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« 山井厚生労働政務官のつぶやきから | トップページ | 本日の講義と研修 »

2010年5月12日 (水)

100年前の日本の労働社会はジョブ型だった

5月4日付の

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-8151.html(アスペルガー症候群が生きにくいメンバーシップ型社会)

で取り上げた「東風blog」さんが、

http://tongpoo-blog.air-nifty.com/jose/2010/05/post-5547.html(”ギフテッド”を読んで考えた事 その後)

で、さらに考えをめぐらされています。

>また、企業の側も従業員一人ひとりと”熟議”を行う余裕がなくなり、逆に(hamachan先生が指摘されているように)「メンバーシップ型の縮小と凝縮が、それまではそれほどでもなかった「人間力」の要求をそれまで以上に高まらせ」てきているようにも思え、どのようにすれば”熟議による民主主義”が日本に根付くのか見当がつきません。

ただ、わたくしはあまり性急に「熟議」といった議論に行く前に、

>翻って日本を見ると、もともと”暗黙の了解”に重きを置き、お互いに納得するまでじっくりと議論する事をあまりして来なかった国民性の上に・・・

という「国民性論」からちょっと身を引き離してみることも大事ではないかと思います。

というのは、拙著『新しい労働社会』の序章のメンバーシップ型とジョブ型の対比は話の半分に過ぎないので、ほんとうはそれを通時的に説明するもう一章が必要なんですね。

実は、序章は、わたくしの「日本の労務管理」講義案の第1回目をそのまま使ったものですが、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/Japempsystem.html(第1章 日本型雇用システム概説)

講義案ではそのすぐあとに、

http://homepage3.nifty.com/hamachan/JapLabManage.html(第2章 日本労務管理史概説)

が続いていて、その冒頭でこう述べているのです。

>前回お話しした日本型雇用システムは、前近代社会に由来する日本の伝統的な文化や価値観を継承したものだという説明が多くされています。はっきり申し上げますが、それは間違いです。もちろん、いかなる社会も過去を背負っていますから、伝統文化と全く無関係ではありません。しかし、近代工業分野の労務管理に関する限り、それは20世紀初頭から第1次大戦前後にかけて大企業を中心に成立し、その後戦時体制下で法制によって中小企業にも拡大され、さらに第二次大戦直後急進的な労働運動によって再確立し、最終的に1950年代に経営側が修正を加えることで完成に至ったシステムなのです。
 
1 20世紀初頭の日本の労務管理
 
 始めに、皆さんがびっくりするような知識を披露しましょう。20世紀の初め頃、日本で工業化が軌道に乗りだした頃、日本の労働市場の特徴はその高い異動率でした。当時は熟練労働者になるためには一つの工場に居着いていてはダメで、腕のいい労働者ほど工場から工場へ渡り鳥のように移っていったのです。彼らは「渡り職工」と呼ばれていました。
 当時、労働問題を担当していた農商務省が『職工事情』という報告をまとめていますが、その中で日本の職工の異動率はアメリカやヨーロッパよりも高いと指摘し、ちょっとでも賃金が高ければすぐに新たな工場に移り、一生勤めようなんて全然考えないと嘆いています。逆ではありませんよ。だいたい、1年間の平均異動率が100%ですから、平均勤続年数は1年くらいだったということになります。入職して5年後にまだ勤続している者は10%に過ぎませんでした。現代日本の特徴といわれる終身雇用制などどこを探しても出てきません。・・・

ここから、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-85e7.html(綾屋紗月さんの提起される疑問)

でとりあげた綾屋紗月さんの

http://ayayamoon.blog77.fc2.com/blog-entry-207.htmlジョブ型契約ならアスペルガー症候群は働きやすいか?

における

>しかし、歴史を振り返った時、
メンバーシップ型の労働環境がうまくまわっていた時代には、
ASや高機能自閉症といった名づけが
日本ではほとんど知られておらず、

という認識についても、改めて考え直してみる必要がありそうです。

Htbookcoverimage ちょっと前の本ですが、滝川一広『「こころ」の本質とは何か』(ちくま新書)の中に、アスペルガー症候群についてこんな記述がありました。

>裏返せば、今の社会だからこそ「障害」化したとも言えないでしょうか。昔だったら関係の発達に少しぐらい遅れても、、一徹で変わり者だが腕はひとかどの職人、人づきあいは悪いが海や畑で黙々と働く漁師や農夫とか、生きる場所がたくさんありました。・・・

日本型雇用システムとは、ブルーカラーをホワイトカラーのように扱うことであると考えるならば、そこに「関係性の障害」が致命的な障害として析出してくる契機があったのかもしれません。

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コメント

実はわたしもブログ(フリーターが語る渡り奉公人事情)で書いているし、口コミでも言ってきました。
しかしユニオンや労働者派遣法廃止または改正をもとめる社会運動かいわいではこの種の理解がありません。
非正規は悲惨、不幸、日本人らしくない。だから正規に格上げしてやれば丸くおさまる。
それでは解決しない問題もあるから正社員をやめて派遣等になる人もいるし、派遣で正社員になるのもちょっと・・・という声だってある。
それを無視して暴走している派遣法改正、何がなんでも大企業正社員という社会運動かいわいに最近、わたしは絶望しています。
正社員になりたいという気持ちや状況は、わたしなりに共鳴できます。
しかしそこでどうして正社員とか大企業至上主義が顔を出すのでしょう。
名ばかり正社員、名ばかり管理職も当たり前の世界で、非正規から正規へと籍をうつすだけで大丈夫なのでしょうか。
運悪く正社員になりそびれたら、一生被差別身分、もしいれば子孫もそれを引き継ぐシステムでも仕方ないとでもいうのでしょうか。
古代は朝廷に組織されていた職能民が、中世には無縁となり不安定化しつつも社会に役割をはたした。近世近代には取り締まられ蔑視された。
それとも似た構図のなかで、かつては企業に組織されていた人たちが無縁化した。それが社会によくないと取り締まり、次にくるのは非正規、または元非正規への蔑視ではないのでしょうか。
無縁でありながら職業訓練や福祉も使えるようにという、放縦→自由・人権というルートを拒否して、とにかく朝廷ならぬ会社に組織されりゃいいんだとする政策談義、
それに利用される「派遣はみなかわいそうで、全員正社員化をのぞんでいる」と宣伝する「当事者」はとりつくしまもありません。
わたしは不運にしてストーカーにとりつかれ、社会から隠れるように暮らさねばならなくなりました。
以前考えていた紙の本を出すプランも、登校社会への不安・不信とストーカー対策のために、もう使えません。(わたしは不登校のかたがやっている出版社から本をだしたいのですが、なかなかありません。どなたかそんな本屋さんをご存じありませんか?)
しかし岩波のようなそこそこメジャーな出版社から紙の本を出されているhamachanが、こうしたことを言ってくださるのは本当にありがたいことです。

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