フォト
2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« CAPACITAS: Contract Law and the Institutional Preconditions of a Market Economy | トップページ | デンマークの雇用政策@社会政策学会 »

2010年6月22日 (火)

日本学術会議大学と職業との接続検討分科会議事録(第7回・第8回)

だいぶ間が空きましたが、昨年秋頃の標記分科会の議事録が最近アップされたようです。

例によって、発言者の名前は伏せられていますので、わたくしの発言だけピックアップしていきます。間に他の委員の発言があって、それを受けての発言ですので、いささか文脈がつながりませんが、誤解なきよう。

まず、9月10日の第7回会合

http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/daigaku/pdf/d-youshi07.pdf

>○ 資料3について、市民生活と職業生活が並列で書かれていることについて違和感がある。職業人は市民ではないかのようである。「市民生活とりわけ職業生活」というべきではないか。日本では職業教育も含めて、教育と訓練とは別の世界の話のようになっている。訓練ではこのようなことをやっているらしいが、こっちの話とは関係ない、という感覚であるから、おそらくこれが抜けないのだと思う。しかし、本当は全て同じ事である。そしてそれこそが実は職業教育である、という話を言う値打ちはあるのだろうと思う。

○ 考え方として、「大学が提供する教育の質」の保証なのか、「大学が提供する教育を受けて社会に出て行く学生の質」の保証なのか、というのが一番重要な問題ではないかと思う。「日本の大学の学生の質保証」というのは、後者のことだと思う。質を保証するというのが目的であり、その目的を達成するためにその手段として大学が提供する教育の質を保証するというはずなので、いわばその目的である、大学の教育の質保証という発想をもっと出すべきだという趣旨で話されている、と私は理解した。

○ 言っていることはあまり変わらないと思う。学生一人一人に点数をつけよう、という話ではなくて、提供されているカリキュラムをきちんと学んで、それに合格すれば、それだけの能力を身に付けたと判断するようにする、そこを出た学生に能力保証ができるようなカリキュラムの質を保証するという趣旨である。ただ言いたいことは、この枠組みではそのようにはならなくて、学生の能力の保証という観点のための課程の保証という観点になっていないのではないか、ということなのだと思う。

○ 趣旨がずれているかもしれないが、今の文科系、例えば経済学部のカリキュラムは、そもそも職業をターゲットにしていないではないか。もっと職業をターゲットにしたようなカリキュラムの組み方、というものも一つの例として、こういうものも参考にできるのではないか、という趣旨なのではないかと思う。「個別か全体か」という話ではないと思う。

○ その話をしてしまうと、司法試験を受ける人間だけにとって意味がある話になってしまう。しかし大部分の人はそうではなく、普通の会社で経理や総務の仕事をしている。そういうことをもう少し前方に置いた形で、なぜこういう話が出てくるかというと、文科系でも職業についても第一義責任的なものを作っているからである。

○ ○○工学や○○専攻というように細かく分けると作りやすいし、イメージしやすい。わかれているとしてもそれは基礎的なレベルで、その先はかなり汎用性がある。法学部はある意味で一番典型的で、上澄みのところだけ非常に汎用性があって、そこから下がると何が特色かわからない。つまり民法や刑法を学ぶことが大学を卒業してからの人生にどういう意味があって、どういうところにつながっていくのか、ということを考えたときに、もう少し職業生活に対応する形で作っていったらどうか、という趣旨ではないか。

○ そこまで議論することなのか。もっと広い意味でも、その点にあまり触れないと、皆が問題だと思っているところについてきちんと提起しない、ということになってしまう。

○ 枠にはめるのではなくて、問題を提起する必要がある分野とそうでない分野があるのではないか。あまりに一律に通用することだけを議論しようとすると、問題とすべきところが表に出てこないような形になってしまう。

○ 「新時代の日本的経営」をわざわざ出す必要はないと思う。もっと専門的な能力を活用していく方向に行こう、という話が言われている、ということを書けばいいだけである。14 年前に日本経営者団体連盟が出したものを実現しましょう、ということを書く必要はないと思う。これはどちらかというとバックグラウンド的な話である。

○ 日本的経営は長期蓄積型を縮小しながらやろう、その外側は流動的なもの、という階層構造でやろう、という提案だった。

○ 趣旨は非常によくわかるが、おそらく書き方の問題だと思う。この報告書が、14 年前の報告書を実現すべきだという立場に立っている、というようにならないようにした方がいいと思う。

次に、9月30日の第8回会合。

http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/daigaku/pdf/d-youshi08.pdf

>○ もっと正確に言うと、労働市場の状況とそれに対応すべき教育の現状ということが認識論としてあり、それに対する政策的対応は、労働市場にのみ存在し、教育には存在しない、ということでこのような順番になっているので、このような言葉になっているのだろうと思う。確かに現状を書いてその後に政策的対応を書くのはわかりやすい。しかし、そうではなくて、政策的対応は労働市場にしかされておらず、教育にはない、ということが問題、課題である、という話なのだと思う。

○ この論理からすると、このような色々な状況の変化に対して、雇用システム自体も変容している。しかし変容が足りないために、それを補うために量的に縮減されてしまい、その結果としてこのような問題が起きているのだ、という論理が成り立つのではないか。強化はされていないと思う。

○ なぜ雇用システムがそう簡単に変わらずに、縮減という形で対応しているのか。それは他のシステムと対応しているからである。つまり、他のシステムと相互補完性があるため、他のシステムが変わらないと、雇用システムだけ勝手に変わるわけにはいかない、ということである。

○ これは公務員と民間という形で分けて書く話ではなく、上位か中位か下位か、という話だと思う。上位は今まで通りだという書きぶりにするのか、むしろ実際には職業生活の中で幅広い能力が求められると思うけれども、基盤として一定の専門職がいるということは強調していくべきだという書き方にする、つまり全体としての主張をそういう形にするのか。それがちょうど公務員のそれぞれのクラスに対応する。そうすると、公務員についてどう書けばそういう話になるか。

○ 公務員が難しいのは、公務員法は半世紀以上前に、当時の発想としてはむしろ逆の発想で作られたが、それを違う発想で運用してきたという歴史があるからである。したがって、これに足をつっこむと、「本来公務員法が云々」という複雑怪奇な話になってしまう。

○ しかし民間企業は「本来雇用はこうあるべき」ということがあるわけではない。どちらかというと、特にここ数十年間は雇用システムとはこうであるということを前提とした法制度が作られてきている。しかし公務員は本来職階制から来ているところもあるので、つっこむと大変である。

○ わかっていないというよりも、システムというものがそう簡単に変えることができないがゆえに、例えば賃金カーブのフラット化や成果主義といった方向も出す。それだけではなく、今まで暗黙に言われていなかった、ありとあらゆる状況に機敏に対応できるような人間力、コミュニケーション能力をより明示的に出す。そのことだけで言うと、今までの日本的雇用システムの性格がより強化されていく、という現象が出ているということではないか。
ますますこれから企業に就職するためには、どんな長時間労働にも耐え、ありとあらゆる状況に機敏に対応できる万能な能力を身に付けなければいけないというように、今まではそうはいってもそれほど多くなかったものが、ある意味では別の方向に向かっている面もありながら、企業の外に対するメッセージとしては強化する方向が出されているために、大学がそのようなメッセージを受けて混乱しているのだと思う。

○ だからそれを要求しているのはあくまで現象だ、ということを書かなければならない。

○ ただ大学教育との関係でいうと、今までの日本的な考えでは、将来的に言えば、何かしらそういう人間力は身に付いていくけれども、入社したときからそんなものはあるはずがなく、むしろ入社してから上司や先輩が鍛えて身に付けていく、という話だった。しかし、変容しつつ縮減しているために、かえって最初から人間力をもって入ってきてほしい、というような話になっていて、それで変なことになっている。

○ 多様化について、既存の人文社会科学系のところが量的にふくれあがることも含めてなんとなく理解していた。多様化というとそうではなくて、いわゆる四文字学部や六文字学部のようなものをイメージしていた。それは人文系の膨張現象の話であってむしろ③である。「知的訓練という『前提』を後景化させた」という記述は、本来こういうことをやる学部のはずだが、量的にふくれあがったことでとてもそのようなことができなくなった、という話なのか。しかし多様化という話はそういうものではない。本来的な意味で社会的なニーズに応じて、ということであれば、まさに複合的なディシプリンを含んでいるはずである。

○ 2の政策的対応というのは、これまでの若者にかかる政策の不十分さ、的はずれさ、というような形でここに書かれているのだと思う。企業行動の変化と若者の状況、それに対する広い意味での政策的対応があるけれども、限定的というよりもむしろやや本質をはずれているという言い方ではないか。そして本当はここで対応すべきなのだ、という形である。そういう意味では児美川先生のこの並べ方は筋が通っていると思う。

○ かつては若者対策はいらなかった。しかし必要になった。にもかかわらず認識が追いついていない、あるいはずれており、若干的はずれな対策が講じられている。

○ 1(2)は中位層への対策の中に位置付けられてしまうと思う。2の下位層へのキャリアラダーの再構築は雇用システムの在り方そのものにもつながる。整理が大きく中位と下位に分けて、中位についてはマクロがあってそれに大学教育がのっかるという話になっている。主旨からいうとこういう書き方がこの性格上できるかわからないが、最初に中長期的課題として雇用システム・労働市場の在り方があり、それには上位も中位も下位も基本的な基調というのがあって、それを受けて、という書き方の方が整理できるのではないかと思った。キャリアラダーの再構築は実は労働市場の在り方そのものである。

○ それを言うと、1(1)も短期的といいながら、それが機能するためには実は将来的に(2)の方向へ行くことを前提としている。雇用システムがますます今までの領域を凝縮する方向に落ちるのであれば、逆の方向に向かうことになるわけで、やはり現状と課題で認識的な齟齬があったとしてもⅡの提言の最初にそれがないと、なぜこうなのか、話がつながらない。

○ 教育だけにして、そこは提言に入れないということは一つの選択肢である。しかし、そうすると1.(2)はいらないし、2.もというキャリアラダーを前提とした大学教育を構築するといった話になる。ここはシステムそのものを作っていく、という話を書いているので、それは最初にまとめて出した方がいいと思う。

○ 「職種別労働市場」をできれば「職種と職業能力に基づく労働市場」にしてもらいたい。なぜレリバンスかというと能力を高めていくという話なので、それがにじみ出る表現の方がいいと思う。

○ むしろここは「…されており、しかもこれこれのように上手くいっていない」というように、そこはあまり書くとあちこちに差し障るが、かつ社会的な受け入れ条件がそれに合った形で変わっていないために上手くいっていない、と書いた方がいい。それがおそらく2.ないし3.の提言の上下の話で、中・下があって上がないのは気になる。また、上は今まで通りでいいのか、というと教授側はそういうことをやってしまっている。例えばロースクールのように高度専門職を養成した人間を社会がどういうふうに使っていくか、という議論を提言に書く必要があるだろうと思う。

○ 将来の職業選択を考えずに大学に進学している現状がある、という形で書いて、現状と課題に入れる方がいいのではないか。

« CAPACITAS: Contract Law and the Institutional Preconditions of a Market Economy | トップページ | デンマークの雇用政策@社会政策学会 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« CAPACITAS: Contract Law and the Institutional Preconditions of a Market Economy | トップページ | デンマークの雇用政策@社会政策学会 »