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2010年4月24日 (土)

消費者が「いただく」のか、提供者が「させていただく」のか

黒川滋さんの心に残る一節、

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2010/04/424-cb53.html(霞ヶ関の残業批判がネタ化)

>言うまでもないが、残業が増えるのは仕事をつくる側の責任である。
生活クラブ的な言い方になるが、生産者の都合も考えないで、「便利」に飛びつけば、夜間や残業で仕事をこなす人は増える一方である。アスクルとか、アマゾンのプライムサービスとか、きょうのあすみたいな仕事を減らさなくては、残業なんか減らない。このサービスを受ける、この物を手に入れるのに、背後にどんな人たちが動いているのか、考える洞察力がなければならない。
この私が珍しく保守的なこというが、かつてサービスを受ける側が「いただく」という言葉を使うはそういう洞察力を働かす言葉であったはず。しかし、今のようにサービスをする側がへりくだって「させていただく」というようになったとたんに、単なる需要と供給の力関係のサバサバした関係だけになり、物・サービスの購入と、労働が結びついているなんて面倒なこと考えなくて良くなっている。

>冗談的に使うならいいが、本気で使っている「させていただく」という言葉が好きにならない。言葉多くて軽薄、助平な印象。ぴりっと「します」「いたします」でなぜダメなんだろうか。

つまり、それが「消費者独裁国家」ということなんでしょう。同じ人間が、消費者のペルソナをかぶったとたんに万能の主権者、絶対の独裁者として権力を振るい尽くし、サービス提供者のペルソナをかぶったとたんに身は鴻毛よりも軽きやつこはしためのたぐいとなる。

自分自身自分の職場ではサービス提供者でありながら、消費者として王様になれる快楽ばかりを追求することによって、みんなお互いにお互いをサディスティックに、あるいはマゾヒスティックに叩き合っているようなもの。

サービス提供者が「させていただ」かなければならない社会をますます昂進させておいて、多くの者がサービス提供者として働かなければならない社会が良くなるはずもないのだが・・・。

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コメント

ただ消費者側から見て、サービスが提供されれば
便利に流れます。
企業間競争で勝ち残るためにサービスは提供されるので

提供者、仕様や構成などに縛りを入れるしか無いかと思います。

投稿: Dursan | 2010年4月25日 (日) 09時14分

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