フォト
2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 日本の働き方~『正社員』の行方~ | トップページ | 日本労働法学会第119回大会 »

2010年5月14日 (金)

労使関係から見た労働者の力量形成の課題

来月、某学会で報告する予定のメモ、第1稿。

やや話を広げすぎの感あり。

==================

はじめに

 多くの人は「教育」を受け、「労働」をして人生を送る。「教育」と「労働」は他の何よりも人々にとってなじみある活動である。そして、「教育」が「労働」の準備であり、「労働」が「教育」の成果である以上、「教育」と「労働」は密接な関係にあるはずである。しかしながら、現実の日本社会では、「教育」に関わる政策や学問は「労働」(の中身)にあまり関心がなく、「労働」に関わる政策や学問は「教育」(の中身)を敬遠してきたように見える。正確に言えば、高度成長開始期までは相互にそれなりの関心と関与があったが、その後双方からその契機が失われていったように見える。
 今改めて「教育」と「労働」の関係に社会の関心が向けられつつある発端の一つは、1990年代のいわゆる就職氷河期に、それまで学卒一括採用制度のもとで正社員として就職できていたはずの若者たちがそこから排除され、非正規労働者として不安定で、低労働条件で、将来展望の乏しい職業生活を送らざるを得なかったことである。その大きな原因として現代日本社会における教育の職業的意義(レリバンス)の欠如を指摘し、「教育」と「労働」を一体的に議論する必要性を説いたのが、本田由紀の『若者と仕事』(東大出版会)であった。
 彼女の近著『教育の職業的意義』(ちくま新書)は、もちろんこれまで見失われてきた教育の職業的意義の回復を訴えているが、それとともにそれが「適応」と「抵抗」の両側面をもつべきことを主張している。本集会で与えられたテーマである労働者の「エンパワメント」「力量形成」とは、この両側面にわたるものとして論じられる必要がある。「適応の力量」があってこそ「抵抗」が可能となり、「抵抗の力量」があってこそ「適応」は単なる「服従」に堕すことがない。

1 経緯と現状

(1) 「教育」と「労働」の密接な無関係

 現代日本社会における「教育」と「労働」の関係は、「密接な無関係」と呼ぶことができる。受けた学校教育が卒業後の職業キャリアに大きな影響を与えるという意味では、両者は密接である。しかしながら、学校で受けた教育の中身と卒業後に実際に従事する労働の中身とは、多くの場合あまり(普通科高校や文科系大学の場合、ほとんど)関係がない。これを本田は「赤ちゃん受け渡しモデル」と呼んでいるが、職業能力は未熟でも(学力等で示される)潜在能力の保証に基づき学卒一括採用された若者を企業が企業に合う形に(とりわけ職場のOJTを通じて)教育訓練していくという回路が回転している限り、極めて効率的なシステムであった。
 これは、発生的には20世紀初頭の大企業における子飼い労働者養成から始まったものであるが、公共政策は必ずしもそれを促進する方向であったわけではない。特に終戦直後には、「技能者の養成は、職業教育の充実によって、相当その目的を達成することができると考えるが、義務教育以上に進学のできない者については、矢張り労働の過程で技能を習得させることが必要であ」るので、企業における技能者養成「を全面的に禁止することはわが国の現状に鑑み適当でない」(労働基準法制定時の質疑応答集)というのが政府の考え方であった。ところが肝心の教育界では普通科が偏重されて、本来の道とされたはずの職業教育は継子扱いされる傾向が続いた。
 高度成長期までのこの問題をめぐる政治的配置図は、産業界と労働行政が「教育」と「労働」を内容的に結びつける方向であったのに対し、教育界ととりわけ革新勢力がそれに否定的であったように見える。そこには、教育を高尚な人格形成のためのものと捉える理想主義的教育学と、産業に奉仕する教育を忌避するラディカル左翼思想の結合が透けて見える。しかし最大の皮肉は、それまで職務給を掲げていた日経連が高度成長末期にヒト本位の職能給に転換し、こうした「教育の職業的無意義」を容認、むしろ称揚する側に回ったことである。かくして、教育の職業的意義は誰からも支持されないものとなってしまった。
 労働行政の推移もこれに対応している。高度成長期までの労働行政は「職種と職業能力に基づく近代的労働市場の形成」を旗印にしていた。縦割り行政の中で学校における職業教育との連携は乏しかったが、公共職業訓練施設を中心とした企業横断的技能養成が政策の基軸をなしていた。ところが1970年代以降は企業内での雇用維持とともに、企業内教育訓練への援助助成が政策の中心となった。労働者の職業教育訓練は企業に任せるという社会のあり方が、名実ともに確立したことになる。筆者はこれを「企業主義の時代」と呼んでいる。「赤ちゃん受け渡しモデル」によるリアルな「教育と労働の密接な無関係」の掌の上で、観念的な「教育の職業的無意義」が夢想していた時期といえようか。
 ところが1990年代以降、市場主義的な政策が展開される中で、長期雇用と年功賃金と企業内訓練を保証される正社員の収縮が進行し、そこから排除された非正規労働者の存在がとりわけ2000年代以降社会問題となってきた。企業が人材育成に責任を負わないのであれば、公共政策が全面的に責任を負わなければならない。学校や職業訓練施設における職業教育訓練の確立が再び課題として意識される時代となったのである。

(2) 集団的労使関係の収縮と労使関係の個別化

 労働における「適応」のための教育すら不必要となるならば、労働における「抵抗」のための教育はますます無用の存在となる。終戦直後には労働省労政局に「労働教育課」という課が置かれ、労働行政の一つの柱でもあった「労働教育」という言葉は、1958年に同課が廃止されて半世紀以上が過ぎ、現在ではほぼ完全に死語となっている。
 もっとも、当時の「労働教育」とはかなりの程度労働組合教育であり、労働教育課の廃止は労使関係が安定化し国が積極的に行う必要が乏しくなったことが理由である。労働組合の健全な育成という目標は達成したという判断であったろう。ところが、その後進行したのは労働組合組織率の長期低落であった。2009年現在組織率は18.5%であるが、とりわけ、中小零細企業では1%前後とほとんど集団的労使関係が存在しない状態となっている。また、非正規労働者が増加する中で、組合のある企業でもそこから排除される労働者が増大してきている。さらに、産業構造の高度化、企業組織の複雑化の中で、労働組合に加入できない(とされる)管理的立場の労働者も増大してきた。一言で言えば、集団的労使関係の収縮が着実に進行してきたのである。
 これを裏から言えば、労使関係が個別化してきたということになる。そして、かつては労働組合が主役だった労使間の紛争は、解雇やいじめ、労働条件切り下げをめぐる個別労働者の訴えが中心となった。2001年から開始された労働局における個別紛争処理制度には膨大な数の訴えが寄せられている。2008年度には、相談件数1,075021件、助言指導件数7,592件、あっせん件数8,457件である。
 こういった個別紛争事案からも浮かび上がってくるのは、労使関係が個別化したといいながら、その個別労働者に自分の身を守るための労働法、労働者の権利に関する知識がほとんど欠如しているという事態である。また、労働法を遵守すべき使用者にも、労働法の知識の欠如や労働法の意義を軽視する傾向がある。こうしてここ数年来、労働法教育の必要性を訴える声が徐々に高まってきて、昨年2月には厚生労働省の研究会が報告書を出すに至った。
 こうして、収縮した集団的労使関係の再構築と、個別労働者への労働法教育の確立という課題が意識されるようになってきた。

2 課題と政策

(1) 教育訓練システム・能力評価システム

・学校教育とりわけ中等教育・第三次教育における職業的レリバンスの向上

 戦後日本は、「就職組」の職業高校よりも「進学組」の普通科高校を尊重し、前者の縮小と後者の拡大を善と考えてきたように見える。しかし、時期の違いはあれ誰もが結局は「就職組」になる。「就職組」にならないと思いこんでなされた教育は、就職してからしっぺ返しを受ける。とりわけ現実に拡大してきた普通科就職組に矛盾が集中する。
 「普通科」という発想自体を見直し、すべての高校を一定の職業基礎教育を含んだ総合高校としていく必要があるのではないか。高校卒業時の「進学」「就職」よりも、その先の誰もに訪れる「就職」を前提にして、たとえば工業科→理工系大学、農業科→生命系大学、商業科→経済商学系大学といったコースを主流化することも考えるべきではないか。
 学校教育法上、短期大学、高等専門学校、そして専門職大学院にすら「職業」という言葉があるが、大学だけは「職業」という言葉がない。現実には卒業生の圧倒的大部分が「就職組」であるにもかかわらず、職業に背を向けた「学術の中心」のふりをしているこの矛盾を直視すべきである。その際、既存の大学をそのままにして、その外側に新たに「職業大学」を作るなどという欺瞞はすべきではない。既存の大学の大部分が、実態に即して「職業大学」としての職業的レリバンスの向上に取り組むべきである。

・生涯学習の内容を職業能力向上を目指したものとすること

 今日の「生涯学習」は未だに教養文化中心の、生涯職業能力開発こそ生涯学習の中心とした臨教審第2次答申以前的段階にとどまっているのではないか。労働者が自らの職業能力の開発向上を企業の人事管理に委ねるのではなく、主体的にキャリア形成を図っていくことができるようにするためには、企業外部における教育訓練機関の充実が不可欠である。しかも、NOVA等を肥え太らせるだけに終わった教育訓練給付制度の轍を踏むことなく、真に労働者の必要に応じた教育訓練を実施するためには、生涯学習の内容の決定過程自体に地域の労使団体が参加していくことが重要である。
 生涯学習の最大の受け皿となるべきは、教育内容の職業レリバンスを高めた大学や大学院であろう。今日の大学の市民講座等も依然として教養文化系が大半だが、そのような有閑階級向け消費財としての生涯学習からの脱却を考えるべきではないか。むしろ、1年程度の短期課程による社会人教育を中心に考えるべきではないか。

・教育界と産業界の連携による本来のデュアルシステムの構築

 今日「日本型デュアルシステム」と称しているものは、学校教育に毛が生えた程度の文科省版デュアルシステムと委託訓練に毛が生えた程度の厚労省版デュアルシステムの併存に過ぎない。ドイツやその周辺諸国におけるデュアルシステムとは、パートタイム学習とパートタイム労働を週数日ずつ有機的に組み合わせたシステムであって、これからすれば日本型デュアルシステムはそもそも「デュアル」の名に値しない。
 本来のデュアルシステムを実施するためには、教育界と産業界が地域レベルでしっかりと連携し、地域企業に就職し、地域の将来を担う人材を、地域の教育界と産業界が連携協力して育成するという本来の産学協同への共通認識が不可欠である。残念ながら、そのような共通認識の必要性を教育界に理解してもらうところから始めなければならないのが実情であるが。

・企業を超えた能力評価システム(日本版NVQ)をできるところから構築

 民主党政権の新成長戦略は、「非正規労働者を含めた、社会全体に通ずる職業能力開発・評価制度を構築するため、現在のジョブ・カード制度を日本版NVQへと発展させていく」と述べている。NVQとはイギリスで導入されている国民共通の職業能力評価制度であり、再就職やキャリアアップに活用されているという。
 職業能力の開発と評価が企業別に分権化されている日本の現状では、これは容易なことではない。紙の上で作ってみたところで、企業が「そんなものは使えない」と無視すればそれまでである。とはいえ、できるところから少しずつでも取り組んでいくしかない。
 その際、前提条件は膨大ではあるが、大学や大学院がその課程の修了を証した資格をその専門分野におけるNVQの出発点として考えてみる値打ちはある(言葉の真の意味での「学歴社会」)。

(2) 集団的労使関係システムの再構築

・職場レベルで正規と非正規を包含した集団的労使関係の枠組みを構築(「労働組合」的な労働者代表制)

 現在の企業別組合から排除されている非正規労働者や管理職を職場レベルの連帯の枠組みに組み込み、未組織の中小企業にも集団的労使関係の枠組みを及ぼすために、公的に強制設立される労働者代表制が提起されている。これは、意味のあるものであるためには、メンバーを限定しうる自発的結社であってはならないが、同時に使用者から独立し抵抗できる組織でなければならない。つまり、労働組合であってはならないが、労働組合でなければならない。そのような組織をどのように構想していくべきか、課題は大きい。

・職場の問題に的確に対応できるような労働組合等の力量の向上(組合役員等に対する労働教育)

 労働組合が職場のさまざまな問題に(個別労働者の立場を踏まえて)的確に対応していく能力は、今まではまさに組合役員としてのOJTによって形成、承継されてきた。しかし、企業レベルの集団的労使関係が平和的、協力的になる中で、職場レベルの苦情処理の力量が低下してきていないか、再考の余地がある。
 また、上記労働組合的な労働者代表制を未組織企業に設置していく場合、その機能を的確に遂行していける人材を育成することが重要であり、産別組織や地域組織による援助が不可欠となる。
 こうした組合役員等に対する労働教育は、ナショナルセンターの指揮の下で、産別組織や地域組織が実施していくことになるが、公的な支援の余地がないのかも検討されるべきであろう。

・職場の集団的労使関係の形成が困難な中小企業分野において抵抗の力量を支えることのできる産業別・地域別労働組合の力量向上

 職場レベルの労働組合や労働者代表の力量形成を支えるべき産別組織や地域組織の力量向上も大きな課題である。

(3) 労働教育の課題

・学校教育とりわけ中等教育・第三次教育における労働教育

 社会科の授業で「労働三権」を勉強しても、自分の権利とは思わない。すべての生徒や学生が自分自身の(就職してからだけではなく、現にアルバイトとして就労しているときの)権利として労働法の知識をきちんと学ぶことができるよう、共通の職業基礎教育の一環として労働教育を明確に位置づけ、十分な時間をとって実施されることが必要である。
 とりわけ教職課程においては、全員「就職組」である生徒を教える立場になるということを考えれば、憲法と並んで労働法の受講を必須とすべきであろう。

・生涯学習の中に労働教育を大幅に取り入れること

 労働者の権利に関する知識の欠如した労働者や使用者、労働法の意義を軽視する使用者に対して、きちんと労働教育を実施していくことはなかなか難しい。知識の欠如や軽視自体が、そのような知識の付与を目的とした講習や研修への参加を妨げるからである。このため、労働教育としての労働教育は、結局分かっている人に分かっていることを教えることになりがちである。
 この壁を超えるには、職業能力向上や経営指導など、さまざまな生涯学習の機会をとらえ、その中に有機的に労働教育を組み込んでいくことが有効であろう。生涯学習がそのような実務的な方向に転換する前からでも、現行のさまざまな生涯教育機会の中に、積極的に労働教育を取り入れるべきである。かつて文部省と労働省が社会教育と労働教育の所管を争った時代ではない。労働教育と消費者教育は、今日における市民教育の最も重要な基軸と考えるべきではないか。

・労働教育機能を有するNPOや労働組合の活動への支援

 既に労働問題NPOや労働組合の中には、積極的に労働教育活動に乗りだしている例がある。たとえば、若者の労働に関するNPOであるPOSSEでは、高校、専門学校、大学での労働法の出張授業などを行っている。民間レベルによるこうした活動を積極的に支援していくことも重要な課題であろう。

○教育基本法のいう「人格の完成」は、教養主義的なものであってはならない。「適応の力量」を養う実践的なものでなければならず、「抵抗の力量」を養う主体的なものでなければならない。 

« 日本の働き方~『正社員』の行方~ | トップページ | 日本労働法学会第119回大会 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 労使関係から見た労働者の力量形成の課題:

« 日本の働き方~『正社員』の行方~ | トップページ | 日本労働法学会第119回大会 »