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2010年5月

2010年5月31日 (月)

海老原嗣生『「若者はかわいそう」論のウソ』扶桑社新書

1102918606 海老原嗣生さんから、またまた新刊をお送りいただきました。今度は扶桑社新書の『「若者はかわいそう」論のウソ』。何というか、ものすごい勢いですね。

今回は、まず第1章で「若者かわいそう」論のベストセラーを論駁するとして、『ワーキングプア』著者・門倉貴史氏/『仕事のなかの曖昧な不安』著者・玄田有史氏/『若者はなぜ3年で辞めるのか?』著者・城繁幸氏の3著を批判し、

第3章では私立大学のキャリアセンター職員、鈴木寛文科副大臣、稲泉連さんとの対談、第5章では湯浅誠氏との対談を並べて、その間に第4章でいくつかの提案を「暴論」と謙遜しながら提示しています。ここでは、この具体的な雇用政策論を紹介しておきましょう。

もっとも、第1の25年期限の外国人労働者受け入れというのは事実上ナンセンスだと思うので(25年日本に住み続けるのなら、それは立派な移民政策です。それならそういう設計にすべき)、残りの3つについて。

まず第2の職域や地域限定の「新型正社員」というのは、私の「ジョブ型正社員」と同様の発想で、これにより「正社員総合職=全員幹部候補」という世界的に異常なあり方を変えて、フランスのカードルのような幹部候補採用と普通の地域・職域限定の正社員の2本立てにしようという提案です。これにより正社員採用の狭き門が広がり、派遣やアルバイトから限定社員への登用も進むだろうというわけです。

第3の大学を補習の府にするというのも、同世代人口の過半数が進学する教育訓練機関をアカデミズムの一本柱であるかのようにしがみついている事態に対するショック療法としては有用でしょう。

本書で特に興味深いのは、第4の「公的派遣」という新スキームの提案です。派遣という仕組みこそ、うまく使えばいろんな問題を解決できる仕組みだという海老原さんの考え方は、私自身の考えと大変共通するものがあります。様々な問題の発生を防ぐため、派遣の入口をすべてハローワークにし、すべての派遣会社はハローワークのデータベースにアクセスして仕事を紹介し、給付や研修はハローワークの専管とし、派遣基金を創設して派遣利用企業の拠出を義務化する・・・というスキームは、つまり派遣制度を社会問題を解決するための公共財として確立しようとするものです。

派遣=悪という単純な条件反射ではなく、きちんと読まれることが是非ととも必要だと思います。

2010年5月30日 (日)

『現代思想』6月号「特集ベーシックインカム」

Isbn9784791712144 雑誌『現代思想』の6月号が「ベーシックインカム」という特集を組んでいます。

http://www.seidosha.co.jp/index.php?%A5%D9%A1%BC%A5%B7%A5%C3%A5%AF%A5%A4%A5%F3%A5%AB%A5%E0%A1%A1

>特集=ベーシックインカム  要求者たち

【BIの現在地】
ベーシック・インカムと社会サービス構想の新地平 社会サービス充実の財源はある / 小沢修司

【討議】
ベーシックインカムを要求する / 立岩真也+山森亮

【BIの思想】
バイオ資本主義とベーシック・インカム / アンドレア・フマガリ (訳=柴田努)
残余から隙間へ ベーシックインカムの社会福祉的社会防衛 / 小泉義之
ベーシックインカムの神話政治 / 白石嘉治

【要求者/共鳴者たち】
~シングルマザー~
  母子家庭にとってのベーシックインカム / 中野冬美
  内なるスティグマからの解放 「個」 の自律にむけて / 白崎朝子
~障害者~
  障害者の所得保障とベーシックインカム 障害者が豊かに生活しつづけるために / 三澤了
~介助者~
  ベーシックインカムがあったら、介助を続けますか?
   介助者・介護者から見たベーシックインカム / 渡邉琢
~学生~
  大学賭博論 債務奴隷化かベーシックインカムか / 栗原康

【労働/福祉の変容】
基本所得は福祉国家を超えるか / 新川敏光
就労支援・所得保障・ワークフェア アメリカの福祉政策をもとに / 小林勇人
貧困という全体性 「複合下層」 としての都市型部落から / 岸政彦

【BIと経済/社会】
ベーシック・インカムをめぐる本当に困難なこと / 関曠野

【「南」 のBI】
「道具主義」 と 「運動」 のはざまで 現金給付の拡大と 「南」 のBIの展望 / 牧野久美子

なかなか面白い議論を展開しているものや、何を言ってるんだかよく理解しがたいものや、気持ちは気持ちとして良く伝わってくるものや、いろいろと取り合わせられていて、買って読んで損はしないと思います。

私自身のものも含め、BIをネオリベラルな思想として批判する傾向が出てきていることへの危機感がいくつかの論文に出てきているのが興味深いところでした。たとえば、冒頭の小沢修司論文では、まず最初に「新自由主義的BI論への危惧」として、

>それは、近年の新自由主義的BI論の隆盛とそれに対する危惧の念が広がっていることについてである。BIJN設立集会の場でも新自由主義的BI論に対する懸念の声が多く聞かれた。なかには、BIがそういうものであるならBIへの期待は返上し反対の立場に立つとの超えも寄せられた

という声を紹介し、

>このように、BI論と社会サービス解体論が手を結ぶ事態となると、それへの反発が生まれることは当然の道理である。・・・そこではBI(手当)支給か社会サービスの充実化という二者択一の論点が設定されることになる。

>しかし、それは大いに間違っている。筆者は、BIも社会サービスの充実も両方必要であると考える。

と述べて、「所得保障と社会サービスは車の両輪」だと主張します。

>BIは万能ではない。新自由主義的BI論が主張するような、BIを導入すれば従来の福祉は不要となる、公務員も不要となる、社会サービスは解体して市場からのサービス購入で事足りるという「BIは夢の特効薬」という議論は、BI論そのものではない。

そんなものをBI論だと思われて一緒に叩かれるのは嫌だ、という気持ちはよく伝わってきますが、とはいえ、アカデミズムや特殊なサークルを除けば、「そんなもの」しかBI論として世間に通用していかないという実情も、それはそれなりの理由があるのではないかと思います。

少なくとも現在ですら著しく低水準にある現物給付の社会サービスを抜本的に拡充しつつ、さらに加えて十分働ける人々にも無条件に毎月8万円なにがしを配るのです、というような議論が、財政的に実現可能性のある議論として、まっとうな実務論壇で相手にされにくいのは、あながちそこの人々の志が低いからだと罵れば済むというわけでもなかろうと思われます。

これに続く、山森亮氏と立岩真也氏の対談も、興味深い言葉がいくつも出てきます。

(追記)

ちなみに、同じ特集の中の栗原康氏の「大学賭博論 債務奴隷かベーシックインカムか」という文章が、なんというか、もう「へたれ人文系インテリ」(@稲葉振一郎)の発想そのものという感じで、大変楽しめます。

栗原氏にとって、大学とは、

>一つは予測可能な見返りのある大学、もう一つは予測できない知性の爆発としての大学、この二つである。

ところが、前者の大学において「就職活動のための授業カリキュラム」というのは、

>コミュニケーション能力、情報処理能力、シンボル生産能力、問題解決能力、自己管理能力、生涯学習能力・・・・・・・・

と、まさしくシューカツ産業が提示する人間力以外の何ものでもないようです。大学で本来学ぶことになっているはずの知的分野は、卒業後の職業とは何の関係もないというのが、絶対的な前提になっているわけですね。

つまり、栗原氏にとっては、大学が大学としてその掲げる学部や学科の看板の中身というのは、原理的に「予測可能な見返り」のあるものではなく、「予測できない知性の爆発」という賭博でしかない、というわけで、まあ典型的なへたれ人文系インテリの発想ということなんですが、なんでこれがベーシックインカム論の特集に入ってくるかというと、

>大学には、二つの道がある。一つは債務奴隷化、もう一つはベーシックインカムである。・・・・・・この賭に負けはない。自分の身を賭して、好きなことを好きなように表現してみること。・・・・・・・

と、好きなことを好きなようにやるんだから、その生活費をお前ら出せよ、という主張につながってくるからなんですね。

いうまでもなく、大学という高等教育機関はへたれ人文系の学問ばかりをやっているわけではなく、大学で学ぶ学問それ自体に職業的レリバンスが高い分野も多くあります。そういう高級職業訓練機関に学ぶ学生がきちんと訓練を修了し、高い技能を持った労働者として就職していけるように、その生活費の面倒を見ようというのは、別段ベーシックインカム論を持ち出さなくても、アクティベーションの考え方からも十分説明できますし、むしろより説得的に説明できるでしょう。

大学や大学院の授業が給付付き職業訓練であっていけないなどというのは、本質的に同じものである「教育」と「訓練」を勝手に役所の縦割りで区別しているからだけのことであって、その方が頭が歪んでいるのです。職業訓練を受けるために学生を債務奴隷にするなんて、(教育政策としてはともかく)労働社会政策としては歪んでいるわけですから。

ところが、栗原氏の議論には、そういう発想はないんですね。学生に生活費を支給すべき根拠は、その受講する職業訓練の社会的有用性ではなく、「好きなことを好きなように表現してみること」であるわけです。

まさに、好きなことをやるかわいい子どもに糸目を付けずに大盤振る舞いしてくれる豊かな親になってくれよ、それがあんたらの責任だ、というのがへたれ人文系ベーシックインカム論であるようです。それは、親の年功賃金によっていままで維持されてきた仮想空間を全面的に拡大しようという試みなのでしょうが、いうまでもなくそれが実現する見込みは乏しいでしょうね。

別れる前にお金をちょうだい

この歌、NHK歌唱禁止だったんですね。

http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201005300038.html

>芸能生活45周年を迎えた歌手美川憲一(64)が、71年のヒット曲「お金をちょうだい」を「プラチナバージョン」として6月2日に再発売する。パイプオルガンを加えたアレンジで、39年前より豪華な音に仕上がった。美川は「『おんなの朝』『さそり座の女』の間にはさまれて発売されて影に隠れてたけど、私としては21世紀の世に残したい歌」と話す。

 「♪別れる前にお金をちょうだい~そのお金でアパートを借りるのよ」。当時NHKでは「歌のイメージが思わしくない」と歌唱禁止。当時、美川は同曲のほか朝帰りを歌った「おんなの朝」など5曲で歌唱禁止になり「NHK歌唱禁止男」との異名を持ったほど。しかし、時代は変化し当時禁止だった楽曲もNHKで解禁され、6月13日放送の「BS日本のうた」でも歌唱予定。「別れた男からむしりとるのではなく『アパートを借りるお金をちょうだい』なんてかわいいわよ。本来あるべき日本女性の姿」と話していた。

解雇の金銭解決について話すとき、「美川憲一じゃないけど、別れる前にお金をちょうだい・・・ということですかね」とか喋っていましたが、禁止されていたとは知りませんでした。どおりで反応が鈍かったはずだ・・・って話じゃないか。

それにしても、

http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND11013/index.html

「アパートを借りる」お金もなしにクビになって路頭に迷った挙げ句派遣村に流れ込んで、格差社会の元凶ということになったことを考えれば、「あなたの生活に響かない程度のお金」を出しておけば、「過ぎた日のことは感謝こそすれ恨む気持ちなんかな」く、「その方があなただってさっぱり」したかもしれませんね。こじつけですが。

2010年5月29日 (土)

25年前に遡って業務限定論を否定しない限り、派遣業界に未来はない

厚生労働省から「期間制限を免れるために専門26業務と称した違法派遣への厳正な対応における実施結果」が公表され、

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000006n5o.html

>第5 号業務(事務用機器操作)と称して、平日は、事務機器操作のほか、来客者の応対、利用料授受の補助、契約申込み及び解約の手続き、苦情相談等の窓口業務を、また、土日祝日は専ら窓口業務を行わせていた。

とか、

>第8 号業務(ファイリング)と称して、3 年を超えて、専らビル内各テナント店舗からの売上日報と各種証拠書類等とのチェック作業、ギフト券売り上げのシステム入力作業等を行わせていた。

といった事例が違反事例として示されています。

さらに「専門26 業務に関する疑義応答集」が出され、

http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/dl/haken-shoukai05.pdf

>Q:「ファイリング」とは、どのようなものが該当するのか。
A:「ファイリング」は、高度の専門的な知識、技術又は経験を利用して、分類基準を作成した上で当該分類基準に沿って整理保管を行うもの等に限られる。
具体的には、例えば、書類が大量に発生する事務所において、書類の内容、整理の方法についての専門的な知識・技術をもとに、書類の重要度、内容等に応じた保存期間・方法を定めた文書管理規程を作成し、この文書管理規程に基づいて、書類を分類・整理・保存・廃棄することにより、事務所内職員が書類の所在を把握できる仕組みを維持する業務等が、「ファイリング」に該当する。
一方で、例えば、既にある管理規程に基づき、書類の整理を機械的に行っているだけの場合や、単に文書を通し番号順に並び替え、それをファイルに綴じるだけの場合、管理者の指示により、背表紙を作成しファイルに綴じるだけの場合は、「ファイリング」に該当しない。

といった細かな判断基準が示されています。

こういう動きに対して、「いままでそれで認めてくれていたのに・・・」というような泣き言をいってみても、所詮「そのいままでが間違っていたんだ」という「正論」に勝てません。

「専門業務だから派遣を認めても良いんだ」という派遣法制定時にでっち上げた業務限定論のロジックに乗っている限り、それは「理屈の立たない泣き言」でしかありません。

このことは、一昨日のNPO法人 人材派遣・請負会社のためのサポートセンター主催の派遣・請負問題検討のための勉強会での講演でも述べたとおりです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-534d.html(派遣法改正をどう読み解くか)

25年間、自分たちがごまかしの上に乗ってやってきたこと、しかしながら、そもそも派遣法が制定される前に「事務処理請負業」としてやっていた労働者派遣事業は、けっして専門業務に限定されていたわけではなく、それを法制化する際の理屈付けとして、現実に必ずしもそぐわない専門業務だからというとってつけた理屈でやってきたのだということ、その矛盾の解決は、業務限定論の虚妄を否定するところからしか始まらないのだということ、派遣法を作ってもらった大恩があるからといって矛盾に満ちた業務限定論を後生大事に頂いている限り、この苦境から脱する道はないのだということ、私のいいたいことはそれに尽きます。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/99-babf.html(99年改正前には戻れない-専門職ってなあに?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/99-48d9.html(いよいよ「99年改正前には戻れな」くなった!)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-1772.html(それはそもそも業務限定に根拠がないと言ってるのと同じ)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/supportcenter.html(労働者派遣法改正論議で今検討すべき事(『労働者派遣法改正問題に対する提言』))

自殺・うつ病等対策プロジェクトチームとりまとめ

昨日、厚生労働省が「誰もが安心して生きられる、温かい社会づくりを目指して」と題する自殺・うつ病等対策プロジェクトチームとりまとめを公表しました。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/jisatsu/dl/torimatome_2.pdf

このプロジェクトチームは、

主査 障害保健福祉部長
副主査 安全衛生部長
幹事 精神・障害保健課長 労働衛生課長
メンバー 健康局
職業安定局
社会・援護局
政策統括官

という構成で、労働政策も大きな柱になっています。

自殺予防のための対策の5本柱は、

柱1 普及啓発の重点的実施
~当事者の気持ちに寄り添ったメッセージを発信する~
柱2 ゲートキーパー機能の充実と地域連携体制の構築
~悩みのある人を、早く的確に必要な支援につなぐ~
柱3 職場におけるメンタルヘルス対策・職場復帰支援の充実
~一人一人を大切にする職場づくりを進める~
柱4 アウトリーチ(訪問支援)の充実
~一人一人の身近な生活の場に支援を届ける~
柱5 精神保健医療改革の推進
~質の高い医療提供体制づくりを進める~

となっていて、柱3が労働安全衛生政策ですが、柱1と柱2にも失業者の自殺予防の観点からハローワークの役割が出てきます。以下、労働政策に関わるところを抜き出しておきます。

まず、柱1ですが、

>(6)ハローワークにおける失業者への情報提供方法の充実
失業後、時期を追って変化する失業者の心理状況にあわせた情報の提供を図る。特に、再就職が決まらないストレスから就職意欲が大きく低下した段階や経済的困窮、あるいは雇用保険の受給終了に伴い支援情報とのつながりが希薄になること等から失業者が孤立に陥らないように、地域の様々な相談機関の連絡先や関係制度等をまとめたリーフレット等を住居と生活にお困りの方に対する相談窓口で配付するなど、必要な対象者に対する的確な周知を図る。

柱2では、

(3)ハローワーク職員の相談支援力の向上
ハローワーク職員への職業相談技能の研修において実施しているメンタルヘルスに関する研修やキャリア・コンサルティング研修等の内容の充実、工夫を行うこと等により、職員一人ひとりの相談支援力の向上を図る。これにより、求職者の言動からうつのサインを読み取り、適切な対応ができるようにする。

(4)都道府県等が行う心の健康相談等へのハローワークの協力
都道府県等が地域自殺対策緊急強化事業等により、求職者に対し心の健康相談等を行う場合に、ハローワークにおいて、相談場所の提供、求職者に対する周知等の協力を引き続き実施する。

(5)求職者のストレスチェック及びメール相談事業の実施
ハローワークに来所する求職者自らがストレスチェックを行い、高いストレスがある場合に、メールで相談を行う「求職者のストレスチェック及びメール相談事業」の周知の強化を図ること等により、高いストレスを持つ求職者の専門的支援機関への誘導等を引き続き実施する。

(6)生活福祉・就労支援協議会の活用
住居・生活支援アドバイザーがハローワークにおける住居と生活にお困りの方に対する総合相談窓口として機能し、心の健康や多重債務等に関する地域の相談機関や関係制度と円滑に連携を図れるように、生活福祉・就労支援協議会の活用を図る。

柱3はまるごと安全衛生関係です。

>近年、有職者全般の自殺死亡率が高まっているとの実態分析を踏まえ、職場におけるメンタルヘルス対策及びうつ病等による休職者の職場復帰の支援の充実を図ることが急務である。

という観点から、

(1) 管理職に対する教育の促進
日常的に部下と接している職場の管理職は、部下のメンタルヘルス不調の早期発見、早期対応や、職場のストレス要因の把握や改善に重要な役割を持つことから、中小規模事業場等の職場の管理職に対する教育を促進する。

(2)職場のメンタルヘルス対策に関する情報提供の充実
中小規模事業場の担当者等、職場のメンタルヘルス対策を実施する者が、メンタルヘルスに関する様々な知識を容易に習得することができるようにするため、メンタルヘルス・ポータルサイト「こころの耳」にeラーニングの機能を付加する等、内容の充実を図る。

(3)職場におけるメンタルヘルス不調者の把握及び対応
労働安全衛生法に基づく定期健康診断において、労働者が不利益を被らないよう配慮しつつ、効果的にメンタルヘルス不調者を把握する方法について検討する
また、メンタルヘルス不調者の把握後、事業者による労働時間の短縮、作業転換、休業、職場復帰等の対応が適切に行われるよう、メンタルヘルスの専門家と産業医を有する外部機関の活用、産業医の選任義務のない中小規模事業場における医師の確保に関する制度等について検討する。また、外部機関の質を確保するための措置についても検討する。特に、メンタルヘルス不調者の把握及び対応においては、実施基盤の整備が必要であることから、これらについて十分な検討を行う。

(4)メンタルヘルス不調者に適切に対応できる産業保健スタッフの養成
メンタルヘルス不調者への対応が適切に行われるよう、産業医、中小規模事業場において対応する医師等に対するメンタルヘルスに関する研修を実施する。

(5)長時間労働の抑制等に向けた働き方の見直しの促進
今後の景気回復期も含め、長時間労働を抑制し、年次有給休暇の取得促進を図るため、労働時間等の設定改善に向けた環境整備を推進する。
また、パワハラの防止等職場における良好な人間関係の実現に向けた労使の取組を支援する。

(6)配置転換後等のハイリスク期における取組の強化
民間団体が行っている自殺の実態調査から、配置転換や転職等による「職場環境の変化」がきっかけとなってうつになり自殺する人が少なくないことが分かっている。そうした実態を踏まえて、配置転換後等のハイリスク期におけるメンタルヘルスに関する取組を強化し、問題が悪化する前に支援へとつなげる。

(7)職場環境に関するモニタリングの実施
デンマークの「労働環境法」を参考にしながら、事業場の労働環境評価についてのガイドラインを策定し、労働者の健康を守るという観点で、心理社会的職場環境についてモニタリングを行う。(例えば、まずは「月80時間以上の時間外労働を許容している事業場」や「過重な労働等による業務上の疾病を発症させた事業場」等についてサンプル調査を行う。)
また、環境保全への取組のように、心理社会的職場環境を整えることが企業イメージの向上につながるよう優れた取組を行っている事業場の公表等を実施する。

(8)労災申請に対する支給決定手続の迅速化
業務上のストレスによりうつ病等を発症した労働者が的確な治療及び円滑な職場復帰等に向けた支援を受けられるよう労災申請に対する、支給決定手続の迅速化を進める。

(9) うつ病等による休職者の職場復帰のための支援の実施
全国の地域障害者職業センターにおいてうつ病等による休職者の職場復帰支援を引き続き実施し、休職者本人、事業主、主治医の3者の合意のもと、生活リズムの立直し、体調の自己管理・ストレス対処等適応力の向上、職場の受入体制の整備に関する助言等を行い、うつ病等による休職者の円滑な職場復帰を支援する。
このほか、医療機関と職場の十分な連携の下、休業者の回復状況に的確に対応した職場復帰支援プランの策定、実施等の取組を広く普及するため、事業者の取組に対する支援を行う。

(10)地域・職域の連携の推進
休職や離職をした方に対し継続的に相談支援を提供できるよう、中小民間企業等を対象とした相談支援や地域づくり、人材育成など、地域(市町村・保健所・病院及び診療所の医師等)と職域との連携の強化等について検討する。

以上のうち、(3)が労働安全衛生法の改正につながる事項ですが、これは「労働者が不利益を被らないよう配慮しつつ」と書かれているように、労働者の安全への配慮とプライバシーへの配慮が下手をすると真っ向からぶつかる可能性のある領域です。

これは、ちょうど19日(水)の労働法政策の講義で取り上げたばかりなんですが、一方で過労死、過労自殺の予防ということで、使用者が労働者の身体や精神の健康状態を事細かに把握するようにするということは、裏返すとそういう労働者個人のセンシティブな情報を使用者の前にさらけ出さなければならないということでもあるわけで、なかなか判断のむづかしいところでなのですね。

(参考)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/karoshiprivacy.html(『時の法令』6月15日号「そのみちのコラム」「過労死・過労自殺とプライバシー」)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/karoushi.html(『季刊労働法』第208号「労働法の立法学」「過労死・過労自殺と個人情報」)

もうひとつ、(5)のパワハラ予防への労使への支援というのは、とりあえずは間接的な政策ですが、個別労働紛争の2割を占めるに至っている職場のいじめ問題に対する。労働政策としての初めてのアプローチとして注目されます。

(参考)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/jisatsuken.html(自殺問題弁護士医師等研究会講演「職場のいじめに対する各国立法の動き」(2006年7月6日))

http://homepage3.nifty.com/hamachan/roujunijime.html(『労働法律旬報』2010年3月下旬号「海外労働事情-EU職場のいじめ・暴力協約」)

2010年5月28日 (金)

人事院公務員初任研修講評にて

月曜日に基調講演を行った人事院公務員初任研修ですが、本日、全体討議ということで、派遣労働、セーフティネット、学校と仕事という3テーマについて、それぞれ2グループずつ発表と討論があり、わたくしは講評ということで出席してきました。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-7217.html(人事院公務員初任研修にて)

政策テーマ別の講評とは別に、最後に総合講評という時間が与えられたので、そこで、おおむねこんなことを喋ってきました。その場で思いつくまま喋ったので、ちゃんと再現にはなっていませんが、まあだいたいこんなことでした、ということで。

>>>>>>>>

皆さんは大変厳しい状態におかれている。政治主導だと言って、公務員は政治家が決めたことを粛々と実行すればいい、よけいなことを考えるなというような傾向もある。けれど、それがうまくいかなくなったときに、どうにかしなければいけないのは皆さんだ。政治家じゃない。マスコミでもない。学者でもない。

よけいなことを言うな、考えるな、といっていた政治家が困った困ったどうしよう、と言いだしたときに、ちゃんと筋道の立った、さまざまな利害関係を考慮した、現実可能性のある選択肢をきちんと提示することのできる力量のある者は、残念ながら皆さん以外にはない。日本は民間シンクタンクが膨大な有能な政策人材を擁し、選挙のたびに役所に入ったり出たりする国ではない。知った風な口をきく評論家に、複雑な応用問題を解ける実力のある人はほとんどいない。

かつては、若手官僚は忙しいといいながら、長い拘束時間の中にそれなりに余裕もあって、その中で目の前の課題から離れた大きなテーマを考えたり、口泡とばして議論するという傾向があった。最近は業務量が半端じゃなく増えてしまい、そういう余裕がだんだんなくなってきて、いざというときに取り出せる部分が縮小しているような気がする。置かれた状況が厳しい中ではあるけれど、マニフェストが行き詰まったときにきちんと政策を提示できる能力を育ててほしい。皆さん以外にその任に堪えうる人々は残念ながらいないのだから。

『経営法曹研究会報』63号

経営法曹会議より『経営法曹研究会報』63号をお送りいただきました。ありがとうございます。

今号の特集は「非正規労働者の実務対応」です。

設例1は有期契約労働者の雇い止め、

設例2は短時間労働者の均衡待遇、

設例3、4,5は偽装請負、安全配慮義務、個人請負、

設例6は派遣労働者の派遣先に対しての団体交渉

設例7は労働者派遣法改正の行方

といったラインナップですが、このうち派遣先の団交応諾義務の問題をちょっとみますと、

まず、派遣先から中途解約された派遣労働者が派遣元で解雇、労働組合に加入後、派遣先に対し、団体交渉を求めた場合については、派遣先に応諾義務はないとしています。

これに対して派遣先の職場環境に問題がある場合、たとえば、派遣労働者からセクハラ、パワハラの問題で団体交渉を求められた場合は、応じる義務があるとしています。ここまでは大方そういう結論になると思われますが、

問題は派遣法第40条の4の申込義務についての団体交渉です。派遣先企業が申込をしない場合に、組合から申込をしろと団体交渉を申し入れられたらどうするかという問題で、報告者の土方弁護士は「非常に難しいところですが、私としては、団体交渉に応じる必要はないと考えています」と述べ、その理由は「派遣先とは労働契約に基づく使用関係がない。そして派遣労働者に対する雇い入れ義務そのものを負っているわけではない。この申込義務は、私法上ではなく、公法上の義務に過ぎない」ということですが、ここはそう簡単に割り切れるか、なかなか難しいところです。本当に私法上の義務がないのかも問題ですが、団体交渉応諾義務があるかどうかは私法上の権利義務に限られるというわけでもないような気もします。

2010年5月27日 (木)

ひとりごと

田中萬年先生はもちろん職業訓練に関しては斯界の第一人者ではあるけれど、現実の政策過程の理解についてはいささかナイーブ。ナイーブであること自体は必ずしも悪ではないけれども、時と場合によってはいささかミスリーディングであり得る。それ以上は言わないし、言えない。分かる人は分かるし、分からない人は分からない。

『生活経済政策』6月号

生活経済政策研究所より『生活経済政策』6月号をお送りいただきました。特集2として、前月号に続いて「アクティベーションか、ベーシックインカムか」という国際シンポジウムの報告が載っています。

今号はデンマークのヨルゲン・アンデルセンさんの「アクティベーションと積極的労働市場政策-デンマークにおける変遷」です。

ややまとまったところを引用しますと、

>以上のように、アクティベーションには異なる3つの世界があります。一つは社会保障をベースにするアプローチであり、宮本教授が指摘したようなベーシックインカム構想と交差する者です。二つめは人的資源アプローチです。最後が規律を強調するワークフェアアプローチです。この最後のアプローチはパターナリズムの問題として保守的な発想に関わるものですし、労働市場の外部に出ることへの不利な条件を設けるという点で自由主義的な発想とも関わっています。しかし、いずれも義務を強調する点で結果的にその手法は似通っており、人的資源アプローチが資格・技能の向上を強調するのとは異なります。

またアクティベーションには3つの目標があります。第一に個人レベルでの雇用効果、第二に福祉効果、第三に社会全体の技能が向上する効果です。

興味深いのは、デンマークの失業保険制度がスウェーデンやフィンランドとともにいわゆるゲントシステムで、労働組合が管理する任意保険であり、労働組合加入の強力なインセンティブになっているわけですが、

>アクティベーション誕生の背景には、こうした失業給付のシステムを維持したいという願いがありました。

と、両者の密接な関係を明確に示していることでしょう。

派遣法改正をどう読み解くか

本日、NPO法人 人材派遣・請負会社のためのサポートセンター主催の派遣・請負問題検討のための勉強会「今後の社会の方向と人材ビジネスを考える」でお話しして参りました。

http://npo-jhk-support119.org/upload/20100527seminar2/20100527seminar2annai.pdf

まず、宮本太郎先生の「日本の雇用・社会保障と民主党政権の課題」という大変包括的な講演があり、そしてそのあとわたくしが「派遣法改正をどう読み解くか」という個別論をするという組み合わせです。

250人を超える方々に聴きにいらしていただきました。ありがとうございます。どこまでご期待に添える内容だったかはわかりませんが、なにがしかのお役に立てれば幸いです。

聴衆の中から思わぬ方と再びお会いしました。NPO法人人財フォーラム(労働新聞社)の由比藤さん、一昨年労働教育の研究会にいらしていただいて、「高校生に働く権利の出前授業」についてお話ししていただいた方です。アコーディオン型の『知っておきたい労働法基礎知識』の新バージョンも頂きました。ありがとうございます。

野田知彦『雇用保障の経済分析』の「あとがき」から

68df2ec726868debfa2414ae127b64e49bd 野田知彦先生より、近著『雇用保障の経済分析 企業パネルデータによる労使関係』(ミネルヴァ書房)をお送りいただきました。ありがとうございます。高度な経済学手法を駆使した書物であり、わたくしの評論する能力を超える面も多々あるのですが、じっくりと読ませていただきたいと思います。

>労使関係や労働組合は日本の雇用にどのような影響を与えたのか。雇用保障が日本の企業経営や労働市場にもたらす影響を、労使関係や労働組合が与える効果という観点から、企業パネルデータに基づき実証的に分析する

じっくり読ませていただく前に、「あとがき」だけをご紹介するというのはあまり適切ではないかも知れませんが、この「あとがき」は是非多くの方々に熟読玩味していただきたい中身になっておりますので、あえて引用させていただきます。

>・・・最後に世相について語りたい。今の日本では「世論」が猛威を振るっている。そして、世論は何よりも「わかりやすさ」を求めている。わかりやすいスローガンを叫ぶ者、またおもしろおかしい政治ショーを披露する者が、世論の圧倒的支持を受ける。しかし、このような事態が続けばそれが何をもたらすのかは、ローマ帝国の行く末を見れば一目瞭然である。我々は、繁栄を誇ったローマ帝国が、「パンとサーカス」によって滅びたことを肝に銘ずる必要がある。重要な事柄が、その時々の空気で決定される風潮は、そろそろ終わりにしなければ取り返しがつかないことになるだろう

>雇用問題についても同じである。派遣村が取り上げられ、その悲惨さが過剰にクローズアップされると、これを目の当たりにした世論は、「派遣の規制」という方向への誘導されるといった具合である。そこに見えるのは気分や感情の支配であって、責任ある議論では決してない。

>そして問題なのは、世論に迎合する輩が後を絶たないということである。世論に反対する者に「抵抗勢力」というレッテルを貼って叩けば、世論はそれに対して拍手喝采を送る。しかし考えてみると、彼らの掲げるスローガンは実は何の中身も伴っておらず、あとから取り返しのつかない事態になることも往々にしてある。あとからそれに気づいて、世論は彼らが支持した者を引きずり下ろすに至るのであるが、自分たちの振る舞いについては決して省みることはないのである。思えばこの数年間、わが国ではそのような出来事の繰り返しだったのではないだろうか。

>我が国民は愚昧ではない。マスコミや知識人、そして為政者が果たすべき責任を回避して安易に世論を形成し、そしてそれに迎合しているのが最大の問題であろう。今必要なのは、情緒に支配された世論ではなく、責任ある輿論を形成することである

>口幅ったいが、学問とは、そして学者とは、このような世論の支配に対して一石を投じ、責任ある輿論の形成に関わることがその存在意義ではないだろうか。その存在意義が発揮されなければ、学問、文化、芸術は世論によって根絶やしにされてしまい、その果てに社会は解体し、国は滅ぶ。我々は、世論の風潮に流されることなく、もっと根底にある物事の本質を真摯な態度で見据えなければならない。日本が滅びの一途をたどらないことを祈るばかりである。

本文が冷静な経済分析に徹しているだけに、あとがきにおけるこの「魂からの叫び」は読む者の心を揺り動かします。

2010年5月26日 (水)

『イノヴェーションの創出 -- ものづくりを支える人材と組織 』

L16356 尾高煌之助,松島茂,連合総合生活開発研究所編『イノヴェーションの創出 -- ものづくりを支える人材と組織』(有斐閣)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641163560

>企業の生産活動を維持し,革新によりさらなる発展に結びつけるために,生産現場はどうあるべきか。日本の製造工業の強みを抽出し,ますますグローバル化が進んでいく経済・社会における産業と労働のあり方を,歴史を踏まえた大きな視点のもとに描き出す。

ということで、

内容は次の通りです。

序 章 グローバル経済下の産業競争力を考える=尾高煌之助
第1章 製品技術・生産技術・製造技術の相互作用──トヨタ技術者のオーラル・ヒストリーからの考察=松島茂
第2章 自動車部品二次サプライヤーにおける技術革新──昭芝製作所の競争力の源泉=山藤竜太郎・松島茂
第3章 産業機械産業における「探求」を促す人材組織戦略──粉体機器業界の製品開発=梅崎修
第4章 鉄鋼製品開発を支える組織と人材──JFEスチールの自動車用ハイテン鋼板=青木宏之
第5章 化学産業における技術革新と競争力──三井化学,プライムポリマーによる汎用樹脂事業=西野和美
第6章 情報通信産業における研究開発と事業創造──NTTの総合プロデュース活動=中島裕喜
第7章 ソフトウェア産業における経営スタイルの革新──カスタム・システム開発を支える人事システム=藤田英樹・生稲史彦
終 章 現代に生きる歴史=尾高煌之助

本書については、連合総研の『DIO』5月号に、澤井景子さんによる紹介が載っていますので、そちらを引用します。

http://rengo-soken.or.jp/dio/pdf/dio249.pdf

> 一口に技術革新(イノヴェーション)といっても、新素材の開発といった研究所における製品技術・生産技術の開発と、工場における組み立ての「だんどり」のカイゼンなどの製造技術では、対象とする技術の種類は全く異なる。技術が違えば、主に担当する労働者の姿も異なる。前者では、主に研究所で実験する大学卒・大学院卒の研究者の姿が思い浮かぶし、後者は工場で働く高卒の技能者が思い浮かぶであろう。

 組織というものは得てして「縦割り」に陥りやすい。しかし、日本のものづくり企業では、このように大きく異なる技術、異なるタイプの職種、異なる職場の間で、企業内の異なる分野をまたいだ知恵と情報の交流によって、技術の相互作用が生じ、連鎖的にイノヴェーションがおきるのではないか。これが本書の作業仮説である。

 終章では、この組織内の人的交流および情報交換を「職場連繋モデル」と呼んでいる。典型例はトヨタで、自動車産業や機械産業では研究蓄積も比較的豊富にある。しかし、このモデルが、自動車産業とは異なる条件の産業にも当てはまるかについては、実証分析は乏しかった。

 本書の特徴の一つは、幅広い産業に属する企業を対象としたことである。章立てに示されているように、トヨタの技術革新についての歴史を検証した(第1章)上で、自動車産業の二次サプライヤーである金属プレス加工業(第2章)、自動車産業のような大量見込み生産ではなく受注生産の産業機械(第3章)、加工組立工業ではなく、装置産業である鉄鋼業(第4章)、鉄鋼業以上に装置産業の性格が強い化学工業の汎用樹脂(第5章)、さらに製造業の枠を超え、情報通信業(第6章)、通説では競争力が弱いソフトウエア産業(第7章)まで、分析対象を広げている。

 その結果、業種の壁を越えて、「職場連繋モデル」といえるものが観察できることが発見された。日本の企業においては、イノヴェーションの創出に関して、職場(場合によっては、企業内だけでなく企業間も含む)における緊密なコミュニケーションが重要な条件の一つとなっていると考えられる。

 本書においても複数の章で、異なる職種や組織の壁の中で、自然体では、衝突あるいは分断が生じる危険が高いことがうかがわれる。しかし、企業では、人事配置や組織面で工夫をし、緊密な知恵と情報の交流を実現することによって、イノヴェーションを創出してきた。

 この背景として、終章では、欧米と異なり、日本では明瞭なjobの概念がないために職種をまたぐ「相乗り」が可能となったのではないかという考察が行われている。海外企業の調査を行っていないために、断言はできないが、職場連繋モデルは、日本企業ならではの強みである可能性がある。

時間のない人はまず先に読めといわれている尾高先生の終章において、この「職場連繋モデル」の歴史的背景をこう説明しています。

>徳川時代以来現代に至るまで、日本の職場には、身分差はあっても欧米におけるほど明瞭な(マギレのない)職種(job)概念が成立せず、したがって異なる職務相互間で「相乗り」が生ずる可能性が存在した。他方、明治維新以降も厳然として存在した職場による身
分差(とりわけホワイトカラーとブルーカラーとの間の社会的差別)は、第二次大戦後の経済民主化のなかで名実ともに撤廃された。これらの事情は、職場間の業務連繋を推進する隠れた促進要因となったと考えられる。

さて、上でも書かれていますが、自動車産業を初めとした分野ではこういう日本的競争力についての研究は積み重ねられてきていますが、ソフトウェア産業はそれが駄目な産業という風にいわれている中で、本書第7章はあえて異議を唱えているので、ここは注目してみる値打ちがあります。

> 日本のソフトウェア産業については、競争力が弱いというのが通説である。しかし、本章の著者たちによれば、ユーザーの業務、さらにその背後にある意図まで踏み込んだソフトウェア開発を行うことに、真の強みがあるとしている。

 ソフトウェアの製作を「工業化」することによって、すなわち、その開発活動を標準化されたプロセスに分割し、さらにそれらプロセスの遂行を、密接なコミュニケーション網で結び合わされた多能工的なプログラマが担当することによって、日本のソフトウェア産業は十分に競争力を発揮できるという。

 さらに、本章の著者たちによれば、上記の生産システムは、いわゆる「日本的経営」によって効率よく機能する。すなわち、企業収益をあげるだけを目的とせず、働くことに意義と喜びとを見出す仕事集団を維持・発展させることが可能である

ここは、まさにソフトウェア業界にいる人々をはじめとしていろんな意見のあるところでしょう。わたくしには判断が付きかねるところではありますが、是非多くの方々が本書を読まれて、賛否いずれにせよ、いろいろな意見をぶつけると良いと思います。

あと、個人的に読んで興味をそそられたのは、第3章の粉体機器メーカーの話です。そもそもいままで、粉体機器という言葉も知らなかったのですが、ここで描かれている技術者のキャリアパスは様々なことを考えさせてくれます。

>大量見込み生産ではなく、注文生産に携わる産業機械の事例として、粉体機器メーカーを対象に、その製品開発と人材組織の間の関連性について検討を行っている。

 製品の開発や改良を行うため、奈良機械製作所では、機能別組織とプロジェクトチーム制が採用されているので技術者間の協力が促進されるが、人事評価には困難が伴う。他方、ホソカワミクロンは、事業部制なので人事評価の難易度は比較的低いが、技術者間協力が促されるかどうかには問題がある。ただし、現在では、二社とも人材組織を移行中であることから、担当者間の柔軟な協力とともに、仕事の動機づけをはかる組織の設計が、少量の産業機械生産にとって共通の課題といえよう。

スウェーデンの有期労働法制-入口規制から出口規制へ

201006 労働政策研究・研修機構の『ビジネス・レーバー・トレンド』の6月号は、「欧州における非正規・有期雇用」が特集です。

http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2010/06.htm

例によって、イギリス、ドイツ、フランスと並んでいますが、注目すべきはスウェーデンのミア・レンマーさんの報告。

だいたい、英米独仏といったいわゆる主要国は、既にいろいろ研究されているし、読める人も日本にけっこういるので、ほんとうはスウェーデンとかデンマークとかオランダといった小国の情報こそが貴重なんですよね。日本に研究者がとても少ないだけに。

そういうことの分からない人に限って、主要国以外の研究は無駄だから、主要国だけに限れなどということをいいたがる。困ったものです。まあ、そういうことはさておき、

レンマーさんの報告のタイトルは「煩雑化した入口規制から、有期活用を認めつつ出口規制へ」。かつてのスウェーデンの有期契約法制は、有期契約の利用可能事由を書き並べるものであったのが、2007年改正で客観的理由は一切必要なくなり、いくらでも有期契約で採用できるようになり、規制は出口で、5年間に合計2年以上同一使用者に有期で雇用されたら自動的に無期契約に転化することとなったということです。この一般的有期雇用と、臨時的代替雇用とは別枠で、さらに6か月の試用目的に有期雇用も設けられた、等々と、現在の日本における有期労働契約論議にも示唆的な点がいろいろあります。

職業分野ごとに「キャリア段位」 年度内にも導入へ?

今朝の朝日に、

http://www.asahi.com/politics/update/0526/TKY201005250547.html(職業分野ごとに「キャリア段位」 年度内にも導入へ)

>鳩山政権は25日、6月にまとめる新成長戦略に、職業分野ごとに「段位」を設ける「キャリア段位制度」の導入を盛りこむことを決めた。肩書よりも実際の職業能力を重視することで、雇用の流動化を促すのが狙い。実現すれば、「介護5段」など同じ職種内で技量の差を明確化できるようになる。

 仙谷由人国家戦略相の「実践キャリア・アップ戦略推進チーム」で秋までに基本方針をまとめ、新成長分野として期待する介護や保育、環境などの分野から年度内にも導入したい考えだ。

 「段位制度」は、英国の制度を参考にした。技術職や建設関係など約700種類の職種で、レベル1~5の5段階評価になっており、年間40万~50万人が取得しているという。

という記事が載っています。「段位」という言葉が目新しいですが、中身は昨年の新成長戦略で打ち出されていた「日本版NVQ」ですね。

そういう方向に向かいたいというのはわかるのですが、「年度内」なんて、そもそも日本の労働社会にそんな基盤ができていないところに作ろうという話なんですから、そんな生やさしい話ではないように思われます。

日本では、企業横断的なジョブの段位ではなく、ジョブ横断的な企業内でのみ通用する「社員段位」が職能資格という形で確立してしまっているわけですから。

革マル派機関紙『解放』で糾弾されたようです

かつて、革マル派機関紙で正村公宏先生と並べて糾弾されるという栄誉を頂いたことがありますが、

http://www.jrcl.org/liber/l1704.htm(『解放』第1704号 (2002年2月4日))

今回は、宮本太郎先生、神野直彦先生と並べて糾弾されるという大変な名誉を頂きました。わたくしのような者を両先生と並べていただいた革マル派の方々に、心から感謝申し上げる次第です。

http://www.jrcl.org/liber/l-new.htm(『解放』第2120号2010年5月24日)

>一〇春闘の全過程をつうじてその反労働者的本質を剥きだしにしたこの「連合」指導部が、こんにちみずからの政策・制度要求を基礎づけるイデオローグとして活用しているのが、宮本太郎(北海道大学大学院教授)や神野直彦(関西学院大学人間福祉学部教授)や濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構統括研究員)などの学者グループである

2010年5月25日 (火)

海老原嗣生『課長になったらクビにはならない』

11560 海老原嗣生さんから、新著『課長になったらクビにはならない』(朝日新聞出版)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=11560

>「リストラ、格差、企業は鬼だ!」と騒ぐから、弱った人たちがさらに傷ついていく。「自分の足で生きていけるようになりなさい」という無責任な自律論が、ますます世の中の人々を苦しめるのだ。30歳からのキャリアの正解を、データと理論と実話で語りかける。 転職請負漫画『エンゼルバンク ドラゴン桜 外伝』のモデルとなった人事&雇用のカリスマが暴く〔キャリア幻想論第二弾〕

「30歳からのキャリアの正解」というのは、もちろんある程度以上の規模の会社の総合職正社員にとってのキャリアの正解です。海老原さんの語ることは、その限りできわめて正しいのですが、あとがきで書かれているように「正社員=全員幹部候補」という建前に無理があることも事実で、そこが次作のテーマになるとのことなので、期待して待ちたいと思います。

さて、海老原さんの日本型雇用についての記述はきわめて正確なのですが、表現に若干注文があります。まず何よりタイトルの「課長になったらクビにはならない」。いささかミスリーディングではないでしょうか。海老原さん自身、49頁で、

>要は倒産の危機に瀕している会社でなければ、めったやたらに正社員をリストラすることはない。

一時的な不況で今後回復余地があるのに行われる正社員のリストラは、組織衛生が主目的であり、その対象は、長年のローパフォーマーのみとなる。その数、せいぜい1割。

つまり大多数の人はその対象にならない。

だからたぶん、あなたは会社に残れる。

1割というのは、会社規模をどれくらいで見るかにもよりますが、やや過大のような気がしますが、それにしてもリストラの対象になる側から見ればかなりの可能性であって、それで「だからたぶん、あなたは会社に残れる」というのは、読者を絞りすぎているような気がしないでもありません。

それより、大企業や中堅企業が「めったやたらに正社員をリストラすることはない」というのは、別に課長以上に限ったわけではないのですから、「大多数」「たぶん」ということであれば、「課長になってもならなくても(たぶん)クビにならない」という方が正確でしょう。

逆になまじ課長になってしまったローパフォーマーは、組合が守ってくれないので、そう簡単に「クビにならない」と安心できるとは限らないようにも思われます。

いずれにしても、ワンマン社長が「ワシに逆らう奴はクビじゃ」と喚いている中小零細企業(含むベンチャー企業)ではまた違う世界が広がっているわけなので、あまり一般化しない方がいいかもしれません。

派遣協・連合共同宣言

現時点ではまだ連合のサイトにも人材派遣協会のサイトにも載っていませんが、「さる」さんの「雇用維新」ブログに、昨日夕方、連合と人材派遣協会が派遣労働者の待遇の向上と労働者派遣事業の適正な運営の促進に向けた共同宣言を発表したと書かれています。

http://ameblo.jp/monozukuri-service/entry-10543721674.html

>社団法人日本人材派遣協会(以下、「協会」という)と日本労働組合総連合会(以下、「連合」という)は、派遣労働者の雇用の安定・待遇の向上と労働者派遣事業の適正な運営の促進を目的として、2010 年2 月から5 月にかけて継続的に協議・折衝を行い、双方の意見を尊重しつつ、両者が取り組むべき課題について整理した。

今後は、それぞれの組織もしくは共同で、下記課題への取り組みを実践することによって、派遣労働者の雇用の安定・待遇の向上と派遣業界の適正かつ健全な運営を促進し、その社会的な波及を目指すことを相互に確認した。

協会と連合は、今回の協議を契機として今後も適宜協議を行い、派遣労働者が安心して働ける社会の構築を目指し努力を重ねていく。

Ⅰ.労働者派遣事業の適正な運営の促進に向けた取り組み

1.協会の取り組み

会員企業は、労働者派遣事業の適正な運営を図るため、派遣元事業主として労働者派遣関係法令(労働者派遣法、労働基準法、労働安全衛生法、労働・社会保険等)の遵守及び指針に基づく派遣労働者の雇用機会の確保に努めるとともに、派遣労働者の保護に向けて派遣先と緊密に連携し、協会は会員企業のコンプライアンス徹底とコーポレート・ガバナンス強化の推進を支援し必要な助言や指導等を行う。

2.連合の取り組み

1)構成組織(派遣先労働組合)は、派遣労働者の受け入れに際し、派遣先での労使協議等を通じて、派遣労働に関連する諸法令(労働者派遣法、労働安全衛生法、労働者災害補償保険法等)や社会・労働保険適用の遵守を求めていく。

2)構成組織(派遣先労働組合)は、受け入れ期間中における派遣労働者の就業条件など、点検活動と改善に向けた労使協議等を推進する。

3)構成組織(派遣先労働組合)は派遣先に対し、雇用申込み義務が発生する場合における適正な手続きを求める。

4)構成組織(派遣先労働組合)は派遣先に対し、派遣契約を途中で解除せざるを得ない場合における派遣元事業主への損害賠償支払い、新たな就業機会の確保を求める。

3.共同の取り組み

協会と連合は、派遣労働者が安心して働ける環境を整備するため、不適正な派遣元事業者の存続・参入を許すことのないよう、派遣労働者の保護やキャリア形成に資する法制度改正のあり方を検討する。

Ⅱ.派遣労働者の待遇の向上に向けた取り組み

1.協会の取り組み

1)会員企業は、派遣料金の設定に当たっては、労働・社会保険や福利厚生、教育研修費等の確保を図り、派遣労働者の能力向上に応じた賃金水準を確保するよう努める。

2)会員企業は、年次有給休暇、産前産後休業、育児・介護休業等の権利保障と取得の適正化を図り、併せて派遣先への理解促進を図る。

3)会員企業は、安全衛生管理体制の徹底、とりわけ、メンタルヘルス、ハラスメント問題への対応を強化する。

4)会員企業は、被保険者とすべき派遣労働者に対して確実に労働・社会保険を適用し、給付手続き、喪失手続きについても迅速・適正に対処する。

5)協会は、「人材派遣健康保険組合」に対して、健康保険の制度・手続きに関する周知・啓発活動の徹底を求める。

6)協会は、派遣労働者向け業界横断的な教育訓練制度の検討に向けて活動に着手する。

2.連合の取り組み

1)構成組織(派遣先労働組合)は、派遣労働者の能力に応じた賃金水準や社会・労働保険料等が担保される派遣料金設定に向けて、点検活動を推進する。

2)構成組織(派遣先労働組合)は、派遣先の職場における福利厚生施設の利用促進、安全衛生管理体制(健康診断の代行、健康で安全な職場対策等)について、その充実を求める。

3)連合は、派遣労働者の働き方に見合った公正な待遇の実現に向けて、派遣先労使関係におけるワークルール整備や待遇向上運動をどのように推進していくか検討する。

3.共同の取り組み

協会と連合は、派遣労働者の待遇の向上のために、就業環境の整備、福利厚生、キャリア形成のあり方について検討する。また、通勤交通費の税制上の取り扱い等の政策課題について、関係省庁への要請等を含め、今後の取り組みを検討する。

Ⅲ.今後の両団体の協議体制に関わる事項

協会と連合は、今回の協議を契機として、派遣労働に関わる諸問題について実態を調査しつつ、継続的に協議を行う。

以 上

2010 年5 月24 日

社団法人日本人材派遣協会 会長 坂 本 仁 司

日本労働組合総連合会 事務局長 南 雲 弘 行

何回も繰り返しになりますが、今のような事態になる前に、なんでこういう取り組みができなかったのか、反省すべき点が多々あるように思われます。

とはいえ、こうして第一歩、第二歩が少しずつ踏み固められて行きつつあることは、希望を与えてくれるものでもあります。

官名詐称?

「現代の労働研究会」というところで、わたくしが小林良暢さんと一緒に、「ポスト派遣法改正--有期雇用の行方 派遣労働・外国人労働・非正規雇用の動向」というテーマでお話しをするというお知らせがネット上に載っておりますが、

http://www.labornetjp.org/labornet/EventItem/1270642881050staff01

「現代の労働研究会」のご案内

テーマ   「ポスト派遣法改正--有期雇用の行方:派遣労働     
           ・外国人労働・非正規雇用の動向」
 ●日時      6月9日(水)18:30~
 ●場所      専修大学神田校舎 1号館13A会議室     
 ●報告者     濱口 桂一郎氏(東京大学教授)
           小林 良暢氏(グローバル産業雇用総合研究所所長) 


 *研究会・講演会の参加費は正会員無料、賛助会員・一般500円。

         連絡先   NPO現代の理論・社会フォーラム
               東京都千代田区神田神保町3-11 
               望月ビル4階
               電話  03-3262-8505 03-3262-8505  FAX 03- 3264-2483

わたくしは現在、公共政策大学院に週一こま「労働法政策」を教えに行っていますが、そういうのは非常勤講師というのであって、教授といったら官名詐称ですがな。

連絡のやりとりには、ちゃんと現在の職名を入れておいたはずですが、どこかでずれてしまったのでしょうか。

2010年5月24日 (月)

人事院公務員初任研修にて

本日、入間の人事院公務員研修所にて、平成22年度初任研修の政策課題研究の基調講演ということで、労働政策についてお話ししてきました。

前半は近代日本の雇用政策の推移ということで、外部労働市場志向と内部労働市場志向の政策が大きく20年周期で転換してきていることを語り、後半は最近の労働政策のホットイシューということで、労働力需給調整システム、労働市場のセーフティネット、そして学校から仕事への移行についてそれぞれ簡単に解説し、最後に30分ほど質疑応答となりました。

各省の全職種の新人官僚たちを横割りにして、一グループにいろいろな方々が入るようになっていて、となりのグループでは東大の高原さんが外交政策を語っていました。

本日提示した課題についてこれから小グループで研究して、金曜日に発表するという仕組みです。直接自分の役所で担当するのではない政策課題に各省横断のグループで取り組むという経験は、貴重なものとなるでしょう。

価値観を支える支配的な言説の構造

そなたんパパの備忘録」というブログの、「<政治・社会>デフレ不況」というエントリの「(追記)」に、興味深い指摘がありました(本論はbewaard氏と田中秀臣氏の「論」争についてなので、特段コメントしませんが)。

http://seutaro.exblog.jp/13344708/

>ブログ論壇を見ていてもそうなのだが、社会問題を論じるときに、非常に単純化された説明を目にすることがある。たとえば、「子どもたちの学力が低下しているのは日教組が悪いからだ」、「経済格差が広がっているのは小泉改革が悪いのだ」、「日本の景気回復の足を引っ張っているのは労組だ」、「政府財政が悪化しているのは官僚が悪い」、「若者がフリーターや派遣になるのは若者自身に原因がある」といった類の話だ。

 こういう話を聞いて「いやいや、ちょっと待ちなよ」と思うのは、僕だけではないだろう。つまり、それらの問題の根底にはもっと幅広い社会的、経済的あるいは言説的な要因があって、単純に単一の要因に起因させることはできない、と考えるわけだ。リフレ派と呼ばれる人たちにもそう考える人はいるんじゃないだろうか。「世の中、もっと複雑だぜ」、と。

 ところが、その経済的要因について考えようとするときだけ、「日銀が悪い!」という論法に依拠するというのは、どうにも居心地が悪いのだ。もちろん、責任者というのは責任をとるためにいるのであって、物価に責任を持つ日銀が責めを負うのは当然だ。ただ、上で述べた「幅広い社会・経済的な要因」を論じることに慣れた身からすれば、日銀がリフレ政策に否定的なのは、実は組織内的な要因だけではなくて、もっと幅広い要因があるのではないか、という疑念がどうしても浮かんでくる。

 つまり、日銀の組織内部の話のみならず、その日銀の価値観を支える支配的な言説の構造がそこにあるのではないか…、だとすれば対決すべきはそうした言説の構造ではあるまいか…というような話になってしまうのだ

これは、マクロ経済政策よりも労働社会政策においてより顕著に見られるように思われます。

一方で、格差社会がどうのこうのという議論が騒がれながら、それを是正すべきさまざまな労働社会政策手段が(相対的に必要性が低かった今までよりも、必要性が高まってきた今になってより一層)否定的に描かれ、ひたすら叩き潰すべきものと糾弾されるという奇妙な現象は、(とかく多くのサヨク系論者が描き出すように)階級的利害に基づく陰謀説によって説明することも、(労働社会政策の専門家が内心考えているように)政治家やマスコミの無知蒙昧ゆえの無能説によって説明することも、必ずしも妥当ではなく、むしろ知的世界よりももっと大きな広がりをもった「社会的気分」の次元において、国民がそれを望んでいるから、そういう価値観が瀰漫しているから、そして、知的エリートと大衆感覚が融合気味な日本社会においては、そのような大衆感覚に沿って言説を撒き散らすことが、言説営業上有利であるから、そのような気分の拡大再生産が行われ、結果的に、政府の一方で「これは必要だからもっともっと拡充しよう」といっているまさにその政策が、政府のもう一方で「無駄だから叩き潰せ」という人民裁判の素材となるという事態が現出するのではないかと思います。

その意味では、どこかに悪者がいるということではなく、我々現代日本人の大衆的精神構造それ自体の中に、結果的に我々自身の利益に反することを選好するある種の破壊衝動が潜んでいて、日本のひ弱な知的エリートにはそれを制御するだけの力量がないということであるのかも知れません。

2010年5月23日 (日)

日本の新自由主義者はルサンチマン型?

「dongfang99の日記」というブログに、こういう犀利な分析が書かれていることに気づきました。

http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20100523/1274575282(日本の新自由主義は集団主義的)

「Baatarism」さんのエントリを引きながら、

>私が「新自由主義」と呼ばれるものが嫌いなのは、その社会観や経済理論そのものではない。むしろ、規制緩和や市場競争の強化を呼号する人たちのなかに、例外なく官僚・公務員から高齢正社員にいたるまでの「既得権益者」へのルサンチマンが蔓延している(少なくともそれを利用して自説を正当化する)ことにある。そこには例外がなくと言ってよいほど、「あいつらだけずるい」という集団主義的な感情が語られている。

 高橋洋一氏が典型的だが、経済に関する説明ではそれなりに説得的なのに、肝心なところで中二病としか言いようのない官僚への既得権批判や陰謀論になだれこんでしまう。社会保障の専門家である鈴木亘氏もそうだが、既得権批判を持ち込まなくても十分説得的な議論ができるはずなのに、もっとも肝心要の部分でそういう批判を繰り出して全ての議論を台無しにしまう。

 既得権批判や陰謀論は、まともな学者と思われたいのであれば徹底して禁欲すべきなのだが、何でそうなってしまうのかと言えば、それが日本の読者に「受ける」ことを実感としてよく理解しているからだろう。節度のある学者であれば、そこにむしろ危険性を感じて一歩引くべきなのだが、一部の人は積極的に乗っかって自説の正当化に利用してしまうわけである。

 日本の「新自由主義者」が嫌いなのは、そこに日本人の中にあるドロドロとしたルサンチマンがこびりついており、当人もそれを積極的に利用しようとしている点にある。この意味で、フリードマンなど筋金入りの「新自由主義者」が必ずしも嫌いではないのは、そういうルサンチマンがほとんどない点にあると言える。

全く同感。

ルサンチマンにまみれた既得権批判と陰謀論が、あたかも市場原理主義のような顔をしてまかり通るのが、現代日本の知的世界の最大の恥部でしょう。

誰かさんの第3法則が典型的ですが。

韓国企業の競争力の源泉としての人事戦略

『日本経団連タイムズ』5月20日号に、労働政策研究・研修機構の呉学殊さんの「韓国企業の競争力の源泉としての人事戦略」という講演概要が載っています。国際労働委員会(立石信雄委員長)・政策部会の合同会合で喋ったのですね。

http://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/times/2010/0520/05.html

>■ 韓国企業の目覚ましい成長

最近、韓国企業の競争力について日本のマスコミ等でもよく取り上げられるが、過剰に評価されているという印象もある。ただ、サムスン電子、LG電子、現代自動車、ポスコの4社の業績をみると、2000年以降の10年間で売上高がいずれも約2倍まで急拡大している。リーマン・ショック後も大きな打撃を受けることなく成長を続けていることは注目すべき点である。

■ 韓国企業の人事戦略

韓国企業の人事戦略の特徴としては、7つ挙げられる。1つ目は、「戦略家の育成」である。具体的には、会社との一体感を高め、戦略的な思考を重視した研修の実施、会長のリーダーシップを具体化するための経営戦略室の充実等がある。また、韓国には徴兵制があり、そこで戦略的な考え方を叩き込まれることも影響している。

2つ目は、「エリートの育成」である。韓国の大企業の初任給は高く、日本と同等か日本以上である。社員の子弟には、大学卒業まで返済義務のない奨学金が支給される。社員への教育訓練投資も莫大で、大学以上の設備と講師陣を揃えている企業もあり、エリート意識の植え付けに有効に機能している。

3つ目は「無限競争主義」である。ホワイト・カラーでは年俸制の割合が高い。また、韓国の大企業では昇進が早く、取締役に昇進する年齢は45歳前後である。取締役になれなければ自ら退職することとなり、際限のない競争主義につながっている。

4つ目は企業の業績に応じた「破格の処遇」がある。サムスンでは年末の成果給として、全社員に10カ月分のボーナスが支給されたこともある。また、役員や従業員に対するストックオプション制度を持つ企業も多く、株価が2-3倍に上がることになれば、十分なインセンティブとなる。

5つ目は1987年の大規模な労働争議以降に進んだ「学歴格差の撤廃」、6つ目は業績の比較的良い会社でも行われる「人員削減」、最後は、「スポット的な危機を克服するための労使関係」である。

■ その他の競争力の源泉

人事戦略以外にも、競争力の源泉として、1997年以降の経済危機の際に政府主導で行われた企業再編により、市場ごとに寡占体制が構築されたことが挙げられる。国内で大きな利益を得ることで、海外展開への余力が生まれた。また、朴正熙大統領時代の「やればできる」というイデオロギーも国民に根付いている。ただ、企業の競争力が高い半面で、家庭の「教育疲れ」、少子・高齢化など、個人や社会にとっての負担も顕著になってきている。

■ 日本企業への示唆

日本企業には日本企業としての良さがあり、それを丁寧にアピールすることが大切だ。また、海外への販売力の強化については、韓国企業に学ぶところがあるのではないかと考える。

なかなか興味深いです。

まぁ、普通に考えれば、官僚の重要性は高まっている

久しぶりの権丈節です。

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare308.pdf(勿凝学問308 まぁ、普通に考えれば、官僚の重要性は高まっている 今年の国家公務員初任者研修にて)

権丈先生が国家公務員初任研修で話されたこと:

>昔は、石橋湛山級の人物が、政治家になり大臣となって、総理大臣になっていました。したがって今は、普通に考えれば、あの時代よりもはるかに官僚の重要性は高まっています。先ほど、石橋湛山の勉強の仕方を話しましたけど、みなさんには石橋湛山級の勉強の仕方で、骨太の本を読み、それを目の前の問題に自分であてはめて考えてみるというような底の深い実学を続けてもらいたいと思います

経済学者などに頼ってはいけません。経済学が導く適切な政策解が存在すると考えるなど大間違いで、実は、政策の数だけ、経済学的な裏付けを与えることができるものです。経済学的な裏付けを持ついくつもの政策群の中から適切な政策解をピックアップするのは、皆さん自身の判断でやってもらわなければなりません

逆説的ですけど、民主主義にはエリートが必要です。この国の官僚の重要性は高まっています。いろいろと辛いこともあるかもしれませんが、頑張ってもらわなければなりません

いやもう、何も付け加えることはありません。今のような時期に、若き官僚のタマゴたちにこういう台詞を聞かせるという人事院公務員研修所のセンスを褒めておきたいと思います。

(追記)

ちなみに、明日はわたくしが入間の研修所に行く番なんですけど(笑)。

欧州労働法ネットワーク

欧州労働法ネットワークのサイトです。

http://www.labourlawnetwork.eu/

ライデン大学のヴァン・ヴォス教授とフランクフルト大学のヴァース教授により設立され、現在は欧州委員会の公式諮問機関として「個別的および集団的権利/側面を扱う労働法分野における法律専門家の欧州ネットワーク」というのが正式名称だそうです。

『雇用関係の特徴』というテーマ別レポートがここに載っていて、興味深いです。

http://www.labourlawnetwork.eu/publications/prm/73/ses_id__7cbec2c761808864bec7eee26fd993e4/size__1/index.html

>This Thematic Report examines several aspects of the employment relationship. In particular, it expands on how employment relationships are defined in the Member States of the EU and the European Economic Area countries, which specific categories are recognised in addition to the standard employment contract, and how countries deal with bogus self-employment.

今はやりのテーマですね。

2010年5月22日 (土)

安孫子誠男+水島治郎『持続可能な福祉社会へ 公共性の視座から3 労働』勁草書房

03275758 水島治郎先生より、先生の編著になる『持続可能な福祉社会へ 公共性の視座から3 労働』(勁草書房)をお送りいただきました。お心に留めていただきありがとうございます。

http://www.keisoshobo.co.jp/book/b62360.html

本書『労働』を含むこの双書は、千葉大学の21世紀COEの共同研究の成果ということのようで、執筆陣のかなりの部分が千葉大学の方々です。

>非正規雇用、ワーキング・プアなど「労働」をめぐる諸問題は「公共性」の問題である。理論的・歴史的視座から労働の公共性を問う。

安定的な生活を支えるはずの労働と福祉のあり方が大きく揺らぐ現在。労働と福祉にかかわる新たな理論枠組みとして、デンマークモデル「フレクシキュリティ」論、労働市場改革と社会保障制度改革を連携させるレギュラシオン学派〈労働─福祉ネクサス〉論等、ヨーロッパの雇用─福祉戦略をひきつつ、学際的に労働のあり方を問い直す試み。

ということですが、目次を見ると、それだけではなくて個別にも興味深い論文がたくさん載っています。

序論 新たな労働のあり方を求めて[安孫子誠男・水島治郎]

第1部 枠組み

第1章 労働問題研究と公共性[兵藤?]
 第1節 いま,なぜ公共性か
 第2節 公共性とは何か
 第3節 労働問題研究の視座と公共

第2章 〈労働─福祉ネクサス〉論の問題[安孫子誠男]
 第1節 T.アイヴァーセンによる福祉国家の再解釈
 第2節 福祉・生産レジーム論
 第3節 J.ポントゥソンの社会的市場経済論
 結びにかえて

第3章 フレキシキュリティとデンマーク・モデル[若森章孝]
 第1節 問題の所在
 第2節 フレキシキュリティ共通原則の基本的考え方と4つの政策要素
 第3節 EUにおけるフレキシキュリティの多様性
 第4節 柔軟性と保障のマトリックス──フレキシキュリティの分析枠組み
 第5節 デンマーク・モデルの特殊性と普遍性
 第6節 フレキシキュリティと移動労働市場アプローチ

第4章 法的概念としての「労働」[皆川宏之]
 はじめに
 第1節 労働法草創期の研究
 第2節 労働法の成立と従属労働論
 第3節 従属労働論の意義
 
第2部 歴  史

第5章 近代奴隷制プランテーションの経営と労働──18世紀サン=ドマング島を事例に[大峰真理]
 はじめに──問題提起と研究史の整理
 第1節 フランス奴隷貿易概説
 第2節 さとうきびプランテーションの経営
 おわりに

第6章 労働からみた帝国と植民地[浅田進史]
 第1節 「植民地労働」への問い
 第2節 契約労働と植民地統治
 第3節 強制と自由のはざまの「植民地労働」
 結びにかえて

第7章 〈ポスト大転換システム〉の歴史的考察[雨宮昭彦]
 はじめに──魔術化された世界
 第1節 市場に埋め込まれた世界
 第2節 〈ポランニー的課題〉とナチズム
 おわりに──オルタナティブへの構想力

第8章 カール・ポランニーにおける市場社会と民主主義[若森みどり]
 第1節 〈大転換〉の時代とポランニー
 第2節 ポランニーの市場社会批判と自由論
 第3節 市場社会と民主主義の問題──経済的自由主義,干渉主義,ファシズム
 第4節 新しい市場社会とポランニー的課題──経済と民主主義

第9章 日本における「労働非商品の原則」の受容[三宅明正]
 はじめに
 第1節 「国際労働規約」の「原則」
 第2節 労使の懇談組織
 第3節 従業員の組合
 おわりに

第3部 現状

第10章 労働における貧困と差別──買叩きの負の連鎖を断ち切る雇用再生を[中野麻美]
 はじめに──問われる日本型雇用と社会の構造
 第1節 非正規雇用──その差別と買い叩きの構造
 第2節 労働の商取引化がもたらしたもの
 第3節 差別と買い叩きの連鎖
 第4節 雇用再生

第11章 育児休業制度からみる女性労働の現状[大石亜希子]
 第1節 育児休業制度の概要と変遷
 第2節 育児休業制度の理論分析
 第3節 女性のライフサイクルと就業の実態
 第4節 育児休業制度拡充によるワーク・ライフ・バランス施策の限界
 第5節 ワーク・ライフ・バランス施策の方向性

第12章 労働と福祉,その光と影──スウェーデンの貧困をめぐって[宮寺由佳]
 第1節 労働と福祉の連携──ワークフェアとアクティベーション
 第2節 スウェーデンのアクティベーション──その光と影
 第3節 社会扶助の「ワークフェア化」に対する評価
 第4節 社会扶助のプログラムの課題と展望
 第5節 日本への示唆

第13章 雇用多様化と格差是正──オランダにおけるパートタイム労働の「正規化」と女性就労[水島治郎]
 第1節 雇用格差と非正規労働
 第2節 オランダのパートタイム労働
 第3節 女性の就労とパートタイム労働
 第4節 「競争力も平等も」?

もちろん、兵藤先生(成城学園の学園長をされておられるんですね)の「労働組合研究の再構築」とか、若森さんのフレキシキュリティ論(フレクシキュリティじゃなくて)とか、とりわけ皆川さんの労働法における従属労働論とか、そしてもちろん水島先生のオランダのパート労働から日本の非正規問題を論じた論文とか、言及すべき論文は多いのですが、ここではまず第一に三宅明正さんの「労働非商品原則」に関する論文を挙げておきたいと思います。

ILOは「労働は商品にあらず」という原則を掲げているとよくいわれるんですが、実はヴェルサイユ講和条約の文言は「労働ハ単ニ貨物又ハ商品ト認ムヘキモノニ非ス」であって、これを「労働非商品の原則」というのは、実はずれているんですね。「労働は単なる商品ではない」というのは、労働が商品であることを当然の前提とした上で、それは単なる商品ではなく生きた人間なのだから、特別扱いしなくちゃいけない、たとえば、商品の取引も、集団的取引(collective bargaining)が原則になるということなんですが、日本ではこれが『労働はそもそも商品じゃない、商品であってはいけない」という原則として理解されました。

このずれは、労働者の人格承認要求という、二村一夫先生の累次の論文で説かれた日本の労働者の志向を反映しています。そして、戦前の工場委員会体制、戦時下の産業報国会体制、終戦直後の経営協議会体制という労使関係枠組みの中で、商品の集団取引としてではなく、1921年の神戸の大争議から終戦直後の争議に至るまで、工場管理、生産管理という労働者自身による企業経営を志向する動きとして現れ、それが日本型雇用システムにおける「企業内でメンバーシップを求める動き」として結実していったわけです。

ここが大変皮肉なところで、三宅さん自身の最後の一節を引けば、

>しかし、他方でそれは、たとえば労働力の適正な価格という考え方や、さらには同一労働同一賃金という原則の実体化を妨げる方向に作用してきたという面があると考えられる。いまの私たちには、あらためてそのことが問われているのではなかろうか。

という重い問いになって降りかかってきます。

労務サービスを商品として取引する雇用関係を「労働は商品に非ず」としてメンバーシップ型に再定義することによって生み出された日本型雇用システム(の中の『正社員』体制)の良きにつけ悪しきにつけ様々な問題点は、結局ここに遡るのですね。

日本における非正規労働問題とは、「単なる商品ではない」だけではなくそもそも「商品ではない」正社員と、「単なる商品でしかない」非正規労働者という形に二極化してしまったことに由来すると考えるならば、やはりその間に「商品ではあるけれども、単なる商品ではない」本来労働法が想定していた労働者を構築していくということになるのでしょうか。

労働基準監督官の新規採用は100人から50人に半減?

北岡大介さんの「人事労務をめぐる日々雑感」で、国家公務員採用削減方針の関係で、労働基準監督官の採用について書かれています。

http://kitasharo.blogspot.com/2010/05/ha.html(平成23年度労働基準監督官採用数半減か?)

>やはりというべきか、労働基準監督官は「治安4職種」に該当しないようですね。とすれば、先の閣議決定のとおり、来年度の採用数は例年の100名前後から50名程度ということになりそうです。国家財政上の問題とはいえ、同専門職への新人採用が半減するということは、色々な面でマイナスが多いように思われるところです。

こういうあたりにも、政治家やマスコミの「総論主義」の弊害がよく出てます。「民間でできることは民間に」とか「地方にできることは地方に」といった総論的かけ声で投網を掛けるような議論しかできず、例外としてはせいぜい、カビの生えた夜警国家論的な「治安」関係の職種しか思い浮かばない、という弊害です。

新聞各紙を読む限り、この問題を扱う政治部の記者の中に、「労働基準監督官の採用を半減するということは、いわゆる「治安」関係とは違い、労働基準法違反は取り締まる必要は少ないんだということなんでしょうかね?」という疑問を抱く人はいないということのようであります。この点に関する限り、朝日も毎日も読売も日経も産経もほとんど変わりはないようです。

2010年5月21日 (金)

ドイツ・フランス・イギリスの失業扶助制度

JILPTの調査シリーズとして、『ドイツ・フランス・イギリスの失業扶助制度に関する調査』が発行されました。

http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2010/10-070.htm

>「福祉から就労へ」という大きな流れの中で導入された失業扶助制度であるが、各国の歴史的背景、社会経済情勢、他制度との関係などにより、制度内容はそれぞれ異なるものとなっている。

1 3カ国の制度に共通するのは、第一に、通常の失業者を対象とする失業保険制度が労使による拠出制の財源であるのに対し、長期失業者等向けの失業扶助制度には一般財源が充てられている点である。従って受給対象には失業保険の受給資格を失った長期失業者だけではなく、失業保険加入実績のない若年者等も範囲に含まれる。

2 第二に、これは日本との対比において特徴的な点だが、移民層が失業扶助制度の重要な政策ターゲットとなっていることである。今回とりあげた対象国はそれぞれ過去に大量の移民を受け入れた歴史を持つ。現在における欧州主要国の移民受け入れ制度は域内を除き一様に厳格化されているが、滞留した移民の二世または三世の世代が社会の中で一定の層を形成し社会問題となっている。つまり、この層は親の経済状況から、概して教育水準が低く職業スキルが不足しているために労働市場の弱者となっている。1990年代後半頃から欧州主要各国はこうした状況の認識を深め、これに対応するため社会統合政策を進めてきた。すなわちこのグループの持つ特性が描く円と、失業扶助制度の「失業保険の受給資格を持たず」「貧困により要扶助状態にある」という受給資格要件の円は大きな重なりを持つため、両政策は密接に連携しながら展開されている。

3 第三にあげられるのが実施体制の共通性である。失業扶助制度の実施機関は同様に、イギリスではジョブセンター・プラス、フランスでは雇用局、ドイツでは雇用エージェンシー(一部自治体と共同運営)という日本のハローワークに当たる機関であり、要扶助者個々のケースに応じた相談体制が整備されている。そこでは呼称はそれぞれ異なるもののいわゆる個別相談員がマンツーマンで要扶助者の申請相談、就労に至るまでのプランの策定、就職斡旋などの業務にあたっている。

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これからいよいよ本格的な議論が始まるいわゆる「第2のセーフティネット」について議論する際の素材として、大変有用であろうと思われます。

2010年5月19日 (水)

見舘好隆『「いっしょに働きたくなる人」の育て方 』

9784833491181_1l 株式会社ニッチモの海老原嗣生さん、荻野進介さんから、ニッチモが編集を担当した見舘好隆『 マクドナルド、スターバックス、コールドストーンの人材研究「いっしょに働きたくなる人」の育て方 』(プレジデント社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.works-i.com/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=670&item_no=1&page_id=17&block_id=302

>営業やサービスなど「顧客接点」を担う人材の指導は、「どうしてもOJTが主流で、メカニズムに落とすことが困難だ」--。そう思い悩む人事や経営者は多いのではないだろうか。だが、本書はずばり「サービス人材もメカニカルに育てられる」と主張する。外食チェーン3社で働く学生への徹底インタビューからなる本書は、同僚や上司と密接な連係を保ちながら、千人十色の顧客の要望に、すばやく確実に応え続けなければならない接客アルバイトの場を綿密に分析。そこから、あらゆる組織に当てはまる、若手人材育成の黄金則を導き出す。企業経営者や人事はもちろん、就活を意識し始めた大学生、その親御さんにも必読の書。

ということで、内容は、

1章 大学教員の私が学生に接客バイトを勧める理由
 「多様な人たちと協働する力」は授業では磨けない
 接客アルバイトが若者を成長させる
 基礎力とは「社会で働くために必要な力」

2章 採用から社員登用まで「若者が育つ」3社の仕組み

3章 若者を成長させる「経験と触媒」

4章 どんな組織にもあてはまる「人材育成の黄金期」
 「叱る」と「褒める」の絶妙なバンラスを
 カウンターの向こうにいた自分を忘れさせない
 手取り足取りと適度なほったらかし
 お金以外の働く目的を設定できるか

5章 「四方よし」のすすめ
 接客バイトは未来の社員であり顧客である
 バイト経験に修了証を与えよう

というものですが、本ブログの読者の皆さんには、次のような一節を見ると読んでみようと思われるのではないかとおもわれます。

>アルバイトから正社員へのキャリア・ラダーについては、京都女子大学の筒井美紀准教授が、介護・看護・保育など、社会的ニーズが高く、ラダーを移行する際に必要とされる技能が特定しやすい職業には導入しやすいが、ファーストフード業界のように、店長と一般従業員との間に中間レベルのスキルがほとんどない場合は導入しにくい、と指摘していますが、誤解があります。日本におけるマクドナルドやスターバックス、コールドストーンの店長への道は、獲得すべきスキルは明文化できますし、筒井氏が指摘するほど薄くありません。既にマクドナルドとスターバックスでは明文化され、キャリア・ラダーは作られているのです。(155頁)

とか、

>東京大学教授の本田由紀氏は、コミュニケーション能力や主体性、行動力といった曖昧な定義によって、学生が就職活動において振り回されている、と指摘します。労働政策研究・研修機構の岩脇千裕研究員は、現在の企業が行っている面接では、せいぜい、学生のコミュニケーション能力の有無しか測定できていない実態を明らかにしました。

>しかし、マクドナルドやスターバックスがアルバイトに提供しているプログラムはかなり高度なものです。これまで見てきたとおり、社会で働く上で必要な力=基礎力を伸張させる大きなきっかけになっているのは間違いありません。そこで私が提案したいのは、教育プログラムを終了した暁に、両者がそれぞれ「ディプロマ(修了証)」を発行することです。国による客観的な評価があればそれに超したことはありませんが、そのプログラムで学んだ研修内容や時間を明記するだけで具体的な評価の資料になるはずです。それが実現すれば、学生はそのことを履歴書に記載できるようになる。企業側も、コミュニケーション能力といった曖昧な言葉でなく、その若者の能力を性格に見極めることができます。本田氏の指摘するミスマッチも解消されるのではないでしょうか。(160頁)

といった一節は興味をそそるでしょう?

モンスターワーカー

近ごろ世の中に流行るものといえば、学校にモンスターペアレント、病院にモンスターペイシャントが有名ですが、黒川滋さんの紹介されるモンスターオンブズマンも相当なものです。

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2010/05/52-9469.html(モンスターオンブズマン)

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2010/05/59-0474.html(続・モンスターオンブズマン)

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2010/05/510-ec32.html(続々モンスター・オンブズマン)

さて、労働開発研究会の『労働法学研究会報』2477号をぱらぱら見ていたら、藤川久昭先生が「労働者義務論の構想」という講演の中で「モンスターワーカー」という言葉を使っています。

>極端な例を挙げますと、近年、モンスターペアレンツならぬ、モンスターワーカーの例が見られるからです。自身の権利等の主張は強いが、協調性・全体的視野に欠ける労働者が増加しているように思われます。私大教員というサラリーマンに当たる当方も気をつけなければなりませんが(笑)。

私大教員の皆様がどの程度モンスターであるかはともかくとして、藤川先生の労働者義務論自体もきちんと論じなければなりませんが、ここでは、「モンスターワーカー」という表現がわたくしのツボにはまった、ということで。

先日来書いておりますように、個別労働関係紛争事案を見てきますと、もちろん、とんでもないモンスター社長やらモンスター上司やらも出てくるわけですが、それに負けず劣らぬモンスターワーカー諸氏もぞろぞろと出てくるんですね。

自分がいじめを受けたと訴えてきた労働者について、会社側に聞くと、冗談じゃない、その労働者にいじめられて今まで何人も泣きながら辞めていったのだ云々というケースが結構あったりします。モンスターワーカーほど、ちょっとでも抗議されると、自分が手ひどいいじめを受けたと大騒ぎするという傾向があるようです。

公明新聞インタビュー記事

『公明新聞』5月15日号の3面に、わたくしのインタビュー記事が載っています。

Komei

質の高く、かつ持続可能な労働・社会保障政策を目指して

2007年9月から、わたくしも参加して「労働・社会保障総合戦略研究会」で検討を進めてきた成果が、今般『質の高く、かつ持続可能な労働・社会保障政策を目指して -新たな日本型フレクシキュリティ(労働市場の柔軟性と雇用・生活保障の両立)の構築-』という報告書にまとまりました。

目次は次の通りです。

はじめに

第1章 質の高く、かつ持続可能な労働・社会保障政策の実現を目指して (岩田克彦)

第2章 ディーセント・ワーク課題から見たわが国の労働・社会保障政策の課題 (林雅彦)

第3章 実現可能なワークライフ・バランスを目指して (本多則恵)

第4章 生涯を通じ、質の高い企業内外での教育・訓練システムへのアクセス (岩田克彦)

第5章 社会的排除の克服に向けて (西村淳)

第6章 労働市場における統合と排除 (濱口桂一郎)

第7章 最低所得保障制度の確立を考える (駒村康平)

どれも重要なトピックではありますが、ここでは研究会の代表でもある職業能力開発総合大学校の岩田克彦氏の第4章を紹介しておきます。

初めに、EUでも中国、韓国でも職業教育と職業訓練を横断した取り組みを行っており、「日本のように、職業教育と職業訓練とが明確に分立している国は現在非常に少ない」という認識から、日本でも次のような取り組みが必要と訴えています。

>日本においても、文部科学、厚生労働両行政の縦割りを打破し、①本格的な生涯教育訓練戦略の策定、②文部科学省関係の専門高校、短大、大学等と、厚生労働省管轄の職業能力開発大学校、都道府県高等技術専門校等との間で相互進学・編入を可能にする(このためには、学習・訓練プログラムの互換及びモジュール化の推進が必要)。③職業高校教員と職業訓練校訓練指導員に関する免許を統合し、文科行政と厚労行政及び全都道府県で共同育成する、④世界的に導入が進んでいる、デュアル訓練(学校・訓練校での訓練と企業での実務実習訓練との組み合わせ)に共同で取り組み、実習企業の共同開拓、カリキュラム改訂による大学レベルも含めた職業教育訓練全体への企業実習訓練の大幅拡大、⑤欧州で設立する国が増えている職業教育、職業訓練をまたがるデータ収集、調査研究、カリキュラム作成、政策提言を行うナショナル・センターの創設等、両行政の本格的連携が必要である。

また、資格制度についても、

>日本においても、EQF(欧州共通資格枠組み)を参考に、さまざまな国内資格を、学習で達成したレベルに対する一連の評価基準で分類し、統合するための仕組みである「各資格の資格レベルを参照する日本版国家枠組み(JQF)」の早期策定が望まれる。資格制度が定着している欧米社会に比べ、「企業別職能資格」の影響が強い日本ではあるが、職業生涯を通じて職業能力開発意欲を高め、低生産部門から高生産部門への労働移動を円滑化するため、策定に向け多くの困難を乗り越える必要がある。

と述べています。

2010年5月18日 (火)

近畿生コン事件について

労働者供給事業を行う労働組合に対する供給依頼停止が不当労働行為になるかという、いささかマニアックながら、労働市場法制と労使関係法制の関係のあり方に初めて踏み込んだ近畿生コン事件の地裁判決が、『別冊中央労働時報』4月号に掲載されています。

結論は地労委、中労委と同様、不当労働行為だと認めているんですが、私はこれは大変大きな問題を孕んでいるのではないかと思います。労働組合の労働者供給事業といっても、まさに「事業」であって、労働組合はその関係では事業主そのものなので、経済的には営利企業である労働者派遣事業がやっていることとほとんど変わらないわけです。

労働組合が分裂して、一方の組合からだけ供給を受け入れて、もう一方の組合から供給を受けないというのは、派遣会社が分裂して、一方の派遣会社からだけ派遣を入れるというのと、実態はほとんど変わらないのに、なぜ後者では派遣先の選択の自由なのに、前者では不当労働行為になってしまうのか、やや形式論で済ませすぎている感がします。このあたりきちんと議論しておく必要があるはずだと思います。

エルダー5月号について

高齢障害者雇用支援機構の『エルダー』5月号が、「これからの雇用社会の新たなルールとは何か」という特集で、大内伸哉先生や久本憲夫先生の論考を載せています。

http://www.jeed.or.jp/data/elderly/elder/201005.html

いろいろと論点はあるのですが、ごく簡単に一点ずつ。

まず大内先生の「高齢者雇用について法的に考える─今後の雇用政策の目標」ですが、

http://www.jeed.or.jp/data/elderly/elder/download/2010_05-05.pdf

法的には解雇の自由化などではなく、賃金のフレクシビリティを高めることだというのはいいのですが、

>賃金のフレキシビリティとは、労働条件の変更は、個々の労使の合意によって決められるという合意原則(これは、労働契約法の基本となる原則である)に立ち返ることによって実現していくべきである。就業規則によって一方的な変更をするのは最後の手段とすべきであり、あくまで不利益を受ける従業員のニーズを考慮しながら、粘り強く説得して、その納得を得られるようにするということが、彼らのモチベーションの維持という観点からも重要と思われる。

というところについては、「個々の労使の合意」に基づく労働契約変更ではなく、「集団的な労使の合意」に基づく就業規則(または労働協約)変更の方が本筋だと、ここはあえて(現在の個別合意優先の主流に逆らって)言いたいと思っています。

賃金のフレクシビリティを前提とする以上、「個々の合意」が大事だという理屈は、結局、個々の合意が成り立たなければ契約を終了するしかないという変更解約告知のロジックと裏腹なのであって、どちらを選ぶかということなのではないかと思うのです。「粘り強く説得」云々は当然のことですが、それはたとえば政治家が「粘り強く説得」というのと同じであって、その先どうするかというのがないままではいけないでしょう。

久本先生の「多様な正社員のモデルについて」は、

http://www.jeed.or.jp/data/elderly/elder/download/2010_05-06.pdf

実は、先週土曜日、都内某所で某組織の某プロジェクトで久本先生とご一緒していたときの話そのままなのですが、

>ところが、日本の裁判所、とくに最高裁は「片稼ぎモデル」を前提としている。そのため、「生活上の不利益が転勤に通常伴う程度のものであれば、業務上の必要性は、『欠員補充で本人に適格性あり』、ないしは、『人事異動のルーティーンとして通常のコース』などの通常の必要性でよい。子どもの教育、持ち家、配偶者の仕事などで単身赴任を余儀なくさせるといった事情は、『通常の必要性』と考えられている」3)。この最高裁判決が出たのが一九八六年である。共稼ぎ正社員は夫婦別居を甘受すべきというのが現在の日本の判例である4)。
残業についても、三六協定が結ばれている限り個人は拒否できないというのが日本の裁判所の判断である5)。そのため、子育て共稼ぎ正社員モデルを実現するには、少なくとも一方には「残業なし正社員」あるいは「残業を拒否できる正社員」という範疇が必要となる。さらには「短時間正社員」もありうる。

最高裁が想定する雇用モデルは「幹部正社員・片稼ぎモデル」であり、こうした裁判例が、日本の雇用システムを過度に窮屈なものにしてきた。こうした最高裁の判断によって「正社員の働き方」は法的に画一化していくことになる。これは全国転勤する裁判官自身の職業生活意識を反映しているのかもしれない。そこで、共稼ぎ正社員モデルを実践するには、雇用契約における包括性、より正確には使用者の指揮命令権に制約を課す一方で、賃金水準や賃金決定方式、さらには雇用保障度などに格差をつけるということが必要となるのである。ここでいう「正社員」の基準は「期限の定めのない雇用」と月給制(月給日給制以上)である。安定した雇用と賃金である。これにキャリア展望があれば十分である。

判例の正社員モデルは、実は裁判官自身の人事管理モデルじゃないかという話題で盛り上がりました。

2010年5月17日 (月)

今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(第二次審議経過報告)

本日、文部科学省の中央教育審議会キャリア教育・職業教育特別部会が、「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(第二次審議経過報告)」というのを公表しましたが、

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo10/sonota/1293955.htm

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2010/05/17/1293956_1.pdf

審議経過というよりも、ほとんど膨大な報告書草案という感じですね。100頁を超える大報告。

以下に目次を転記します。

はじめに..................................................................... 1
Ⅰ 「学校から社会・職業への移行」をめぐる経緯と現状......................... 2
1.我が国の産業構造や就業構造の変化....................................... 2
2.学校制度の現状......................................................... 7
3.社会全体を通じた職業に関する教育に対する認識......................... 10
4.子ども・若者の変化................................................... 12
5.教育基本法等の改正と教育振興基本計画................................. 14
Ⅱ 学校教育をめぐる課題とキャリア教育・職業教育の基本的方向性............. 15
1.キャリア教育・職業教育と学校教育をめぐる課題......................... 15
(1)「キャリア教育」の内容と課題
(2)「職業教育」の内容と課題
(3)キャリア教育・職業教育の関係
2.キャリア教育・職業教育の基本的方向性................................. 18
(1)社会的・職業的自立に必要な能力等を育成するため、キャリア教育の視点に立ち、社会・職業との関連を重視しつつ、義務教育から高等教育に至るまでの体系的な教育の改善・充実を図る
(2)我が国の発展のために重要な役割を果たす職業教育の意義を再評価し、実践的な職業教育を体系的に整備する
(3)学びたい者が、いつでも、社会・職業に関して必要な知識・技能等を学び直したり、更に深く学んだりすることにより、職業に関する能力の向上や職業の変更等が可能となるよう、生涯学習の視点に立ち、キャリア形成支援の充実を図る
3.キャリア教育・職業教育の方向性を考える上での視点..................... 20
(1)キャリア教育・職業教育を進めていく上での社会全体の協力
(2)仕事をすることの意義と職業の範囲
(3)社会的・職業的自立、社会・職業への円滑な移行に必要な力を明らかにする
Ⅲ 発達の段階に応じた体系的なキャリア教育の在り方について................. 27
1.キャリア教育の充実に関する基本的な考え方............................. 27
(1)社会的・職業的に自立するために必要な基盤となる能力等を育成する、体系的な取組の構築
(2)子ども・若者一人一人の発達の状況の的確な把握とそれに対するきめ細かな支援
(3)能力・態度の育成を通じた勤労観・職業観等の価値観の形成・確立
2.キャリア教育推進のための方策......................................... 29
(1)各学校におけるキャリア教育に関する方針の明確化
(2)各学校の教育課程への位置付け
(3)多様で幅広い他者との人間関係の形成
(4)社会や経済の仕組みなどについての理解の促進
(5)体験的な学習活動の効果的な活用
(6)キャリア教育における学習状況の振り返りと、教育活動の評価・改善の実施
3.各学校段階の推進のポイント........................................... 35
(1)初等中等教育段階
(2)高等教育段階
4.義務教育段階を中心としたキャリア教育を実践するための方策............. 39
(1)キャリア教育に関する教職員の意識や指導力の向上
(2)キャリア教育を効率的に実施するための体制の整備
(3)キャリア教育を実践するための教育課程の編成・実施
Ⅳ 後期中等教育におけるキャリア教育・職業教育の充実方策................... 41
1.後期中等教育におけるキャリア教育・職業教育の課題..................... 41
2.後期中等教育におけるキャリア教育・職業教育の基本的な考え方........... 43
3.高等学校におけるキャリア教育・職業教育の充実......................... 45
(1)各学科に共通する課題、特に普通科の課題と改善の方向性
(2)専門学科における職業教育の課題と改善の方向性
(3)総合学科の成果と課題
4.特別支援学校高等部におけるキャリア教育・職業教育の充実............... 59
5.専門的な知識・技能の高度化への対応と、高等学校(特に専門学科)・特別支援学校制度の改善の方向性................................................ 60
(1)専門学科を基にした高等専門学校の設置の可能性
(2)高等学校・特別支援学校高等部の専攻科の在り方と高等教育機関との接続
6.専修学校高等課程(高等専修学校)におけるキャリア教育・職業教育の充実. 61
(1)職業教育の高度化・質の向上と生涯にわたるキャリア形成のための教育の充実
(2)自立に困難を抱える生徒への対応
(3)個人の多様なライフスタイルに応じた学習機会の充実
Ⅴ 高等教育におけるキャリア教育・職業教育の充実方策....................... 65
1.高等教育段階におけるキャリア教育・職業教育の課題..................... 65
2.高等教育段階におけるキャリア教育の在り方と充実の方向性............... 65
(1)高等教育段階におけるキャリア教育の基本的考え方
(2)高等教育段階におけるキャリア教育の取組
(3)高等教育段階におけるキャリア教育の推進方策
(4)各学校種別に留意すべきキャリア教育の在り方
3.高等教育における職業教育の在り方と充実の方向性....................... 72
(1)高等教育における職業教育の課題
(2)高等教育における職業教育の充実のために必要な視点
4.各高等教育機関における職業教育の充実と、職業実践的な教育に特化した枠組みの整備............................................................... 73
(1)各高等教育機関における職業教育の現状と課題
(2)各高等教育機関における職業教育の充実の方向性
(3)職業実践的な教育に特化した枠組みの必要性
(4)職業実践的な教育に特化した枠組みのイメージ
(5)具体的な制度化の検討
5.学校種を通じた職業教育の充実のための方策・質保証の在り方............. 83
Ⅵ 生涯学習の観点に立ったキャリア形成支援の充実........................... 84
1.生涯学習の観点に立ったキャリア形成支援の必要性....................... 84
2.学校から社会・職業へ生活が移行した後の学習者に対する支援方策......... 84
3.中途退学者や無業者などのキャリア形成のための支援方策................. 86
4.職業に関する生涯にわたる学習を支える基盤の形成....................... 87
Ⅶ キャリア教育・職業教育の充実のための様々な連携の在り方................. 89
1.連携の基本的な考え方................................................. 89
2.地域・社会との連携................................................... 89
3.産業界等との連携..................................................... 90
4.学校間や異校種間の連携............................................... 92
5.家庭・保護者との連携................................................. 92
6.関係行政機関との連携................................................. 93

膨大ですが、学校と職業の接続問題に関心のある人にとっては必読です。

人格障害と個別労働関係紛争

少し前に、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-c5e5.html(労働法制と発達障害者)

というエントリで、

>労働局の個別労働関係紛争の実態を見ていくと、これは発達障害が原因ではなかろうかと思われる事案が結構見られます。

と述べましたが、その後、精神医学関係の本をいろいろと読み進めていくと、発達障害ともいえるけれど、むしろ人格障害(パーソナリティ障害)といった方が近いのではないかというケースが多いことに気がついてきました。

418ilwfkobl 『アスペルガー症候群』の岡田尊司さんの『境界性パーソナリティ障害』(幻冬舎新書)や『パーソナリティ障害』(PHP新書)などを読んでいくと、労働局のあっせん事案に出てくるやりとりを彷彿とさせるものがけっこうあるんですね。

>元々はしっかり者で思いやりのある人が、心にもなく人を傷つけたり、急に不安定になったり、自分を損なうような行動に走ったり――不可解な言動を繰り返す、境界性パーソナリティ障害。ときには、場当たり的なセックスや万引き、薬物乱用や自傷行為、自殺にまで至ることもあります。
「わがままな性格」と誤解されることもしばしばですが、幼い頃からの体験の積み重ねに、最後の一撃が加わって、心がバランスを失ってしまった状態なのです。

なぜ現代人に増えているのか、心の中で何が起きていているのか、どのように接すればいいのか、どうすれば克服できるのか。治療の最前線に立つ臨床家が、豊富な臨床経験と印象的な具体例、最新の研究成果を盛り込みながら、わかりやすく解説しています。
境界性パーソナリティ障害について学ぶ人だけでなく、実際にそうした問題を身近に抱えている人に、多くのヒントと勇気を与えてくれることでしょう。

Htbookcoverimage >パーソナリティ障害とは、偏った考え方や行動パターンのために、家庭や社会生活に支障をきたしている状態のこと。愛を貪る、賞賛だけがほしい、主人公を演じる、悪を生き甲斐にする、傷つきを恐れる…現代人が抱える生きづらさの背景には、ある共通の原因があるのだ。本書は、境界性、自己愛性、演技性、反社会性、回避性など、パーソナリティ障害の10タイプそれぞれについて、克服や援助の際にポイントとなる点を具体的に記す。精神医学的な観点から書かれた生き方術の本。

韓国・台湾の紛争解決システムから学ぶこと

昨日の日本労働法学会での大シンポ「東アジアにおける労働紛争処理システム」で報告をお聴きしていて、いちばん心に残ったのは、紛争解決システムそれ自体よりも、それを支える補助的セーフティネットが日本よりもむしろ整備されてきている点でした。

たとえば、李鋋先生の報告で、韓国では公認労務士制度(日本の社会保険労務士みたいなもの)があるのですが、2008年から経済的弱者のために(集団よりも最近は個別紛争の方が多くなっている)労働委員会における事件代理を「指定労務士制度」として、政府の支援により行っているという点は、不当解雇に関する判定的解決が現在では裁判ではなく労働委員会における救済によって行われているということを考えると、実質的に個別紛争解決への労働者への補助ということができるでしょうし、日本の「法テラス」のもとになった「法律扶助公団」が年間10万件以上もの利用があり、その大部分が賃金や退職金の不払い事案だということからすると、大きな意味を持つ援助になっていると思われます。

日本の場合、職業的にライバル関係にある弁護士は当然として、連合も社労士の権限拡大に慎重な姿勢で、これはいままでの社労士がほとんどすべて使用者のためのサービス提供者として行動してきたことからやむを得ない面もあるのですが、わたしはむしろ社労士を労働者のためのサービスも提供しうるちゃんとした社会的専門職として確立していくことを考えた方がいいと思います。そのためにどういう制度的担保が必要かなど、検討すべき課題はいろいろありますが。

台湾の王能君先生の報告でも、法律扶助基金会のほか、大量解雇における訴訟の場合の生活扶助制度や、性差別事件における訴訟扶助制度などがあるということで、こういう補助的セーフティネットの充実ということも、本体に劣らず重要ではないかと感じた次第です。

2010年5月16日 (日)

日本労働法学会第119回大会

本日、名古屋大学で日本労働法学会第119回大会。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jlla/contents-taikai/119taikai.html

個別報告(9:00~10:00)

  • 第一会場
    • テーマ:イギリス平等法の到達点と課題
    • 報告者:宮崎 由佳(連合総研)
    • 司会 :浅倉 むつ子(早稲田大学)
  • 第二会場
    • テーマ:労働市場における労働者派遣法の現代的役割
      -契約自由と法規制の相克をめぐる日本・オランダ・ドイツの比較法的分析
    • 報告者:本庄淳志(大阪経済法科大学)
    • 司会 :大内 伸哉(神戸大学)
  • 第三会場
    • テーマ:フランスにおける企業倒産と解雇
    • 報告者:戸谷義治(北海道大学大学院)
    • 司会 :道幸 哲也(北海道大学)

日本労働法学会創立60周年記念シンポジウム(10:10~11:50 第1・第2報告)

  • シンポジウムタイトル「東アジアにおける労働紛争処理システムの現状と課題」
    司会:
    香川 孝三(大阪女学院大学)、 山川 隆一(慶応義塾大学)
    報告者:
    李鋋(韓国外国語大学)「韓国における労働解決システムの現状と課題」
    王能君(台湾大学)「台湾における労働紛争処理システムの現状と課題」
    彭光華(中国人民大学)「中国における労働紛争処理システムの現状と課題」
    野田進(九州大学)「東アジア労働紛争解決システムの中の日本

わたくしが現在、JILPTのプロジェクト研究として個別労働紛争、労働局のあっせん事案の内容分析を行っていて、もうすぐ中間報告を出す段階にきていることもあり、大シンポジウムでの東アジア諸国における動向は興味深いものでした。

韓国の李鋋さんは、かつて東大に留学されていたころ、山口浩一郎先生の21世紀労使関係研究会で毎回お会いしていたころ以来で、大変懐かしく感じました。 

2010年5月14日 (金)

労使関係から見た労働者の力量形成の課題

来月、某学会で報告する予定のメモ、第1稿。

やや話を広げすぎの感あり。

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はじめに

 多くの人は「教育」を受け、「労働」をして人生を送る。「教育」と「労働」は他の何よりも人々にとってなじみある活動である。そして、「教育」が「労働」の準備であり、「労働」が「教育」の成果である以上、「教育」と「労働」は密接な関係にあるはずである。しかしながら、現実の日本社会では、「教育」に関わる政策や学問は「労働」(の中身)にあまり関心がなく、「労働」に関わる政策や学問は「教育」(の中身)を敬遠してきたように見える。正確に言えば、高度成長開始期までは相互にそれなりの関心と関与があったが、その後双方からその契機が失われていったように見える。
 今改めて「教育」と「労働」の関係に社会の関心が向けられつつある発端の一つは、1990年代のいわゆる就職氷河期に、それまで学卒一括採用制度のもとで正社員として就職できていたはずの若者たちがそこから排除され、非正規労働者として不安定で、低労働条件で、将来展望の乏しい職業生活を送らざるを得なかったことである。その大きな原因として現代日本社会における教育の職業的意義(レリバンス)の欠如を指摘し、「教育」と「労働」を一体的に議論する必要性を説いたのが、本田由紀の『若者と仕事』(東大出版会)であった。
 彼女の近著『教育の職業的意義』(ちくま新書)は、もちろんこれまで見失われてきた教育の職業的意義の回復を訴えているが、それとともにそれが「適応」と「抵抗」の両側面をもつべきことを主張している。本集会で与えられたテーマである労働者の「エンパワメント」「力量形成」とは、この両側面にわたるものとして論じられる必要がある。「適応の力量」があってこそ「抵抗」が可能となり、「抵抗の力量」があってこそ「適応」は単なる「服従」に堕すことがない。

1 経緯と現状

(1) 「教育」と「労働」の密接な無関係

 現代日本社会における「教育」と「労働」の関係は、「密接な無関係」と呼ぶことができる。受けた学校教育が卒業後の職業キャリアに大きな影響を与えるという意味では、両者は密接である。しかしながら、学校で受けた教育の中身と卒業後に実際に従事する労働の中身とは、多くの場合あまり(普通科高校や文科系大学の場合、ほとんど)関係がない。これを本田は「赤ちゃん受け渡しモデル」と呼んでいるが、職業能力は未熟でも(学力等で示される)潜在能力の保証に基づき学卒一括採用された若者を企業が企業に合う形に(とりわけ職場のOJTを通じて)教育訓練していくという回路が回転している限り、極めて効率的なシステムであった。
 これは、発生的には20世紀初頭の大企業における子飼い労働者養成から始まったものであるが、公共政策は必ずしもそれを促進する方向であったわけではない。特に終戦直後には、「技能者の養成は、職業教育の充実によって、相当その目的を達成することができると考えるが、義務教育以上に進学のできない者については、矢張り労働の過程で技能を習得させることが必要であ」るので、企業における技能者養成「を全面的に禁止することはわが国の現状に鑑み適当でない」(労働基準法制定時の質疑応答集)というのが政府の考え方であった。ところが肝心の教育界では普通科が偏重されて、本来の道とされたはずの職業教育は継子扱いされる傾向が続いた。
 高度成長期までのこの問題をめぐる政治的配置図は、産業界と労働行政が「教育」と「労働」を内容的に結びつける方向であったのに対し、教育界ととりわけ革新勢力がそれに否定的であったように見える。そこには、教育を高尚な人格形成のためのものと捉える理想主義的教育学と、産業に奉仕する教育を忌避するラディカル左翼思想の結合が透けて見える。しかし最大の皮肉は、それまで職務給を掲げていた日経連が高度成長末期にヒト本位の職能給に転換し、こうした「教育の職業的無意義」を容認、むしろ称揚する側に回ったことである。かくして、教育の職業的意義は誰からも支持されないものとなってしまった。
 労働行政の推移もこれに対応している。高度成長期までの労働行政は「職種と職業能力に基づく近代的労働市場の形成」を旗印にしていた。縦割り行政の中で学校における職業教育との連携は乏しかったが、公共職業訓練施設を中心とした企業横断的技能養成が政策の基軸をなしていた。ところが1970年代以降は企業内での雇用維持とともに、企業内教育訓練への援助助成が政策の中心となった。労働者の職業教育訓練は企業に任せるという社会のあり方が、名実ともに確立したことになる。筆者はこれを「企業主義の時代」と呼んでいる。「赤ちゃん受け渡しモデル」によるリアルな「教育と労働の密接な無関係」の掌の上で、観念的な「教育の職業的無意義」が夢想していた時期といえようか。
 ところが1990年代以降、市場主義的な政策が展開される中で、長期雇用と年功賃金と企業内訓練を保証される正社員の収縮が進行し、そこから排除された非正規労働者の存在がとりわけ2000年代以降社会問題となってきた。企業が人材育成に責任を負わないのであれば、公共政策が全面的に責任を負わなければならない。学校や職業訓練施設における職業教育訓練の確立が再び課題として意識される時代となったのである。

(2) 集団的労使関係の収縮と労使関係の個別化

 労働における「適応」のための教育すら不必要となるならば、労働における「抵抗」のための教育はますます無用の存在となる。終戦直後には労働省労政局に「労働教育課」という課が置かれ、労働行政の一つの柱でもあった「労働教育」という言葉は、1958年に同課が廃止されて半世紀以上が過ぎ、現在ではほぼ完全に死語となっている。
 もっとも、当時の「労働教育」とはかなりの程度労働組合教育であり、労働教育課の廃止は労使関係が安定化し国が積極的に行う必要が乏しくなったことが理由である。労働組合の健全な育成という目標は達成したという判断であったろう。ところが、その後進行したのは労働組合組織率の長期低落であった。2009年現在組織率は18.5%であるが、とりわけ、中小零細企業では1%前後とほとんど集団的労使関係が存在しない状態となっている。また、非正規労働者が増加する中で、組合のある企業でもそこから排除される労働者が増大してきている。さらに、産業構造の高度化、企業組織の複雑化の中で、労働組合に加入できない(とされる)管理的立場の労働者も増大してきた。一言で言えば、集団的労使関係の収縮が着実に進行してきたのである。
 これを裏から言えば、労使関係が個別化してきたということになる。そして、かつては労働組合が主役だった労使間の紛争は、解雇やいじめ、労働条件切り下げをめぐる個別労働者の訴えが中心となった。2001年から開始された労働局における個別紛争処理制度には膨大な数の訴えが寄せられている。2008年度には、相談件数1,075021件、助言指導件数7,592件、あっせん件数8,457件である。
 こういった個別紛争事案からも浮かび上がってくるのは、労使関係が個別化したといいながら、その個別労働者に自分の身を守るための労働法、労働者の権利に関する知識がほとんど欠如しているという事態である。また、労働法を遵守すべき使用者にも、労働法の知識の欠如や労働法の意義を軽視する傾向がある。こうしてここ数年来、労働法教育の必要性を訴える声が徐々に高まってきて、昨年2月には厚生労働省の研究会が報告書を出すに至った。
 こうして、収縮した集団的労使関係の再構築と、個別労働者への労働法教育の確立という課題が意識されるようになってきた。

2 課題と政策

(1) 教育訓練システム・能力評価システム

・学校教育とりわけ中等教育・第三次教育における職業的レリバンスの向上

 戦後日本は、「就職組」の職業高校よりも「進学組」の普通科高校を尊重し、前者の縮小と後者の拡大を善と考えてきたように見える。しかし、時期の違いはあれ誰もが結局は「就職組」になる。「就職組」にならないと思いこんでなされた教育は、就職してからしっぺ返しを受ける。とりわけ現実に拡大してきた普通科就職組に矛盾が集中する。
 「普通科」という発想自体を見直し、すべての高校を一定の職業基礎教育を含んだ総合高校としていく必要があるのではないか。高校卒業時の「進学」「就職」よりも、その先の誰もに訪れる「就職」を前提にして、たとえば工業科→理工系大学、農業科→生命系大学、商業科→経済商学系大学といったコースを主流化することも考えるべきではないか。
 学校教育法上、短期大学、高等専門学校、そして専門職大学院にすら「職業」という言葉があるが、大学だけは「職業」という言葉がない。現実には卒業生の圧倒的大部分が「就職組」であるにもかかわらず、職業に背を向けた「学術の中心」のふりをしているこの矛盾を直視すべきである。その際、既存の大学をそのままにして、その外側に新たに「職業大学」を作るなどという欺瞞はすべきではない。既存の大学の大部分が、実態に即して「職業大学」としての職業的レリバンスの向上に取り組むべきである。

・生涯学習の内容を職業能力向上を目指したものとすること

 今日の「生涯学習」は未だに教養文化中心の、生涯職業能力開発こそ生涯学習の中心とした臨教審第2次答申以前的段階にとどまっているのではないか。労働者が自らの職業能力の開発向上を企業の人事管理に委ねるのではなく、主体的にキャリア形成を図っていくことができるようにするためには、企業外部における教育訓練機関の充実が不可欠である。しかも、NOVA等を肥え太らせるだけに終わった教育訓練給付制度の轍を踏むことなく、真に労働者の必要に応じた教育訓練を実施するためには、生涯学習の内容の決定過程自体に地域の労使団体が参加していくことが重要である。
 生涯学習の最大の受け皿となるべきは、教育内容の職業レリバンスを高めた大学や大学院であろう。今日の大学の市民講座等も依然として教養文化系が大半だが、そのような有閑階級向け消費財としての生涯学習からの脱却を考えるべきではないか。むしろ、1年程度の短期課程による社会人教育を中心に考えるべきではないか。

・教育界と産業界の連携による本来のデュアルシステムの構築

 今日「日本型デュアルシステム」と称しているものは、学校教育に毛が生えた程度の文科省版デュアルシステムと委託訓練に毛が生えた程度の厚労省版デュアルシステムの併存に過ぎない。ドイツやその周辺諸国におけるデュアルシステムとは、パートタイム学習とパートタイム労働を週数日ずつ有機的に組み合わせたシステムであって、これからすれば日本型デュアルシステムはそもそも「デュアル」の名に値しない。
 本来のデュアルシステムを実施するためには、教育界と産業界が地域レベルでしっかりと連携し、地域企業に就職し、地域の将来を担う人材を、地域の教育界と産業界が連携協力して育成するという本来の産学協同への共通認識が不可欠である。残念ながら、そのような共通認識の必要性を教育界に理解してもらうところから始めなければならないのが実情であるが。

・企業を超えた能力評価システム(日本版NVQ)をできるところから構築

 民主党政権の新成長戦略は、「非正規労働者を含めた、社会全体に通ずる職業能力開発・評価制度を構築するため、現在のジョブ・カード制度を日本版NVQへと発展させていく」と述べている。NVQとはイギリスで導入されている国民共通の職業能力評価制度であり、再就職やキャリアアップに活用されているという。
 職業能力の開発と評価が企業別に分権化されている日本の現状では、これは容易なことではない。紙の上で作ってみたところで、企業が「そんなものは使えない」と無視すればそれまでである。とはいえ、できるところから少しずつでも取り組んでいくしかない。
 その際、前提条件は膨大ではあるが、大学や大学院がその課程の修了を証した資格をその専門分野におけるNVQの出発点として考えてみる値打ちはある(言葉の真の意味での「学歴社会」)。

(2) 集団的労使関係システムの再構築

・職場レベルで正規と非正規を包含した集団的労使関係の枠組みを構築(「労働組合」的な労働者代表制)

 現在の企業別組合から排除されている非正規労働者や管理職を職場レベルの連帯の枠組みに組み込み、未組織の中小企業にも集団的労使関係の枠組みを及ぼすために、公的に強制設立される労働者代表制が提起されている。これは、意味のあるものであるためには、メンバーを限定しうる自発的結社であってはならないが、同時に使用者から独立し抵抗できる組織でなければならない。つまり、労働組合であってはならないが、労働組合でなければならない。そのような組織をどのように構想していくべきか、課題は大きい。

・職場の問題に的確に対応できるような労働組合等の力量の向上(組合役員等に対する労働教育)

 労働組合が職場のさまざまな問題に(個別労働者の立場を踏まえて)的確に対応していく能力は、今まではまさに組合役員としてのOJTによって形成、承継されてきた。しかし、企業レベルの集団的労使関係が平和的、協力的になる中で、職場レベルの苦情処理の力量が低下してきていないか、再考の余地がある。
 また、上記労働組合的な労働者代表制を未組織企業に設置していく場合、その機能を的確に遂行していける人材を育成することが重要であり、産別組織や地域組織による援助が不可欠となる。
 こうした組合役員等に対する労働教育は、ナショナルセンターの指揮の下で、産別組織や地域組織が実施していくことになるが、公的な支援の余地がないのかも検討されるべきであろう。

・職場の集団的労使関係の形成が困難な中小企業分野において抵抗の力量を支えることのできる産業別・地域別労働組合の力量向上

 職場レベルの労働組合や労働者代表の力量形成を支えるべき産別組織や地域組織の力量向上も大きな課題である。

(3) 労働教育の課題

・学校教育とりわけ中等教育・第三次教育における労働教育

 社会科の授業で「労働三権」を勉強しても、自分の権利とは思わない。すべての生徒や学生が自分自身の(就職してからだけではなく、現にアルバイトとして就労しているときの)権利として労働法の知識をきちんと学ぶことができるよう、共通の職業基礎教育の一環として労働教育を明確に位置づけ、十分な時間をとって実施されることが必要である。
 とりわけ教職課程においては、全員「就職組」である生徒を教える立場になるということを考えれば、憲法と並んで労働法の受講を必須とすべきであろう。

・生涯学習の中に労働教育を大幅に取り入れること

 労働者の権利に関する知識の欠如した労働者や使用者、労働法の意義を軽視する使用者に対して、きちんと労働教育を実施していくことはなかなか難しい。知識の欠如や軽視自体が、そのような知識の付与を目的とした講習や研修への参加を妨げるからである。このため、労働教育としての労働教育は、結局分かっている人に分かっていることを教えることになりがちである。
 この壁を超えるには、職業能力向上や経営指導など、さまざまな生涯学習の機会をとらえ、その中に有機的に労働教育を組み込んでいくことが有効であろう。生涯学習がそのような実務的な方向に転換する前からでも、現行のさまざまな生涯教育機会の中に、積極的に労働教育を取り入れるべきである。かつて文部省と労働省が社会教育と労働教育の所管を争った時代ではない。労働教育と消費者教育は、今日における市民教育の最も重要な基軸と考えるべきではないか。

・労働教育機能を有するNPOや労働組合の活動への支援

 既に労働問題NPOや労働組合の中には、積極的に労働教育活動に乗りだしている例がある。たとえば、若者の労働に関するNPOであるPOSSEでは、高校、専門学校、大学での労働法の出張授業などを行っている。民間レベルによるこうした活動を積極的に支援していくことも重要な課題であろう。

○教育基本法のいう「人格の完成」は、教養主義的なものであってはならない。「適応の力量」を養う実践的なものでなければならず、「抵抗の力量」を養う主体的なものでなければならない。 

日本の働き方~『正社員』の行方~

三菱UFJリサーチ&コンサルティングの「季刊 政策・経営研究」が、「日本の働き方~『正社員』の行方~」という特集を組んでいます。

http://www.murc.jp/report/quarterly/201002/index.html

はじめに荻野進介さんの「揺れる正社員」

http://www.murc.jp/report/quarterly/201002/01.html

http://www.murc.jp/report/quarterly/201002/01.pdf

>日本企業の雇用の本質はメンバーシップ制にある。雇用も、企業と社員の間で交わされる一種の契約に他ならない。特定の仕事があり、それに従事することが予め決められているのが欧米だが、日本では何の仕事につくかは最初から不明である。つまり組織に入り仲間となることこそ、日本の正社員雇用の本質であり、これは江戸時代の商家から連綿と続く自生的秩序といってよい。・・・

>本稿は、年功制の解体による、そうしたメンバーシップ制の弱体化を不可避のものと考え、働く側がメンバーシップを自ら弱めることの効用を説く。具体的には、自宅が職場となるテレワーク、1日あるいは週単位の労働時間を短くした短時間正社員、副業への従事など、働き方の多様化を進めることである。今後の日本には多様な働き方に応じた、多様な正社員が求められる。

  1. 労働現場で進む「2つの多様化」
  2. 日本型正社員の歴史
  3. 原点は江戸時代の商家の奉公人
  4. 三等重役の登場
  5. ホワイトカラーとブルーカラーの握手
  6. 会社人間、社畜という貶め
  7. 日本企業という袋の構造
  8. 「三種の神器」とメンバーシップ
  9. 社会規範としての終身雇用
  10. 日本型正社員雇用の本質とは
  11. 変質したメンバーシップ、健在な終身雇用
  12. 企業への従属性を弱める多様な働き方
  13. メンバーシップとは奉公関係
  14. 働き方の多様化を進めよ
  15. 自宅が職場になる─テレワーク
  16. 平日の昼間、別の自分になれる―短時間正社員
  17. 今年はこれだけ稼ぎたい─選択年収制
  18. アフター5は別の顔─副業
  19. 時間管理から仕事管理へ、そして自主的定年制

次に久本憲夫先生の「正社員の意味と起源」

http://www.murc.jp/report/quarterly/201002/19.html

http://www.murc.jp/report/quarterly/201002/19.pdf

>本稿では、「正社員」の形成に焦点を合わせる。まず「正社員」についての統計的整理をした後に、正社員の「処遇」と「働き方」という観点からその形成プロセスを検討する。処遇とは、使用者が従業員に提供する労働条件であり、3つの要素に分けてみる。①長期安定雇用、②査定付き定期昇給賃金、そして③昇進機会の提供である。長期的に安定した雇用とまじめに働いていれば賃金が上昇するだけでなく、昇進機会もあるということである。

>こうした処遇を従業員に提供する対価として企業が求めるのが正社員としての「働き方」である。それは、職務の範囲が不明確であり(職務の包括性)、それだけ企業のその時々の要望に即して働くことが当然視される。残業や配置転換、転勤なども企業命令が絶対であり、個人の要望は部分的にしか配慮されない。このように「正社員」を捉えると、それぞれの要素が一気に成立したと見ることが容易ではないことが分かる。総じて言えば、現在の「正社員」は、長い歴史プロセスを経て高度経済成長期に成立し、1980年代の安定成長期に普遍化したといえる。なお、この「正社員」の処遇と働き方は片稼ぎモデルであり、男女雇用平等の観点から見直しが必要となっている。

  1. 正社員をどう捉えるか
  2. 呼称としての社員あるいは正社員
  3. 分析視角
  4. 社員の歴史
  5. エリートとしての社員
  6. 工職身分格差撤廃
  7. 高度経済成長期における変容
  8. 正社員の処遇と働き方
  9. 正社員像……雇用関係の包括性
  10. 「正社員」処遇の形成
  11. 「正社員」の働き方の一般化
  12. 男女雇用平等との齟齬
  13. 片稼ぎモデルにおける男女平等
  14. 労働時間への低い関心
  15. おわりに……WLBと正社員の多様化

いずれも、拙著で述べた論点をさらに深く掘り下げた論文で、大変時宜に適したものです。

0283560 先日発行されました岩波書店の『自由への問い6 労働』所収のわたくしの「正社員体制の制度論」も併せてお読みいただければと思います。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-afee.html

1  日本型雇用システムの本質―職務のない雇用契約
2 長時間労働と転勤を条件とする雇用保障
3 生活給制度のメリットとデメリット
4 陰画としての非正規労働者
5 「正社員」体制とは何か?
6 二〇世紀システムの形成
7 「正社員」体制の原点
8 戦後労働政策と「正社員」体制
9 女性正社員モデルの形成と衰退
10 雇用システムの再構築へ

また、同書冒頭の広田照幸・佐藤俊樹対談もどうぞ。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post.html(「コミュニケーション能力」論の罪)

2010年5月12日 (水)

本日の講義と研修

本日は、午後一で公共政策大学院の「労働法政策」の講義、夕方は労働大学校で紛争調整官の皆さんの研修での個別紛争の分析についてのイブニングセッションでしたが、不思議なことにいずれでもある種の心の障害が話題になりました。確かに最近私がそういう関心を持っているのは確かですが、別に私がそういう話題を振ったわけではないのに、学生や研修生の皆さんの方からそういう話題が出てくることに、今の時代の姿が現れているのかも知れません。

公共政策大学院の講義は本日は高齢者と障害者で、今までは高齢者に関心が集中することが多かったのですが、今回は最後に精神障害者の雇用率制度と障害者差別禁止問題をお話ししたこともあってか、障害者問題に質問や意見が集まりました。また労働大学校では紛争調整官の皆さんだけでなく、新任監督官の皆さんも100人ほど参加されて、思ったより熱心なセッションになりました。ここでも、ある種の心の障害がいくつかの個別紛争の背後にあるという認識が出てきたのは興味深いところです。

まあ、ただ、このテーマは、労働問題として取り上げるのはなかなか難しいんですよね。

100年前の日本の労働社会はジョブ型だった

5月4日付の

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-8151.html(アスペルガー症候群が生きにくいメンバーシップ型社会)

で取り上げた「東風blog」さんが、

http://tongpoo-blog.air-nifty.com/jose/2010/05/post-5547.html(”ギフテッド”を読んで考えた事 その後)

で、さらに考えをめぐらされています。

>また、企業の側も従業員一人ひとりと”熟議”を行う余裕がなくなり、逆に(hamachan先生が指摘されているように)「メンバーシップ型の縮小と凝縮が、それまではそれほどでもなかった「人間力」の要求をそれまで以上に高まらせ」てきているようにも思え、どのようにすれば”熟議による民主主義”が日本に根付くのか見当がつきません。

ただ、わたくしはあまり性急に「熟議」といった議論に行く前に、

>翻って日本を見ると、もともと”暗黙の了解”に重きを置き、お互いに納得するまでじっくりと議論する事をあまりして来なかった国民性の上に・・・

という「国民性論」からちょっと身を引き離してみることも大事ではないかと思います。

というのは、拙著『新しい労働社会』の序章のメンバーシップ型とジョブ型の対比は話の半分に過ぎないので、ほんとうはそれを通時的に説明するもう一章が必要なんですね。

実は、序章は、わたくしの「日本の労務管理」講義案の第1回目をそのまま使ったものですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/Japempsystem.html(第1章 日本型雇用システム概説)

講義案ではそのすぐあとに、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/JapLabManage.html(第2章 日本労務管理史概説)

が続いていて、その冒頭でこう述べているのです。

>前回お話しした日本型雇用システムは、前近代社会に由来する日本の伝統的な文化や価値観を継承したものだという説明が多くされています。はっきり申し上げますが、それは間違いです。もちろん、いかなる社会も過去を背負っていますから、伝統文化と全く無関係ではありません。しかし、近代工業分野の労務管理に関する限り、それは20世紀初頭から第1次大戦前後にかけて大企業を中心に成立し、その後戦時体制下で法制によって中小企業にも拡大され、さらに第二次大戦直後急進的な労働運動によって再確立し、最終的に1950年代に経営側が修正を加えることで完成に至ったシステムなのです。
 
1 20世紀初頭の日本の労務管理
 
 始めに、皆さんがびっくりするような知識を披露しましょう。20世紀の初め頃、日本で工業化が軌道に乗りだした頃、日本の労働市場の特徴はその高い異動率でした。当時は熟練労働者になるためには一つの工場に居着いていてはダメで、腕のいい労働者ほど工場から工場へ渡り鳥のように移っていったのです。彼らは「渡り職工」と呼ばれていました。
 当時、労働問題を担当していた農商務省が『職工事情』という報告をまとめていますが、その中で日本の職工の異動率はアメリカやヨーロッパよりも高いと指摘し、ちょっとでも賃金が高ければすぐに新たな工場に移り、一生勤めようなんて全然考えないと嘆いています。逆ではありませんよ。だいたい、1年間の平均異動率が100%ですから、平均勤続年数は1年くらいだったということになります。入職して5年後にまだ勤続している者は10%に過ぎませんでした。現代日本の特徴といわれる終身雇用制などどこを探しても出てきません。・・・

ここから、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-85e7.html(綾屋紗月さんの提起される疑問)

でとりあげた綾屋紗月さんの

http://ayayamoon.blog77.fc2.com/blog-entry-207.htmlジョブ型契約ならアスペルガー症候群は働きやすいか?

における

>しかし、歴史を振り返った時、
メンバーシップ型の労働環境がうまくまわっていた時代には、
ASや高機能自閉症といった名づけが
日本ではほとんど知られておらず、

という認識についても、改めて考え直してみる必要がありそうです。

Htbookcoverimage ちょっと前の本ですが、滝川一広『「こころ」の本質とは何か』(ちくま新書)の中に、アスペルガー症候群についてこんな記述がありました。

>裏返せば、今の社会だからこそ「障害」化したとも言えないでしょうか。昔だったら関係の発達に少しぐらい遅れても、、一徹で変わり者だが腕はひとかどの職人、人づきあいは悪いが海や畑で黙々と働く漁師や農夫とか、生きる場所がたくさんありました。・・・

日本型雇用システムとは、ブルーカラーをホワイトカラーのように扱うことであると考えるならば、そこに「関係性の障害」が致命的な障害として析出してくる契機があったのかもしれません。

山井厚生労働政務官のつぶやきから

先に、「分権はむしろ福祉の敵です」という発言を引用した山井和則厚生労働政務官が、twitterをされていると聞き、早速覗いてみました。

https://twitter.com/yamanoikazunori

特に4月25日のつぶやきを見ますと、

>神野直彦教授の新刊「分かち合いの経済学」(岩波新書)を早速、読みました。「経済成長と雇用と社会正義を同時に実現する戦略は、人間的能力を向上させる教育投資にある」「すべての社会の構成員の人間的能力が高まれば生産性が向上し、経済成長が高まる」と、神野教授。重要な指摘です。

>神野教授は、「ワークフェア国家への転換」を訴えておられます。能力開発型のワークフェア(働くための福祉)であり、衰退する産業から新しい産業に雇用を職業訓練を通じて、シフトさせるのです。私もスウェーデンに2年間、留学する中で、スウェーデンの職業訓練の充実には目を見張りました。

>いま日本でも雇用保険がない方々を対象に、職業訓練を実施しています。昨年夏から制度がスタートし、今では約10万人分のコース(3ヶ月から半年)が整備され、コース終了後の就職率は6割弱です。雇用保険がない失業者が生活保護にならずに、再就職できるトランポリン型の職業訓練が必要です。

>与謝野馨著「民主党が日本経済を破壊する」(文春新書)を読みました。民主党批判の書ですが、このような本こそ、謙虚に読まねばなりません。私とは意見が異なる記述も多いが、「欧州大陸型福祉国家の再評価が必要」という与謝野議員の主張には同感。「小さな政府」路線では日本の再生は難しい。

>私も二年間、スウェーデンで学び、問題点も感じました。しかし、すべての国民に教育や職業訓練を保障し、完全雇用を目指す政策は参考になります。国家にとって一番のムダは、失業者を増やすことです。日本でも雇用創出、需要創出が必要。

と、たいへん的確な認識をお持ちであることを改めて感じました。

政治的には対立する立場である与謝野議員の主張の評価すべき所をきちんと評価しているところも、知的な公平さが感じられます。

まあ、いろいろありますが、こういうものごとの道理がちゃんと分かった方が政務官としておられることは、労働政策にとってありがたいことです。

2010年5月11日 (火)

柳屋孝安先生のご推薦

関西学院大学図書館のHPに、「2010年度・春学期「先生のおすすめの本」 」というコーナーがありまして、

http://library.kwansei.ac.jp/recommend/2010/recommend_top.html

その中で、柳屋孝安先生がわたくしの『新しい労働社会』をご推薦いただいていたことに気づきました。

http://library.kwansei.ac.jp/recommend/2010/recommend_ya.html#柳屋孝安先生

>本書は、「働きすぎの正社員のワークライフバランス喪失」、「偽装請負と派遣切り」、「ワーキングプア」、「労働組合の衰退」といった近時注目度の高い様々な労働問題を取り上げ、 平易な記述で、問題の真相(ヘソ)を明快に指摘し、問題解決の処方箋とこれからの労働社会のあるべき姿の提示を試みた意欲作である。 マスコミ等による問題の一面的な取り上げ方に翻弄されぎみの諸氏に最適の一書である。
 
(法学部 : 柳屋 孝安 先生)

暖かいお言葉をいただきありがとうございます。

労働契約法の意義と課題@日本労働法学会誌

日本労働法学会の119回大会@名古屋大学を目前にして、学会誌が送られてきました。特集は「労働契約法の意義と課題」です。

http://www.hou-bun.co.jp/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-03263-8

このシンポジウム記録の中で、わたくしが質問しているところ(正確には西谷先生がわたくしの質問票を読み上げているところと、わたくしの追加的発言)がありますので、そこだけ引用しておきます。

テーマは、合意原則をめぐってです。

西谷(司会) ・・・濱口会員からの質問は、少し視点が違います。「労働契約法の合意原則は、個別労使の合意という理解で立法されていることは確かだが、その沿革は、労基法2条1項(労使対等決定原則)に由来するならば、集団的労使の合意という概念に基づくのではないか。労働基準法制定時において、実質的立法者であった労務法制審議会も、法を審議した国会も、制定直後の裁判所の裁判例も、いずれも労基法2条1項を集団的労使合意と解釈している。」そこで、これは労働契約法の解釈の論点だと思いますが、「集団的合意を原則としつつ、その例外として個別合意を優先させるべき場合の補充的規範として合理性を位置付けるほうが、労働法体系全体との整合性ある理解ができるのではないか。この例外を判断する基準として、ワーク・ライフ・バランス等の公共政策的配慮が位置付けられるのではないか」という質問です。
 この質問に対して土田会員に答えてもらい、不足な点は、さらに質問者から補足で話してもらいます。

土田(同志社大学)・・・・・

西谷(司会) 今の点について、濱口会員、発言をお願いします。

濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構) 解釈論としては、労働契約法がそういう趣旨で作られたことは当然承知しています。やや立法論的に、そういう作り方でよかったのかという問題提起をしたつもりです。
 合意原則や自主的な交渉が、個別の労働者だけの話として想定されているのであれば、労働法は100年をさかのぼった昔の民法に戻るだけではないでしょうか。そこをきちんと区分けした議論をしないと、何の議論をしているのかわかりません。労働法と言いながら、実は民法で議論していることになり、それでは意味がありません。
 これは、労働法の存在根拠は労使間の情報格差だけの問題なのか、それとも交渉力格差も問題なのかという判断にかかわると思います。スタート時点における交渉力格差も問題だと考えれば、個別合意だけではだめだから、交渉力格差を補うために集団的合意というものが位置付けられたのだと思います。ところが、逆に集団的な合意だけでやると、そこから個別的な利害がこぼれ落ちてきます。その個別的利害を、いかなる場合に集団的合意に優先させるべきかという判断基準として、一般的には「合理性」判断ということになるのでしょうが、とりわけ均衡処遇やワーク・ライフ・バランスといった一般条項が用いられるべきではないか。つまり、原則としての集団的合意と例外としての個別的異議をどのように組み合わせるべきかという観点が必要ではないか。
 それを、「みんなで合意したからこれでやっているが、俺は嫌だよ」という話を、「個別労働者の合意があったかなかったか」という枠組みでいきなり議論すると、本来複数の層で議論しなければいけないものが、非常に単層的になるのではないでしょうか。形式的意味における労働契約法を前提とした議論をここですべきだとすると、趣旨が違う質問だったかもしれませんが趣旨を説明させていただきました。

土田(同志社大学)・・・・・

これは、わたくしの書いたものや喋ったものを読まれている方はおわかりのように、労働契約法制定に向けた議論の当時から、わたくしが結構繰り返し述べてきている話ですし、拙著『新しい労働社会』の第4章の大きなテーマでもありますし、最近では『月刊労委労協』に載せた講演でも取り上げたテーマなのですが、あまりアカデミックな学会ベースでは議論にならないのは不思議な感じがします。

あと、個別報告では、所浩代さんの「精神障害に基づく雇用差別と規制法理」が興味深いです。というのは、実は『季刊労働法』連載の「労働法の立法学」の次の回に障害者雇用を取り上げることもあり、特にわたくしがよくわからず一知半解気味の精神障害とか発達障害とかという分野の本(といっても新書ですが)をかなり立て続けに読んで、頭の中が精神医学化しているという事情もあったりしますが。

2010年5月10日 (月)

社会的弱者に雇用の場を

一方、同じ本日の日経の「経済教室」は、中島隆信氏が「社会的弱者に雇用の場を」と題して、まったくあたりまえのことを、まっとうに書かれています。

捨て扶持的ベーシックインカム論が妙に流行る昨今、次の文章は何回も読まれる値打ちがあるでしょう。

>能力の劣る人は働く場所から排除されても当たり前と考える人がいるなら、それはとんでもない誤りである。経済学上最大の発見ともいわれる「比較優位」の考え方は、弱者を社会から排除することの非合理性を見事に説明する。・・・

>例えば、強いこだわりを持つ自閉症の人たちの場合であれば、作業内容を明確化し、パターン化することができれば、比較優位どころか一般の人たちよりも優れた能力を発揮するといわれている。・・・

>人が唯一の資源であり、それは将来的に減少していく日本にとって、どんな人も社会から排除せず、できる限り経済に取り込み、社会全体の利益を増やすという発想が必要である。それは効率的な社会の構築と行政のスリム化にもつながる最も効果的な「事業仕分け」といえる。

地方分権の職業訓練的帰結

本日の日経1面に、「仕分け「移管判定」の職業訓練施設 26府県が「拒否」」という記事が載っています。ネット上にはまだ出ていないようですが、

>独立行政法人の職業訓練施設を地方自治体に移管する国の方針が滞る懸念が出てきた。日本経済新聞の調査では、昨年の事業仕分けで「地方に移すべきだ」とした厚生労働省所管の雇用・能力開発機構が運営する施設について、都道府県の5割超、26府県が受け入れられないと回答した。財政難を理由に運営費の増加を避けたい地方と、独法のスリム化を進めたい国の思惑の溝が浮き彫りとなった。・・・

>・・・未定の中でも、「施設は無償、運営費などの財源は恒久的に県に委譲するのが条件」(埼玉県)など、事実上の拒否回答をした自治体が大半を占めた。

観念的な地方分権論は、成長戦略の重要な一環であるはずの職業訓練政策という現実に向き合う必要があるわけですが、この記事を書いた記者(たぶん政治部)も「滞る懸念が出てきた」などと、政策の各論はすっぽり抜けたまま「お題目政治」を続けるつもりのようです。

こういう問題については、実は朝日も毎日も読売も日経も産経も変わりはありません。右と左じゃなくて、総論人間と各論人間の違いなんですね。政策の各論が判らないどころか判る必要なんかないと思っている政局オンリーの政治部記者のセンスと、政治部記者が顧みないその政策の各論こそが何よりも大事だと思っている労働とか福祉とか教育といった分野の専門記者のセンスの違いが、この問題ほど浮き彫りになるものはないでしょう。

3面に、財源論に関する対立がどこにあるかが書かれています。

>訓練施設の運営費は事業主が負担する雇用保険2事業の保険料で賄っている。地方は財源の委譲を求めているが、国は「都道府県ごとに保険収支の差があり、移管すれば雇用政策に地域差が出る」と反発。落としどころは見えず、地方との協議は紛糾が必死だ。

これまた「落としどころは見えず」などと、それがどういう帰結をもたらすかに対する想像力の欠如した文章を平然と書いていますね。さすが政治部記者です。

労働担当の記者であれば、雇用保険財源を地方に移管するということは、ただでさえ民間の教育訓練施設のかなりある東京都では、ありあまる雇用保険財源を原資に、山のように豪華な訓練施設が建ち並ぶ一方、保険料を払ってくれる企業の少ない地方では、貧相な訓練施設すら維持できず、必要な人ほど訓練を受けられないという事態になることが容易に想像できるはずですが。

2010年5月 9日 (日)

綾屋紗月さんの提起される疑問

昨日のエントリ「労働法制と発達障害者」へのコメントとして、当事者としてこの問題に取り組んでおられる綾屋紗月さんがご自分のエントリと、さらに深く突っ込んで考えられた文章をリファーしておられます。

http://ayayamoon.blog77.fc2.com/blog-entry-207.html(ジョブ型契約ならアスペルガー症候群は働きやすいか?)

http://manazashijam.web.fc2.com/pdf/ayayamoon20100510.pdf(「隙間に立ちあがるもの」―ノイズ・ノリ・熟議―)

>確かに業務内容が明確化されている
ジョブ型の労働契約に比べて、
メンバーシップ契約が
アスペルガー症候群(以下、AS)にとって
働きにくい一面はあります。
私の就労経験を切り取る時にも
「フリーランスではうまくまわっていたのに、
 正規社員になった途端にうまくできなくなってしまった」
という語り方があてはまる側面があります。

しかし、歴史を振り返った時、
メンバーシップ型の労働環境がうまくまわっていた時代には、
ASや高機能自閉症といった名づけが
日本ではほとんど知られておらず、
むしろ
それらにほころびが生じた時期に一致して、
名づけが流布していったという事実があります。
(ちなみに英米では日本よりも20年近く早く
これらの名づけが広まっていきました。)

ということは、
「メンバーシップ型/ジョブ型」という区分が
そのままASにとっての
「働きにくい/働きやすい」労働環境という区分に
直結するのではなく、
また、
別の軸も考慮にいれる必要があるのかもしれない
と考えています。

これはとても重要な指摘で、「メンバーシップ型/ジョブ型」を何か静態的な昔からずっとそうであったものとして考えるとかえって見えてこない時代性の軸を考慮に入れる必要性を示しているように思われます。

別の文章などで述べたメンバーシップ型の縮小と凝縮が、それまではそれほどでもなかった「人間力」の要求をそれまで以上に高まらせたことが、その背景にあるのかも知れません。

もちろん、発達障害の社会的「発見」と時代背景とのつながりなど、考えておくべきポイントは山のようにあります。

このあたりは、わたくしも一知半解でものを言ってしまう危険性を常に意識しながら慎重に考えをめぐらせる必要があると思っていますが、切り込むことに値打ちのある分野であることだけは間違いないと感じています。いろいろと勉強しながら、少しずつ考えを深めていければと思っています。

2010年5月 8日 (土)

労働法制と発達障害者

4月27日に開かれた労働政策審議会障害者雇用分科会の資料が厚労省HPにアップされています。

そのうち、「労働・雇用分野における障害者権利条約への対応の在り方に関する中間的な取りまとめ」が重要です。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/04/dl/s0427-9c.pdf

基本的には、昨年の労働・雇用分野における障害者権利条約への対応の在り方に関する研究会の中間整理に沿ったものになっています。

この中に、

>また、労働者代表委員から、発達障害者支援法第2条に規定する発達障害者についても、障害の範囲に入れてはどうかという意見が出された。

という記述があります。同法によると、

第二条  この法律において「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう。
 この法律において「発達障害者」とは、発達障害を有するために日常生活又は社会生活に制限を受ける者をいい、「発達障害児」とは、発達障害者のうち十八歳未満のものをいう。

と規定されていますが、同法はほとんど発達障害「児」が対象で、大人の就労する発達障害者は対象になっていません。

一方で、労働局の個別労働関係紛争の実態を見ていくと、これは発達障害が原因ではなかろうかと思われる事案が結構見られます。

このあたり、労働研究者と精神医学とのつながりがあまりないこともあり、きちんと突っ込んだ検討はあまりされていないように思われます。

本日の朝日にベーシックインカム論の紹介

本日の朝日新聞の文化面に「ベーシックインカム論 熱気」という紹介記事が載っています。

その中で、堀江貴文氏や山崎元氏の主張に対して、

>これに対して労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員は「日本の論点」に掲載した論文で、ベーシックインカム論は「ネオリベラリズム(新自由主義)とはきわめて親和性が高い」と指摘する。

と引用されています。もっとも、これだけでは、(濱口の日頃の論調を知らなければ)だから良いと言っているのか、だから良くないと言っているのか、よく分かりませんね。

そのあとには、雨宮処凜、関曠野、宮本太郎といった方々の議論を引用し、最後に山森亮氏の分析で締めくくっています。

2010年5月 7日 (金)

分権はむしろ福祉の敵です

毎日新聞の5月4日の記事から、

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100504ddm001010057000c.html(ガバナンス・国を動かす:第3部・中央と地方/2(その1) 省庁の抵抗「政治主導」)

>厚生労働省の山井(やまのい)和則政務官(48)は、政府方針に反する回答をためらおうとはしなかった。

「社会福祉の中でも緊急的なものは中央集権的にやらないとだめです。分権だと迅速にできない。分権はむしろ福祉の敵です」

まったくそのとおり。

ところが、この記事を書いている毎日新聞の記者にとっては、これはけしからんことのようです。

>「何を一番やりたいのか。まさに地域主権の確立だ」「国と地方のあり方を大逆転させることが一番の本分」

 鳩山由紀夫首相(63)は自らが議長の地域主権戦略会議を開くたびに理想を語る。副議長の原口一博総務相(50)は「ここが決定の場だ」と会議の権威を強調している。

 ところが、足元がなかなか定まらない。

>省庁の枠を超えた一括交付金が実現した場合、各役所は予算要求権と配分権という力の源を失う。自民党時代は官僚が地方分権の骨抜きを図ってきたが、鳩山内閣では抵抗そのものが「政治主導」に変わった

チホー分権という絶対正義に逆らう輩は、官僚であろうが政治家であろうが、地獄に堕ちろといわんばかりです。

この記事を書いた記者にお伺いしたいのですが、「分権はむしろ福祉の敵です」という山井政務官の認識についてどうお考えなのでしょうか。

チホー分権にして首長の好き放題にしたら、福祉や教育にどんどんお金を回してくれるのか、その逆なのか。新聞記者なら普通若い頃田舎勤務をしているはずですが、田舎政治家がどういう人々であるかまさか知らないわけではないと思うのですが。

それとも、チホー分権にして福祉がどんどん削られても、それこそ民主主義の成果なのであるから、もって瞑すべしというお考えなのか。

まあ、チホー分権真理教を突き詰めれば、阿久根市民が選んだ阿久根市長がどんなことをやらかそうが、それこそ市民自治の成果なのですから、阿久根市民でないよそ者がとやかく言うべきことではないのかも知れません。

まあ、それはそれで一つの首尾一貫した思想であることは確かなので、そこまで断言するのであればどうぞご自由に、としかいいようがないのですが、そこのところをごまかして耳に心地よいというだけでチホー分権を振り回しているのであれば、その悲惨な帰結の責任をとる覚悟があるのかと問いつめたいところです。

とはいえ、しょせん無署名記事なので、こんなことをブログで書いてみてものれんに腕押しなんですけどね。

(追記)

ちなみに、福祉じゃなくて教育関係ですけど、こういうこともあるようです。

http://takamasa.at.webry.info/201004/article_4.html(学校図書購入費はどこへ行った?)

>・・・・・・こういう議論をすると、「そんなことをすれば、選挙で落ちてしまうから首長も議会もそんなことはしない。地方自治体を信頼すべきだ。」という、いささか紋切り型の反論が返ってきます。

しかし、こんな実態があります。

文科省のHP」の下のほうにある広報チラシを読むと、国は学校図書館整備5カ年計画を立てて、毎年200億円を図書購入費として配っています。ただ、これらの経費は使途を制限しない一般財源で、それを図書購入に充てるかどうかは市町村などが決めます。その結果、平成19年度には156億円しか図書購入に使われませんでした。44億円はどこへ行ったのでしょう?でも、これが問題になって市長さんや議員さんたちが選挙に落ちたという話は聞きません。市長さんや議員さんたちはそれを知っているから、図書購入費を別なところに使ってしまうのでしょう。

ほとんどの市民もどれだけの額が措置され、そのうちどれだけが図書購入費に使われたかは知らないはずです。実は私も自分の住んでいるところでどれだけの額が措置されどれだけの額が使われたかは知りません。

小学生のころ、よく図書室で本を読んだものです。いい本が子どもの心を豊かにすることに疑問を持つ人はいないでしょう。親ならなおさらです。それでもこんなものなのです

(参考)

本ブログにおける地方分権関係エントリ

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_39f9.html(地方分権を疑え)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_942b.html(分権真理教?)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_9f95.html(補完性の原理についてごく簡単に)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-3ec3.html(地方分権の教育的帰結)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-7566.html(労働政策審議会意見「地方分権改革に関する意見」)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-6653.html(東京目線の地方分権)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-6d5f.html(地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-01db.html(地方分権という「正義」が湯浅誠氏を悩ませる 実録版)

ほとんど絶望的に・・・

本エントリは雑件ですので、誤解なきよう。

森直人さんの「もどきの部屋 education, sociology, history」というブログに、「自分つっこみ」と題して、次のようなエントリが、

http://d.hatena.ne.jp/morinaoto/20100506/p1

>ほとんど絶望的に歴史的パースペクティヴの欠如した(現代対象の)「実証系」研究者と,ほとんど絶望的に現代的問題意識の欠如した「歴史系」研究者って,似てるよね。

歴史のための歴史。好事家の自己満足。

ここに「理論系」も加えてやりだすと無用に敵を増やすだけなので,却下。

っていうか,教育社会学に「理論系」なんていないか(←結局増やしてる)。

わたくしは教育社会学方面じゃないし、既にあちこちに無用に敵を増やしているので(笑)、森さんに却下された部分を再現しておきますと、

>ほとんど絶望的に歴史的パースペクティブも現代的問題意識も欠如した「理論系」研究者って・・・・、理論のための理論。好事家の自己満足・・・・・・・。

まあ、教育社会学方面はよくわかりませんが、労働研究についても、確かにこういう3つの傾向は感じられます。

それとも、アクチュアルな問題意識に根ざし、深い歴史的パースペクティブに裏打ちされ、理論的にも見事に説明能力のある研究、なんてのは、知的で誠実なナチスみたいなものなんでしょうか。

2010年5月 6日 (木)

きわめてまっとうな赤木智弘氏のつぶやき

5月4日の日経社説に対して、黒川滋さんの「今日も歩く」と本ブログがまたもや見事にかぶってしまいました。

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2010/05/55-07f8.html(日経社説 介護・保育は外国から低賃金労働者を連れてくればいい)

これはもう、条件反射回路が似ているということなんですかねえ(笑)。

それはともかく、このエントリで

>昨日、赤木智弘さんのtwitterでもそういう議論が行われていて興味深かった。
障害者介護の介護士の賃金が高くなるとカネのために福祉をやる人が流れ込んで困る、と赤木氏に議論をふっかけた人に対して、そうやって調達する介護労働は脅迫によって成り立つ、と反論。ほんとうに視点がいい。

と紹介されていたので、ちょっと覗いてみたところ、確かに、赤木氏、極めてまっとうな議論(つぶやき)を展開していました。

http://twitter.com/T_akagi

>介護の仕事が人手不足なのは、職業訓練が足りないからではなく、はしごが途中で折れていることが明白で、一生食べていける仕事ではないとみんな知っているから。介護の待遇を良くするか、社会保障を充実させて、介護でも一生食べていけるようにすればいい

>RT @kan9896: @T_akagi 介護を受けている立場で言うと、現在以上の待遇を介護職に与えたりすると金のためだけに就く人が増えて、安心して任せられなくなると思う。

>介護って「要介護者のため」ではないと思う。RT @kan9896: @T_akagi 個人的な信頼関係の上に成り立っているならば良いのだが、現状では全く意味のない専門性を持った人間が、信頼も何もなくやっている。ここを是正しないと誰のための介護か分からなくなる虞があると思う。

>社会全般のためでしょ。そうじゃなきゃ、介護に関わる人は何のために介護をしているのか。RT @kan9896: @T_akagi では、誰のためなのですか?

>これまでの介護を誰が負担してきたのか。それは主に女性。賃労働を男性に奪われ、無賃労働としての家事労働や介護といったシャドウワークを一方的に押し付けられてきた。そうした介護は決して「愛情」によって支えられているのではなく「脅迫」によって支えられてきた。

>現実問題として、今はまだ「モチベーション」を保っている人だけが介護を担っている。そしてそれは市場原理にしたがい、労働市場として労働者に見捨てられている。同時に、発展途上国の「介護士」を連れてこようという取り組みも進んでいる。

>RT @kan9896: @osugi81 @T_akagi 他の職業と同じように評価すると、今の介護職の人間に今の報酬は到底払えません。看護職と同等以上の知識があるならそういう論も認めますが。

>要介護者があなたのような意識で介護者を見ているとすれば、そのどこに「個人的な信頼関係」が成り立つ余地があるのでしょうか? RT @kan9896: @T_akagi 失業者対策として語られる介護職というのは汚いことをする肉体労働者というイメージではないのですか?

>要介護者があなたのような意識で介護者を見ているならば「個人的な信頼関係」が成り立つ余地などありません。これはあなたの全ての発言に向けた結論です。RT @kan9896: @T_akagi もちろん、私がそういう意識で見ているということではありません。冷静に読んでくださいね。

日本人の労働市場ではそんな低賃金では誰もよろこんで働かないよ、という水準が、「今の介護職の人間に今の報酬は到底払えません」というのですから、それは外国人労働者を連れてこなければ労働供給がもたないのは当たり前でしょう。

ただ、「きわめてまっとう」と言って、「100%」と言わないのは、この直後に

>なんか、ベーシックインカムの必要性を実感した。労働から貨幣を引っ剥がさない限り、こうした見下しはいくらでも発生する。

とつぶやいてしまうところ。逆でしょう。赤木さんの論敵が言っているのは、「金のためだけに就く人が増えて、安心して任せられなくなると」とか「失業者対策として語られる介護職というのは汚いことをする肉体労働者というイメージ」とか、まさに介護労働を労働市場における労務と貨幣の交換という本来あるべき市場労働から引きはがして、なにやらお金と関係のない高邁なる崇高なサービスに仕立て上げようということなのではないですか。ここでベーカムとか言っては負けですよ。

チロル州立病院労使協議会対チロル州事件ECJ判決

しばらく欧州司法裁判所の判決から遠ざかっていましたが、去る4月22日にパート労働指令と有期労働指令に関わる判決が出されていました。

http://curia.europa.eu/jurisp/cgi-bin/form.pl?lang=en&newform=newform&Submit=Submit&alljur=alljur&jurcdj=jurcdj&jurtpi=jurtpi&jurtfp=jurtfp&alldocrec=alldocrec&docj=docj&docor=docor&docop=docop&docav=docav&docsom=docsom&docinf=docinf&alldocnorec=alldocnorec&docnoj=docnoj&docnoor=docnoor&radtypeord=on&typeord=ALL&docnodecision=docnodecision&allcommjo=allcommjo&affint=affint&affclose=affclose&numaff=&ddatefs=&mdatefs=&ydatefs=&ddatefe=&mdatefe=&ydatefe=&nomusuel=&domaine=PSOC&mots=&resmax=100

Zentralbetriebsrat der Landeskrankenhäuser Tirols v Land Tirol)( Case C‑486/08)

オーストリアのチロル州の公立病院の被用者の中央労使協議会が雇用主のチロル州を相手取って起こした裁判で、争点は3つあり、労働時間が変わると有給日数が変わるのがパート指令違反だというのと、6ヶ月未満の有期労働者は契約公務員法の適用除外となることが有期指令違反だというのと、2年間育児休暇を取ったら年休の権利がなくなるのは育児休業指令違反だというのとの3つですが、ここでは2番目の6ヶ月未満適用除外について見ておきます。

チロル州政府とオーストリア政府の反論に曰く

>That being so, the Province of Tyrol considers that the different treatment of the workers referred to in Paragraph 1(2)(m) of the L-VBG is justified on objective grounds connected to the implementation of the requirement for rigorous personnel management. The Austrian Government argues that it would be extremely difficult and onerous from an administrative point of view to create permanent posts in excess of requirements by concluding employment contracts with workers with whom a long-term employment relationship cannot a priori be considered. Such an approach would prevent the pursuit of a legitimate objective of social policy and the organisation of the labour market.

これは厳格な人事管理の必要性によるものだ。長期の雇用関係が事前には考慮されていない労働者との雇用契約の締結による要請を超えて恒常的なポストを創設することは行政上の観点からして困難かつ面倒だ。

これに対して欧州司法裁判所は、

>Such an argument cannot however be accepted. First, rigorous personnel management is a budgetary consideration and cannot therefore justify discrimination (see, to that effect, Joined Cases C‑4/02 and C-5/02 Schönheit and Becker [2003] ECR I-12575, paragraph 85). Second, the European Commission rightly points out that the aim of Clause 4 of the framework agreement on fixed-term work is not necessarily to create permanent jobs.

そのような議論は受け入れられない。まず、厳格は人事管理は予算上の考慮であってそれゆえ差別を正当化しない。次に、欧州委員会が正しく指摘するように、有期労働指令第4条の目的は別に恒常的なポストを作ることではない。

と退けています。

本件では、公的な労働者代表組織である労使協議会が訴えを提起しているというところも興味深いです。

2010年5月 5日 (水)

日経新聞の「規制改革」は外国人チープレーバーの導入か?

昨日の日経新聞の社説は、「(「元気な経済」考) 介護・保育・医療を規制改革で伸ばそう」と題して、

http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE2E4E5E5E3E5E7E2E2E6E2E7E0E2E3E28297EAE2E2E2;n=96948D819A938D96E38D8D8D8D8D

>需要がどんどん増えていく介護、保育、医療で経済の成長を促すには、どんな仕組みが必要だろうか。

と問いかけています。

>介護に限らず保育や医療を含め、社会保障の分野はサービスを必要とする人が急増しているのに、供給が追いつかない。

どうしたらこういう分野の供給を増やすことができるだろうか、と問われたら、そりゃ待遇改善でしょう、と自分がその立場だったらという風に考える人だったら考えると思うのですが、さすがに日経新聞は違います。

>介護サービスを担う人材も足りない。要介護者の増加を考えると、政府は介護士を年に5万人程度ずつ増やす必要があると試算する。しかし仕事の内容がきつい割に給料が低いなどの理由で、なり手が大きく増える見通しは立たない。人材を日本人に頼る考え方を改める必要がある。

なるほど、「仕事の内容がきつい割に給料が低い」から日本人の労働供給が増えないのは、きつい仕事を低賃金でやろうとしない日本人が悪い、と。そんな怠け者はほっといて、きつい仕事を低賃金でやってくれる外国人を使おうと。

>経済連携協定に基づくインドネシアとフィリピンからの人材受け入れは数百人にとどまる。日本人介護士の待遇が下がるのを恐れる業界団体に配慮して厚労省が制限しているからだ。数千人単位で受け入れなければ年5万人増の達成は不可能だ。

そりゃ、低賃金で使うことが目的であるならば、反対するのは当然でしょう。大事なのは、外国人がたくさん入ってきても大丈夫なような高い労働条件をきちんと確保することではないかと思います。

よく、多くの失業者がいるのだからそっちを介護労働力に回せばいいという議論もありますが、そこは向き不向きがあるので、ある程度外国人労働力の活用を図ることはやむを得ないと私は考えていますが、ここまで露骨に低賃金労働力を使いたいという欲望をむき出しにしたような社説は、いささか品位に欠けるように思います。たぶん、日経新聞を読むような読者層には、そういう低賃金労働力と競合するような層はいないと思っているからなんでしょうけど。

男性非正社員は6割以上が赤字@連合総研

連合総研の第19回勤労者短観(速報)がアップされています。

http://rengo-soken.or.jp/pdf/%E9%80%9F%E5%A0%B119.pdf

新聞報道でも注目されていますが、男女正規非正規別の世帯収支状況というのが興味深いデータです。

0011

>赤字世帯は全体の4割弱。世帯年収400 万円未満、男性非正社員では6割超。

さらに、具体的な生活苦の経験では、

>男性非正社員の困窮度合いが深刻。税金や社会保険料を支払えなかった(31.4%)、食事の回数を減らした(20.0%)、医者にかかれなかった(17.1%)、家賃や住宅ローンを払えなかった(14.3%)など。

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2010年5月 4日 (火)

アスペルガー症候群が生きにくいメンバーシップ型社会

拙著の書評というわけではないのですが、拙著の枠組みを引いて、アスペルガー症候群の人の生きにくさを説明しているブログがありました。「自閉症・親(家族)・地域・武蔵野東学園」の「東風blog」から、本日のエントリ

http://tongpoo-blog.air-nifty.com/jose/2010/05/post-5e11.html(”ギフテッド”を読んで考えた事)

>”EU 労働法政策雑記帳”ブログを書かれているhamachan先生こと濱口桂一郎氏の著書”新しい労働社会”では、「(特に大企業を中心に)日本型雇用システムの特徴は、職務と言う概念が希薄」であり「日本型雇用システムにおける雇用とは、職務ではなくメンバーシップ(その会社の構成員となることを許可すること)」であることが指摘されています。私はこの事もASの方の生き難さに繋がっているのではないか、と思ったりしています。
hamachan先生によると、日本以外の国(主に欧州と思われる)では「具体的な職務を特定して雇用契約を締結する」ジョブ契約型が主流なのだそうです。これであれば雇用契約で契約したジョブ(職務)さえ責任もって行っていれば、職場の人間関係を気にする事は(全くとは言いませんが)ありません。

しかし、日本はメンバーシップ契約ですから、採用の基準は終身雇用を前提としたメンバーシップをその人と結ぶか(要は仲間に入れるか)と言うことになり、他人とのコミュニケーションが苦手なASの方に不利に働いているように思います。

”新しい労働社会”では(我々は当たり前だと思っているが実は世界的に見るとかなり異質な)日本的雇用システムや慣行の根底にあるメンバーシップの考え方が、逆にメンバーシップに入れなかった非正規労働者等の問題の根本にあることが指摘されていますが、ASの方の場合はそれが増幅されて降りかかってきているのではないか、と思われてなりませんでした。

9784344981423_1l 正直言って、わたくしの議論の枠組みがこういうところにまで使われるとは想像していませんでしたが、でも確かに、岡田尊司さんの『アスペルガー症候群』などを読むと、「社会性の障害」とか「コミュニケーションの障害」といった症状が指摘されていて、メンバーシップ型の社会では生きにくいであろうと思われます。

I4396111908l あるいはまた、アスペルガー症候群を含む発達障害について書かれた本に、「発達障害者が持っている才能を活かすには」「専門的な知識や技能を活かす」と書かれていますが、それもジョブ型社会の方がやりやすいでしょうね。

このあたりはわたくし自身必ずしもよく分からないところも多い分野ですが、それこそ大野正和さんの議論とどこまで切り結ぶことができるのかも含めて、自分なりにもう少し考えていってみたいと思います。

阿Qさんの拙著への深い書評

5月1日の書評紹介の続きです。

阿Qさんが、4月30日から今日まで5日連続で、拙著『新しい労働社会-雇用システムの再構築へ』への書評を書かれています。

http://straight-line.seesaa.net/article/148242740.html働くことを考える。 「新しい労働社会」・・・雇用システムの再構築へを読む

>本書はリーマンショック後に突如現れてきたような「派遣切り」や「ワーキングプア」の問題を、「普通の社会人、職業人にとって、空間的および時間的な広がりのなかで現代日本の労働社会をとらえる」視野を広げてくれる本である。少なくとも、自分の実感だけで労働を考えてきた僕にとっては、最近の、就職の困難さに直面している若者や中高年の現状を考えながら、それが歴史的な日本の労働問題の流れの中で起きている問題だということを教えてくれる本だといえる。

http://straight-line.seesaa.net/article/148380790.htmlジョブは可能か? 新しい労働社会・・ 雇用システムの再構築へを読む(2)

http://straight-line.seesaa.net/article/148468782.html開かれたジョブへ 新しい労働社会・・・雇用システムの再構築へを読む(3)

>雇用契約の主流がジョブ型ではなくメンバーシップ型であり、それが日本の労働社会を息苦しくしていることは確かである。そのことを感じるのが転職の際であろう。

>つまり、職務ではなくメンバーとしての資質が問われているわけだから、そのメンバーに合わせることが出来るかどうかが問題になる。そのメンバーには独自の歴史があり、歴史にそった風土がありそれを理解する必要があるわけである。それよりもまずその会社に人格を含めてまるごと適合しなくてはならない。職務だけで自由に動けない場合の転職が難しいというのは、そういうことなのである。

http://straight-line.seesaa.net/article/148550975.html開かれたジョブへ(2) 新しい労働社会・・・雇用システムの再構築へを読む(4)

>実はこのようなメンバーシップが適用されるのは、労働者全体ではほんの一部にすぎないのではないか。先ほどの大企業の男性正社員だけだということからいうと、ほんの数パーセントかも知れない。ほんの数パーセントにすぎないのに、日本の雇用問題の代表的な考えというのも変な話である。そこに日本の雇用問題を考える時のネジレがある。

>最近NPOに勤めてみて感じたのは、意外と個人で様々な職業を持って企業と折り合いをつけながら生きている人が多いということである。主にコンピュタ関連の技術を持っている元技術者とか、NPOを自分で創業している人とか、環境問題とか労働問題に詳しい人とか、いわゆるSOHOをやっている人とか、臨時に企業に雇われている人とか、多彩な生き方をしているが結構いるのに驚いた。生活は裕福とはいえないみたいな人が多いが、誇りを持って生きているこのような人達をみていると、今後の日本にひとつの希望が生まれる。

>そういった人に共通しているのは、ジョブ(職務)である。それぞれの人が、それぞれのジョブ(職務)を持っている。

http://straight-line.seesaa.net/article/148705678.html新たな労働社会を読む(最終回)

>最終章の「職場からの産業民主主義の再構築」で述べている「正社員と非正規労働者を包括する公正な労働者組織として企業別組合を再構築することが、現実に可能な唯一の道」という今後の労働社会に対する提案に若干の違和感があるからだ。

>僕が違和感を持ったというのは、労働組合という組織が著者が考えるほど一般の人が期待しているか、という点である。この本を読むと確かに戦後の労働組合と労働政策が大きく現在の労働社会に影響を与えていることは、よく理解できる。その延長で「公正な労働者組織」を構築するという提案は、よくわかる。だがしかし、である。

>僕はむしろ、序章で述べているような労働をジョブ契約ではなく、メンバーシップ契約に変遷してしまった日本社会の病理(?)、さらにそのメンバーシップ自体が崩壊しつつある一方で、厖大な非正規労働者が生まれているといった構造に迫った方が、労働社会という「社会」を理解出来ると思った。

大変深く拙著を読み込んでいただき、その上で、わたくしの考え方との微妙な、しかしかなり重要な違いをも摘出されています。

阿Qさんは、「僕は自由な個人が、各自のジョブにより協同して社会を構成するといった、ユートピアというか、ある意味能天気なイメージを未来の職業に持って」おられるのですが、わたくしは企業メンバーシップに立脚した労働社会からなにがしかジョブに立脚した労働社会に移行していくとしても、それを支えるのは何よりも具体的な職場の連帯感-あえていえば職場のメンバーシップ感-だと考えていて、「自由な個人の共同体」(アソシエーション!)には懐疑的なのですね。

2010年5月 3日 (月)

「欧州全域でブルカ禁止を!」

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-3ad7.html(ベルギーでブルカは禁止!)

の続きです。

D5eee63ba89a http://euobserver.com/9/29991(Top German Liberal in EU parliament wants Europe-wide burqa ban)

例によってEUobserver紙によりますと、欧州議会副議長の一人で、ドイツ自由民主党のシルヴァナ・コッホ・メーリン議員が、

> "I would like to see the wearing of all forms of the burqa banned in Germany and in all of Europe."

「どんなものであれブルカをかぶった姿はドイツで、いや欧州全域で禁止されるべきです」

と述べています。

既にベルギーでブルカ着用禁止法が成立し、フランスもそれに続こうとしている今、それをドイツ、そして欧州全域に広げようと主張しているわけです。

>"The burqa is an enormous attack on the rights of women. It is a mobile prison."

「ブルカは女性の権利への全面的攻撃です。動く牢獄です。」

ドイツ自由民主党は経済的自由とともに個人の自由を信ずる政党ですが、彼女によれば、

>there are limits to this freedom and the EU should decide on behalf of Muslim women the limits of what clothing they can wear.

この自由にも限度があり、EUはムスリム女性の信仰について彼女らが何を着ることができるかの限度を決めるべきです。

「自由」を政党名に掲げる政党が、その自由を擁護するために、ブルカをかぶる自由を否定するという一見パラドクシカルな、しかしきわめて本質的な問題といえるのでしょう。

2010年5月 2日 (日)

野川忍『新訂労働法』(商事法務)

4785717572 野川忍先生より、『新訂 労働法』(商事法務)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.shojihomu.co.jp/newbooks/1757.html

>本書は,労働法学の最新かつ最先端の理論水準を確保した労働法の教科書。著者による姉妹書『労働判例インデックス』に完全対応。法科大学院生・法学部生待望の教科書。司法試験等各種試験準備に最適

はしがきはここで読めます。

http://www.shojihomu.co.jp/newbooks/1757.pdf

労働法のテキストとしては大変読みやすいものですので、お勧めです。

ここでは、個別的労働関係法の冒頭の「雇用契約と労働契約」の節での議論に若干異論を呈しておきたいと思います。

野川先生は、平成17年の民法現代化により、

>若干の内容変更がなされたことから、今後はこのような理解(=「外形的には請負契約などとされていても実質的には労働契約であるという場合があり得る」)は生じ得ず、かえって民法の雇用契約概念は従来以上に広い契約類型を包含するものとなってと考えられる。つまり、外形的に請負契約などとされていて実質的には労基法上の労働契約であるというような契約は、ほぼ間違いなく民法上は雇用契約であるとみなしうるからである。なぜならば、現在、民法の雇用契約は、請負契約や委任契約の類型のうちのかなりの部分を含みうる構造になっているからである。

と述べられるのですが、少なくとも現在の裁判所の判断基準は、当事者が「請負契約だ」といったものを実態に即して(同じ民法上の異なる契約類型であるところの)雇用契約だと判断するようには全然なっておらず、労基法上の判断基準は民法とは違うのだというロジックが働かなくなってしまうと、契約締結時に貼られたラベルをひっくり返すことはできなくなる恐れがあるように思われるのですが。

2010年5月 1日 (土)

ジョブ型正社員に関するメモ

某所における議論のためのたたき台として書いてみたメモ

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雇用における公正・公平

 「雇用」は雇用関係のすべての側面を意味しうるが、ここで取り上げるのは賃金等の「処遇」にも「能力開発」にも属さない雇用関係の性質という側面における正社員と非正規労働者の格差である。法律論としては、派遣労働者を含む有期契約労働者が契約期間の満了という形で、解雇権濫用法理が直接適用されない形で雇用終了されることが主たる問題となるが、実態論としては、正社員についてできるだけ雇用を維持することが社会規範となっているのに対し、非正規労働者についてはそのような社会規範が希薄で、法律論的にはより厳しく制約されるはずの期間途中の解雇も含めて、雇用終了が手軽に行えるものと考えられていることが重要である。

(1) メンバーシップ型正社員とジョブ型非正規労働者

 そのような考え方の背景にあるのは、正社員と非正規労働者は単に雇用契約に期間の定めがあるかないかだけではなく、その労務提供義務の内容が異なるという社会意識である。すなわち、正社員は雇用契約において職務(ジョブ)が限定されず、企業の一員(メンバー)としてその命ずるあらゆる職務を遂行する義務がある。また、労働時間や就労場所についてもその延長や変更が初めから含意されており、原則としてこれを拒否し得ない。その代わり、職務の有無にかかわらない雇用保障があり、企業には解雇回避努力義務がある。処遇における年功的処遇や企業内教育訓練による技能向上もここから導かれる。これに対し、非正規労働者は基本的に職務を特定して雇用され、労働時間や就労場所も原則として限定されている。その代わり、雇用保障は基本的に存在せず、企業リストラ時には正社員の雇用を維持するために先んじて非正規労働者の雇用を終了することが規範とされてきた。処遇における低賃金や能力開発における正社員との格差もここから導かれる。
 かつては、マクロ社会的に、妻子を養う成人男子を正社員に、彼らに養われる主婦や学生を非正規労働者に割り当てていたため、シングルマザーなど一部を除けばあまり社会的に問題とならなかった。しかし、90年代以降正社員になれなかった若者が非正規労働者となり、低技能、低賃金、不安定雇用から抜け出せなくなっている。一方、正社員はその数が少なくなるにつれ、労務提供の内容的・時間的・空間的な要求水準がより高まっていき、男女共同参画社会の必要性が高まる中、正社員のワーク・ライフ・バランスを確保することが困難となってきている。
 そこで、もはや硬直的となったメンバーシップ型正社員とジョブ型非正規労働者の二極構造を見直し、新たな雇用類型を構築することが求められている。

(2) 非正規労働者からジョブ型正社員へ

 今日、非正規労働者が雇用における不公正をもっとも強く感じるのは、自分が遂行している仕事が現にあるにもかかわらず、契約期間の満了を理由に雇用を打ち切られることであろう。有期契約はもともと双方が期間の定めに合意しているといっても、反復継続して同じ仕事に従事していること自体、その仕事が臨時的なものではなく恒常的なものであることを示している。その意味で、反復継続された有期契約労働者を無期契約労働者とみなすべきとする考え方には一定の合理性がある。
 しかしながら、上記のような正社員と非正規労働者の類型を前提とすると、反復継続されたからといって職務・時間・空間無限定の正社員としての権利義務を直ちに与えることは適当ではない。企業にとっては仕事がなくなった場合の解雇回避努力義務が課せられることが、労働者にとっては職務・時間・空間に限定のない労働義務が課せられることが不利益となる可能性があるからである。
 そこで、労務提供義務において職務・時間・空間に限定があり、その範囲内では雇用保障があるが、それを超えた解雇回避努力義務が企業にない期間の定めのない雇用形態として、「ジョブ型正社員」を設けることが考えられる。一定要件を満たす反復継続した有期契約労働者は、原則としてジョブ型正社員に移行することとなる。この場合、移行する前の有期契約労働者は、一種の試用期間にあるものと考えることができる。
 この形態はメンバーシップ型正社員と非正規労働者の中間的形態と見ることもできるが、そもそも欧米諸国の正規労働者とはこのようなものであり、その雇用保障とはジョブがある限りのものである。重要な点は、経営上の正当な理由がないにもかかわらず、期間満了を理由として雇止めされることがなくなることであり、それゆえ使用者に対してボイス(発言)をすることを恐れる必要がなくなるということである。今日の非正規労働者にもっとも必要な公正・公平とは、何よりも雇止めの恐怖から免れることではなかろうか。

(2) メンバーシップ型とジョブ型の相互乗り入れ

 ジョブ型正社員という働き方は、自分の職務を大事にしたい、自分の時間を大事にしたい、自分の住む場所を大事にしたいと考える現在の正社員にとっても意味のある選択肢でありうる。ワーク・ライフ・バランスの掛け声を単に育児休業などのイベント豪華主義にとどめることなく、日常の職業生活と家庭生活がバランスした生き方を可能にしていくためには、雇用保障の一定の縮小と引き替えに職務限定、時間限定、場所限定の「ワーク・ライフ・バランス型正社員」を権利として確立していくことが考えられていい。
 さらに、仕事と家庭の両立が長い職業生涯の中で一定の時期に発生する課題であることを考えれば、男女ともにライフステージの中でメンバーシップ型とジョブ型を相互に行き来できる仕組みを構築すべきである。

(3) ジョブ型正社員にふさわしい社会保障のあり方

 妻子を養う成人男子を前提とするメンバーシップ型正社員に対しては、そのライフステージに応じて子どもの教育費や住宅費を含めた生計費を賄える年功的賃金が規範とされたため、社会保障は病気や老後への対応に専念することができた。しかし、職務に応じた処遇を前提とするジョブ型正社員の場合、夫婦共稼ぎで生計費を賄うことを原則としつつ、一定の時期に特に必要となる子どもの教育費や住宅費負担を公的にまかなう仕組みを補完的に整備しておく必要がある。これは自分で稼ぐことができないこどもという人生前半期への社会保障として確立されなければならない。
 一方、仕事がなくなったときのためのセーフティネットとしては、メンバーシップ型正社員を前提としたこれまでの雇用政策では、雇用調整助成金のように企業内で雇用を維持しつつその人件費負担を公的に賄うやり方が実質的に中心であったが、ジョブ型正社員については雇用が終了することを前提に、公的失業給付を中心とする本来の仕組みによることとなる。ただし、雇用調整助成金の場合、単に休業するのではなく社内で教育訓練を受けることが多く、これが職業能力の維持向上に役立っていることに鑑み、公的失業給付と公的職業訓練とのリンクをより密接にしていく必要があろう。

ソーシャルなベーシックインカム論

生活経済政策研究所から送られてきた『生活経済政策』5月号は、特集2として「国際シンポジウム報告:アクティベーションか、ベーシックインカムか?-持続可能な社会構想へ」の第1回目として、宮本太郎先生によるまとめ報告と、ベーシックインカム派のベルギーのルーベン大学のヤニク・ヴァンデルホルヒトさんの講演録を載せています。アクティベーション派のデンマークのアンデルセンさんの講演録は次号回しということなので、ここではヴァンデルホルヒトさんの言い分を見ていきます。

ベーシックインカム派といっても、生活研が企画して宮本太郎先生が司会するシンポに出てくるのですから、ホリエモン式の「無能な奴は働かずにすっこんでろ」的な捨て扶持ベーシックインカム論ではなく、逆にベーシックインカムこそが労働供給を促進するのだというロジックになります。

>最後に、普遍主義か選別主義かという問題を労働政策、労働力供給、つまり本日の論題であるアクティベーションと直結させて論じようと思います。

宮本教授が指摘するように、就労義務を課さない無条件ベーシックインカムと雇用とは直結していません。そうではあるのですが、ベーシックインカムと雇用との関係を貧困の罠や失業の罠、ここでは活力を奪う罠(inactivity trap)と呼びますが、その点から考察したいと思います。

たとえば、日本が普遍的児童手当ではなく、選別主義に基づいた児童手当、つまり一定の所得以下の層を対象とする児童手当の導入を選択したとします。しかし、それは同時に罠を作り出します。受給者が就職し所得が改善したら、給付の一部ないし全額を失うことになるからです。もし公営住宅など資力調査を伴う別の給付を同時に受けていた場合、雇用へのアクセスは家計にとって全く魅力的ではなくなってしまいます。・・・

その解決策の一つが選別的なスキームを普遍的なスキームへと転換することです。普遍的給付であれば就職後も給付を受け取れます。低賃金であっても、失業時よりは確実に高い純所得となり、家計は改善する。働けば報われることになります。

ベーシックインカムは完全雇用に対する理想的なオルタナティブだといわれますが、私は逆ではないかと思います。労働権、効力ある仕事へのアクセス権を持つためには、所得の権利がまずもって必要だからです。その観点からいえば、ベーシックインカムは就労しようとする人々への直接的補助(job subsidy)です。無条件ベーシックインカムは完全雇用のオルタナティブではなく、完全雇用を達成するための方法だといえます。

拙著『新しい労働社会』をお読みいただいた皆様にはおわかりの通り、このロジックはかなりな程度わたくしの議論と共通しています。

実際、わたくしは拙著153頁以下で、

>教育費や住宅費を支える仕組み
 とはいえ、現実に日本型雇用システムに入らない家計維持的な非正規労働者が増大している以上、彼らに対して家族の生計を維持できるような収入を何らかの形で確保する必要があります。最低賃金自体に家族の生計費を考慮することが交換の正義に反するのであるならば、賃金以外の形でそれを確保しなければなりません。それは端的に公的な給付であっていいのではないでしょうか。
 本人以外の家族の生計費、子女の教育費、家族で暮らすための住宅費など、労働者の提供する労務自体とは直接関係はないにしても、彼/彼女が家族を養いながら生きていくために必要な費用は、企業が長期的決済システムの中で賄わないのであれば、社会的な連帯の思想に基づいて公的に賄う必要があるはずです。
 生活保護であれば生活扶助に加えてかなり手厚い教育扶助や住宅扶助が存在し、この必要に対応しています。しかし、多くの非正規労働者や非正規労働者であった失業者にはそのような仕組みはありません。これは、考えようによっては大変なモラルハザードの原因をつくりだしていることになります。なぜなら、雇用からこぼれ落ちて福祉に依存すれば教育費や住宅費の面倒を見てもらえるのに、わざわざそこから這い上がって雇用に就くとそれらに相当する収入が失われてしまうのであれば、就労に対する大きな負のインセンティブになってしまうからです。
 実際、日本のような過度に年功的な賃金制度を持たない欧州諸国では、ある時期以降フラットな賃金カーブと家族の必要生計費の隙間を埋めるために、手厚い児童手当や住宅手当が支給され、また教育費の公費負担や公営住宅が充実しています。社会のどこかが支えなければならない以上、企業がやらない部分は公的に対応せざるを得ないはずでしょう。
 それは、当面は家族生計費や子女の教育費や住宅費が本人賃金の中に含まれる生活給制度の下にある正社員層と、それらを賃金という形ではなく公的給付として受給する低賃金の非正規労働者層という労働市場の二重構造を前提とするものとの批判を免れないかも知れません。
 しかしながら、そうした生計費のセーフティネットが徐々に張り巡らされていくことによって、これまで生活給制度の下にあった正社員層についてもある時期以降フラットな職務給に移行していく社会的条件が整っていくはずです。逆に、そうした条件整備抜きに短兵急に職務給の導入を唱道してみても、社会に無用の亀裂を生み出すだけでしょう。

と論じました。

ヴァンデルホルヒトさんがいう子ども手当や住宅手当については、わたくしはまさに普遍的給付派なのであり、それをベーシックインカムと呼ぶならば、まさにベーシックインカム派でありましょう。

このことは、ベーシックインカム批判として書かれた『日本の論点2010』所収の論文でも、冒頭、

>筆者に与えられた課題はワークフェアの立場からBI論を批判することであるが、あらかじめある種のBI的政策には反対ではなく、むしろ賛成であることを断っておきたい。それは子どもや老人のように、労働を通じて社会参加することを要求すべきでない人々については、その生活維持を社会成員みんなの連帯によって支えるべきであると考えるからだ。とりわけ子どもについては、親の財力によって教育機会や将来展望に格差が生じることをできるだけ避けるためにも、子ども手当や高校教育費無償化といった政策は望ましいと考える。老人については「アリとキリギリス」論から反発があり得るが、働けない老人に就労を強制するわけにもいかない以上、拠出にかかわらない一律最低保障年金には一定の合理性がある。ここで批判の対象とするBI論は、働く能力が十分ありながらあえて働かない者にも働く者と一律の給付が与えられるべきという考え方に限定される。

と断っておりました。

問題は、そういう「労働者の提供する労務自体とは直接関係はないにしても、彼/彼女が家族を養いながら生きていくために必要な費用」ではなく、労働者の提供する労務の対価に相当する部分を無条件給付化してしまうことの是非であって、それが「就労しようとする人々への直接的補助(job subsidy)」となるのか、それとも「就労しないことに対する報酬」になってしまうのか、ということこそが問題であると私は考えるわけですし、その際、問題は(世間の単純なベーカム批判論の如く)単に「働きたくないといって働こうとしないこと」への報酬の是非というだけでなく、むしろ「働きたい人を無能だからといって働かせないことに対する報酬」(いわば人間に対する「減反奨励金」!)の問題であるということが、すっぽり抜け落ちてしまうと思うわけです。

現代日本でベーシックインカムを声高に論じる人々が、ホリエモンとか、山崎元氏とか池田信夫氏といった、「無能な奴には捨て扶持を与えろ、下手に働かせない方が効率的」という思想にもとづいているだけに、ヴァンデルホルヒトさんのようなソーシャルなベーシックインカム論にはかなりの共感を感じつつも、なかなかそのまま受け入れられない面があるわけです。

とはいえ、彼のいう

>無条件ベーシックインカムによって、労働者は将来のない仕事、本人にはあわない仕事を拒否する力、権利を得ます。

というポイントはきわめて重要です。アクティベーション派は、この機能を(上記の欠点のある無条件ベーシックインカムではない形で)きちんと担保する必要があります。いわば、労働者のエンパワメントをいかなる回路で確立するかという課題です。

ここは、ソーシャルなアクティベーション派が、ソーシャルなベーシックインカム派と真剣に論じあうべき点でしょう。

最近の拙著書評

最近も拙著への書評がネット上に続々とアップされています。出版から既に9ヶ月になりますが、刷も3刷を重ね、書評もとぎれることなくアップされ続ける。本当にありがたいことです。

拙著の内容だけでなく、HP上の文章や講演録やブログ記事なども駆使しながら書評を展開していただいている 岩井晴彦(仮)さんの「もちつけblog(仮)」では、第7回目に、

http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-119.html(労働組合強化のために -EUの事例から-  濱口桂一郎『新しい労働社会』(7))

を書かれています。

昨日と本日、「阿QのBook Review」で、拙著が取り上げられました。

http://straight-line.seesaa.net/article/148242740.html働くことを考える。 「新しい労働社会」・・・雇用システムの再構築へを読む

>本書はリーマンショック後に突如現れてきたような「派遣切り」や「ワーキングプア」の問題を、「普通の社会人、職業人にとって、空間的および時間的な広がりのなかで現代日本の労働社会をとらえる」視野を広げてくれる本である。少なくとも、自分の実感だけで労働を考えてきた僕にとっては、最近の、就職の困難さに直面している若者や中高年の現状を考えながら、それが歴史的な日本の労働問題の流れの中で起きている問題だということ教えてくれる本だといえる。

http://straight-line.seesaa.net/article/148380790.htmlジョブは可能か? 新しい労働社会・・ 雇用システムの再構築を読む(2)

この書評もまだまだ続くようで、書評される私も楽しみです。

佐藤純さんの「株式会社フルライフの社長ブログ」では、

http://blog.full-life.co.jp/sato/2010/05/%e6%bf%b1%e5%8f%a3-%e6%a1%82%e4%b8%80%e9%83%8e-%e8%91%97-%e3%80%8c%e6%96%b0%e3%81%97%e3%81%84%e5%8a%b4%e5%83%8d%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%80%8d.html

>新卒採用に関わっている者として,雇用システムについて学んでおきたいと思い,この新書を読んだ.新書とは思えないほど骨太の論が展開されている.大学の法学部のテキストブックのような印象(法学部のテキストブックを読んだことがないが).新卒採用や非正規労働者など個々の現象について論じるのではなく,日本の雇用システムを国際比較と歴史的パースペクティブを使って大きな構図で捉えることができる.採用・育成に関わる方は必読.

という評価をいただいた上で、

>角を折ったのが20箇所以上ある.その部分を自分なりに以下にメモ;

と、拙著のいろんな部分を引用していただいています。

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