しいワーキング・プアが多数存在することになる。

>そうしたワーキング・プアに代表される低所得者層に対してもっとも所得の底上げを期待される「社会手当」の整備が遅れている。このことは、典型的には日本で住宅給付が存在しないことにあらわれている。

>税額控除制度が・・・日本では未だに導入されていない。

とまとめられ、それに対する処方箋として各章の政策提言が書かれているという形です。

終章でそれらがまとめられていますが、さらに「提言を生かすために」として、

>社会支出の総額を増加させる必要性

を強調しています。この点は、近年のポピュリスト的政治風潮では常に目の敵にされる傾向にあることであるだけに、何回も強調する必要があるでしょう。

2011年度連合の重点政策

昨日、連合が「2011年度連合の重点政策」を公表しました。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/kurashi/seisaku/jyutenseisaku2011.pdf

今年6月に政府が策定する予算編成の基本方針に反映させることを目的としたものです。与党的立場からの政策要望としては初めてということになりますので、中身を覗いてみましょう。

総論は、「デフレ脱却・消費回復が日本経済の喫緊の課題」「悪化する雇用・労働環境とディーセントワークの実現」「生活不安の払拭に向けた社会的セーフティネット機能の強化」「ワーク・ライフ・バランス社会の実現」「今後目指すものは希望と安心の社会づくり」といった、我々から見れば文句のつけようのない言葉が並んでいます(といっても、人によっては文句たらたらかも知れませんが)。

各論にいきますと、まず目を惹くのが、「ワークルールの確立」の中にある

>②雇用のあるべき原則や働きがいのある人間らしい労働の確保などを定める「雇用憲章」(仮称)の策定

です。

実は、今は誰も覚えていないかも知れませんが、その昔自由民主党が「労働憲章」というのを策定したことがあります。労働大臣を4回やった石田博英さんが先頭に立って作ったものですが、その後労働政策が労働憲章に立脚して行われたという話もあまりありません。

もちろん、連合としては、雇用憲章が策定されればそれを梃子にして、さまざまな労働政策の実現の補助輪として活用していきたいということなのでしょう。

それから、労働者代表制についての記述が労働組合との関係に大変神経を使ったものになっています。

>労働者代表制は、連合「労働者代表法要綱骨子(案)」をもとに、「多様性、透明性、公正性の確保」「労働組合との役割分担の明確化」「労働組合の関与」「労働組合の優先」を組み込んだ制度とし、研究を行う。

教育のところには、しっかり労働教育が書き込まれています。

>学校から職場・社会への円滑な移行に向け、自立した社会人としての基本的な知識、・意識や職業能力向上のための教育を進め、学生が社会の仕組みや雇用の関係、ワークルールについて十分に学習できるようカリキュラムの見直しを行う。

>働く者の権利、労働組合の必要性など、「労働の尊厳」の観点から勤労観・職業観を醸成するための教育や、労働体験の機会を充実させる

これは、ゼンセン同盟出身の川端文部科学大臣への要望ということになりましょう。

2010年6月 7日 (月)

『ヨーロッパ政治ハンドブック[第2版]』東大出版会

9784130322140 網谷龍介先生より、先生も共著者となっている馬場康雄・平島健司編『ヨーロッパ政治ハンドブック[第2版]』東大出版会をお送りいただきました。いつもお心にかけていただき、ありがとうございます。本書は、

http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-032214-0.html

>ヨーロッパの歴史といまを知るための,格好のテキスト第2版.各国の20世紀の歴史と現勢をコンパクトにまとめ,今後の課題を解説,ヨーロッパの未来を展望する.あらたにEU,ルーマニア,ポーランドを加え,さらにバージョンアップした決定版.

でありまして、内容と執筆陣は次の通りです。

1 アイルランド、北アイルランド(池田真紀)
2 イギリス(成廣 孝)
3 イタリア(伊藤 武)
4 オーストリア(網谷龍介)
5 オランダ(水島治郎)
6 スイス(飯田芳弘)
7 スペイン(野上和裕)
8 チェコとスロヴァキア(中田瑞穂)
9 ドイツ(安井宏樹)
10 ハンガリー(平田 武)
11 フランス(中山洋平)
12 ベルギー(津田由美子)
13 ポーランド(中西俊一)
14 北欧諸国(小川有美)
15 ポルトガル(横田正顕)
16 旧ユーゴ連邦の後継諸国(月村太郎)
17 ルーマニア(藤嶋 亮)
18 EU(佐藤俊輔)

やはり、英独仏といった大国じゃないけど小粒でもぴりりとするユニークな小国に関する記述が有用です。

お送りいただいた網谷先生はオーストリアですが、はじめの「歴史的文脈」のところで、労使を中核とした利益団体間の制度化された協調(社会的パートナーシップ)によって支えられてネオ・コーポラティズムを概観し、「政治の現勢」のところでとりわけシュッセル政権のもとで進んだ「社会パートナーシップの終焉」について説明しており、現代日本の動向に照らし合わせて大変興味深い記述になっています。

>同政権は政策形成に当たって、審議会を通じて団体の専門知識を利用する従来の手法から離れ、独立の専門家(の委員会)に依拠する傾向を強めた。また非公式のレベルでも、労働者代表の影響力行使を拒む姿勢を示した。その結果、2003年には異例の広範なストライキが行われるなど、政権と利益団体の関係は、協調を基本線とした交渉から、政府が主導権を握る抗争含みの関係へと変化しつつある。内容的にも、労働法制や年金改革などの立法は、社会パートナー間の合意ではなく、政府原案に近い形で行われることとなっている。

水島治郎先生のオランダでも、三者構成の社会経済協議会や労使による労働協会を通じたコーポラティズム的な政策過程が、

>政労使による協議体制(マクロ・コーポラティズム)自体は維持されているものの、メゾレベルのコーポラティズムは90年代以降、さまざまな変化を被った。

と、やはりその変容を述べています。

こういった動きが、ハイダーの自由党やフォルタイン党といったある種の政治的ポピュリズムと揆を一にして出てきているというのも、やはり興味深いところです。

ところで、第2版では新たにポーランドとルーマニアも入り、多くの欧州諸国をカバーしているはずなんですが、70年代から立派にEC加盟国であったはずのギリシャは入っていません。

ふむ、やはりギリシャはヨーロッパではなかったか・・・。(もちろん冗談です)

2010年6月 6日 (日)

NJ叢書『労働法Ⅱ 個別的労働関係法』法律文化社

Isbn9784589032522 根本到先生より、根本先生を含む3人の編になる『労働法Ⅱ 個別的労働関係法』法律文化社をお送りいただきました。ありがとうございます。

編者は根本先生に加えて吉田美喜夫、名古道功の両先生、執筆はこの3人に加えて、佐藤敬二、中島正雄、矢野昌浩、緒方桂子の計7名です。

はしがきの冒頭で、

>近年、都道府県労働局への労働相談件数が増加している。その数は100万件あまりに及んでいるが、これは相談に訪れた数であるから、実際には、この何倍もの相談対象が埋もれているであろう。相談の内容は、解雇や労働条件の引き下げ、退職勧奨、雇い止めなどが多い。これらはいずれも、働いて生活する労働者にとって、重大な問題ばかりである。

>・・・もちろん、労働組合が強力であれば、労使間の問題は団体交渉によって解決できる。しかし、近年、所属する企業と関係なく加入できるユニオン型の労働組合が活発になっているとはいえ、組織率の低下に見られるように、全体として労働組合に一時期の活力は見られない。それだけに、労使間の紛争を処理する上で、労働法の役割が大きくなっているのである。

と述べられているように、

>労働法の保護が労働者に及ぶことで、はじめて労使は対等の立場に立てる

という考え方が本書を一貫しています。

2010年6月 5日 (土)

日本社会教育学会6月集会「労働の場のエンパワメント」

本日、法政大学において、日本社会教育学会の6月集会が行われ、わたくしはそのうちの「労働の場のエンパワメント」というプロジェクト研究の集まりに呼ばれて「労使関係から見た労働者の力量形成の課題」という報告をして参りました。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/shakaikyoiku.html

6月集会のプログラムはこれです。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssace/taikai/taikai10-1.html

http://www.shakyogakkai.org/pdf/六月集会プログラム10.pdf

[第1日]6月5日㈯プロジェクト研究・特別報告

●プロジェクト研究「労働の場のエンパワメント」13:00~16:00
テーマ「労働の場における今日的課題―労働者の力量形成を考える―」

司会末本誠(神戸大学)

報告「労使関係から見た労働者の力量形成の課題」濱口桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構)

「労働にかかわる教育・学習の問題構成―プロジェクト研究の取り組みを中心に―」平川景子(明治大学)

「〝労働"、〝職業"、〝キャリア" 概念をめぐる諸問題―法政大学および〝現代GP" の経験をふまえて―」笹川孝一(法政大学)

冒頭、開催校の法政大学キャリアデザイン学部を代表して、学部長の児美川孝一郎先生が挨拶されていました。

また、田中萬年先生も来られていました。

2010年6月 4日 (金)

個別労使紛争@日韓ワークショップ

本日、韓国の労働研究院(KLI)と日本の労働政策研究・研修機構(JILPT)の第10回日韓ワークショップが開かれ、個別労使紛争をテーマに日韓それぞれが報告を行い、討議をしました。

午前中は韓国KLIのイ・ソンヒ研究員による「韓国の個別労使紛争解決システム」、日本JILPTの濱口による「個別労使紛争処理システム形成の背景」と呉学殊研究員による「労働組合の紛争解決・予防」、午後はKLIのパク・ジェソン研究員による「韓国の個別労働紛争事例 非正規労働者の解雇をめぐる特殊問題について」、JILPTの濱口による「個別労働関係紛争処理事案の内容分析」の報告と質疑応答、その後、全体討論という構成です。

わたくしは午前のうち総論部分と、午後の報告を担当しました。わたくしの報告メモはこれです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/kliworkshop.html

先日の名古屋大学での日本労働法学会のテーマが東アジア諸国の労使紛争処理システムであったこともあり、また今月末には中国でも同じテーマで報告することになっており、いささかマイブームではあります。

わたくしがJILPTの労使関係・労使コミュニケーション部門のプロジェクト研究として昨年度からやってきた研究成果も、来週半ばには報告書としてできあがる予定です。その際にはまたあらためて本ブログ上でもご紹介する予定です。

2010年6月 3日 (木)

フレクシキュリアンの濱口桂一郎を糾弾せよ!

先日お知らせしたように、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派の機関紙『解放』で、宮本太郎先生と並べて糾弾されているようなんですが、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-d85a.html(革マル派機関紙『解放』で糾弾されたようです)

せっかくなので、昨日講義のついでに東大の総合図書館に行って記事の全文を読んできました。5月24日号と5月31日号の2回にわたって、A3紙面をすべて費やして、「「新・日本型モデル」の幻想 宮本太郎「福祉ガバナンス」論批判」という長大な糾弾論文が載っておりまして、ほとんどすべてにわたって宮本先生が糾弾されているのですが、わたくしも刺身のつまとして(笑)糾弾のお相伴にあずかっております。

5月31日号の中では、「フレクシキュリアン」なる初めてお目にかかる言葉で糾弾されておりまして、いや、わたくしも寡聞にして知らなかったのですが、自分が「フレクシキュリアン」だということを始めて知りました。

>他方、フレクシキュリアン(註3)の濱口桂一郎は、「非正社員をバッファーとした正社員の過度の雇用保護を緩和する」とか「経営状況が悪化したときの人員削減(整理解雇)については、今まで過度に守られてきた正社員たちがある程度の規制緩和を受け入れるのでなければ、みんなが『生活と両立できる仕事』を享受するという仕組みに移行することは困難だ」と主張する。濱口の言いたいことは、非正規雇用労働者の雇用を維持するために正規雇用労働者は時短や一時帰休に応じよということであろう。こうしたワークシェアリングはもちろん賃金の削減をともなうのであって、「仕事の分かち合い」は「貧困の分かち合い」でもある。

>註3 「フレクシキュリティ」と呼ばれる「デンマーク・モデル」の賛美者のこと。

ふーむ、わたくしがデンマークモデルの賛美者ですか。少なくとも、それが一つの望ましい社会モデルであるとは述べてきていますが、それを支えているのは9割近い労働組合組織率と、それに基づき、実定労働法ではなく中央労働協約ですべてを決めて実施していくというデンマークの労使関係=労働市場のあり方であり、そういうマクロ労使自治システムが欠如した日本ではなかなか真似をするのは難しいということは、繰り返し強調してきているつもりではあるのですが、まあ、刺身のつまの書くものを一々フォローなんかしておられないんでしょうが。

まあ、なんにせよ、わたくしは宮本先生の驥尾に付して、

>「福祉と成長の好循環」を達成する「新・日本型モデル」の幻想を振りまいて労働者を欺瞞し、「生活重視」の煙幕を張る笑顔のネオ・ファシズム政権のブレーンとして立ち現れた宮本は、まさにそうすることによって、労働者・人民を日本型ネオ・ファシズム支配体制の下に深々と組み込むという反動的役割を果たそうとしている

のだそうです。何とまあ、大それたことを・・・。

2010年6月 2日 (水)

勤務間インターバル規制@朝日

本日の朝日新聞の朝刊に、情報労連の勤務間インターバル規制の記事が出ています。ネット上には出ていませんが、わたくしのコメントは次の通りです。

>労働時間が無制限に延びかねない日本の法制下では、画期的な一歩といえる。時間外労働の割増率を引き上げるだけでは労使の関心が賃金やコストに集中し、働く人の命と健康を守るという考え方が出てこない。物理的に労働時間を規制すればワークシェアリングを促し、雇用増に結びつく面もある。長時間労働が過労死を生んできた日本でこそ、インターバル規制の導入で労使の意識を変える意義が大きい。法制化も検討すべきだ。

ちなみに、江口記者は昨日、鳩山首相次第ではこの記事は吹っ飛ぶかも知れません、と言われていましたが、幸か不幸か、本日朝の辞意表明ということで、この記事は無事今朝の朝刊に載ることができたようです。もし半日ずれていたら、新聞紙面は政局一色で、こんな記事のはいる余地はなかったかも知れませんね。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-8a3e.html(勤務間インターバル制度)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/johororenjikan.html(『情報労連REPORT』2009年12月号「労働時間規制は何のためにあるのか」)

記事にある情報労連の機関誌に書いたものです。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/sekaiexemption.html(『世界』2007年3月号「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」)

3年前のこの論文で、わたくしは「EU型の休息期間規制を」と訴えました。

ちなみに、先週も今週も別に図ったわけではないのですが、ちょうど本日、「労働法政策」の講義で労働時間法政策をとりあげました。

2010年6月 1日 (火)

『新しい労働社会』が4刷

読者の皆様のお蔭をもちまして、拙著『新しい労働社会 雇用システムの再構築へ』(岩波新書)は第4刷を発行することになったようです。

地味な労働問題についての小著が、こうして少しずつでも読まれ続けていることは、書いたわたくしとしてもうれしいことです。

これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

出井智将『派遣鳴動 改正派遣法で官製派遣切りが始まる』

H_k03350 出井智将さんから近著『派遣鳴動 改正派遣法で官製派遣切りが始まる』(日経BP)をお送りいただきました。

出井さんといってもピンと来ないかもしれませんが、ブログ「雇用維新」の「さる」さんといえば、本ブログでも何回もやりとりさせていただいている仲ですので、おわかりでしょう。

http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/K03350.html

>著者は製造派遣・請負会社を営む現役の経営者である。
製造派遣・請負業と聞くと思い出されるのが、「偽装請負」「派遣切り」「年越し派遣村」など暗い話題の数々。ブロガーでもある著者は、これらの社会現象を同時進行で「報道・解説・論評」してきた。
経営する企業の規模は小さいものの、「業界のスポークスマン」として活躍する著者は、各政党の政策立案の場でもたびたび発言を求められてきた。その内幕についても、可能な限り、ブログで公開している。
本書は、そのブログを主要な素材として構成しており、さらに充実した解説や政策提言を付け加えたものである。連立与党の派遣法改正の動きに対しては敢然と異議を申し立て、独自の対案を掲げる。

製造派遣・請負に関して、以下のような疑問を抱いている人にお薦め!
大手メーカーの偽装請負はなぜ起こったのか? 年越し派遣村に入った人たちは、その後、どうなったのか? 秋葉原・無差別殺傷事件は、被告が派遣社員だから起きたのか? 改正派遣法が成立すれば、ワーキングプアはいなくなるのか? 改正派遣法は、企業に支持されているのか? 改正派遣法は、業界の悪しき慣行の是正につながるのか? 改正派遣法は、誰かを幸せにしてくれるのか?

目次は、

第1章 働く世界に何が起こっているか
 第1節 失職列島、日本
 第2節 改めて問う。「派遣」とは何か
 第3節 ブログを立ち上げる

第2章 これでいいのか?派遣法改正
 第1節 ブログで広がった交流
 第2節 日本のものづくりが崩れてゆく現場
 第3節 連立政権への大いなる疑問
 第4節 消費者金融の轍を踏む人材サービス業界

第3章 私の体験から「働き方」を検証する
 第1節 人材派遣業に携わる
 第2節 経営者としての役割
 第3節 ものづくりサービスを宣言

第4章 雇用をめぐる虚と実のドラマ
 第1節 モラルが麻痺した世界
 第2節 専門用語に覆い隠された真実
 第3節 労災、不法就労摘発が増加
 第4節 声を上げる弱者

第5章 新しい働き方を求めて
 第1節 派遣は通過点か?
 第2節 セーフティネット再考

本書の主張は、「雇用維新」で繰り返し書かれたことですので、ここではちょっと斜め方面から、本書に出てくるわたくしの記述をご紹介。

58頁の、出井さんが「雇用維新」を立ち上げられたころ、出井さんを含む生産技能労務協会の皆さんとお話する機会があり、そのことをブログに書きました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-3bd2.html(日本生産技能労務協会)

>ちなみに、この協会の方々が私の話を聞きたいと言って来られたのは、山田久氏から「この問題の法律論については濱口に聞け」と薦められたからだそうです

これに対して出井さんが「雇用維新」で、

http://ameblo.jp/monozukuri-service/archive7-200906.html(拝啓 濱口桂一郎様)

>これまた目からウロコ目

非常に勉強になりました( ̄▽+ ̄*)

と書かれたのが始まりです。もう1年近くになりますね。

もちろん、ご自分のブログでも広報されています。

http://ameblo.jp/monozukuri-service/entry-10528339753.html(『派遣鳴動』出版告知&いまさら自己紹介)

>これからは、さるではなく、本名の出井智将として、この『雇用維新』を綴って参ります

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