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2010年5月 7日 (金)

ほとんど絶望的に・・・

本エントリは雑件ですので、誤解なきよう。

森直人さんの「もどきの部屋 education, sociology, history」というブログに、「自分つっこみ」と題して、次のようなエントリが、

http://d.hatena.ne.jp/morinaoto/20100506/p1

>ほとんど絶望的に歴史的パースペクティヴの欠如した(現代対象の)「実証系」研究者と,ほとんど絶望的に現代的問題意識の欠如した「歴史系」研究者って,似てるよね。

歴史のための歴史。好事家の自己満足。

ここに「理論系」も加えてやりだすと無用に敵を増やすだけなので,却下。

っていうか,教育社会学に「理論系」なんていないか(←結局増やしてる)。

わたくしは教育社会学方面じゃないし、既にあちこちに無用に敵を増やしているので(笑)、森さんに却下された部分を再現しておきますと、

>ほとんど絶望的に歴史的パースペクティブも現代的問題意識も欠如した「理論系」研究者って・・・・、理論のための理論。好事家の自己満足・・・・・・・。

まあ、教育社会学方面はよくわかりませんが、労働研究についても、確かにこういう3つの傾向は感じられます。

それとも、アクチュアルな問題意識に根ざし、深い歴史的パースペクティブに裏打ちされ、理論的にも見事に説明能力のある研究、なんてのは、知的で誠実なナチスみたいなものなんでしょうか。

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コメント

研究者のサラリーマンとしての評価(cf成果主義)がこのような現象に関わっているのでしょうか。

歴史的パースペクティヴ、現代的問題意識があろうがペイメントが望めないなら

細切れの問題を細切れのまま解いていくことに対する評価が

>歴史のための歴史。好事家の自己満足。

を脱するインセンティブは

いきなりホームランを打とうとしても打てないからといって糊口をしのぐためバントばかりしているうちに・・・

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