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2010年4月 6日 (火)

苅谷剛彦・本田由紀編『大卒就職の社会学』

9784130511315 苅谷剛彦先生、本田由紀先生、筒井美紀先生より、『大卒就職の社会学 データからみる変化』(東京大学出版会)をお送りいただきました。ありがとうございます。

本書は、

>日本の大卒就職はどのような特徴をもち,過去20年にわたっていかなる変化を遂げてきたのか.そしていま,それはどのような問題を抱えるにいたっているのか.大卒就職のプロセスと帰結について,気鋭の教育社会学者による詳細なデータ分析を通じて実態に迫る.

もので、内容は以下の通りですが、

はじめに(本田由紀)
序章 大卒就職の何が問題なのか――歴史的・理論的検討(苅谷剛彦)
1章 日本の大卒就職の特殊性を問い直す――QOL問題に着目して(本田由紀)
2章 大卒就職機会に関する諸仮説の検討(平沢和司)
3章 1990年代以降の大卒労働市場――就職活動の3時点比較(濱中義隆)
4章 中堅女子大生の就職活動プロセス――活動期間と内定獲得時期の規定要因(筒井美紀)
5章 大学就職部の斡旋機能とその効果(大島真夫)
6章 「OB・OG訪問」とは何だったのか――90年代初期の大卒就職と現代(中村高康)
7章 「自己分析」を分析する――就職情報誌に見るその変容過程(香川めい)
8章 なぜ企業の採用基準は不明確になるのか――大卒事務系総合職の面接に着目して(小山 治)
あとがき(苅谷剛彦)

もちろん、苅谷先生の手際よい通史的なまとめも、本田先生のいかにも本田先生らしい総括的モノグラフ(これのゲラ段階の原稿は、学術会議の大学と職業の接続検討分科会ですでに見せていただいておりましたが)も、是非読んでいただきたいものですが、個別調査モノグラフにいくつか記憶に残る記述がありました。

筒井美紀さんの「中堅女子大生の就職活動プロセス」で興味深かったのは、

>「下宿・寮→独居・寮から通勤」の学生が、活動機関が最も短く、最初の内定獲得時期も最も早いという知見は、すでに親元を離れて暮らしていること自体も、企業から高く評価されているということを意味していると考えられよう。・・・企業からすれば、現時点ですでに親元を離れて生活しているということは、彼女たちが「企業人」としてやっていけるか否かの、一つの格好のシグナルなのである。

>だが男子学生であれば、一般にこうした評価にはさらされまい。男子学生であれば、実家を出て暮らしているかどうかが、どの大学ランクであれ、評価の重要ポイントとはなるまい。

という記述でした。一世代昔の感覚と180度変わりながら、ジェンダーバイアスがあるという点では継続しているという不思議な面白さがあります。男なら関係ないという点では同じながら、かつては女性については(特に中堅女子大生がいくような一般職では)自宅通勤できることが条件であったことと重ね合わせると、いろんなインプリケーションを引き出せそうです。

全体の中で、最後の2つは最若手の方々が書かれていて、いずれも就職における人間力というか「官能」のミクロ分析をしているのも興味を惹かれました。

香川めいさんの「「自己分析」を分析する」は、就職情報誌の言説分析により、やりたいことにこだわることを強制されるという逆説的状況を見事に描き出しています。

>一つ目として、就職時の自己の重要性の拡大は、自己を確定しなければならないという強制に転じてしまう危険を孕んでいる点が上げられる。就職・採用が選抜を伴うものである以上、有効な戦略をとらないという選択をすることは難しいからである。就職する際に、必ず労働市場に迎合的な形に自己を更新することが強制されるようになったのではないだろうか。若者の「やりたいこと」に対する過剰ともいえるこだわりは、それがないと就職できないという状況の反映だとも捉えられる。つまり、若者たちが「やりたいこと」にこだわるから就職できないのではなく、「やりたいこと」にこだわることが選抜の段階で強制されるから、就職が難しくなるという逆のベクトルの存在が示唆できるのである。・・・

>二つ目として、自己に対する志向性が過剰に加熱されることにより、仕事とのミスマッチが生じるという逆説的な帰結の可能性も指摘できよう。・・・

>働くことに「自己実現」を求めること、「やりたいこと」を仕事にすることが望ましい価値を持っていることを否定することは困難である。そして、自己実現の達成には自己を省みることも必要とされるだろう。しかし、「やりたいこと」の尊重を否定する有効な論理がないゆえに、「やりたいこと」を見つけることに対する志向、自己実現を求めることをよしとする志向は無限に拡大してしまい、ある時点から強制されるものに変貌する。・・・

このあたりを思いっきり下世話に表現すると、村上龍氏に対して労務屋さんが

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20100401小説『13歳のハローワーク』改訂新版出来

>改訂前の『13歳のハローワーク』は、「好きで好きでしょうがないことを仕事にしたほうがいいと思いませんか?」というキャッチコピーで127万部だか売ったんじゃないのかよ。

という捨て台詞になるのかも知れませんが、それはともかく、

>我々に突きつけられているのは、自己を准拠点とし、無限に拡張する自己と向き合い、その弊害を認識しながらも、自己に頼るしか方法がないという閉塞的な状況なのかも知れない。

という最後の言葉はなかなか重いです。

小山治さんの「なぜ企業の採用基準は不明確になるのか」は、企業の新卒採用担当者へのヒアリングにより、当初の評価用紙にない部分にまで評価が及ぶ採用基準の拡張が起こることを示しています。

>3人、私を含めて面談員がいたんですけど、質問すると非常にいい答が返ってくるんですね。論理性もあるし、それからすごくはきはきして、表情も豊かで、いわゆるコミュニケーション能力あるかっていったら、ありそうだ。で、いろんなことをやっているので、向上心もありそうだねっていうようなところでいうと、丸が付いちゃう。で、ストレスにも強そうだっていうような学生がいたんです。どうもですね、この人って何か信用できないなっていう、この人は本当にそう思っていっているのかなっていうことが、非常に疑義が出てきた学生がいたんですね。やりとりしている間で、それって、こんなところ(評価項目)に入っていないですし、ここだけでみると丸なんですよ。私だけなのかなと思ってみて、同僚の面談員2人に確認したらですね、私も同感ですっていうんですね。・・・優秀なのかも知れないけれど、採れないねっていうようなことってあるんですね。

能力のごまかしはある程度客観的な手法で曝露することができるでしょうが、こういう人間性のごまかし(じゃないかという印象)は主観的なものでしかありえず、このケースはそれが共同主観的なものであったわけですが、とはいえこの学生のどこがどういけないのかを言語化することは面談員の誰にもできていないという、まさに究極の「官能」選択の状況であるわけです。

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コメント

思いっきり下世話で申し訳ありませんね(笑)。
ただ、長い(職業)人生の間には「自分は(この仕事で働くことで)なにをしたいのだろうか?」と考えることは時折、しかし何度もあるわけで、たしかにひっきりなしに考えていたら気が変になりますが、しかし就活のときには思い切り考えてみてもいいのではないかとも思いますね。ただ、そんなことは中高年になったってはっきりとはわからないわけで、ましてや若者であればさっぱりわからなくてもむしろ当然だ、という常識を見失ってはいけないのでしょう。就職ジャーナリズムの中に、それをはっきり説明できないと就職できないよ、と煽ることで商売をしようという向きがあるとすれば、それは困ったことでしょう。

なるほど、やりたいことばかり追い求めてもいけないんですね。
ありがとうございます。

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