阿Qさんの拙著への深い書評
5月1日の書評紹介の続きです。
阿Qさんが、4月30日から今日まで5日連続で、拙著『新しい労働社会-雇用システムの再構築へ』への書評を書かれています。
http://straight-line.seesaa.net/article/148242740.html(働くことを考える。 「新しい労働社会」・・・雇用システムの再構築へを読む)
>本書はリーマンショック後に突如現れてきたような「派遣切り」や「ワーキングプア」の問題を、「普通の社会人、職業人にとって、空間的および時間的な広がりのなかで現代日本の労働社会をとらえる」視野を広げてくれる本である。少なくとも、自分の実感だけで労働を考えてきた僕にとっては、最近の、就職の困難さに直面している若者や中高年の現状を考えながら、それが歴史的な日本の労働問題の流れの中で起きている問題だということを教えてくれる本だといえる。
http://straight-line.seesaa.net/article/148380790.html(ジョブは可能か? 新しい労働社会・・ 雇用システムの再構築へを読む(2))
http://straight-line.seesaa.net/article/148468782.html(開かれたジョブへ 新しい労働社会・・・雇用システムの再構築へを読む(3))
>雇用契約の主流がジョブ型ではなくメンバーシップ型であり、それが日本の労働社会を息苦しくしていることは確かである。そのことを感じるのが転職の際であろう。
>つまり、職務ではなくメンバーとしての資質が問われているわけだから、そのメンバーに合わせることが出来るかどうかが問題になる。そのメンバーには独自の歴史があり、歴史にそった風土がありそれを理解する必要があるわけである。それよりもまずその会社に人格を含めてまるごと適合しなくてはならない。職務だけで自由に動けない場合の転職が難しいというのは、そういうことなのである。
http://straight-line.seesaa.net/article/148550975.html(開かれたジョブへ(2) 新しい労働社会・・・雇用システムの再構築へを読む(4))
>実はこのようなメンバーシップが適用されるのは、労働者全体ではほんの一部にすぎないのではないか。先ほどの大企業の男性正社員だけだということからいうと、ほんの数パーセントかも知れない。ほんの数パーセントにすぎないのに、日本の雇用問題の代表的な考えというのも変な話である。そこに日本の雇用問題を考える時のネジレがある。
>最近NPOに勤めてみて感じたのは、意外と個人で様々な職業を持って企業と折り合いをつけながら生きている人が多いということである。主にコンピュタ関連の技術を持っている元技術者とか、NPOを自分で創業している人とか、環境問題とか労働問題に詳しい人とか、いわゆるSOHOをやっている人とか、臨時に企業に雇われている人とか、多彩な生き方をしているが結構いるのに驚いた。生活は裕福とはいえないみたいな人が多いが、誇りを持って生きているこのような人達をみていると、今後の日本にひとつの希望が生まれる。
>そういった人に共通しているのは、ジョブ(職務)である。それぞれの人が、それぞれのジョブ(職務)を持っている。
http://straight-line.seesaa.net/article/148705678.html(新たな労働社会を読む(最終回))
>最終章の「職場からの産業民主主義の再構築」で述べている「正社員と非正規労働者を包括する公正な労働者組織として企業別組合を再構築することが、現実に可能な唯一の道」という今後の労働社会に対する提案に若干の違和感があるからだ。
>僕が違和感を持ったというのは、労働組合という組織が著者が考えるほど一般の人が期待しているか、という点である。この本を読むと確かに戦後の労働組合と労働政策が大きく現在の労働社会に影響を与えていることは、よく理解できる。その延長で「公正な労働者組織」を構築するという提案は、よくわかる。だがしかし、である。
>僕はむしろ、序章で述べているような労働をジョブ契約ではなく、メンバーシップ契約に変遷してしまった日本社会の病理(?)、さらにそのメンバーシップ自体が崩壊しつつある一方で、厖大な非正規労働者が生まれているといった構造に迫った方が、労働社会という「社会」を理解出来ると思った。
大変深く拙著を読み込んでいただき、その上で、わたくしの考え方との微妙な、しかしかなり重要な違いをも摘出されています。
阿Qさんは、「僕は自由な個人が、各自のジョブにより協同して社会を構成するといった、ユートピアというか、ある意味能天気なイメージを未来の職業に持って」おられるのですが、わたくしは企業メンバーシップに立脚した労働社会からなにがしかジョブに立脚した労働社会に移行していくとしても、それを支えるのは何よりも具体的な職場の連帯感-あえていえば職場のメンバーシップ感-だと考えていて、「自由な個人の共同体」(アソシエーション!)には懐疑的なのですね。
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