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2010年4月22日 (木)

大原社会問題研究所編『新自由主義と労働』

9784275008817_2 法政大学大原社会問題研究所・鈴木玲編『新自由主義と労働』(お茶の水書房)をお送りいただきました。心よりお礼を申し上げます。

ただ、お礼を申し上げるのと、中身を批判的に論ずることとは何ら矛盾するものではありません。以下、少々厳しい言葉で批判させていただくところもありますが、それは感謝の気持ちゆえであるとご理解いただければと存じます。

取り上げるのは主として冒頭の兵頭淳史さんの「日本における新自由主義の起点に関する考察」です。

兵頭さんは、渡辺治氏の日本における新自由主義は1993年のバブル崩壊後の細川政権期に開始され、小泉政権下で本格化したという議論を批判し、むしろ70年代半ばの不況下の総需要抑制政策が新自由主義の出発点であると主張します。

>このように日本の新自由主義への移行は、70年代中葉に起点を持ち、80年代に本格化したという点で、新自由主義の世界的な展開の先駆と位置づけるべきなのであり、日本はむしろ新自由主義改革をいち早く経たことによって、80年代におけるつかの間の「成功」を収めた国と見るべきであろう。

この言い方は、70年代中葉に始まり、80年代に最盛期を迎え、90年代半ばに取って代わられていったあるレジームを「新自由主義」と定義するというのであれば、それはそれで間違いではありませんが、それではそのレジームを否定する形で90年代に登場し、2000年代に最盛期を迎えたレジームをなんと呼ぶのか、それを全く同じ「新自由主義」と呼んでしまうと、90年代の転換というのは存在しなかったということになるのか、という疑問が当然湧いてきます。そこのところが、実は必ずしも明確ではないように思われます。もし、両者は同じ「新自由主義」であって、70年代半ばから今に至るまで日本はずっと新自由主義だったんだと主張するということであれば、それは明確に間違いであると思います。

確かに80年代の中曽根首相は、レーガン大統領やサッチャー首相と「福祉国家はダメだよねえ」で意見が一致したかも知れませんが、それは国家のリーダーはそこだけいえばいいからで、社会のありようとしてはその叙述の前提となる条件節を補って言わなければなりません。

確かに兵頭さんの指摘するように、70年代初頭は日本でも福祉国家への道が強く論じられました。政府の各種政策文書でも、福祉国家(「日本型」なんかじゃなく、正真正銘のヨーロッパ型)をめざすという議論が盛んでした。それが、オイルショック後の激動をくぐり抜けてみると、「福祉国家はダメだ。英国病を見ろ。あんなになっていいのか」という議論が大変盛んにされるようになっていました。そこだけみれば新自由主義が先駆的に始まったように見えるかも知れません。しかし、このときの日本における福祉国家否定論の構造はこういうものでした

>会社が福祉をやるんだから、国が福祉をやる必要はない

より正確には「会社がその正社員とその家族に福祉をやるんだから、国が屋上屋を架して福祉をやる必要はない」ということになるでしょうが、これは条件節があってはじめて帰結節が意味をなすのであって、当時英米で力を持ち始めていた「会社が福祉をやるはずもないし、国が福祉をやる必要もない」という筋金入りの新自由主義とは別ものと理解すべきでしょう。

帰結節が同じだから、条件節を無視して同じ新自由主義であると言っていいわけではないとおもわれます。実際、70年代後半から80年代にかけて流行したのは、日本的経営がいかに優れているかという山のような議論であって、そのほとんどは今ではどこに行ったのか目にすることもなくなっていますが、そのこと自体がレジーム転換を語っているわけです。

渡辺治氏が90年代初頭を新自由主義の始まりと考えるのは、この「会社が福祉をやるんだから」という条件節がなくなって、「国が福祉をやる必要はない」という帰結節だけになっていったからだという判断でしょう。実のところ、その判断はおおむね正しいと思いますが、一点注意しておかなければならないのは、その新自由主義への移行は、英米流の新自由主義イデオロギーが原動力になって行われたものではないということです。

つまり、90年代初頭の転換は、当時の国民の主観的感覚からすると、「会社が福祉をやるんだから」というところに対する違和感が大きくなってきて、そこから脱却すべきだという思想が主導するものだったのではないかということです。当時の言葉で言えば、会社人間とか社畜とか、そういうあり方に対する進歩主義的感覚からする反発が中心で、「国が福祉をやる必要がない」という帰結節を明確に意識していたとは言い難いように思われます。

しかしながら、結果的にはそういう会社中心主義に対する個人主義的違和感をすくい上げる形でレジーム転換が進み、「国が福祉をやる必要はない」というところが残って、新自由主義的な方向に進んでいきました。その意味では、90年代初頭の転換も、新自由主義を意図して新自由主義を導入したわけではないのであって、むしろ意図せざる結果としての新自由主義化であったというべきではないでしょうか。もちろん、この20年間、筋金入りの新自由主義者が何人も登場してそれなりに流行したりもしましたが、国民の意識のレベルでは必ずしも主流ではなかったのではないかということです。

いま、その結果としての新自由主義がかなり急速に逆転しつつあるわけですが(「労働再規制」!)、なぜかくも急速に逆転してしまったのか、という点をきちんと分析する必要があるように思います。これはむしろ第2章の五十嵐仁さんの話になりますが、あれだけ新自由主義を謳歌していたように見えた小泉政権が、安倍政権以降格差社会論であっさりぐらついたということ自体、一部の極端な学者は別として、日本の新自由主義には全然筋金が入っていなかったことを問わず語りに示しているのではないでしょうか。

というところだけで結構の分量になりました。

本書の最後に載っている山垣真浩さんの「解雇規制の必要性」は、サイモンやバーナードの理論を駆使して、解雇規制の問題に斬り込んだ意欲的な論文なので、改めてエントリを起こして取り上げたいと思います。とかく整理解雇しか見えない経済学者の中にあって、「俺の命令に従わない労働者クビだ」という指揮命令関係に着目して解雇を論ずるというその姿勢が素晴らしいです。

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コメント

>会社人間とか社畜とか、そういうあり方に対する進歩主義的感覚からする反発が中心で、「国が福祉をやる必要がない」という帰結節を明確に意識していたとは言い難いように思われます。

89年の消費税廃止を掲げたおたかさんブームの成功が進歩主義的感覚の人々に税金を上げるなという議論を焚きつけたり、87年に結成したばかりの民間連合が減税を政策要求に掲げたりする中で、それまで税や福祉に無頓着だった進歩派こそが増税を回避する議論を展開し、その後の政界再編などの社会の混乱を経て「国が福祉をやる必要がない」という結論を導き出さざるを得なくなってしまったということだととらえていますがいかがですか。

そういう「リベサヨ」さんたちの感覚は、税金というのはどこか遠くの方で無駄遣いされているものであって、自分たちの生活に直結する福祉を支えるものだという風には認識されていなかったのでしょうね。

そのあたりの「リベサヨ」感覚が、国の福祉自体を敵視するネオリベ感覚と野合する形で、現在の「仕分け」にまでつながってくるのでしょう。

ただ、このエントリでいいたかったことは、その税金が自分たちの福祉と関係がないという感覚自体が、福祉が企業によって提供される大企業正社員の感覚に立脚していたということです。

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