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2010年5月23日 (日)

日本の新自由主義者はルサンチマン型?

「dongfang99の日記」というブログに、こういう犀利な分析が書かれていることに気づきました。

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20100523/1274575282(日本の新自由主義は集団主義的)

「Baatarism」さんのエントリを引きながら、

>私が「新自由主義」と呼ばれるものが嫌いなのは、その社会観や経済理論そのものではない。むしろ、規制緩和や市場競争の強化を呼号する人たちのなかに、例外なく官僚・公務員から高齢正社員にいたるまでの「既得権益者」へのルサンチマンが蔓延している(少なくともそれを利用して自説を正当化する)ことにある。そこには例外がなくと言ってよいほど、「あいつらだけずるい」という集団主義的な感情が語られている。

 高橋洋一氏が典型的だが、経済に関する説明ではそれなりに説得的なのに、肝心なところで中二病としか言いようのない官僚への既得権批判や陰謀論になだれこんでしまう。社会保障の専門家である鈴木亘氏もそうだが、既得権批判を持ち込まなくても十分説得的な議論ができるはずなのに、もっとも肝心要の部分でそういう批判を繰り出して全ての議論を台無しにしまう。

 既得権批判や陰謀論は、まともな学者と思われたいのであれば徹底して禁欲すべきなのだが、何でそうなってしまうのかと言えば、それが日本の読者に「受ける」ことを実感としてよく理解しているからだろう。節度のある学者であれば、そこにむしろ危険性を感じて一歩引くべきなのだが、一部の人は積極的に乗っかって自説の正当化に利用してしまうわけである。

 日本の「新自由主義者」が嫌いなのは、そこに日本人の中にあるドロドロとしたルサンチマンがこびりついており、当人もそれを積極的に利用しようとしている点にある。この意味で、フリードマンなど筋金入りの「新自由主義者」が必ずしも嫌いではないのは、そういうルサンチマンがほとんどない点にあると言える。

全く同感。

ルサンチマンにまみれた既得権批判と陰謀論が、あたかも市場原理主義のような顔をしてまかり通るのが、現代日本の知的世界の最大の恥部でしょう。

誰かさんの第3法則が典型的ですが。

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コメント

スティッグリッツは「非対称情報の経済学」において、情報の非対称性により市場の完全競争が損なわれることを指摘し、新自由主義経済における市場主義の限界を指摘しています。既得権益の追求(レントシーキング)は市場の完全競争を歪めるものです。経済学をまじめに議論するうえで既得権益をとりあげるのは当然です。官僚や公務員へのルサンチマン(怨念)の是非は別として、ルサンチマンをとりあげることは生産的でないように思います。

ルサンチマンというよりは、丸山真男の言うところのタコツボ型社会の一面でしょう。新自由主義に限らない。

丸山真男を持ち出すなら、「亜インテリ」論でしょう。東大法学部へのルサンチマンにまみれながら美濃部達吉の天皇機関説を猛爆撃した蓑田胸喜(きょうき)あたり、まさしく3法則の先駆けかも知れません。

彼らにとっては、天皇絶対主義は心の底からの信念というよりは、いらだたしい奴らを引きずり下ろすための手段に過ぎなかったわけで、その点はいまの日本の市場原理を振り回す輩と似ているとも言えます。

その意味では、現れ方は時代によって違えど、亜インテリが自分のルサンチマンをぶつける手段として、時代の「空気」に波乗りするというやり方は、日本の知的世界の宿痾として繰り返される悲劇=喜劇なのかもしれません。

http://amiens.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-abe7.html

”鈴木亘の人口論は信用するな”

「鈴木は厚労省官僚を批判している。ところが、それと対照的に、社人研の数値を無批判に受け入れている。」

「こうした性向の原因が何にあるのかは不明だが、困ったことである。」

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