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2010年4月 1日 (木)

立岩真也・齊藤拓『ベーシックインカム』

519drsdlgl__ss400_ 立岩真也・齊藤拓『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』(青土社)をお送りいただきました。ありがとうございます。

http://www.arsvi.com/ts2000/2010b1.htm

立岩さんの生存学の上記サイトに詳しい説明がありますので、リンク先に書いてあることは改めて引用しません。

ただ、そこのあとがきの最後の所にもちらと触れていますが、立岩さんと齋藤さんのBIに対するスタンスは相当に異なるという読後の印象があります。そして、正直言って、わたくしにとって鮮烈な印象を与えたのは齋藤さんの担当した第2部、第3部の方でした。その意味で、つまらないことのようですが、表紙の著者名が

立岩真也+齋藤拓

となっているのは(出版社のビッグネームに頼りたいという気持ちは分かるものの)いささかミスリーディングのような気がします。正確には、

立岩真也×齋藤拓

とでもあるべきではなかったでしょうか。

まあ、それはともかく、第1部第5章の冒頭で、

>基本的には、労働の義務はあるとしかいいようがない。それに対する「自由」を根拠とする反論は効かない。・・・

と述べる福祉多元主義者の立岩さんと、第2部の最後で

>個人主義的で市場主義的でなければ、原理的には、BI論者として整合性を欠くのだ。

と主張するかなりピュアなリバタリアンの齋藤さんとの間には、相当の隔絶があります。

そして、その齋藤さんが第3部「日本のBIをめぐる言説」で、様々な論者のBI論をそのリバタリアン的BI論の立場からばっさばっさと切りまくる姿は、見ていてほれぼれするものがあります。いやほんとです。何しろ、そこでBI批判論者として詳細に批判の対象とされている3人とは、堀田義太郎、萱野稔人、そして濱口桂一郎の3人なんですから。

このうち、堀田さんはケア労働に関わる問題はBIでは解決できないという論点に関わるものなので、BIの根本哲学に関わって齋藤さんから真正面の攻撃を受けているのは、萱野さんとわたくしということになります。いやあ、わくわくしますね。思わず読みたくなるでしょう?

わたくしに関わっては、①資産としてのジョブ、②働くことの「承認」としての意義、③「血」のナショナリズム論が批判の論点ですが、萱野さんへの批判点でもある②がやはり中心的論点なのだと思います。

この点について、次の齋藤さんの批判は、ピュアなリバタリアンとしてのその立場をよく示しています。

>筆者が萱野氏や濱口氏のような主張をする論者に対して指摘しておきたいのは、資本主義社会においてディーセントな雇用を要求するということは、それを用意してくれる雇用主の存在を前提している、ないし、具体的な誰かにそのような雇用主であることを期待しているのだ、ということである。そのような雇用主が存在しない場合こそ最後の雇用者としての政府の出番であると考えるのは大きな間違いである。そうすることによって、政府は需要のないサービスに対して無駄金を払い、さもなければBIとして分配されていたはずの財源を縮小させたことになるのである。または、政府によって雇用されることを望む「高価な嗜好」の持ち主たちに「労働」という名の賃金付き暇つぶしを提供したことになるのである。

もうすこし激越な表現が、萱野さん批判の所に出てきます。

>最後に、公共事業で雇用を増やした方がマシだという点について。そんな「ママゴト労働」で承認を得られる人はむしろ少数派であり、給付と引き替えにそのママゴト労働に従事させられたと恥辱を感じるのが普通である。

いやあ、「ママゴト労働」ですか。正直言って、障害者に何とか雇用就労の場を提供しようとして創り出した障害者向け職場などは、確かに補助金のおかげで何とかもっているママゴト労働といわれれば、その通りという気もしますが、それが「恥辱」という感覚は、ピュアなリバタリアンにとってはそうなのでしょうけど、多くの人々にとっては必ずしもそうではないのではないかと思うのですがね。

ここは、たぶん人間観のもっとも根本のところの違いが顔を覗かせているのだろうな、と思われます。わたくしにとっては、リバタリアンが「恥辱」と感じる「ママゴト労働」よりも、「お前のような無能な奴は働いてもらう必要はない、じゃまだからとっとと職場から出て行って、BIでももらって消費だけしてろ!」といわれることこそが最大の恥辱なのではないか、と感じられるのですが、これはもう感覚の問題ですから、お互いに説得可能な論点ではありません。

この点は、本書では引用されていませんが、『日本の論点2010』では、わたくしが一番読者の心に響いてほしいと思った「捨て扶持」という表現の背後にある感覚でもあります。「ママゴト労働」が恥辱なのか、「捨て扶持」が恥辱なのか、人間観の問題ですね。

>なるほど、BIとは働いてもお荷物になるような生産性の低い人間に対する「捨て扶持」である。人を使う立場からは一定の合理性があるように見えるかも知れないが、ここに欠けているのは、働くことが人間の尊厳であり、社会とのつながりであり、認知であり、生活の基礎であるという認識であろう。この考え方からすれば、就労能力の劣る障害者の雇用など愚劣の極みということになるに違いない。

①については、まともに議論を展開し始めるとかなりの広がりになるので、ここではとりあえず省略しておきますが、③については、政策論としてリアルな実現可能性を前提に議論する立場からすると、

>濱口氏はBI論壇においてグローバル・ジャスティスが真摯に追求されていることを知らないのだろうか。

という批判は、そのBI論壇が現実の政治に影響を及ぼす様なレベルのものでない限り、あまり意味がないように思われます。現代日本で、現実政治に影響を及ぼすようなレベルでBIを論じている人々にとって関心があるのは、そういう高邁きわまるグローバル・ジャスティスであるとはあまり思えません。そして、現代日本で公共サービスを削減するための補償金としてBIを考えている人々が、『日本の論点2010』で述べた

>全世界のあらゆる人々に対し、日本に来ればいくらでも寛大にBIを給付しよう

という高邁きわまる思想に賛同しているとはなかなか思いがたいところがあります。

それに、リアルな政策としてBIを論じるのであれば、それは現在日本で外国人に対する給付に対してどのような議論がされているかという実態を抜きにして、どこか空中のラピュタ国の議論を展開してみてもあまり有益ではないのではないかというのが正直なところです。

前に本ブログで書いたことですが、失業した外国人労働者が雇用保険が切れたあと生活保護を受給しようとすることに対して、現実の住民たちがどういう反応をしているかという話ともつながるものがあります。だからこそ、わたしは、

>日本人であるがゆえに働く気のない者にもBIを給付する一方で、日本で働いて税金を納めてきたのにBIの給付を、-BI論者の描く未来図においては他の社会保障制度はすべて廃止されているので、唯一の公的給付ということになるが-否定されるのであれば、それはあまりにも人間社会の公正さに反するのではなかろうか。

とも書いたわけなのですが、この点については齋藤さんの琴線には触れなかったようです。

最後に、ちょっといやらしい言い方をしますが、萱野さんやわたくしの議論に対して激烈な批判をされるのは、少なくともわたくしとしては大変ありがたく、いかなる人格攻撃をも伴わない言論の戦いは、正直申し上げて大変すがしがしさを感じていますが、その直後の宮本太郎先生に対する妙に遠慮したような物言いは、真理に仕えることを志す研究者として、いかがななのかな、という感想を持ちました。それ以上は申しませんが。

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コメント

「税を直す」は(立岩先生の特徴ある文体と、政府サイド←→再度、強調される←→協調される等の表現にこれは誤植だろうかと悩んだり)微妙に苦闘しながらも何とか1回読み終えたのですが、どうもつかみきれず。でも面白かった…

ピュアなリバタリアンに興味津々です。

濱口センセ、本書へのコメントありがとうございます。
 確かに、濱口センセと萱野さんへの言及だけが無用に激烈でしたね。どうもすいません。
 「政策として」BIに賛同できないというのは、おそらく現状でまともな政策分析者なら誰もが同意すると思います。現実政策レベルでの僕の立場は、「労働」というのを称揚するよりも、もっと敷居の低いものにすべきだ、というところでしょうか。

hamachan氏は「労働の権利」、あるいは社会参加の権利について語っていますが、リバタリアン側は「労働の義務」を否定しているのだと思います。
この義務と権利は不可分のものなのでしょうか。「労働の権利」は、「労働の義務」を果たす者にのみ与えられる、フリーライドできない権利なのでしょうか。両サイドとも不可分であることには一致しているように思われますが…

齋藤拓様

いえ、激烈ではあっても人格攻撃ではなくまさに考え方の対立の先鋭化ですので、わたくしは別に「無用に激烈」とは思っておりません。
『生存学』での橋口さんのわたくしへの批判も同様で、わたくしはありがたいと思っています。
こういう批判があってこそ、読者は何が論点なのか、どこで立場が別れるのかがよく理解できるわけですし。

これに懲りずに(懲りる話でもないでしょうけど)、さらに手厳しく批判をお願いします。

こんにちは。
記事とはあまり関係のない、また多少マルチポストにもなるかと思いますが、どうぞお許しください。
BIに関する新しいアンケートを作りました。
もしかしたら、意外なことが分かって来るかも知れません。

【問1】
もし、月5万円のベーシックインカムを一生涯もらえるとしたら?
http://research.news.livedoor.com/r/43444

・おもに生活費に使う
・おもに貯金する

【問2】
もし、月8万円のベーシックインカムを一生涯もらえるとしたら?
http://research.news.livedoor.com/r/43603

・おもに生活費に使う
・おもに貯金する

(後程、類似のアンケートをもう一つ作るかも知れません。)

こんにちは。
新しいアンケートを作りました。
ベーシックインカムの支給額についてなのですが、
他人事ではなく、自分自身の事として、考えてみて下さい。

http://research.news.livedoor.com/r/44334

あなたにとって、
あなた自身にとって、
最も理想とするベーシックインカムとは・・・
どういうものですか?

本文最後の一節を、4年半ぶりに

https://twitter.com/humahoshi/status/518745859299618816

このエントリーの中で、濱口桂一郎氏が最後にイヤミっぽく書いているように、社会福祉関係のアカデミズムの中では、絶大な政治力を持っていると思います。

イヤミと評されました。修養が足りませんな。


「ちょっといやらしい言い方」と御自身で書かれていたので、「嫌味」と書いてしまいましたが、言い過ぎだったかもしれません。

失礼いたしました。

星飛雄馬様

いや、自分でイヤミとわかっていて、人に指摘されるとどきっとするというだけです。お心を煩わし申し訳ありません。

最近、BI関係の議論からは遠ざかっていますが、この間の生活保護をめぐるそれこそ嫌らしいを通り越して不快感を催すような様々な動きを踏まえて、もう一度「血の論理」に関わる議論をやってみる必要があるのではないかと考えております。

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