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2010年4月22日 (木)

山垣真浩「解雇規制の必要性」

昨日ちょっと言及した山垣真浩さんの「解雇規制の必要性-Authority Relationの見地から」は、世の経済学者の圧倒的大部分が整理解雇を念頭において解雇規制が失業を増やすという議論ばかりをやっているのに対し、労働契約が不完備契約であること、それも、よく言われるような企業特殊熟練が形成されるから云々という議論ではなく、別に企業特殊熟練があろうがなかろうが、労働契約それ自体の性質から、指揮命令型不完備契約にならざるを得ず、まさにこの雇用関係の下の労働者には諾否の自由がないということから、「俺の命令に服従しなければクビだ」という解雇の脅しが、労働者に不利な条件での労働を甘受させることになるがゆえに、解雇権が制限されなければならないことを説得的に論じています。

これに対して、経済学者は必ず「exit」を強調しますが、これに対して山垣さんは

>第二の反論として、労働市場における企業間競争を強調して、不合理な命令や短絡的な解雇をする企業は評判を下げて優秀な人材を失いやがて企業間競争によって淘汰されてしまうはずだから、解雇規制という司法的介入は不要である、という非現実的な主張をする人がいるかも知れないが、そう主張する人は、そういう企業が労働市場で淘汰されるまで一体何年かかるのか具体的に示してもらいたい。しかもこの議論は理論的に見てもおかしい。企業は労働市場だけでなく、商品・サービス市場においても競争している。商品・サービス市場における激しい競争は、現代の日本を一瞥すれば分かるように、労働条件を切り下げる圧力として働く。だから労働市場における企業間競争の存在は、解雇規制を否定する論拠には全然なりそうもない。企業間競争による機会主義的行動の抑止効果を期待するよりも、むしろ企業内部のvoiceによる抑止策(産業民主主義政策)を図る方がずっと望ましい選択ではないだろうか。そのためには解雇権が規制されなければならない。

と述べます。これはまさにわたくしが繰り返してきたことを、組織経済学の用語で見事に説明しているように思われます。(注参照)

なお、この論文では、マーチとサイモン、コース、ウィリアムソンなどの組織経済学を駆使して、使用者と労働者の効用関数がどうこうとかいろいろと議論を展開していますが、そこをわたくしが解説する能力もないので、興味を惹かれた方はこの本を読んでください。

「おわりに」の次の文章は、解雇規制にとどまらず、およそ労働規制なるものがなにゆえに必要であるのかを、きわめて端的に解説した名文だと思いますので、引用しておきます。こういう基礎的な認識が欠落した人が労働問題を論ずるのは困ったことです。

>雇用関係が不完備契約であるのは、企業特殊熟練の形成をめぐる問題よりむしろ本質的なことは雇用関係がauthority relationつまり指揮命令関係だということである。不完備契約問題としては、こちらの方がより本質的なテーマである。指揮命令関係では過度な「労働の従属性」を招く恐れがあるので、使用者が命令できる範囲の制限が必要である。もし命令権に対する私有権が明確化できて、労使間で自由に取引できる状況が想定できるならば、指揮命令関係という不完備契約の下でもコースの定理が成立し、当事者のみで効率的な労働契約が設計できるので、労働者保護法は不要である。しかしこのファーストベストの契約は非現実的である。すなわち当事者だけで使用者の命令権の範囲を効率的に定めることはできない。かくて法律による労働契約に対する規制の余地が出てくる。使用者に対する労働時間の管理義務や労災防止義務は、その例であるが、解雇権の規制も同様の意義がある。つまり解雇権は制裁手段つまり使用者の命令権を強化する装置となるので、「労働の従属性」を防止するためには一定の規制が必要となる。それは労働者の「生産性」「仕事能力」の不足とか人事評価を基準とする解雇を規制するという内容でなければならない。なぜなら指揮命令関係の下では、労働者の「生産性」「仕事能力」は技能水準と服従性という2つの異質な要素からなっているので、労働者の過度な従属(労働者の厚生の悪化)を防止するためには、使用者が評価するところの「生産性」基準による解雇を制限する必要があるからである。この見方は、現実の解雇紛争が使用者の権威(Authority)に背いたか否かという問題でよく起きている事実と整合的である。

これはもう、全くその通りです。わたくしがもうすぐまとめる労働局あっせん事案の内容分析でも、まさに「云うことを聞かない」からクビというのが大変多いのですね。

労働において「指揮命令関係」が有する枢要的性格が、経済学者の議論では欠落しているという点に、解雇規制がわけの分からない迷路にさ迷い込む最大の理由があるのでしょう。指揮命令関係がなければ、それは労働契約ではなくある種の請負契約と変わらないわけです。経済学者が雇用関係をプリンシパル・エージェント関係で捉えるとき、請負的プリンシパル・エージェント関係と一体区別が付いているのかどうか。もしついていないとすれば、経済学者に必要なのはまずは民法契約編の基本的知識なのかもしれません。

(追記)(注)

上記注に関連して、常夏島日記ブログで、こういう記述がありましたので、ご参考まで。

http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20100419/p1(ブラック企業がなくなるために必要なこと)

>ブラック企業の商品・サービスを買わないということです。が、難しいでしょう。ブラック企業の商品・サービス、安いんだもの。私は個人的にモンテローザが経営しているお店はできるだけ回避していますし、牛丼チェーンやハンバーガーチェーンやファミレスには積極的には行かないようにしていますが、会社とかの飲み会の幹事はモンテローザグループのお店が大好きです。そこにしとけば「高い」って文句言われることはないから。

当該エントリはそのほかにも興味深い指摘がいっぱいです。

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コメント

深く考えず(考える能力もないのですが…)に書き散らかしたエントリなのに、引用いただきありがとうございます。

たぶん1990年代前半の世の中を前提に総合的かつ複合的に成立していた労働市場の安全網が、なぜにこのようにずたずたになってしまったかという漠然とした疑問から出たエントリのつもりでした。

雇用の積極的な流動化と同一労働同一賃金が全てを救う的なシンプルな議論が、まさにその安全網の隙間にこぼれそうな人たちに支持されているのを見ると、少なからず当惑してしまいます。議論の前提がいろいろとずれているような気がします。

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