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« 労働法制と発達障害者 | トップページ | 地方分権の職業訓練的帰結 »

2010年5月 9日 (日)

綾屋紗月さんの提起される疑問

昨日のエントリ「労働法制と発達障害者」へのコメントとして、当事者としてこの問題に取り組んでおられる綾屋紗月さんがご自分のエントリと、さらに深く突っ込んで考えられた文章をリファーしておられます。

http://ayayamoon.blog77.fc2.com/blog-entry-207.html(ジョブ型契約ならアスペルガー症候群は働きやすいか?)

http://manazashijam.web.fc2.com/pdf/ayayamoon20100510.pdf(「隙間に立ちあがるもの」―ノイズ・ノリ・熟議―)

>確かに業務内容が明確化されている
ジョブ型の労働契約に比べて、
メンバーシップ契約が
アスペルガー症候群(以下、AS)にとって
働きにくい一面はあります。
私の就労経験を切り取る時にも
「フリーランスではうまくまわっていたのに、
 正規社員になった途端にうまくできなくなってしまった」
という語り方があてはまる側面があります。

しかし、歴史を振り返った時、
メンバーシップ型の労働環境がうまくまわっていた時代には、
ASや高機能自閉症といった名づけが
日本ではほとんど知られておらず、
むしろ
それらにほころびが生じた時期に一致して、
名づけが流布していったという事実があります。
(ちなみに英米では日本よりも20年近く早く
これらの名づけが広まっていきました。)

ということは、
「メンバーシップ型/ジョブ型」という区分が
そのままASにとっての
「働きにくい/働きやすい」労働環境という区分に
直結するのではなく、
また、
別の軸も考慮にいれる必要があるのかもしれない
と考えています。

これはとても重要な指摘で、「メンバーシップ型/ジョブ型」を何か静態的な昔からずっとそうであったものとして考えるとかえって見えてこない時代性の軸を考慮に入れる必要性を示しているように思われます。

別の文章などで述べたメンバーシップ型の縮小と凝縮が、それまではそれほどでもなかった「人間力」の要求をそれまで以上に高まらせたことが、その背景にあるのかも知れません。

もちろん、発達障害の社会的「発見」と時代背景とのつながりなど、考えておくべきポイントは山のようにあります。

このあたりは、わたくしも一知半解でものを言ってしまう危険性を常に意識しながら慎重に考えをめぐらせる必要があると思っていますが、切り込むことに値打ちのある分野であることだけは間違いないと感じています。いろいろと勉強しながら、少しずつ考えを深めていければと思っています。

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コメント

雇用される側だけでなく、雇用する側、管理職側を見ておいたほうが良いのではないか?

業務内容を確化しているジョブ型の雇用は、変化に応じた業務の割当、組み立てやモチベーション維持などにメンバーシップ型よりも高度な管理能力、「人間力」を要すると思います。

メンバーシップ型がうまくまわらなくなり、ジョブ型に変化しなければならないとして、管理側・雇用側に高度な管理能力をもった人がどれ位いるでしょうか?管理側に要求される「人間力」の向上への取組みは?

2010 年にこうしたエントリがありましたか。
発達障害はそのご指摘以前から認められながら社会的な不利益との相関性でいわば社会厚生都合で見殺しにされてきておりました。
社会生活上見える化していてもマイノリティー扱いの負の解釈維持とマジョリティー厚生上位の隠蔽といえるような文化風土の崩壊を地道に取り組んでこられてきた方々の、見えないものとされてきた因習への解放黎明期が今日の到達点です。性的問題を表層上でも政権が公式に扱う時代となったことでも普遍化してきた認識のもとで労働含め今日から未来に向けて教育から労働、終末を迎えるまでのライフサイクルでの健康の定義を考え直すことなく、幸せを目指す諸学問の研究など所詮過去に迎合する勝者依存でもあろうかと思っております。
そこ彼処に、私も、あなたも、そうかもしれないほどの微細ではない生命と社会を繋ぐ根源的課題です。
こうしたエントリに接しますと、徒然になされる情報技術を所与としたブログ受給の所作にどのような道理とその帰結想像があるのかに思いを馳せてしまいます。
病んでいるのはオマエだといわれるかもしれません。が、最近、本エントリの病への長い社会慣習は社会的に創られた実は逆な因果律が存在していると考える漠然としていたもののひとつを本ブログを通じて感じ始めております。
東工大名誉教授で同郷の大隅先生のノーベル医学・生理学賞受賞に接し、大変うれしく存じます。これも数十年タームの、それもたかが数十年ターム投資の帰結としての世界的厚生への成果です。タームへの理解度は存外に未来を創る上での判断ポイントであろうと理解しております、
福岡高校おめでとう。

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